私の腹を満たすもの

二、理恵子ちゃん

 もしも記憶をそのままに、過去をやり直せるとしたら。
誰もが一度は考えたことがあるだろう。
 宝くじを買う? 株で儲ける? 勉強を頑張る? 入試をやり直す?
 私の答えはそのどれでもない。私はただ、高校一年のあのころを、ひたすらにやり直したいと願っていた。

 高校に上がる前、担任の教師と私は、ほかの生徒より仲が良く、春休みには担任の先生のデスクの整理を手伝うくらいだった。
 今思えば、デスクの整理という時点で察しが付くが、その先生は別の小学校への転勤が決まっていた。
 しかもただの転勤ではない。転勤先の学校は私立の中学校で、地元では有名な進学校だった。
 私はそんな先生の生徒になれて、とても誇らしかったのを覚えている。
 離任式には当然のように友達と小遣いを出し合って、お別れのプレゼントにマグカップを渡したのはいい思い出だ。
「O中学校出身の、相川なつきです。趣味は読書で、部活は文学クラブに入る予定です。よろしくお願いします!」
 高校に上がっても、私はなんの悩みも不安もなかった。
 中学校の先生の計らいで、中学校から持ち上がりで同じクラスになった仲良しの亜美がいたというのもあったし、小三で転校する前の学校で仲良くしていた真子が同じクラスだったこともある。
 そのころの私は楽観的で、能天気で馬鹿で愚かだった。
 このころはまだ、安楽死の法案は採決されていなかった。しかし、法案はまとまり切り、あとは施行を待つのみになっていた。
 相変らずワイドショーは安楽死でもちきりだった。
 クラスのムードメーカーともいえる私は、みんなの前で馬鹿な発言をくり返し、おどけた行動でみんなをわかせた。
 みんな一様に私を「馬鹿」だと笑う。笑われると楽しくて、なのにどこかむなしかった。どうにか新しい高校になじむのに必死で、私はやり方を間違えた。
 その時のクラスメイトに、私とまた違った方向で目立った生徒がいた。彼女は私とは違う中学校の出身だから、彼女のことはよく知らなかったけれど、私と同じだ、と私は感じた。
「田中理恵子です」
 小さく早口に、もそもそと自己紹介をした彼女は、出身小学も部活のことも、中学での目標も。なにも語らず、自己紹介するとすぐに椅子に腰かけた。
 ひそひそと私の前の席の女の子が隣の席のお友達に耳打ちしていた。
「理恵子ちゃんって家ではおしゃべりらしいよ」
「マジで? なにそれ、猫かぶりじゃん」
 その時は私もさして気にしなかったけれど、彼女たちの言葉の意味を、私はすぐさま理解することとなった。

 理恵子ちゃんはしゃべらない。本当に、なにも。
 授業中に先生に指名されても、作文の発表会があっても。誰かが話しかけても、誰かと話さなければならない場面でも。
 彼女はいつも、教室の自席に座って、じっとしていた。私が見る限り、トイレすら行っていない。
「なつき、どうした?」
 中学校からの同級生の亜美が私を呼んだ。
「なんだっけ」
「なんだっけって。ほんとなつきは能天気だよね」
 最近、亜美は真子がお気に入りだ。どこに行くにも真子の手に自分の腕を絡めて、ニコニコと上機嫌に真子を独占する。
 真子は事なかれ主義で、どちらかと言えばドライで広く浅くなタイプだった。証拠に、彼女には吹奏楽部のお友達が七人以上いて、そのどれとも仲良しだった。私には考えられない。
 今のクラスで私が仲良くしているのは、真子と亜美、それから心美と奈留と、それくらいだ。
 でも、一番の仲良しは真子だと自分では思っている。確かに亜美とも仲はいいけれど、亜美より先に私は真子に出会っていたし、転校してからも私は真子と文通をしていた。だから、高校で再会できたのは奇跡だと思った。
 それとは別に、私は亜美に不信感を抱きつつあった。亜美は中学生のころ、どちらかと言えば目立たない子で、授業参観には必ず学校を休むような、やや不登校のケがある女の子だった。クラスメイトはみんな、亜美を嫌っていた。亜美の家が生活保護だっただからだ。
 私にはそれがばかばかしく感じた。別に、亜美の家庭と亜美は別人なのだから、亜美が嫌われる理由なんてどこもないと思ったのだ。
 だから私は、中学二年のある朝、何気なく亜美に挨拶をした。
「おはよう、亜美ちゃん」
 きょとん、と亜美が固まって、けれど嬉しそうに「おはよう」と返してくれた。
 その翌日、今度は亜美が先に私に朝の挨拶をしてくれたことがなんだかうれしくて、でも照れ隠しに私は、「今日は亜美ちゃんに先越されちゃったね」そう言った。
 それをきっかけに、亜美と私は、毎朝どちらが先に挨拶できるのか、競うようになった。同時に、亜美が学校を休む日が少なくなったのは言うまでもない。
「なつき、亜美ちゃんとは遊ぶのやめたら?」
 ある日曜日、お母さんがだしぬけに私に言った。
「なんで?」
 私は反抗的に返した。
「亜美ちゃんって、お母さんがアレだから、常識がないってもっぱらの噂よ。武美ちゃんちに遊びに来た亜美ちゃんに、『お昼ご飯だから家に帰ったら?』って遠回しに言ったら、亜美ちゃん『家に帰ってもお母さんはご飯作ってくれないので大丈夫です』って。武美ちゃんのお母さん、結局亜美ちゃんの分までご飯用意したらしいわよ」
 別に、だからなんだというのか。確かに厚かましいかもしれないけれど、帰らせなかった武美ちゃんのお母さんだって悪いのではないか。
 私は母の言葉を右から左に聞き流して、最悪の気分で亜美との待ち合わせに向かった。亜美は私にアイスをおごってくれて、ふたりで遊ぶ時間はあっという間に過ぎていった。

