TRICK-2TAR

「わぁ~可愛いねぇ! ここ1度来てみたかったの」
「喜んでもらえて嬉しいよ」
 ティータイムの時間にちょうど重なった現在。
 周りの席は、カップルや女性たちのグループで埋まり始めている。
「並べて写真撮ろうよ~!!」
「撮ろ撮ろー! ついでに動画も載せちゃぉー」

 そんな中……カッチリ制服を着た2人の男が、俯き無言で膝を付き合わせている。
 なんだこの公開処刑は。気まず過ぎるにも程があるだろう。

「……取り敢えず何か頼むか? ここはラテアートが人気だそうだが」
 さすがに無言に耐えられなくなり、彼に立て掛けていたメニュー表を手渡した。
 エンジの固い表紙を捲り、愛らしい写真が並ぶページを見た瞬間、彼の顔はこれまでとうって変わってパッと華やいだ。
「そうですね。なら……このウサギのやつにしようかな」
 小さな手が指さしたそこには、泡の海からひょこっと顔を出した素朴な小動物が1匹。
「……可愛い。最高だ、良い趣味しているな」
 反射でそう呟いてしまい、俺は思わず口元を手で被った。
 危ない……海吏といた時でさえ気を付けていたのに。本能とは恐ろしいものだ。
 バケモノでも見るような目がそこにあるんだろうな、なんて思いながらチラリと目線だけ彼に向ける。
 するとそこにあるのは、少しだけ驚きを隠せない——けれど凪のように穏やかに微笑む彼の姿だった。
「葉山くんも頼めばいいんじゃないですか」
「——ッ!? え、と……いや。俺がそれ飲むの、絵面的にキツいだろ」
 慌てて俺が手をブンブンと横に振ると、今度こそ彼はぽかんと口を開けてしまった。
 
「そんな事気にする必要は無いと思います。好きな物は好き——それの何が悪いんですか?」

 心底不思議そうに首を傾げながらも、芯のある声で彼はそう告げた。
 その瞬間、俺はそのまま静止する。
 まるでその場の時が止められたかのように。
 ゴクリと飲んだ唾の音が、やけに大きく自分の耳に届く。
「……そう……言うけれどな」
 俺はもう何年も、その言葉が言えずに苦しんできたんだ。
 それを彼は、いとも簡単に—— 
「逆に難しいことじゃないでしょう。自分の心に素直に従うだけです」
「素直に……」
 彼は相変わらず、澄んだ目でこちらを見つめている。 
 『好きな物は、好き』
 ずっと自分の内側(砂漠の中)……声なき声で叫び続けていた言葉。ずっと駄目なものだと封じ込めたそれを、彼は至極当然のように肯定してくれた。
 ——枯渇した心に、一筋の水が流れる。
 彼が言うことは間違いがない。正しくその通り。
 俺は一体、何を隠して生きてきたんだろう。
 言葉の直球が見事に刺さり、俺は思わず彼から目を背ける。
 視線の先にあるのは、何度も対峙を夢見た、丸い耳のふわふわしたクマの写真。
 ——自分を、偽らなくて良い。
 俺は……おそるおそるメニュー表のそれを指差した。
「…………なら……クマのやつ。一緒に」
「はい、じゃぁ注文しておきます」
 そう言って、彼はニッコリと微笑んだ。
 

「よく知ってたな、俺の名前」
 注文を終え、再び訪れた静寂を打ち砕いたのは、珍しく俺の言葉だった。
 余りこういう時に進んで言葉を発するのは得意ではない。相手の出方を待つはずなのに——どういう訳か、自然と口が動いていた。
「さすがに有名人ですからね。知らない方が失礼ですよ。僕は依澄 皐月(いすみ さつき)です」
 ほわっとした空気を纏う依澄くんが、目を細めふにゃりと笑ってみせる。
 可愛い。
 その言葉に尽きる。本当に、どうして俺はこ(・)う(・)生まれて来なかったのか。
「依澄くん、さっき——裏庭ではびっくりしただろ。怖がらせたと言うか……兎に角不快な思いをさせた事を詫びたくてな。悪かった」
 彼は少しだけ目を泳がせた後、じっとこちらに目を向けた。
 元々やや色素が薄いのだろうか。飴色のクリアな瞳は射抜くように俺を見ている。
「びっくりは、しましたけど……でも素敵だなって思いました」
「素敵?」
 素直に驚いた。
 他人の告白を断ったのだ、一切迷う素振りもなく。
 罵詈雑言が飛んでくるならばいざ知らず、真逆の言葉が出ようとは。
 横に置かれたコップの水を、彼は静かに口に含む。
 カラッと氷が揺れた後に現れた表情は、先程とは打って変わって——とても温かさを秘めたものだった。
「断り方がとても誠実で。偏見ですが、一軍の——皇くんのグループってもっとチャラチャラしてるものだと思ってました」
「なるほど……」
 チャラチャラ、ね。まぁ見た目も派手な連中だ。特に、内2人は常時両脇に女性を抱えているし。
 俺は目に掛かる黒髪を掻き上げる。
 そういえば親父も、この耳に掛けられる程に伸びた髪とサイドに入れた金色のハイライトが軽薄な若者で気に食わないって言ってたな。
 本当は目の前の、大好きなテディベアみたいなフワフワした栗毛色の髪が似合う男になりたい人生だったがな。
 彼のように愛らしい微笑みを、自然に浮かべられたならば……少しは周りから可愛がられる生き方が出来たのだろう——
 知らない内に、口からは絶望に打ちひしがれた息が漏れていた。
 
