TRICK-2TAR

「ねぇねぇ聞いた? 3階の空き教室、幽霊が出るんだってー!」
「なにそれーただの噂話じゃん」
「違うって、ちゃんと見た子がいるんだって!!」
 授業が終わり、隣で騒ぐ女子たちの話を「あぁ、夏がすぐそこまで来ているんだな」なんて呑気に聞きながら、俺はそそくさと帰り支度を進めていた。
「雄成待ってまって! 今日さぁ、何の日か覚えてる?」
 鞄を持ち、帰る姿勢で立ち上がった俺の前に「通せんぼ」と言わんばかりに1人の男が立ちはだかった。
 にっこりと絵に描いたような笑顔を振り撒く海吏。
 その顔を見て俺は「あ」と間抜けな声を出した。
「……今日は金曜だったか……」
「そそ! 委員会の日。会場はなんと、いま話題の3階の1番奥にある空き教室! 幽霊に連れて行かれないようにねぇ」 
「どうでもいい情報を付け加えるな」
 顔を片手で覆い、一際大きく溜め息を吐いた。
 恐らく俺は青い顔をしているのだろう。海吏はケラケラと声をあげて笑っていた。
「いやぁ、こういったスリルがあった方が、退屈な事案も楽しめるかと思って!」
「誰しもが好奇心旺盛だと思うなよ」
 本当は断りたかった。今日の体育はバスケで疲れたし、正直帰って寝たかった。その上、そんな情報を聞かされたのでは。
「ホラー要素じゃ楽しめないかぁ。それなら……ほら! 可愛い可愛い皐月くんもいる事ですし?」
 その瞬間、鬱陶しげに溜息を吐いた俺の身体が、面白いくらいにピタッと動きを止める。
 ニヤつく海吏に小言を呈しながら教室を後にし、ゆっくりと階段を登り始めた。

 
 ザワザワと人が集まりだした教室の隅で、俺は本を片手に始まりを待っていた。
「なんで葉山くんが!?」「よくわからないけどラッキー過ぎる!!」と痛い視線を遮断するように、じっと本の世界へと没頭していた。
 そんな俺に、ひとつの影が覗き込むような仕草で白い本へと掛かる。
 慌てて本を閉じ、現実の世界へ目を向けると……そこには主人公(受)と相違ない男が立っていた。
 
「あれ、雄成くん。どうしてここに……?」
 皐月は辺りをキョロキョロと見渡した後、改めて首を傾げながら俺へと視線を戻す。
 大方、海吏の事を探しているのだろう。
「もちろん海吏の代わりだよ。アイツ、当然のように俺に押し付けて逃げたんだ」
「あー……なるほど。海吏くん、何か予定でもあったのかな」
「飽きたんだよ。アイツはそういう奴、まぁ……想定内だな」
 俺がそうハッキリ言ってのけると、皐月は「なるほど」と苦笑しながら隣の席に付いた。
「そういえば、いつもなに読んでるんですか?」
 それは皐月にとって、他意は無い問だったと思う。
 でも俺にとっては、もうひとつの大きな秘(・)密(・)だった。
 ピタッと身体全ての動きが一瞬止まり、あからさまに目を泳がせてしまう。
 皐月はそんな俺を、純粋無垢な眼(まなこ)でじっと見つめたまま。
 俺は大きく息を吸った。
「…………まぁ、ここまで来たら隠し事はナシか」
 静かに、ブックカバーを外し表紙を見せる。
 現れたのは、美麗な2人の男が絡み合う姿。
 せめてもう少しライトな物にしておけばよかった。
 なんで今日に限って、濃厚な異世界モノとか読んでるんだよ俺。 
 表紙をみた瞬間に、皐月の大きな目がこぼれ落ちんばかりにグッと開かれるのを確認するや、俺の心は天を仰いだ。
 あぁ——砂になってしまいたい。
「はーい、じゃぁ今日も始めます」と、委員長であろう女子生徒の元気な声が響いたが、もはや委員会なんてどうでも良くなっていた。
「へぇ、なるほど腐男子」
 皐月も皐月で、委員長の話なんてそっちのけで、食い気味に俺の手元を覗き込んだまま。
「まぁ、そういうことだ。悪いな、変わった趣味で。何ならリアルもそうだよ」
 そう、俺は同性愛者。「可愛いものが好き」なんてギャップとは比べ物にならないだろう。
 案の定……皐月は目を開いたまま、その場で固まっている。
 流石に引いたか、引いたよなそうだよな。
 別にカミングアウトする必要なんて無かった。
 ミステリー、ホラー、自分に似合いそうな物をいくらでも口にする事なんて出来た。
 それでも……皐月には、心内を隠したくはなかった。もしかしたら、彼なら受け入れてくれるかもしれない。
 そんなバカみたいな期待が、心のどこかにあったのだと思う。
 ——まぁ、そんな訳ないよな。
 彼が息を詰まらせるのを感じ取り、俺は出てくる言葉を目を伏して待った。
 否定される事も拒絶される事も慣れている。
 流石の彼だって——
  
