現在住んでいるマンションは2LDK。
大学に合格し、この春から大学生活が始まった。
晴れて一人暮らしをするはずだったのだが……。
俺が大学に受かったことがさぞかし嬉しかったのだろう。
世間ではそれなりに評価の高い大学だ。
気を大きくした両親は、性格的に一人暮らしはさせられないと実家を出ることを許さなかった姉貴に若干のゆとりを与えたのだ。
「倫一郎と一緒に住むのなら家を出ることを許そう。倫一郎はしっかりしてるし、お姉ちゃんのことを見張っててくれるだろうから」
念願の一人暮らしはあっけなく夢に変わった。
そして、2LDKに住み始めて2か月近く経った現在。
広い部屋は姉貴の部屋、余ったもう一部屋を俺が使っている。
姉の部屋の方が1畳分広いのだ。
恨み言を言っても始まらない。
年上は敬っておくに越したことはない、と自分を慰める。
そういえば、今年中には就職先が決まっていないとまずいと思うが、姉貴の口から就職活動の話どころか、企業名を聞いたことがない。
大丈夫なのだろうか?
俺ごときが姉貴の心配をするのもおかしな話だが、姉貴が就職と共にこのマンションを出ていくと言いだしたら、この生活もあと1年弱……。
ふと、この生活の終わりが頭をよぎり、淋しさを感じる。
一人暮らしが出来ない時はガッカリしたが、今の生活も気に入っている。
姉弟ということもあり、お互い干渉しない生活を送っているが、気心知れた人間がそばにいるのは、顔を合わせなくとも安心感をもたらす。
姉貴と会話をしたのはいつだったか?
1週間前?いや、もっと前……。
カレンダーを見ながら、姉貴と交わした会話の内容を思い出す。
そうだ、ゴミを出すように言われた、あれは……。
3週間前だ。
もう3週間も彼女の姿を見ていない。
俺が学校に出ていく時間帯、姉貴はベッドで寝ているし、俺が眠りについた後、家に帰る。
玄関に脱ぎ散らかしてある姉貴の靴は見かけるが(それを俺が靴箱に入れている)、本人とはすれ違ってばかりだ。
スマホのメッセージアプリを立ち上げ、姉貴のアイコンをタップする。
ウサギの耳に紫のリボンをつけているイラストだ。
『生きてる?』
身内に生存確認。
どうかしている。
1分経ち、既読になる。
ドットが波打ってる。画面を見ながらしばし待つ。
『もちろん!生きてるよ!!今日は話したいことがあるから、家にいてね!』
いつもより長い文章だ。
姉貴のメッセージは大抵10文字以内だ。改行がある文章は珍しい。
そして、この珍しい現象が起きた時は、決まって悪いことが起きる。
『今言えないことなのか?』
心の準備が必要なので、探りを入れる。
『こういうのはきちんと顔を見て話した方がイイと思うから。今日、21時は起きてるよね?!』
はぐらかされた。
時計を見ると17時を回ったところだ。
あと4時間も何を言われるのか身構えていないといけないのか!
姉貴にこれ以上言っても無駄だ。
頑固な上に自分の世界を持って生きている人間なので、こういう時は従うのが一番いい。
『わかった。21時には絶対に帰ってこいよ!』
『サンキュ♡』
弟にハートマークなんて使うな!
まあ、誰にでも愛嬌を振りまくのが彼女の良さでもあるので、完全に否定はできないのだが。
ピッタリ21時、玄関のチャイムが鳴った。
玄関まで出迎えに出た俺に、大きな荷物を放り投げ姉貴が抱きついてきた。
「倫ちゃ―――ん、何日ぶり?」
「3週間くらい」
「そっかー。私たち、会えないねぇ。心配だった?それであのメッセージ?」
「まあ」
血縁関係のある人間だし、それなりに心配はするだろ。
「それにしても、その荷物は何?」
姉貴はこれまで、スポーツらしいスポーツはしたことがない。
それなのに、大きなスポーツバッグを抱えて自宅に戻った。
不自然さを感じた。
「あぁ、これ?後で話すね」
今回の姉貴の発表と何らかの関係がありそうだ。
ますます嫌な予感がしてきた。
姉貴はリビングのソファに足を組んで座り、スマホを眺めていた。
「で、話って?」
4時間待ったんだ。
単刀直入に言ってくれ。
俺の緊張感をよそに、姉貴はスマホを見ながら言った。
「あたし、出ていくわ」
出ていく?!
