気付けば、いつも隣には皐月が居るようになった。
とはいえクラスが離れていた為、限られた時間のみ、だが。
今日は昼食を食べた後に「ちょっと付き合って欲しい」と、彼を件の場所へと誘っていた。
「うわー!! 俺、屋上って始めて来たかも~」
その日の昼休憩は、皐月を誘って件の屋上へと来ていた。
「意外だな、少し悪びれた奴らは屋上に屯しているものだと思っていたが」
降り注ぐ太陽に向かって大きく伸びをする彼の背中を、ついクスリと笑いながらその隣へ腰掛ける。
「何情報だよ。どっちかってと地べた這いずってる方が多いよ……ってその話もう忘れろよ」
見上げた先にある皐月のは、「むー」と頬を大きく膨らませている。
「ふふ……しかし、本当に気持ちが良いな」
季節は本格的な夏を迎えようとしている。だが、ここはいまだに心地良い空間のままだった。
皐月はというと、相変わらず唇を尖らせたまま。
結局な、お前は可愛いんだよ。
そんな事を考えながら、そよそよと吹く風受け、思わず目を閉じた。
以前ここへ——紅雅に連れてこられた時は、こんな未来が来るなんて思いもしなかったな。
ゆっくりと瞳を開き、視線を上へと向けると——キラキラした、ワクワクが止まらない子供のような顔で遠くの景色に夢中になる皐月の姿。
自然と己の頬が緩むのを感じる。
『いつもと変わらない帰り道を、今日は雄成くんと一緒に歩くことが出来るから』
例え偽りだとしても——愛らしくはにかむ君も。
『俺で——俺の好きで……雄成をいっぱいにするから。そしたらさ、それが沢山集まったら心の隙間が埋まって寂しくないだろ?』
強くて芯のある君も——どちらも、可愛らしい事に変わりはない。
——だが。
やはり今日もいつも思う言葉が自然と浮かんでこない。
皐月を、羨む気持ちが。
己の変化に首を傾げていると、ふと右半身が暖かい事に気が付いた。
「……何をしている」
そこには、ぎゅっと俺の右腕にしがみつくかのように抱き着く皐月がいた。
「雄成の心の隙間埋め中」
「今日は特になにかがすり減っているとかないけどな」
俺が意地悪そうに笑いながらそう返すと、皐月は赤い顔をバッと上げ、面白いくらいに眉を釣り上げた。
「あーーもぅ!! なんでそんなこと言うかなぁ」
完全に「拗ねました」と云わんばかりに勢いよくそっぽを向くが……その細い腕は、ぎゅっと俺にしがみついたまま。
「皐月のその顔が見たくてな。……悪い、冗談だよ。ありがとう」
空いた手で、ふわふわの髪を「よしよし」と撫でてやると、彼の顔はふにゃっと天使の笑顔を取り戻した。
「今日もいっぱい愛を送るから。俺の愛を受け取れ~」
本当にどうしようもないくらい愛らしい。テディベアの具現化と言っても過言では無い。
でもやはり……あんなにも渇望した気持ちは浮いては来ない。
心にあるのは、それとは異なる——胸をギュッと締め付けられるような不可解な感覚だけ。
「ぎゃぁぁぁ!!」
呆然としていた俺の耳に突然、断末魔が襲いかかり。
「ん? どうした……」
驚いて目を丸くしている俺の胸に、皐月が勢い良く飛び込んでくる。
「虫ッ!! なんか黒いの降ってきたァァァァ」
シャツが破れんばかりにぎゅーっとしがみつき、彼は今にも泣き出しそうな声を上げて顔を埋めている。
俺の右手が、自然と動く。
指先が、彼の背筋をゆっくりとなぞり——そのまま小さな身体を包み込むように抱き締めた。
ドクンドクンと、心臓が大きな音を立てる。
鼓膜がそれで充たされる程に。
——それは……これまで求めていた行為とは逆の動きなのに。
気付いたら俺は、両手で強く皐月の身体を抱き締めていた。
まるで、彼を全てから守るかのように。
「は、はは……何もいないぞ。大丈夫だ」
俺は平然を装いそう言ってのけたが、脳は1度浮かんだ疑問に支配されたまま。
「ほんとに? ……はー、もーー無理ィ」
「幽霊には立ち向かえるのに、虫はダメなんだな」
「虫の方が圧倒的恐怖だろ」
「そういうもんか……?」
しばらく腕の中で大人しくしていた彼が、モゾりと身動ぐ。
「ごめん……もう平気だから」
離れようと身を捩る彼を、両手にグッと力を入れて留める。
「なぁ、皐月。もう少しだけ——」
「えっ……?」
このまま彼を抱いていても、この不思議な気待ちの答えが出るわけじゃない。
それでも、驚く程に心が安らぐ彼の体温を、感触を、香りを——この腕から、逃したくはなかった。
◇◇◇
自室のベットの上に背中から沈み込み、右手をそっと暗い天井へ掲げた。
そこにはまだ、先刻の感触がはっきりと残っている。
「俺はあの時皐月を、強く抱き締めたいと思った。あの時だけじゃない。もう、何度も——」
ただ、ずっと……誰かに愛されたかった。
その為に『可愛い』が似合う男に成りたかった。
「そう、俺は……愛らしくて抱かれる側になりたい。包容力のある人に守られたい……そう願って……」
だがこのところ、彼を羨む気持ちが一切湧いてはのない。
それだけではない。彼を抱き締めた時の——あの高揚感。
「そういえばあの委員会の日も……」
ふと、彼と本当の意味で分かりあった、あの幽霊騒動を思い出した。
絶望的な恐怖の前では、人の本性は顕になる。
だからあの時、皐月は素の状態に戻ったのだろう。
なら俺は——
俺はあの時何を思った?
