――翌朝。
俺はめでたく人生初の風邪を引いた。
ふっ……寝込む王子様も絵になるな……。
とりあえず担任にはSNSで連絡し、学校を休むことになったが、授業に出席できないのが痛い。
俺、頑張らなきゃすぐ成績落ちるんだよなあ。
親父が仕事で出張なのも痛い。かーちゃんは大昔に亡くなり、俺に他に家族はいない。
看病してくれる人がいないんだよな……。
熱で体がまったく動かないから、常備薬を取りに行くこともできない。
あー……こんな時でも腹が減るんだな。
でも、喉が痛いから食べられる気がしない。
ふっと脳裏に琢磨が浮かぶ。
どうしてあいつの顔なんか――。
いや、駄目だ。
琢磨は今授業中なんだから。
それにしても……心細いな……。
弱ってるからか。
王子様はいつもキリッとしてなくちゃいけないのに。
熱に負けて瞼を閉じる。
入学してからの琢磨との日々が浮かんでは消えた。
だから、低く掠れた声で「蓮君」と呼ばれた時にも、幻聴か俺の妄想かと思ったのだ。
「蓮君?」
目をなんとか開けて絶句する。
「……琢磨?」
心配そうに覗き込んでくる薄茶色の目。そして、額に当てられた手でわかった。
本物の琢磨だ。
「お前……授業、どうしたんだよ……」
「サボった」
あっさりそう言われてぎょっとした。
「さ、サボ……!?」
あの琢磨が? 真面目な優等生の琢磨が!?
そ、そんなまるで不良みたいじゃねえか!
琢磨は目を剥く俺をよそに、
「喉、痛む?」
と尋ねた。
コクリと頷く。
「スポーツドリンクとかおかゆなら行けそう?」
それくらいなら食べられそうだ。
「うん……」
「ちょっと待っててね」
まもなく台所からトトト…と小気味良い包丁の音が聞こえてきた。
え、あいつ料理できんの? 音がやたらとリズミカルなんだが。
それから十分ほどで戻ってきて、俺の布団の横にコトンと盆を置いた。
生姜と醤油のいいにおいがする。
「お前、料理できたの?」
「うん、ずっと母さんと二人で手伝ってきたから」
「……」
料理のできるイケメンとか……最強じゃね?
てか、今こいつのほうが王子様属性高くね?
「冷蔵庫の冷凍ごはん一つ使ったよ」
「あ、ああ……」
「ささみと卵入れた雑炊」
う、美味そう……。
「起き上がれる?」
「それくらい――」
そう答えて体を起こそうとしたけど、やっぱり力が全然出ない。
すると琢磨が手伝ってそっと抱き起こしてくれた。
「……ありがと」
こんなショボい顔を見られるなんて情けねえ。
でも、そんななけなしのプライドも、雑炊を食べたとたんに吹っ飛んでしまった。
「う、まっ……!」
「よかった。蓮君、チキン味好きだったよね? だから、味付けに鶏がらスープ使ったんだ」
「主婦力高えなお前……」
一口食べるとまた食べたくなって、喉の痛みも忘れてしまった。
「そう言えばお前、どうやって家に入ったんだ。鍵かかってたろ」
すると、琢磨はなんでもないことのようにこう答えたのだ!
「蓮君の部屋の窓から。ちょっと開いてたから、いけるかなと思って」
「はひ?」
間抜けな声が出た。
「ここ……二階だけど……」
「ごめんね。不法侵入しちゃった」
琢磨は実に爽やかな笑みを浮かべた。
「これで僕も立派な不良だね」
いや、待って。ちょっと待って。
これ不良? なんか斜め上に進化してない?
「お、お前屋根に登って――」
「壁からだと簡単だったよ。防犯面に不安があるから、お父さんとセコ◯入る相談した方がいいかも」
もうなんと言っていいのかわからない。
俺はもくもくと雑炊を食べるしかなかった。
「はい、薬。食後にって書いてあったから」
「あ、ありがと。よく薬の場所わかったな」
「昔と変わってなかったからね。蓮君、よく薬箱からおやつ代わりにのど飴持ち出してくれたよね」
――昔。
俺と琢磨は小学生三年から中学一年まで近所に住んでいた。
琢磨は父ちゃんが死んで、母ちゃんが嫁ぎ先から追い出されて、祖母さんのいる実家に帰ってきたんだったかな。
でも、その祖母さんもすぐ死んで……。
「ふー、美味かった。ごちそうさま」
「片付けておくよ」
「サンキュ」
「あのさ……」
俺は立ち上がった琢磨に声をかけた。
「授業、欠席したんだろ?ごめんな」
「何言ってるの」
琢磨は目を細めた。
「僕が頭いいって、蓮君は知ってるだろ?一日くらい全然大丈夫」
こいつの場合嫌味にならないのがすげえ。
いや、違うな。
俺を、心配させたくないからだ。
「また熱上がったら大変だから、今日僕泊まるよ」
「寮母のオバチャンに何か言われねえ?」
琢磨はニッコリと笑った。
「いくらでも誤魔化せるから」
やっぱりこれ……不良とはちょっと違う……気がする……。
「でもさ、風邪、うつすと悪いから……」
そう、なんだかんだ言ってはいるが、俺の一番の不安はこれだった。
琢磨は俺をじっと見下ろしていたが、やがて
「……いいよ」
とポツリと呟いた。
「えっ」
「蓮君の風邪なら、うつってもいい」
***
その夜、俺はふと目が覚めて、隣で眠る琢磨の横顔に目を向けた。
まさか、琢磨と一つ屋根の下で布団を並べて寝るハメになるとは……!
