TRICK-2TAR

「わぁ、雄成くん!! すごいすごい、ウサギですよ!!」
「クリームで上手く作ってるな。なんて芸術性の高い……」
 皐月の案内で辿り着いた場所は女性ばかりで賑わう、こじんまりとした可愛らしいお店だった。
 ピンクと水色で彩られたそこは、俺にとって幻の空間というよりは他ない。
 だが、こんなメルヘンな場所、流石に男二人だと浮くだろうな……なんて危惧していたが——そこはさすがの皐月。
 夢の国へと誘うウサギが住まうクレープを両手で持ちはしゃぐ彼は、この空間になんの違和感もない。
 なんなら後ろに並ぶ女子高生たちが「なにあれ尊……」と声にならない声を上げているほどだった。
 やっぱり、その容姿は得だよな。
「どうしたんですか?」
「いや……やはりこの姿は滑稽ではないかと」
 首を傾げ、きゅるんとした大きな目でこちらを覗き込む皐月とは対照的に、俺はヒクッと頬を引き攣らせる。
 何故なら手元には、しっかりとクマのクレープが握られているのだ。
 いや、最初は断ろうと思っていたんだ。確かにクレープは想像以上の完成度で、大いに魅力的だったけれども。
 それでもこの場で、自分がそれを持つイメージを持てなかった。
 だが、皐月にとってそれは想定内だったのだろう。
 ちゃっかりと「ウサギとークマを1つずつ!」と、あの屈託の無い笑顔で注文を済ませていたのだ。
 そうして俺の元に舞い降りた、この可愛らしい動物。
 あぁ……純白のクリームを纏った、アイスで作られたクマ。耳は歯応えの想像出来る薄焼きのカリカリ仕様だし、チョコレートで作られた目は絶妙なバランスで愛嬌しかない。
 まさか……こんな天界の食べ物を手にする日が来ようとは……
 心の涙を流しながら、今この瞬間を噛み締めていると、シャツの裾がツンっと引っ張られる
「雄成くんは、雄成くんのままでいいんですよ」
「そう、か……?」
 見下ろしたそこには、優しく微笑む皐月。
 俺のままで良い……か。
 じんわりと暖かな疼きが、彼の表情と連動するように胸の奥から広がっていく。
「ね、雄成くん! せっかくならそこのベンチに座って食べましょうよ!!」
 店の向かいには、緑生い茂る街路樹の前に「どうぞおいで下さい」とばかりに白いベンチが置かれている。
 3つあるウチの……真ん中の空席を皐月は指さしていた。
「そうだな。……はしゃいで転ぶなよ?」
「ははっ、雄成くんこそー」
 「ありがとうございましたー」と店員の声を背に受け、弾みながら自動ドアを潜る彼。
 確か1歩出た先は少し段差になっていたよな?
 とはいえ1段だけだし、まさか踏み外すなんて事は——
 なんて考え付いた矢先、しっかりと大地を踏みしめていたはずの片足が、急に無重力になる。
「——ッッ!?」
 踏み外したのは、俺でした。
 いや、呑気な事を思ってる場合じゃないッ……このままだと大惨事に……
 ガクンッと後ろに傾いた身体が、咄嗟に強い力で支えられる。
 一瞬、何が起きたのか分からなかった。
 この腰に回った、力強くて逞しい腕は——
「危ね——ッ……っと……大丈夫ですか、雄成くん……!?」
 何が起こったのか、それをきちんと理解したのは、寄り添うように隣にいる皐月の姿が目に入った時だった。
 これは……おおよそひと回り程に小柄な体格の彼が、俺を支えてくれた……!?
 これまで俺は支える側だった。それなのに、今——これは俺が、夢にまで見た……
 自覚をした瞬間に身体中の細胞がブワッと熱を持つのを感じる。
 
「悪い……クレープが……」
 この赤い顔を見られまいと、目に入った光景を口にした。彼がもう片方の手に持っていたそれは、俺を支えた時の衝撃で表情が歪に崩れていたのだ。
 俺の視線に気付いた皐月は、同じ方を見遣り「あぁ」と呟くとすぐにこちらを向いてニッコリと微笑んだ。
「味は同じですよ。それより、雄成くんに何事も無くて良かった」
 その瞬間——ギュッと心臓が掴まれるような感覚に陥る。
「……もう、大丈夫だ。ありがとう……」
「雄成くんのは崩れてない……体幹すごすぎませんか」
「そうか……? いや、そんな事ないだろ。それより皐月も意外と力あるんだな」
「え? あ……ゆ、雄成くんが転ばないようにと無我夢中だったから……」
 「ごめんなさい、触っちゃって」と彼が腕を丁寧に解いている間も、俺の心臓は鼓膜まで伝わる程のドクンドクンと大きな音をたてていた。