思わずバッと、勢い良く起き上がる。
「……皐月を、守りたいと……思った……」
ゴクリと音を鳴らし大きく唾を飲み込む。
テーマパークに行った時だってそうだ。
皐月が酔っ払い男に絡まれた時、俺は——
『君の本当の望みは、何?』
脳裏に蘇るのは、いつぞやの春樹の台詞。
俺は起き上がり本棚に並んだ本の1冊を手に取る。
それは委員会の日、皐月に性癖をカミングアウトした時に彼と見た小説だった。
「ずっと、この子になりたいと思っていた……」
何枚かページを捲った先に現れた、天使みたいな男の子を指で撫でる。
愛されて、包まれて——
それが秘めたる願いだった。
けれど今……
『雄成……好き——』
この天使と皐月が被って見える。
そんな受の子に心を掴まれる己もまた、ここに在る。
『 お前をこの世界の全てから守ってやる。そして……俺の愛で包んで、めちゃくちゃにして——』
そう告げる攻の気持ちが、いまの俺には理解が出来る。
「俺は……皐月を——守りたい。この気持ちの根源は——」
それへの返答をスラスラと告げる口は、まるで自分のものでは無いかのようだった。
「皐月を、愛したい。俺という存在で包み込みたい」
いつか皐月と見た本の表紙の——受を後ろから抱き締める男の姿に、己がピタッと被り、嵌る。
「……今日気付いた。俺は、君のことが好きなんだ。当然愛されもしたい、だがそれ以上に——」
『自分に素直になる事の、何がおかしいの?』
『雄成はもっと、素直になっていいとおもうんだよね』
これまで俺に投げ掛けられた数多の言葉たち。
正直、当時は理解が出来なかった。
だが、今ならわかる。
カチャッ——そんな、頭の片隅で……鍵が開くような音がした。
「もし俺が、どうしようも無いほど大きな愛を与えたら——君はどんな顔するのだろうか」
柔らかい春の陽射しのようにはにかんで、微笑むのだろうか。
それとも夏の、狂おしい程の熱に犯された真っ赤な顔で恥ずかしがるのだろうか。
あの日キャンプで食べたマシュマロのような濃密でドロリとした何かが心の奥から身体中へじっとりと拡がる。
「あぁ……興味があるな。君が俺にドロドロに愛される姿というものに」
それまで創り上げた「愛されたい」と願う自分が、見事に崩れ落ちる音がした。
だが、それで良かった。
『漸く気付いたか。それがお前の、仮面の裏に隠された本性だよ』
暗い部屋の中、まるで俺の心を具現化したような影が耳元で囁く。
——『「愛されるだけの行為に、俺の本質は満足をしない」』
それと同時に俺は——ニヤリ、と片口角を釣り上げた。
あぁ、全てが腑に落ちた。
「なんだ結局……俺はそちら側だったのか」
『あら……雄くんは可愛いものが好きなのね』
そもそも最初からそうだったんだ。
その姿を随分と長い間否定された続けた事で……俺は本質を見誤ったんだ。
「俺は、カワイイモノガスキ、なんだ」
ベッドから立ち上がり、隅に置かれたテディベアをスっと持ち上げた。
これを初めて手に入れた——あの日の高揚は忘れようもない。
カーテンの隙間からピカっと稲光のようなものが差し込む。
昼間はあんなにも穏やかだった空が、今は雷を伴う空模様へと変わったのだろう。
「なぁ、皐月。仮面を割った俺が——君を愛してもいいよな」
ひと際低い声でそう囁きながら、俺は彼のようなそのぬいぐるみを、力強く抱き締める。
出口を見つけた。
長い長いトンネルの先を。
——『解き放て、全てを。本当のお前を』
俺の背後で、もうひとりの俺がそう囁いた。
とはいえクラスが離れていた為、限られた時間のみ、だが。
今日は昼食を食べた後に「ちょっと付き合って欲しい」と、彼を件の場所へと誘っていた。
「うわー!! 俺、屋上って始めて来たかも~」
その日の昼休憩は、皐月を誘って件の屋上へと来ていた。
「意外だな、少し悪びれた奴らは屋上に屯しているものだと思っていたが」
降り注ぐ太陽に向かって大きく伸びをする彼の背中を、ついクスリと笑いながらその隣へ腰掛ける。
「何情報だよ。どっちかってと地べた這いずってる方が多いよ……ってその話もう忘れろよ」
見上げた先にある皐月のは、「むー」と頬を大きく膨らませている。
「ふふ……しかし、本当に気持ちが良いな」
季節は本格的な夏を迎えようとしている。だが、ここはいまだに心地良い空間のままだった。
皐月はというと、相変わらず唇を尖らせたまま。
