エピローグ
私は相変わらず、お肉が食べられないし、家以外の場所での食事が苦手だった。
その日、転校前の友人から連絡が来て、私の体が震えていた。
「お母さん!」
泣きながら、お母さんにしがみついた。
八十田先生が事故を起こして、教師を辞めたって、なつきにも知らせた方がいいかなって。
私は春休みに入っていた。その日聞いた話によれば、八十田先生は家族で旅行に行った帰り道、高速を運転中に、ダッシュボードに入れておいた地図を取り出そうとして運転を誤った。そのまま八十田先生の車は反対車線にはみ出して、対向車と衝突。
八十田先生のご家族は重傷を負うも、命に別状はなし。しかし。
「衝突した相手の車の運転手のお父さんが……亡くなったって」
そして、同乗していた母親と幼い娘は助かるも、共に重症。
八十田先生は、交通刑務所はまぬかれたものの、損害賠償を請求されて、保険では到底賄えなかった。だから教師を早々に退職して退職金も賠償金に当てた。けれどきっと、それだけでは足りないだろう。
私は息をすることができなくなって、お母さんにしがみついたまま声を出して泣いた。
あんなにいい人だったのに、八十田先生は人を死に追いやった。八十田先生はその罪を一生背負って生きていかなければならない。
もしかしたら、それを苦に、安楽死を選ぶかもしれない。
「事故があったの、私が転校してすぐらしい」
「うん」
「だから、私、八十田先生に、会いに行きたい」
行ったところで、私になにができるわけでもないけれど。
私はその日、八十田先生に連絡を取った。なんで今更連絡したのかなんて、理由は告げなかった。
八十田先生に会いに行きたいです。いいですよ。
電話の先の八十田先生の声は、あのころと変わらず穏やかで、私はまた、泣きたくなるのをこらえた。
次の日曜日、私は手土産を持って八十田先生の家を訪ねた。
教えられた道順はわかりやすく、私の額には汗が滲んだ。春の生ぬるい風が桜の花弁を舞い上げる。私を先生の家にいざなうようだった。
ぴんぽん、チャイムを鳴らすと、がちゃり、ドアが開いた。
「待ってましたよ」
「あ……」
「ああ、これ? 事故で動かなくなってしまって」
後遺症があったなんて、聞いてなかった。八十田先生は車いすに乗って、額には痛々しい傷跡が残っていた。
私は八十田先生の家に上がる。思っているより散らかっていた。
介護士さんらしき人が八十田先生の車椅子を押した。
「あの、これ」
「ああ、気を使わなくていいのに」
手土産のクッキーを渡して、介護士さんが麦茶を出してくれた。そのまま介護士さんは洗濯を干しに外へ歩いていった。
私と八十田先生のふたりきりになって、しばし沈黙が流れた。
「すみません。私、なにも知らなくて」
「いや。いいんだ。元気そうで、先生も安心しました」
今も八十田先生は教師を続けているらしい。賠償金をはらうためか、生活費のためかは聞けなかった。
「先生、死んだりしない、ですよね」
「死ぬ? わたしが?」
先生が困ったように笑っていた。先生ならば、安楽死の条件に当てはまる。
実際、この家に来た時、私は見てしまった。ポストに入った心無い手紙。『殺人者は出ていけ』
「妻と子供は、離婚したんだ。でも、ふたりを守るためだった」
「じゃあ、今は一人で」
「ああ。でも、相川さんが調理師の高校で上手くやれてるって聞いて、わたしもうれしいなあ。今度、お料理食べさせてくださいな」
ふふ、と笑って、八十田先生は麦茶のコップを手に取った。その手は、震えている。
私も麦茶のコップを手にとって、それを一気に飲み干した。鼻の頭に汗がにじむ。
ふいに、ダイニングテーブルの方を見る。テーブルの上に、『安楽死のご案内』そう書かれた手紙が見えた。
体が氷のように冷たくなった。汗が私の体温を奪ったからではない。
声が震える。息が上手くできない。一度深呼吸をして、私は息を吐き出すように、囁くように、言葉を出した。
「安楽死……先生は、安楽死は、考えたことはないんですか」
先生の視線がダイニングテーブルに向いた。隠せないことを悟ったのか、隠す気がないのか、八十田先生は穏やかに笑ったままだった。
「……安楽死ね。ありますよ、正直な話をすれば」
やっぱり。私の体が今度は熱を持った。脳みそが爆発しそうなくらいに熱かった。
あの手紙は、八十田先生に宛てたもので間違いないようだった。
先生は安楽死を、望んだ。それでも、踏み切れなかったのだという。離婚したとはいえ、子供の許可は必要になる。
しかし、子供たちは八十田先生の安楽死を反対しなかったのだそうだ。
八十田先生は、病院で診断書をもらって、三親等内全員のサインをもらって、安楽死に申し込んだ。事故にあって三ヶ月経ったころのことだそうだ。
