TRICK-2TAR

 きっかけは多分、幼稚園の頃だったと思う。
 たまたま学友が、テディベアを持っているのを見て——ふわふわして、あどけない表情が、どうしようもなく可愛らしくて。
 俺の心は一瞬で掴まれた。
『ぼくも、あれがほしい』
『あら……雄くんは可愛いものが好きなのね。じゃぁお父さんにお願いしてみよっか!』
 自己主張の乏しい俺が母親に強請ると、次の日にはベッドの上に大きなテディベアが座っていた。

 翌日からそれを持って歩くと、周囲からクスクスと笑い声が聞こえだす。
 子供心ながらに、自分には不相応だと言うことを認識し、そっと部屋の隅にそれを隠した。
 俺の行動を不思議がった母親は、ある日俺に尋ねた。
『雄くん、テディベア持たなくなったね? あんなに気に入ってたのに』
『だって……ぼくがぬいぐるみもってるとおかしいってみんな……』
『どうして。自分に素直になることの何がおかしいの? それはとても素敵な事よ。自分の好きを大事にしましょうね』
 母親のそのひと言は、俺を突き動かす1歩となった。
 その日から俺は、可愛い物好きを隠さないようになった。
 最初周囲は驚いていた。だが次第にそれも受け入れられ——
『ぼくもテディベアもってるの。いっしょにあそぼう!』
『うん!!』
 なんて趣味を同じくした友人も出来、楽しい未来が待っている——そんな期待を胸に小学校へと上がり、順調に年月を重ねていた矢先。

『坊ちゃん——ッ!! 奥様が……奥様が事故で……』
 使用人が真っ青な顔でそれを伝えに来た時。
 あの瞬間——一筋の光は潰えたのだ。
 その頃から、俺の身体は急激な成長を始めてしまった。
 『雄成くんが可愛い物好きって、似合わない』
 逞しく育った俺はそんな棘を再び投げられる。
 次に来た母親(後妻)すらも、俺の趣味を「おかしい」と笑い罵った。
『本当の俺を好きって言ってくれる人は、もういないんだ。なら、また隠さなきゃ……』
 そう呟きながら、随分と小(・)さ(・)く(・)なったテディベアを部屋の隅で抱き締めた。

◇◇◇
 
「……ダメだ、集中出来ないな」
 木製の机にコトッとシャーペンを置き、フワッとした背凭れに深く沈む。
 隣でカチカチと音を立てる時計は、もう23時を指していた。
「宿題の続きは——明日皆川(みながわ)にでも見せてもらうか。アイツならやっているだろう」
 そうボヤきながら、気怠そうに腕だけ伸ばしてパタンとノートを閉じる。すると横に置いたスマホ画面がパッと光った。
「誰だ、こんな時間に……」
 とは言いながらも、何となく予測はついている。
 夜中の連絡と言えば、仲間内の——主に海吏(かいり)から『ねー、これから皆でゲームしよ!』と相場が決まっている。
「悪いが今日はそんな気分にはならないな」
 断りを入れようと画面をタップすると、そこに浮かび上がる名前に、俺は思わず崩れた姿勢から飛び起きた。

 『夜分にごめんなさい。木曜の放課後、クレープ食べに行きませんか? アニマルクレープのお店が新しく出来たのをさっき見つけちゃって』

 カーテンを開けたままの窓から、サアッと満月の光が室内に降り注ぐ。
 それはまるで、暗闇に再び光が射し込むかのように。

 ウズウズと動く口元を隠しもせず、俺はそれに返事を打った。

 ◇◇◇

 いつだったか海吏が「終礼のチャイムってさ、なんか弾んで聞こえない?」なんて言っていた事があった。
その時は「気の所為だ。早く放課後になって遊びたい気持ちの表れだろ」なんて返したけれど。
 今日は——それが理解出来る。

「あれ、珍しいね。今日は放課後読書しないの?」
 周りと同じように帰り支度を勧めていると、ひょこっと目の前にすらっと伸びたふたつの影が現れた。
「皆川か。まぁ、たまには」
 顔を上げた先にあるのは、ニコニコと胡散臭い笑顔を振り撒く優男。サラッとした焦げ茶髪の奥に光るのは、時々何を考えているのか分からないミステリアスな、少し毒気のある深い瞳。
 癖の塊な男ではあるが、友人として付き合うのには面白く申し分ない。
「漸く俺らに付き合う気になったか。雄成(オマエ)が来るってなりゃ俄然盛り上がるんだよ、悔しい事にな」
 そんな皆川の肩に手を置き、ぬるっと現れたのは、この学園の王。
 皇 紅雅(すめらぎ こうが)なんて強い名前に決して負ける事のない美貌と圧倒的な存在感を放つこの男は、紛うことなき皇帝であろう。
 派手に開けた首元を飾る燻し銀のネックレス。そこへ長く伸びた後ろ毛を掻き上げるだけで、そこらじゅうから黄色い声が飛び交っている。
「残念だったな、皇(すめらぎ)。女絡みは御免だ」
「はぁ~? またかよ」
 もう何度目か分からない断り文を述べると、皇は指の間からミルクティーベージュの髪をサラサラと落とし、深い溜息を吐いた。
「雄成はねぇ~これからお気に入りの子と遊ぶんだよォ」
 その後ろからひょっこりと現れた海吏は、ふたつの高い壁の隙間から背伸びをし、必死に顔を覗かせようとしていた。
「おい海吏、余計な事を言うな」
 まるでハムスターみたいにぴょんぴょんする海吏を一瞥すると、聳え立つ悪魔たちの口元がニヤリと歪む。
「おやぁ、それは初耳。詳しくお話……伺いたいなぁ」
「んじゃ腹割りすればいい。ってことで来週末空けとけ、4人でどっか行く。嫌とは言わせねぇぞ」
 まぁ別に隠す事でもないか。
 そんな事を思いながら、俺はゆっくりと椅子から立ち上がる。
 ポケットから取り出したスマホの画面には『校門の所で待ってますね』なんて律儀なメッセージが届いていた。
「わかったわかった、空けておく。すまないがもう行く。また明日な」
「あっ! 俺、職員室に用事あるから下まで一緒に行くー」
「は、はぁ……?」
 その場を立ち去ろうとした俺の背中を、1匹の小動物がガシッと掴む。
 皆川と皇が「んじゃまた明日なー」なんて呑気に手を振るのを返しつつ、背中を強く引っ張られながら教室を後にした。