結局な、お前は可愛いんだよ。
そんな事を考えながら、そよそよと吹く風受け、思わず目を閉じた。
以前ここへ——紅雅に連れてこられた時は、こんな未来が来るなんて思いもしなかったな。
ゆっくりと瞳を開き、視線を上へと向けると——キラキラした、ワクワクが止まらない子供のような顔で遠くの景色に夢中になる皐月の姿。
自然と己の頬が緩むのを感じる。
『いつもと変わらない帰り道を、今日は雄成くんと一緒に歩くことが出来るから』
例え偽りだとしても——愛らしくはにかむ君も。
『俺で——俺の好きで……雄成をいっぱいにするから。そしたらさ、それが沢山集まったら心の隙間が埋まって寂しくないだろ?』
強くて芯のある君も——どちらも、可愛らしい事に変わりはない。
——だが。
やはり今日もいつも思う言葉が自然と浮かんでこない。
皐月を、羨む気持ちが。
己の変化に首を傾げていると、ふと右半身が暖かい事に気が付いた。
「……何をしている」
そこには、ぎゅっと俺の右腕にしがみつくかのように抱き着く皐月がいた。
「雄成の心の隙間埋め中」
「今日は特になにかがすり減っているとかないけどな」
俺が意地悪そうに笑いながらそう返すと、皐月は赤い顔をバッと上げ、面白いくらいに眉を釣り上げた。
「あーーもぅ!! なんでそんなこと言うかなぁ」
完全に「拗ねました」と云わんばかりに勢いよくそっぽを向くが……その細い腕は、ぎゅっと俺にしがみついたまま。
「皐月のその顔が見たくてな。……悪い、冗談だよ。ありがとう」
空いた手で、ふわふわの髪を「よしよし」と撫でてやると、彼の顔はふにゃっと天使の笑顔を取り戻した。
「今日もいっぱい愛を送るから。俺の愛を受け取れ~」
本当にどうしようもないくらい愛らしい。テディベアの具現化と言っても過言では無い。
でもやはり……あんなにも渇望した気持ちは浮いては来ない。
心にあるのは、それとは異なる——胸をギュッと締め付けられるような不可解な感覚だけ。
「ぎゃぁぁぁ!!」
呆然としていた俺の耳に突然、断末魔が襲いかかり。
「ん? どうした……」
驚いて目を丸くしている俺の胸に、皐月が勢い良く飛び込んでくる。
「虫ッ!! なんか黒いの降ってきたァァァァ」
シャツが破れんばかりにぎゅーっとしがみつき、彼は今にも泣き出しそうな声を上げて顔を埋めている。
俺の右手が、自然と動く。
指先が、彼の背筋をゆっくりとなぞり——そのまま小さな身体を包み込むように抱き締めた。
ドクンドクンと、心臓が大きな音を立てる。
鼓膜がそれで充たされる程に。
——それは……これまで求めていた行為とは逆の動きなのに。
気付いたら俺は、両手で強く皐月の身体を抱き締めていた。
まるで、彼を全てから守るかのように。
「は、はは……何もいないぞ。大丈夫だ」
俺は平然を装いそう言ってのけたが、脳は1度浮かんだ疑問に支配されたまま。
「ほんとに? ……はー、もーー無理ィ」
「幽霊には立ち向かえるのに、虫はダメなんだな」
「虫の方が圧倒的恐怖だろ」
「そういうもんか……?」
しばらく腕の中で大人しくしていた彼が、モゾりと身動ぐ。
「ごめん……もう平気だから」
離れようと身を捩る彼を、両手にグッと力を入れて留める。
「なぁ、皐月。もう少しだけ——」
「えっ……?」
このまま彼を抱いていても、この不思議な気待ちの答えが出るわけじゃない。
それでも、驚く程に心が安らぐ彼の体温を、感触を、香りを——この腕から、逃したくはなかった。
◇◇◇
自室のベットの上に背中から沈み込み、右手をそっと暗い天井へ掲げた。
そこにはまだ、先刻の感触がはっきりと残っている。
「俺はあの時皐月を、強く抱き締めたいと思った。あの時だけじゃない。もう、何度も——」
ただ、ずっと……誰かに愛されたかった。
その為に『可愛い』が似合う男に成りたかった。
「そう、俺は……愛らしくて抱かれる側になりたい。包容力のある人に守られたい……そう願って……」
だがこのところ、彼を羨む気持ちが一切湧いてはのない。
それだけではない。彼を抱き締めた時の——あの高揚感。
「そういえばあの委員会の日も……」
ふと、彼と本当の意味で分かりあった、あの幽霊騒動を思い出した。
絶望的な恐怖の前では、人の本性は顕になる。
だからあの時、皐月は素の状態に戻ったのだろう。
なら俺は——
俺はあの時何を思った?
