私の腹を満たすもの
安楽死が日本で合法化されてから五年がたった。五年がたった今でも安楽死は一年以上の順番待ちで、志願するものが後を絶たない。安楽死に際し、国は厳しい審査基準を発表した。
一、肉体的、あるいは精神的に耐えがたい一定以上の苦痛を伴う病気であること
一、その費用は安楽死者の負担とし、費用は一律百万円とする
一、三親等以内の親族のすべてが安楽死者を保護することができないこと、かつ、それらのすべてから安楽死の許可を得ていること
ほか十数の条件があるが、特にこの三つで引っかかる人間が多く、いまだ安楽死への賛否は両論である。だというのに、安楽死は一年以上の待ちがあるのだから、日本がどのくらい病んでいるのかを物語るには十分だろう。
安楽死が合法化しても自殺者は減るどころか、今も右肩上がりだ。尊厳死を当たり前に!
国は死ぬ権利を等しく国民に保証せよ! 安楽死できない人たちに残されるのは、やはり自殺しかないのが現実だった。ずらりと安楽死の予約名簿が長い列を作っている。
そして、私の名前もまた、そこに載っていることだってあった。五年前の私は、まだ十七歳の子供だった。
夏に生まれたからなつき。私の名前はそんな風に安易に名付けられたともいえるし、だけど友達に覚えてもらうには十分すぎるほどだった。
昨今はキラキラネームのせいで戸籍にもフリガナを振るようになったが、私の名前は平仮名だから、読み間違える人間はほぼいなかった。八月二日、私は十八歳になって、就職が決まった。
「アンタが生まれたとき、本当に大きかったから難産だったのよ」
「でも、お母さんが悪いんじゃん」
この話は何度も聞かされた。私は真夏の生まれだから、暑くて腹帯を巻けなかったのだそうだ。
暑くて蒸れて、夜も眠れない。腹帯は育ちすぎを防ぐ役割もあったけれど、お母さんは途中でそれをやめた。そうやって私は自由奔放にお腹の中ですくすくと育ち、当時では珍しく生まれは三千七百グラムというジャンボベビーだったのだそうだ。
私がお腹にいたころ、私は毎日ドンドコドンドコ元気に動き回っていたらしい。産婦人科の先生が、「元気な男の子ですね」と言っていたほどだ。
結局は臨月になってようやく私の体全体がエコーで見えるようになって、「女の子……かもしれない」と先生が焦ったように言った。
生まれた私は、やはり女の子で、お母さんは念の為に考えていた女の子の名前を私につけた。
だからなつき。安易な名前。
今の時代は、小さく生んで大きく育てる、が主流だが、私の生まれがそれはそれは大きかったから、お母さんは将来私はバレーボール選手になるのではと期待していたらしい。
残念ながら、私にそんな運動神経はなかったし、そもそも私の身長は百五十五でとまってしまった。
私は何者にもなれずに、平均的な女の子に育った。お母さんはそれでも私をいつくしんだ。
背が高くなくてもなつきはなつきだもの。
「お母さんは、私になにを期待してるの」
「別に。健康ならなんでもいいよ」
そう言ってくれるようになるまでだいぶかかった。私は十七歳の時、体重が三十キロまで減ったことがあった。
それは拒食症と呼ばれる病気で、その年に、日本では安楽死を合法化する法律が定められた。
私はその日、学校に行けずに自宅にいて、テレビ越しにその施行を他人事の様に眺めていた。
芸能人やコメンテーターが命とはなにかを力説する。そんなもの、誰にもわかるわけないと思った。私は私の命を守るので精いっぱいだ。人の命なんて、これっぽっちも興味がない。
高校に上がって、私は勉強についていくことができなくなった。
お母さんの期待もあったし、お父さんの望みでもあったその高校は、私には少しレベルが高すぎた。受験で合格できたのは、ひとえに運だと私は思っている。
ヤマカンなんて良くないし、実力以上の高校に進学したら、苦労するのは目に見えていたのに。
私はどうしても、そこに通いたかった。姉と同じ高校だ。県内で一番偏差値が高い。お姉ちゃんはそこを無事に卒業して、この春めでたく大学生になった。大学も県内の国立で、全国的にも有名だった。
三年後の私はまた、両親の期待に応えるべく、お姉ちゃんと同じ大学を受験するのだと思っていた。
生まれたとき、三千七百もあった体重は、そのとき五十四キロになっていた。BMIだと二十二・四七。つまり平均的な体重。BMIは二十二が一番健康に生きることができるとされている。
私は高校に通い始めて、体重が四キロ増えた。中学までは五十で増えも減りもしなかったのに、高校の勉強についていけなくなった私は、そのストレスを食事に向けた。
ばくばく、もぐもぐ。
食べ物を飲み込むと、胸がスッとした。血糖値が上がると多幸感に包まれて、私は勉強のできない自分を忘れられた。
家に帰ってきたらおにぎりを握って食べて、夕食も普通に食べる。夜は勉強しながら夜食を食べて、朝はお母さんが作った目玉焼きとご飯を、昼はお母さん手製のお弁当を。
そうやって私の体重が増えていって、私は風呂上りに体重計に乗って戦慄した。ぴぴ、と電子音が私を笑った。オマエが食べたものたちは、確実に体に取り込まれている。
ふよふよのお腹を揉んで絶望する。太もももむっちりしてきた。
「お母さん、私太ったから、ご飯減らして」
「太った? 全然そうは見えないけど」
「でも、体重増えたし」
「成長期なんだから、少しくらい増えても大丈夫よ」
そうはいっても、スカートを短くするのがだいぶ恥ずかしくなってきた。足太いね、なんてクラスの男子に言われた日には、私は学校に行けなくなるだろう。クラスの男子は、体育の終わりにくだらない話をする。
女子は更衣室で着替えるから、女子が居ない教室で、男子たちはあの子が可愛い、この子はダメだと、女の子を見定めていた。
少しだけ食べる量を減らして、ちょっとだけ体重を落とそう。最初はそんな、軽い気持ちからだった。それに、高一であった悩みも相まって、私は高二の春ダイエットを始めるに至った。
私はまず、朝の白米を抜いた。
最初はすごく辛かった。おかずを食べたら白米が欲しくなるのは、今までの習慣で、私の中の食文化とも言えた。
けれど私は、血涙を流しながら白米の誘惑に耐えた。
すると体重が一気に三キロ減った。一週間で三キロだ。あと一キロ戻せば私のベスト体重だ。だが、そこからが、長い。
朝ごはんは目玉焼きとウィンナー、それからお母さんが手抜きで買ってくる刻んであるとんかつ用のキャベツだけ。お昼はいつも通りお母さんのお手製のお弁当。
夜は少し節制して、夕食前のおにぎりをやめたし、夜食も夜九時以降は食べないようにした。くぅ、といつもお腹が鳴いていた。
もしもこの時期に私の食生活が普通だったら、私はバレー選手みたいに高身長になったのだろうか。
私はひたすら耐えた。また体重が落ち始めるはずだ。停滞期はせいぜい三か月と言われている。
ならば私は、耐えるまでだ。私は白米を我慢した。朝の白米、昼の白米、夜の白米をすべてやめた。
なのに、ここ三か月体重の増減が一切ない。白米は相変わらず我慢しているのに。
「お母さん、お弁当はもう作らないくていいから」
「え。買うの?」
「まあ、そうだね。買う」
「じゃあ、お小遣い増やさなきゃね」
嘘をついた。
つくつもりはなかったけれど、別に最終的に買い食いに戻すつもりだったからさして気にも留めなかった。
お弁当の白米は、もうずっとゴミ箱に捨てている。
ごめんね、お母さんの愛情。食べたら太るから、白米だけは捨てても許して。
私はお昼ご飯を食べなくなった。クラスの友人の真子が私を心配してくれた。
「最近げっそりしてるけど。家ではちゃんと食べてるんだよね?」
「うそ、私痩せた?」
「痩せたって言うか、こけた」
真子は私なんかと違って足が細くて、なのにスカートを短くしない。勉強も私よりできるし、顔だってかわいい。私なんかとなんで仲良くしてくれているのか、私にはまるで分らなかった。
正直に言えば不釣り合い、相川は不破の引き立て役だよな、とはクラスの男子たちが話していたことである。むろん、相川が私で不破が真子だ。
真子は私をたびたび心配してくれたし、私はそれを適当に流した。ギシギシと髪の毛がきしんできた。
栄養が不足して肌がガサガサだ。でも、別に気にしない。食べれば直ぐに戻るし、今は健康体重に戻すのが先だ。
「やった……? 四十九?」
昼ご飯を食べなくなって、一か月で二キロの減量に成功した。私は体重計の上でガッツポーズをする。
このままいけば、もっと体重が落とせるのでは? そう思うと、昼ご飯を食べる気にはなれなかった。
白米は完全に体から抜けて、私は朝のおかずと夜のおかずで生き延びていた。
「なつき、やっぱりお昼ご飯食べないのはよくないよ」
「でも、体は軽いしいいことばかりだよ」
「だからって、もう三か月もおひるごはん抜いてるじゃない」