こいつ、やっぱり顔整っているな。
でも、こうしてよく見ると昔の面影がある。
目元とか、唇とか……。
って、何ジロジロ見てんだ。
なんとか寝ようとして再び目を閉じる。
琢磨の規則正しい寝息が、俺の意識を夢に誘い込む。
――『蓮くーん……蓮くん、待ってよ』
高く澄んだ声が聞こえる。
これは……琢磨の昔の声だ。そう、ガキの頃はあいつは顔だけじゃなく、声も女の子みたいだったんだよな……。
『おせーぞ、琢磨!』
俺は琢磨を振り返った。
琢磨は体のサイズに合わない、でかいランドセルを背負っている。
いや、琢磨が小さいんだ。
琢磨はなんとか俺に追いつくと、今度はクスンクスンと泣き始めた。
『ご、ごめんね。僕のせいで蓮くんが叱られて……』
俺はフンと鼻を鳴らした。
『お前のせいじゃねえよ。俺が気に食わなかっただけだ』
そうだった。確かこの時、また琢磨をいじめていたやつらをぶん殴って、先生に説教されたんだっけ。
『琢磨、いいか。お前も強くなれよ。今はいいけど、いつかお前が進学して別々になったりしたら、お前一人になるんだからな』
『い、嫌だよ……!』
『ああん? なんだ? 強くなるのが嫌なのか?』
『違うよ……!』
琢磨はぐっと拳を握り締めた。
『蓮くんと離れるなんて……嫌だよう』
この時の琢磨の頼みに、俺はなんて答えたんだろう――。
***
――スズメの声が聞こえる。
そして、なんともいいにおいがした。
ムムッ……これは、ソーセージを炒めるにおい!
お、オムレツらしきものもあるな。
俺はダイニングに向かった。
「おっはよ~!」
「あっ、蓮君おはよう。熱下がった?」
「うん、一晩寝たらすっかり……って、おお! 芸術的なほどに完璧なオムレツ!」
焼き加減といい形といいパーフェクト! 王子様の朝食にふさわしい!
俺は大喜びで椅子に座った。
琢磨も自分の分の皿を手に腰を下ろす。
俺たちはいただきますと手を合わせた。
「昨日はホントありがと。助かった!」
「気にしないでよ」
「しっかし、俺を突き落としたヤツって誰だったんだろうなあ」
逃げてく後ろ姿をちらっと見た感じ、制服だったから同年代だとは思うんだけど。
しかし、心当たりがまったくない!
頭をどれだけ捻ってもわからない。
琢磨がふとオムレツを掬う手を止める。
「その件だけど、僕に任せてくれない?」
ん? 琢磨が?
「いいけどなんでお前が?」
「蓮君、勉強と王子様計画の遂行に忙しいでしょ」
まあ、それはそうだけど……。
「じゃ、頼んどくか。代わりに今度奢るからさ。それとも不良講座の続きでもやるか?」
「それでもいいけど……」
琢磨はそこで言葉を切った。
「ほしいものが、一つあるんだ」
「おっ、なんだ? 三千円以内ならなんとかするぞ」
「……」
じっと見つめる。
「……な、なんだよ」
ふっと笑って目を逸らす。その笑顔はほんの少し寂しそうに見えた。
「やっぱりいいや」
「んだよ、水臭いな」
「うん、蓮君の寝顔を見れたから、今はそれで十分と思うことにするよ」
なぬ!?
