私の腹を満たすもの

四、調理師学校


 高校の単位のこともあって、私は一か月の拘束と、一カ月半の普通室の入院ののちに、退院する運びとなった。
「なつき、ごめんね、ごめんね」
「お母さん……もういいよ」
 本当は、いの一番にののしってやろうと思っていた。
 よくもこんな場所に、私がどんな思いをしたのか教えてやろうか? 私は死にたい。どうしても死にたい。安楽死も考えたんだよ。私は怖い、太るのが怖い。でも、それよりなにより、
「私、死ななくてよかった」
 病院生活は窮屈で、非人道的でいまだに納得もできていない。けれど私は、やっぱり生きたい。
 死ぬ勇気なんてない。安楽死なんてごめんだ。私は安楽死を選ぶ人たちを否定はしない。しないけれど、私が死ぬのは、きっと今日のことではなかった。

***

 退院して、私はお母さんの運転する車の中で、声を振り絞った。カラカラで、よく聞こえなかったはずなのに、お母さんは私の言葉のひとつも取りこぼすことはなかった。
「お母さん、アンパン、買ってこう」
 私が変わったところをわざとらしく見せつけたかったのかもしれないし、あのパン屋にぎゃふんと言わせたい気持ちもあった。お母さんは少し迷って、
「わかった。じゃあ、買っていこうか」
 車をスーパーに走らせた。
 今日も私たち親子が現れると、そのパン屋さんは試食のトレーをすべて下げた。私はお盆とトングを手に取って、店員に見えるようにアンパンを五個、お盆に乗せた。
「い、いらっしゃいませ……」
「いつもありがとうございます」
 こちらからお礼を言ってやった。パン屋さんはあからさまに嫌そうな顔をする。お母さんが財布から小銭を探している間、私に見えるようにわざとトングでアンパンをつぶすようにつかんで、袋に詰めていた。

 二か月半ぶりに家に帰って、家族みんなが出迎えてくれた。家に入ると懐かしい匂いがした。我が家のにおいだ。もう、消毒臭いあの部屋から逃げ切ったのだと思うと、涙が滲んだ。
「お帰り。なつき」
「姉ちゃん、お帰り」
「……頑張ったな」
 世間体を気にしていたお父さんが、私をおもむろに抱きしめた。普段こんなことしない人だから、私の入院だってなんとも思っていないと思ったのに、私は不意打ちされて思わずわんわんと泣き喚いた。涙がぼたぼたとこぼれ落ちる。恨みつらみと共に、涙が頬を伝って床を濡らした。私の感情は床に吸い込まれてどこかへ消えて、きっとまたいつか、私に戻ってくる。
「私、身体拘束されて」
「ああ、つらい思いをさせたな」
「そうだよ、安楽死まで考えて」
「なつき……」
「でも私、私やっぱり死にたくない! 生きててよかった!」
 お母さんとお姉ちゃん、和樹も私を抱きしめて、家族五人でわんわんと泣いた。いまだ、私は食事が怖くて、退院したらやっぱり普通の食事はできなかった。食べることは生きること。ならば私は、生きることを拒絶しているのだろうか。

「お母さん、明日から、朝ご飯に蕎麦が食べたい」
「お蕎麦ね。わかった」
 退院してきて、週に一回、二回と学校に行ける日が増えていった。相変わらずご飯は不安定で、だけれど、毎日あのパン屋さんのアンパンを食べられるようになった私は、太りにくい食材、かつ栄養のあるものと考えて、蕎麦なら食べられるだろうと、お母さんに頼んだ。
 翌朝、お母さんは二人前の蕎麦を茹でた。
「さ、食べようか」
 お姉ちゃんと弟の和樹、お父さんと食卓を囲むのは、もう一年ぶりくらいだった。
 お父さんとお姉ちゃん、和樹はご飯に目玉焼きにウィンナーだったけれど、私とお母さんはお蕎麦だった。
「いただきまーす」
 お母さんがいつも通りに朝食に箸をつける。私だけ蕎麦にすればいいものを、お母さんは私に気を使わせないために、自分の朝食も蕎麦にしたらしい。
「なんで蕎麦?」
 和樹が首をかしげる。
「知らなかったの? お母さん、蕎麦が好きなのよ」
 お母さんがずずっと蕎麦をすすった。私はなにも言わず、蕎麦をつゆにつけてすすった。めんつゆの辛味と蕎麦の風味が鼻に抜ける。わさびもいいアクセントだ。
「じゃあ、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
 その後私は八十田先生のサポートもあって、調理師の高校に転校した。なぜかと聞かれたら、私は自分の拒食症を克服したかったからだった。
 だけど、最後の関門が抜けられない。私は、転校しても、お肉だけはどうしても食べられなかった。

 世間では、盛んに安楽死の是非を問う番組が取りざたされている。
 私はきっと、あの拒食症の日々、本当は誰よりも死にたがっていた。生きることを拒絶していた。
 私は高校の勉強についていけずに、誤ったダイエットに陥ってしまった。食べるくらいなら死んだほうがましだと、本気で思っていた。
 あの日の私は、安楽死を望む人たちと、なんら変わりない。私はきっと、彼らの気持ちを誰よりも理解している。
「相川さんって、あのO高校出身なの!?」
 よく、同期のクラスメイトに驚かれるが、卒業できたのはたまたまだし、私は勉強に挫折した身だ。
 私なんて、と卑下するのは、もしかすると嫌味にしか聞こえないかもしれないけれど、嘘偽りなく、私は答えた。
「私は、拒食症だったから、高校二年生の授業はあまり出てないし」
「拒食症……そう、なんだ」
 みんな、あんまり理解していないようだった。言ってしまえば、先生陣も拒食症への理解があったとはいいがたかった。
「相川さんは、本当に優秀ね。拒食症じゃなかったら、来年の特待生に選ばれたのに」
 職員室に呼ばれて、なにごとかと思えば、そんな嫌味を言われることもあった。
 その先生は、私が生理的に気に入らないらしく、私が先生のテストで満点を取っても、心を病んでいるからという理由で、成績はいつもCだった。
 D以下が落第だから、先生は私が本当に嫌いなんだなと思った。
「そうですね。特待生は、心身ともに健康でなければなりませんし」
 入学に際し、拒食症のことをどうするか、お母さんとよく話し合った。
現状、体重は四十まで回復したし、肉が食べられないのだって、言わなければ拒食症には結びつかない。
 だが、どうにも黙ったままではいられない性分の私は、入学に際して先生に事情だけは話していた。
いや、私はただ、調理師の資格を持つ先生たちならば、私に理解を示してくれるのではと期待していたのだ。
「拒食症を患ったことかがあって、今でも肉が食べられません」
「そう。つらかったのね」
 特に調理師の学科は調理実習は必須だ。そこで私だけ肉が食べられないとなれば、先生も生徒も戸惑うだろう。
私は別に、クラスメイトと距離を置きたいわけでも、同情してほしいわけでもなかった。
 ただ、私は肉が食べられないけど、それでも本気でこの学科を卒業したいということだけを伝えたかった。
「なつきちゃんって、やっぱり頭いいよね」
「いや、好きなことだからだよ」
 調理師高校の偏差値は四十くらいだった。
私の前の高校の偏差値が六十五だから、周りのみんなはそれだけで私と壁を作った。
 結局、私に友だちらしい友だちはできなかったけれど、あらかじめ先生陣に事情を話していたことが功を奏し、私はひとりでも寂しくなかった。
「相川さん、これ」
 先生たちは、私をこっそり先生室に呼んでは、もらいもののお饅頭や味噌、お菓子などを私にわけてくれた。
 中には職員室でお茶を出してくれる先生もいて、
「拒食症について、詳しく知りたいんだけど」
「私でよければ。私も聞きたいんですけど」
 その先生は、保健所の元職員で、私はその先生に聞いたのだった。
「もしも先生が拒食症の患者に会ったら、どんな対応をしますか?」
 いろんな先生に聞いたことだった。ある先生は、
「拒食症の子って、栄養指導に通うけど、自分の話ばかりして言うこと聞かないし。なにがしたいのかわからなかったな」
 そう、偏見を述べるものもいた。ある先生は私の問いに言葉を詰まらせ、そして、今目の前にいる先生は、穏やかな顔で私の目をまっすぐに見据えた。
「なになら食べられるか、一緒に考えます」
「なになら」
「うん、卵なら、生とか茹でとか。白身だけ黄身だけ。いろんな食べ方があるでしょう? なになら食べられるのか、一緒に探していくかなあ」
 こういう人こそが、調理師になるべきなのだと私は思った。もちろん、理論や知識は大事だ。
 それでも私は、拒食症に理解のある調理師が存在したことに感激し、以来、その先生の部屋にたびたび遊びに行くようになった。