三か月たって、私の体重は順調に減っていっていた。今では四十五キロにまで減って、スカートをうんと短くしても恥ずかしくなくなった。
真子よりも細いんじゃないかな、と時折相子の足を凝視する。うん、やっぱり私、いい感じ。
「相川さんって子は、どこですか?」
「あ、私ですけど」
ある朝、朝礼の前の時間に養護教諭が私のクラスに来て、私は保健室に連れていかれた。
保健室の先生は女性で、看護師の資格を持っている。いつも保健室でにこにこしていて、人当たりがいい先生だった。
「相川さん。生理は来てる?」
「はい?」
「最後に来たのはいつ?」
なんでそんなことを聞くのかわからず、私はいぶかし気に保健室の先生を見た。生理はたしか、二か月来てない。
「ごめんね。最近急に痩せたから、具合悪いのかなって心配になって」
「大丈夫です。生理は来てるし」
目をつけられたくなくて、うそをついた。私は悪い子だ。
「でも、お昼ご飯、食べてないんだって?」
こんなこと、いち保健室の教師が知るはずがない。誰かが告げ口した、となれば、必然的にそれは真子以外思い当たらなかった。私は教室に戻るなり真子に詰め寄った。
「真子、保健室の先生に私のこと話した?」
「や……だって、最近痩せすぎだよ。心配だったの」
「心配? 嫉妬じゃなくて?」
「嫉妬なんて! なつきがただ、心配で……」
真子は気弱な女の子だから、その日以来、私の体重に言及することはなくなった。
同時に、いつの間にか私と真子の間に溝ができて、私はいつしかクラスで誰とも話さなくなった。
女子たちが私を見て笑っている。くすくす、ひそひそ。
「なんか、きもいよね」
「うん、やせすぎ」
そんな嫉妬、どうでもいい。私はきれいになりたい。細い足を見せびらかすように、短いスカートを翻した。
昼ご飯を抜いてから体重がみるみる減るのが楽しくて、私は夜のご飯も食べるのをやめた。
毎日、明日が来るのが楽しみだった。明日の朝の体重は、どれだけ減っているだろう。
ワクワク、そわそわ。
「なつき。お昼ご飯は食べてるんだよね?」
「だから、大丈夫だって。お昼にたくさん食べるから、夜が入らなくなっただけ」
朝ご飯はおかずだけ、昼ご飯は抜き、それで、夜も食べるのをやめた。簡単に体重が落ちていく。私の無駄な脂肪がそぎ落とされて、どんどんどんどんきれいになっていく。
私はそれがうれしかった。うれしかっただけだ、ただ単純に。
それでも私は、体重が四十を切った時点で、自分が拒食症であることを自覚した。
「なんで……」
体重計に乗って、なんとか三十キロ台にはならないようにと朝ごはんだけはちゃんと食べていたのに、体重減少は止まらなかった。どんどん、どんどん、私の体重が減っていく。心も一緒に壊れていく。
体重が減るにつれて、体力もなくなっていく。私は怖かった。このまま体重が落ちれば、死ぬのは目に見えていた。
死ぬ? 私が? なんで、なにも悪いことしてないのに。ただ私は、体重を少しだけ落として健康体になって、そうやって短いスカートをひらひらさせたいだけだった。
体重が三十五キロを切って、私は寝たきりになった。だるくて起き上がれない。日中も夜も関係なく、私は布団に横になった。
なのに太るのが怖くて、毎日筋トレは欠かさなかった。二階の私の部屋がきしんでも、お母さんはなにも言わなかった。
「なつき」
お母さんが、心配して私の部屋に訪ねてくる。
私は相変わらず寝たきりに見えた。本当は、太るのが怖くて毎日なにかしら運動をしていた。
お母さんは毎日仕事に行って、私の異変に気づくのが遅かった。お母さんがこけた私の頬をなぜて涙ぐんだ。
私は自分の中で賭けをすることにした。
私はきっと、このまま死ぬ運命なのだ。だけれどもし、お母さんが私の異変に気付いて、私の病気を治してくれたら。そしたら私は、もう少しだけ生きていこうと思っていた。
くしくもそのころ、安楽死を認める法化案が可決して、合法化したとたんに申し込みが殺到していた。
私には遠い世界の話を、栄養のいきわたらない体で聞き流した。
お母さんは、私のために仕事を辞めた。
私が高校に入学したら、仕事に復帰するのが夢だったとよく話を聞いていた。
だから私は、びっくりした。
お母さんに命をゆだねておきながら、私は母親の強さというものを甘く見ていたのだ。お母さんはなんらいつもと変わらなった。
中年太りの背中、いつも綺麗な髪の毛、毎朝のご飯作り。
「なつき。今度の日曜、お父さん映画に連れてってくれるって」
「私はいかない。お母さんとお姉ちゃんと、和樹だけで行ってきなよ」
私が拒食症だというのは、家族のだれもが知っていた。
私だけがつい最近気づいて、学校に行けなくなってもう半年がたっていた。
なんとか高校二年生には進学できたけれど、この先私はどうなってしまうのだろう。いまだに私はご飯が食べられない。
怖いのだ。恐怖、生存本能による恐怖。太ることは私の存在の否定だ。
あとで知ることになるが、拒食症にかかる患者は、まじめな人間が多いらしい。私はきっとそれに当てはまらないが、つまりはこうだ。
なにかに挫折した人間が、ダイエットという成功体験を得ることで、自分には価値があると思い込んでしまう。
ダイエットは人間の本能に逆らう行為だ。人間の三大欲求のひとつ食欲を抑え込み、ダイエットに成功する人間はそう多くはない。
その少数の成功者なのだと痩せている自分に価値を見出せば、人間がどうなるのかなんて想像にたやすい。
もっともっと痩せることを望んでしまう。
やせている自分にこそ価値がある。少しでも食べれば太ることに恐怖を抱き、一日中食べ物のこと、体重のことばかり考えてしまう。
そうやって、食べないと死んでしまうことはわかっているのに、水すら口にするのが怖くなる。
安楽死なんて合法化するくらいなら、みんな拒食症になればいいんじゃないの、と私は思った。
餓死はもっとも簡単に死ねる方法だっていうのに、人間は百万円も支払って、安楽に死ぬことばかりを考えている。
馬鹿らしい。どうせ死ぬのだったら周りに迷惑を掛けずに、人知れず死んでいけばいい。
安楽死をするには現状、三親等以内に許可を得なければならないのだから、あの子は安楽死を選んだのだと、生涯家族は親戚に白い眼を向けられるのだろう。
だったら、私の様になにも食べず、孤独に死んでいくことこが、安楽死に変わる正当な死なのではないのだろうか。あいにく、私は賭けに負けて、生きる道を選んだけれど。
そうはいっても、私は相も変わらずご飯が食べられなかった。お母さんは、ひとりだけ映画に行かずに家に残ってくれた。
「これ、珍しいでしょ」
お母さんは、私がご飯を残しても、捨てても、必ず私のためにご飯を用意してくれる。うれしくて、申し訳ない。
今日は家族で映画に行こうって話していて、お姉ちゃんも和樹も楽しみにしていたのに、お母さんを私が独り占めしてとても罪悪感がひどかった。
お母さんはみんなと一緒に出掛けたと思ったら、ひとりだけ帰ってきて、手にはいつものスーパーの袋がぶら下がっていた。
そのスーパーのお魚が私はすごく好きだった。季節の魚が豊富にそろっていて、新鮮でおいしい。透明な目の魚は鮮度がいい証だ。
そこのスーパーで、お母さんが買ってきたのは鮎だった。初夏に差し掛かったとはいえ、スーパーに鮎が並ぶにはまだだいぶ早い。
お母さんはもしかすると、ほうぼうのスーパーを回って、わざわざ私のために鮎を探してくれたのかもしれない。
「塩焼きにするね」
証拠に、鮎は一尾しか買ってこなかった。
お母さんが台所にたつ。ひれに塩を厚く塗って、魚焼きグリルに鮎を入れる。スイカの香りがした。
「お母さん、私のことはいいから、映画に行きなよ」
そうはいっても、私はお母さんを独り占めできることがうれしかった。お母さんは魚をひっくり返しながら、
「いいの。お母さん、アクション映画は嫌いなのよ。怖くて」
「わかる。私は恋愛ものが好き」
「そう。じゃあ、今度お母さんとふたりで、見に行こうか」
見に行くことなんてできないってわかっているはずだ。
私はもう、体重が三十二しかなくて、立ち上がると必ず立ち眩みを起こす。私の立ち眩みは時間差で来るから、私自身も予測がつかない。
トイレに立ち上がって十歩歩いたところで砂嵐が起こって目の前が真っ白になって、慌ててしゃがんで血が巡るのを待つ。
耐えろ、耐えろ、と頭の中で祈ることしかできない。体に力が入らなくて、倒れてしまうこともままあった。
けれど、私は運がいいから、倒れるときに周りに人がいたことはない。たった一度をのぞいては。
その日は日曜日で、私の体重はまだ三十五あった。お姉ちゃんが居間でDVDを見ていて、私は水を飲みに居間に降りてきた。
「なつき。ご飯食べる?」
「いらない」