どういうことだ?
「ちょっとやってみたいことがあって、寮生活をすることになったの」
「はぁ?」
「倫ちゃんには話したことなかったもんね、私の進路のこと」
「それは就職が決まったってこと?」
「う―――ん、そうとも言えるのかな?」
なぜ曖昧なんだ?
「で、今月末には出ていくから、ヨロ」
「えっ?!今月末?」
「うん」
姉貴が口角を上げ、ニッコリとほほ笑んでいる。
悪魔の笑みだ。
「今月末ってあと1週間じゃないか?」
「あっ、そうかも?忙しくてそれどころじゃなかった、テヘ」
いちいち勘に障るが、それが姉貴だ。
彼女に悪気はない。
喜ぶ姉貴の姿を尻目に、俺は不安でいっぱいになった。
家賃、どうするよ。
俺の肩はがっくりと落ちた。
仕送りは毎月10万円。家賃14万円を姉貴と折半しているので、俺の負担は7万円だ。
しかし、姉貴が出ていったら、俺一人で14万円を負担することになる。
無理だ。
バイトをするにしても、小遣い程度しか稼げないだろう。
このマンションを出ていった姉貴が家賃を払い続けるとは考えにくいし……。
引っ越すか?
いや、ダメだ。
姉貴と一緒に暮らすことを前提に実家を出ることを許されている。
引っ越したばかりで、また引っ越しはありえないだろう。
頭を抱えて悩んでいるところに、姉貴のお気楽な声が聞こえ、さらにいら立った。
「パパとママには適当に言っておいてね。元気にやってる、くらいのことを言えば納得すると思うから、ヨロシク」
両親と姉貴と今の生活と、俺は一体どうすればいいんだ?!
八方ふさがりとはこういうことなのかもしれない。
姉貴のペースにのせられまくっている。
姉貴に相談しても、解決策は出てこないだろう。
残された道はただ一つ。
“今月末までに同居人を探す”
実家を出て初めてのミッションが与えられた。
……なんで俺がこんな目に遭わなくてはならないんだ……。
小さく恨み節を唱えた。
姉貴から突然の独立宣言を受けて、数日が経った。
5月が終わろうとしているある日、学食で生姜焼き定食を食べながら、同居人をどのように見つけるか考えていた。
そこに、友人の藤野達也がきつねうどんをのせたトレーを目の前の席に置いた。
「ここいい?」
「どうぞ。俺も藤野に相談したいことがあった」
「えっ?!なに?なに??」
藤野とは4月に知り合ったので、まだ1か月くらいの付き合いだが、同じ学科で取っている講義が重なることもあり、次第に仲良くなった人間だ。
藤野は入学当初、友人を作るべく、数週間頑張ったものの、内部進学者の輪に入り込むのは難しいと悟ったらしい。
「実は……」
俺は姉貴から突然の独立宣言を受けた経緯を、かいつまんで話した。
藤野は「ほう」とか「なるほど」とか、時々合いの手を入れ、興味深そうに話を聞いてくれた。
「で、倫くんは家賃を払ってくれる同居人を探す必要があるわけだ」
「つたない説明を理解してくれて助かる」
「全然つたなくないよ。倫くん、合理的に話してたよ」
「だったらよかった。藤野の知り合いで家を探している奴なんていないよな?」
俺は生姜焼きを一口かじった。
藤野は少し考え込んで、「いないわけではないんだけど……」と歯切れ悪く話し始めた。
「誰でもいいから紹介してくれ!」
このチャンスを逃したら、次はいつくるのかわからない。
目の前にある生姜焼きには目もくれず、同居人候補について話すように促した。
「ちょっと待ってて」
藤野はスマホを取り出し、誰かに電話をかけた。
藤野と電話の主の会話が始まる。
「もしもし、今どこにいるの?」
「うん、うん。そしたら、もうすぐ校舎に着く感じ?」
「今学食にいるから、立ち寄ってもらっていい?」
藤野は電話を切ると、「もうすぐ候補者が到着するから、その間に俺らは食べよう」と箸を持った。
生姜焼きときつねうどんから湯気は消えていた。
藤野と俺はチラチラ学食の入り口に目を向けながら、候補者を待った。
