TRICK-2TAR

「今日やった範囲は期末で出るからなー、各々しっかりと復習しておくように」
「はーい」 
 先生の言葉とチャイムを合図に、生徒は各々の休憩時間を過ごす為に散っていった。
 何となく機敏に動くのが億劫なのは、このどよっとした天気のせいだろうか。シャーペンを持ったまま暫く、灰色の雲をぼんやりと見つめている。
 
『人は皆、仮面を付けて生きている——』
 
 気にしない、詮索はしない。
 そう何度も言い聞かせた。が、
 やはり数日前に彼が言った言葉が頭の片隅に引っ掛かったまま取れず、気が付けばその言葉の意味をぼんやりと考え続けていた。
「仮面、ねぇ……」
 あれは俺の事をいったのだろうか。それとも彼自身の——
 全てを包み込むような柔らかい笑顔の裏に、何かを隠しているのだろうか。
 永遠に答えの無い問いを繰り返し考え続けていた俺の目の前に、スッと1枚の白い紙が差し出される。
 ふと我に返った俺は、紙の先にある人物へと顔を向けた。
「あの、……葉山くん……プリント、落ちてたよ」
 微かに震える手でプリントを差し出す女性は、確か隣の席の子だった気がする。申し訳ないが名前まで把握はしていないが。
「あぁ。……ありがとうな、助かった」
 その紙を受け取りながら少しだけ口角を上げてみると、女子生徒は頬を真っ赤に染めながらペコッと頭を下げた。
「いっ、いえ!! そ、その……テディベア……可愛いね」
 彼女の視線が、机の横に掛けたカバンの向けられていることに気が付きそれを追う。
 何となく勢いで「ここに付けようか」なんて言ってしまったが……当たり前だが目立っているよな?
 だが、彼女の言い方から察するに……否定的には取られていない、か?
 俺は漸くペンを机に置き、その手をカバンまで伸ばし、2人の視線を浴びる薄荷色のクマをゆるりと指で撫でてやる。
「そうだろう。愛らしくて気に入っているんだ——おかしいだろうか?」
「そ、そんな事ないよ! すごく似合ってる!!」
 ブンブンと手を振りながら、赤い顔で微笑む彼女が嘘偽りを言っているようには見えない。
 良かった……受け入れられたんだな。 
「そうか……! ありがとうな。嬉しいよ」
 安堵の息と同時に、自分の頬が自然と緩んだ気がした。
「ごめんなさいこれ以上は動悸がッッ……イケメンオーラを直で浴び過ぎて正気が保てない溶ける——ゥ!!」
 礼を言ったのも束の間……彼女はそう絶叫しながら、目にも止まらぬ早さでその場から立ち去ってしまった。 

「……元気な子だな」 
 教室からも出ていった彼女をポカンと見守っている頬を、ツンっと思い切り誰かに突かれる。
「なーんか、雄成……雰囲気柔らかくなったね。笑顔も、前と違ってすっごい自然だし」
 いつの間にか机の前には、ニヤニヤ顔の海吏が立っている。
「そうか? 何も変わらないだろ」
 変わらず頬に触れる鬱陶しい手を払いながら、ジトっとその顔を睨む。
「すごくいいことだとおもいます!! あ、皐月くんだー」
「あぁ……移動教室か?」
 いつの間にか廊下の方を見遣る海吏の視線に倣い、そちらを向く。大きく開けられた廊下沿いの窓の向こうに、フワフワとした髪を揺らす件の彼の姿があった。
「今日も可愛いなぁ」
「……海吏もそう思うか?」
 両手で教材を抱える皐月は、俺達の視線に気が付くとパァッと嬉しそうに花を咲かせた。
「うん! よく笑う子だよね。綿菓子みたいにフワッとしてて、でも作ってる嫌味な感じがない、正しく天使」
「そうだな、違いない」
 正直、この海吏も皐月に負けないくらいの可愛らしさを持ち合わせていると思う。
 でも海吏を見ていても、心がジワッと高揚する感じは無いんだよな。幼馴染だし、見慣れているからだろうか。
 廊下で立ち止まったままの皐月は、変わらず笑顔でこちらに手を振っている。
 皐月の微笑みを見ていると——形容し難いが、多福感に包まれる気がするな。
 俺は彼につられるように、目を細め軽く手を振る素振りを見せた。
「なーんか、皐月くんのフワフワが移った感じがするよね、最近の雄成」
「そ、そうか!? それは、その……変か?」
「ぜーんぜん。肩の力が抜けたのかな、親しみやすくて俺は好き」
「なら良かった……」
 俺は思わず、安堵の息を吐いた。
 予鈴と共に「じゃぁまた昼ねー」と、海吏はその場を立ち去った。俺も授業の教科書を出そうと天板の下に手を入れる。それと同時に、ポケットに入れたスマホがブルっと振動した。
 こんな時間に誰だよ——なんて取り出した画面を確認すると、そこには可愛らしいクマのアイコンとメッセージが表示されていた。
『よかったら今日、一緒に帰りませんか?』
 何でもない文書だけで、俺の心は跳ね踊る。
 まぁ、憧れの人間と一緒に居られるのは幸せな事だしな。ただそれだけの事だ。
 なんて自分に言い聞かせながらも……このだらしなく緩んだ頬を自覚せざるを得なかった。