 調理師過程では、校外実習が三回ほどある。
 私は、体力が持つか心配だった。
 私の現在の食事内容と言えば、朝は蕎麦、昼はおにぎり、夜は普通に。
 学校で食事をするときは、本当に緊張する。私のこと、太ってるって誰かに笑われていないか不安で仕方がなくて、私はすぐに食べ終わるおにぎりしか学内では食べることができなかった。
 人間は大人になると好き嫌いが減っていく。苦味や酸味の強い食べ物は、本来毒か腐敗したものだ。
 しかし人間は、苦くても酸っぱくても、体に害のない食べ物を学んで行って、大人になるころにはそれらは毒ではなく食べ物だと理解する。
 それに加えて、子供に比べて大人の味蕾は減少するから、味を感じにくくなる。味蕾とは味を感じる細胞だ。
 つまり人間は、大人になると味に鈍くなる。だから子供のころに感じた不快な味も感じにくくなるために、好き嫌いが減るのだという。
 なのに私は、大人になるにつれて食べられるものが減っていって、自分が普通でないことなんてはなからわかっていた。
 調理実習では、作ったものを試食することもできない。肉以外のものは食べられるようになったのに、今度は家以外の場所での食事が困難になった。本当は、誰よりも調理実習の献立を食べたかった。
 世界各国の料理を作り、行事食を作り、病院食を作り、赤ちゃんのご飯を作り、腎臓病食を作り、肝臓病食を作り。
 そのすべてを、舌と脳に焼き付けたかった。
 なのに、怖くて食べられない。
 食べることが怖い。誰かと一緒に食べることが。
「お母さん。私、外で食べられないのって、治せるかな」
 何の気なしに、お母さんに聞いた。
 私が退院してきてから、夕食は家族そろって食べるようになっていた。賑やかな一家団欒。
 まるでろうそくみたいで私は夕飯の時間が好きだった。
「お医者さまに聞いてみる?」
「そんなくだらないことを聞いてもいいのかな」
「いいのよ。今度の土曜日に行くんだけど、一緒に行ってみる?」
 心療内科になんて、通いたくなかった。自分は拒食症だけれど、心の病気ではない。そう、思いたかった。
 けれどどうにも、私はどんどんできることが狭まっていった。外でご飯が食べられなくなって、バスや電車の席が汚くて座れない。
「私、一回だけなら、行ってみようかな」
「うん、わかった」
 お母さんはそれ以上は、なにも言わなかった。

 次の土曜日、私は心療内科というものに、初めて足を踏み入れた。暗い雰囲気は一切なく、ピンクを基調とした待合室はクリーンで明るい。
 その待合室の壁の張り紙に、私の目が留まった。
「安楽死診断書……」
「なつき! そんなの見なくていい!」
 お母さんが私を引っ張って、張り紙が見えない位置に座らせる。そうか、安楽死の条件に、身体的、または精神的苦痛を伴う病気、という条件があったのだったか。
 つまり、この病院でもそういった診断書が書けますよ、ということらしい。吐き気がした。
 なんだ、死を売り物にして。診断書って、高いんでしょう? 一万円くらいするのかな。
 正式なものだもの、数千円ではないだろうなと、私は思った。

 待ち時間は二時間にも及んだ。
 心療内科の待合室が満席になって、このご時世のメンタル汚染の重さを物語っていた。
 昔に比べて、心療内科へのハードルが下がった。一昔前までは、鬱は壮年期の男性の病気とされていた。
 つまり、女子供は精神疾患にかからないのだ。
 子供の精神疾患は等しく統合失調症で、女の精神疾患はただのヒステリー。そういう時代を経て、どうやら精神疾患は子供でもかかるし、女でもかかるということが分かってきた。
 鬱は心の風邪、なんてフレーズは今はもう古い。
 心の病気は誰でもなりうる病気で、完治はしない。寛解はするが。寛解というのは、薬やカウンセリングは必要だが、病状が出なくなった状態を指す。私もいつか、寛解に至れるのかな、なんてことを思ってかぶりを振った。
 今、私が気を付けるべきなのは、過食症への移行だった。
 拒食症は、治すのが難しい。そのうえ、反動で過食症に移行する割合は決して低くはないのだとか。
 過食になって太った暁には、今度こそ私は安楽死を選ぶだろうなと思った。私は太って醜くなるくらいなら、潔く死を選ぶつもりだ。
 そう思っている時点で、私はまだ、拒食症から脱せていないのかもしれない。
「相川さん、診察室へどうぞ」
 呼ばれて、お母さんと一緒に診察室に入った。

 お香の炊かれた診察室には、八十を超えるであろうおじいちゃん先生が椅子に座って私を見ていた。
「あら、今日はお子さんもご一緒ですか」
「はい。娘が、悩みがあるみたいで」
 確かに私は悩んでいる。家以外でご飯が食べられない。けれど私はそんなことは一切頭から抜け落ちて、ここまで生きて来た、ご老人に、ただ単純に聞きたかった。
「先生は、死ぬのが怖くないんですか」
「あはは、なつきさん、だっけ。それを聞きに来たの?」
 にこやかに笑う先生はチャーミングで、この先生が本当に安楽死の診断書を書いているようには見えなかった。
「わたしだって、死ぬのは怖いよ」
「じゃあ、なんで安楽死の診断書を書くんですか」
「そうだねえ。それはわたしにもわからない」
 そんな馬鹿な。無責任だ。握りしめたこぶしが汗をかいていた。
「とめないんですか」
「安楽死を?」
 頷く。先生が困ったようにお母さんを見ていた。
「じゃあ聞くけど。とめて、その人が自殺したら、わたしはどうしたらいい?」
「医者は命を救うのが仕事です。自殺しないように助けるためにこういう病院があるんじゃないですか?」
「一本取られたな。そうだね。わたしも、本当なら、書きたくないかな。でも、そういうひとも存在する。生きることがつらい人間に、『生きていればいいことがあるよ』なんて言う医者の方が、無責任だと思わない?」
 安楽死は、別に病気を持つ人たちのものだけじゃない。生活が苦しい人、家族の負担になりたくない人、身寄りがない人、心に傷を負った人。
 逃げ場のない人間を救うのが、安楽死だ。そんなことはわかっている。わかっているけれど、私がそうだったように、人間は本来、生きようと思う生き物なのではないのか。
 自ら死を選ぶ生きものなんて、人間以外には存在しない。存在しないから、不思議なのだ。
 安楽死は是か非か。
 そんなこと、もうとっくにテレビで飽きるほど議論されてきた。
「あなたは生きて、他人は死を選ぶ。生きることも死ぬことも、その人の自由。そういう時代に生まれてしまったわたしたちは、死ぬ瞬間までその問いの答えを探し続けるのだろうね」
「安楽死をする人も?」
「そうだね、死ぬ瞬間に、彼らはなにを思うのだろうね。生きたかったと思うかもしれないし、やっと死ねると思うかもしれない。要はその人が、死を受け入れるかそうでないか。安楽死する人も生きている人も、結局は同じ。これは正しかったのだろうか? 最後までその答えなんてわからない」
 私にはそれが理解しがたかった。自死が正しいことだとは到底思えない。残された家族を思うと、私はどうしても安楽死を踏みとどまざるを得なかった。否。死の恐怖を、彼らはどうやって乗り越えたのだろう。
 私は今も、死ぬことが怖くてたまらないというのに。
「なつきさんは、死ぬのが怖いんでしょう?」
「わかるんですか」
「そうだね。死にたくない人ほど、安楽死に興味を持つし。そして、結局、安楽死を選ぶのも、そういう人が多いからね」
 私は決して、そんなことはしない。傍にいるお母さんが不安そうに私を見た。私は、「死なないよ」と小さくつぶやいた。
 結局、安楽死する人がなにを考えているのかなんて、私にはわからなかった。
「本来無一物、という言葉がある。色即是空、空即是色。つまり、色は空であるから、人はみな、なにも持たずに産まれてくる。だから人は、なににも執着がない。死ぬ時は一人なのだから人は死ぬ事が怖くない」
「そんなはずないです。人は生まれたときに、『自分』を持って生まれます。だから人は、命に執着するんです」
「面白い考えですね。では殺仏殺祖は?」
「仏におうては仏を殺せ、祖におうては祖を殺せ。大切なものでも、執着するなということです」
「やっぱり、命へ執着するなということにはならないかな?」
 先生が困ったように笑っていた。仏に会ったなら仏を殺し、偉大なる祖に会ったら祖を殺せ。どんなに尊い教えを説いていたって、それに執着してはならない。つまり、私の意見も先生の意見も、どちらも等しく無であるのだ。
「なりません。逆に、死に執着するなともとれますよね」
 先生が、うん、と頷いていた。