 今更になって、私は母の言葉の意味を理解した気がした。最近の亜美は真子に夢中で、私に対して扱いが適当になったのは確かだった。
「なつきのばーか。安楽死しちゃえ!」
 決定的だったのは、その一言だった。前後の脈絡は覚えていなかった。それだけこの言葉がショックだったのだ。
亜美はいつものように真子の腕に絡みつきながら、ストーブでみんなで暖を取る昼休み、はっきりと、まっすぐに私に言った。
 もちろん、私以外に仲良しグループの友達がそこにいたというのに、誰ひとり亜美を注意するものはいなかった。
 例え悪ふざけだとしても、友達に安楽死しろと言う亜美が信じられなかった。これはまさしく、安楽死の法案の悪影響に違いなかった。法案の採決が公布されただけでこれなのだから、本格的に施行されたらどうなるのだろうか。
 そのとき唐突に理解したのは、亜美は中学生のとき私しか友達がいなかったから仲良くしていただけで、別のお気に入りさえ見つけ取り入ることができたなら、私なんて用済みだということだった。
 なまじ亜美に不登校のケがあったから、小学校の担任が、わざわざ中学でも私と亜美を同じクラスにしたのがすべての間違いだった。
 亜美の言葉に私はなにも言えなかった。
 いや、顔には出ていたに違いない。
 なぜなら亜美が、その日は真子ではなく私にべったりで、機嫌をうかがってきたからだ。
「なつき、今日も一緒に帰ろ」
「うん」
 別に、いつもだって一緒に帰っているのに、その日の亜美は私にこびて、帰宅の道順を変えて、私の家の真ん前まで自転車で送ってくれたくらいだ。
 けれど私はその日以降、亜美のことを信じられなくなっていった。噂は噂だ、そんなことを思っていた私は、なにも知らない子供だったに違いない。

 亜美とは距離を置くようにして、けれど私は真子とは楽しい時間を過ごした。私がやり直したい高校一年生という時期は、つらいこともあったけれど、おおむね幸せな時期だった。
 それでも、私がこの時間をやり直したいと思うのは、真子や亜美のことではなく、クラスメイトの理恵子ちゃんのことが気がかりだったからだ。
 理恵子ちゃんは普段から誰とも話をしないから、必然的に友達もいなかった。けれど吹奏楽部に所属していたから、真子とは接点があるようだった。
「真子。理恵子ちゃんって部活でも友達いないの?」
「うん、ひとりで黙々と練習してるよ?」
 真子はあっさりと答えたけれど、それを異常だと感じた私がおかしいのだろうか。亜美
 だって、ほかのクラスメイトだって、私だってそうだ。理恵子ちゃんがひとりでいることに気づいているのに、誰もなにもなさずに日常が過ぎていく。
 理恵子ちゃんはひとりだけれど、よく私たちのグループと行動のタイミングを一緒にすることが多かった。
 例えば、理科室に移動するときとか、掃除で外に出なければならないときとか。
 私はそれに気づいていたのに、どうしても理恵子ちゃんに言えなかった。たった一言だ、「一緒に行こう?」
 その言葉を言えていたのなら、私の人生も、いや、理恵子ちゃんの人生は、違うものになっていたのではないだろうか。

