すてたい王子とためたい王子

 1限の授業が終わり、2限が休講になった。
 暇つぶしに図書館に向かっていると、さゆりに声をかけられた。
 会いたくない人間に会ってしまった。
「大路くん、今時間ある?」
「あぁ……」
 なんとも頼りない返事だ。
「今度の日曜、一緒に映画に行かない?」
「映画?」
 俺は映画に詳しくない。それはさゆりも知っているはずだ。
 それなのに映画の誘い……。
 なぜ?
「ちょっと気になる映画が始まったの。それに、お試しというか……」
「お試し?」
「そう、デート。私にチャンスをくれてもいいでしょ?」
「あぁ。そうだな」
 確かに。
 付き合っている時は、何でも要望通りに二つ返事で引き受けていた。
 それが相手の期待に応えることであり、相手が喜ぶことだと思っていたから。
 言葉にできない違和感がある。
 この違和感の正体を突き詰めるべく、俺は動かなくてはならない。
「わかった。付き合うよ」
「嬉しい。そうしたら、待ち合わせ時間と場所をLIMEに送るね」
「わかった」
 さゆりは目を三日月のように細めて笑顔を作り、小走りで去っていった。

「見ちゃったー」
 藤野がニヤつきながら俺の背後から現れた。
 またこいつか。
 さゆりと藤野はなぜか同時期に現れる。
「あの子とデートするの?」
 ほくそ笑みを噛み殺すような声色だ。
 いい奴なのだが、時々、他人を面白がるところがある。
 こんな奴にさゆりのことは相談できない、ダメだ。
 ますます面白がられる。
「さあな」
 言葉を濁し、その場を立ち去ろうとしたら、藤野が口を開いた。
「待って。あの子のこと、夢斗は知ってるの?」
 藤野がさっきとは打って変わって真剣なまなざしになっている。
「夢斗? なんで夢斗が出てくる?」
「はぁ。倫くん、どこまでも他人に興味がないね」
 藤野があきれ顔で俺を見る。
「どういうことだ?」
「それは俺からは言えない。でも、そうか、夢斗は知らないのか」
 藤野の口から、意味深な言葉ばかりが次々と出てきた。
 藤野の口から突然飛び出した“夢斗”。
 一緒に生活してはいるが、個人的なことまで話す必要があるのか。
 他人の考えていることは分からないし、空気を読むのも苦手だ。
 大切なことは言葉にしてもらわないと、理解できない。
「倫くん、夢斗のこともうちょっと考えてあげて、ね」
 藤野は俺の肩を軽く叩くと、校舎に消えていった。

 図書館に入ると、本の匂いが鼻をくすぐった。
 本の香りと、理路整然と並んでいる本。
 ジャンルごとに収められている本は、探している者を迷うことなく導いてくれる。
 どこに何があるか、一目でわかる。
 見つからない場合は検索をかければどの棚に置かれているのか、すぐにわかる。
 探し物に時間をかける必要がない状態。
 これこそが理想とする空間だ。
 そして、俺は今、このリラックスした状態で、恋愛に関する哲学書を求めている。
 今までとは違った形でさゆりと向き合うために。
 
 恋愛系の哲学書を何冊か借りた。
 高校の時は小手先ばかりの恋愛ハウツー本を読んで、恋愛について学んだつもりでいたが、あれでは答えは得られなかった。
 今回は先人の知恵を借りるとしよう。
 プラトン、スタンダール、サルトル、エーリッヒ・フロム……。
 片っ端から読んでいくとしよう。
 何か得られるはずだ。
 
 自宅に戻ると夕食の準備に取り掛かった。
 今日はロールキャベツを作る。
 ロールキャベツのソースはコンソメやホワイトソースがあるが、今日はトマトソースだ。
 今の俺は酸味のあるものを求めている。
 キャベツを下ゆでして、ひき肉を包んでいく。
 最後はかんぴょうで巻く。
 恐ろしく面倒なこの作業は適度な集中力が必要になる。
 余計なことを考えさせる暇もないのでありがたい。
 次に、ロールキャベツを鍋に並べ、トマトソース缶を鍋にあけ、コンソメと水を加えて火にかける。弱火で30分ほど、じっくり煮込んだら出来上がりだ。
 スマホのタイマーで30分を設定しスタート。
 スマホをダイニングテーブルに置いて、時間が来るのを待つ。
 待っている間、鍋の様子を見ながら借りてきた恋愛哲学書を手に取り、読む。
 鍋の様子を見ながら別の作業をする。
 効率的な時間の使い方だ。
 分厚い哲学書を開き、目次から目を通していく。
 “愛”“恋”、久しく見ていない文字が目に飛び込んできた。
 さゆりは彼女と思って付き合っていたが、それは恋だの愛といえるものだったのか?
 哲学書に目を通しながら、根本的な疑問が出てきてしまった。
 さゆりから「付き合って」と言われたから、付き合った。
 デートはさゆりの提案するところに出かけた。
 恥ずかしながら、初めて一緒にベッドで過ごした夜もさゆりのリードで始まり終わった。
「終わってるな、俺」
 思わずため息をついた。

