13.山内十吾
秀一を図書館に送り届けて、十吾はコンビニに向かった。
腹が減っているわけでもないし、試験前でもないし、ここでなければならない理由もなかったが、今日はここが良かった。
なにせ十吾は、ここで秀一と出会ったのだから。
*
あの日十吾は、いつも通り家を追い出されてここへ来た。
母は香水の匂いをぷんぷんとさせて夜の仕事へ出かけ、ソイツと二人きり。母が出がけにソイツと喧嘩して行ったせいで、ソイツの機嫌はすこぶる悪かった。ソイツは、『お前の目が気に食わないんだ』と言った。
やり返せばいいのかもしれないが、十吾はよく知っていた。やり返さない方が、早く終わる。ただ頭の中で数を数えてじっとしている方が、やり返すよりもよっぽど早い。だからただ、じっとしていた。
やがて、『出ていけ』と言われた。そう言われることは、想像がついていた。だからただ黙って、バイクに跨った。
いつものことだ、と思った。ただいつものようにコンビニを目指す。本当に、いつものことだった。
けれど、信号で止まったとき、道路脇の家に殺虫灯があるのが目に入った。時折、バチッバチッと音を立てながら、小さな命が奪われて行く。その様子を、じっと見つめていた。
後ろからクラクションを鳴らされてようやく走り出したけれど、そのバチッという音が、頭から消えなかった。
このまま行ったら俺もいつか、あの虫のようになるんじゃないだろうか。本当になんでもない拍子に、バチッと、命を落とすことになるんじゃないか。誰にも気づかれずにひっそりと、地面に落ちていくんじゃないか。
急に蹴られた跡が、ジクジクと痛み出した。
いつものコンビニに着いても、頭の中のバチッという音は消えてくれなかった。ただの街灯さえ、大きな殺虫灯に見える。かといって、十吾に何か選択肢があるわけでもなかった。
頭の中のバチッバチッという音に混ざって、プシュッという音が響いた。思わずそちらをみると、年若い青年がビールを飲んでいた。それも、ものすごい勢いで。
なんだよ。そんなにうまいのかよ。じゃあ、俺にもくれよ。最初は、そんな程度の気持ちだった。
「それ、俺にも買ってくれない?」
でもいざ近づいてみると、彼は全く美味しそうじゃなかった。今にも泣き出しそうな顔で、手に持ったそれを、流し込むかのように飲んでいた。
なんだよ。と思った。
うまいんじゃねーのかよ。なんでそんな顔してるんだよ。あんたも、俺と一緒かよ。今すぐ、忘れたいモンでもあんのかよ。
小綺麗で、十吾とは対極にいそうな彼の。シャツが第二ボタンまでぴっちりとしまっている彼の。『忘れたいもの』に興味を持った。
なぁ、俺が蹴られてるその間、あんたはどこで、なにをみてた?