 肉を目の前に出されると、相も変わらず体が震える。これを体内に取り込めば、また私は太り醜くなる。
そんなわけないとわかっているのに、私はお肉が食べられない。
 お母さんお手製のササミの蒸し物は、カロリーも低いはずだし体にも必要なのはわかっている。
頭では理解するのに心が拒絶する。
 震える手で箸を持ち、ほんの一口のササミを挟む。口を開けてササミを運び、口の中に入れて口を閉じる。ササミの味が口に広がる前に、反射で食べたものを吐き出していた。
 口内に残った肉のわずかな成分すら体に取り込みたくなくて、私は椅子を立ち上がりシンクに走った。
コップに水を注ぎ口の中に含んで洗い流す、流れろ、これは危険だ。体内に入ったら私はまた、醜くなる。私にとって肉は、いまだ毒よりも毒らしい、死よりも恐ろしいものだった。

 調理師の高校には、様々な人間が入学してくる。私はその日、門田さんという女の子に話しかけられた。ブラウンのボブヘアが可愛らしかった。
「相川さんって、ヴィーガンに興味があるの?」
 どこから聞きつけたのか、私が肉を食べられないと聞いて、私に興味を持ったらしかった。門田さんは昼休みに、私と一緒に昼食をとることになった。

 学食にはいろんなメニューがあるけれど、門田さんは山菜のお蕎麦を頼んでいた。私は持参したおにぎりに小さくかぶりついた。人と食事をするのはいささか緊張して、おにぎりが上手く呑み込めなかった。
「げほっ」
「大丈夫? お水持ってくるね」
 門田さんは席を立ち、学食の無料のお水を持って来てくれた。それを少しだけ喉に入れて、私は蕎麦をすする門田さんに話しかけた。
「私はヴィーガンじゃないよ。拒食症だったから、今もお肉が食べられないだけなの」
「でも結局、お肉は食べてないんでしょ?」
「まあ、この三年は食べてないけど」
 私が肉を食べなくってから、半年が経った。時の流れは思ったよりも遅い。
 もう何十年も、拒食症を患ったような感覚があるのに。
「そうなんだ。今度ヴィーガン同士の集まりがあるから、一緒にどう?」
「いや、私はいつか、お肉を食べられるようになりたいなって思ってて」
「ダメだよ!」
 門田さんが立ち上がる。食堂の椅子ががたんと倒れた。周りはみな、私たちなんて気にせずに、好き勝手に友達とおしゃべりしながらご飯を食べていた。
「動物を食べるなんて、必要ある? 命を殺す必要ある? 肉を食べなくても生きていけるって、相川さん自身が証明してるじゃない。なのに、動物を殺すの?」
 少し面倒くさい話になってきた。当たり障りなく断るにはどうしたらいいのだろうか。
「放課後に、ヴィーガンの先輩と会わせてあげる」
「いや、私は」
「じゃあ、放課後は帰らないで待っていてね」
 私は承諾もしていないのに、そのヴィーガンの先輩に会いに行かされることになった。

 会いに行った先輩は、ごく普通の人だった。
なんら特異な点のない、どこにでもいるような。
 私は挨拶して、喫茶店の椅子に座る。ふかふかのソファは座り心地がよく、体が吸い込まれるようだった。
「ヴィーガンはね、動物愛護と地球環境への配慮を目的としているんだ」
「そう、ですか」
 有機珈琲のみを扱う喫茶店では、卵や牛乳を使わないメニューが並んでいる。私は、食べられないくせに豆乳のパンケーキを頼んで、門田さんは紅茶と果物のパルフェを、先輩はコーヒーとあんみつを頼んでいた。
「あの、私はヴィーガンじゃなくて」
「聞いてるよ。でも、肉は食べてないんだって?」
「いや、でもゆくゆくは食べたくて」
「なぜ。動物を殺して食べるなんて、知的生物のすることじゃないって、わかってるでしょう?」
 確かに私も動物は好きだ。肉を食べなくてもなんともないのも事実だ。だけど私は、この高校に転入して強く思うようになった。やはり、肉を食べることはいつか克服しなければならない。
 人間の体には必須アミノ酸というものが存在する。バリン、ロイシン、イソロイシン、リジン、ヒスチジン、スレオニン、メチオニン、フェニルアラニン、トリプトファン。
 これらは体内で合成できないから、食事から補う必要がある。特に肉に含まれる成分だった。
「門田さんも、調理師目指してるんなら、お肉が必要ってわかるでしょ?」
 私がパンケーキを切りながら聞くと、門田さんは首を横に振った。パンケーキがばらばらに切り刻まれる。
 私はそれを、食べることはできなかった。
「必要ないことを証明するために、資格を取って、ヴィーガンの啓もう活動をするんだよ」
「そうだったの?」
「うん。だって、命をいただくって行為が、信じられない。だから、調理師の資格を持っていれば、ヴィーガンでも健康に生きられる献立もたてられるし、メニュー開発もできるし」
 少し違うな、と私は思った。
 調理師は栄養バランスのいい食事を提案し、みなを幸せにするのが生業だ。
それを、啓もう活動の一環で資格を取って、間違った食事を作る人が、調理師になっていいはずがない。
「私は違うと思うけれど。門田さんはそう思うんだね」
「え、なにそれ。私たちが間違ってるっていうの?」
「ごめん、そうじゃなくて。なにを信じて信じないかは、私の自由だし、門田さんの自由だよ」
 がたん! 門田さんが立ち上がる。先輩も立ち上がって、私を見下ろしてすごんでいる。テーブルのコーヒーがこぼれて、茶色いシミを作っていた。
「地球上の人間みんながヴィーガンになれば、それが正しいことだったんだってわかるようになるんだから!」
「落ち着いて」
「あーもう、信じられない。肉を食べないから話しかけたら。ただの病気じゃん。肉食べられないし、調理実習の試食もできない。じゃあなんで、相川さんは調理師になりたいの!?」
「私……私はただ」
 拒食症の子を救いたいだけだった。食べられない子に、どうしたら食べられるのか、一緒に考えてあげたかった。そうやって、生きることも悪くないんだよって伝えたかった。
 門田さんが鼻で笑った。
「なんだ、傷の舐めあいをしたいんだ」
「違うよ。私は私の経験を、誰かの役にたてたいだけで」
「そう。先輩、行きましょう。この子はヴィーガンにはなれない。この子はこれからも、命を粗末にするんです。安楽死する人間と変わりません」
 なぜここで安楽死の話が出るのか、私にはわからなかった。先輩が私を見下ろしてにらんでいる。
 こぼれたコーヒーは水溜まりを作り、私の顔を映し出す。
「私のお父さんは、安楽死したんだ。つい最近。サインなんてしたくなかったのに、私は父を死なせてから後悔したよ。命を粗末にする人間は嫌い。人間であれ動物であれ。死なせない道があるのに、死なせることは殺すことと同じなんだよ」
 先輩の生い立ちはよくわかった。
 わかったけれど納得はいかない。
 ならなぜ、サインしたのだろう。
 お父さんの安楽死の同意のサインを。そこで先輩がサインをしなければ、お父さんは安楽死なんてできなかった。
「お父さんの安楽死に同意したのは、先輩でしょう?」
「アンタになにがわかる!」
 先輩が私を怒鳴りつけた。
 私は肩を震わせて、その場に固まった。
「お父さんは末期のがんだった。だから仕方なかったんだ。だから私はこうして悩んで、ヴィーガンになる決心をしたんだ。それを笑うことは、誰も許さない」
「それなら、私が拒食症の子たちを救うことにだって、意義はあるでしょう!?」
 私も立ち上がり、言い返す。
 先輩と門田さんが私を責め立てる。
 なにもできない、どうせ私たちは無力だ。
 拒食症の子たちはいずれ、多かれ早かれ自殺もするだろう、衰弱して死ぬことだって。
 そうやって命を落とすことと安楽死の、なにが違うんだ。
「私は……拒食症は、生きるための行為だと思う」
「死にたがりの間違いじゃなく?」
 そんなはずない。
 確かに私は、あの日々を懸命に生き抜いた。
 お母さんが試食のアンパンで私の命をつないでくれて、最悪な精神科の入院ですら、耐え抜いた。
 本当は、退院したら私も安楽死を選びたいくらいに絶望していたのに、やっぱり私は、死ぬ道を選べなかった。
「先輩のお父さんが安楽死したのは、悪いことだったんですか?」
「当たり前だよ! 世間から後ろ指さされて、私は就職すらままならない。お母さんは気に病んで、一日中泣いて過ごすようになった。おじいちゃんもおばあちゃんも。みんなみんな、人生を狂わされたんだよ!」
 他人事だ、と思った。
 私は当事者ではないし、先輩もまた、お父さんの死に無関心だった。
 安楽死を選ぶというのは、その同意書にサインするというのは、その人が死んだ後も、その悲しみを共同で引き受けることだ。
 先輩もいい歳であったのだから、反対することだってできたはずだ。
「がんの闘病を送らせるくらいなら。介護をするくらいなら。だったら死なせてくれって。父親に言われた子供の気持ち、わかる?」
「わからない。けど」
「けど?」
「お父さんが安楽死を望んだ気持ちは、よくわかる」
 はっと先輩が笑った。
「あんたはそっち側なのね」
「はい、私も本気で安楽死を考えたことがあるので」
 私は先輩に頭を下げて、喫茶店を後にする。
 私の後ろで、先輩が涙を流していた。
 あれは私だ、入院前の私。私はひとを殺したし、ひとに殺されることだってあった。
 今こうやって生きながらえたのは、ほかならぬ家族のおかげなのだろう。

