TRICK-2TAR

 ——どんな顔して行けばいいんだ。

 ただでさえ生徒の数は多いんだ。そもそもクラスが違うから会う可能性は極わずか。
 土日の間、永遠と悩み続けていたが——結局……情けない事に、彼と対峙する勇気が俺には芽生えなかった。
 
 校門を抜け、混み合う昇降口でぐるっと辺りを見回す。こういう時に183ある身長は便利だな、なんて思いながら彼の姿が無いことを確認する。
 こんなあからさまに避ける必要が、本当にあるのだろうか。
 そう自問すると、昨日の別れ際に見た彼の寂しそうな顔が蘇る。
「……っ……」
 チクッと、心臓が何か細いものに刺されたような、鋭利な痛みが走る。
 絶望に染まり、揺れる程に潤んだ瞳。
 じゃぁどうするのが正解だったんだ。
 あのまま受け入れて、俺も好きだ、なんて気持ちの無い言葉を吐き出せば良かったのか。
「そうしたって、誰も幸せにならないだろう……」
 眉を顰めながら溜息を吐き、いい加減教室へ向かおうと身体を向き直す。
「「……ぁ……」」
 そこに立っていたのは、件の彼。
 俺たちは目が合うと、互いにパッと顔を背けた。「お、はよ……雄成……」
「あぁ、おはよ」
 吐息のような低い挨拶を返すと、皐月は俺の横をサッとすり抜ける。
 その時目に留まった彼のスクールバックに——ピンク色のテディベアは見当たらなかった。
 まぁ……そ(・)れ(・)は(・)そ(・)う(・)、だろうな。
 全ては、己が導いた結果なのだから。
 分かっているのに……何故こんなにも呼吸が重くなってしまうのだろう。

 階段を登り切り、あと少し歩けばそこは教室。
 でも俺の足は、どういう訳かここでピタリと止まってしまった。
「授業……受ける気にならないな」
 これまでの人生で、こんな事は1度もなかった。
 親父の叱咤抜きにしても、学生の本分である学業を怠ってはならない。
 そう思い、遅刻は疎か欠勤なんてした事なかったのに。
 だがどういう訳か、予鈴が鳴っても、教室へと急ぐ生徒がぶつかってしまっても——俺の足はまるで根が生えたように動きもしない。
 立ち竦む俺の肩を、誰かがポンっと叩く。
「よぉ、雄成。なにやってんだよこんなところで」
 良い音色の声は、振り向かなくとも分かる。
「……皇(すめらぎ)……」
 ゆっくりと声のした方へ身体を向けると、やはりそこにはミルクティー色の髪をサラりと揺らす、稀代の色男が驚きを隠せない顔で立っていた。
「もう朝のホームルーム始まってるけど?」
「あぁ……そう、だな」
 思わず目を泳がせる俺から何かを察したのか「あーね」なんて言いながら、彼は俺の腕をグイッと引いた。
「ま、いいや。なら来いよ」
「……は? どこへ……」
「とっておきの場所に連れてってやる」
 グイグイと力強く引く腕に、半ば引き摺られるように……俺は皇の後を追い、階段を上へ上へと昇って行った。


 辿り着いたそこは、どこまでも広がる蒼穹と、サァッと風が吹き抜ける未知の場所だった。
 高く張り巡らされたフェンスの向こうには、都会の象徴と言わんばかりの高いビル群が建ち並んでいた。
「とっておき、と」
「青春といえば屋上だろ」
 そう言って皇は、幾分か近付いた空を、フェンスに寄り掛かりながら気持ち良さそうに見上げている。
 彼に倣い、俺もゆっくりと顔を上へと向けてみる。
 少しだけ大きくなった太陽に目を細めながら、頬を撫でる羽のような風に、思わず吐息を吐いた。
「初めて入った……風が心地良いな」
「だろ? いい気分転換になるんだよ」
 そう言って皇は着崩した空と同じ色のシャツを靡かせ、満足気に微笑んでいる。
 
「……よくサボってここに来るのか?」 
「頻度は高いかもな。ここで昼寝するの最高に気持ちいいんだわ」
 そう言って皇は、慣れた様子で地面へと腰掛けた。
「そうか。俺は……授業をサボりたくなったのは——初めてだ。少しばかり、誰かとすれ違いを起こしたからって——」
 その横でぎこちなく隣に座ろうとする俺を、皇はクスクスと笑っている。 

