コンビニで買える恋

今日も今日とて、深夜の街を歩く。

昼間降った雨のせいか、まだどこかで、ペトリコールの臭いがしている。

見たところ道路はすでに乾いているから、もしかしたら、気のせいかもしれないけれど、雨の香りが好きな秀一にとっては、その方が都合が良かった。

「あ、」

コンビニの前には、見知った顔が座っていた。
見なかった数日の間で、彼の顔の傷は随分と、よくなったようだった。

「この間は、その、ありがとう......ございました」

十吾が立ち上がって、改めて頭を下げる。

秀一はただ、必要だと思ったから絆創膏を買っただけだ。

大したことはしていないのに、と、逆に恐縮した。

「お礼になるかわからない、けど、」

『どこか行きますか?』そう問うた彼の横には、大きなバイクがあった。

男なら(男でなくともそうかもしれないが)、一度はバイクに乗って夜道を走ってみたいと思ったことがあるはずだ。

秀一の喉が、ゴクリと鳴った。

「どこか......って、どこまで」
「吉澤さんが行きたいところ」

行きたいところ、と言われても、パッとは思い浮かばなかった。
それに、あまりに帰りが遅いと、親にバレる心配もある。

だがしかし、乗ってみたい。
なにせ、秀一のこどもの頃の、一番お気に入りのおもちゃは、トミカだったのだから。

とはいえ、十吾とは何度か話しただけで、格別親しいわけではない。
そのような人のバイクに、軽々とまたがって良いものだろうか。

いや、だがこの間の走行音を聞く限り、彼は暴走族ではない。
危ない人では、ないのではなかろうか。

秀一は悩ましさで、首を傾げた。

「いや、本当にお礼したくて!でも、俺、なんも持ってないから、なんかできたらって、思った、っていう......」

何も言わない秀一に、慌てたように言葉を募った十吾だったが、勢いが徐々に消えていく。

そこに、彼の実年齢が垣間見えた気がして、なんだか面白くなった。

「うん、行こう。近場のいいとこ、連れてってよ」

秀一がそういうと、十吾は照れたように笑って、秀一に予備のヘルメットを寄越した。

「捕まってくださいね」

一旦、手を十吾の腹にまわしかけて、いやそんな映画みたいなことあるか?と思う。

街中で見る二人乗りのバイカーは、どうしていただろうか。

秀一はあれこれと手をやって、掴めそうな場所を探した。

「普通に、ここでいいです」

十吾が、彷徨う秀一の手を掴んで、自分の腰に回す。

あぁ、それで良かったのか、と漠然と思いながら、彼のベルトのあたりを握った。


*


着いたのは、橋の見える河川敷だった。

その橋の上を、人の少ない寂しげな電車が、音を立てて通り過ぎて行く。

乗っている時は考えたこともなかったけれど、電車の窓から漏れる光は、随分と眩しい。

夜の水面にキラキラと反射して、湿度の高い夜を、倍の明るさで照らした。

「はい」

バイクを降りたところにあった自販機で買った飲み物を差し出す。

何が好きかもわからなかったから、コーヒーとコーラを買ったのだけれど、彼は躊躇なく、コーラの方を選んだ。

彼はビターな雰囲気に似合わず、こども舌のようだった。

「綺麗だね、ここ」

十吾に倣って、石段に腰掛け、コーヒーの缶を開ける。

夜の河川敷に、カコンという軽快な音が、思いの外大きく響いた。

「結構好きなんだ。夜は静かだし」

十吾は、礼儀正しく『いただきます』といってから、コーラのタブに指をかけた。

吹き出さないように少しだけ開けて、ガスを抜いてから開ける。

その仕草は、とても手慣れていた。

「コーラ、好きなの?」
「ん、まぁ......割と好き」
「そっか」

バイクに乗ってみたい一心で着いてきたけれど、どうにも、話すことがない。

お互い相手を知らないから、大したトピックもなかった。

気まずさに伸びをしたところで、十吾が『あの、』と口を開いた。


「吉澤さんは、医者目指してるの?」
「まぁ、そう、なるよね」

かつて彼に拾われた学生証に載っていた、『医学部医学科』という文字列からは、そう、読み取れるだろう。

「いいね、夢あんの」

十吾は、秀一を見ながら、そう言った。
また、あの瞳だ。
星を飼っているような瞳で、秀一を見る。

「あぁ、うん」

秀一は思わず、目を逸らした。
夢はある。けれど、僕のじゃない。

正確に言えば、秀一が医者になりたいのではない。
秀一の親が、医者の親になりたくて、秀一は、親の夢を叶えようとしているだけだ。

医者になってやりたいことも、叶えたい目標も、何もない。

秀一は、はぐらかす以外の術を、知らなかった。

「ところでさ、名前、かっこいいけど、変わってるよね」
「あー......」

今度は十吾の方が目を逸らした。

「漢字では、どう書くの?」
「“じゅう”は数字の十で、“ご”は、数字の五の下に、口」
「“われ”の吾か」
「多分そう」
「多分って」

あまりにも投げやりな言い方に、失笑が漏れた。

それに釣られるように、十吾も笑う。
十吾は、開けた缶のタブをいじりながら、続けた。

「母さんの好きなタバコの番号が、十五番だったんだって」
「あ、コンビニの?」
「そう。でも出生届を出した時にさ、窓口のおねーさんに言われたんだって、どういう意味ですか?って」

あまり常識から逸脱していると、命名が認められないことがあることは、風の噂程度には聞いたことがあった。

けれど、少なくとも秀一の周りでは、そんな危機に瀕した人の話を、聞いたことはない。

その後どうなるのか、確かに気になった。

「そんで母さんが理由を答えたら、『もう少し、考えてあげられませんか』って言われて」

横からみた十吾の目は、優しげな形をしていた。

いつもどこか、構えたような表情をしている十吾にしては珍しい、柔らかな表情だった。

「で、しょうがないから口を付け足したんだって、だから、“十吾”」
「そうなんだ」
「正直、口があろうがなかろうが、大差ないけど」

十吾はそう言って笑ってから、秀一の方を向いた。
秀一は十吾を見ていたから、バチっと目が合う。

なんだか気恥ずかしくなって、目を逸らした。

「吉澤さんは?秀一、だよね」
「そう。よくある名前だよ、『一番に秀でる』人になれってだけ」
「ふぅん。なれそう」

十吾は、間髪入れずにそう続けた。

「......適当に言ってるだろ?」
「適当じゃないよ、なれそうなれそう」
「心がこもってない」

大して面白くもないはずなのに、二人してケラケラと笑った。

ひとしきり笑ってから、秀一は立ち上がって、尻を叩いた。

そろそろ、帰らなければなるまい。

その仕草に十吾は、『もう帰るの?』と、名残惜しそうにした。
けれど、秀一には、帰る以外の選択肢がなかった。

遊んでいたことが親にバレたら、コンビニにさえ行けなくなるかもしれない。

今日が楽しかったからこそ、それだけは避けたかった。

「また、コンビニで会おう」
「......わかった」

そこからバイクまで、二人は無言で歩いた。

話したいことがないわけじゃないけれど、どこか、満たされていた。

帰りの道中、秀一は、十吾の腰を抱いている方の手に力をこめながら、もう片方の手を上げて、夜の空気を感じた。

これも、やってみたいことの、一つだった。

今日一日で、いろんなことが叶ったような気がした。