 校外実習が始まる。
 最初の校外実習では付属の幼稚園に行かされた。園児たちはみんな元気で、私たちのことも『せんせい』と呼んで、食事する様子を見守った。とてもかわいくて、私は調理師のやりがいを感じていた。
 その、初日。
 出来上がった料理は一斗食缶バケツに入れて、最初に重さを計っておく。残渣率を計ることは授業で習っていたはずなのに、私はその日、大量の残渣を見て、面食らってしまった。
「こんなに……」
 それは私だけじゃなく、おなじ班の同期のクラスメイトも同じようだった。バケツ一杯の食品残渣を見て、私たちは自分がなぜ、ご飯を作るのかを再確認する。
「調理残渣は食料廃棄率のうち三十三パーセント、のこりが食品廃棄。でもこれは」
 子供たちは、当然食べ残しがある。そして子供故に、食べきれないことはそう珍しいことではない。
まだまだ発達途中の子供に、無理矢理完食を指導する学校は今はもうない。
 とはいえ、今日の残渣は五十パーセントに及び、私の心はくじけてしまいそうだった。
 地球の裏側では食べられずに死んでいく子が大勢いるのよ、だから完食しなさい、というのは乱暴な理論だ。
 子供たちや、そして私が肉も含めて料理を残さず食べれば、地球の裏側の子たちの腹は満たされるのだろうか?
 答えは否だ。私たちがすべきは完食ではなく寄付で、私が肉を残しても食べても、世界はなんら変わらない。
「明日の出汁をこの袋に入れて、調味料を計ります」
 実習初日の午後、私たちは子供たちと同じ給食を食べて、お皿を洗いながら明日の準備をする。
 麻の袋に、煮干しとカツオ節をパンパンに詰め込んで、砂糖や醤油、みりんを計量する。
 冷やすデザートは前日のうちの作ることもあるが、この幼稚園では当日に作るようにしているらしい。
明日のデザートはカスタードプリンだった。
「じゃあ、相川さんは今日はプリンで」
「はい」
「あと。たくやくんは、卵が食べられないからお饅頭なので。そこだけは注意してください」
 アレルギーの子に、代替品を出すのは素晴らしいことだなと思う。食べられない子供に、代替品をあげるかは、その栄養士の采配によって決まる。お饅頭がひとつだけ、給食の材料の中にぽつんとたたずんでいる。
 たくやくんの名前を忘れないように、メモ帳にメモした。
「今日もまた、残渣出るんだろうね」
「そうだね。なんだか、びっくりしたよね」
 学校で習ったとはいえ、大量の調理残渣をいざ目の前にして、私も同じ班の子たちも、食事を見守る目線が変わった。
 昨日まではかわいい園児たちに癒されていたが、今日はハラハラと落ち着かない。ある意味園児は素直だ。
 おいしくなければ残すし、おいしければ残渣も減る。
「なるほど、やっぱりプリンはみんな好きか」
「そうだね。逆に、野菜料理の残渣が多い」
 バケツにぐちゃぐちゃになった料理を見る。今日の残渣率はそこそこで、昨日の残渣に比べればだいぶ少なかった。
 私たちは残渣の量を計って、校外実習ノートに記入する。
 本来この保育園では、調理残渣は計らない。残渣は計量せずにすぐに捨てて、また調理師さんは明日の献立の準備をする。
 けれど、私たち実習生が来る時期だけは、調理残渣をひとつひとつ計らせるのだ。
 勉強の為であるとはいえ、調理師さんは食品廃棄に慣れきって、ひとの心なんてもうとっくにないのかもしれない。
「相川さんって、どの子?」
「あ、はい。私です」
 園児の給食が始まると、私たちの食事も少し遅れて始まる。けれど私は、なにも食べられなかった。いまだ私は人との食事が怖くて、実習先での食事なんてもってのほかだった。
 調理師さんが私を手招きする。
「これ、どう?」
 飴を渡されて、これならば食べられそうだと首を縦に振った。
「食べられないのは聞いているよ。でも本当にお昼ご飯抜くなんて……酷な話をするけれど。調理場は体力勝負だから、いつかそれを克服しなければならない日が来るよ」
「はい、わかってます」
「うん、本人が一番つらいことも、わかっているよ。私も病院の経験はあるし」
 そのうえで、栄養士さんが、続けた。
「きっかけなんて、些細なことなの。相川さんにとって、肉は恐怖そのものであるのだろうけれど、見たところ相川さんは食べられない自分に自覚的だし、努力もしている。だから、大丈夫。今はただ、焦らないで。自分を責めることだけは、しないでね」
 飴玉を三個、私に渡して、栄養士さんは栄養士室で来月の献立を立てている。保育園に務めているからか、まるで私を子供の様に扱っていた。実際私はまだまだ子供なのだけれど、なんだかむず痒い。
 いつかは克服できると言ったって、それがいつになるのか確証はない。おばあちゃんになってからかもしれないし、明日、急にそうなるかもしれない。
「さて、残渣調査行かなきゃ」
 私は大量の残渣を見ても、なにも思わなくなった。いつか残渣の様に、私にとってお肉は単なる食べ物で、食べるときに勇気も緊張も必要なく、ただ自然な流れでそうすることができるようになるのだろうか。
 そんな自分を思い描こうとしても、なにも浮かんでこなかった。
 結局私は、保育園実習で調理した給食を、一口も食べることができなかった。