「先月、わたしの番が回ってきたんだけど。腕に点滴の管をつながれて。この活栓を回したら死ねます。って言われたんだ。看取りは誰も呼ばなかったよ」
それでも、八十田先生はその活栓を回せなかった。最後の最後、踏みとどまらせたものはなんなのか、八十田先生にもわからないのだそうだ。
それは子供の存在だったのかもしれないし、妻の存在だったのかもしれない。
「子供の結婚を見届けたい。子供の幸せを。わたしは安楽死なんて望んでいたのだろうか? それに、わたしの罪は、わたしが償わなければならない」
八十田先生らしいと思った。優しくて、責任感のある。
昔からなにひとつ変わっていなかった。
八十田先生の目に涙が滲んでいる。それは八十田先生の血潮であり、生きている証でもあった。
命が瞳を滑り落ちて、八十田先生の頬を濡らした。
それこそが八十田先生の答えであり、私の答えであり、そしてそれは、死そのものであった。
「あまり長居したら申し訳ないので、私もう帰ります。今日は会えてよかったです」
「こちらこそ。相川さんが生きていてくれてよかったとわたしが思ったように、きっとどこかで、わたしが生きていてよかったと思ってくれる人が、いるのだと思えました」
それは私たちが持つ傷跡だと思った。
私は死ぬのが怖い。今でも怖い。だから、安楽死を望む人の気持ちなんてわからない。
わからないはずだった。
けれどきっと、あの入院の日々に、安楽死を願った自分も本当なのだ。
私は八十田先生の家に行った帰り道、適当なファミレスに入って料理を注文した。
私は家以外での食事ができない。できてもせいぜい、おにぎり程度だ。肉だっていまだに食べられない。
食べることは生きること。ならば私は、死にたがっているのだろうか。
ウェイトレスさんがステーキを運んでくる。ライスは大盛りだ。
私はナイフとフォークを手に取り、大きくステーキを切り取った。フォークで刺したステーキを口に運ぶ。大きく口を開けて、ステーキを舌の上に乗せた。
これは私だ。いつかの私だ。私は調理師になって、たくさんの人を殺し、たくさんの人を救う。
そこに命の重さなんてなくて、私は色即是空、空即是色。
今日も人為的に人が死ぬ。自然の流れで人が死ぬ。人の過ちで人が死ぬ。その中に、私の名前は、まだ、ない。
牛肉の脂が舌の上を通って喉の奥に流れていく。歯が肉をかみちぎって細かく砕いていく。
そして私は、大盛りのライスを皿からかき込んで、ステーキと一緒に飲み込んだ。
了
私は相変わらず、お肉が食べられないし、家以外の場所での食事が苦手だった。
その日、転校前の友人から連絡が来て、私の体が震えていた。
「お母さん!」
泣きながら、お母さんにしがみついた。
八十田先生が事故を起こして、教師を辞めたって、なつきにも知らせた方がいいかなって。
私は春休みに入っていた。その日聞いた話によれば、八十田先生は家族で旅行に行った帰り道、高速を運転中に、ダッシュボードに入れておいた地図を取り出そうとして運転を誤った。そのまま八十田先生の車は反対車線にはみ出して、対向車と衝突。
八十田先生のご家族は重傷を負うも、命に別状はなし。しかし。
「衝突した相手の車の運転手のお父さんが……亡くなったって」
そして、同乗していた母親と幼い娘は助かるも、共に重症。
八十田先生は、交通刑務所はまぬかれたものの、損害賠償を請求されて、保険では到底賄えなかった。だから教師を早々に退職して退職金も賠償金に当てた。けれどきっと、それだけでは足りないだろう。
私は息をすることができなくなって、お母さんにしがみついたまま声を出して泣いた。
あんなにいい人だったのに、八十田先生は人を死に追いやった。八十田先生はその罪を一生背負って生きていかなければならない。
もしかしたら、それを苦に、安楽死を選ぶかもしれない。
「事故があったの、私が転校してすぐらしい」
「うん」
「だから、私、八十田先生に、会いに行きたい」
行ったところで、私になにができるわけでもないけれど。
私はその日、八十田先生に連絡を取った。なんで今更連絡したのかなんて、理由は告げなかった。
八十田先生に会いに行きたいです。いいですよ。
電話の先の八十田先生の声は、あのころと変わらず穏やかで、私はまた、泣きたくなるのをこらえた。
次の日曜日、私は手土産を持って八十田先生の家を訪ねた。
教えられた道順はわかりやすく、私の額には汗が滲んだ。春の生ぬるい風が桜の花弁を舞い上げる。私を先生の家にいざなうようだった。
ぴんぽん、チャイムを鳴らすと、がちゃり、ドアが開いた。
「待ってましたよ」
「あ……」
「ああ、これ? 事故で動かなくなってしまって」
後遺症があったなんて、聞いてなかった。八十田先生は車いすに乗って、額には痛々しい傷跡が残っていた。
私は八十田先生の家に上がる。思っているより散らかっていた。
介護士さんらしき人が八十田先生の車椅子を押した。