「わー、美味しそう!!いただきまーす」
 そう言ってキラキラした瞳のまま、勢いよくウサギアイスの右半分にスプーンを突き刺す彼。それを口内に放り込むや絵に書いたように蕩ける頬をモゴモゴと動かす様に、つい俺の口から「ふっ」と笑い声が漏れる。
 それはもはや、マスコットのようだった。
 先程の逞しい様子は何処にも見受けられない。夢だったのかとすら思う。
「皐月の表情はクルクルと変わって……本当に愛らしいな」
 すごいな。流石にこんなにも表情筋の動く自分は想像できない。
 やはり俺に可愛いは無理なのではなかろうか。
「そ、そんな……えっと、えーっと……あっ、雄成くんのとは味違いますよね。良かったらひと口どうぞ」
 かぁァっと染まった赤ら顔のまま、彼はひとすくいしたクリームとアイスを俺の前に差し出し——たところで、ピタッと動きを止めた。
 途端に染まり上がる、真っ赤な彼の頬。
 まぁこれ……所謂「あーん」の状況だもんな。
 面白いくらいに揺れる腕の振動が伝わるスプーンは、今にも崩壊間近まである。
「じゃぁ、遠慮なく」
 思わず緩んだ唇をゆっくりと開く。
 しばらくして、俺の口内には冷たい感覚と上品な甘さがフワッと広がった。
「あ、の……ごめんなさい」
「なんで謝る。美味いな、ありがとう」
 ペロリと下唇を舐め彼の方を見遣ると、泳ぎ続ける視線のまま小さくペコッと頭を下げる。
「う、うん……本当に美味しい、よね」
 そう言って彼は、再びスプーンを口へと運んだ。

「思ったより甘くなくて、食い切れたな」
 ごってりと着飾った外見とは裏腹に、味は意外にもスッキリしていた。
 すっかり食べ終わった俺を見た皐月は「え、早……ちょっと待っててくださいね」なんて半分程残ったそれわ必死に食べ始める。
 その様子がまた愛おしくて。「俺が食うの早いだけだから気にするな」なんて告げながら、ふと彼の頬にピンク色のクリームが飛んでいる事に気が付いた。
「こんなところにクリーム、付いてる」
 どうやったらココに付くんだろうな、なんて考えながら反射で指を伸ばしそれを拭ってやる。
 その瞬間彼の顔は、今にも爆発でもするのかと言うくらい真っ赤に染った。
「——ッッ!! ……あの、……その……ほっぺ……わぁ……」
 漸くクレープから俺に移った彼の視線は揺れ、落ち着かない様子で目を泳がせている。
 眉を下げじっとこちらを見あげる様に、俺は「ん?」と首を傾げた。
「あぁ、悪い……勝手に触れてしまって」
 しまった。突然肌に触れるなど、デリカシーに掛けていたな。泣きそうな程に不快な事だよな。申し訳ないな……以後気を付けるか。
 彼は暫くの間、俺と視線を絡めたまま——「そうじゃないんですけどぉ」なんて言いながら特大の溜息を吐いていた。
 俺は「ごめんごめん」と言いながら、じっと指に付いたクリームを見つめる。続けて、その奥でまだアタフタとしている彼の事も。 
「皐月はこのクリームみたいなピンク色が良く似合うな」
 それは何気なく言った言葉だった。
 この淡い色が忌憚なく、彼のイメージカラーだと思ったから。
 その瞬間……ピクッと彼の整った眉毛が動いたのは、気の所為だろうか。キラキラと輝いていた飴色の瞳から、スッと光が退いていくのも。

 ひと際強く吹き抜けた風と共に——場の空気が変わった気がした。
 まるで美しく咲き乱れた花畑が、悪い魔法で一瞬にして凍りついたみたいな。

「——人は皆、仮面を付けて生きている」

 少しだけ、背筋がビクッと跳ねた。
 皐月の声が、先程まではしゃいでいた時のそ(・)れ(・)と正反対の——まるで凍てつく氷のようなものだったから。
 俯いてしまった彼の表情は全く見えない、けれど——
 
「どういう……意味だ?」
 俺がそう問い掛けても、ポトリ、と手の中のクレープに乗るアイスが溶けても、彼はそのまま動く気配がない。
 幾分か経った後、いま1度「皐月、どうした?」なんて声を掛ける。
 するとハッとしたかのように、彼の肩がビクッと揺れる。
「……いえ、気にしないでください。申し訳ないけど……僕はそんなピンク色じゃないですよ」
 漸く上げた顔は、笑顔が貼り付けられていた。それはいつもと同じだけれど全くの別物で——ゾクッと背筋が震える。
 何が、どうして……それは分からない。何か得体の知れない恐怖みたいなものを、身体が反射的に感じ取って。
 けれどそれを言語化して彼に問う語彙が、俺の中には見当たらない。 
「……そうか。見当違いのことを言ったようだ、すまないな」
 そう返すのが、精一杯だった。
「……あ、やばいアイス溶けてる……!」
 自分の膝に零れたピンク色の雫を「あっ」とした顔で見る皐月は、もう普段の彼と何ら変わりはなかった。
「あ、あぁ……ハンカチ、使うか?」
 慌ててカバンの中から、綺麗に畳まれた紺のハンカチを彼に手渡す。
 遠慮気味にそれを受け取った彼は、膝の辺りを丁寧に拭き始めた。
 その——伏したまつ毛の奥にある大きな瞳が、潤んでいることに、その時の俺は気付く事が出来なかった。