「お、お前、俺の寝顔見たのか!?」
「うん。可愛かったよ〜。ヨダレ垂らして」
「王子様はヨダレなんて垂らしちゃいけないのに……!」
「いやあ、よく続くねそれ」
「ほっとけ」
「でも、もうとっくに皆にバレてる気がするけど……」
「ん? 何が?」
この時の俺はまだ予想していなかった。
命の恩人でもある琢磨を、危険な目に遭わせることになるなんて――。
俺はめでたく人生初の風邪を引いた。
ふっ……寝込む王子様も絵になるな……。
とりあえず担任にはSNSで連絡し、学校を休むことになったが、授業に出席できないのが痛い。
俺、頑張らなきゃすぐ成績落ちるんだよなあ。
親父が仕事で出張なのも痛い。かーちゃんは大昔に亡くなり、俺に他に家族はいない。
看病してくれる人がいないんだよな……。
熱で体がまったく動かないから、常備薬を取りに行くこともできない。
あー……こんな時でも腹が減るんだな。
でも、喉が痛いから食べられる気がしない。
ふっと脳裏に琢磨が浮かぶ。
どうしてあいつの顔なんか――。
いや、駄目だ。
琢磨は今授業中なんだから。
それにしても……心細いな……。
弱ってるからか。
王子様はいつもキリッとしてなくちゃいけないのに。
熱に負けて瞼を閉じる。
入学してからの琢磨との日々が浮かんでは消えた。
だから、低く掠れた声で「蓮君」と呼ばれた時にも、幻聴か俺の妄想かと思ったのだ。
「蓮君?」
目をなんとか開けて絶句する。
「……琢磨?」
心配そうに覗き込んでくる薄茶色の目。そして、額に当てられた手でわかった。
本物の琢磨だ。
「お前……授業、どうしたんだよ……」
「サボった」
あっさりそう言われてぎょっとした。
「さ、サボ……!?」
あの琢磨が? 真面目な優等生の琢磨が!?
そ、そんなまるで不良みたいじゃねえか!
琢磨は目を剥く俺をよそに、
「喉、痛む?」
と尋ねた。
コクリと頷く。
「スポーツドリンクとかおかゆなら行けそう?」
それくらいなら食べられそうだ。
「うん……」
「ちょっと待っててね」
まもなく台所からトトト…と小気味良い包丁の音が聞こえてきた。
え、あいつ料理できんの? 音がやたらとリズミカルなんだが。
それから十分ほどで戻ってきて、俺の布団の横にコトンと盆を置いた。
生姜と醤油のいいにおいがする。
「お前、料理できたの?」
「うん、ずっと母さんと二人で手伝ってきたから」
「……」
料理のできるイケメンとか……最強じゃね?
てか、今こいつのほうが王子様属性高くね?
「冷蔵庫の冷凍ごはん一つ使ったよ」
「あ、ああ……」
「ささみと卵入れた雑炊」
う、美味そう……。
「起き上がれる?」
「それくらい――」
そう答えて体を起こそうとしたけど、やっぱり力が全然出ない。
すると琢磨が手伝ってそっと抱き起こしてくれた。
「……ありがと」
こんなショボい顔を見られるなんて情けねえ。
でも、そんななけなしのプライドも、雑炊を食べたとたんに吹っ飛んでしまった。
「う、まっ……!」
「よかった。蓮君、チキン味好きだったよね? だから、味付けに鶏がらスープ使ったんだ」
「主婦力高えなお前……」
一口食べるとまた食べたくなって、喉の痛みも忘れてしまった。
「そう言えばお前、どうやって家に入ったんだ。鍵かかってたろ」
すると、琢磨はなんでもないことのようにこう答えたのだ!
「蓮君の部屋の窓から。ちょっと開いてたから、いけるかなと思って」
「はひ?」
間抜けな声が出た。
「ここ……二階だけど……」
「ごめんね。不法侵入しちゃった」
琢磨は実に爽やかな笑みを浮かべた。
「これで僕も立派な不良だね」
いや、待って。ちょっと待って。
これ不良? なんか斜め上に進化してない?
「お、お前屋根に登って――」
「壁からだと簡単だったよ。防犯面に不安があるから、お父さんとセコ◯入る相談した方がいいかも」
もうなんと言っていいのかわからない。
俺はもくもくと雑炊を食べるしかなかった。
「はい、薬。食後にって書いてあったから」
「あ、ありがと。よく薬の場所わかったな」
「昔と変わってなかったからね。蓮君、よく薬箱からおやつ代わりにのど飴持ち出してくれたよね」
――昔。
俺と琢磨は小学生三年から中学一年まで近所に住んでいた。
琢磨は父ちゃんが死んで、母ちゃんが嫁ぎ先から追い出されて、祖母さんのいる実家に帰ってきたんだったかな。
でも、その祖母さんもすぐ死んで……。
「ふー、美味かった。ごちそうさま」
「片付けておくよ」
「サンキュ」
「あのさ……」
俺は立ち上がった琢磨に声をかけた。
「授業、欠席したんだろ?ごめんな」
「何言ってるの」
琢磨は目を細めた。
「僕が頭いいって、蓮君は知ってるだろ?一日くらい全然大丈夫」
こいつの場合嫌味にならないのがすげえ。
いや、違うな。
俺を、心配させたくないからだ。
「また熱上がったら大変だから、今日僕泊まるよ」
「寮母のオバチャンに何か言われねえ?」
琢磨はニッコリと笑った。
「いくらでも誤魔化せるから」
やっぱりこれ……不良とはちょっと違う……気がする……。
「でもさ、風邪、うつすと悪いから……」
そう、なんだかんだ言ってはいるが、俺の一番の不安はこれだった。
琢磨は俺をじっと見下ろしていたが、やがて
「……いいよ」
とポツリと呟いた。
「えっ」
「蓮君の風邪なら、うつってもいい」
***
その夜、俺はふと目が覚めて、隣で眠る琢磨の横顔に目を向けた。
まさか、琢磨と一つ屋根の下で布団を並べて寝るハメになるとは……!
