翌日俺たちは、紅雅たちに呼び出され、中庭のベンチに座っていた。
隣には、足を揃えお手本のような座り姿勢でガチガチに固まった皐月。先程から絶えず「一軍揃ってる……エグすぎ……オーラで目潰れる」なんてブツブツ呟いている。
その俯いた頭を優しく撫でてやる。ふわっとした上質の毛を梳くように、何度も。
すると途端に沸騰する白い頬。頭部から滑らせた指でふにふにと突くと、その小さな身体は小刻みに震え始める。
「も、触んなって……皆見てるからっ!!」
「どうして。いつまでも触れていたいのに」
「あのな……ぬいぐるみじゃないんだから」
そう言って皐月は、まだ赤みの残る頬をぷくっと膨らませる。
あぁ、可愛らしい……今日もなんて愛おしいんだ。
そうして頬から肩へ、空色のシャツから覗く絹のような肌に手を這わせ、膝の上で小さく拳を握っている手を上からキュッと握ってやる。
そうした所で、そんな俺たちを見下ろす男達に視線を向けた。
「なるほど、で。これがその成れの果てって訳な」
「やっぱり俺の思った通り、焼きマシュマロだった。本当の望みが分かったんだね、雄成。嬉しいよ」
2人の男はそれはもう、にやけ顔が隠せないと言った具合。
「紅雅、春樹。その節は世話になったな。そしてこの人が愛する皐月だ。可愛いだろう、テディベア以上に」
俺は素直にそう答えた。
腕の中に収めた皐月が「ちょっ、何言ってんの!? なにしてんの!!」と大騒ぎしているのもお構い無しに。
生ぬるい視線で俺たちを見つめる2人の後ろから、ぴょんぴょんと跳ねる影が視界に写った。
「じゃぁ、今度は皐月くんも一緒に腹割りバーベキューへ行こうね」
少し遅れて来た海吏は、春樹に腰を抱かれながら俺たちの前に漸くたどり着き「おめでとー!」と自分の事のように喜んでいた。
「お前飯作れそうだしな、丁度いいから手伝えよ」
「ふふ……焼きマシュマロの旅へとご招待だよ、皐月くん」
「バーベ……? 腹……? まぁ料理は出来ますけど……マシュマロ…………??」
何ひとつ状況を飲み込めず、目を白黒させる皐月の頭を撫でていると、紅雅のポケットが何やら音を奏でる。
スマホを手にした紅雅が春樹に何かを伝えると「皐月くん、メッセのグループに追加しといて、んじゃまたな」と言いながらその場を立ち去って行った。
「良かったね、皐月。どうにかして雄成とお近付きになりたいって願い、叶ったじゃん」
1人残された海吏が、悪びれもなくそう告げると、俺の手を抜け皐月は勢い良く立ち上がる。
「ちょッ……言うな……なんで言う……」
「そうなのか?」
真っ赤な顔で震える皐月と、口角を上げニンマリと笑う海吏を交互に見ながら、俺は首を傾げた。
「もう時効だから言っちゃうけどね。委員会の時言われたの」
『あのさぁ、海吏くんって……葉山くんと仲良いよ、ね? どうしたら彼とその……親密になれるのかな。叶うならその……友達以上、に……。僕、ずっとずっと前から彼の事——』
皐月を上手く再現してみせたのだろう。
その時の状況を海吏が身振り手振りで表現するや、皐月は俯き「おわった……」と呟きながら両手で顔を被っている。
「んじゃ俺、委員会を雄成と変わるから! 頑張って距離縮めちゃいなよってアドバイスしたんだよねぇ」
「ね、止めろよ海吏……」
「なんだ、可愛い事言ってたんだな」
俺が興味深そうに皐月を見上げる。「んじゃ、後はご自由に~」と海吏は手を振り、紅雅達の消えた方角へと駆け出して行った。
「……詳しく聞かせてもらおうか。いい子だから、な? 皐月」
俺は立ち尽くす皐月の腕を少し強引に引っ張り、自分の隣へ座らせる。