◇◇◇

 2人ともが「ごちそうさま」をして「さて帰ろうか」と歩き始めた時。少し歩いた所の店先でピタッと皐月の足が止まる。
「あ、見て雄成くん! テディベアのキーホルダー売ってる」
 つられて俺の足も自然と止まり、彼の視線の先を追った。
 ショーウィンドウ越しには、色とりどりの小さなテディベアが各々可愛らしいポーズを取りこちらを見ていた。
「本当だ。色も沢山あるな——って、皐月?」
 先程までガラスに両手ごとペッタリ張り付いていた筈の彼は、いつの間にか姿を消していた。
 「どこにいった」と慌てて周囲を見回すと、茶色の落ち着いた店内の奥に、小さな背中が見える。
 まさか買いに行ったのか。
 財布を仕舞った彼は、小さな袋を受け取っている。
「……俺の周りには、どうしてこう自由奔放な人間しか居ないんだ」
 溜息混じりにそう零したとき、買い物を終え振り返った皐月と、ガラス越しに目が合う。
 パクパク動かす唇は「ごめんなさい」とでも告げているのだろうか。
 必死になって、可愛いな。
 急いでドアへと駆け寄る小さな生き物に、俺はつい笑みを漏らした。

「はいっ!」
「え? 皐月、これは一体……」
 少し分厚い袋を開けると、先程のテディベアのキーホルダーが顔を覗かせた。
 取り出したミントグリーンのそれの横に、ひょこっとピンク色のそれが「こんにちわ」と並べられる。
「今日付き合ってくれたお礼。雄成くん、テディベア好きですよね。あと、その……一応、色違い……あっ! 嫌だったら捨ててください」
「そんな可哀想なことをするものか。ありがとうな、嬉しいよ」
「……良かった! 大事にしますね」
「それはこちらの台詞だろう」
 俺がそう返すと、皐月はふにゃっと表情を崩して魅せる。
 「よかったねー! お揃いだよ」なんて両手に握り締めたそれに話し掛けている姿を見るだけで、自然とこちらの頬も緩くなる。
 いつか、あんな風になれる日が来るのだろうか。
 なんて想いを乗せた視線で眺めていると、彼はふたつのテディベアをなにやら向かい合わせにし始めた。
「ねぇ、雄成くん。……覚えてますか——」
 皐月が小さくそう呟いた時、俺の背中にドンッと何かがぶつかる。
「あー、ぶつかっちゃったーごめーん」
「わっ、すっごいイケメーンじゃん!! ごめんねぇ」
 と、ぶつかった少し派手な女子高生2人組に「いえ、大丈夫です」といなして彼の方に向き直る。
「悪い、なんだって?」
 俺がそう言うと彼は少しだけ眉を下げて、ゆっくりと首を横に振った。
「ううん、なんでもありません。どこに付けよっかなー」
 皐月の反応が気になりつつも「そうだな……折角ならカバンにでもつけるか?」なんて問いながらその場を後にしたのだった。

◇◇◇
 その日は帰宅し、横になるまで気分が良かった。
 相変わらず、親父は俺を見かける度に小言を並べなけれ気が済まない様子だったが、そんなこと気にならないくらい俺の心は弾んでいた。
「そろそろ寝るとするか」
 ベッドサイドに置いてあるテディベアをひと撫でする日課を済ませたところで、ふと……カバンに着けたキーホルダーが目に入る。
「可愛いものが増えたな……」
 きゅるんっとした目のクマは、皐月とよく似ていた。
「そういえば……テディベアが好きなんて、皐月に言っただろうか」
 ふと、そんな疑問が頭に過ぎる。
 同時に——これまで見たことの無い表情と、不可思議なあの台詞も。
 だが俺は、ベッドに横になったまま頭を小さく振った。
「いや、なにかの弾みで言ったのだろう。それに……余計な詮索は良くない。今日は楽しかった、それで充分だろう」
 そう自分に言い聞かせるよう吐き出し、俺は静かに目を閉じる。
 まだどこかほわっと高鳴る胸を抱いたまま——夜のしじまに意識を預けた。