街の騒音は時に、頭の中のノイズをかき消してくれる。
だから、秀一は夜の散歩がいっとう好きだった。
けれど、帰った時の親の表情を考えると、目的のない散歩は望ましくない。
それ故毎晩、夏の虫のように、煌々と光るコンビニエンスストアに足を運んでいるのだ。
バナナと、眠気覚ましのコーヒーを引っ掴んで店を出ると、店の脇に、見知った顔が蹲っていた。
「あ、」
思わず漏れ出た声に、秀一が唯一名前を知っているもう1匹の『夏の虫』が、顔をあげた。
「っす」
秀一の声に返すように、挨拶とも、ただの身動きとも取れない大きさで、彼が頭を振る。
その顔が傷だらけなことに気がついて、ヒュッと息を飲んだ。
ケンカだろうか。
先日、『悪い人ではなさそう』に傾いた心のシーソーがまた、『怖い人』に傾いていくのを感じた。
「やっぱり君か」
軽快な声がして、警察官が十吾の方へ寄っていく。
秀一に合わせられていた十吾の視線が、警官の方へと移動した。
「あ、すいません」
「これはまた......どっち?」
警官は屈んで、十吾の顔を覗き込んだ。
避けないところを見るに、警官と十吾は、知り合いのようだった。
なんとなくその場を立ち去ることができなくて、秀一は、ゴミ箱の前に立って、聞き耳を立てる。
別に、彼だからではない。
ただ、ただ単純に、野次馬根性を発揮しただけだ。
そう言い訳をして、秀一はコーヒーの蓋を捻った。
そこに滞在する申し訳程度の理由として、開封したコーヒーの結露水が、手のひらを濡らしていく。
「あー、今日は、カレシの方です」
「......そうか」
警官は十吾に同情しているのか、どうにも苦しげに眉を寄せる。
秀一は聞こえてくる言葉からしか状況を判断できないけれど、この警官にはすでに、十吾の傷の背景が見えているようだった。
「一般の方から、夜中に未成年者がいるって通報があってさ。俺らとしても、対応しないわけには、いかんわけよ」
十吾はその言葉に頷くと、大人しく学生証を差し出した。
その姿がやけに手慣れていて、胸の奥がキュッとなる。
「陽斗(はると)くん待ってるの?」
「......はい」
「今日はもう、会えたらすぐ移動しな。また通報、きちゃうかもしれないから」
「......すいません」
警官が、十吾の学生証の内容をすらすらと控える。
形式上学生証を受け取ったものの、視線はほとんど、手元の資料から離れることはない。
警官は十吾の情報を、見る必要がないほど十分に、知っているのだろう。
なんなら彼のために、多少融通を利かせているところさえ、あるようだった。
「じゃ、陽斗くんきたら、すぐ帰るんだよ」
「......はい」
彼の怪我が、ケンカによるものではなかったことを察して、秀一はまた、店の中に入った。
棚の前で逡巡して、結局、ヤケクソのような動作で、絆創膏の箱を掴む。
すぐに店を出て、それを十吾に突き出した。
「はい」
「......なに?」
「あげる」
「いいよ」
「もう買っちゃったし」
十吾は気だるげに立ち上がって箱を受け取り、その中から一枚を取り出した。
そして、残りの絆創膏が入った箱を、秀一の方へ差し出した。
「ありがとう」
「......持っときなよ」
「いいよ、別に」
「怪我、今日だけじゃないんでしょ」
十吾が俯く。
絆創膏の箱を掴む指に、グッと力が入ったのが見えた。
秀一は、十吾が持ったままの絆創膏を剥いて、明らかに血が出ている口元に貼り付ける。
それでも動かないでいる十吾の手にある箱からまた一枚をとって、今度は擦りむいている前腕に貼った。
「はは、絆創膏の大きさ、全然足りなかったね」
明るく笑い飛ばしたはずの秀一の声は、思いの外、乾いた音を立てた。
そんな白けた音じゃ、この空気は無くなってくれそうにない。
「十吾!」
彼と同じくらいの少年が、十吾の名前を呼ぶ。
その声にハッとして、秀一は逃げ出すように、十吾に背を向けた。
「......じゃ、じゃあ」
「あっ、」
十吾が、ほとんど反射のような速度で、秀一の手を掴む。
秀一は、どうしたらいいのか、よくわからなくなった。
「友達......きたみたいだよ」
そう伝えるが、十吾は秀一の手を離さない。
秀一は困って、迎えにきた少年に視線をやった。
あの少年がきっと、警官の言っていた『陽斗くん』なのだろう。
秀一と目が合うと、彼はぺこりと頭を下げた。
「あの......ありがとう」
騒音の中、はっきりとした声が聞こえて、秀一は十吾を見た。
彼は、まっすぐに秀一を見つめている。
その黒目はたくさんの光を擁していて、まるで、星を飼っているみたいだった。
「......うん」
一つ頷いて見せると、十吾はようやく、秀一の手を離した。
そして迎えにきた少年の、バイクの後ろに跨る。
「十吾のこと見ててもらったみたいで、すいません。また改めて、挨拶させてください」
陽斗くんと思しき少年は、礼儀正しくそう言うと、十吾にヘルメットを渡した。
秀一がそれに頷いたのを見届けて、少年は十吾を乗せて、夜の闇に溶けていった。