「……雄成くんは、どちら希望なんですか?」

 俺は感嘆符が飛び出そうな口元を慌てて手のひらで抑えた。
 思いも寄らない第3の答えが来るなんて、誰が想像しただろうか。
「どっちって……まぁ、その。受(愛される)側だ。この容姿で言うのもおかしいだろうが」
 なるべく平静を装って、俺は表紙を指さした。
 俺みたいな攻に後ろから抱き締められる、皐月とよく似た主人公。
 どうしても震えてしまう指先で、彼(受の子)を指す。
『さすがに……無理がありませんか』
 そんな棘が飛んで来るのを想像し、ギュッと瞼を強く閉じながら。
 
「僕なら、叶えてあげられるかもしれません」
「え……?」
 その瞬間、目をパッと開きハッと我に返った。
 いま、なんと言った……?
 そこにあるのは先日、「仮面」の話をした時と瓜二つの彼の顔。
 少しだけ困ったように下がった眉。スっと光が消えた瞳は、もの言いたげにこちらを見つめている。
 ——2人の間に、痛い程の静寂が走った。 
「はい、じゃぁ今日はここまで。各クラス、次の委員会までにスローガンの候補を書き出しておいてくださいね」 
 女生徒の声に、俺はハッと意識を取り戻す。
 気が付けば委員会は終わり、ぞろぞろと皆帰り支度を始めていた。
 皐月はというと……こちらもまた同じように我に返った様子で手元のプリントに慌てて目を通していた。
『叶えてあげられる』——とはどういう事なんだろうか。
 その言葉の意味を、上手く回らない頭で模索しながら、俺も手元のプリントをファイルへと挟んだ。

◇◇◇

 空の教室は、こんなにも静かだっただろうか。
 聞こえるのは、カチカチと時を刻む秒針の音と、それより早い己の鼓動だけ。
 互いに帰り支度はとっくに済んでいる。
 だが——なんとなく、立ち上がるタイミングを失っていた。
 黒板の上に掛けられた時計は、もう10分が経つと教えてくれている。
 このままいても仕方がない。そろそろ帰ろうか、と声をかけようとした時だった。
「ねぇ、雄成くん。僕——」
 静寂を割いたのは、皐月の——聞いた事のない甘い声だった。
 紅潮した頬、下がった眉毛、潤んだ瞳。少しだけ震える肩。
 この状況は……よく俺が目の当たりにする光景と酷似していた。
 放課後、場所は様々であるが……呼び出された先にある人間の挙動、と。
「皐月?」
「僕……ホントは……」
 
 ——これは間違いない、愛の告白だろう。
 
 そういうつもりでカミングアウトしたわけじゃないんだけれどな。
 誤解させたならば早急に解かなければならない。
 俺はただ、己の真の姿を開示しただけで——
 同時に、いつもの言葉を言おうとした。
『恋愛をするつもりは無い』
 いくら心を開いている皐月相手でもそれは変わりない。
 だがどういう訳か、決(・)ま(・)り(・)文(・)句(・)が喉の奥でつっかえて出てこない。
 そればかりでなく、己の左胸が聞いた事のない程の大きな音を立てている。
 ドクンドクンと鼓膜まで響くその音に、聴覚が支配される。
 
 おかしいな……?

 馬鹿みたいに顔が熱い。否、顔だけじゃなくて——身体中が太陽に灼かれて燃えたぎる程に。

 何を考えているんだ。皐月は憧れの存在で、それ以上でもそれ以下でも無くて……
 俺はゴクリと唾を飲み込み、口を開く。
 いや、何を言おうとしているんだ。
 紡ぐ言葉を見失った口内はただ、カラカラに渇くだけ。
 
 そうではあるのだけれど……それでも、二人で過ごす時間は——


『いつもと変わらない帰り道を、今日は雄成くんと一緒に歩くことが出来るから』

 あれ……あの時俺は、何を思った……?
 
 痛いほどに乾いた口を潤そうと、いま1度唾を飲み込んだ——瞬間バチッと大きな音がして、辺りが真っ暗になる。
「——っ!? 停電か? 大丈夫か、皐月……」
「う、うん……す、スマホ……ライト……」
 慌ててポケットから取り出したスマホは、スルッと俺の手で飛び跳ね、ガシャンッ!! と鈍い音を立てた。
「……悪い」
「ぼ、僕のを……」
 暗闇で何も見てないが、おそらく皐月は自分のスマホを取り出そうとしているのだろう。
「大丈夫か、皐月……」と彼へ向けて伸ばした手に、ヒラっと白い何(・)か(・)が掠める。
 
『……ねぇ……』

「「……え?」」

 目を疑った。
 目の前に白い女性が闇夜に浮かんでいる。
 半分透き通っているそれには、足がない。
 というか、どうして辺りがこんなに暗いんだ……電気が付いていないとはいえ、まだ夕日が差し込む時間帯だろう。
 ——ま、さか……?
 この状況がなんであるか気がついた俺は、心の中で声にならない悲鳴を上げた。
 何を隠そう……俺は、ホラーがダメなんだ。
 そういえば隣の女子や海吏が、幽霊がうんたらとか言っていたな。ふざけて言ってるものだとばかりおもっていたが……あれは本当だったのかよ!!