チラッと指の間から俺の表情を確認するや、その小さな身体がビクンッと縦に揺れた。
「ヒッ……もう顔がヴィランなんだけどぉぉ!!」
そんな可愛い話、聞きたいに決まってるだろう。
俺は気持ちを隠そうともせず、満面の笑みを彼に向けた。
「で?」
やや圧のある声でそう問うと、皐月は観念したかのように両手を取り払った。
「……好きだったよずっと。雄成のこと…………ずっと見てた」
ふと、とある日の事が俺の脳内に思い出された。
途端に俺の片口角は、この上は無いと言う程に釣り上がる。
「あぁ……だからあの告白した日も木の影に隠れてたのか?」
俺がそう告げると、皐月は顔を左右に動かし「えっ、え」と面白いくらいに慌てふためく。
本当は、たまたま居合わせたのだろうと思っていたが——まさかの図星、か。
「……ッ……そ、そう。これ迄何度も覗いてた。雄成が……誰かのモノになったらどうしようって……」
消え入りそうな声でそう呟く皐月を、潰れる程に抱き締めても罪には問われないだろう。
さすがにその本能を押し留めるべく、一旦頭を抱えた。
「なる……ほど。可愛いところしかないな、お前は」
クイッと皐月の顎に指を掛ける。
彼の蕩けそうなアンバーの瞳の奥には、意地の悪そうな笑いを浮かべる俺。
あぁ、俺は……こんな顔も出来たんだな。
「え、ホントにこんな人じゃなかったよな……?」
皐月も目を泳がせ、「あれぇ?」と首を傾げている。
「イメージと違うなら、嫌いか?」
そういうや否や、顎に置かれた手を振り払った皐月は、俺の身体にぎゅぅっと抱き着いた。
「…………好き。大好き。俺もう雄成しか見えない」
「俺も好きだよ、愛してる、皐月」
この幸甚をどう表せば良いのだろうか。
溢れ出る想いを少しでも彼に伝えたくて——必死にしがみつく彼の存在ごと抱き締めた。
マジックアワーが広がる空の元、俺たちは手を繋いでゆっくりと歩いていた。
帰り道の住宅街からふわっと香るこの食欲を唆る匂いはカレーだろうか。
そういえば、暫く食べていないななんて考えていると、隣を歩く皐月の足がピタッと止まった。
「……カレー、食いたくない?」
「俺もな、今ちょうどそれを考えていた」
すると皐月はポケットから取り出したスマホをなにやら忙しなく動かし始める。
「母さんにリクエストしといた。どうする? 雄成も来るか……って、さすがにもう夕飯準備されてるか」
彼の言葉に、自分の頬がだらしなく緩むのが分かる。
「ぜひお邪魔しよう。ウチの事は気にするな。元々、俺は食事をひとりで摂っていたし、居なくても変わりない」
「そ、か。……あれから家族……親父さんとは?」
「変わらず冷戦。まぁ——でも……そう遠くないうちに和解は出来るだろ」
それを口にした俺の心は、驚く程に凪いでいた。
1度本音をぶつけたからだろうか。苛つく事も落ち込むことも無くなった——それに。
あれは夜の闇が一番濃くなる時間だっただろうか。
「——かった……」
ふとドアの向こうで男の声が聞こえた気がして、俺は目を覚ました。
最初は聞き間違いかと思い、再び瞼を閉じた。
その時だった。
「…………悪かった。お前はいつのまにか——母さんそっくりに育ったな」
そうはっきり聞こえ、俺は飛び起きた。
慌ててドアを開けると、そこにはもう誰も居ない。
部屋に戻った俺は、ベッドの横に置かれた草臥れたテディベアを抱き上げた。
温度なんてあるはずもないのに——それはほんのりと温かかった。
そしてその数日後……一輝兄さんを通じて、後妻と離婚をすると聞かされた。
