コンビニで買える恋

10.校門で待つ人




あれから、10日余りが経った。
いまだに、十吾への返事は決まっていない。

それが申し訳なくて仕方なくて、いまだにコンビニに顔を見せることができずにいる。

深夜の散歩はするし、コンビニの近くに向かうけれど、そこに十吾がいたらどうしよう、と考えると、足が止まってしまう。

真剣に思いを伝えてくれた彼に、何もなかったかのように話しかけるのも違うし、かと言って気まずくなるのも嫌だった。

避けている時点で気まずいだろ、という指摘は、一旦待って欲しい。

わかってはいるけど、心が追いつかないのだった。

「なぁ吉澤、俺、この後の授業抜けるから出席頼める?」

高岡がいつも通り、秀一に学生証を差し出す。
またか、と思いながら受け取ってしまうのは、秀一の悪い癖だ。

あと多分、高岡のなんともいえない愛嬌のせいでもある。

秀一にとって高岡は、学校では一番よく話す友人といえた。

大学初日、自己紹介で噛み、趣味が思いつかずに『昆虫観察』と今日日小学生でも言わないような趣味で微妙な雰囲気にした秀一に、『虫ってかわいいもんな』と話しかけてくれた唯一の人間だった。

怠惰ではあるが、なんともいい奴なのである。

「いつも悪ぃな」

高岡は、とめどなく流れる汗を服の袖で乱雑にぬぐって、す、と背中を向けた。

大学で唯一の友人と言っていい高岡がいなくなってしまえば、秀一にできることは少ない。

学生ラウンジで時間を潰してから教室に行こうと思っていたが、諦めて直接向かうことにした。


*


5限が終わり、流れていく人波に乗って正門へと向かう。

外はまだ、明るい。
夏はもう少し、続くらしかった。

秀一は、カバンの中を探って、指先の感覚でイヤホンを取り出した。
時代遅れの有線イヤホンは、随分複雑に絡み合っていた。

自分でも、いっそワイヤレスに変えて仕舞えばいいのに、と思うけれど、まだ使えるものを捨てるのが忍びなくて、結局そのままにしている。

「あの、」

絡み合う有線を解こうと人波から離れたところで、聞き覚えのある声に呼ばれた。

まさか、と思って顔を上げると、そこにいたのは十吾だった。

「え、あれ......あ、なんで」
「......貸して」

十吾は、秀一の手から、複雑に絡み合うイヤホンを受け取って、少しずつ解いていく。

秀一はその仕草を、ただ困惑しながら見つめていた。

「あの......」
「はい」

綺麗に解かれたそれを渡される。
反射的に受け取ってから、秀一は、実に十数日ぶりに、十吾と目を合わせた。

「あ......ありがとう.......いや、あの、なんでここに」
「なんでって、会いにきた以外になくない?あんた以外に知り合いいないし」
「......あ、そうか。......そりゃあ、そうか」

納得して、それから秀一は、せっかく解かれたイヤホンをカバンにしまった。

「......聞かねぇの?」
「いや、その......話があるのかなって」
「......別に、ないけど」
「......そう、なんだ」

この前の話について、返事を急かされるのかと思っていた秀一は、少し拍子抜けして、カバンを肩に掛け直した。

十吾は気まずそうに頭をかいて、『でも』と話を続けた。

「会いたかったから、来た」
「あ、うん」

単純に、嬉しかった。

まだ、あの告白のようなそれの答えは見つかっていなかったけれど、少なくとも、会いたいと思っていたのは、秀一の方も一緒だった。

そうでなければ、深夜の散歩で、コンビニに向けて歩いたりはしない。

「よかったら、乗ってく?」
「......いいの?」
「いいよ。あ、でも、家に早く着くの、まずい?」
「まずい......かも」

本当は、まずくなんかなかった。
大学の友達がたまたま車できていて乗せてもらったとか、適当な言い訳はいくらでも作れたし、秀一の勉強の時間が長くなる分には、親が文句を言うとは思えなかった。