お姉ちゃんは私を心配してくれるけど、ご飯を無理矢理食べさせようとはしない。私はその日も適当にお姉ちゃんを流し見て、その隣を通り過ぎる。
間が悪かった。今日の立ち眩みはだいぶ時間がたってから起きて、私はお姉ちゃんのいる真ん前でしゃがみ込んだ。
「なつき!?」
「だいじょぶ、すぐおさまる」
しかし、運が悪いその日の立ち眩みは思ったより重く、私の体が後ろに倒れる。受け身なんて当然取れない、私の頭が床にゴチンと激突する。
その音があまりにも大きかったらしく、お姉ちゃんが涙目でお母さんに電話していた。
「お母さん! 大変なの! なつきが倒れた! しかも頭打った!」
その件で、お母さんは仕事を辞める決心をしたのだと聞いている。もっと早くにやめるべきだったね、お母さんが鮎を皿に乗せながら鼻をすすった。ほかほかと湯気をたてる鮎は、うねって口が開いていた。
「焼き立て。食べる?」
「……うん」
最近の私の食事は、朝ごはんに味噌汁一杯、昼には八枚切りのパン一枚と、おやつに低脂肪牛乳。夜はなし。
だから、別に、まったくなにも食べないわけではないのだが、私は決まったもの以外を食べるのが怖い。イレギュラーなものを食べて体重が増えようものならば、私は部屋で、腹筋背筋スクワットを、それぞれ百回ずつ行う。
毎日朝昼晩に体重計に乗って、少しでも体重が増えると自分に運動を課す。私は死ぬのが怖いくせに、なにも食べられない。こうやってたまにお母さんが珍しいものを買ってくれた時は、申し訳ないから少しだけは食べるけれど、そのあとは、食べたカロリー以上に運動をして、結局私の体重は増えないままだ。
八十田(はとだ)先生という理科の先生が、私は好きだった。
八十田先生は私のことをそれはかわいがってくれて、だから私が学校を休みがちになって、先生は定期的にお母さんに電話をくれていたようだった。
お母さんは誰かと電話する時、自分の部屋にこもるから、電話の相手が誰なのか、私はずっと知らなかった。
「事情を話したら、高認を受けたら単位になるって教えてくれたの」
「高認?」
「うん。高校卒業程度認定試験。国語とか数学の試験に合格すると、単位になるんだって。もちろん、出席日数が足りてることは条件になるんだけど」
夏休みになって、お母さんが私にそんなことを教えてくれた。試験は年二回、八月と十一月。
試験を受けたとして、今年の出席はどうあがいても一か月くらいにしかなっていない。診断書を出せば出席日数も少しは融通が効くらしいけれど、私は診断書なんて書いて欲しくなかった。
「八十田先生が、今度うちに来たいって言ってるんだけど」
「やだよ、私は会わない」
「でも、すごく心配してて。ほかの先生はともかく、八十田先生は本当になつきのこと心配してるよ」
不登校の生徒の家庭訪問なんて、一昔前にほろんだと思っていた。時間外の教師の勤務に厳しい声が上がったのは、そう昔の話ではない。
私は先生が好きだからこそ断りたかったのだが、それでも八十田先生は折れなかった。結局私があきらめて、八十田先生は私の家に来たのだった。お母さんが普段は散らかっている居間だけを綺麗に片した。
ものをあっちからこっちに移動しただけだから、片付けとは言えないけれど。
「相川さん、久しぶりですね」
「あ、はい」
「これ、夏休みの課題」
八月も中旬になっていた。
担任の教師は私に課題を届けることすらしなかったのに、八十田先生は教師のかがみなのではないかと思う。
私を見ても顔色一つ変えなかった。
本当は、痩せすぎて気持ち悪いと思っているんでしょう?
疑心暗鬼から笑顔が不細工に引きつった。
「頑張りやさんだから、疲れちゃったのかな」
「いえ。ただの拒食症です」
私はきっぱりと八十田先生に告げた。
八十田先生は笑っている。
私を嘲笑っている訳ではなく、その顔には慈愛が見て取れた。私の顔の緊張がとけて、自然な笑顔を向けられたと思う。
「そう。まじめだからね、相川さんは」
「はあ」
その意味が、私にはわからなかった。
あとで聞いた話、八十田先生は私が拒食症であることを知ってから、様々な文献を読んだのだそうだ。そのうえで、お母さんにアドバイスもしていたらしい。
例えば、拒食症の子は幼児退行が起こるから、お母さんの役割が重要になるとか、非日常を作って、食べるきっかけを作るといいとか。
お母さんが私のために映画に行かなかったのも、鮎を買ってきてくれたのも、きっと八十田先生のアドバイスだ。
大人は嫌い。嘘をつくから。
でも私は、八十田先生だけは嫌いにはなれなかった。
八十田先生は世間話をしただけで、そのまま私の家を出ていった。
拒食症を自覚して半年たって、夏休みが終わろうとしていた、八月の末。
じーわじーわと蝉が最後の力を振り絞って、地面に仰向けに転がっていく。
私はお母さんに誘われて、一緒にスーパーに買い物に来ていた。本当は家で寝ていたかったけれど、最近は寝てばかりでは太るのではと恐怖がわいて、お母さんにくっついて歩き回っている。
まるで金魚のフンみたいに、ぴったりくっついて離れない。これが幼児退行と言うらしいけれど、それを知るのはまだだいぶ先の話になる。
訪れたスーパーは家から一番近くて、値段も安く設定されている。
その、出先のスーパーにはパン屋が入っていて、私はそこに、なんとなく入っていった。
お店の名前が理由かもしれない。
ベーカリー理恵。理恵子ちゃんは中学の同級生だった。
今でも覚えている、小麦の香りとバターの香り。私は、なにげなく、そのパン屋の試食を手に取った。
たった一口だ、これなら太ることもないだろう。なんでそう思ったのか、私にもわからない。私はそのアンパンのかけらを、口に入れた。甘い、あまい、生き返る、染みわたる。
あんことバターと小麦が、私の飢えを満たしていく。ずっと空腹でたまらなかった腹が、アンパン一口に癒されていく。こんこんと湧く湧き水のように、そのアンパンは私の細胞を潤した。
「あら、いいわね、お母さんも食べよう」
私の後をついてきていたお母さんが、アンパンの試食に手を伸ばした。なんの迷いもなくアンパンの欠片を手に取って、口に入れて咀嚼する。甘いアンパンがお母さんを笑顔にする。
私も笑って、久しぶりに私たちの心は穏やかだった。
「美味しい。買ってく?」
私はフルフルと首を横に振った。お母さんは「そう」とだけ言って、スーパーの方へと戻っていった。
私はレジの店員さんに頭を下げてから、パン屋さんをあとにした。
その日からだ。お母さんは毎日、買い物に出かけるようになった。その時は、必ず私を誘ってくる。
お母さんの一世一代の賭けだったのだと思う。本当は、お母さんは私に隠れて心療内科に通っていて、私の体重や食事量を医者に話していることを知っている。そして、お医者さまに一刻も早く入院させろと言われていることだって。
けれどお母さんは、私を入院させようとはしなかった。拒食症の入院生活が過酷を極めることを、知っていたからだ。
入院して食事を拒めば、患者は身体拘束されて、胃瘻を流されて体重が安定するまで動けなくなる。いまだ、精神科の治療なんて非人道的なもので、お母さんはそれを知っているからこそ、私を絶対に入院させなかった。
「見て、試食あるよ」
お母さんがソーセージの試食を指さした。私はフルフルと首を横に振った。
「みて、乳酸飲料の試飲だって」
やはり私は、それを飲まなかった。
何回かそんなやり取りを通じて、どうやら私は、あのスーパーのパン屋のアンパンだけは試食に手を伸ばせることが分かっていった。私自身もそれがなんでかなのかはわからない。
お母さんも私にその理由を聞かなかったし、聞かれたところで答えられなかっただろう。
お母さんは、私をそのスーパーに毎日連れて行った。私とお母さんは、そのスーパーの試食のアンパンを食べるだけ食べて、なにも買わずに帰っていった。
お母さんと私が、そのパン屋で疎まれていることはすぐに分かった。
試食だけ食べてなにも買わない厚かましい親子が現れると、いつしかそのパン屋さんは、私たちを見るなり試食のトレーを下げるようになった。それでもお母さんは、なにも言わなかった。
深夜に、お父さんとお母さんが言い争っていたことを、私は知っている。
「そんなみっともないことやめろ!」
「だって! あの子の命がそれでつながるなら、みっともないもなにもないでしょう!」
「だから! 入院させろ! 今すぐに!」
お父さんは世間体を気にして、私の試食をやめさせたがった。けれどお母さんは、世間体なんて気にも留めない。ただただ、我が子がかわいい。パン屋に疎まれようが、世間に後ろ指さされようが。
お母さんは懲りずに、私をスーパーのパン屋に連れて行ってくれた。
二、理恵ちゃん
もしも記憶をそのままに、過去をやり直せるとしたら。
誰もが一度は考えたことがあるだろう。
宝くじを買う? 株で儲ける? 勉強を頑張る? 入試をやり直す?