どんな人間なのか、藤野に聞いても曖昧なことしか教えてくれない。
煮え切らない奴だ。
すると、藤野が学食の入り口でキョロキョロしている奴に向かって、手招きをした。
「こっち、こっち」
なんだか……、とても……。
髪は寝起きの状態なのか、ところどころ跳ねている。
ヨレヨレのTシャツにジーンズ、リュックを背負っている。
何が入っているのかわからないが、パンパンでとても重そうだ。
「達ちゃん、何―?急に呼び出して」
ニコニコしながら俺たちの前に立った。
まさか、こいつが同居人候補……なのか……。
想像していたのと違う……。
藤野の知り合いであれば、それなりの人間性をもった人物かと期待していたが、想定外の人間が来てしまった。
俺は藤野の肘をつついたが、藤野は気づく様子を見せない。
それどころか、勝手に互いの紹介を始めた。
「倫くん、こっちは田山夢斗。で、夢斗、この方が大路倫一郎くん。」
「おい、藤野、何なんだ?」
「まあ、待ってよ。倫くん。僕が今から需要と供給の話をするからさ」
需要と供給……。
嫌な予感がする。
「夢斗、まあ座りなよ」
「うん」
田山夢斗は俺の隣に座った。とてもニコニコした表情で。
「倫くんは優しい人って思っていいよね?」
藤野が俺と夢斗を前に話を切り出した。
あえてイメージと真逆のことを言って、好感度を得ようとするあたり、ますます嫌な予感がする。
「俺は優しくないが」
「そんなこと言わないでよ」
夢斗は俺と藤野のやり取りを楽しむように見ている。
「で、早速本題なんだけど、同居人の候補者に夢斗はどうかなって」
ジーザス!!!
やはりか!!!
隣に座っている奴は俺が一番避けたいタイプの人間だ。
まず、身だしなみから信用できない。
四六時中ニコニコしているのも薄気味悪い。
何より、そのパンパンのリュックには何が入っている?!
ツッコミどころ満載のこの男と一緒に住むなど考えられない。
藤野の説明によると、田山夢斗はとある理由でおんぼろアパートを出ていくことになり、現在部屋を探しているところだという。
理由については教えてくれなかった。
そこで、俺の家の空いた一部屋に夢斗を住ませたらいいのではないか、と藤野は提案したのだ。
俺にも選ぶ権利はある。
断る理由を探そう。
「その理由は借金取りに追われている、とかそういうやつ?」
「違う、違う」
夢斗は必死に両手を顔の前で左右に振った。
「追い出される理由って、金か女か、そのくらいしか理由は思い当たらないのだが……」
「両方とも違うから安心して」
横目で藤野の様子をうかがう。
「ね、倫くん。ちょうどいい人いたでしょ?」
藤野が無理やり笑顔を作っているせいか、若干引きつり気味なのが気になる。
何かある。
「倫くん、選べる立場じゃないのは分かってるよね?」
迷っている俺に藤野の追い打ちが入る。
「今月末まであと5日。5日以内に見つけないといけないんだよね?」
うっ。
そうだった。悠長にしていられない理由があった。
そこに夢斗の必死の訴えが入り、俺の良心をとがめる。
「家賃は絶対払いますから!!」
最後に痛いところを突かれた。
家賃の支払いに困っているのも事実なのだ。
俺は藤野と夢斗のペースにまんまとのせられてしまった。
「理由が気になるが……。家賃はしっかり払ってくれるんだろうな?」
「もちろん、バイトもしてるし!!」
「ね、倫くん、多くを求めちゃだめだよ。今は家賃払ってくれる人を優先して、ね?」
グサッ。
痛いところを藤野はズバズバ突いてくる。
「はぁー。そうだな、今優先すべきは家賃だな」
「やったー」
藤野と夢斗が手を取り合ってなぜか大喜びをしている。
まだ正式に合意したわけではないのだが……。
「ありがとうございます!!」
夢斗も涙目で感謝してきた。
「夢斗、よかったな」
「うん。達ちゃん、ありがとう!!」
夢斗、達ちゃん……。
この二人、一体どういう関係なんだ?