ふと思いにふけり遠くを見つめていると、繋いだ手の力がひと際強くなる。
「そっか……まぁ、ゆっくりでもいいんじゃない」
「あぁ。とりあえず俺は自由にさせてもらうよ。これまで通りに」
「うんうん! あ、てか飯食ったあとさ、新作のゲーム買ったから一緒にやろうぜ! そのまま泊まっていけばいいじゃん」
「そうさせてもらおうか。そうだ……ならば——」
俺は足を止め、ぐっと身をかがめて彼の耳元に唇を寄せる。
「今宵はひとつのベットで……手を繋いで眠ろうな」
吐息混じりに彼の耳元でそう呟くと彼の肩がビクッと大きく跳ねた。
すごいな、みるみるうちに耳が真っ赤に染っていく。
「——ッッ!! なんでそんな意味ありげに言うんだよぉぉ!! 見てろよ……夏休みの間に鍛えて、雄成のこといっぱい愛せるようにでっかくなるんだからな!!」
もうその台詞がただひたすら可愛い仔犬のようだと言うことにどうして気が付かないのだろうか。
「それはそれは……17歳から始まる成長期に期待だな」
ニッコリと微笑み返すと、皐月は顔を真っ赤にしてそっぽを向く。
「ほんっっともう……雄成のことなんて……」
「俺の事なんて?」
涙声でそう呟く皐月は——おそるおそるこちらを振り向き、俺を見上げた。
琥珀色の瞳は、紅潮した頬と連動するかのようのゆらゆらと揺れている。
「…………すき」
その200点満点の答えに俺は1度手を解き、往来にも関わらず両手で彼をギュッと抱き締めた。
「そういえば、どうして皐月は可愛い皮を被ってたんだ?」
彼のスクールバッグで揺れるピンクのテディベアを見ながら、ふと湧き出た疑問を口にした。
自分の事に必死で気付きもしなかったが、よくよく考えてみれば何かしらの理由を抱えていたのではないだろうか。
もし、俺のように何かあるのだとしたら……俺が手助け出来ることはないのだろうか。君がしてくれたように。
すると皐月は「えっ」と目を見開き、その長い睫毛を少しだけ伏して見せた。
「んー…………特に深い理由はないよ。この見た目だし、それに合わせた方が生きやすいかなって思っただけ」
「なるほど……そういう物なのか」
なんだ、それほど大きな事情を抱えてた訳じゃないのか——と安心した時だった。
じっと大きな瞳が、俺を捉える。
「ところでさ。俺と雄成って、同じ幼稚園通ってたの。覚えてる?」
「えっ? どうして今そんな話を——」
その瞬間、声が聞こえた気がした。
『こんどテディベアもってきたら、いっしょにあそんでくれる?』
幼稚園の時、そう声を掛けてくれた子がいた。
小柄で、ふわふわ頭の……目のくりっとした可愛い男の子。
仲良くなったけれど小学校は別になってしまい……彼は別れる前に、こんな事を言っていた。
『ぼく、おおきくなったらテディベアになる。そうしたらゆうせいくん、ぼくのこと……だいすきになってくれるよね』
ぬいぐるみと相違ない、愛らしい笑顔でそう告げた彼に、俺の本能はグッと掴まれた。
幼き日の……もうすっかり記憶から消え失せていたそれが、パズルのピースみたいにカチッと脳内ではまり始める。
「ま、覚えてるはずないか」
「……詳しく……聞かせてくれないか」
ドクンドクンと身体中が心臓になったみたいに大きな音を奏でる。
なら、君が仮面を付けていた理由は——
「んー、また今度ね。も、早く帰ろ? 俺、腹減っちゃった」
そう言って彼は、繋いだままの手をグッと引く。
呆然としていた俺は、彼に導かれるまま……再び1歩を踏み出した。
「分かったよ。世界で1番可愛い、俺だけの——皐月」