 二回目の校外実習は小学校だった。
 大量調理は普通の調理とは違った難しさがある。調味料が最たる例だ。調味料は、一人前を五百倍にするのでは余るので、大量調理の際の調味料の計算は普段とはまた別の計算式になる。
「私たち調理師は献立を立てて、現場の衛生確認をします。皆さんには、調理師さんのお手伝いをしてもらいます」
「はい」
 学校実習でも、残渣の調査がある。一学年三クラス、かける六。それぞれのクラスの一斗食缶が帰ってくると、それぞれの残渣を調査する。加えて、食品廃棄率の計算もあった。
 野菜の皮をむくとき、厚く剥いてしまうと可食部がだいぶ減る。ひとつひとつは大した量ではないのだが、それが何十個にもなると、皮をむくのにも気を使った。
「私、残渣って慣れそうにないな」
 私が反省会でつぶやくと、同じ班の子たちもうんうんと頷いた。
「管理栄養士さんは、残渣を見て悲しくなることはないんですか?」
「そりゃあ、今でも悲しい。慣れることはないかな。でも、次はもっとおいしいものを作ろうって、思うかな」
「そうなんですね」
 調理師さんにも聞いてみると、
「わたしたちは、残渣よりも食中毒がなかったことに、毎日安堵しているよ。食中毒は私たち調理者にとっては一番の懸念点だからね。残渣はもう、慣れたかな。だれでも好き嫌いはあるわけだし。ただ、この残渣を肥料かなにかに活用できたらとは思うけれど」
 大量の残渣を有効活用できれば、罪悪感も多少は減るだろう。
 私は校外実習ノートⅡに書き込んでいく。一般家庭では生ごみ処理機に入れれば肥料になるが、学校給食の残渣は家庭の比にはならない。
「それより、相川さんはなんでご飯を食べないの?」
 調理員さんが不思議そうに首を傾げた。
 管理栄養士さんが慌てて口にする。
「相川さんは、私の方で事情はあとで説明します」
「あ、そうですか」
 調理員さんはだいぶ歳のいった女性で、この調理場を仕切っている。対して調理師さんはまだ若く、だいぶ物腰の柔らかな人だった。
 管理栄養士さんが、反省会の後に「ごめんね」と私に謝った。
「いえ、食べられない私が悪いので」
「ううん。ちゃんと申し送ったつもりだったんだけど」
 管理栄養士さんは、今回の実習生の中に拒食症の子がいるから、フォローしてあげてください。そう伝えたらしい。
 だから、あの調理員さんは私への理解がなかった。
 拒食症って言ったって、私の体重はこのころには四十五まで増えていたし、昼ご飯を食べないこと以外はいたって普通だった。
「相川さん、ごめんね。普通だからわからなかったの」
「あ、いえ。私も、最初にお伝えするべきでした」
 調理員さんが私に謝る。
 別に、私は拒食症を隠しているわけじゃないから、最初から調理員さんにも告げるべきだったのだ。
 調理員さんが、給食の残りのゼリーを私に渡す。
「おうちでは食べられるんだって?」
「はい」
「じゃあ、これ。持って帰って」
 こうやって、大人たちは私になにかと気を使ってくれる。
 申し訳ない反面、人間も捨てたもんじゃないなと思う。
 そして、それを見ていても、同じ班の子たちはなにも言わない。
 班の子たちには私の病気の話はしてあるし、そのうえで、「大丈夫。私たちもサポートする!」と言ってくれたほどだった。
 相変わらず、調理師学科の高校では友だちらしい友だちはいないけれど、私は同期に恵まれている。
もしかすると、調理師学科に通っているからみんな、私の病気への理解があるのかもしれない。
 これが通信制の普通学科に転校していたら、私は理解されずに本当に一人ぼっちになっていたのかも。そう思うと、調理師は私の天職であり、この学校は私を成長させてくれる、唯一の居場所なのかもしれない。

 このころ、私に人生で初めての彼氏ができた。
 高校の一つ上の先輩だった。
「なつきちゃんって、頭いいんだ」
「え、そんなことないよ」
「でも、O高校出身だって、友達に聞いたよ」
 一個年上の彼は、物腰柔らで、だけれどどこか自分に自信のない人だった。どこから聞きつけたのか私の出身高校がO高校だと知ると、そんな風に自分を卑下した。
「俺なんて、K高校だもん。なつきちゃんには釣り合わないなあ」
「そんなことないって。私は……高校の三年次はぎりぎりで卒業してるし」
 拒食症で、とは言えなかった。彼が私を見て「そう?」と笑った。
「大志くんだって、いいところいっぱいあるよ」
「例えば?」
「今みたいに、道路側を歩くとか、私の帰りを待ってくれるのとか」
 大志くんの顔がぱっと明るくなった。彼氏彼女って、これでいいのだろうか。拒食症のことを秘密にして、私はまるで、大志くんの機嫌をうかがう都合のいい女いなっていないだろうか。

 家に帰って、お母さんよりも先にお姉ちゃんに相談する。
「お姉ちゃん、ちょっといい?」
「うん?」
 お姉ちゃんは県内の銀行に勤め始めた。もともと理数系の人だったから、だいぶ社内でも重宝されているらしい。
就活の時、いくつか内定が決まって、最後までどこに就職するか迷っていたくらいだった。
引く手あまたなお姉ちゃんに対し、私はちゃんと就職できるのだろうか。調理師の大学に行くからには、私も就職に腹をくくったつもりだ。
 つまり、普通の学科ならば就職先を様々選べるが、私の様に専門職の高校出身だと、その資格の就活に対しては有利でも、もしも調理師以外の職に就こうとなれば、不利になるということだ。
 実際、年に何人かは、調理師にならずに一般職に就職する人がいるのだと聞く。私の志望先は病院だ。
 そこで私は、様々な人たちに栄養指導をしたい。
「あのね、彼氏がなんかモヤモヤして」
「もしかして、拒食症のこと?」
「そうじゃないんだけど」
 なんとなく、大志くんがなんで私を選んだのか、気になってしまう。私なんて大してかわいくもないし拒食症だし、ならばなんで彼は私を選んだのだろうか。
「大丈夫だよ。考えすぎ。気になるなら聞いてみればいいじゃない」
「うーん、でも、怖いな」
 聞いて、別れるようなことになったらと思うと、どうしても聞くことができなかった。

「なつきちゃん」
 もうすぐ冬休みという時期、大志くんが真剣な面持ちで口を開いた。
 今日は話したいことがあるからと、待ち合わせは近くの喫茶店だった。
 レトロな雰囲気がかわいくて、私はなにも考えずにコーヒーを頼んだ。
「なつきちゃんって、デートの時、あんまりご飯食べないじゃん」
「あ……それは。小食なの」
 どっどっどっど。心臓が脈を速めた。
大志くんが私を見ている。穴が開くんじゃないかってほどに見つめられて、私はコーヒーを口に入れた。
苦い。
 苦みを消すためにミルクを入れてかき混ぜる。白と黒がまじりあって、やがて茶色の渦を作った。
「友達に聞いたら、なつきちゃん、拒食症だったんだって?」
 ひゅ、と息が詰まる音がした。
 なにも考えられなくなっていく。
 コーヒーに映る私が消えていく。
 茶色の中に私はもういなくて、世界からも姿を消した。息遣いだけが聞こえてくる。それは私の荒い息と、大志くんの静かなため息。
 私が言い訳をするために口を開いたのと同時だった。
「病気の人とは、付き合えない」
「でも……今はお肉以外は食べられるし」
「そういう問題じゃないよね。隠していたことを怒っているんだよ」
 私は猛省する。
 もっと早くに知らせていれば、大志くんは私に幻滅しなかったのだろうか。店のエアコンがぶうんと音を立てる。
 冬なのにあつく、私はトレンチコートを脱いで椅子の背もたれに掛けた。
 エアコンが全く機能していない。体が熱く、熱湯風呂を浴びたようだった。
「はあ。O高校の彼女がいるって話すとみんながうらやましがるから付き合ったけど。こんな頭おかしい人間だったなんて、怖すぎ」
「怖くなんてないよ! てか、そんな理由で付き合ってたの?」
「ほかになにがあるの? 学歴高いから頭いいんだって思っていたら、拒食症なんて頭のおかしい人間で。俺、なつきちゃんに殺されたくないし」
 殺したりなんかしない、決して。
 頭だって、おかしくないよ。
 私はあなたと変わらない、ただの人間なんだよ。ただ、肉を食べられないだけで。
「じゃ、そういうことだから、俺行くね。食事代はなつきちゃんが払っておいて」
 結局、そういう男なのだ。
 付き合っていたころから、なにかと自分を誇示して、私を友達に紹介する時だって、「O高校出身なんだぜ」が口癖だった。
 私がおかしいのだろうか。
 ご飯を外で食べられない、肉を食べられない私が。
 デートの時は、無理して食べるようにしていたのに。
 それでも、ご飯の半分は残していたけれど。胸が痛む。
 作ってもらったものを残すのは、本当に苦しい。その苦しさわずらわしさから解放されるんなら、振られてかえってよかったと思うことにした。