俺の狭い交友関係で友達と呼べるのは藤野だけだった。
しかし、藤野の素性はよくわかっていない。
藤野と夢斗の関係性もわからないまま、無理やり夢斗と共同生活することが決まってしまった。
わずか五分足らずの出来事だった。
俺は嫌な予感がしていた。
十九年間生きてきて得た教訓がある。
とんとん拍子に話が進んだ時ほど、後々面倒なことに巻き込まれる。
姉貴が出ていくと決まった時もそうだった。
まるで仕組まれたかのように、俺の都合を考えることもなく、決まってしまった。
それに藤野のあの尋常じゃないほどの喜び方。
ますます嫌な予感がする。
藤野と夢斗の喜ぶ姿を見て、後悔したが、もう後戻りはできなかった。
意識が遠のく。
遠くで藤野の声が何か言っているのが聞こえる。
「倫くんの苗字は“大路”、夢斗の名前はナイト。なんとなく王子っぽいね。王子が二人一緒に住むなんて最高じゃん!」
大学に合格し、この春から大学生活が始まった。
晴れて一人暮らしをするはずだったのだが……。
俺が大学に受かったことがさぞかし嬉しかったのだろう。
世間ではそれなりに評価の高い大学だ。
気を大きくした両親は、性格的に一人暮らしはさせられないと実家を出ることを許さなかった姉貴に若干のゆとりを与えたのだ。
「倫一郎と一緒に住むのなら家を出ることを許そう。倫一郎はしっかりしてるし、お姉ちゃんのことを見張っててくれるだろうから」
念願の一人暮らしはあっけなく夢に変わった。
そして、2LDKに住み始めて2か月近く経った現在。
広い部屋は姉貴の部屋、余ったもう一部屋を俺が使っている。
姉の部屋の方が1畳分広いのだ。
恨み言を言っても始まらない。
年上は敬っておくに越したことはない、と自分を慰める。
そういえば、今年中には就職先が決まっていないとまずいと思うが、姉貴の口から就職活動の話どころか、企業名を聞いたことがない。
大丈夫なのだろうか?
俺ごときが姉貴の心配をするのもおかしな話だが、姉貴が就職と共にこのマンションを出ていくと言いだしたら、この生活もあと1年弱……。
ふと、この生活の終わりが頭をよぎり、淋しさを感じる。
一人暮らしが出来ない時はガッカリしたが、今の生活も気に入っている。
姉弟ということもあり、お互い干渉しない生活を送っているが、気心知れた人間がそばにいるのは、顔を合わせなくとも安心感をもたらす。
姉貴と会話をしたのはいつだったか?