けれど、少し、ほんの少しだけ期待した。

「......どっか、寄ってく?」
「......うん」

そして十吾は、知ってか知らずしてか、秀一の期待に応えた。


*


十吾がブレーキを下ろすと、すでに空は暗く翳っていた。

教室を出た時の明るさに夏を感じたばかりだったが、そうは言っても大分、日は短くなってきたように思う。

少し前までは、家についてもまだ外が明るかったのにな、と、季節の変化を惜しく思った。

もうすぐ、外が気持ちいい季節が終わってしまう。
秀一は、寒いのが苦手だった。

ふと、横に立つ、青くライティングされた橋を見つめる十吾のことが気になった。

これから訪れる秋と冬を、彼はどうやって乗り切るのだろう。

一朝一夕で、家の居心地が良くなるはずもない。

あのコンビニの前、骨の髄まで凍らせてしまうような寒さの中で震えている十吾少年を思い浮かべて、秀一はそこはかとない無力感に襲われた。

「あのさぁ......この前のこと、忘れてもらってもいいから」

十吾が、突然そう切り出した。

「え、なに?」
「......この前の、アレ」
「......忘れちゃって、いいの?」
「そりゃ、嫌だけど」

十吾が、一つ息を吸う。
橋の欄干に置かれた手が、ギュ、と、力を帯びた。

「でもそれであんたに会えなくなるよりは......結構マシだから」

十吾は、こちらを見なかった。

きっと彼も、この数十日間、必死に悩んでいたのだろう。

秀一が逃げ回っている間(秀一としては、考える時間が欲しかっただけなのだけれどーー)、十吾もどうしようか悩んで、悩んで、その結論がこれだったのだろう。

それはわかった、わかったけれど。

本当に、なかったことにしていいのだろうか。

秀一には、それがわからなかった。
ここ数日秀一を悩ませている当の本人がそう申し出てくれたのだ。
これ以上悩まなくていいならば、秀一にとっては、行幸のはずだった。

けれど、秀一は本当に、忘れてしまいたいのだろうか。

「......変なこと言って、悪かったな」

十吾はようやくこっちを見て、ニヘラ、と笑った。

いや、違う、と思った。

身体中の細胞が沸き立って、気温が氷点下まで一気に下がったような気がした。

奥歯はガタガタとなっているのに、目頭は熱い。

言いたいことがたくさんあるはずなのに、そのどれもが適切ではない気がして、秀一はハクハクと、口だけを動かした。

「......変では、ないよ」

喉と胸の間の間につっかえたたくさんの言葉の中から一つだけを絞り出して、それから、どうしていいかわからなくなって、秀一は身体を十吾の方へ向けた。

うまく言葉は出てこないけれど、話すつもりがあることの、意思表示だった。

「......変、じゃなくて。ただ......僕が一人で......悩んでるだけで。......とにかく、十吾くんは、変じゃない、から......」

十吾は、秀一の訴えを、何も言わずに聞いていた。

「僕......僕が、自信ないだけなんだ。......なんかそういうの......うまくやっていけるのかな、とか......深く知られたら、嫌われるんじゃないかな、とか......そういう......そういうの、全部」

十吾の反応が、怖い。
次の言葉が、怖い。

けれどまずは、泣かずに伝えられた自分を、褒めてあげたいと思った。

十吾はきっと、秀一の本心を笑ったり、否定したりはしない。

それでも、本心を話すのには、とてつもない勇気がいった。

親にも本音を言うことがない秀一のことだ。
もしかしたらこれが、人生で初めて、誰かに真面目に本心を吐露した瞬間だったかもしれなかった。

声も身体も震えたけれど、それにしてはきっと、上出来だったはずだ。

秀一は、奥歯の隙間から息を吐いて、冷静を保とうとした。

「じゃあさ、」

十吾が一歩、距離を詰めた。

「じゃあ、まだ好きでいていい?」
「え?」

十吾の右手が、恐る恐る、秀一の左手を握った。

「俺、まだ吉澤さんのこと、好きでいていい?」

先ほど使い切ってしまったのか、うまく声が出なくて、秀一はこくこくと、頷いた。

グッと手が引かれて、十吾の左手が、秀一の腰を抱く。

多分それは、赤ちゃんの頃以降初めて感じる、他人の体温だった。

「俺、あんたが好きです」
「うん」
「自信、持ってもらえるまで俺、頑張るから」
「......うん」
「あんたが自信持って、そんで俺を好きになってくれたら、そん時教えて。俺、待つから」
「......うん」
「だからもう......避けたりしないで」
「......わかった」