そう告げると、皐月は何物にも代えがたい笑顔を俺に魅せてくれた。
隣には、足を揃えお手本のような座り姿勢でガチガチに固まった皐月。先程から絶えず「一軍揃ってる……エグすぎ……オーラで目潰れる」なんてブツブツ呟いている。
その俯いた頭を優しく撫でてやる。ふわっとした上質の毛を梳くように、何度も。
すると途端に沸騰する白い頬。頭部から滑らせた指でふにふにと突くと、その小さな身体は小刻みに震え始める。
「も、触んなって……皆見てるからっ!!」
「どうして。いつまでも触れていたいのに」
「あのな……ぬいぐるみじゃないんだから」
そう言って皐月は、まだ赤みの残る頬をぷくっと膨らませる。
あぁ、可愛らしい……今日もなんて愛おしいんだ。
そうして頬から肩へ、空色のシャツから覗く絹のような肌に手を這わせ、膝の上で小さく拳を握っている手を上からキュッと握ってやる。
そうした所で、そんな俺たちを見下ろす男達に視線を向けた。
「なるほど、で。これがその成れの果てって訳な」
「やっぱり俺の思った通り、焼きマシュマロだった。本当の望みが分かったんだね、雄成。嬉しいよ」
2人の男はそれはもう、にやけ顔が隠せないと言った具合。
「紅雅、春樹。その節は世話になったな。そしてこの人が愛する皐月だ。可愛いだろう、テディベア以上に」
俺は素直にそう答えた。
腕の中に収めた皐月が「ちょっ、何言ってんの!? なにしてんの!!」と大騒ぎしているのもお構い無しに。
生ぬるい視線で俺たちを見つめる2人の後ろから、ぴょんぴょんと跳ねる影が視界に写った。
「じゃぁ、今度は皐月くんも一緒に腹割りバーベキューへ行こうね」
少し遅れて来た海吏は、春樹に腰を抱かれながら俺たちの前に漸くたどり着き「おめでとー!」と自分の事のように喜んでいた。
「お前飯作れそうだしな、丁度いいから手伝えよ」
「ふふ……焼きマシュマロの旅へとご招待だよ、皐月くん」
「バーベ……? 腹……? まぁ料理は出来ますけど……マシュマロ…………??」
何ひとつ状況を飲み込めず、目を白黒させる皐月の頭を撫でていると、紅雅のポケットが何やら音を奏でる。
スマホを手にした紅雅が春樹に何かを伝えると「皐月くん、メッセのグループに追加しといて、んじゃまたな」と言いながらその場を立ち去って行った。
「良かったね、皐月。どうにかして雄成とお近付きになりたいって願い、叶ったじゃん」
1人残された海吏が、悪びれもなくそう告げると、俺の手を抜け皐月は勢い良く立ち上がる。
「ちょッ……言うな……なんで言う……」
「そうなのか?」
真っ赤な顔で震える皐月と、口角を上げニンマリと笑う海吏を交互に見ながら、俺は首を傾げた。
「もう時効だから言っちゃうけどね。委員会の時言われたの」
『あのさぁ、海吏くんって……葉山くんと仲良いよ、ね? どうしたら彼とその……親密になれるのかな。叶うならその……友達以上、に……。僕、ずっとずっと前から彼の事——』
皐月を上手く再現してみせたのだろう。
その時の状況を海吏が身振り手振りで表現するや、皐月は俯き「おわった……」と呟きながら両手で顔を被っている。
「んじゃ俺、委員会を雄成と変わるから! 頑張って距離縮めちゃいなよってアドバイスしたんだよねぇ」
「ね、止めろよ海吏……」
「なんだ、可愛い事言ってたんだな」
俺が興味深そうに皐月を見上げる。「んじゃ、後はご自由に~」と海吏は手を振り、紅雅達の消えた方角へと駆け出して行った。
「……詳しく聞かせてもらおうか。いい子だから、な? 皐月」
俺は立ち尽くす皐月の腕を少し強引に引っ張り、自分の隣へ座らせる。
