TRICK-2TAR

 幼い頃はいつも、テディベアのぬいぐるみを抱き締めていた。
 その頃は体格も然程大きくはなくて。
 だが成長するにつれて「可愛いものとの離別」を強いられた。
 だが——捨てようとすればする程に、どういう訳か心がそれを渇望し続ける。
 中学生になった頃には身長も160を超え、男らしい顔付きになった。
 まるで「お前と可愛いは無縁」なんて言い聞かせるかのように。
 自分でも分かっていた、似合いもしないと。だから我慢しようとした。お気に入りのテディベアをクローゼットに隠して。
 でもその扉は、すぐに開かれる事となる。
 気が付いた時には、外角と内側が捻じ曲がった俺が生まれ……そうしてそれを受け入れた。
 ——決して癒えることの無い、砂漠のような渇きに苛まれながら。
 

◇◇◇

「すまないが、俺は誰とも付き合う気がないんだ」
 今日も今日とて、裏庭に呼び出された俺。
 いつもと違っていたのは、それが小鹿のような女子ではなく、男子生徒だということくらい。
「そう、だよね……俺なんかが……ごめん」
 パッとしない雰囲気の彼は下を向き、震える手でギュッと己のシャツを握っている。
 きっとこんな時、優しく頭を撫で慰めてくれる包容力を求めているのだろう。
 生憎だが、俺はそれを持ち合わせてはいないんだ。
「別に君自身を否定するつもりはないし、俺自身……恋に性別は関係ないと思っている。だが、申し訳ない。本当に恋人というものを不要としている——それだけは理解してくれないか」
 お決まりの台詞を言うのに罪悪感を抱かなくなったのは、いつの頃からだろうか。
 ——もう自分の望みが叶えられる事がないと分かってしまった以上、俺の心が跳ねることは無い。
「——ッ!! ごめんねっ時間取らせてっ……」
 上擦った声をグッと堪え、サァッと吹く爽やかな風と共に彼は走り出す。残された俺は……取り敢えず小さくなる背中をぼんやりと見守っていた。
「……帰るか。この後、海吏に買い物に付き合えと言われているし」
 木陰の間を縫う陽の光をじっと見つめたあと、踵を返すと——そこには、1人の人間が立っていた。

「……あ、ご……ごめんなさい。覗き見とかするつもり無かったんですけど……」
 ギュッとシャツの胸元を握り、大きな目を潤ませながら眉を下げる姿は、小さき命(小動物)そのもの。
「まぁ、見せ物じゃないが——ん?」
 その姿に、覚えがあった。
 白い肌、栗毛色のふんわり髪、中性的なその顔立ち。
 ……昨日見つけた、俺のなりたい男性像ナンバーワンの彼じゃないか!!
「あの……えっと、なんでしょう?」
 彼はじっと見下げる俺の視線に怯えたのか、一歩2歩と後退りをしてしまった。
 クリっとした大きな目を潤ませる彼の姿に、俺の姿はギュッと鷲掴みにされる。
 うん、可愛すぎる。天使か。俺が同じ事をしようものなら、その場を凍りつかせる自信がある。
「あ、いや……すまない。先日グラウンドに居るところを見掛けたものでな」
 そう言いながら、相手の眉がすっかり下がりきっている事に気がついた。
 まぁ、そうだろうな。
 自分が持つ圧の事は、己が1番よく分かっている。
 それ以前に、頭ひとつ分以上に小さい彼にとって俺は壁みたいなもんだろう。
 俺はなるべく相手を怯えさせまいと、可能な限り最良の笑顔を作って魅せた。
 落ち着いて、海吏みたいに……口角をしっかりと上げて。
 よし。我ながら、完璧な出来ではなかろうか。
「——ッッ!! ご、ごめんなさいっっ!!」
 ……にも関わらず、彼は勢いよく後ろを振り返り、脱兎の如くその場から逃げ出してしまった。

「……謝るほど、怖かった……のか?」

 一瞬彼の顔が赤らんだ気がしたが、それは気の所為だったのだろう。
「笑顔……ダメじゃないか。責任取れよ、海吏(適当男)」
 俺はヒクっと痙攣する頬を撫でながら、誰も居ないその場を暫くじっと見つめていた。

