お洒落好きの落ちぶれ姫は、今日も地味に参ります!〜再会した貴公子とじれ恋が始まりました〜

「ほら、さっさとやってしまうぞ」
「……うん」

 嫌がらせを受けたのはこっちなのに、どうして申し訳ない気持ちになるのか。
 ぐずぐずとした気持ちのまま身支度を開始する。雅貴はずっと黙ったままだ。
 深緑の単衣(ひとえ)を着せ、紅梅の濃い色の衣から薄い色の衣を順に重ねていく。途中、衣を固定するために腰紐で結ぶのだが、想像以上に雅貴の胴回りが大きくて手が届かず、抱きつくような形になってしまった。

「……ちょっとさっきのは怖かった」

 抱きついたついでに、持て余す気持ちを雅貴の体に向かって投げつける。
 このままやり過ごすのもありかもしれない。お互いに大人であるし、明日になったらきっと何もなかった顔で話もできるだろう。でも、こういうことはきちんと言っておかないといけないと橙子は思った。

「私、怒っているからね。ちゃんと謝って」
「……ごめん」

 意外にも、すんなりと神妙な声が橙子の頭上に落ちた。そろりと見上げると、気まずそうな雅貴の顔がそこにある。

「橙子が俺のことをすっかり忘れているから……意地になった」
「誰も忘れたなんて言っていない。雅貴さまが、びっくりするほど素敵になっていたから分からなかっただけ」

 すると雅貴は、ぱっと顔を輝かせた。

「……それ、信じていい?」
「嘘なんかつかない——」
「違う、素敵になったってところ」

 嬉しそうに確認する雅貴に、橙子はどきりと胸が跳ねる。どうにも今の雅貴と話していると調子が狂う。顔は熱くなるし、肝心な時に言葉が全然出てこない。
 橙子は、手から落としそうになった腰紐を握り直し、黙って作業を再開した。言いたいことを言ったので心は軽くなったが、胸が詰まって息苦しい。
 衣を着せ終わると、今度は座らせて化粧を施す。付け髪で顔全体の骨格を隠し、粉をはたいて丁寧に作り込んでいく。もともと整った顔なので、厚化粧をして作り込まなくても女性の顔に化けてくれた。
(子供の頃は気にも止めていなかったけど、綺麗なお顔ね)
 これは女性が騒ぐのも無理ないなと思いつつ、ふと、子どもの頃に雅貴で化粧の練習をしたことを橙子は思い出した。

「懐かしいな。昔、無理やり雅貴さまに化粧をしていたの覚えている?」
「もちろんだ。橙子は馬乗りだったからな」
「だって綺麗にしてあげるって言っているのに、嫌がるのだもの」
「当然だ」

 言って雅貴は、懐かしそうに言葉を続けた。

「あの頃の俺は、捻くれた子どもだっただろう? なんでもできる兄上のことをひがんで、自分はどうせ駄目なんだって愚痴ばかり言って」
「そうね、右大臣さまが気分転換にと明石に連れていらっしゃったのは分かるわ。なだめるの大変だったんだから。でも、今は立派な蔵人少将さまじゃない」
「橙子のおかげだよ」

 言って雅貴が橙子の腰に手を回す。ちょうど眉を真剣に描いていた橙子は、すんでのところで描き損じてしまいそうになった。

「まあ、化粧自体はもちろん嫌だったけど、いつもぜんぜん違う顔になって……。こんなに変わるんだって、化粧ってすごいなって言ったら、橙子はなんて言ったと思う?」
「……さあ? なんて言ったかな」
「すごいのは化粧じゃなくて、これだけ変われる俺の方だって。どんな風にだって変われるのだから、自分を信じてなりたい自分になればいいって」

 橙子は思わず笑みをこぼす。その時の雅貴とのやり取りはすっかり忘れてしまったが、子どもながらにいいことを言ったじゃないかと思う。

「都に戻って、好き嫌いもしなくなったし、木登りもできるようになった。勉学に励んで、ひょろひょろだった体も太くなっただろ」
「そうね、本当に見違えた」
「だから——」
「黙って」

 最後は、雅貴の唇にそっと紅を指す。指でなぞると、鮮やかな朱色が唇を形どった。

「……できた。どこからどう見ても、華やかで愛らしい姫君だわ」

 よしっと満足げに笑い、橙子は雅貴の腕をすり抜けて立ち上がる。そして部屋の外で待っているであろう藤へ声をかける。

「藤さま、できました! 早く見てください!」
「橙子、まだ話が——」
「いいえ、雅貴さま。さっそく調査開始よ」

 調査にかこつけ、橙子は雅貴の話をさらりと流した。そして呆気(あっけ)に取られる雅貴を立たせ、「ね!」と笑顔で握りこぶしを見せる。

(びっくりした。あのまま口説かれるかと思った——!)

 実のところ、息苦しくなりすぎて、あの空間に二人でとどまっていられなかっただけである。雅貴と自分に限ってそんなことははないかと思うが、まさかと錯覚してしまうような雰囲気だった。

「なんだか叫び声が聞こえたり急に静かになったり、何をしているのかと思ったわ」

 待ちわびた藤がいそいそと部屋に入ってくる。彼女は雅貴を見るなり、「まあ、愛らしい!」と歓喜の声を上げた。
「これ、本当に雅貴さんなの?」
「それ意外に誰がいる」

 むすっとして雅貴が答えると、藤が「本物だ……」と感心しきりに眺めている。

「雅貴さま、それでは今日一日よろしくお願いします。今日、私たちは藤さまの指示で温明殿(うんめいでん)の調度品や小物の片付けをすることになっています。くれぐれも優美な所作で」
「分かっている。じゃあ、行くぞ」

 言って雅貴は大股で廊下を歩いていく。本当に分かっている? ちょっと不安になりつつも、橙子は手弱女(たおやめ)となった雅貴とともに温明殿へ向かった。