9.告白の余波
無心で歩き続け、自分が作ったコーヒーのシミに辿り着く。
無意識に手繰り寄せられるアリみたいだ、と、ぼんやりと思った。
「あ、あいつ、なんだったんすか?」
寄ってきた秀一に気がついて、陽斗が顔をあげる。
「えっと......」
流石に『アレ』が、ただ『俺を見ていてくれ』と言う意味でないことくらい、秀一にだってわかる。
『見ていてくれ』の前段に、『俺はこけやすいんだ』とか、『俺には夢がある』とかがあるならそう言う考えもできなくもないが、今回の前段は、『秀一を取られたくない』である。
正確に言うならば、十吾が言ったのは、『俺を見ていてくれ』ではない。
『俺のことだけを見てよ』である。
秀一の考えていることは、ただの自惚ではない可能性が高かった。
「あー、うん......」
結局、秀一には曖昧な返事をすることしかできなかった。
人生初、とまではいかないが、随分と久しぶりに人に好意を寄せられてどうしていいのかわからなかったし、彼が、生物学上は同性と分類される秀一に好意を寄せているとして、それを秀一が勝手に誰かに伝えてしまうことは、いわゆる『アウティング』になってしまう気もした。
秀一が答えに悩んだとして、そんなことのために十吾を傷つけるのは、論外だ。
「まぁ、なんか、いろいろと、話して......」
「あー」
陽斗が、状況を察したような笑みを浮かべて立ち上がった。
ふーん、だの、ほーんだのと言いながら楽しげに秀一の顔を覗き込む。
あまり突っ込まれたくない秀一は、『なんだよ』とぶっきらぼうに返事をしたけれど、その音は存外に弱々しく響いた。
「なんて言われたんですか?『好きです』とか?いや......あいつはそんな直球じゃないか......『一緒にいてほしい』とか?」
惜しい。
あながち的外れでもないそれに、秀一は手を握り込んだ。
「あー、やっぱり」
その所作から全てを察した陽斗は、満足げな顔でまた、コンクリートベンチに腰をかけた。
「......驚かないのかよ」
「いやぁ、別に?最近の十吾見てて、そうかもなと思ってたし」
「......そ、そうなの?」
だとしたら、これは、いわゆるアウティングには当たらないのではないか。
秀一は少しだけほっとして、それでも心理的な距離を崩さないように、陽斗が腰掛けるコンクリートブロックの、できるだけ端に腰掛けた。
「で、何て答えたんですか?秀一さんは」
「なんて、って、」
「嫌だった?」
「嫌......ではないけど」
秀一は、じっと手元を見た。
嫌ではない。
むしろ、ドキドキした。
けれどこれは、恋愛としてのドキドキなのだろうか。
誰かに好意を向けられて嬉しいというドキドキなのかもしれないし、少女漫画を読んでいるような、そのシチュエーションに対するドキドキなのかもしれない。
(最も、秀一は少女漫画を読んだことはないのだけれどーー)
十吾は真剣に思いを伝えてくれたのに、中途半端な気持ちで返事をするのも違う気がして答えを出せないと言うのが、本心だった。
いや、というかアレは、告白なのだろうか。
実際は、秀一を兄のように慕ってくれていて、陽斗が第二の弟になるのを阻止しようとしていると言う可能性もある。
いや、むしろ恋愛に発展するフラグはなかったはずで、こちらの論の方が強いのでは......