 二学期になって、理恵子ちゃんは学校に来なくなった。
「先生、私小学校一緒だったから、プリント渡しに行きましょうか」
 前に、陰口をたたいていた女の子だった。「理恵子ちゃんって、家ではおしゃべりらしいよ」
 どの口が言うんだ、私は憤慨して、なのになにも言えなかった。
 彼女を不登校にしたのは、私のせいだ。
 私や、このクラスが、彼女を害した。
「プリントは先生が届けに行ってきます。でも、理恵子さんが保健室に登校してきたら、誰か一緒に給食を食べに行ってくれませんか」
 穏やかな先生の声に、だけれど誰も手をあげなかった。
真子すらもだ。
 真子は理恵子ちゃんと部活も一緒だし、出席番号も近い。出席番号順で席が決まる理科の実験なんかでは、理恵子ちゃんと同じ班だったというのに。誰かがやらなければならないのなら。
 みんなが私に注目した。
「なんで相川さん?」
「そんなに先生に気に入られたいの?」
「相川さん。ありがとうございます」
 先生の声は相変わらず凪いだ海みたいだった。
「ほら、私ってこんなだから、恵美子ちゃんも笑わせられるかなって。あ、そうだ。真子も一緒にどうかな。同じ部活だし」
 へら、と軽く言えば、クラスメイトが同意を示す。
 普段の私はおちゃらけていて、だからこそ、私はふさわしくないのだとみんなは思ったのだろう。
 けれど、私がここで手をあげなければ、クラスメイトは責任のなすりあいになっただろう。
 私はただ、自分のために立候補した。私があの時、理恵子ちゃんに話しかけていれば、理恵子ちゃんが不登校になることはなかったのでは。
 それは、贖罪に近い感情だった。

 結局、理恵子ちゃんは高校二年生にあがっても学校には来なかった。理恵子ちゃんは、一年の時の先生の計らいで、私と真子と同じクラスになった。亜美は別のクラスになって、私は心底ほっとした。
「亜美が嘆いてたよ」
 理恵子ちゃんのことはまるで事務的に対応するのに、真子は亜美に騙されている。
「なにが?」
 真子の口から亜美の話は聞きたくなかったけれど、真子との関係は壊したくないから興味があるふりをした。
「最近なつきが一緒に帰ってくれないって。嫌われたのかなって言ってたよ。なんだか最近病んでいて、安楽死の法案に興味があるとも……あんな法律、採択されなければよかったのに」
 そう来たか。そして、思った通りだった。
 私は高校二年になって、亜美と距離を置いた。
 まずは一緒に帰ることをやめたのだ。
 クラスが違うのだから、帰りの掃除が終わる時間も違う。私のクラスはありがたいことに亜美のクラスより早く帰りの会が終わるから、私はそのままいそいそと教室を走り出る。
 ちなみに、亜美と帰らないのは月曜日だけだ。
 私の学校では月曜日は部活がない日で、その日だけは、私は誰よりも早く教室を出る。
 亜美は、部活がある日は私なんか無視して先に帰る。私の所属する文学クラブは、部活終わりが遅くなることが多い。亜美は自分は私を待たないくせに、私が亜美を待たないのは気に入らないらしい。
 真子はそんなこと知らないだろうけど。
「ちょっと忙しかったからなあ。次の月曜は一緒に帰るよ」
 亜美はずるい。こうやって遠回しに外堀を埋める。私がここで、亜美を避けていると言えば、私と真子の関係は崩れる。
 真子は亜美に対して絶大な信頼を寄せているから、私と亜美のどちらの味方をするのかと言ったら、絶対に亜美だ。
 やはり、亜美という人間は、したたかで計算高い、恐ろしい女だと私は感じた。

