高校デビュー同士 -あの頃の君になりたかった-

 あれから一週間経ったが、美しい俺を狙う変態からの接触はない。
 じゃあ誰が体操着を盗んだんだろう? それともいつもの忘れっぽさでまた失くしたか?
 体操着は指定があってちょっとお高めだから、教科書みたいに簡単にストック買えないんだぞバカヤロー!
 と言うわけで、俺は先生に頼んで予備の体操着を借りることになった。
 しかし、これが3Lサイズでぶっかぶか!
 俺、身長は平均だけど痩せてるからギリギリMないんだよな。
 半袖なのに肘まで隠れてる。しかも襟ぐりまで余っていて、ちょっと動くだけで胸元が見える。
 ズボンなんか紐を限界まで締めても腰から落ちそうだ。
 鏡を見る。
 ……。
 誰だお前。
 王子様が一夜にして「兄ちゃんの体操着を勝手に着てきた弟」になっている。
 まずい。王子様は何を着ても王子様でなければならないのに!
 俺は襟元を引っ張ってみた。
 余計に胸元が開いた。
「……お前、俺に恨みでもあんの?」
 体操着に話しかけてしまった。
 返事はなかった。
 当たり前だ。返事されたら怖い。
 しかし、生まれたままの姿で授業に出るわけにもいかない。
 そんなことをしたら変態を喜ばせるだけではないか。
 盗撮されて売り捌かれたら嫌だしな。だって無茶苦茶売れそうじゃない!?
 仕方なく俺は、ぶっかぶかの体操着で体育館へ向かった。
「あっ、三上君」
 隣の佐藤君がぱっと顔を輝かせる。
「僕たち、同じグループみたい……って、どうしたのその体操着」
「あー……うっかり朝家で醤油……じゃなくて、おソース零して汚したからさ」
 やっぱり王子様が使う調味料は横文字だろう。
「ぷふっ……。三上君ってやっぱり……。いや……そういうことじゃなくてさ……」
 佐藤君はなんとなく気まずそうだ。視線が泳いでは俺の胸元に向かう。
「蓮君!」
 その時、体育館の向こうから琢磨が駆けてきた。
「ヒッ」
 佐藤君が小さく悲鳴を上げる。
 まあ、あんなにデカい不良が走ってきたら怖いよな。
「じゃ、じゃあ三上君、またあとで!」
 佐藤君はそそくさとその場を離れていった。
「もう少しサイズ合った体操着はなかったの?」
「なかったよ」
「だったら普通のTシャツでもよかったのに……」
 琢磨は汗拭き用のバスタオルを俺の肩にかけた。
「それで隠して今日は先生に言って休んでいなよ」
「はあ?」
 精悍な頬がほのかに染まる。
「だからさ、見えるって。胸……」
「はあ? 減るモンじゃなし」
「……減るんだよ」
 琢磨の視線が不意に真剣なものになる。
「それに、いくら暑い季節でも風邪引くかもしれないだろう。今日は涼しめだし」
「俺は風邪引いたことねーよ」
 今脳内にふと、「バカは風邪引かない」ということわざが出てきたが、気が付かなかったふりをしよう!
 その後もブーブー文句を垂れたが、それでも琢磨は譲らず、結局俺は片隅で見学をすることになった。
 バスケの練習好きなんだけどなあ。あーヒマだ……。
 やがてシュートの練習が始まった。
 最初はゴールのすぐ近くから。決まったら少しずつ距離を取っていく。
 俺は頬杖をついてそれを眺めていた。
 あー、俺もやりてえ。
 その時、ボールを持った琢磨がスリーポイントラインの外に立った。
 軽く膝を曲げると長い腕が伸びる。
 ボールが高い弧を描く。そして リングにもほとんど触れず、ネットに吸い込まれた。
「おおっ!」
 体育館がざわめく。
 俺も思わず立ち上がった。
「お前、なんだあのシュート!」
 琢磨はこっちを見て、ちょっと得意そうに笑った。
「――真柴」
 体育教師が琢磨を呼び止める。
「お前、ダンクできるか?」
「はい」
 できんの!?
 琢磨はボールを持つと、ゴールへ向かって走り出した。
 踏み切った長い体がふわっと浮く。
 そのまま片手でボールをリングへ叩き込んだ。
 ドンッ、と音が響く。
 今度こそ体育館中がどよめいた。
「真柴、お前バスケ部来ないか? 帰宅部だろ」
「すみません。やることがあるんで」
 琢磨はあっさり断った。
 その瞬間、周りの連中の目つきが変わった。
 わかる。わかるぞ、お前らが何を考えているのか。
 あの見た目で、あの意味深な「やることがある」。
 きっと放課後は非行に明け暮れているに違いない。夜の街をうろついているとか。年上の女を何人も手玉に取っているとか。
 あるいはひょっとして年齢を誤魔化してホストのバイトとか……!
 お前らの想像が手に取るようにわかる!
 しかし俺は知っている。あいつの「やること」は多分、勉強だ。
 その後も練習は続いた。
 俺は相変わらず体育館の隅に座って、それを眺めていた。
 暇なはずなのに、不思議と退屈はしなかった。
 琢磨が走る。
 ボールを受け取る。
 シュートを打つ。
 気がつくと、ずっと目で追っていた。
 ……なんで俺、琢磨ばっか見てんだ?
 そう思った、その時だった。
「危ない!」
 誰かの声が飛ぶ。
「え?」
 振り向いた瞬間、目の前にボールが迫っていた。
「うおっ!」
 避けようとしたが――間に合わない。
 反射的に手を伸ばした。
 バンッ!
 手のひらに強い衝撃が走る。
 それでもどうにかボールを受け止めた。
「あっぶねえ……!」
 思わず昔の口調で吐き出す。
 なんだよ。どこのノーコンだ?
 ボールが飛んできた方を見る。
 そこには一人の男子生徒が立っていた。
 クラスメートの勅使河原だ。
 あまり話したことはないけれど、とにかく真面目なやつだ。授業中に居眠りしていたことがない。
 目を開けたまま寝る技術を開発した俺と違って。
「悪い。手が滑った」
「ああ、気にすんな」
「……」
 勅使河原はまだ俺を見つめている。
 うん? どうしたんだ?
 そして俺はさらに気づいた。
 琢磨がその勅使河原を睨んでいることに。
 ギクリとした。
 あいつの、敵意のある目つきなんて初めて見た。
 それが、すごく怖かったんだ。
 ケンカでは負けたことのない俺が、一瞬息を呑んでしまうくらいに。