「どうしたら、君のような愛らしい——ぬいぐるみのような空気を纏えるんだろうな」
 
「…………へ!?」
「あ…………」
 心の声が漏れていたことは、その表情から一目瞭然。
 大きな目を零れ落ちんまで開き、口元にグラスを付けながら、彼は魔法がかけられたかのように固まってしまった。
 言って……しまった……
「僕みたいなって?」
 思わず明後日を見つめしどろもどろになる俺に、痛いほどの視線が突き刺さる。
「いや、それは……えっと……」
「葉山くん?」
 「これはもう、誤魔化しなんて効かないだろう」と俺は全てを諦めて、固く閉ざした口を開いた。

「なるほど……葉山くんは、可愛いものが好きで、それが似合う人間になりたいと」

 目の前には、待ち焦がれていたラテアートが俺を呼んでいる。
 だがいまは、それを堪能する余裕が無い。
 対照的に依澄くんは「わぁ、かわいい」なんて緩んだ口角で早速口を付けていた。

 まさかこんな日が来ようとは。
 
 あの後観念した俺は、彼に全てを白状した。
 それを茶化さず、至極真面目に聞いてくれた事には最大限の敬意を表したい。
 俺ならまず正気を疑う、間違いない。
「言語化されると恥ずかしさで滅してしまいそうだが、間違ってはいないな」
「……正直、難しいとは思うんですよね。そのスペックですし」
「分かってる……分かってるよ」
 思わず俺は両手で顔を覆う。
 自覚していた事を改めて言葉で言われると、余計に刺さるものだな。
 耳に入る周りの人々のなんでもない声さえも、俺を否定する言葉にすら聞こえる。
 項垂れ黙っててしまった俺の頭に、ポンッ……と、何か暖かな物が触れた。
「あ、じゃぁ。せめて僕と居る時は隠さず過ごしてみるっていうのはどうでしょうか」
「依澄くんと……?」
 顔を上げると、彼は少しはにかんだ笑みを魅せながら、伸ばしていた手をゆっくりと自分の方へと戻した。
「ええ。そういう空気感? っていうんですか、狙って出来るものでもないですし。でも、隠さず過ごす時間があれば自然と纏える可能性も無くはないか、と」
 まだ感触の残る髪を、己の手でそっと触れてみる。
 そこに温もりなんてもう残っていない筈なのに——どういう訳か、その熱が心をギュッと包み込んでくれるようだった。
 こんな風に、人に撫でられたのは……一体何時ぶりだろうか。
「ふむ……一理あるか」
「それに僕、個人の意見としては……葉山くんと可愛いものって、すっごくお似合いだと思います」
 そんな無理に言わなくても……そう思い顔を上げた先にあったのは屈託のない笑顔。それが、嫌みではなく本心であると告げている様で——俺は少しむず痒くなった胸の辺りのシャツをギュッと握った。

「改めて宜しく——俺の事は雄成(ゆうせい)で構わない」
「そうですか? なら僕の事も皐月(さつき)で」
 彼は少しだけ目を開き……でも直ぐに、ふにゃっと砕けた笑いを見せる。

 俺はようやく、少し崩れ始めた泡のクマに口を付けた。

◇◇◇

 街路樹の合間に立つ街灯が煌々と灯る道。
 「それじゃぁまた学校で」と別れ、ふと俺は、空を見上げた。
 そこに浮かぶ満月が、いつもより輝いて見えるのは——きっと気の所為なんかじゃないんだろう。
 その時、俺の右ポケットでブルっと振動が走る。
「……ん? 海吏か。何だ——」
 その正体である長方形の機械を取り出すと、画面には見慣れた名前が表示されていた。
『ちゃんと皐月くんと友達になれたー?』
 さすがにこんな時間になるまで、心の内を明かしあったなんて、海吏は思いもしないんだろう。 
「友達、ね。秘密の共有をする——確かに親密な関係、か」
 『まぁ、それなりの関係値に』
 そんな言葉を打ち込んで、ポケットへスマホを戻すと、俺はいつもより軽い足取りで帰路へと着いた。
 

 重厚な木の門構えを開き、枯山水の広がる庭を真っ直ぐに歩く。
 代々続くこの屋敷。人はよく「さすが政治家業の御家」なんて褒めるが——俺にとってはただの暗い牢獄にしか見えない。
 
「なんだ、帰っていたのか」
 玄関から自室へと直行しようとした矢先、この世で1番疎ましい人物と出会ってしまう。
 そいつが感情ひとつない顔で俺を見下ろすなんて、いまに始まった事じゃない。
「……親父……」
「学生の本分も忘れ遊びに興じるなど、全くいい身分だな」
 鷹のような鋭い視線は、真っ直ぐ俺の耳朶を貫いている。
 あぁそうか。先々週に増えたピアスが気に入らないんだったか。
「いいか雄成。兄達のように、お前は葉山の人間として恥じぬ生き方をしろ」
「……うるせぇな。何時代だよ」
 ら(・)し(・)く(・)な(・)い(・)言葉遣いでそう吐き捨てた俺は、まだ何が言いたげな親父の、氷のような眼光を背に受けながら、自室へと戻った。
 ドサッと鞄を床に投げ溜息を吐くと、ふと……窓辺に置かれた古びたテディベアに視線が移る。
『こんな似合いもしない物を、いつまでもアレの形見だと未練たらしく持って——捨ててしまえ!!』
 引き裂かれた腕を、胴を、泣きながら夜な夜な縫った時から、もう10年は経つのだろう。
 別に女になりたい訳じゃない。何なら来世も男で良いとすら思っている。
 ……だからといってどうして雄(オス)でなければならない。
「——ちゃんと己を隠さず居れる、皐月は強いな」
 すっかり萎れた毛を纏うテディベアを、俺は片手で優しく撫でた。