「ただいまー!」
 夢斗が帰ってきたようだ。
「おかえり」
「いい匂いだね。何作ってるの?」
「ロールキャベツ」
「結構手間かかるやつだよね?ロールキャベツから作ったの?」
「もちろん」
「倫くん、さすが!」
 夢斗はダイニングに俺のスマホが置いてあることを不思議に思ったらしい。
「あれ、倫くん、スマホ、ここにあるけどいいの?」
 夢斗がスマホを手に持ち画面を見せてくる。
「今、タイマーで計ってるから、そこに置いておいてくれ」
 その時、スマホからピコッとメッセージの着信音が鳴った。
「ん?メッセージ入ったみたいよ。さ……ゆ……り?」
 思わず、顔が赤くなる。
 別に夢斗に知れても問題ないのに、身体が反応してしまった。
 夢斗に駆け寄り、スマホを奪いとる。
「倫くんの彼女?」
 夢斗が首を傾け不思議そうな表情をしている。
「……いや……」
 こういう時、なんと言えばいいのだろうか?
 元カノ?
 知り合い?
 女友だち?
 知人?
 言葉に悩んでいると、夢斗は部屋に消えていった。
「ふーーーん。ぼく、着替えてくる」
 夢斗の背中に呼びかけた。
「そしたら夕食にしよう。準備する」
 良かった。
 さゆりのことを説明するのがなんとなく嫌だった。
 なんとなく……。
 藤野には別れの瞬間を目撃されたので軽く話した。
 夢斗にも同じことを話すだけなのに、さゆりの存在を知られたくなかった。
 なんとなく……。
 言葉にできないもどかしさを感じる。

「いただきまーーーす」
「いただきます」
 夢斗のテンションが高い。
 夢斗がトマトソースに煮込まれたロールキャベツにスプーンを入れ、口に運び咀嚼している様子を眺める。
 夢斗が親指を立て、目を大きく見開いた。
「うまいか?」
 夢斗が首を縦に大きく振る。
「よかった」
「倫くんが作るのはなんでもおいしいけどね」
「ありがとう」
「珍しい。倫くんがこういう時にお礼言うなんて」
 夢斗が呆気にとられた顔をする。
「自分で作ったものを褒められたらうれしいに決まってるだろ」
「そう?」
 夢斗はロールキャベツとバゲットを交互に口に入れていった。
 残ったトマトソースにバゲットを浸して、スープまでも完食した。
 夕食の間、俺はいつ夢斗からさゆりのことを聞かれるのかびくびくしていた。
 過剰に気にしていたのは俺だけだったらしい。
「ごちそうさまでした」
 夢斗と俺は皿に向かって手を合わせた。
 夢斗からさゆりの話は出ないまま、夕食の時間は終わった。

 部屋に戻り、さゆりからのメッセージを確認する。
『日曜10:30にS駅の南口に集合でいいかな?』
 日曜まであと3日ある。
 一日一冊の哲学書を読むとして、3冊は読めるだろう。
 それまでに言葉にできない感情を言葉にして、答えを出す。
 目標が決まった。
『わかった。日曜に会おう』
 スマホで返信した。
 まずはスタンダールからだ。

 「結晶作用」という言葉が登場した。
 恋をした相手に対して、現実以上の魅力や価値を自分の心が次々につけ加えていく働きのようだ。
 さゆりに対してそのように心が動いたことがあったか?
 即答できる。
 皆無だ。
 しかし、別れた後も「よりを戻したい」と言っているということは、さゆりは俺にその作用を働かせているようだ。
 読み進めるうちに、俺なりに恋愛の進み方を整理していた。
 「なんとなくいいな」と感じる好感。
 「ひょっとしたら相手も自分を好きかもしれない」という期待。
「“よく笑うヤツ”から“一緒にいると楽しい”」といった相手の美点に気づくこと。
「この関係は続くのだろうか?」という疑い。
 まさに恋愛の工程表ではないか。
 さゆりには親近感を持っていた。だが、それが恋愛としての好意だったのかと問われると、答えられない。
 告白されたから付き合った。
 二人が合意して付き合うことを恋愛と思っていたが、『恋愛論』を読み進めるうちにそれは違うことがわかった。
 恋愛の「れ」にも引っかからない。
 しかも、困ったことに、ここで別の人間の顔が浮かんできてしまった。
 夢斗……。
 彼と同居生活を送るうちに、いるのが当たり前になっている。
 そして、片付けを頑張る姿には少しずつだが、好感を持っている。
 夢斗が距離を詰めてきても、嫌だと思わない。
 むしろ、心地よささえ感じている。
 これも相手への好感、と考えていいのだろうか。
 夢斗の行動は突拍子もないことばかりで、ハラハラするが飽きない。
 俺は今後も夢斗との関係が続くものと思っているが、夢斗はどう思っているんだろうか。
 
 俺……夢斗に期待している……。
 この気持ちは恋愛なんだろうか?