 ◇◇◇

「あー、それは依澄 皐月(いすみ さつき)くんだよ。B組の」
「相変わらず、よく知ってるな」

 あの後俺は予定通り海吏と合流し、彼の買い出しに付き合っていた。
 「お礼に何か好きな物奢るよー!」という申し出に遠慮無く、あるカフェに彼を案内する。
 実は3Dラテアートが名物なこの店で、俺は迷い無くブラックコーヒーを頼んだ。
 本当は、クマのラテアートを頼みたい。
 SNSで見た時に一目惚れした、愛らしいフワフワしたクマを。
 だがこちらの本性を知らない海吏の前でそれは出来ない。
 でも、俺は知っている。
 この男を連れてくれば、間違いなくこのテーブルに可愛いが詰まったラテアートが運ばれて来る事を。
 何故なら——この海吏もまた、俺と趣味を同じくしているからだ。共有をしたことは一度もないけれど。
「委員会が同じなんだよー! 仲良くなって連絡先も交換しちゃった」 
 目論見通り運ばれて来た、猫のラテを写真に収め終わった海吏は、自慢げにスマホの画面を俺に向ける。
 いいよな、お前は。その可愛い飲料を持つ姿に違和感無く、コミニケーション能力も高くて。
 俺はその画面を「わかった」と手で払いながら、目の前に置かれたほろ苦い飲み物に口を付ける。
「成程。まぁ、怖がらせたならば悪かったと……そう伝えておいてくれ」
「えー、そんなん自分で伝えなよ。何ならここに居るからおいでって連絡しよっか」
 唇にきめ細やかな泡を付けながら、半分ほど崩れた猫をテーブルの上に置き、海吏の右手親指は何やら忙しなく動き始めた。
 ……まさか、本当に呼んだのだろうか。止めてくれよ陽キャ。こっちは若干コミ障なんだよ。しかも逃げ出した相手だぞ? 正気か。
「……ここに呼ぶのは遠慮願えないだろうか」
 思わず眉間にシワが寄る俺に向かい、海吏はお得意のキラキラした笑顔を向けている。
 この屈託の無い顔——間違いない。
「雄成が友達作る滅多ないチャンスじゃん……ってことでもう呼んじゃったッ! ついでに俺、春樹に呼ばれちゃった~」
「は? 皆川に? ……それなら俺も——」
「だめだよ~。春樹とふたりの大切な時間を邪魔しないで。それにここには皐月くん来るしさぁ」
 お前と皆川の関係はどうなってる。
 というか、そもそもここ……海吏の奢りって話だっただろうが。
 それより何より、その依澄くんとやらと2人きりにされてどうしろと言うんだよ!?
 どれからツッコめばいいのか迷っている間に、海吏は泡の海に浮かぶネコを一気に口内へと流し込む。
 ソーサーに戻されたカップには、俺が愛でるべきそれは跡形もなくなっていた。
 そして彼は口元を拭い「じゃぁね、また明日~」なんて、弾みながら店を後にした。

「慌ただしい奴だな」
 小さくため息を吐きながら、手元のコーヒーに手を付けた俺に、黒い影が掛かる。
 
「あの……えっと、槙島(まきしま)くんに呼ばれたんですけど……」
 
 いつのまにか——入れ替わりかのように、いつの間にか席の横に立つひとりの男子生徒。
 本当に来た……だと!?
 彼——依澄くんは、肩から下げたスクールバックの紐をギュッと握り、相も変わらず下がった眉毛でこちらを見ている。
 シンとした空気が2人の間に流れる。
 どうしたものか……責任を取らせるにも海吏(当の本人)は居ないわけだし。
 彼は相変わらずの困り顔。
 まぁ、依澄くんからしたら、突然呼び付けた癖に何だという話だもんな。
 俺はいま1度、大きく息を吐いた。
「取り敢えず……その、座る、か? その……俺ひとりしか居ないけれども」
 たどたどしい俺の言葉に小さく頷いた依澄くんは、それまで海吏が腰掛けていた椅子に、ちょこんと座った。