「ふーん、なら凄いじゃん。そんな雄成の行動を変えちゃった奴って」
 
「えっ……?」
 勢いよく振り向いた先には、ニヤニヤと笑う美男の顔。
 何か言いたげなその面持ちに、俺は思わず眉を寄せた。 
「だって……仮に俺や海吏と喧嘩しても、お前は授業サボんないだろ」
「それはそう……だな」
 確かに……偶(たま)に海吏と口喧嘩をすることはあるが、それで俺の行動が変わる事はない。
 結局すぐに、悪い空気に耐えられなくなったどちらかが「ごめん」と言うオチが待っているというのもあるのだが。
 でも今は——皐月の哀しみに満ちた顔を思い出すだけで、身体がズンッと重くなり何も手に付かなくなる。
 それこそ、呼吸すらも掻き乱される程に。
 
「だからそいつは『特別な存在』」

 射抜くような皇の視線に耐えられず、俺は思わずパッと顔を逸らしてしまう。
 その目は、とても彼と酷似していて。
 どれだけ取り繕っても、それを全て見透かして、心の内側(本音)を掴むような、あの強い視線に。
「どう、だろうか……」
 どうにも言い淀んでいると、皇は立ち上がり臀部をパンパンと手で払い始める。
 
「ま、そんなこんなで、続きは週末にでも聞くかぁ」
「なんで週末?」
「前言ってたろ、遊びに行くぞって。せっかくならアイツらも居る前で話せよ。俺だけ聞くのも何かズルいだろ。2人だって、お前の事を気に掛けてんだよ」
 そう言って彼は、ポケットからスマホを取り出す。
 右親指が素早く動いたかと思えば、俺のポケットからブルっと振動を告げる。
 取り出したスマホの画面には『週末、雄成の件で』とりあえず俺ん家の前集合な』『朝9時、遅刻厳禁』と書かれた文字と、音速で返信の来た2つのスタンプが次々の表示されていた。
 授業中なのに、揃いも揃って返事が早すぎるだろう。
「ありがとうな、皇。少し気持ちが持ち直した気がする」
 明かりの落ちた画面には、いつの間にか弧を描く口元が映し出されていた。
「どういたしまして。んじゃ、そろそろ教室戻る?」
 満足げに伸びをした後スマホをポケットに放った皇は、クイッと親指を出入口へと向ける。
「あぁ、そうするよ」
 そうして俺も立ち上がり、1度太陽に向かって大きく伸びをした。


 1限目の終わりを告げるチャイムが鳴り終わると、俺たちは教室へと戻った。
 席へと戻ると、斜め前で皆川の膝の上に座った海吏が「え、二人でどしたの?」と目を丸くしていた。「青春してたんだよ」と返すと2人は顔を見合せ……そんな姿に思わず吹き出してしまう。
 

 こうして始まった次の授業。
 ふと窓の外を見遣ると、紺色に赤ライン(2年)の体操着を身に付けた生徒たちが屯っていた。
「あ、……皐月……」
 俺の目は、直ぐに彼を見つけ出す。 
 彼は、周囲に笑顔を振り向いていた。
 天使のような慈愛に満ちた表情を。
 その瞬間、ゾワッと肌が逆立つような不快が全身を襲う。

 いや……あの笑顔は誰のものでもないんだ。ましてや、俺のものでも——
 だがジワッと心の奥で、何かが産声を挙げた気がした。

 それはとてもドス黒くて気持ち悪くて。

 けれど身体はそ(・)れ(・)に侵食されていく。

 ドクンドクンと心臓が大きな音を鳴らし、ミチミチと瞳孔が開くかのような感覚に襲われ——

 その瞬間、バキっと手元で鈍い音が鳴り、クラスの目が一斉にこちらへと向く。
 ちょうど斜め前の席に居る海吏が「どうしたの」なんて口パクで伝えてくる。
 「なんでもない」と首を振りながら、パラパラと手から零れる破片をじっと見つめた。
 
『特別な存在』
 
 先程、屋上で皇が言った言葉が脳裏に蘇る。
「……なんだか、おかしいな……俺。皐月は、憧れの存在だった……だろ?」
 そう心の中で呟きながら、散らばる破片を手で掻き集めた。