「それはない」
陽斗がバッサリと、秀一の思考を切った。
「うぇっ、今、声でてた?」
「出てないけど、今変に納得した顔してた。『アレは告白じゃなかったんじゃないか』って結論出そうとしたでしょ」
陽斗が、じっとりとした眼差しを向けた。
なんだか後ろめたく感じて、身体中から冷や汗が出る。
「俺も直接聞いたわけじゃないから、確かなことは言えないし、秀一さんがどう受け取るかは自由ですけど」
「......うん」
「あいつは中途半端な覚悟で、秀一さんを悩ませるようなこと、言ったりしないです。それだけは確か」
陽斗は、じっと秀一を見つめていた。
改めて、彼は茶髪がよく似合うと思う。
彼の目は十吾に比べて少し、ほんの少しだけ、瞳が茶色い。
その、よく手入れされたアンティーク家具の革地のような目に見つめられると、逃げてしまおうとした心の奥まで見透かされてしまう気がして、秀一は思わず目を伏せた。
「そう......だよね、失礼だった」
静かにそういうと、陽斗は少しだけ、秀一に身を寄せた。
「さっき、嫌じゃなかったって言ったけど、じゃあなんで困ってるんですか?」
「なんでって......」
まず秀一には、大した取り柄がない。
顔が殊更いいわけでも、身長が殊更高いわけでもない。
十吾のようなまっすぐさも、陽斗のような明るさもないし、授業をサボっても成績がいい高岡のように要領がいいわけでもない。
元々頭がいいわけでもないから、医学部に入るのにもかなりの量の勉強を必要とした。
強いて言えば、人より少し、真面目なくらいだろうか。
それにモテてきたわけでもないし、恋愛というものにも明るくない。
今のドキドキが恋愛によるドキドキなのか、その判断にさえ迷っているくらいだ。
付き合ったとして、何をするかも想像がつかないし、結局勉強で手一杯な自分では、恋愛に時間は割けないのではないかとも思う。
それは不誠実なことにも思えた。
秀一はその全てを、ぽつりぽつりと、時間をかけて陽斗に説明した。
陽斗は、それを静かに聞いていた。
「男だから、とかじゃないんだ」
「......あぁ、そっか、別にそれは気にしてなかった」
「ふぅん......」
陽斗は、急に距離を詰め、秀一の頬に手を伸ばした。
「じゃあ、俺だったら?」
「......え?」
「俺に告白されたら、どうします?」
「......どうしますって......」
ぎゅるり、と喉の奥が音を立てる。
これは、本気なのだろうか。
秀一を覗き込むその焦茶の目を覗き込んで、一生懸命彼の真意を探ろうとするけれど、うまく読み取れない。
元来秀一は、人の感情に聡い方ではなかった。
「なんてね、俺じゃ違うなって、思ったでしょ。それが、答えなんじゃないですか?」
陽斗は、一度置いたコーヒーに手を伸ばした。
コーヒーは長い間外気に晒されて、随分と汗をかいている。
秀一は、その様子を呆然と見ていた。
ぱっちりと合っていた目を離すほんの一瞬、陽斗の目がなんとも言えない哀愁を帯びていたような気がした。
したけれどーー
その正体はわからないまま、夏の陽炎になって消えた。
「それに、秀一さんはめちゃめちゃ魅力的ですよ!」
「......え、そう?」
「うん。誰にでも優しいし、素直だし!俺もそういう人になりたいなーって、思う」
陽斗は、明るく笑って見せた。
そう素直に褒められると、なんだか嬉しい。
軽口のように紡がれた言葉だったけれど、その方が、秀一の心にすっと染み込んでくる。
サラリと落ちていく、砂時計の砂みたいだった。
「......なんか、ありがと」
ちょっと照れていると、『あ、照れた?』と揶揄いながら、陽斗がすっとコーヒーを差し出した。
「飲みます?」
「あ、うん」
そういえば、随分と喉が渇いている。
炎天下に長いこといたのに、話しっぱなしで水分をとっていない。
地面を濡らした秀一のコーヒーは、ほとんど乾いていた。