***

「へっくしゅん!」
 ――雨が降って気温が下がっていたからだろうか。
 俺は帰り道でくしゃみを連発していた。
「大丈夫?」
「おう……」
 まさか、人生初の風邪か?
 だったらめでたいことだ! 俺はバカではなかったということだからな!
 それより今はもっと気になることがあった。
 ピタリと足を止め、さりげなく振り返る。
「蓮君?」
 さっきから、なんとなく誰かにつけられているような気がする。
 けれど、振り返った先には誰もいない。
 おかしいな。この俺を闇討ちしようなんてバカは、この界隈にはいないはずなんだけど。
 ってことは……。
 美しい俺を狙うストーカーか?
「蓮君、どうしたの?」
「いや。なんでもない」
 琢磨に言ったら、また心配するだろう。
 その時だった。
「助けてー!」
 小さな女の子の声がした。
「――っ!」
 考えるより先に体が動いた。
「蓮君!?」
 声がした方へ走る。
 道を曲がった先には用水路があった。
 けれど――。
「……あれ?」
 誰もいない。
「おーい! どこだ!」
 返事もない。
 まさか、もう流された!?
 一気に血の気が引いた。
 俺は用水路の縁に駆け寄り、水面を覗き込んだ。
「どこだ! 返事しろ!」
 その時――背中に、衝撃が走った。
「うわっ!」
 体が前へ傾く。
 踏ん張る暇もなかった。体が水面に叩きつけられ、大きな水飛沫が上がった。
 冷たい水が一気に全身を包む。
「蓮君!」
 琢磨の声がした。
 水面から顔を出すと、駆けつけた琢磨が俺の背後へ目を向けた。
「――待てっ!」
 いきなりのことで溺れかけた俺にも、遠ざかっていく人影が一瞬だけ見えた。
 琢磨が追いかけようとする。
 けれど、二、三歩走ったところで足を止めた。
「……っ、それより蓮君!」
 慌てて踵を返して、俺のところへ駆け戻ってくる。
 その時、人影が消えたあたりで何かが地面に落ちた。
 カツン、と小さな音がした。
 琢磨に引っ張り上げられ、俺は盛大に水を滴らせながら地面に座り込んだ。
 雨で冷えた風が吹き抜け、濡れた体がぶるっと震える。
「蓮君、大丈夫!? 怪我は?」
「へーきへーき」
「平気じゃないよ。こんなに冷たくなってる」
 琢磨は俺の腕やら足やらを必死に確認している。
「それより、女の子いなくてよかったな」
「……え?」
「王子様は女の子のピンチには駆けつけなきゃな! まあ、いなかったけど!」
 俺は笑った。
 けれど琢磨は、笑わなかった。
「……とにかく、これ着て」
 琢磨は自分のブレザーを脱ぐと、俺の肩にかけた。
「いや、お前が寒いだろ」
「僕は平気。それより蓮君の方が冷たい」
 有無を言わせない口調だった。
 ……今日のこいつ、なんか強くない?
 琢磨は俺がちゃんとブレザーを羽織ったのを確認してから、さっき人影が消えた方へ歩いていった。
「何か落としたよね」
「ああ。なんだろうな」
 俺も立ち上がろうとしたが、
「蓮君はそこにいて」
「はい」
 ……なんで俺、素直に返事してんだ?
 琢磨はさっき音がした辺りを腰を屈めて探し、やがて道端に落ちていた小さな何かを拾い上げた。
「……これ」
「なんだ?」
「ボイスレコーダーみたい」
 琢磨がそれを操作する。
 次の瞬間、
『助けてー!』
 さっき聞いたのとまったく同じ、小さな女の子の声が流れた。
「……」
「……」
 俺たちは顔を見合わせた。
「……女の子、いなかったんだな」
 思わずほっと息を吐いた。
 でも、琢磨はやっぱり笑わなかった。