だんだん、自分が涙声になっていくのがわかった。

よくないな、と思う。

自分の心なんて凍らせて、ただ親が望むままに生きていこうと思っていたのに、たった一人の、36度しかない体温で、こんなに簡単に溶け出してしまうなんて。

でも少なくとも今は、今くらいは、この暖かさに甘えてしまいたいと思った。

秀一が十吾に腕を回すと、十吾の体が固まる。
けれどしばらくそうしていたら、少しずつ十吾の身体も溶けていくのがわかった。

そうやって溶け合ったまま、しばらくそうしていると、後ろからこどもの声が聞こえた。

「あ、カップルだ!」
「カップルだ!」

十吾と秀一は、慌てて身体を離す。

ヒューヒューと典型的な冷やかしを受けて、十吾が『まだカップルじゃねえ』と応戦する。

こどもたちは反応してもらえたのが嬉しかったのか、キャーキャーと騒ぎながら橋の向こうへと消えていった。

『まだ』の部分にこの先があることを突きつけられて固まっていると、十吾が『おーい』と呼びかけた。

「固まってるとこ悪いんだけど、3個約束して」
「あ、はい、約束?」

現実に呼び戻され、十吾に向き合うと、十吾は指を三本出して見せた。

「1つ、陽斗と二人で出かけないで」
「え、なんで、」
「いや、付き合ってないのにそれは違うか......出かけてもいいけど、どこにいくとか教えて」
「え、それは別にいいけど、あの、」
「2つ目、連絡先、教えて」
「あ、もちろんです......あの、十吾く」
「3つ目、それ。俺のことは、十吾って呼んで」
「じゅ......十吾」
「そう」

十吾は、満足げに手を下ろした。

「なにか質問、ある?」
「あの、陽斗くんと二人であっちゃいけないってのはどうして......」
「嫌だから」
「......え?」
「俺が、嫌だから」

十吾は、橋に寄りかかったまま、身体の向きをこちらへ向けた。

「俺がいい子にして付き合ってもらったところで、あとから喧嘩するだけじゃん。だったら、今言っておこうと思って」

そういうものなのか、と思う。

秀一は恋愛経験がないから、確かなことはわからないけれど、確かに無理をする関係は、長続きしないように感じた。

「じゃあ、僕からも、3つ」
「はい、どうぞ」

十吾は先生のように手を出して、秀一を指した。

「まず、僕に話しかけた時、お酒買ってって、言ったけど、ああいうのは、なしで。僕だけじゃなくて、誰にも」
「......はい、すみません」
「2つ目、家庭の事情で、長く一緒にいるとかは難しいかもしれないし、出かける時は、会うところとかいろいろ、ご迷惑をおかけするかもしれないんですけど......大丈夫でしょうか」
「いいんじゃないでしょうか。シンデレラみたいで」
「そ、そうですか......」

今のは結構、こちらの事情を押し付けている気がしたけれど、あまりにもさらりと受け入れられ、困惑する。

あまつさえ、手を出され、続きを促された。
こんなに簡単に通っていいのかと思うけれど、本人がいいのであれば、いいのだろうか。

秀一は、戸惑いながらも言葉を続けた。

「3つ目ですが、それを前提に、お出かけしてみませんか」
「......そ、れは......デートに入りますか?」
「おでかけです」
「あの、でも二人で出かけるなら......」
「『おでかけ』!です」

デートではない。
少なくとも、今は。

だって今はまだ、秀一は結論を出せていない。

デートはもっと、特別な時に残しておきたかった。