私の答えはそのどれでもない。私はただ、高校一年のあのころを、ひたすらにやり直したいと願っていた。
高校に上がる前、担任の教師と私は、ほかの生徒より仲が良く、春休みには担任の先生のデスクの整理を手伝うくらいだった。
今思えば、デスクの整理という時点で察しが付くが、その先生は別の小学校への転勤が決まっていた。
しかもただの転勤ではない。転勤先の学校は私立の中学校で、地元では有名な進学校だった。
私はそんな先生の生徒になれて、とても誇らしかったのを覚えている。
離任式には当然のように友達と小遣いを出し合って、お別れのプレゼントにマグカップを渡したのはいい思い出だ。
「O中学校出身の、相川なつきです。趣味は読書で、部活は決まっていません。よろしくお願いします!」
高校に上がっても、私はなんの悩みも不安もなかった。
中学校の先生の計らいで、中学校から持ち上がりで同じクラスになった仲良しの亜美がいたというのもあったし、小三で転校する前の学校で仲良くしていた真子が同じクラスだったこともある。
そのころの私は楽観的で、能天気で馬鹿で愚かだった。
このころはまだ、安楽死の法案は採決されていなかった。しかし、法案はまとまり切り、あとは施行を待つのみになっていた。
相変らずワイドショーは安楽死でもちきりだった。
クラスのムードメーカーともいえる私は、みんなの前で馬鹿な発言をくり返し、おどけた行動でみんなをわかせた。
みんな一様に私を「馬鹿」だと笑う。笑われると楽しくて、なのにどこかむなしかった。どうにか新しい高校になじむのに必死で、私はやり方を間違えた。
その時のクラスメイトに、私とまた違った方向で目立った生徒がいた。彼女は私とは違う中学校の出身だから、彼女のことはよく知らなかったけれど、私と同じだ、と私は感じた。
「田中理恵子です」
小さく早口に、もそもそと自己紹介をした彼女は、出身小学も部活のことも、中学での目標も。なにも語らず、自己紹介するとすぐに椅子に腰かけた。
ひそひそと私の前の席の女の子が隣の席のお友達に耳打ちしていた。
「理恵子ちゃんって家ではおしゃべりらしいよ」
「マジで? なにそれ、猫かぶりじゃん」
その時は私もさして気にしなかったけれど、彼女たちの言葉の意味を、私はすぐさま理解することとなった。
理恵子ちゃんはしゃべらない。本当に、なにも。
授業中に先生に指名されても、作文の発表会があっても。誰かが話しかけても、誰かと話さなければならない場面でも。
彼女はいつも、教室の自席に座って、じっとしていた。私が見る限り、トイレすら行っていない。
「なつき、どうした?」
中学校からの同級生の亜美が私を呼んだ。
「なんだっけ」
「なんだっけって。ほんとなつきは能天気だよね」
最近、亜美は真子がお気に入りだ。どこに行くにも真子の手に自分の腕を絡めて、ニコニコと上機嫌に真子を独占する。
真子は事なかれ主義で、どちらかと言えばドライで広く浅くなタイプだった。証拠に、彼女には吹奏楽部のお友達が七人以上いて、そのどれとも仲良しだった。私には考えられない。
今のクラスで私が仲良くしているのは、真子と亜美、それから心美と奈留と、それくらいだ。
でも、一番の仲良しは真子だと自分では思っている。確かに亜美とも仲はいいけれど、亜美より先に私は真子に出会っていたし、転校してからも私は真子と文通をしていた。だから、高校で再会できたのは奇跡だと思った。
それとは別に、私は亜美に不信感を抱きつつあった。亜美は中学生のころ、どちらかと言えば目立たない子で、授業参観には必ず学校を休むような、やや不登校のケがある女の子だった。クラスメイトはみんな、亜美を嫌っていた。亜美の家が生活保護だっただからだ。
私にはそれがばかばかしく感じた。別に、亜美の家庭と亜美は別人なのだから、亜美が嫌われる理由なんてどこもないと思ったのだ。
だから私は、中学二年のある朝、何気なく亜美に挨拶をした。
「おはよう、亜美ちゃん」
きょとん、と亜美が固まって、けれど嬉しそうに「おはよう」と返してくれた。
その翌日、今度は亜美が先に私に朝の挨拶をしてくれたことがなんだかうれしくて、でも照れ隠しに私は、「今日は亜美ちゃんに先越されちゃったね」そう言った。
それをきっかけに、亜美と私は、毎朝どちらが先に挨拶できるのか、競うようになった。同時に、亜美が学校を休む日が少なくなったのは言うまでもない。
「なつき、亜美ちゃんとは遊ぶのやめたら?」
ある日曜日、お母さんがだしぬけに私に言った。
「なんで?」
私は反抗的に返した。
「亜美ちゃんって、お母さんがアレだから、常識がないってもっぱらの噂よ。武美ちゃんちに遊びに来た亜美ちゃんに、『お昼ご飯だから家に帰ったら?』って遠回しに言ったら、亜美ちゃん『家に帰ってもお母さんはご飯作ってくれないので大丈夫です』って。武美ちゃんのお母さん、結局亜美ちゃんの分までご飯用意したらしいわよ」
別に、だからなんだというのか。確かに厚かましいかもしれないけれど、帰らせなかった武美ちゃんのお母さんだって悪いのではないか。
私は母の言葉を右から左に聞き流して、最悪の気分で亜美との待ち合わせに向かった。亜美は私にアイスをおごってくれて、ふたりで遊ぶ時間はあっという間に過ぎていった。
今更になって、私は母の言葉の意味を理解した気がした。最近の亜美は真子に夢中で、私に対して扱いが適当になったのは確かだった。
「なつきのばーか。安楽死しちゃえ!」
決定的だったのは、その一言だった。前後の脈絡は覚えていなかった。それだけこの言葉がショックだったのだ。
亜美はいつものように真子の腕に絡みつきながら、ストーブでみんなで暖を取る昼休み、はっきりと、まっすぐに私に言った。
もちろん、私以外に仲良しグループの友達がそこにいたというのに、誰ひとり亜美を注意するものはいなかった。
例え悪ふざけだとしても、友達に安楽死しろと言う亜美が信じられなかった。これはまさしく、安楽死の法案の悪影響に違いなかった。
そのとき唐突に理解したのは、亜美は中学生のとき私しか友達がいなかったから仲良くしていただけで、別のお気に入りさえ見つけ取り入ることができたなら、私なんて用済みだということだった。
なまじ亜美に不登校のケがあったから、小学校の担任が、わざわざ中学でも私と亜美を同じクラスにしたのがすべての間違いだった。
亜美の言葉に私はなにも言えなかった。
いや、顔には出ていたに違いない。
なぜなら亜美が、その日は真子ではなく私にべったりで、機嫌をうかがってきたからだ。
「なつき、今日も一緒に帰ろ」
「うん」
別に、いつもだって一緒に帰っているのに、その日の亜美は私にこびて、帰宅の道順を変えて、私の家の真ん前まで自転車で送ってくれたくらいだ。
けれど私はその日以降、亜美のことを信じられなくなっていった。噂は噂だ、そんなことを思っていた私は、なにも知らない子供だったに違いない。
亜美とは距離を置くようにして、けれど私は真子とは楽しい時間を過ごした。私がやり直したい高校一年生という時期は、つらいこともあったけれど、おおむね幸せな時期だった。
それでも、私がこの時間をやり直したいと思うのは、真子や亜美のことではなく、クラスメイトの理恵子ちゃんのことが気がかりだったからだ。
理恵子ちゃんは普段から誰とも話をしないから、必然的に友達もいなかった。けれど吹奏楽部に所属していたから、真子とは接点があるようだった。
「真子。理恵子ちゃんって部活でも友達いないの?」
「うん、ひとりで黙々と練習してるよ?」
真子はあっさりと答えたけれど、それを異常だと感じた私がおかしいのだろうか。亜美
だって、ほかのクラスメイトだって、私だってそうだ。理恵子ちゃんがひとりでいることに気づいているのに、誰もなにもなさずに日常が過ぎていく。
理恵子ちゃんはひとりだけれど、よく私たちのグループと行動のタイミングを一緒にすることが多かった。
例えば、理科室に移動するときとか、掃除で外に出なければならないときとか。
私はそれに気づいていたのに、どうしても理恵子ちゃんに言えなかった。たった一言だ、「一緒に行こう?」
