14.絆創膏
「ごちゃごちゃ言わねーで売ればいいんだよ!」
怒声が店の中に響き渡っている。その中心で背を丸めているのは、いつもいる店員の平田さんだった。
「年齢確認のために身分証の提示を......」
「お前、俺が未成年に見えるってのかよ!」
「いえ、大人の方に見えます!でも、年齢確認のために、身分証の提示をお願いします」
「バカのひとつ覚えみたいに同じことばっかり言いやがって!」
バシンッと、鈍い音がした。それがなんの音か、十吾はよく知っている。足がすくんで、動けなくなった。
「あ、あの、年齢確認のために、身分証を......」
「だぁかぁらぁ!忘れたっつってんだろウルセェな!」
ガッガッと音が続く。止めなければ、いや、でも、何もしない方が早く、いや、でも。平田さんは、それに『慣れていない』。
「あの!」
足は震えていた。ついでに、握りしめた拳も。でも、目だけは逸さなかった。だって家にいるアイツに言わせれば、俺の目は『気に食わない』のだ。アイツと同じような人種のあの男にとっても、それは同じはずだ。気をこちらに向けることさえできればいいと思った。
「あぁ?」
男は、こちらに視線を向けた。横にいる女が、『もういいって、ケンちゃん』と呼びかけている。けれど男は興奮し切った闘牛のような眼差しで、こちらを見ていた。
そうだ。俺に来い。俺は、慣れている。数さえ数えていれば終わることを、知っている。
十吾は、『気に食わない』目に、一層力を込めた。
「怖いことが起こった時は!オレンジ色のボタンを押します!10分で、警察の人がきます!」
次に口を開いたのは、平田さんだった。カウンターの下、客から見えない位置に、手を伸ばしている。
「ねぇほら、ケンちゃんやばいよ」
「......チッ、しゃーねーな、」
男は、女に腕を引かれて出て行った。一気に力が抜けてヘナヘナとしゃがみ込むと、平田さんがノソノソと近づいてきた。
「大丈夫ですか、山内さん。痛いですか?」
「大丈夫。平田さんは?」
「僕は大丈夫です。山内さんは、怪我をしましたか?」
平田さんは、身体を前後に揺すった。前にもこんなことがあったな、と思う。平田さんは少しだけ、普段とは違う出来事に弱い。以前はこうして身体を振ったあと、パニックになって、自分の身体を叩き出した。
かといって十吾には、どうしてやればいいのか、わからない。落ち着かせようと手を出したが、避けられてしまう、いよいよどうしたらいいか、わからなかった。
「あの、本当に、痛くないよ。俺は何もされてない」
「山内さんは、何もされてない」
「うん、されてない、痛くない」
「はい、痛くない」
平田さんの前後の動きの速度が、わずかに落ちる。少しだけ、手応えを感じた。もう少し、話してみようと思った。
「さっき警察、呼んだの?」
「ボタンは押しませんでした」
「なんで?」
「『武器がない時は、初めは警告、ダメなら押す』」
平田さんが、最初にパニックになった時を思い出す。高圧的な客を『怖い』と感じた平田さんが、オレンジのボタンを押してしまったのだ。突然警察が来たから、店全体がちょっとした騒動になったのを覚えている。
だから店長と、新しい『ルール』を作ったのだろう。
「......ハハッ、ハッタリかますなんて、やるね」
「ハッタリではありません。『武器がない時は、初めは警告、ダメなら押す』、です」
「......うん。だけど平田さん、拳も十分、武器だよ」
「......押しますか?」
「今日はもう帰ったし、大丈夫」
「押さない?」
「うん、押さない」
十吾はそう言った所で、平田さんの額に、傷があるのを見つけた。髪で隠れていて気が付かなかったけれど、血も滲んでいるようだ。おおかた、殴られた時に男の指輪か何かで切ったのだろう。十吾は、ポケットに入れている絆創膏に、手を伸ばした。
この絆創膏はお守りみたいなものだし、正直、使いたくはない。だからこそ、これをもらって以降にどれだけの生傷ができても、握りしめるだけで使うことはなかった。
10枚入り絆創膏の残りは、8枚。使いたくはない。使いたくは、ないけれど。お守りのご利益の1/8くらいなら、今日の彼にあげていいと思った。
十吾は、決意を固めて、絆創膏をひとつ取り出した。血が出ていると気がついたら、平田さんがまたパニックになってしまうかもしれない。奥で作業をしていて喧騒に気がついていなかった店員を呼び出して、平田さんごとそれを託した。
いいことをした、と思った。十吾は絆創膏を失った代わりに、満足を手に入れたのだった。