 

 暫くして、漸く背中から手を離した海吏と並び、静かな階段をゆっくりと降りていた。
 窓の外からは運動部の元気な掛け声が聞こえてくる。「暑くなり始めたのに精が出るな」なんて呑気に考えていると、踊り場でピタッと海吏の足が止まった。
「んで、いつの間に皐月くんとカップルになったの?」
 頭一個分以上違う海吏は、痛い程に首を上に向け食い入るように俺を見つめている。
「そんな訳無いだろう、この恋愛脳」
 その刺すような視線を手で払いながら、ため息混じりのそう返すと、手のひらの向こうで不満そうに唸る声が聞こえた。
「えー? こんなうっきうきしてる雄成とか初めて見るんですけど」
 うきうき……? どこがだ。
 彼を遮っていた手を自分の頬に当ててみる。
 だが己の表情筋はいつも通り静まり返っていた。
「……それで、付いてきたのは何か要件があるんじゃないか?」
 返答に困った俺は、咄嗟にそう言葉を投げた。
 話を変えられ、不服を申し立てられるかと思いきや……海吏の顔はパァぁっと華やいでいる。
 成程。コイツのこの顔——何となく、言いたい事が読めてしまった。
 何故ならガキの頃から決まって、面倒事を押し付ける時……いつもこの顔をするからだ。
「分かっちゃった? さすが幼馴染じゃん! ……あのね、来週の金曜日暇? お願いがあってさぁ……」
「委員会、変われってか?」
 少しばかり引き攣った口でそう告げると、彼は首がもげる程何度も頷いている。
 だろうな。
 まぁ、遅かれ早かれそう言い出すとは思っていた。飽きたんだろ。
「ありがとー雄成大好き! じゃぁよろしくね……で。どうなの、彼とはさぁ」
 せっかく上手く誤魔化せたと思ったのに。
 絵に書いたようにニンマリと笑う海吏はもはや、恋バナで盛り上がる女子高校生にしか見えない。
「海吏の喜ぶような事案はないぞ。良き友人。そもそも同性同士なんだから、それ以上なんて無いだろう」
 まさか話が戻るとは思わず、俺は半分程残った階段をそそくさと降り始めた。
 すると、目的の返答を得られるまで食い下がる意志を見せる男は、小走りでそれに付いてくる。
「別にいいじゃん~そんなこと言ったら俺と春樹も随分前から付き合ってるし?」

 ちょうど最後の1段を降りたところで、俺の足はピタッと止まる。
 10秒ほど石のように固まったあと、俺の口は漸く開いた。
  
「…………は!!??」

 普段の俺からは想像出来ないほどのボリュームで、些か海吏も驚いたようだが……仕方ないだろ。
 え、どういう事だ……2人が付き合ってる?
 それは何だ、恋人ということか? ラブな方向性なのか? なにより……あの遊び人の皆川と……どうやって? いつから? まさか中学の時にはもう——
 親友からまさかのカミングアウトに、さすがの俺も動揺を隠せない。脳内が疑問で埋め尽くされる。
 すると、それまで朗らかに上がっていた彼の眉が、みるみるうちに下がっていく。
 しまった。もしかして引いたと思われただろうか。
 別にそうではない、純粋に驚いただけで。
 そう告げようとした唇より早く、彼のぽってりとした愛らしい口が声を上げた。
 
「とにかくッ! 2人は凄くお似合いだよ」
 固まった俺に1歩踏みよった海吏は、胸の前で拳を握り息巻いている。
 お似合い……か。
 周りから見れば、そう見えるのだろう。
 ガタイも良く男らしい顔付き俺と、小柄でフワフワした天使みたいな彼。
 ——そんな俺たちの本(・)当(・)の(・)関係性を、誰が想像出来るのだろうか。
「それでも……俺と皐月では違(・)う(・)んだよ」
「えぇ~なんか難しい。雄成はさぁ、もっと素直になっていいとおもうんだよねぇ」
「なんだよそれ。それよりお前と皆川がって……どうなってる。そもそも皆川はいつも皇と一緒に女遊びを——」
「あーっ! そろそろ2人んとこ戻らなきゃ~じゃぁ金曜日よろしくねぇ!!」
 俺が逆に詰め寄ると、海吏はピョンっとその小柄な身体を翻し、大急ぎで階段を元来た方へと駆け上がって行った。
「……素直、ねぇ……」
 そう低く呟くと、俺も足早に下駄箱へと向かっていった。