 情けない事に小刻みに震え続ける手には力が入らない。
 その時、そんな俺の腕を掴む手の感触に気が付いた。
 皐月……予測だが彼も怖いの苦手そうではあるもんな。
 ここで竦んでいても仕方がない。この状況をどうにかしなくてはならない。

『イイオトコ……あの人の代わりに連れて行こうかしらぁ』
 ヒンヤリとした、氷でも触っているかのような感覚が頬に触る。
「……っ、く……触る、な……」
 嫌だ、見たくない。
 大きくギョロっと開かれた女の目は、おおよそこの世のものとは思えない。爬虫類のような漆黒の眼から視線を逸らすことが出来ずに、俺は石のようにその場で固まってしまった。
『ねぇ、ワタシと一緒に逝きましょう』
 ヒタヒタっと、両頬が冷気に包まれる。
 それは感覚こそないものの、ねっとりとした何かが皮膚を撫でている——とても不快な感触だった。
 反射で後退りをするも、当たる背凭れが『それ以上は無理』と悲鳴を上げていた。
 真っ白でゲッソリと痩けた顔が、徐々に迫ってくる。
 光の無い目には、怯えきった俺の顔が鮮明に映し出されている……それが段々と大きくなって——
「やめて、くれ……」
 すっかり強ばった身体は、指先1つ満足に動かす事が出来ないでいる。
 だめだ、このままじゃ。そうだ……せめて何かしら武器になるもの——それこそ棒状のものでもあれば、太刀打ち出来るかもしれない。
 いや、幽霊に物理攻撃は通用するのか!? 殴ってどうにかなる話ではなくないか!?
 だが、混乱しきった脳が冷静に周りから何かを探し出せる筈もなく。
 そんな俺の手の甲に、ふわりと暖かいものが触れる。
 これはひとの……ちゃんとした人間の体温……?
 誰のものかを察した瞬間、ハッと我に返る。 
「……さ、さつ、き……?」
 そうだ、皐月——皐月は無事なのか。もしかしたら俺よりこの状況に怯えているかもしれない。
『どうしよう、雄成くん……』
 真っ青な顔で涙を浮かべながら小さくなる彼が脳裏に浮かぶ。
 
 ——彼を、皐月を守らなければ……
 
 すくみきった四肢をどうにか動かし、彼を庇おうと逃げた身体を起こした。
 目の前のギョロ目は、相も変わらず俺にご執心。今のうちに——
 皐月を覆う為に上げた腕が、突然なにか物凄い力で引っ張られる。
「……ざけ、んな……」
「…………え?」
 聞き間違いだろうか。映画などでしか聞いた事のないような、ドスの効いた声が聞こえる。
もしかして、後ろに別の幽霊が……? ならば尚更、皐月を守らねば……!
 どうにか後ろを振り返ろうとした俺の目に、視界が潰れそうな程に眩い光が飛び込んできた。
 
「ふっざけてんじゃねぇぞテメェ!! 死霊が生きてる人間様にちょっかいかけてんじゃねぇ!!!!」
 
 誰かが勢いよく立ち上がる音が聞こえる。
 それは紛うことなき、隣から。
 当然……そこには1人しか居ない。
 だがこの闇を引き裂かんばかりの威勢の良い声は、俺が知っている彼(・)の声とは似ても似つかない。

『ヒッ……やめ、やめて……』
「んな脆弱な分際で舐めた真似してくれたよなぁ……あ゙?」
 ライトを片手に持った男は、女の幽霊に押し付けんばかりにグイグイと突き付けている。
『いやっ……イヤッ……』
「お、おい……幽霊さん凄く嫌がってるから……」
 なんでこの女を庇ってるんだよ、俺。
 疑問符が湧いた頭の中は、いつの間にか恐怖なんてすっ飛び、コントのような言葉を漏らした。
「どっか行きやがれ!! 二度とそのツラ見せんじゃねぇ!!!!」
 いま1度、強い声が聞こえたと思えば、耳を劈く女の金切り声が部屋中に響いた。
 数刻ほどして、何も無かったかのようにパッと部屋の明かりが元へと戻る。
 俺の斜め前に立つ、その背中はつい先日「また明日な」と見送ったものと相違がない。

「……さ、つ、き……?」
「あ、やべ…………こ、怖かったね、雄成くんッ!」
 
 偶像が、ガラガラと音を立てて崩れた瞬間だった。