「なつき、大丈夫?」
「お姉ちゃん。大丈夫だよ」
「眼が真っ赤」
 夕飯時、お姉ちゃんがいち早く私の異変に気が付いた。家に帰ってひとしきり泣いた私は気持ちを入れ替えて、家族での食事を楽しんでいた。お姉ちゃんがいぶかし気に私を見る。
 お姉ちゃんは私にだけ甘い。和樹には、こうやって心配の言葉を掛けたことがない。同性の兄弟ってそういうものなのかもしれない。お母さんよりも近くて、友達よりも大好きな人。
「ちょっと……大志くんと別れた」
「ええ!? なんで?」
 お母さんが「初耳なんだけど」と目を丸くしている。お父さんまでもが私を見て驚き目を牛みたいに丸くしていた。
 お姉ちゃんが事のあらましをみんなに説明して、私はご飯を咀嚼しながらボロボロと涙をこぼした。
 涙がご飯に混じってしょっぱい。ずず、と鼻をすする。塩気が濃い食事は、私を落ち着かせてはくれなかった。
「なんか、私が拒食症で頭おかしいから、別れるって」
「なにそれ!? 私が代わりに文句言ってやる!」
 お姉ちゃんが私にティッシュを渡す。私はお茶碗を置いて、ティッシュを鼻に当ててちーんとかんだ。
 お母さんも憤慨する。「なつきは変じゃないんだから、気にしないでいいんだよ!」お父さんが私の頭を撫でている。「そんな見る目ない男、早く別れた方がよかったんだ」
「そうだよ、姉ちゃんは誰よりも優しくて繊細で。もっといい男がいるって。俺みたいな!」
「うん、和樹みたいな男子とは付き合わないかな」
「ひどいな」
 丸めたティッシュをごみ箱の方に向けてシュート。外して、いつもならお母さんが怒るのに、今日はなにも言われなかった。
 床に転がった丸めたティッシュが、私を責める。ちゃんといるべき場所に入れてくれないと、どうしたらいいのかわからないじゃないか。
「ごめん」
 なんとなく謝っていた。
 誰に謝ったのかはわからない。
 お姉ちゃんがもう一枚ティッシュを渡してくれたから、今度はそれで涙を拭った。せっかくの楽しい夕飯の時間を、こんな風にしたことがとたんに申し訳なくなってくる。私は笑顔を取り繕って、
「話したら楽になった!」
 目はこすりすぎて痛いし、鼻水もまだ収まらない。ずず、と鼻をすすって、私はまた、茶碗を手に取る。
ご飯があと茶碗に半分残っている。今日は私の好きな鱈の入った水炊きだ。鶏肉は入れない。
 私はいまだ、肉や肉と一緒に調理したものが食べられない。だから家族の献立は、私の分を別に作るか、今日みたいに、肉抜きのメニューになる。
 私は調理師の大学に通い始めてから、家での料理も時々はするけれど、やっぱりお母さんの作った料理が世界で一番おいしい。
 きっと、料理の最強の隠し味は、愛情なのだ。
 いつか私の料理も、誰かの一番になれるのだろうか、世界で一番おいしいです。ありがとう。
 私の短い春が終わる。
 私は、自分がおかしいと思ったことはなかった。
 実際、クラスメイトで私の拒食症を知る子たちも、そんな素振りは一切見せなかった。それはとても恵まれたことで、大志くんの反応が、世間一般なのかもしれない。

 私は三回目の校外実習で、病院を選んだ。
「はい、じゃあ、今日の課題を渡しますね」
 病院の管理栄養士さんは実際の栄養指導を見せるだけでなく、私たちに課題を渡した。
 調理師だから栄養指導は必要ないけれど、疾病に合わせた料理は、調理師もある程度はしっておくべきだ。
 渡された紙に書いてあったのは、とある事例である。
実習生は全部で六人。二人ずつ、同じ症状の紙が渡されて、私の紙には、肝硬変のひとの実例が記載されていた。
「安楽死を望む肝硬変の男性、四十歳、男性の食事方針を定めよ」
「あ、相川さん私のと同じだ」
 一緒にこの病院に実習に来たのは、私と、神尾さんと、牧田さんと、生田目さんと、武田さんと、葛西さん。
 私は葛西さんと同じ症例だったらしく、葛西さんが、実習が終わったら一緒に考えようと提案してくれた。
「一緒に考えたら早いもんね」
「うん。でも、ほかの人たちのって、どんな症例なんだろう」
 私は興味本位でほかの子たちの症例を見せてもらった。
 肥満度Ⅱの女性、ニ十歳の運動療法を含めた食事方針。この女性は仕事の都合上、夕飯が九時以降になることに留意すること。
 糖尿病の男性、三十歳の食事方針。ただしこの患者は喫煙と甘いものをやめられないため、代替案を提案すること。
「へえ、なんだか難しいね」
 葛西さんがうんうんとうなった。
私は自分に渡された紙を見て、首をひねる。
「でも、これ、安楽死って情報必要あった?」
「さあ。あるんじゃないのかな、書くくらいだから」
 私と葛西さんは、実習後に喫茶店に向かって、課題に取り組んだ。
「肝硬変だから、エネルギーやたんぱく質は少な目にするでしょ」
「うん、未精製のものを献立に入れよう。玄米ご飯、ライ麦パン。でも、食物繊維が不足するから、海藻も入れて。ミネラルも摂れるし」
 私と葛西さんは、習った通りの食事方針を固めていく。
食後一時間のお風呂は避けること。食事は原則三回に分け、特にアンモニアが生成されないように注意する。
 翌日、管理栄養士さんに課題を提出する。
「うん。肥満の患者さんには野菜を中心に、たんぱく質、炭水化物、脂質のpfc比率を守りながら、一日の摂取カロリーを減らしていく。体重一キロを落とすには七千キロカロリー必要だから、それを三十日で割って、一か月に体重の五パーセントまでを限度に減量を目指す。夜の食事が九時以降になるから、夜は軽めの和食など。いいわね」
 運動として、エスカレーターやエレベーターは避けて階段を利用する。
 管理栄養士さんが花丸をつける。次は、糖尿病の男性だ。
「一日当たりの単位を決め、決まった単位の炭水化物、たんぱく質、脂質を献立に盛り込む。この患者の場合、糖尿病食ニ十単位を目安に献立を配分する。じゃあ、一単位は何キロカロリーか覚えてる?」
「八十です」神尾さんが答えた。
「よろしい。甘いものが辞められないから、果物で代用すれば、食物繊維やビタミンが摂れる。果物以外ならば和菓子を推奨ね。うん、よくできました」
 煙草はビタミンCを破壊するから、多めに摂ること。こちらも花丸だ。
「最後に、なるほど、この症例に当たったのは、あなたたちね」
 校外実習に際しても、私は先生伝手に私が元拒食症であることは病院の調理師さんに伝えておいた。
だからか、管理栄養士さんがことさら私に注目している。
「うん、そうね。肝硬変の献立としては正解。でも、この患者は安楽死希望だって、書いたわよね?」
「はい」
「その辺の指導は、書いてないわね」
 管理栄養士さんが、課題の紙を私と葛西さんに渡した。
「じゃあ、今日は実際に、安楽死希望の患者さんの栄養指導に行きます。最後まで、見ているように」
 私は不満だった。
私の課題は完璧だったはずだ。
 肝硬変にはエネルギーとたんぱく質に注意すればいい。
 そこに安楽死が加わったって、食事方針なんて同じであるはずだ。

