コンビニで買える恋


17.積み重ねる時間





 しばらくして、十吾は陽斗の家に住まわせてもらうことが決まった。一応母にはその旨を連絡したけれど、『勝手にすれば』という返事が返ってきただけだった。

 陽斗を含め、陽斗の家族には、いつも助けてもらってばかりだ。十吾はバイトを増やして、生活費を入れることにした。陽斗の親はいらないと言ったけれど、それは十吾なりのケジメだった。

 陽斗は、十吾が家に来たことを喜んでいた。今までも夜一緒に遊んでくれる時があったけれど、内心、補導されないか常にヒヤヒヤしていたらしい。家なら、その心配がないと笑った。

 秀一とは、順調に交際を重ねた。陽斗の家に迷惑をかけないように夜遊びをやめたから、バイトのない休日しか会えなくなったけれど、それなりにうまくやれていた。

 図書館で勉強をしていると、目の前の椅子が引かれる。顔を上げると、秀一が今まさに腰掛けようとしていた。秀一はにこりと笑いかけて、自分の前に参考書を並べた。

 こうして会うようになって初めて知ったことだが、秀一は勉強をする時メガネをかける。滑り落ちてきてしまうそれを持ち上げる仕草が、あるいは、レンズを拭く仕草が、十吾は割と好きだった。

 自分の周りにいる誰も、そんなことはしなかったからだ。母は家にいる時メガネをかけていたけれど、起きてからシャワーを浴びて、カラーコンタクトを装着するまでの短時間しかつけていなかったし、ベタベタに汚れていても拭くこともしなかった。

「......なに」
「や、別に、メガネいいなーと思って」
「......あんまジロジロみないでよ、集中できない」

 そう言って照れる仕草も、好きだった。秀一が勉強している間、十吾は何もしないのかといえば、そうではない。十吾も十吾なりに、勉強をしていた。

 幸いなことに、十吾は馬鹿ではなかった。通っている高校だって、それなりだ。それでも、その中でいっとう賢いと言えるレベルではない。なにより、時折秀一の話を理解できないのが、嫌だった。

 シャーペンを走らせていると、視線を感じる。『なに?』と問うと、『別に?』と返ってきた。何度かそんなやりとりをしてから、十吾は遂に、ペンを置いた。

「見られたら集中できないって言ってたのは、どこのどなたでしたっけ?」

 そう問いかけると、見ていた自覚があったのか、秀一はおずおずとペンを置いた。

「あの、さぁ」
「うん」
「髪.....なんで今日、そんな感じなの?」
「髪?」

 十吾は髪に手を伸ばした。変だっただろうか、と思う。秀一に会うのは実に2週間ぶりで、十吾はあからさまに浮かれていた。だから陽斗にヘアアイロンを借りて、セットしてみたのである。

 彼が気にいるかもわからなかったし、最悪触れられないことも覚悟していたから、それだけで嬉しくなって咳払いをした。
 
「......あぁ、なんで?変だった?」
「いや......似合ってる」
「......ドキドキした?」
「......まぁ」
「だからあんなに『熱烈な目で』見てたのか〜」

 冗談まじりにそういうと、彼は赤面してこちらに消しゴムを投げた。なければ困るはずのそれを拾って渡すと、彼は照れ隠しのようにひったくった。

 そうしてしばらく勉強を続けて、気がつけば1時半を回っていた。今日はお互い、かなり集中力が続いたようだ。二人は弁当を持って、屋上の空地部分で食事をとることにした。

 普段より少しだけ遅かったのもあって、屋上にはほとんど人がいなかった。二人肩を並べて、弁当を頬張る。弁当といっても、唐揚げやら何やらが一つの小箱にぎっしりと詰まった秀一のそれとは違って、十吾のはただの大きなおにぎりだった。自分で朝握ったものだ。

 秀一が食べているそれが無性に美味しそうに見えて、横から一つつまむ。秀一は『やめてよ』といったけれど、美味しいと伝えると満更でもなさそうな顔で笑った。

「雨、降りそうだね」
「ね。天気予報みとけばよかった」

 十吾は、適当に相槌を打った。秀一は親が車で迎えにくるだろうから、きっと、雨に打たれることはない。別にそれでよかった。

「十吾は?」
「なに?」
「傘あるの?」
「あってもさせないよ、バイクだし」
「そう......」

 秀一が目を伏せる。比較的長いまつ毛が、十吾より白い頬に、影を落とした。

「普段は、どうしてるの?雨の時」
「どうって......ウインドブレーカー着るくらいかな?」
「合羽とかは?」
「昔試したけど、フードにヘルメットが入んなかったり、合羽の裾が割れて結局服が濡れたりで、微妙だった」

 秀一はふぅんと呟いて、携帯をいじり始めた。十吾はその余暇を、遠くの街並みを見て過ごした。しばらくして秀一が、あ!と声を上げた。

「これいいじゃん!」
「なに?」
「このレインウェアってやつ!」
「あー、いいね」

 秀一が見せてきたのは、鮮やかな黄色のレインウェアだった。機能性は高そうだし、見た目が可愛いが、何せお値段が可愛くない。自分で稼ぐようになったら買おうと、頭の中のTODOリストに加えた。

「あ、買わないでね」
「え、なんで?」
「なんでも」

 理由は良く分からなかったけれど、秀一がクフクフと楽しそうに笑うから、まぁいいか、と思った。


*


 今日は本当に久しぶりに、秀一と出かけることになった。秀一が、『またあの海鮮丼を食べたい』と言い出したのだ。十吾はそれに、一も二もなく賛同した。

 待ち合わせはいつもの図書館。秀一が父親の車を降りてこちらへきて、十吾のバイクにまたがった瞬間だった。

「何やってるんだ」

 冷徹な声がその場を支配した。後ろに乗った秀一の体が、一瞬で強張ったのを感じる。十吾は初めて聞いた声だったけれど、振り返るまでもなく、それが誰なのかがわかった。

「秀一、説明しなさい」
「......あ、」
「......秀一さんのお友達の、山内十吾です。あの、今日は......」
「秀一、彼が前言っていた医学部の友達か?どう見ても高校生だが」
「......あの、」
「学生証を見せてくれるかな?」

 秀一の父は、常に丁寧な口調だった。母のように、アイツのように、大きな声を出すわけではない。その声に、『ぶつける』というよりも、『押し潰す』という、感じたことのない圧を感じて、十吾も気持ちが冷えていくのがわかった。

「......ありません」
「そうか」

 その『そうか』には傲慢さと、それから嘲笑が含まれていた。

「でも、あの、本当に普段はちゃんと、勉強してて」
「家で聞く」
「あの、お父さん、これは本当で」
「君は口を出さないでくれるかな」

 彼は秀一の手を、強く引いた。秀一がひとこと、『ごめんね』と呟く。

 十吾は、言い募ろうとした言葉を、飲み込んだ。

 その目には、見知った『諦め』が浮かんでいた。