その言葉を言えていたのなら、私の人生も、いや、理恵子ちゃんの人生は、違うものになっていたのではないだろうか。
二学期になって、理恵子ちゃんは学校に来なくなった。
「先生、私小学校一緒だったから、プリント渡しに行きましょうか」
前に、陰口をたたいていた女の子だった。「理恵子ちゃんって、家ではおしゃべりらしいよ」
どの口が言うんだ、私は憤慨して、なのになにも言えなかった。
彼女を不登校にしたのは、私のせいだ。
私や、このクラスが、彼女を害した。
「プリントは先生が届けに行ってきます。でも、理恵子さんが保健室に登校してきたら、誰か一緒に給食を食べに行ってくれませんか」
穏やかな先生の声に、だけれど誰も手をあげなかった。
真子すらもだ。
真子は理恵子ちゃんと部活も一緒だし、出席番号も近い。出席番号順で席が決まる理科の実験なんかでは、理恵子ちゃんと同じ班だったというのに。誰かがやらなければならないのなら。
みんなが私に注目した。
「なんで相川さん?」
「そんなに先生に気に入られたいの?」
「相川さん。ありがとうございます」
先生の声は相変わらず凪いだ海みたいだった。
「ほら、私ってこんなだから、恵美子ちゃんも笑わせられるかなって。あ、そうだ。真子も一緒にどうかな。同じ部活だし」
へら、と軽く言えば、クラスメイトが同意を示す。
普段の私はおちゃらけていて、だからこそ、私はふさわしくないのだとみんなは思ったのだろう。
けれど、私がここで手をあげなければ、クラスメイトは責任のなすりあいになっただろう。
私はただ、自分のために立候補した。私があの時、理恵子ちゃんに話しかけていれば、理恵子ちゃんが不登校になることはなかったのでは。
それは、贖罪に近い感情だった。
結局、理恵子ちゃんは中学二年生にあがっても学校には来なかった。理恵子ちゃんは、一年の時の先生の計らいで、私と真子と同じクラスになった。亜美は別のクラスになって、私は心底ほっとした。
「亜美が嘆いてたよ」
理恵子ちゃんのことはまるで事務的に対応するのに、真子は亜美に騙されている。
「なにが?」
真子の口から亜美の話は聞きたくなかったけれど、真子との関係は壊したくないから興味があるふりをした。
「最近なつきが一緒に帰ってくれないって。嫌われたのかなって言ってたよ。なんだか最近病んでいて、安楽死の法案に興味があるとも……あんな法律、採択されなければよかったのに」
そう来たか。そして、思った通りだった。
私は高校二年になって、亜美と距離を置いた。
まずは一緒に帰ることをやめたのだ。
クラスが違うのだから、帰りの掃除が終わる時間も違う。私のクラスはありがたいことに亜美のクラスより早く帰りの会が終わるから、私はそのままいそいそと教室を走り出る。
ちなみに、亜美と帰らないのは月曜日だけだ。
私の学校では月曜日は部活がない日で、その日だけは、私は誰よりも早く教室を出る。
亜美は、部活がある日は私なんか無視して先に帰る。私の所属する文学クラブは、部活終わりが遅くなることが多い。亜美は自分は私を待たないくせに、私が亜美を待たないのは気に入らないらしい。
真子はそんなこと知らないだろうけど。
「ちょっと忙しかったからなあ。次の月曜は一緒に帰るよ」
亜美はずるい。こうやって遠回しに外堀を埋める。私がここで、亜美を避けていると言えば、私と真子の関係は崩れる。
真子は亜美に対して絶大な信頼を寄せているから、私と亜美のどちらの味方をするのかと言ったら、絶対に亜美だ。
やはり、亜美という人間は、したたかで計算高い、恐ろしい女だと私は感じた。
高校二年の校外学習では、沖縄に行った。その時、私と真子は、理恵子ちゃんと同じ班になった。私は飛び切り張り切って、行きの飛行機の中でも、沖縄を散策する時間も、とかく理恵子ちゃんに快適に過ごしてもらうことだけを考えていた。
馬鹿な話をするのは嫌いじゃない。みんなは「嘘だ~」っていうけれど、そんなの作り話に決まっている。
けれど私は日常のあらゆるものを笑いのネタにして、なんなら自虐を交えて理恵子ちゃんに話し聞かせた。
「この前ね、ビュッフェでビーフストロガノフとオムレツが出たんだけど。私ドジだからビーフストロガノフが入ったお椀をぶちまけちゃって、しかもオムレツの上に。私が絶望してたら、真子が真顔で『なにしてるの』って。理由なく笑っちゃったんだよね」
「この前私の家に火星人が来たのよ、それもね、木星人と土星人も同じ場所に降り立って。彼らはこんな声でね、『あなたガタモチキュウシンリャクデスカ』『ハイ、ソウデス』『デハ、チキュウジンヲアザムクタメニ、ワレワレハカゾクトイウコトニシマショウ』って。ちなみに火星人は一本しか毛が無くて、木星人は五本、土星人は毛がなかったよ」
周りのみんなが笑って、理恵子ちゃんもむずむずと笑いをこらえてくれるのが分かった。
「ちな、私その時宇宙人に改造されたから、今日から私のこと、『火星人』って呼んでいいよ」
箸が転んでもおかしい年頃だった。理恵子ちゃんは帰りは同じ飛行機に乗らず、迎えに来たお母さんと一緒に帰っていったけれど、私はどこか誇らしかった。
理恵子ちゃんが学校に来られないことは変わらなかったけれど、私たちはどこか、友達になれたような気さえしたのだ。
それでも、理恵子ちゃんが学校に来ることはなく、いつしか彼女は転校して、顔を見ることも、後悔を告げることもできなくなった。
「なつき、まだ気にしてるの?」
理恵子ちゃんが転校して、亜美が悪びれる様子もなく言った。
「気にしてるって?」
「理恵子ちゃんのこと。まあ、なつきは悩みなんてないもんねえ。安楽死に一番遠い人間だもの」
月曜日だけ、亜美と一緒に帰るようになって、亜美はやはり、私をぞんざいに熱かった。
にこにこと笑う亜美に、私は本心を隠して笑みを向けた。
けれど結局、亜美にとって私は代替品に過ぎなかった。亜美はこのクラスで、新しく仲良くなった女の子を、次のお気に入りに定めた。
「私たち、来週ふたりで安楽死するんだ。親類の許可も取れた!」
亜美の新たなお気に入りの、佳代の言葉だ。理恵子ちゃんが転校した翌月、六月の頭にに入って、いつの間にか亜美は放課後によく佳代と遊ぶようになっていた。
帰りだけは私と帰路を共にしたけれど、教室の中ではいつも佳代にべったりだった。まあ、クラスが別だから今更亜美の交友関係なんてどうでもいいけれど。
それでも、そんな風に騒がれて、私はどうするのが正解だったのか、私にはわからない。
「佳代、亜美。安楽死なんてやめなよ」
彼女がどこまで本気だったのか、私にはわからなかった。
けれど亜美にはどこか危うい雰囲気があった。例えば、学校に剃刀を持ってきたり、親の財布から金をくすねたり。
そんな亜美と佳代は、休日によく駅ビルに遊びに行っていたようだ。そしてふたりは、思春期特有の病気でもあって、それがふたりをさらに意気投合させた。
「自律神経失調症? ってなんだろ。私も亜美も、それらしいよ」
「眠れないんだっけ。病院に行ったら?」
私の言葉は正当すぎて、逆に亜美の反発を生んだ。
「なにもわかってないくせに。眠れないってどれだけつらいか知らないでしょ」
「ごめん」
佳代と亜美は、ふたりして不眠で、だからこそ、安楽死なんて極端な手段に出たのだと思う。
本当はただ、自分たちが苦しんでいることを、大人たちに気づいてほしかっただけなのではないか。
今となっては確かめるすべはない。私はふたりと縁を切ったからだ。
だけれど、そのころの私は彼女らの言葉を真に受けて、自分ひとりで抱えることができなかった。
私は母に佳代と亜美が自殺すると毎日のように言っていることを相談した。
母は担任の教師と、養護教諭にそれとなく連絡を入れたようだった。
私が母に相談してしばらくして、佳代と亜美は別々に養護教諭に呼び出されて、「なにか悩みはない?」と聞かれたそうだ。
「誰かがチクった」
佳代が鬱陶しそうに舌打ちした。私は真横でそれを聞いて、だけれどなにも言えなかった。
きっと、仲良しじゃないクラスメイトが教師に告げ口したのだと思っているのだろう。私は口を閉ざして、それ以降、余計なことはしないことにした。