「ごちゃごちゃ言わねーで売ればいいんだよ!」
怒声が店の中に響き渡っている。その中心で背を丸めているのは、いつもいる店員の平田さんだった。
「年齢確認のために身分証の提示を......」
「お前、俺が未成年に見えるってのかよ!」
「いえ、大人の方に見えます!でも、年齢確認のために、身分証の提示をお願いします」
「バカのひとつ覚えみたいに同じことばっかり言いやがって!」
バシンッと、鈍い音がした。それがなんの音か、十吾はよく知っている。足がすくんで、動けなくなった。
「あ、あの、年齢確認のために、身分証を......」
「だぁかぁらぁ!忘れたっつってんだろウルセェな!」
ガッガッと音が続く。止めなければ、いや、でも、何もしない方が早く、いや、でも。平田さんは、それに『慣れていない』。
「あの!」
足は震えていた。ついでに、握りしめた拳も。でも、目だけは逸さなかった。だって家にいるアイツに言わせれば、俺の目は『気に食わない』のだ。アイツと同じような人種のあの男にとっても、それは同じはずだ。気をこちらに向けることさえできればいいと思った。
「あぁ?」
男は、こちらに視線を向けた。横にいる女が、『もういいって、ケンちゃん』と呼びかけている。けれど男は興奮し切った闘牛のような眼差しで、こちらを見ていた。
そうだ。俺に来い。俺は、慣れている。数さえ数えていれば終わることを、知っている。
十吾は、『気に食わない』目に、一層力を込めた。
「怖いことが起こった時は!オレンジ色のボタンを押します!10分で、警察の人がきます!」
次に口を開いたのは、平田さんだった。カウンターの下、客から見えない位置に、手を伸ばしている。
「ねぇほら、ケンちゃんやばいよ」
「......チッ、しゃーねーな、」
男は、女に腕を引かれて出て行った。一気に力が抜けてヘナヘナとしゃがみ込むと、平田さんがノソノソと近づいてきた。
「大丈夫ですか、山内さん。痛いですか?」
「大丈夫。平田さんは?」
「僕は大丈夫です。山内さんは、怪我をしましたか?」
平田さんは、身体を前後に揺すった。前にもこんなことがあったな、と思う。平田さんは少しだけ、普段とは違う出来事に弱い。以前はこうして身体を振ったあと、パニックになって、自分の身体を叩き出した。
かといって十吾には、どうしてやればいいのか、わからない。落ち着かせようと手を出したが、避けられてしまう、いよいよどうしたらいいか、わからなかった。
「あの、本当に、痛くないよ。俺は何もされてない」
「山内さんは、何もされてない」
「うん、されてない、痛くない」
「はい、痛くない」
平田さんの前後の動きの速度が、わずかに落ちる。少しだけ、手応えを感じた。もう少し、話してみようと思った。
「さっき警察、呼んだの?」
「ボタンは押しませんでした」
「なんで?」
「『武器がない時は、初めは警告、ダメなら押す』」
平田さんが、最初にパニックになった時を思い出す。高圧的な客を『怖い』と感じた平田さんが、オレンジのボタンを押してしまったのだ。突然警察が来たから、店全体がちょっとした騒動になったのを覚えている。
だから店長と、新しい『ルール』を作ったのだろう。
「......ハハッ、ハッタリかますなんて、やるね」
「ハッタリではありません。『武器がない時は、初めは警告、ダメなら押す』、です」
「......うん。だけど平田さん、拳も十分、武器だよ」
「......押しますか?」
「今日はもう帰ったし、大丈夫」
「押さない?」
「うん、押さない」
十吾はそう言った所で、平田さんの額に、傷があるのを見つけた。髪で隠れていて気が付かなかったけれど、血も滲んでいるようだ。おおかた、殴られた時に男の指輪か何かで切ったのだろう。十吾は、ポケットに入れている絆創膏に、手を伸ばした。
この絆創膏はお守りみたいなものだし、正直、使いたくはない。だからこそ、これをもらって以降にどれだけの生傷ができても、握りしめるだけで使うことはなかった。
10枚入り絆創膏の残りは、8枚。使いたくはない。使いたくは、ないけれど。お守りのご利益の1/8くらいなら、今日の彼にあげていいと思った。
十吾は、決意を固めて、絆創膏をひとつ取り出した。血が出ていると気がついたら、平田さんがまたパニックになってしまうかもしれない。奥で作業をしていて喧騒に気がついていなかった店員を呼び出して、平田さんごとそれを託した。
いいことをした、と思った。十吾は絆創膏を失った代わりに、満足を手に入れたのだった。