1週間前?いや、もっと前……。
カレンダーを見ながら、姉貴と交わした会話の内容を思い出す。
そうだ、ゴミを出すように言われた、あれは……。
3週間前だ。
もう3週間も彼女の姿を見ていない。
俺が学校に出ていく時間帯、姉貴はベッドで寝ているし、俺が眠りについた後、家に帰る。
玄関に脱ぎ散らかしてある姉貴の靴は見かけるが(それを俺が靴箱に入れている)、本人とはすれ違ってばかりだ。
スマホのメッセージアプリを立ち上げ、姉貴のアイコンをタップする。
ウサギの耳に紫のリボンをつけているイラストだ。
『生きてる?』
身内に生存確認。
どうかしている。
1分経ち、既読になる。
ドットが波打ってる。画面を見ながらしばし待つ。
『もちろん!生きてるよ!!今日は話したいことがあるから、家にいてね!』
いつもより長い文章だ。
姉貴のメッセージは大抵10文字以内だ。改行がある文章は珍しい。
そして、この珍しい現象が起きた時は、決まって悪いことが起きる。
『今言えないことなのか?』
心の準備が必要なので、探りを入れる。
『こういうのはきちんと顔を見て話した方がイイと思うから。今日、21時は起きてるよね?!』
はぐらかされた。
時計を見ると17時を回ったところだ。
あと4時間も何を言われるのか身構えていないといけないのか!
姉貴にこれ以上言っても無駄だ。
頑固な上に自分の世界を持って生きている人間なので、こういう時は従うのが一番いい。
『わかった。21時には絶対に帰ってこいよ!』
『サンキュ♡』
弟にハートマークなんて使うな!
まあ、誰にでも愛嬌を振りまくのが彼女の良さでもあるので、完全に否定はできないのだが。
ピッタリ21時、玄関のチャイムが鳴った。
玄関まで出迎えに出た俺に、大きな荷物を放り投げ姉貴が抱きついてきた。
「倫ちゃ―――ん、何日ぶり?」
「3週間くらい」
「そっかー。私たち、会えないねぇ。心配だった?それであのメッセージ?」
「まあ」
血縁関係のある人間だし、それなりに心配はするだろ。
「それにしても、その荷物は何?」
姉貴はこれまで、スポーツらしいスポーツはしたことがない。
それなのに、大きなスポーツバッグを抱えて自宅に戻った。
不自然さを感じた。
「あぁ、これ?後で話すね」
今回の姉貴の発表と何らかの関係がありそうだ。
ますます嫌な予感がしてきた。
姉貴はリビングのソファに足を組んで座り、スマホを眺めていた。
「で、話って?」
4時間待ったんだ。
単刀直入に言ってくれ。
俺の緊張感をよそに、姉貴はスマホを見ながら言った。
「あたし、出ていくわ」
出ていく?!
どういうことだ?
「ちょっとやってみたいことがあって、寮生活をすることになったの」
「はぁ?」
「倫ちゃんには話したことなかったもんね、私の進路のこと」
「それは就職が決まったってこと?」
「う―――ん、そうとも言えるのかな?」
なぜ曖昧なんだ?
「で、今月末には出ていくから、ヨロ」
「えっ?!今月末?」
「うん」
姉貴が口角を上げ、ニッコリとほほ笑んでいる。
悪魔の笑みだ。
「今月末ってあと1週間じゃないか?」
「あっ、そうかも?忙しくてそれどころじゃなかった、テヘ」
いちいち勘に障るが、それが姉貴だ。
彼女に悪気はない。
喜ぶ姉貴の姿を尻目に、俺は不安でいっぱいになった。
家賃、どうするよ。
俺の肩はがっくりと落ちた。
仕送りは毎月10万円。家賃14万円を姉貴と折半しているので、俺の負担は7万円だ。
しかし、姉貴が出ていったら、俺一人で14万円を負担することになる。
無理だ。
バイトをするにしても、小遣い程度しか稼げないだろう。
このマンションを出ていった姉貴が家賃を払い続けるとは考えにくいし……。
引っ越すか?