「あの、これ」
「ああ、気を使わなくていいのに」
手土産のクッキーを渡して、介護士さんが麦茶を出してくれた。そのまま介護士さんは洗濯を干しに外へ歩いていった。
私と八十田先生のふたりきりになって、しばし沈黙が流れた。
「すみません。私、なにも知らなくて」
「いや。いいんだ。元気そうで、先生も安心しました」
今も八十田先生は教師を続けているらしい。賠償金をはらうためか、生活費のためかは聞けなかった。
「先生、死んだりしない、ですよね」
「死ぬ? わたしが?」
先生が困ったように笑っていた。先生ならば、安楽死の条件に当てはまる。
実際、この家に来た時、私は見てしまった。ポストに入った心無い手紙。『殺人者は出ていけ』
「妻と子供は、離婚したんだ。でも、ふたりを守るためだった」
「じゃあ、今は一人で」
「ああ。でも、相川さんが調理師の高校で上手くやれてるって聞いて、わたしもうれしいなあ。今度、お料理食べさせてくださいな」
ふふ、と笑って、八十田先生は麦茶のコップを手に取った。その手は、震えている。
私も麦茶のコップを手にとって、それを一気に飲み干した。鼻の頭に汗がにじむ。
ふいに、ダイニングテーブルの方を見る。テーブルの上に、『安楽死のご案内』そう書かれた手紙が見えた。
体が氷のように冷たくなった。汗が私の体温を奪ったからではない。
声が震える。息が上手くできない。一度深呼吸をして、私は息を吐き出すように、囁くように、言葉を出した。
「安楽死……先生は、安楽死は、考えたことはないんですか」
先生の視線がダイニングテーブルに向いた。隠せないことを悟ったのか、隠す気がないのか、八十田先生は穏やかに笑ったままだった。
「……安楽死ね。ありますよ、正直な話をすれば」
やっぱり。私の体が今度は熱を持った。脳みそが爆発しそうなくらいに熱かった。
あの手紙は、八十田先生に宛てたもので間違いないようだった。
先生は安楽死を、望んだ。それでも、踏み切れなかったのだという。離婚したとはいえ、子供の許可は必要になる。
しかし、子供たちは八十田先生の安楽死を反対しなかったのだそうだ。
八十田先生は、病院で診断書をもらって、三親等内全員のサインをもらって、安楽死に申し込んだ。事故にあって三ヶ月経ったころのことだそうだ。
「先月、わたしの番が回ってきたんだけど。腕に点滴の管をつながれて。この活栓を回したら死ねます。って言われたんだ。看取りは誰も呼ばなかったよ」
それでも、八十田先生はその活栓を回せなかった。最後の最後、踏みとどまらせたものはなんなのか、八十田先生にもわからないのだそうだ。
それは子供の存在だったのかもしれないし、妻の存在だったのかもしれない。
「子供の結婚を見届けたい。子供の幸せを。わたしは安楽死なんて望んでいたのだろうか? それに、わたしの罪は、わたしが償わなければならない」
八十田先生らしいと思った。優しくて、責任感のある。
昔からなにひとつ変わっていなかった。
八十田先生の目に涙が滲んでいる。それは八十田先生の血潮であり、生きている証でもあった。
命が瞳を滑り落ちて、八十田先生の頬を濡らした。
それこそが八十田先生の答えであり、私の答えであり、そしてそれは、死そのものであった。
「あまり長居したら申し訳ないので、私もう帰ります。今日は会えてよかったです」
「こちらこそ。相川さんが生きていてくれてよかったとわたしが思ったように、きっとどこかで、わたしが生きていてよかったと思ってくれる人が、いるのだと思えました」
それは私たちが持つ傷跡だと思った。
私は死ぬのが怖い。今でも怖い。だから、安楽死を望む人の気持ちなんてわからない。
わからないはずだった。
けれどきっと、あの入院の日々に、安楽死を願った自分も本当なのだ。
私は八十田先生の家に行った帰り道、適当なファミレスに入って料理を注文した。
私は家以外での食事ができない。できてもせいぜい、おにぎり程度だ。肉だっていまだに食べられない。
食べることは生きること。ならば私は、死にたがっているのだろうか。
ウェイトレスさんがステーキを運んでくる。ライスは大盛りだ。
私はナイフとフォークを手に取り、大きくステーキを切り取った。フォークで刺したステーキを口に運ぶ。大きく口を開けて、ステーキを舌の上に乗せた。
これは私だ。いつかの私だ。私は調理師になって、たくさんの人を殺し、たくさんの人を救う。
そこに命の重さなんてなくて、私は色即是空、空即是色。
今日も人為的に人が死ぬ。自然の流れで人が死ぬ。人の過ちで人が死ぬ。その中に、私の名前は、まだ、ない。
牛肉の脂が舌の上を通って喉の奥に流れていく。歯が肉をかみちぎって細かく砕いていく。
そして私は、大盛りのライスを皿からかき込んで、ステーキと一緒に飲み込んだ。
了