でも彼は声をかけるとすぐ、野山で見つかった鹿みたいに逃げて行った。気になったことは結局何ひとつ、聞くことはできなかった。
その時は、きっとこのまま時間が過ぎていって、彼のことを知ることも、彼に自分を曝け出すこともこの先ないだろうと思っていた。
でも彼は、十吾に絆創膏をくれた。彼は『大きさが足りなかった』と笑ったけれど、十吾にとっては、それで十分だった。
初めてだったのだ。すれ違うだけで良かったはずの人が、自分から傷を拭いに来てくれたのは。自分は透明じゃないんだと、初めてそう思えた。
そのあとは、全てが変わって見えた。十吾が見えていないと思い込んでいただけで、陽斗も、コンビニのオーナーも、警察官も、きちんと十吾を見ていた。十吾はそのことに、ようやく気がついた。
もしもどこかでバチッとなったとしても、きっと誰かが、十吾のことを見つけてくれるはずだ。
*
ヴヴンーーと音を立てて、コンビニのドアが開く。
中から聞こえてきたのは、怒声だった。
秀一を図書館に送り届けて、十吾はコンビニに向かった。
腹が減っているわけでもないし、試験前でもないし、ここでなければならない理由もなかったが、今日はここが良かった。
なにせ十吾は、ここで秀一と出会ったのだから。
*
あの日十吾は、いつも通り家を追い出されてここへ来た。
母は香水の匂いをぷんぷんとさせて夜の仕事へ出かけ、ソイツと二人きり。母が出がけにソイツと喧嘩して行ったせいで、ソイツの機嫌はすこぶる悪かった。ソイツは、『お前の目が気に食わないんだ』と言った。
やり返せばいいのかもしれないが、十吾はよく知っていた。やり返さない方が、早く終わる。ただ頭の中で数を数えてじっとしている方が、やり返すよりもよっぽど早い。だからただ、じっとしていた。
やがて、『出ていけ』と言われた。そう言われることは、想像がついていた。だからただ黙って、バイクに跨った。
いつものことだ、と思った。ただいつものようにコンビニを目指す。本当に、いつものことだった。
けれど、信号で止まったとき、道路脇の家に殺虫灯があるのが目に入った。時折、バチッバチッと音を立てながら、小さな命が奪われて行く。その様子を、じっと見つめていた。
後ろからクラクションを鳴らされてようやく走り出したけれど、そのバチッという音が、頭から消えなかった。
このまま行ったら俺もいつか、あの虫のようになるんじゃないだろうか。本当になんでもない拍子に、バチッと、命を落とすことになるんじゃないか。誰にも気づかれずにひっそりと、地面に落ちていくんじゃないか。
急に蹴られた跡が、ジクジクと痛み出した。
いつものコンビニに着いても、頭の中のバチッという音は消えてくれなかった。ただの街灯さえ、大きな殺虫灯に見える。かといって、十吾に何か選択肢があるわけでもなかった。
頭の中のバチッバチッという音に混ざって、プシュッという音が響いた。思わずそちらをみると、年若い青年がビールを飲んでいた。それも、ものすごい勢いで。
なんだよ。そんなにうまいのかよ。じゃあ、俺にもくれよ。最初は、そんな程度の気持ちだった。
「それ、俺にも買ってくれない?」
でもいざ近づいてみると、彼は全く美味しそうじゃなかった。今にも泣き出しそうな顔で、手に持ったそれを、流し込むかのように飲んでいた。
なんだよ。と思った。
うまいんじゃねーのかよ。なんでそんな顔してるんだよ。あんたも、俺と一緒かよ。今すぐ、忘れたいモンでもあんのかよ。
小綺麗で、十吾とは対極にいそうな彼の。シャツが第二ボタンまでぴっちりとしまっている彼の。『忘れたいもの』に興味を持った。
なぁ、俺が蹴られてるその間、あんたはどこで、なにをみてた?
でも彼は声をかけるとすぐ、野山で見つかった鹿みたいに逃げて行った。気になったことは結局何ひとつ、聞くことはできなかった。
その時は、きっとこのまま時間が過ぎていって、彼のことを知ることも、彼に自分を曝け出すこともこの先ないだろうと思っていた。
でも彼は、十吾に絆創膏をくれた。彼は『大きさが足りなかった』と笑ったけれど、十吾にとっては、それで十分だった。
初めてだったのだ。すれ違うだけで良かったはずの人が、自分から傷を拭いに来てくれたのは。自分は透明じゃないんだと、初めてそう思えた。
そのあとは、全てが変わって見えた。十吾が見えていないと思い込んでいただけで、陽斗も、コンビニのオーナーも、警察官も、きちんと十吾を見ていた。十吾はそのことに、ようやく気がついた。
もしもどこかでバチッとなったとしても、きっと誰かが、十吾のことを見つけてくれるはずだ。
*
ヴヴンーーと音を立てて、コンビニのドアが開く。
中から聞こえてきたのは、怒声だった。
