高校デビュー同士 -あの頃の君になりたかった-

 洗面所の磨き抜かれた鏡を前に、俺――いや僕はネクタイをキュッと締めた。
 ブレザーは着崩れていない。シャツにシワなし。髪はさらさら黒髪の王子様風。
 よし、完璧だ。
 身長の伸びが170ピッタリで止まったのもよかった。デカすぎ……コホン、身長が高すぎるとどうしても威圧感が出てしまう。
 だから、このくらいでいい。
 王子様はすらっと細身で優しくて、アルカイックスマイルを浮かべているのがセオリーだからな。
 そう、僕は王子様。優しく真面目で品行方正。
 昔のあいつみたいに。
 まあ、もっともあいつは王子様というより泣き虫様だったけどな。
 それでも、俺の中の王子様のプロトタイプには違いない。
 おっと、またやっちまった、コホン。
 俺じゃなくて僕だ僕!

 今日は記念すべき高校生活の第一日目であり入学式だ。
 つまり王子様としての高校デビュー日。
 今後三年間の僕のイメージ、そして明暗がここで決まる。
 最終確認を終え、学生鞄を手に玄関に向かう。
 この学生鞄、やっぱりちょっと重いな。指定されているわけでもないから、リュックにすればよかったか?
 いや、リュックでは王子様らしくない。革製の学生鞄でなければ。

 今日から通う高校は都内にある私立明青高校。男子校である。
 明るい青春なんていい名前だ。
 これから僕の王子様ライフが始まる。
 それにしても親父……いや父さんが入学式に仕事で出られなくて良かった。
 今の僕の姿を見ようものなら、「お前、熱出たのか? 悪いモンでも食ったか?」と間違いなく爆笑される。

 電車の中では昔の悪友を何人か見かけたが、僕に声をかけてくることはなかった。どうやら僕があの三上蓮だと気づいていないらしい。
 よし。高校デビューは今のところ順調だ。
 高校の校門前には同じブレザーの男子生徒がわらわらいた。
 明青高校は比較的自由な校風が売りだ。校則もゆるい。
 とはいえ、さすがに茶髪はいないか……と思っていたら、いた!
 しかも結構明るい髪色で長めのウルフカットだ。
 随分思い切ったな。
 というか、昔の俺じゃん。
 しかし、背ぇ高いな……。180超えてんじゃね?
 っと!
 お……僕は自分の頬をバチンと叩いた。
 いいか、僕は王子様だ!

 気を取り直してクラス発表を確かめに玄関前の掲示板を見に行く。
 一組の欄に僕の名前が書かれていた。真柴という生徒の下だ。
「真柴 琢磨」
「三上 蓮」
 うん、一年一組なら数字からして王子様にふさわしい!
 それにしても琢磨ってあいつと同じ名前じゃないか。
「……」
 僕は首を横に振った。
 早く教室に行かなければ。

 人の流れに乗って教室に向かう。
 改築されたばかりの教室は真新しく気持ちがいい。
 僕はアルカイックスマイルを浮かべた。
 近くにいた生徒がわずかに目を見開く。
 そう、僕は無駄に顔だけはいい。王子様には大変有利だ。
 これだけは父さんとご先祖様に大感謝である。
 周りの視線が注がれるのを感じつつ、僕は指定された席に座った。
「あ、あの……」
 隣の子がおずおずと話しかけてくる。
「なんだい?」
「は、初めまして。僕、佐藤って言うんだ」
 そうかそうか。僕と仲良くなりたいか。
 うむ、よきにはからえ。
 その会話をきっかけに、僕の周りに人が集まってきた。
「どこ中だった?」
「三上君、モテただろ」
 いや、モテたというより恐れられてたな……。その界隈で今時珍しい拳で殴り合うスタイルの不良として。
 だがしかし! 今は皆すっかり僕を王子様キャラと認定している。優しくて優等生の!
 高校デビュー大成功だ。
 これで僕の高校生活は安泰だ。

 しかしそう思った次の瞬間、ガラッとドアが音を立てて開けられた。
 皆が一斉にザワッとする。
 僕に向けられていた目がそいつに向かう。
 そいつは高校生というにはあまりに大きすぎた。
 茶髪でウルフでブレザーを着崩して、ポケットに手を突っ込んでいて――。
 あ、目立ってたあの男だ。さっきは後ろ姿だけだったけど……。
「……!?」
 そいつの顔をマジマジと見て、驚きで目がまん丸になった。
 そいつがいかにもな不良スタイルだったからじゃない。
 そんなバカな。あり得ない。
 だってあいつは女の子みたいに可愛い顔で、優しくて、真面目で……。
 でも、あの目――普通よりずっと明るい茶色のあの目。
『多分お母さんがクォーターだから……』
 恥ずかしそうにそう呟いた、昔のあいつを思い出す。
「……琢磨!?」
 思わず立ち上がってそう口にしていた。
「……!?」
 名前を呼ばれたそいつ――琢磨が俺を見て目を瞬かせる。
「え、ええ……?」
 琢磨はしばらく俺を見つめて絶句した。
「れ、蓮君……?」

「あ、あの……」
 佐藤君がまたおずおずと聞いてきた。
「二人、知り合いなの?」
「……」
「……」
 俺と琢磨は咄嗟に目配せをし合い、それぞれ「そうそう!」と頷いた。
「昔近所に住んでたことがあったんだ」
 これは本当だ。
「俺が中一でC県に引っ越しちゃったから短い間だったんだけどな」
 おい、琢磨。「俺」ってなんだよ。優しくて、真面目で、僕呼びのお前はどこへ行った!?
 情報量が多すぎて脳みそがショートしそうだ。
「おーい、どうした」
 担任が来て一旦お開きにならなければ、場は収まらなかっただろう。
 しかし俺の混乱は全く収まってくれず、その後の入学式の校長センセイのありがたいお話も、今後の授業の説明も頭に入らなかった。
 こんなはずでは……!