 約束通り校門へと向かうと、石の門に寄り掛かり空を見上げる彼の姿があった。
 両手でギュッとカバンを握る姿が実に可愛らしい。
 本当に、ぬいぐるみみたいだな。
「空に何かあるのか?」
 思わず緩む頬をどうにか整え、じっと上を向いたままの彼に近寄る。
「えっと、あそこ……雲の中に虹がある……」
 彼が指さす方へと俺も目を向ける。
 夕日になる前の強い太陽光に目を細めながら、彼の言う雲を探した。
 太陽の近くにある雲が色とりどりの——確かに虹のように美しく色づいている。
 それは先日、本で読んだ情景そのものだった。
 確か、名前があったよな——
「彩雲、というやつじゃないか。縁起の良い雲だ」
「そんなものがあるんですか!?」
「大昔の人は、良いことの起こる前触れ、なんて言ったらしい」
 ふと横を見ると、そんな浅い説明にキラキラと目を輝かせる皐月の姿があった。
 あの本を選んで読んだ俺、ナイス。
「かわ……」
 俺はつい口から飛び出そうになった言葉を、グッと喉の奥に飲み込んだ。
 どうして、この男の一挙一動でこんなにも心が揺れるんだろうか。あまりに理想と合致しすぎているからか?
 不思議な面持ちの皐月に「なんでもない」なんていいながら、俺は再び幻想的な空へと目を向けた。
「……でも確かに、良いこと起こったかも」
 隣に並び同じ方角を向いていた皐月が、ポツリとそう告げる。
「何か幸運な事でも?」
 そう言って斜め下を向こうとした俺のシャツが、クイッと引っ張られる。 
「いつもと変わらない帰り道を、今日は雄成くんと一緒に歩くことが出来るから」
 直接触れ合っているわけでは無いけれど、シャツ越しのそこがとても暖かい気がして。
 なびく風が、彼の髪の向こうにある赤い頬を魅せる。
 俺は自然と目を細め「そうだな」なんて返した。

「…………ねぇ、雄成くん」
 不意に顔を上げた彼が、じっと俺を見つめる。
 何だか——不自然な程に。
「ん? なんだ」
 俺が首を傾げると皐月は、突然我に返ったかのようにパッといつもの柔和な表情に戻った。
「あ、いや……すいません、時間取らせて。帰りましょうか」
「あぁ……そうだな」
 あ(・)の(・)一(・)件(・)から、時々彼に違和感を感じる場面が増えた気がする。
 シャツから手を離し、ゆっくりと歩みを進める彼に倣い「まぁいいか」と、その時は深く考えずに歩き始めた。

 帰り道は、なんて事ない会話をしながら歩いた。
 教室での女子との会話や、海吏に雰囲気が優しくなったと褒められたこと。
 その度に君は、自分の事の様に喜んで笑ってくれて。
 彼のようになりたいと得た時間が、いつの間にかかけがえの無いものに変わっている気がした。
 ——どうしてだろうな、皐月の笑顔を見ていると心が落ち着く。
 満天の笑みを魅せる彼につられ、いつの間にか俺の口元も緩く弧を描いていた。
 
「じゃぁ、僕はこっちなので。雄成くん、また明日」
「あぁ……またな」

 そういって互いに手を振り、分かれ道を別の方角へと歩く。
 彼の小さな背中を見送っていると——明日も、明後日も、こんな穏やかな時間が……ずっと続くとのではないかなんて錯覚を起こす。

「また、明日な。皐月……」

 いま1度そう呟いた俺は、踵を返して自宅へと向かう。
 ふと見上げた夕焼けは、いつも以上に明るく燃えている気がした。
 
「今日は、周りに素の自分が少し出せた気がした。皐月のお陰だな」
 心の高揚は、眠りにつくまで続いていた。
 明日はどんな時間が過ごせるのだろうか。
 そんな事を考えながら、俺は瞼を閉じた。
 

 だが、

 ——数日後……事件は起こってしまったのだ。