 栄養指導の部屋に、管理栄養士と、実習生六人が壁際にたつ。
「はい。今日はよく来てくれましたね」
「先生、私は早く死にたいんです。肝硬変でつらくて」
 黄疸が出ている。
 代償期は過ぎて非代償期なのだろう。
 だるそうで、息をするのも辛そうだった。肝硬変の予後は悪い。重症だと、十人中七人は亡くなるのだと聞く。
「私、治療したって、移植しか方法がないなんて。家族に提供なんてもってのほかです」
「では、先週と意志は変わらないんですね」
 管理栄養士さんが穏やかに答えた。
「はい。安楽死を希望します。診断書をお願いできますか?」
 こんな風に安楽死につながっていくのだなと、私は頭に石を喰らった思いだった。
 栄養指導の場に、当たり前のようにその名前が行きかっている。
 管理栄養士さんが所見をパソコンに打ち込んでいる。ピッチで電話して、先ほどの話を医師に伝えている。
「それでは、このまま診察になりますので。待合室でお待ちください。最後に食べたいものはありますか?」
「……海苔の佃煮を。先生、ありがとうございます、ありがとうございます」
 患者さんが、何度もお礼を言っている。
 私は吐き気を催して、くらくらして目の前が見えなくなった。

 栄養指導をすべて終えて、管理栄養士さんに別室に連れていかれる。
「肝硬変の患者さんの栄養指導の答え、わかりましたか?」
「はい、安楽死を希望する場合、栄養指導にそれも含まれるんですね。そして、最後に食べたいものを作るのが、調理師の仕事」
 意気揚々と話す葛西さんに対し、私はなにも言えなかった。
 私には無関係だと思っていた。
 調理師は食事作りが本来の仕事だ。
 いつからか安楽死なんてものが法律で認められたせいで、安楽死まで管理栄養士や調理師の仕事の一環となったらしい。
 私は口をつぐんだ。
「相川さんは、納得いっていないようですね」
「や……安楽死を思いとどまらせたりは、しないんですか?」
 管理栄養士さんの顔から、笑みが消えた。
「最初はします。何度も。国の法案でも、まず安楽死を求める人には、カウンセリングをすすめたり、管理栄養士自身も、安楽死を思いとどまるように説得するように定められています。でもあの患者さんは」
 身寄りがなく、肝硬変に気づいた時期も遅く、症状に苦しみ、仕事もやめた。
 今はまだ、貯金があるからいいが、貯金が底を突いたら安楽死すら選択できなくなる。
「でも、肝硬変の予後は……」
「そうね。安楽死の順番待ちの間に死ぬかもしれない。けれど、安楽死が希望になる人も、いるの」
「安楽死が、希望?」
 違和感。
 私は違和感を感じて、首をひねった。
 そんなもの、ただの現実逃避だ。
 生きて生きて、生き抜いて。それで死ぬのなら致し方のないことだと思う。
 なのに、治療がつらいから、お金が無くなる前に、安楽死を選ぶのは、命への冒涜ではないだろうか。
「相川さんは、そうね。死を経験した人間ならば、安楽死への怒りも人一倍でしょうね」
「それは……」
 一緒に来ていた実習生には、私の拒食症は話していない。だから、私と調理師さんのやり取りに首をかしげるばかりだった。私は、調理師さんに言い返す言葉も見つからなかった。
 私がおかしいのかもしれない。
 安楽死が合法化して半年、それを望む声は今も絶えない。私たちには生きる権利があるが、死ぬ権利もある。
 だから日本でも、安楽死が認められた。
 昔は、海外に渡航しなければそれらは受けられなかったのだと聞く。
「ですが」
 管理栄養士さんの凛とした声。
 実習生がみんな、背筋を正した。
「死ぬのはなにも、安楽死だけじゃないのを、忘れないでください。病院では、当たり前に患者さんが病気で死にます。私たち管理栄養士が栄養指導した患者さんが、調理師さんの料理を食べた人たちが」
 実習生の間に沈黙が流れた。
 私はただ、人を助けたかった。
 美味しい料理をふるまって、正しい食事で人々に長生きして欲しいだけだった。
 その中にたまたま拒食症の子がいて、私は自分の経験をその子に伝える。私が救われたように、その子を救いたかった。過去の私と未来の私、私はどちらも等しく救いたかった。
 管理栄養士さんがぱん、と手を叩いた。
 私たちの意識が宇宙の彼方から引き戻されて、私たちはまるでジェットコースターに乗ったあとの様に疲弊していた。
「それでも……それでも私は、手の届く範囲の人たちを、救いたいです」
 それがエゴだとわかっていても。
「相川さん。相川さんこそ、調理師になるべき人なのだと、私は思います」
「……私は、私は今日、その自信をなくしました」
 私はいまだに拒食症の影響が色濃く残っていて、もしかするとそのせいで早死にするかもしれなくて、私は安楽死に疑問を抱いていて、今もその答えが見つからない。
 校外実習は私に傷跡を残した。
 深い深い傷だ。
 あの患者さんとはもうあれ切りあうことはないのに、あの患者さんが安楽死を選んだことが、ひどく悲しかった。

 実習三日目、管理栄養士さんが私を一人だけ別室に連れていく。
 管理栄養士さんが栄養計算をするパソコンのある部屋は、実習生の誰もが入ることを許されなかった。
 私たち調理師の卵は、学校の課題でも栄養計算ソフトを使わない。全部手で計算するように指導される。
 けれど、隠れて栄養計算ソフトを使う子がいるのは暗黙の了解だった。あいにく、私は馬鹿正直に手で計算しているけれど。
「今日の栄養指導に、その」
「はい?」
「過食症の子が、いるの。相川さんを同席させるのはよくないかなって、思って」
 別に私の拒食症は、過去形だ。
 今も私は外でうまく食事ができないけれど、家では肉以外は普通に食べている。だから私は、そんな気遣いは不要だと笑った。
「大丈夫です」
「でも、心の病気って、他者に引っ張られるのよ」
「引っ張られる?」
「うん……例えば、病棟の患者さん。一人が自傷をすると、次々に患者さんの体調が悪くなって、病棟中で病んでしまうの」
 それは興味深い話だった。
 私は今日の給食のカロリーを無意味に頭の中で計算する。ご飯茶碗一杯が二百、焼き魚は百六十。サラダはドレッシング込みで百、デザートのフルーツヨーグルトは百六十。合計で六百二十。平均的な食事だ。
 肝硬変の患者さんの食事も見てきたし、糖尿病の患者さんの食事も見た。どれも彩りよく光り輝くように美しかった。
 料理は見た目も大事だ。見た目は最初に入ってくる情報だ。どんなに栄養バランスの取れた食事だって、見た目が悪ければ食べてもらえない。
「じゃあ、大丈夫なのね」
「はい、大丈夫です」
 私は普段通りに答えた。つもりだった。
 妙な胸騒ぎがしてしまうのはなぜだろうか。
 私は、入院している過食症の患者さんの部屋へと、班員を連れ立って歩いていく。