陽斗の飲んでいたブラックコーヒーをじゅうと飲んで、ようやく息をつく。
考え事をすると、水分補給という基本的なことさえ忘れてしまうようだった。
「あ、」
「え?」
「関節キスだ」
思わず咳き込んだのを、許してほしい。
その拍子にコーヒーが気管に入って苦しそうにする秀一を見て、陽斗がケラケラと笑っている。
「ねぇ、変な言い方しないでよ」
「だって事実じゃん」
そんなに大したことじゃないはずなのに、陽斗はまだ笑っていた。
勘弁してくれ、と思う。
けれど、悪い気もしなかった。
無心で歩き続け、自分が作ったコーヒーのシミに辿り着く。
無意識に手繰り寄せられるアリみたいだ、と、ぼんやりと思った。
「あ、あいつ、なんだったんすか?」
寄ってきた秀一に気がついて、陽斗が顔をあげる。
「えっと......」
流石に『アレ』が、ただ『俺を見ていてくれ』と言う意味でないことくらい、秀一にだってわかる。
『見ていてくれ』の前段に、『俺はこけやすいんだ』とか、『俺には夢がある』とかがあるならそう言う考えもできなくもないが、今回の前段は、『秀一を取られたくない』である。
正確に言うならば、十吾が言ったのは、『俺を見ていてくれ』ではない。
『俺のことだけを見てよ』である。
秀一の考えていることは、ただの自惚ではない可能性が高かった。
「あー、うん......」
結局、秀一には曖昧な返事をすることしかできなかった。
人生初、とまではいかないが、随分と久しぶりに人に好意を寄せられてどうしていいのかわからなかったし、彼が、生物学上は同性と分類される秀一に好意を寄せているとして、それを秀一が勝手に誰かに伝えてしまうことは、いわゆる『アウティング』になってしまう気もした。
秀一が答えに悩んだとして、そんなことのために十吾を傷つけるのは、論外だ。
「まぁ、なんか、いろいろと、話して......」
「あー」
陽斗が、状況を察したような笑みを浮かべて立ち上がった。
ふーん、だの、ほーんだのと言いながら楽しげに秀一の顔を覗き込む。
あまり突っ込まれたくない秀一は、『なんだよ』とぶっきらぼうに返事をしたけれど、その音は存外に弱々しく響いた。
「なんて言われたんですか?『好きです』とか?いや......あいつはそんな直球じゃないか......『一緒にいてほしい』とか?」
惜しい。
あながち的外れでもないそれに、秀一は手を握り込んだ。
「あー、やっぱり」
その所作から全てを察した陽斗は、満足げな顔でまた、コンクリートベンチに腰をかけた。
「......驚かないのかよ」
「いやぁ、別に?最近の十吾見てて、そうかもなと思ってたし」
「......そ、そうなの?」
だとしたら、これは、いわゆるアウティングには当たらないのではないか。
秀一は少しだけほっとして、それでも心理的な距離を崩さないように、陽斗が腰掛けるコンクリートブロックの、できるだけ端に腰掛けた。
「で、何て答えたんですか?秀一さんは」
「なんて、って、」
「嫌だった?」
「嫌......ではないけど」
秀一は、じっと手元を見た。
嫌ではない。
むしろ、ドキドキした。
けれどこれは、恋愛としてのドキドキなのだろうか。
誰かに好意を向けられて嬉しいというドキドキなのかもしれないし、少女漫画を読んでいるような、そのシチュエーションに対するドキドキなのかもしれない。
(最も、秀一は少女漫画を読んだことはないのだけれどーー)
十吾は真剣に思いを伝えてくれたのに、中途半端な気持ちで返事をするのも違う気がして答えを出せないと言うのが、本心だった。
いや、というかアレは、告白なのだろうか。
実際は、秀一を兄のように慕ってくれていて、陽斗が第二の弟になるのを阻止しようとしていると言う可能性もある。
いや、むしろ恋愛に発展するフラグはなかったはずで、こちらの論の方が強いのでは......