こいつ、やっぱり顔整っているな。
でも、こうしてよく見ると昔の面影がある。
目元とか、唇とか……。
って、何ジロジロ見てんだ。
なんとか寝ようとして再び目を閉じる。
琢磨の規則正しい寝息が、俺の意識を夢に誘い込む。
――『蓮くーん……蓮くん、待ってよ』
高く澄んだ声が聞こえる。
これは……琢磨の昔の声だ。そう、ガキの頃はあいつは顔だけじゃなく、声も女の子みたいだったんだよな……。
『おせーぞ、琢磨!』
俺は琢磨を振り返った。
琢磨は体のサイズに合わない、でかいランドセルを背負っている。
いや、琢磨が小さいんだ。
琢磨はなんとか俺に追いつくと、今度はクスンクスンと泣き始めた。
『ご、ごめんね。僕のせいで蓮くんが叱られて……』
俺はフンと鼻を鳴らした。
『お前のせいじゃねえよ。俺が気に食わなかっただけだ』
そうだった。確かこの時、また琢磨をいじめていたやつらをぶん殴って、先生に説教されたんだっけ。
『琢磨、いいか。お前も強くなれよ。今はいいけど、いつかお前が進学して別々になったりしたら、お前一人になるんだからな』
『い、嫌だよ……!』
『ああん? なんだ? 強くなるのが嫌なのか?』
『違うよ……!』
琢磨はぐっと拳を握り締めた。
『蓮くんと離れるなんて……嫌だよう』
この時の琢磨の頼みに、俺はなんて答えたんだろう――。
***
――スズメの声が聞こえる。
そして、なんともいいにおいがした。
ムムッ……これは、ソーセージを炒めるにおい!
お、オムレツらしきものもあるな。
俺はダイニングに向かった。
「おっはよ~!」
「あっ、蓮君おはよう。熱下がった?」
「うん、一晩寝たらすっかり……って、おお! 芸術的なほどに完璧なオムレツ!」
焼き加減といい形といいパーフェクト! 王子様の朝食にふさわしい!
俺は大喜びで椅子に座った。
琢磨も自分の分の皿を手に腰を下ろす。
俺たちはいただきますと手を合わせた。
「昨日はホントありがと。助かった!」
「気にしないでよ」
「しっかし、俺を突き落としたヤツって誰だったんだろうなあ」
逃げてく後ろ姿をちらっと見た感じ、制服だったから同年代だとは思うんだけど。
しかし、心当たりがまったくない!
頭をどれだけ捻ってもわからない。
琢磨がふとオムレツを掬う手を止める。
「その件だけど、僕に任せてくれない?」
ん? 琢磨が?
「いいけどなんでお前が?」
「蓮君、勉強と王子様計画の遂行に忙しいでしょ」
まあ、それはそうだけど……。
「じゃ、頼んどくか。代わりに今度奢るからさ。それとも不良講座の続きでもやるか?」
「それでもいいけど……」
琢磨はそこで言葉を切った。
「ほしいものが、一つあるんだ」
「おっ、なんだ? 三千円以内ならなんとかするぞ」
「……」
じっと見つめる。
「……な、なんだよ」
ふっと笑って目を逸らす。その笑顔はほんの少し寂しそうに見えた。
「やっぱりいいや」
「んだよ、水臭いな」
「うん、蓮君の寝顔を見れたから、今はそれで十分と思うことにするよ」
なぬ!?
「お、お前、俺の寝顔見たのか!?」
「うん。可愛かったよ〜。ヨダレ垂らして」
「王子様はヨダレなんて垂らしちゃいけないのに……!」
「いやあ、よく続くねそれ」
「ほっとけ」
「でも、もうとっくに皆にバレてる気がするけど……」
「ん? 何が?」
この時の俺はまだ予想していなかった。
命の恩人でもある琢磨を、危険な目に遭わせることになるなんて――。
