コンビニで買える恋

8.買い物







バタン、と車のドアを閉じる。
秀一は、見慣れた銀色の車が建物の角を曲がるまで、手を振り続けた。

いい息子だからでは無い。

父の視線が届かなくなったことを、確認するためだった。

秀一が手を下ろすのと同時に、トン、と肩を叩かれる。

それが誰なのかは、秀一が一番よく知っていた。

「陽斗くん、お待たせ」
「お父さん、厳しそうな人っすね」

陽斗は、銀色が消えていった方を見つめて言った。

「まぁ......愛、なんじゃない?」

秀一はそう答えたけれど、実際にそうなのかは、よくわからなかった。

強いて言うなら、「そうであって欲しい」という、願望だった。

「じゃあ、いきますか」

陽斗が、バイク置き場を指差した。

そこには十吾のレトロな青色とは違う、新しそうな、真っ黒なバイクが止まっている。

陽斗の後ろにのって、秀一が掴む場所に困っていると、陽斗が秀一の腕を腰に回した。

「ちゃんと捕まっててくださいね」

あまりにも普通にそう言われて、あぁ、この人はモテるのだろうな、と思った。

それをそのまま伝えると、『それ、チャラいって意味ですか?』と、陽斗はイタズラな顔で笑った。


*


休日のショッピングモールは、人でごった返していた。

すれ違う女性の香水の匂い、タイムセールの呼び声、はしゃぐこどもとそれを注意する大人たちのやりとり。

普段歩く学校や夜のコンビニとは、完全に異種の喧騒だった。

しばらく歩き回って疲れた頃、陽斗がカフェに行こうと提案した。

ところが、さすが都会の休日。

カフェの席さえも、超満員だった。

「なんか、すいません。こんなとこ座らせちゃって」

結局二人は、カフェで買ったコーヒーを片手に、ショッピングモールの裏手の、海が見える階段に腰を落ち着けた。

「いや、普段コンビニの前に座ってるんだから、今更だって」

秀一が笑うと、陽斗は『そうっすよね』と言ってコーヒーに口をつけた。

彼は十吾と違って、コーヒーが飲めるらしい。

陽斗の好きなものについて考えるだけのつもりが、十吾の顔が浮かんだ。

はぁ、と、ため息が漏れていた。

「最近、秀一さん、なんか悩んでます?」
「えー、そんなの、ずっと悩んでるよ。勉強ばっか大変だし」

陽斗が、そんなことを聞いているのでは無いことは、十分にわかっていた。

うまく、誤魔化せただろうか。

秀一はコーヒーに口を運びながら、陽斗をチラリと見た。

「吉澤さん、」

聞こえるはずのない声がして、コーヒーが地面に落ちた。

地面にできた大きなシミの中、氷の粒があるところだけ、まだらに透明になっている。

地面を、汚してしまった、と思うと同時に、体がグイ、と引かれた。

「来て」

その人に引かれるまま、歩き出す。

陽斗を振り返ると、彼はまんまるな瞳でこちらを見ていた。


*


海辺をしばらく歩いてたどり着いたのは、人の少ない、ベンチの置かれたスペースだった。

「あの......」

秀一は、ようやく離された手首を、反射的に反対の手で握った。

「ごめん、痛かった?」

十吾は、その仕草を、痛ましそうな視線で見つめた。

痛くは、ない。

それは、あくまで防衛による反射みたいなものだった。

秀一は慌てて手をおろして、どうしたのかを聞いてみた。

「あの、十吾くん?」

十吾は、どう話すべきか迷っているように、何度か口をもぐもぐと動かした。

待つよ、という意味を込めて、秀一は横にあったベンチの方に、彼を誘導する。

十吾は一つ頷いて、秀一の横にスルリと腰掛けた。

「......あの、」
「うん」
「コーヒー、すみませんでした。さっきの、」
「あぁ、うん、いいよ」

それはきっと、本題ではない。

けれど、少なくともここのところ秀一を避けていた十吾が話し出すきっかけになったのであれば、地面を汚した500円には、十分に価値があったように思えた。

秀一は十吾が続きを話し出すのを、水面が波打つのを数えながら待った。

「吉澤さんがこないだ言ってたの......あってるなって、思いました」
「こないだ?どれ?」
「ヤキモチ」
「......あぁ、」

そういえば久しぶりにあったコンビニで、そんな話をしたのを思い出す。

「でも俺、陽斗じゃなくて......」
「うん」
「あの、なんつーか......」

十吾は、座ったばかりのベンチから、腰を上げた。

海に面した手すりに寄りかかりながら、あー、だの、うーだのと言いながら、髪をかき乱している。

「......大事な、話、なんですけど」

しばらくして十吾は、ようやく整理がついたのか、秀一の方を向いた。

切れ長の、黒曜石のような瞳が、秀一を捉える。

先ほどまでの落ち着きのなさが嘘のように、十吾はまっすぐ、秀一を見つめた。

「俺が取られたくないのって、多分。多分っていうか、絶対、吉澤さんです」

秀一は、ひゅっと息をのんだ。

頭の中を、一気にいろんな考えが駆け巡る。

そうしている間も、十吾はまっすぐに秀一を見ていて、その真摯な瞳の前では、そのどれもが大した意味を持たなかった。

「......それは、大事な話、だね」

とりあえず、第一声を発して、また言葉が、秀一の喉に詰まった。

何が正解なのかをひたすら探すけれど、最適解が、出てこない。

その『取られたくない』と言うのは、一体、どういう意味なのだろうか。

秀一が十吾に言った、『陽斗を取られたくない』という仮説は、二人が『幼馴染で、親友である』という前提に基づくものである。

だが、残念なことに、秀一は、幼馴染でも、親友でもない。

今の所まだ、『コンビニでよく会うお兄さん』の域を出れていない気がしていた。

十吾のことは、確かに、近しい人だとは感じている。

高岡や陽斗に感じる、『友達』という感覚とは完全に異なるということは、つけ加えておきたい。

じゃあ、なんなのか、と問われると、秀一は答えることができなかった。

心配ーーなのは間違いない。

察するに、彼の置かれている環境は、碌なものではないが、せめて健やかに生きていてくれ、と思っている。

楽ーーなのも間違いはない。

陽斗のバイクの後ろでは、手を挙げて風を感じようなんて、思いもしなかったが、彼の後ろなら可否を問うこともせず、手を挙げている。

でも、だとしてーー

「だから、」

ぐるぐると考えている間に、十吾は、秀一の目の前にしゃがんでいた。

「だからさーー」

十吾が、再び真っ直ぐに秀一を見る。
秀一も、それを見つめ返した。

目は口ほどにものを言うとは、よく言ったものだ。
髪の奥から覗く双眸は、一瞬にして、秀一のぐるぐるとした思考を止めた。

「俺のことだけを見てよ」

思考どころじゃない、時さえも、止まったみたいだった。