思えば亜美は、気に入った子に取り入るために、必死に媚びうる性格だったように思う。
真子と同じクラスだったときは、真子を毎週末遊びに誘って、いろんなものをプレゼントしたらしい。そして佳代の時には、佳代の自殺の誘いを、ただ笑顔で頷くような。
結局、ふたりは安楽死なんて『予約すらできていなかった』。
しかし、安楽死する、という言葉はあながち嘘ではない。
なまじ安楽死が法律で許されるようになったから、裏取引で安楽死を請け負う組織が出来上がった。
それらは警察の摘発では間に合わず、佳代と亜美の件は大々的に全国紙の新聞に掲載された。
そこから、安楽死反対運動が広がることとなった。
けれど私は、疲弊して、なにもできなかった。
佳代と亜美は高校に在籍を続けることができなくなって、やがて退学して、その後のことは知らない。
そういうことがあったから、私はその件依頼馬鹿な発言はしなくなった。
そして、私の中でなにかが切れた。
極端な痩せ思考に意識が向いてしまったのは、おそらくこれがトリガーのひとつだ。
私は私の意義を、ダイエットで埋めようとした。
真子のように細くなりたい、なんて、取ってつけたいいわけだ。
私はただ、自分に価値があると、理恵子ちゃんを救えなくても、亜美を理解できなくても、私は私なのだと、証明したかっただけなのかもしれない。
それが私の後悔。やり直したい人生の一幕。
それがなければ、私は拒食症になんてならなかったのではないか。そんなたらればに支配されることが、滑稽でならない。
三
だけど、人生はそう簡単には進んでくれない。私の体重が三十を切ろうとしていた時、お母さんは私を無理矢理病院に連れて行った。お父さんと話し合った結果だった。
「やだ、やだ! 入院なんてしない! 私ちゃんと食べてるじゃん!」
「なつき、ごめんね、ごめん。ちゃんとお医者様の言うこと聞くのよ」
最初はスーパーに行こうって誘われて、私はなんの疑いもなくついていった。後ろからお父さんの車がついてきていることも知らずに。お父さんの車には、私の入院の着替え一式がそろっていて、私ははかられたことに怒りを感じた。
「この! くそ! 絶対に許さないからな!」
お父さんが書類にサインして、私は病棟に無理やり連れていかれた。抵抗したから、『保護室』という部屋に連れていかれた。
四畳ほどの部屋に、ベッドが一つ。五十センチの間仕切りの向こうに、むき出しの便座。
私はそのベッドに身体拘束されて、
「看護師さん、なんで拘束するんですか!?」
「暴れたからです。明日には解放するから。おとなしくできたらだけど」
看護師たちが、私によってたかって拘束具をつける。ベルトを胴と手足に回して、ベッドの柵に括り付ける。
「暴れない! 暴れないからほどいて!」
「ダメ。明日まで我慢して。ああ、おむつもしなきゃ」
「や、おむつ!? それは嫌です。我慢します」
「でも」
「我慢できます!」
なんとかおむつだけは逃れて、私は身体拘束されて天井を見ることしかできなくなった。寝返りを打てないから仙骨や背骨が痛かった。
ただでさえ、拒食症で骨が出張るから家の布団に寝ていても褥瘡ができるのに、一晩中あおむけに拘束されて、私は一睡もすることができなかった。
尿と便は我慢して、なんとか朝にはトイレだけは許された。一時だけ拘束を解かれて、看護師さんが見張る中で用を足す。
やりにくくて恥ずかしくて、私は今すぐ死んでしまいたかった。
朝礼を終えた看護師さんが、私の保護室のドアを開けた。
「おはよう。朝ごはん、食べられそう?」
「はい、はい!」
本当は、食べる気なんてさらさらなかったのに、私は拘束を解いてほしい一心で嘘をついた。看護師さんは私の拘束を解いて、保護室に朝食を運んでくる。昨日、私の体を拘束したのとは違う看護師さんだった。
ベッドに備え付けてある小テーブルを出して、そこに朝食が乗せられる。看護師さんが私を見張るように見ていた。
「食べられない?」
「いや、あの」
「そう。これじゃ、お医者さまに報告しなきゃなあ」
看護師さんが、私に憐みの目を向ける――ことはなく、私は身体拘束から解放されて、ほっと胸をなでおろしていた。痛む褥瘡に手を触れる。膿んではなさそうで安心した。
そうして私は、保護室という監獄の中、刹那の平和をかみしめる。
トイレに行くには、外にいる看護師さんにトイレットペーパーをもらわなければならなかったけれど、それ以外は特に不便はない。
昼ご飯の時間になって、また看護師さんが私に食事を運んできてくれた。
「食べられる?」
「はい」
私は決して、わざと嘘をついているわけじゃない。自分では「食べている」つもりだったのだ。
出された昼食のうち、牛乳だけを飲み干して、私はベッドに横になった。
「これは……ダメだね」
看護師さんが、お医者さまを呼んでくる。お医者さまは、看護師さんをもう一人連れてきて、私は看護師さんが持ってきた体重計に乗らされた。
「三十か……うん、四十になるまで、そうして」
お医者さまがなんの感情もなく看護師さんに指示した。
看護師さんたちが頷いて、いったん保護室を出ていった。がやがやと外が騒がしい。
「なんなんだろ」
私はなにも知らない愚かな子供だった。
次にまた、看護師さんたちがぞろぞろと保護室に入ってきて、私はまた、ベッドに括り付けられる。ぎしがたと私は抵抗した。
なんで、なんでこんなことができるのだろう。人間の所業じゃない。私を人間だなんて、思っていない!
「や、やだ! 拘束は朝までって言ったじゃないですか!?」
「体重が減りすぎているから。胃瘻を流します」
「胃瘻!? や、食べる、夜はちゃんと食べます!」
「ダメ。命にかかわることだから。看護師さんたちも心を鬼にします」
感情なんて一切こもっていなかった。
看護師さんたちが、私にまた、あの窮屈なベルトを締める。
私は抵抗した。逃げようとした。
こんなのごめんだ。胃瘻? なんでそんなことするの。私は普通だ。私は、ちゃんと食べている。入院なんて、必要ない。私はおかしくない。誰か助けて、くそ、くそ、あいつら、お父さんもお母さんも、みんな大嫌いだ。こんな扱いを受けるくらいなら。
「じゃあ、殺せよ! そうだ、安楽死! 私は安楽死を望みます! だからもう、ここから出して!」
私の叫びなんて、誰も聞いていなかった。
看護師さんたちは、私の体を拘束すると、私の鼻にチューブを通して、高カロリー液を流し始める。
バナナの風味が胃から上がってきて、私はただ、太ることが怖かった。
身体拘束されて、私の褥瘡が膿んだ。看護師さんたちが、靴下をドーナツみたいに丸めたものを褥瘡の部分においてくれたけど、やせぎすの骨だけの私の体は、そこら中に褥瘡ができた。
毎日天井を眺めて暇を潰す。最初は看護師さんを呼んでいたけれど、私はもう、諦めた。
トイレも自由にできなかった。
おむつを当てられて、そこに三回、尿をすると、看護師さんが取り替えてくれる。便なら一回。
私はまるで、そう、まるで動物のように扱われた。動物と言うよりは、獣。
私は何度もトイレをお願いするのに、看護師さんたちは一度だって私のところに来てくれない。
何度も保護室の前を通るのに、私はここに存在しないようだった。
「看護師さん、殺して」
「疲れてるのね。栄養が廻ったら、死にたいなんて言わなくなるわよ」
「死にたいんじゃない。安楽死させて。こんなの生き恥だ」
私はひとりではなにもできない。おむつに糞尿を垂れ流し、看護師さんが三日に一回体を拭いてくれる。
私がいまだに暴れるから、私の身体拘束は解けないままだ。いや、体重が四十になるまで解かないと説明を受けた。
私が何度も「ちゃんとご飯を食べます」と言っても、誰も取り合ってはくれなかった。
私の自尊心は砕け散って、心も体も自分のものではなくなった。
「看護師さん、お母さんに来てほしいんですけど」
「まだ家族との面会はできないですよ」
私はただ、生きていた。
死んだ状態で、生きていた。
こんな風に、もののように扱われて、私は生きていると言えるのだろうか?