チラッと指の間から俺の表情を確認するや、その小さな身体がビクンッと縦に揺れた。
「ヒッ……もう顔がヴィランなんだけどぉぉ!!」
そんな可愛い話、聞きたいに決まってるだろう。
俺は気持ちを隠そうともせず、満面の笑みを彼に向けた。
「で?」
やや圧のある声でそう問うと、皐月は観念したかのように両手を取り払った。
「……好きだったよずっと。雄成のこと…………ずっと見てた」
ふと、とある日の事が俺の脳内に思い出された。
途端に俺の片口角は、この上は無いと言う程に釣り上がる。
「あぁ……だからあの告白した日も木の影に隠れてたのか?」
俺がそう告げると、皐月は顔を左右に動かし「えっ、え」と面白いくらいに慌てふためく。
本当は、たまたま居合わせたのだろうと思っていたが——まさかの図星、か。
「……ッ……そ、そう。これ迄何度も覗いてた。雄成が……誰かのモノになったらどうしようって……」
消え入りそうな声でそう呟く皐月を、潰れる程に抱き締めても罪には問われないだろう。
さすがにその本能を押し留めるべく、一旦頭を抱えた。
「なる……ほど。可愛いところしかないな、お前は」
クイッと皐月の顎に指を掛ける。
彼の蕩けそうなアンバーの瞳の奥には、意地の悪そうな笑いを浮かべる俺。
あぁ、俺は……こんな顔も出来たんだな。
「え、ホントにこんな人じゃなかったよな……?」
皐月も目を泳がせ、「あれぇ?」と首を傾げている。
「イメージと違うなら、嫌いか?」
そういうや否や、顎に置かれた手を振り払った皐月は、俺の身体にぎゅぅっと抱き着いた。
「…………好き。大好き。俺もう雄成しか見えない」
「俺も好きだよ、愛してる、皐月」
この幸甚をどう表せば良いのだろうか。
溢れ出る想いを少しでも彼に伝えたくて——必死にしがみつく彼の存在ごと抱き締めた。
マジックアワーが広がる空の元、俺たちは手を繋いでゆっくりと歩いていた。
帰り道の住宅街からふわっと香るこの食欲を唆る匂いはカレーだろうか。
そういえば、暫く食べていないななんて考えていると、隣を歩く皐月の足がピタッと止まった。
「……カレー、食いたくない?」
「俺もな、今ちょうどそれを考えていた」
すると皐月はポケットから取り出したスマホをなにやら忙しなく動かし始める。
「母さんにリクエストしといた。どうする? 雄成も来るか……って、さすがにもう夕飯準備されてるか」
彼の言葉に、自分の頬がだらしなく緩むのが分かる。
「ぜひお邪魔しよう。ウチの事は気にするな。元々、俺は食事をひとりで摂っていたし、居なくても変わりない」
「そ、か。……あれから家族……親父さんとは?」
「変わらず冷戦。まぁ——でも……そう遠くないうちに和解は出来るだろ」
それを口にした俺の心は、驚く程に凪いでいた。
1度本音をぶつけたからだろうか。苛つく事も落ち込むことも無くなった——それに。
あれは夜の闇が一番濃くなる時間だっただろうか。
「——かった……」
ふとドアの向こうで男の声が聞こえた気がして、俺は目を覚ました。
最初は聞き間違いかと思い、再び瞼を閉じた。
その時だった。
「…………悪かった。お前はいつのまにか——母さんそっくりに育ったな」
そうはっきり聞こえ、俺は飛び起きた。
慌ててドアを開けると、そこにはもう誰も居ない。
部屋に戻った俺は、ベッドの横に置かれた草臥れたテディベアを抱き上げた。
温度なんてあるはずもないのに——それはほんのりと温かかった。
そしてその数日後……一輝兄さんを通じて、後妻と離婚をすると聞かされた。
ふと思いにふけり遠くを見つめていると、繋いだ手の力がひと際強くなる。