 その日の部活終わり、私は亜美の部室の前で亜美が教室から出てくるのを待っていた。内心では気が進まないのに、私は八方美人だ。情けない。
「なつき、久しぶりだねえ」
「うん、最近勉強で忙しくて」
 自転車に乗って、私はヘルメットをかぶって、亜美はヘルメットをかごに入れた。
 亜美が勢いよく自転車をこぎだす。私も横に並んで自転車をこいだ。
 部活帰りに時間を合わせるのは、骨だ。
 私は文学クラブで亜美は合唱部。文学部は早い時は早く終わる。今日が運悪くそれだった。
 対して合唱部は時間ぎりぎりまで部活をするから、待っているのだって手間だった。
 そう思っている時点で、私のなかで彼女は友達ではなくなったのかもしれない。
「なつきさあ、私のこと避けてるじゃん」
「え?」
「分からないと思った? めちゃくちゃ腹立ったんだよね」
「ちょっと待って、ならなんで一緒に帰りたいって、真子に」
 きゅ、とブレーキをかけて亜美が自転車を止めて地面に足をついた。私もならって自転車を止める。地面が遠いからつま先立ちだ。
「なつきってさ、そういうところあるよね」
「え? え?」
「ひとの顔色ばっかうかがってさあ。私と一緒に帰りたくないなら、はっきり言えよ、このくず!」
 亜美が怒声とともに私を突き飛ばした。
 ばしゃん、自転車が倒れる。私も倒れる。
 自転車に足が挟まる。体が道路に投げ出される。
 亜美が私を見て笑っている。
 すぐそこに車が走る。
 ブレーキ音、どんっと私の体がなにかにぶつかる。
 がくんと首が揺れた。亜美のようにヘルメットを外していたら、私の頭は地面にたたきつけられていただろう。
 車は幸い、私に気づいて急ブレーキをかけたから、大事には至らなかった。
「なつき、なつき! 大丈夫!?」
 亜美が自転車のスタンドもかけずに放り投げて、私を心配しかけよる。ふりをする。
 車の中から出てきた若い男性が、スマホを出して救急車を呼ぶ。
「ざまあみろ、偽善者」空耳だろうか?
 亜美が言ったのだろうか? 事故の衝撃で幻を見ているのだろうか?
「お兄さん、この子は私が見てるので、お兄さんは車を安全な場所に移してください」
「あ、はい」
「なつき、大丈夫だからね、大丈夫」
 亜美がハンカチを出して私のこめかみに当てた。
 あ、血が出てるのか。
 救急車が来るまで亜美は甲斐甲斐しく私の世話を焼き、私は混乱する頭を整理することすらできぬまま、生まれて初めて救急車に乗った。
 寝たまま頭の方向に向かって乗り物が進む感覚は、好きになれそうにない。

 そんなことがあったのに、私は折に触れて行われる、三年生になったら同じクラスになりたくないひと、のアンケートに亜美の名前を書かなかった。
 別に、一緒になりたくないひとの欄に名前を書いたって、真子にばれるわけでもないのに。
 私はあの日のことをだれにも打ち明けられなかった。
 亜美に突き飛ばされて事故にあったあの出来事。
 言ってしまえば私の周りからみんないなくなりそうで、ドジな私は自分で自転車から転げ落ちて、車に轢かれたのだった。
 幸いにして、怪我はかすり傷程度だった。

***

 高校二年の校外学習では、沖縄に行った。その時、私と真子は、理恵子ちゃんと同じ班になった。私は飛び切り張り切って、行きの飛行機の中でも、沖縄を散策する時間も、とかく理恵子ちゃんに快適に過ごしてもらうことだけを考えていた。
 馬鹿な話をするのは嫌いじゃない。みんなは「嘘だ~」っていうけれど、そんなの作り話に決まっている。
 けれど私は日常のあらゆるものを笑いのネタにして、なんなら自虐を交えて理恵子ちゃんに話し聞かせた。
「この前ね、ビュッフェでビーフストロガノフとオムレツが出たんだけど。私ドジだからビーフストロガノフが入ったお椀をぶちまけちゃって、しかもオムレツの上に。私が絶望してたら、真子が真顔で『なにしてるの』って。理由なく笑っちゃったんだよね」
「この前私の家に火星人が来たのよ、それもね、木星人と土星人も同じ場所に降り立って。彼らはこんな声でね、『あなたガタモチキュウシンリャクデスカ』『ハイ、ソウデス』『デハ、チキュウジンヲアザムクタメニ、ワレワレハカゾクトイウコトニシマショウ』って。ちなみに火星人は一本しか毛が無くて、木星人は五本、土星人は毛がなかったよ」
 周りのみんなが笑って、理恵子ちゃんもむずむずと笑いをこらえてくれるのが分かった。
「ちな、私その時宇宙人に改造されたから、今日から私のこと、『火星人』って呼んでいいよ」
 箸が転んでもおかしい年頃だった。理恵子ちゃんは帰りは同じ飛行機に乗らず、迎えに来たお母さんと一緒に帰っていったけれど、私はどこか誇らしかった。
 理恵子ちゃんが学校に来られないことは変わらなかったけれど、私たちはどこか、友達になれたような気さえしたのだ。