***

 まずい。非常にまずい。初日からペースを乱されてしまった。
 しかもよりによって琢磨に!
 しかし、なぜ琢磨はあんな格好になったんだ? 俺と離れていた三年間で何があったんだ。
「あの事件」のあと申し訳なくて、疎遠になってしまったのが痛い。
 ……気まずくて連絡できなかったんだよな。
 が、あの時バカをやった自覚と反省があるから、わからないことはさっさと聞くのが現在の俺の主義である。

 というわけで、俺は終礼が終わるが早いか、「たく……真柴君」と琢磨に声をかけた。
 こうして距離を間近で見てみると、本当に背が高くなった。スラっとしていて見栄えがする。
 おまけに俺とは別系統で顔もいい。ちっこくて女の子みたいに可愛かった顔が、すっかりワイルドな美形になっている。
 着崩したブレザーもサマになっていた。
 はっ。しまった。
 これじゃ琢磨に見惚れていたみたいじゃないか。
「蓮君……」
 琢磨が気まずそうに返事をした。
 くそ、こいつ声もいいな。
 声変わりの途中で離れ離れになったから、こんなに男らしくて、少し掠れてて、ゾクゾクする声になるなんて思わなかった。
 いや、何をボケっとしている!
 俺は自分にカツを入れ、腕を組んで琢磨と向き合った。
「お前、なんでこんなところにいるんだ」
「なんでって……受験に合格したから」
 確かにそうだがそうじゃなくてな!
「その似合わないカッコはなんなんだよ」
 嘘だ。似合っている。
 それもすごく。
 琢磨はちょっと困ったような顔になった。
「蓮君こそ……」
 俺はドキリとした。
 昔よく見ていた琢磨の表情だった。
「すごく変わって驚いたよ。それに……」
 薄茶色の目が細められる。
「似合ってる」
「そ、それはどうも……」
 目だけは変わっていないのが困る。
 なんとなく気まずくて逸らしてしまう。
 こんなの王子様らしく――というよりは俺らしくない。
 琢磨はブレザーの襟をつまんだ。
「頑張ったんだけどな。似合ってない?」
「ま、まあ、服に着られてるっていうか……」
 しっかりした肩がしゅんと落ちる。
「そっかあ……。やっぱりなあ。朝すれ違った人たちにもジロジロ見られてて……変だったか」
 いやお前がカッコよすぎるからだよ!
「いや、そういうことじゃなくて……お前、なんでここの学校にいるんだよ。C県に引っ越したんじゃなかったのか」
 琢磨は少し黙って溜め息を吐いた。
「母さんが再婚して新しい父ができたんだけど、また親の都合で引っ越すのはもう嫌で、二人に僕はここの地区の学校に進学したいって頼んだんだ。明青高校なら寮があるから」
 なるほど、だから苗字も変わっていたのか。昔は上條琢磨だったんだよな。
「で、そのカッコはなんなんだよ」
「僕、いじめられっ子だったでしょ」
 おい、不良キャラが崩れてるぞ。
「またいじめられたくなくて」
 いや、もうお前をいじめる奴とか誰もいねえよ……。
「蓮君みたいに強かったら……って思って」
 おい、なんだよそれ……。不良だった俺を真似したってことか?
 心臓がドキリと鳴る。
 なんでこんなに息苦しいんだ。
「ま、まあ、もう少し悪っぽく堂々とすればサマになるんじゃね」
「堂々って……どうやって堂々とすれば……」
 こいつ、中身は全然変わっていないんだな。
「……」
 俺は琢磨をじっと見つめた。
「れ、蓮君……?」
 なぜか琢磨が戸惑ったように目を瞬かせている。
 琢磨は優しくていいやつだ。
 この優しさは王子様に必須アイテムではないか。
 でも、俺は品行方正はわかっても、優しいってどんな感じかわからないんだよなあ。
 俺の脳内にピコーンと謎の音が鳴り響く。
「琢磨、取引しないか」
「取引?」
「そう。俺が不良指導をしてやる。小学校からの中学校のキャリアを舐めるなよ」
 で、俺はお前の王子様的優しさを学ぶと。
 親切と優しさって違う気がするんだよな。俺にはそれがいまだによくわからない。
 でも、琢磨が優しいやつだということだけは知っていた。
「えっ、いいの?」
 そんなに嬉しそうに目を輝かせるなよ。
「でもさ、僕と一緒にいると蓮君まで悪く言われない? 僕、こんな格好だし……」
「んなの気にするなよ」
 だって王子様は誰にでも等しく優しいもんだろ!
 というか、不良とも付き合える王子様とかよくないか? 俺の株がますます上がるやもしれん!
「じゃ、これからよろしくな」
 俺は笑って手を差し出した。
「えっ……」
「握手だよ! 俺たちこれからクラスメートなんだし」
「……」
 琢磨はじっと俺の手を見つめていたけど、やがてはにかんだ笑顔を見せた。
「……うん、これからよろしくね」
 遠慮がちに手を見せる。
 俺はその甲を目にしてハッとした。
 斜めに走る「あの時」の大きな傷痕――。
「どうしたの?」
「あ、悪い」
 こうして俺たちは握手をした。
 琢磨の手はあの頃よりずっと大きい。長い骨張った指が俺のそれに絡んで、包み込むような形になる。
 また心臓がドキリとした。