いや、ダメだ。
姉貴と一緒に暮らすことを前提に実家を出ることを許されている。
引っ越したばかりで、また引っ越しはありえないだろう。
頭を抱えて悩んでいるところに、姉貴のお気楽な声が聞こえ、さらにいら立った。
「パパとママには適当に言っておいてね。元気にやってる、くらいのことを言えば納得すると思うから、ヨロシク」
両親と姉貴と今の生活と、俺は一体どうすればいいんだ?!
八方ふさがりとはこういうことなのかもしれない。
姉貴のペースにのせられまくっている。
姉貴に相談しても、解決策は出てこないだろう。
残された道はただ一つ。
“今月末までに同居人を探す”
実家を出て初めてのミッションが与えられた。
……なんで俺がこんな目に遭わなくてはならないんだ……。
小さく恨み節を唱えた。
姉貴から突然の独立宣言を受けて、数日が経った。
5月が終わろうとしているある日、学食で生姜焼き定食を食べながら、同居人をどのように見つけるか考えていた。
そこに、友人の藤野達也がきつねうどんをのせたトレーを目の前の席に置いた。
「ここいい?」
「どうぞ。俺も藤野に相談したいことがあった」
「えっ?!なに?なに??」
藤野とは4月に知り合ったので、まだ1か月くらいの付き合いだが、同じ学科で取っている講義が重なることもあり、次第に仲良くなった人間だ。
藤野は入学当初、友人を作るべく、数週間頑張ったものの、内部進学者の輪に入り込むのは難しいと悟ったらしい。
「実は……」
俺は姉貴から突然の独立宣言を受けた経緯を、かいつまんで話した。
藤野は「ほう」とか「なるほど」とか、時々合いの手を入れ、興味深そうに話を聞いてくれた。
「で、倫くんは家賃を払ってくれる同居人を探す必要があるわけだ」
「つたない説明を理解してくれて助かる」
「全然つたなくないよ。倫くん、合理的に話してたよ」
「だったらよかった。藤野の知り合いで家を探している奴なんていないよな?」
俺は生姜焼きを一口かじった。
藤野は少し考え込んで、「いないわけではないんだけど……」と歯切れ悪く話し始めた。
「誰でもいいから紹介してくれ!」
このチャンスを逃したら、次はいつくるのかわからない。
目の前にある生姜焼きには目もくれず、同居人候補について話すように促した。
「ちょっと待ってて」
藤野はスマホを取り出し、誰かに電話をかけた。
藤野と電話の主の会話が始まる。
「もしもし、今どこにいるの?」
「うん、うん。そしたら、もうすぐ校舎に着く感じ?」
「今学食にいるから、立ち寄ってもらっていい?」
藤野は電話を切ると、「もうすぐ候補者が到着するから、その間に俺らは食べよう」と箸を持った。
生姜焼きときつねうどんから湯気は消えていた。
藤野と俺はチラチラ学食の入り口に目を向けながら、候補者を待った。
どんな人間なのか、藤野に聞いても曖昧なことしか教えてくれない。
煮え切らない奴だ。
すると、藤野が学食の入り口でキョロキョロしている奴に向かって、手招きをした。
「こっち、こっち」
なんだか……、とても……。
髪は寝起きの状態なのか、ところどころ跳ねている。
ヨレヨレのTシャツにジーンズ、リュックを背負っている。
何が入っているのかわからないが、パンパンでとても重そうだ。
「達ちゃん、何―?急に呼び出して」
ニコニコしながら俺たちの前に立った。
まさか、こいつが同居人候補……なのか……。
想像していたのと違う……。
藤野の知り合いであれば、それなりの人間性をもった人物かと期待していたが、想定外の人間が来てしまった。
俺は藤野の肘をつついたが、藤野は気づく様子を見せない。
それどころか、勝手に互いの紹介を始めた。
「倫くん、こっちは田山夢斗。で、夢斗、この方が大路倫一郎くん。」
「おい、藤野、何なんだ?」
「まあ、待ってよ。倫くん。僕が今から需要と供給の話をするからさ」
需要と供給……。
嫌な予感がする。
「夢斗、まあ座りなよ」
「うん」
田山夢斗は俺の隣に座った。とてもニコニコした表情で。
「倫くんは優しい人って思っていいよね?」
藤野が俺と夢斗を前に話を切り出した。
あえてイメージと真逆のことを言って、好感度を得ようとするあたり、ますます嫌な予感がする。
「俺は優しくないが」
「そんなこと言わないでよ」
夢斗は俺と藤野のやり取りを楽しむように見ている。
「で、早速本題なんだけど、同居人の候補者に夢斗はどうかなって」
ジーザス!!!