 それでも、理恵子ちゃんが学校に来ることはなく、いつしか彼女は転校して、顔を見ることも、後悔を告げることもできなくなった。
「なつき、まだ気にしてるの?」
 理恵子ちゃんが転校して、亜美が悪びれる様子もなく言った。
「気にしてるって?」
「理恵子ちゃんのこと。まあ、なつきは悩みなんてないもんねえ。安楽死に一番遠い人間だもの」
 月曜日だけ、亜美と一緒に帰るようになって、亜美はやはり、私をぞんざいに熱かった。
 にこにこと笑う亜美に、私は本心を隠して笑みを向けた。
 けれど結局、亜美にとって私は代替品に過ぎなかった。亜美は二年のクラスで、新しく仲良くなった女の子を、次のお気に入りに定めた。
「私たち、来週ふたりで安楽死するんだ。親類の許可も取れた!」
 亜美の新たなお気に入りの、佳代の言葉だ。理恵子ちゃんが転校した翌月、六月の頭にに入って、いつの間にか亜美は放課後によく佳代と遊ぶようになっていた。
 帰りだけは私と帰路を共にしたけれど、教室の中ではいつも佳代にべったりだったらしい。まあ、クラスが別だから今更亜美の交友関係なんてどうでもいいけれど。
 それでも、そんな風に騒がれて、私はどうするのが正解だったのか、私にはわからない。
「亜美。安楽死なんてやめなよ」
 彼女がどこまで本気だったのか、私にはわからなかった。
 けれど亜美にはどこか危うい雰囲気があった。例えば、学校に剃刀を持ってきたり、親の財布から金をくすねたり。
 そんな亜美と佳代は、休日によく駅ビルに遊びに行っていたようだ。そしてふたりは、思春期特有の病気でもあって、それがふたりをさらに意気投合させた。
「自律神経失調症? ってなんだろ。私も佳代も、それらしいよ」
「眠れないんだっけ。病院に行ったら?」
 私の言葉は正当すぎて、逆に亜美の反発を生んだ。
「なにもわかってないくせに。眠れないってどれだけつらいか知らないでしょ」
「ごめん」
 佳代と亜美は、ふたりして不眠で、だからこそ、安楽死なんて極端な手段に出たのだと思う。
 本当はただ、自分たちが苦しんでいることを、大人たちに気づいてほしかっただけなのではないか。
 今となっては確かめるすべはない。
 だけれど、そのころの私は彼女らの言葉を真に受けて、自分ひとりで抱えることができなかった。
 私は母に佳代と亜美が自殺すると毎日のように言っていることを相談した。
 母は担任の教師と、養護教諭にそれとなく連絡を入れたようだった。
 私が母に相談してしばらくして、佳代と亜美は別々に養護教諭に呼び出されて、「なにか悩みはない?」と聞かれたそうだ。
「誰かがチクった」
 佳亜美が鬱陶しそうに舌打ちした。私は真横でそれを聞いて、だけれどなにも言えなかった。
 きっと、仲良しじゃないクラスメイトが教師に告げ口したのだと思っているのだろう。私は口を閉ざして、それ以降、余計なことはしないことにした。
 思えば亜美は、気に入った子に取り入るために、必死に媚びうる性格だったように思う。
 真子と同じクラスだったときは、真子を毎週末遊びに誘って、いろんなものをプレゼントしたらしい。そして佳代の時には、佳代の安楽死の誘いを、ただ笑顔で頷くような。
 結局、ふたりは安楽死なんて『予約すらできていなかった』。
 しかし、安楽死する、という言葉はあながち嘘ではない。
 なまじ安楽死が法律で許されるようになったから、裏取引で安楽死を請け負う組織が出来上がった。そこでふたりは安楽死するはずが、すんでのところで警察が介入したのだった。
 しかし、裏取引の組織は警察の摘発では間に合わず、佳代と亜美の件は大々的に全国紙の新聞に掲載された。
 そこから、安楽死反対運動が広がることとなった。
 けれど私は、疲弊して、なにもできなかった。
 佳代と亜美は高校に在籍を続けることができなくなって、やがて退学して、その後のことは知らない。
 そういうことがあったから、私はその件依頼馬鹿な発言はしなくなった。
 そして、私の中でなにかが切れた。
 極端な痩せ思考に意識が向いてしまったのは、おそらくこれがトリガーのひとつだ。
 私は私の意義を、ダイエットで埋めようとした。
 真子のように細くなりたい、なんて、取ってつけたいいわけだ。勉強ができなかったから、なんてただの甘えだ。
 私はただ、自分に価値があると、理恵子ちゃんを救えなくても、亜美を理解できなくても、私は私なのだと、証明したかっただけなのかもしれない。
 それが私の後悔。やり直したい人生の一幕。
 それがなければ、私は拒食症になんてならなかったのではないか。そんなたらればに支配されることが、滑稽でならない。