「そっか……まぁ、ゆっくりでもいいんじゃない」
「あぁ。とりあえず俺は自由にさせてもらうよ。これまで通りに」
「うんうん! あ、てか飯食ったあとさ、新作のゲーム買ったから一緒にやろうぜ! そのまま泊まっていけばいいじゃん」
「そうさせてもらおうか。そうだ……ならば——」
俺は足を止め、ぐっと身をかがめて彼の耳元に唇を寄せる。
「今宵はひとつのベットで……手を繋いで眠ろうな」
吐息混じりに彼の耳元でそう呟くと彼の肩がビクッと大きく跳ねた。
すごいな、みるみるうちに耳が真っ赤に染っていく。
「——ッッ!! なんでそんな意味ありげに言うんだよぉぉ!! 見てろよ……夏休みの間に鍛えて、雄成のこといっぱい愛せるようにでっかくなるんだからな!!」
もうその台詞がただひたすら可愛い仔犬のようだと言うことにどうして気が付かないのだろうか。
「それはそれは……17歳から始まる成長期に期待だな」
ニッコリと微笑み返すと、皐月は顔を真っ赤にしてそっぽを向く。
「ほんっっともう……雄成のことなんて……」
「俺の事なんて?」
涙声でそう呟く皐月は——おそるおそるこちらを振り向き、俺を見上げた。
琥珀色の瞳は、紅潮した頬と連動するかのようのゆらゆらと揺れている。
「…………すき」
その200点満点の答えに俺は1度手を解き、往来にも関わらず両手で彼をギュッと抱き締めた。
「そういえば、どうして皐月は可愛い皮を被ってたんだ?」
彼のスクールバッグで揺れるピンクのテディベアを見ながら、ふと湧き出た疑問を口にした。
自分の事に必死で気付きもしなかったが、よくよく考えてみれば何かしらの理由を抱えていたのではないだろうか。
もし、俺のように何かあるのだとしたら……俺が手助け出来ることはないのだろうか。君がしてくれたように。
すると皐月は「えっ」と目を見開き、その長い睫毛を少しだけ伏して見せた。
「んー…………特に深い理由はないよ。この見た目だし、それに合わせた方が生きやすいかなって思っただけ」
「なるほど……そういう物なのか」
なんだ、それほど大きな事情を抱えてた訳じゃないのか——と安心した時だった。
じっと大きな瞳が、俺を捉える。
「ところでさ。俺と雄成って、同じ幼稚園通ってたの。覚えてる?」
「えっ? どうして今そんな話を——」
その瞬間、声が聞こえた気がした。
『こんどテディベアもってきたら、いっしょにあそんでくれる?』
幼稚園の時、そう声を掛けてくれた子がいた。
小柄で、ふわふわ頭の……目のくりっとした可愛い男の子。
仲良くなったけれど小学校は別になってしまい……彼は別れる前に、こんな事を言っていた。
『ぼく、おおきくなったらテディベアになる。そうしたらゆうせいくん、ぼくのこと……だいすきになってくれるよね』
ぬいぐるみと相違ない、愛らしい笑顔でそう告げた彼に、俺の本能はグッと掴まれた。
幼き日の……もうすっかり記憶から消え失せていたそれが、パズルのピースみたいにカチッと脳内ではまり始める。
「ま、覚えてるはずないか」
「……詳しく……聞かせてくれないか」
ドクンドクンと身体中が心臓になったみたいに大きな音を奏でる。
なら、君が仮面を付けていた理由は——
「んー、また今度ね。も、早く帰ろ? 俺、腹減っちゃった」
そう言って彼は、繋いだままの手をグッと引く。
呆然としていた俺は、彼に導かれるまま……再び1歩を踏み出した。
「分かったよ。世界で1番可愛い、俺だけの——皐月」
そう告げると、皐月は何物にも代えがたい笑顔を俺に魅せてくれた。