「それはない」
陽斗がバッサリと、秀一の思考を切った。
「うぇっ、今、声でてた?」
「出てないけど、今変に納得した顔してた。『アレは告白じゃなかったんじゃないか』って結論出そうとしたでしょ」
陽斗が、じっとりとした眼差しを向けた。
なんだか後ろめたく感じて、身体中から冷や汗が出る。
「俺も直接聞いたわけじゃないから、確かなことは言えないし、秀一さんがどう受け取るかは自由ですけど」
「......うん」
「あいつは中途半端な覚悟で、秀一さんを悩ませるようなこと、言ったりしないです。それだけは確か」
陽斗は、じっと秀一を見つめていた。
改めて、彼は茶髪がよく似合うと思う。
彼の目は十吾に比べて少し、ほんの少しだけ、瞳が茶色い。
その、よく手入れされたアンティーク家具の革地のような目に見つめられると、逃げてしまおうとした心の奥まで見透かされてしまう気がして、秀一は思わず目を伏せた。
「そう......だよね、失礼だった」
静かにそういうと、陽斗は少しだけ、秀一に身を寄せた。
「さっき、嫌じゃなかったって言ったけど、じゃあなんで困ってるんですか?」
「なんでって......」
まず秀一には、大した取り柄がない。
顔が殊更いいわけでも、身長が殊更高いわけでもない。
十吾のようなまっすぐさも、陽斗のような明るさもないし、授業をサボっても成績がいい高岡のように要領がいいわけでもない。
元々頭がいいわけでもないから、医学部に入るのにもかなりの量の勉強を必要とした。
強いて言えば、人より少し、真面目なくらいだろうか。
それにモテてきたわけでもないし、恋愛というものにも明るくない。
今のドキドキが恋愛によるドキドキなのか、その判断にさえ迷っているくらいだ。
付き合ったとして、何をするかも想像がつかないし、結局勉強で手一杯な自分では、恋愛に時間は割けないのではないかとも思う。
それは不誠実なことにも思えた。
秀一はその全てを、ぽつりぽつりと、時間をかけて陽斗に説明した。
陽斗は、それを静かに聞いていた。
「男だから、とかじゃないんだ」
「......あぁ、そっか、別にそれは気にしてなかった」
「ふぅん......」
陽斗は、急に距離を詰め、秀一の頬に手を伸ばした。
「じゃあ、俺だったら?」
「......え?」
「俺に告白されたら、どうします?」
「......どうしますって......」
ぎゅるり、と喉の奥が音を立てる。
これは、本気なのだろうか。
秀一を覗き込むその焦茶の目を覗き込んで、一生懸命彼の真意を探ろうとするけれど、うまく読み取れない。
元来秀一は、人の感情に聡い方ではなかった。
「なんてね、俺じゃ違うなって、思ったでしょ。それが、答えなんじゃないですか?」
陽斗は、一度置いたコーヒーに手を伸ばした。
コーヒーは長い間外気に晒されて、随分と汗をかいている。
秀一は、その様子を呆然と見ていた。
ぱっちりと合っていた目を離すほんの一瞬、陽斗の目がなんとも言えない哀愁を帯びていたような気がした。
したけれどーー
その正体はわからないまま、夏の陽炎になって消えた。
「それに、秀一さんはめちゃめちゃ魅力的ですよ!」
「......え、そう?」
「うん。誰にでも優しいし、素直だし!俺もそういう人になりたいなーって、思う」
陽斗は、明るく笑って見せた。
そう素直に褒められると、なんだか嬉しい。
軽口のように紡がれた言葉だったけれど、その方が、秀一の心にすっと染み込んでくる。
サラリと落ちていく、砂時計の砂みたいだった。
「......なんか、ありがと」
ちょっと照れていると、『あ、照れた?』と揶揄いながら、陽斗がすっとコーヒーを差し出した。
「飲みます?」
「あ、うん」
そういえば、随分と喉が渇いている。
炎天下に長いこといたのに、話しっぱなしで水分をとっていない。
地面を濡らした秀一のコーヒーは、ほとんど乾いていた。
陽斗の飲んでいたブラックコーヒーをじゅうと飲んで、ようやく息をつく。
考え事をすると、水分補給という基本的なことさえ忘れてしまうようだった。
「あ、」
「え?」
「関節キスだ」
思わず咳き込んだのを、許してほしい。
その拍子にコーヒーが気管に入って苦しそうにする秀一を見て、陽斗がケラケラと笑っている。
「ねぇ、変な言い方しないでよ」
「だって事実じゃん」
そんなに大したことじゃないはずなのに、陽斗はまだ笑っていた。
勘弁してくれ、と思う。
けれど、悪い気もしなかった。