看護師さんたちは、代わる代わる私を世話してくれたけれど、私を人形のように思っているのか、なんら顔色ひとつ変えなかった。
私は人形なのだろうか、屍なのだろうか、生きているのだろうか、なんで、ここにいるのだろうか。
私の体重が徐々に増えていく。
頭に栄養が廻っても、それでも私は、この対応に納得がいかなかった。
「看護師さん、ちゃんと食べるので、もう拘束は解いてください」
「まだ三十八だから。あと二キロの我慢だよ」
「くそ、この! 他人事だと思いやがって!」
「うん、元気が出てきたじゃない」
そんなもの、必要ない。自由になったら、一番に死んでやる。それで、死ぬ瞬間に看護師に言ってやるんだ。「よくもあんな扱いをしたな」
私は生かされている。の胃瘻によって。
それでも、そこまでして生きながらえたいなんて思っていない。
私は確かに、お母さんが私の異変に気づいたら、生きていこうと賭けをした。けれど、こんな形になってまで生きながらえることなんて望んでいない。これは、人間に対する扱いなのだろうか。
私に自由なんて許されない。
トイレすら自由にならない。食事は変な味のするカロリー液で、ひとの食べるものじゃない。
私の体重は順調に増えていく。
安楽死してやる、死んでやる。こんな辱めを受けて、お父さんやお母さんを許せるはずがない。
私は、退院したらまず、安楽死に申し込む。私のこの病気なら、きっと条件は満たすだろう。
問題は、三親等内の親族の許可だ。
「じゃあ、今日から拘束を解きますね」
思ったよりも早く、私の拘束は解けた。そうはいっても一か月だ。一か月丸々寝たきりだった私は、拘束を解かれて、素足でベッドの上から床に降り立った。
立ち上がろうと足に力を籠めるも、うまくいかずに転んでしまった。一か月寝たきりだったのだからしょうがない。
膝をついて、そこからじんじんと痛みが全身に伝わった。
お母さんの涙を思い出した。
私を入院させるとき、お母さんは涙を流していた。十七年生きてきて、初めて見るお母さんの涙だった。
どんな気持ちで私を入院させたんだろう。私がこういう扱いを受けることを知っていたのだろうか。
聞いてみたい、と思った。聞いてから死んでも悪くない。
「あはは、なんだ」
結局私は、なにかに理由をつけて、生きる意味を探していた。
「相川さん、ご飯、食べられそう?」
「やってみます」
やらなければ、また身体拘束される。それだけはごめんだ。
だから私は、その日出された昼食の焼き魚とご飯とお浸しを、全部残らず平らげた。
病院にいる間だけは、私は太る恐怖に耐えて、ご飯をなるべく全部食べた。
けれど、唯一、肉だけはだめだった。わかりやすく私は、肉はもっとも太るものだと、そう、脳が思い込んでいるようだった。
一般部屋に移り、ベッドで無為に過ごしたいのに、清掃員はお構い無しに私の部屋に入ってくる。
最初こそ、清掃員を無視して布団にくるまっていたのだが、どうにも清掃員はベッドのシーツを取り替えたいらしく、私を邪険に扱った。
「ゴロゴロしてるから滅入るんですよ。談話室でみんなとストレッチなり、カラオケなりすれば気分転換になりますよ」
「何時頃に掃除終わりますか」
「そうやってまたゴロゴロするんですか。はあ。いい若いもんが毎日毎日。普通のひとだってこもりきりだったらおかしくなりますよ」
清掃員はだいぶ歳のいった女性だった。八十歳は超えているのに、背中がピンと伸びていてハキハキしている。
中学を出てからずっと働いてきたらしい清掃員は、年齢にしてはかなり進歩的な考えの持ち主だったに違いない。
私の祖母はもう亡くなったが、この清掃員と同じくらいの歳である。
その祖母は、小学校を出てすぐに家業を手伝い、十七で結婚して、それから死ぬまで夫を支え家事のみに従事してきたようなひとだったから、この清掃員は時代を先取りした考えの持ち主なのかもしれない。
そうだとしても、私のことも、ましてや病気のことも理解せようとせずに、私に『おかしい』とレッテルを貼るのはいただけなかった。
長く刻まれた顔のシワと同じで、人間の考え方はそう簡単には変わらないのかもしれない。
「二時くらいまで、談話室に行きます」
「もっとシャキシャキしゃべりなさいな」
「失礼します」
部屋の清掃は三日に一回。私は気だるい体を押して、談話室に向かった。
談話室でも、私に居場所はなかった。
「なつきちゃん、だっけ」
談話室で小説を読むようになって、少しだけ気分転換ができるようになった。
そんなある日、臨床心理士のお兄さんに声をかけられた。
「あ、と」
話しかけてきた人物に、見覚えはなかった。入院患者ではないし、看護師でもない。
「あ。俺、臨床心理士なんだ」
彼が人懐っこい笑みで言った。
「じゃあ、先生ですね」
適当に返事して、なのに臨床心理士のお兄さんは部室から出ようとしない。じっと私を見ていた。
「なんです?」
「あ、いや。俺もその本、好きだったなって」
かなり有名な小説だったから、今思えばただの口実だったのは明らかなのに、私はうれしくなって、その小説の感想を心理士さんに早口でまくし立てた。
「この小説のラストがすごくて。余韻というか。全部投げっぱなしに見えて、でもちゃんとまとまってる。読むひとによってとらえかたが違うのも面白いです」
「俺はここを――」
時間を忘れて語らって、私は臨床心理士さんのおすすめの本を一冊、その日貸してもらった。
「俺、岡山信明」
「私は相川なつきです」
それが私がこの入院でであった幸いのひとつだった。
聞いた話、臨床心理士さんは苦学生で、本来ならば都心の名の知れた大学に合格していたのだけれど、進学するタイミングで父親がリストラ、仕方なく自宅から通える地元の大学を受けなおし、奨学金を借りて無事に大学を卒業したのだそうだ。
私と同じだ、と思った。
私は拒食症という人生の負債を背負っている。
そして、それを苦に、安楽死まで考えている。
私はそれまで、大学というところはほとんどの人間が退屈しのぎに通うところで、例えば日本では、大学に入学するのは難しいけれど、卒業するのは簡単、という言葉はその通りだと思っていた。
臨床心理士さんは、ずっと私に話しかける機会を伺っていたらしい。いつだったか、「なぜ私だったの?」と聞いたことがあった。
「自分の世界を持っていたから」
臨床心理士さんには私がそう映ったらしいけれど、私はただ、不必要なことは喋らずに、誰にも心を開けずにいただけなのに。
私はいつの間にか、臨床心理士さんに、すべてを話していた。
「私、高校、行けなくて。ご飯も、食べられなくて……っ」
「うん」
それはどうして、とは聞かれなかった。
「それでも、私はその経験があったから、今を大事にできるようになって」
「うん。なつきちゃんの強さはそこから来てるんだね」
臨床心理士さんを見上げると、いつもと変わらぬまなざしを私に向けてくれていた。
「私、嫌われたく、なくて」
「嫌う? 親に?」
こくり、頷くと、はあ、と臨床心理士さんのため息。
「やっぱり、嫌われてますよね」
臨床心理士さんが首を横に振る。
「家族っていうのは、そう簡単に嫌いになったりしないよ」
それにね、と臨床心理士さんが続けた。
「なつきちゃんにはいいところがたくさんあるよ。小説の感想を素直に言えること。頑張って痩せたこと、勉強も、恵理子ちゃんのこと」
私の心の澱を、どこまで知っているのだろう。そして彼は、どこまで受け入れてくれるのだろう。期待と不安と、それでもどこか、安堵していた。
彼ならきっと、彼にならきっと、私はいつか、すべてを話せるのだろうという予感がした。
私はその日以来、臨床心理士さんと認知行動療法に励んだ。
その中で、私は退院したら、調理師の高校に転校したいと思うようになった。
私はいまだ、臨床心理士さんにすべての秘密を打ち明けたわけではない。少しずつ、断片的に伝えるそれは、臨床心理士さんにとっては不可解極まりないものなのだろうけれど、確実に、私の中のなにかが瓦解していくのがわかった。
拒食症は私の中から完全に消えたわけではないけれど、もう大分長いこと普通の食事がとれている。
「ねえ、臨床心理士さん」
私は臨床心理士さんを質問攻めするのが好きだった。私はずっと、聞きたかったことがある。
「臨床心理士さんは、もしも今の記憶を持ったまま過去をやり直せるとしたら、いつに戻りたいですか?」
ただの空想だ。そんなこと、今の科学技術では不可能だ。臨床心理士さんがふっと笑った。
「さあ。考えたことないな」
「はぐらかさないでくださいよ」
私の退院が決まって、私は思い切って私の中の核心を臨床心理士さんに訊いてみた。
彼は博識なひとだった。私の知らない小説や、私の知らないきれいな場所、私の知らない豆知識や、私の知らない料理をたくさんたくさん教えてくれた。