思わずバッと、勢い良く起き上がる。
「……皐月を、守りたいと……思った……」
ゴクリと音を鳴らし大きく唾を飲み込む。
テーマパークに行った時だってそうだ。
皐月が酔っ払い男に絡まれた時、俺は——
『君の本当の望みは、何?』
脳裏に蘇るのは、いつぞやの春樹の台詞。
俺は起き上がり本棚に並んだ本の1冊を手に取る。
それは委員会の日、皐月に性癖をカミングアウトした時に彼と見た小説だった。
「ずっと、この子になりたいと思っていた……」
何枚かページを捲った先に現れた、天使みたいな男の子を指で撫でる。
愛されて、包まれて——
それが秘めたる願いだった。
けれど今……
『雄成……好き——』
この天使と皐月が被って見える。
そんな受の子に心を掴まれる己もまた、ここに在る。
『 お前をこの世界の全てから守ってやる。そして……俺の愛で包んで、めちゃくちゃにして——』
そう告げる攻の気持ちが、いまの俺には理解が出来る。
「俺は……皐月を——守りたい。この気持ちの根源は——」
それへの返答をスラスラと告げる口は、まるで自分のものでは無いかのようだった。
「皐月を、愛したい。俺という存在で包み込みたい」
いつか皐月と見た本の表紙の——受を後ろから抱き締める男の姿に、己がピタッと被り、嵌る。
「……今日気付いた。俺は、君のことが好きなんだ。当然愛されもしたい、だがそれ以上に——」
『自分に素直になる事の、何がおかしいの?』
『雄成はもっと、素直になっていいとおもうんだよね』
これまで俺に投げ掛けられた数多の言葉たち。
正直、当時は理解が出来なかった。
だが、今ならわかる。
カチャッ——そんな、頭の片隅で……鍵が開くような音がした。
「もし俺が、どうしようも無いほど大きな愛を与えたら——君はどんな顔するのだろうか」
柔らかい春の陽射しのようにはにかんで、微笑むのだろうか。
それとも夏の、狂おしい程の熱に犯された真っ赤な顔で恥ずかしがるのだろうか。
あの日キャンプで食べたマシュマロのような濃密でドロリとした何かが心の奥から身体中へじっとりと拡がる。
「あぁ……興味があるな。君が俺にドロドロに愛される姿というものに」
それまで創り上げた「愛されたい」と願う自分が、見事に崩れ落ちる音がした。
だが、それで良かった。
『漸く気付いたか。それがお前の、仮面の裏に隠された本性だよ』
暗い部屋の中、まるで俺の心を具現化したような影が耳元で囁く。
——『「愛されるだけの行為に、俺の本質は満足をしない」』
それと同時に俺は——ニヤリ、と片口角を釣り上げた。
あぁ、全てが腑に落ちた。
「なんだ結局……俺はそちら側だったのか」
『あら……雄くんは可愛いものが好きなのね』
そもそも最初からそうだったんだ。
その姿を随分と長い間否定された続けた事で……俺は本質を見誤ったんだ。
「俺は、カワイイモノガスキ、なんだ」
ベッドから立ち上がり、隅に置かれたテディベアをスっと持ち上げた。
これを初めて手に入れた——あの日の高揚は忘れようもない。
カーテンの隙間からピカっと稲光のようなものが差し込む。
昼間はあんなにも穏やかだった空が、今は雷を伴う空模様へと変わったのだろう。
「なぁ、皐月。仮面を割った俺が——君を愛してもいいよな」
ひと際低い声でそう囁きながら、俺は彼のようなそのぬいぐるみを、力強く抱き締める。
出口を見つけた。
長い長いトンネルの先を。
——『解き放て、全てを。本当のお前を』
俺の背後で、もうひとりの俺がそう囁いた。