やはりか!!!
隣に座っている奴は俺が一番避けたいタイプの人間だ。
まず、身だしなみから信用できない。
四六時中ニコニコしているのも薄気味悪い。
何より、そのパンパンのリュックには何が入っている?!
ツッコミどころ満載のこの男と一緒に住むなど考えられない。
藤野の説明によると、田山夢斗はとある理由でおんぼろアパートを出ていくことになり、現在部屋を探しているところだという。
理由については教えてくれなかった。
そこで、俺の家の空いた一部屋に夢斗を住ませたらいいのではないか、と藤野は提案したのだ。
俺にも選ぶ権利はある。
断る理由を探そう。
「その理由は借金取りに追われている、とかそういうやつ?」
「違う、違う」
夢斗は必死に両手を顔の前で左右に振った。
「追い出される理由って、金か女か、そのくらいしか理由は思い当たらないのだが……」
「両方とも違うから安心して」
横目で藤野の様子をうかがう。
「ね、倫くん。ちょうどいい人いたでしょ?」
藤野が無理やり笑顔を作っているせいか、若干引きつり気味なのが気になる。
何かある。
「倫くん、選べる立場じゃないのは分かってるよね?」
迷っている俺に藤野の追い打ちが入る。
「今月末まであと5日。5日以内に見つけないといけないんだよね?」
うっ。
そうだった。悠長にしていられない理由があった。
そこに夢斗の必死の訴えが入り、俺の良心をとがめる。
「家賃は絶対払いますから!!」
最後に痛いところを突かれた。
家賃の支払いに困っているのも事実なのだ。
俺は藤野と夢斗のペースにまんまとのせられてしまった。
「理由が気になるが……。家賃はしっかり払ってくれるんだろうな?」
「もちろん、バイトもしてるし!!」
「ね、倫くん、多くを求めちゃだめだよ。今は家賃払ってくれる人を優先して、ね?」
グサッ。
痛いところを藤野はズバズバ突いてくる。
「はぁー。そうだな、今優先すべきは家賃だな」
「やったー」
藤野と夢斗が手を取り合ってなぜか大喜びをしている。
まだ正式に合意したわけではないのだが……。
「ありがとうございます!!」
夢斗も涙目で感謝してきた。
「夢斗、よかったな」
「うん。達ちゃん、ありがとう!!」
夢斗、達ちゃん……。
この二人、一体どういう関係なんだ?
俺の狭い交友関係で友達と呼べるのは藤野だけだった。
しかし、藤野の素性はよくわかっていない。
藤野と夢斗の関係性もわからないまま、無理やり夢斗と共同生活することが決まってしまった。
わずか五分足らずの出来事だった。
俺は嫌な予感がしていた。
十九年間生きてきて得た教訓がある。
とんとん拍子に話が進んだ時ほど、後々面倒なことに巻き込まれる。
姉貴が出ていくと決まった時もそうだった。
まるで仕組まれたかのように、俺の都合を考えることもなく、決まってしまった。
それに藤野のあの尋常じゃないほどの喜び方。
ますます嫌な予感がする。
藤野と夢斗の喜ぶ姿を見て、後悔したが、もう後戻りはできなかった。
意識が遠のく。
遠くで藤野の声が何か言っているのが聞こえる。
「倫くんの苗字は“大路”、夢斗の名前はナイト。なんとなく王子っぽいね。王子が二人一緒に住むなんて最高じゃん!」