 過食症だと聞いていたから、太っているものだとばかり思っていたのに、その患者さんは普通体型の、かわいらしい女の子だった。
 女の子であることは予想通りだ。
 摂食障害は特に、美しくありたい女性に多いイメージだった。
 実際には男性も摂食障害になるのだから、この偏見は拭い去らねばならない。
「こんにちは。今日は昨日言った通り、実習生も一緒です」
「わあ、私と同じくらい?」
「そうね。この子たちは高校二年生。ひとつ下かな」
 管理栄養士さんが過食症の患者さんの食事内容をチェックしている。ベッドに、『田中美穂子』と書いてあった。
 美穂子さんは体調不良でこの病院に検査入院している。過食症だから精神科の入院経験もあるらしかった。
「美穂子さん。また隠れて吐いてましたね」
「なんだ、ばれたか」
 なんら悪びれる様子なく、美穂子さんがベッドの下から大量のお菓子を取り出した。
 菓子パンが十種類、お饅頭が五個、二個入りのケーキが三パック、売店のお弁当が三個とサンドイッチが二パック。
 それらを美穂子さんはベッドの上に広げて笑った。
「これ、食べちゃダメですか?」
「ダメって言って取り上げても、隠れて買ってきて食べますよね。いいですか、吐くと電解質のバランスが崩れるから、心臓に負担がかかるんです。命に関わるんですよ」
 管理栄養士さんが、美穂子さんの右手の指の付け根の骨を撫でつける。
 そこにはいわゆる吐きだこができていて、私はこの人は自分なのだと錯覚した。
 美穂子さんは、これらを一気に胃の中に詰め込んで、時間をあけずに全て吐き出す。食べると言うより無機質に胃という箱にものを詰め込む感覚に近い。飲み込み胃がパンパンになると満足して、今度は太る恐怖にかられて全てを吐き出す。
 吐き出すとストレスも一緒に体外に出て、スッキリするという話を聞いたことがあった。
 私はいつか、過食に移行するかもしれない。
 その危険は、一生消えない。
 摂食障害はおおよそ、一生かけて治療していかねばならないこともままある。
 私の様に、肉が食べられないまま死ぬ人間もいるだろう。
 未来の私を見ているようで、私は胸の苦しさを感じた。
 私は違う、私は調理師として、ちゃんと勉強をして、正しいダイエットの知識も身に着けた。
 だからきっと、私はこの病気を克服できる。
「大丈夫ですか? 調理師の卵さん?」
「え、私?」
「うん、顔が真っ青」
 もしかして、と美穂子さんの顔が曇った。
 バレただろうか、私が同類で、私もまた、肉が食べられない異端者だと。
「もしかして、過食嘔吐って気持ち悪かった?」
「え?」
「だってそうじゃん、食べたもの全部吐き出して。私、こんな自分が嫌い。だから、病院出たら安楽死に申し込むの。もう、食費で家族を困らせないためにも」
 息苦しさは窒息に変わった。
 私がしたかったこととは、まぎれもなくこれなのに、私の精神が美穂子さんに引っ張られる。
 私はこの子となにも違わない。
 同級生は、私をそんな風に見ていたのかもしれない。
「私、も。拒食症だから、そんなことは思わない、です」
「え! 拒食症なのに、調理師に?」
 ワクワクした表情で、美穂子さんが私に聞いた。
 私はうん、と頷いて、美穂子さんはすごいなあ、と感嘆の声を上げていた。
 息苦しさを心配して、同じ班の子が私の背中をさすってくれた。
「大丈夫だよ、相川さん」
「え?」
「大丈夫。私もみんなも、田中さんも。みんなおんなじなんだよ。人間なんだよ。拒食とか過食とか、そんなこと関係ないんだよ。私たちはみんな、患者さんを救うために調理師になるんだよ」
 その子の言葉がうれしかったのか、目から思わずしずくがこぼれた。美穂子さんはなにも思わないのか、「友情って感じだね」なんて他人事に笑っていた。
 私は、調理師になって、たくさんのひとを救いたかった。一番は拒食症の子のためだったけれど、私はこれを、乗り越えねばならない。
「安楽死は、ご家族に許可はもらってるんですか?」
 管理栄養士さんが、私たちのやり取りを見守っている。私はよろける体を同級生に支えてもらいながら、美穂子さんに真剣なまなざしを向けた。
「許可は出てない。反対すると思う。でも、生きていてもいいことないって、調理師の卵さんならわかるでしょう?」
 痛いほどに。
 だけれど、この子は本当に死ぬことを望んでいるのだろうか。
 美穂子さんがいつから摂食障害なのかはわからないけれど、きっとこの先、私と同じように、生きていてよかったと思える日が、来るはずだ。それこそが私の驕りに他ならない。
 私は安易にその言葉を口にしてはならない。
「美穂子さん。時間だし、今日はもう、休んでください」
 管理栄養士さんが区切った。これ以上は私が危ないと判断したのだろう。
「はあい。ねえ、調理師の卵さん」
「なんです」
「頑張ってね。あなたは私と違って、たくさんの人を救うんだから」
 その言葉に嘘はなかった。
 だからこそ、悲しかった。
 美穂子さんは本当に死にたがっているのだろうか。本当に、安楽死を望んでいるのだろうか。
 望んでいるから、管理栄養士の栄養指導を真摯に受け止めず、今も過食をやめないのだろうか。
「相川さん……実習生は、午後はノートをまとめる時間にしましょうか」
「はい」
 私たちは調理場の休憩室に通されて、実習ノートをみんなで広げた。
 実習生たちの話題はもっぱら、あの過食症の美穂子さんのことだった。
「田中さん。どうやったら安楽死を思いとどまるかな」
「とめる権利なんて、私たちにはないじゃない」
「でも、安楽死を望む人は、まずカウンセリングを促すって」
 習った通りの回答に、私はなにも言えなかった。
 あの絶望は、私のものだ。人生に希望なんてものがないのに、生きながらえるように促すのは、無理矢理殺すのも同然だった。
 私たちの実習は一週間で終わる。
 たった一週間の付き合いの私たちが、無責任に「生きろ」なんて言えるはずがない。
 それらは管理栄養士さんの仕事で、でもじゃあ、管理栄養士さんは美穂子さんに、どんな栄養指導をしているのだろうか。
「管理栄養士さん、質問です」
 その日の反省会、ほかの子が言及をとどまったのに対し、私は臆面もなく、聞いていた。
「美穂子さんの栄養指導って、どうすればいいんですか?」
「うん、そうね」
 管理栄養士さんが慎重に言葉を選ぶ。
「カウンセリングには通っているみたいだし、安楽死しない道も探っているの。あれは、半分は本心、半分は嘘」
「嘘?」
「嘘というより、本人も気づいていないだけで、ああやって死をほのめかして、誰かに助けを求めているのよ。安楽死を望む患者さんの中には、そういう方もいるから、見極めが大事」
 嘘でも安楽死したいなんて言ってほしくなかった。
 私がそうだったように、安楽死なんてものは本当に本当に人生に絶望した人間の最後の手段で、他者を試すために使っていいものではない。
 ……そう、なのだろうか。
 私が安楽死したいと思ったあの気持ちは、本当だったのだろうか。
 私はあの入院から逃げ出したくて、安易に安楽死を望んだのではないのだろうか。
 本心と嘘、どちらで安楽死を求めているのかなんて、誰にわかるというのだろうか。
「相川さんは、少しつらい一日だったかもしれないけれど。いい勉強にもなったと思います」
「はい、そうですね。ますますわからなくなりました」
 私たちはその日を最後に、美穂子さんの栄養指導には行っていない。
 あのあと美穂子さんがどうしたのか、退院したのか、本当に安楽死したのか、私は管理栄養士さんに聞くことができなかった。
 病院では日々誰かが死んでいく。
 それが病気の時もあれば、安楽死の時もある。
 私は自分の信念がわからなくなっていった。
 私は確かに、信念をもってこの高校に転校した。
 けれど学べば学ぶほど、私の信念がぐらぐらと揺らいで、形をなくして崩れていく。きっと、実習に行ったみんなが同じなのだろう。
 安楽死が合法化されて、世界は変わった。
 それがいい方向になのか悪い方向になのかは、きっと誰にもわからない。『安楽死』という言葉が、重く/安易に飛び交っている。