だからこそ、私は彼に訊いてみたい。
「あえてあげるなら、受け持った患者さんで最初の安楽死をした人の、心理療法の一日目かな」
ひゅ、とのどが詰まった。
私も、安楽死を訴えたことがあった。入院した初日にも、そして、心理療法をする間も、なにかにつけて、もうこんなつらい思いをするくらいなら、安楽死したいと、なんども臨床心理士さんに訴えた。
しかし、臨床心理士さんは穏やかな顔だ。
臨床心理士さんの人間くささを窺い知る。
「なんでですか? 臨床心理士さんのせいではないじゃないですか」
私は興味本位で聞き返した。
「そうれはそうだね。でも俺は、手の届く範囲の人には、幸せになってほしい、強欲な人間なんだよ。がっかりさせたかな?」
私はそんな、臨床心理士さんのまじめさに目が熱くなった。
「なつきちゃんは? いつをやり直したいの?」
「私はね、高校一年生の時に不登校になったクラスメイトを、助けられなかったことを後悔してるの。だから高校一年生をやり直したい」
臨床心理士さんの表情が変わった。
「それは、誰のためなの」
「え?」
「不登校の子を助けたいのは、その子のため? それとも、自分の人生への言い訳のため?」
はっきりとものを言うところも好き。「自分のため?」でも「自分のエゴ?」でもない臨床心理士さんの問いかけ。それは、臨床心理士さん自身への問いかけでもあったに違いない。
私は気づいた。私はただ、自分が救われたかっただけなのだ。
理恵子ちゃんを不登校にさせなければ、私自身もまた、不登校にならなかったのではないか。
理恵子ちゃんを不登校から救っていれば、自分が不登校でも気の持ちかたが違ったのではないか。
理恵子ちゃんさえ救えていれば、私の人生は誇れるものになっていたのでないか。
理恵子ちゃんと友達になっていたら、亜美とは縁を切れていたのではないか。
理恵子ちゃんが私とずっと一緒のクラスになっていたら、私は亜美からの態度に悩まされることはなかったのではないか。
理恵子ちゃんが友達だったのなら、私の不登校に優しく声をかけてくれたのではないか。
後悔のない人生を送るひとなんて、果たしてどれだけいるのだろう。私は理恵子ちゃんをだしに使って、自分の人生を正当化しようとしていただけだったのだ。
「やり直せないから人生は面白いんだよ」
「……臨床心理士さんって、時々意地悪ですよね」
「否定はしない」
「……そういうところ、信頼できるんですよね」
何度胸の内を明かしても、私はたまらなく恥ずかしくて、だからこそ、気を紛らわせるために色々なことを思い出しては、彼に投げかける。
理恵子ちゃんが今、なにをしているのか私は一切知らないけれど、理恵子ちゃんも私みたいに幸せだったらな。なんてことは思わない。
私の中から悔恨は消えない。けれど私に笑みを向ける臨床心理士さんを見ていたら、私の中にあった理恵子ちゃんの記憶が少しずつ、少しずつ頭の外へ漏れていって、私を形作る様々な色とともに、混濁して揺さぶられ、やがて波に飲まれて打ち震えた。
私の入院での幸いのふたつめは、献身的な看護師さんの存在だった。
臨床心理士さんが来るのは、週に一回。
ほかは、看護師さんと過ごさねばならない。
私は体重が戻ったとはいえ、まだまだふらつく体で、毎日をベッドの上ですごしたかった。
なのに清掃員さんが私をごみのように追い出すから、行き場のないわたしは談話室の隅で一人、座って窓にもたれかかっていた。
「大丈夫?」
「あ……」
新しく来た看護師だった。
名前を神野さんといった。
神野さんは今までの看護師と違って、私の目を見て話を聞いてくれる。安心する、温かなヘーゼルの瞳が印象的だった。カラコンではなく自前の瞳だ。キラキラしてお星さまみたいだと思った。
「拒食症のこと――身体抑制のこと、聞いてるまだ体調め万全じゃないし、座ってるのも辛いよ。空いてる部屋でおやすみする?」
「や、でも。看護師さんに迷惑じゃ」
「平気。ここは皆にとって第二のおうちだもの。嫌なことがあったら遠慮なく言っていいんだよ?」
そんなこと、この病院に来て初めて言われた。看護師はみな、私や入院患者に向き合わず、いつもイライラした態度しかとらない。
神野さんのような看護師が本来あるべき姿なのだろうが、他の看護師が辟易する理由も私にはわかる。
私のように厄介な二十人の入院患者を世話し、「帰る」と荷物をまとめる入院患者、「ご飯まだ?」と五分ごとに看護ステーションをたずねる入院患者。
それらを含め、二十人を三人か四人の看護師で見なければならないのは、保育園とはまた違った神経を使うだろう。
看護師は入院患者の命を預かっている。
なかには自殺企図や希死念慮のある入院患者もいるから、気を抜いたら責任問題に発展しかねない。
「看護師さん……私」
「うん」
空き部屋に通されて、布団が敷いてないベッドに私は体を横たえた。ぎしりとベッドが軋んだ。
神野さんが一緒にベッドに座ったからかもしれない。布団の敷いてないベッドは固く寝心地が悪い。
なのに、私の体はベッドに吸い寄せられるように沈んでいき、ベッドとの境界なんて直ぐに溶けてなくなった。
薄汚れた天井を見る。
蛍光灯はつけていない。チカチカして眩しいからと、私が頼んでつけなかったのだ。虫がブンと飛んでいる。
明かりを求めて彷徨うさまは、さながら私そのものだった。
神野さんが私の体をとんとんと叩いた。
まるで子供に戻ったかのように、私の心は穏やかだった。温かな手のひらのぬくもり。『手当て』という言葉があるように、ひとの手からはなにか目に見えない不思議な力が放たれているに違いない。
「私、ここでは看護師さんも介護士さんも、いつも話を聞いてくれなくて。私が頭おかしいから悪いんですけど」
「おかしいなんて誰が言ったの? 拒食症は脳の病気なんだよ。誰でもなりうる病気。ちゃんと治る病気なの」
「病気」
拒食症はわがままなだけだ。
周りはみんな、そんな対応をする。
あるいは、無関心に理解を示さない。
『精神』疾患、なんて名前だから、みんな実体のない部位の病気に無知だった。脳の病気、と言われたのなら、第一印象は百八十度変わるだろう。
私が思い出したのは、私が拒食症を発病してすぐのころ、真子と喫茶店に行った時のことだった。
真子は私の異常な痩せ思考に気づいていたし、そもそも、養護教諭に話したのも真子だ。
唯一気の置けない仲の友人に、理解を求めて私は拒食症と診断されたことも、パンの試食しか食べられないことも話した。
「でも、拒食症っていうからもっと深刻かと思ったよ」
そりゃあ、真子と会うためにおしゃれをしてきたし、体型が隠れる服を選んだ。
私が学校に行けなくなって、会うのは一か月ぶりだった。一カ月前より三キロは体重が減っていたのに、真子は何事もなかったかのように接してくれた。
夏のファミレスはクーラーが効きすぎるほど涼しくて、貼りつく背中の服が私の体温を奪っていく。
真子はアイスコーヒーを頼んで、私はハーブティーを頼んだ。
「私、彼氏できたんだ」
「え。来年受験じゃない」
「うん。勉強はちゃんとするよ。でも、どうしても付き合ってほしいって。社会人の彼、格好いいんだ。そっちは?」
私の現況は話していたはずなのに、真子は他人事のように私に話題をふった。
今日のお茶会を提案したのは真子だった。
大事な話があると連絡が来ていた時点で、なんとなく察しはついていた。
真子は鼻の頭に汗をかきながら、混ざっていないミルクたっぷりのアイスコーヒーの黒い部分をストローですすった。ガムシロップはいれない。
「私は……彼氏もいないし。そもそも、付き合うってなったら、私の病気の話をどう切り出せばいいか分からないから」
「黙って付きあっちゃえばいいのに」
「……え?」
「見た目普通なんだしさ、大丈夫だよ」
まるでお門違いな言葉だと思った。真子からしてみれば慰めの言葉のつもりなのだろうが、私にとって病気は、生活を揺るがす大きな問題だった。
もしも付き合うとなって、デートで食事ができなかったら、あとから「実は拒食症でしでした」なんて、別れる理由にしかならないだろう。
「それってさ」
それ、の意味がわからなかった。
「遺伝するの?」
主語を理解して、私は言葉を失った。
ネットで調べればなんでもわかるこの時代に、私の友人は精神疾患に悩む私のことをわかろうとする気持ちはなかったらしい。
私の前髪がひたいに張り付き、私は震える手を悟られないように、前髪をひと房かき分けた。
「遺伝はしない。って言われてる」
「そう。ならなおさら、大丈夫じゃん」
カラコロ、と真子がアイスコーヒーの中のストローを混ぜて、氷を溶かしながらミルクを混ぜる。白、茶色、黒に層を作るミルクコーヒーのコップが汗をかいてしとっている。
私はほどよく冷めたハーブティーのカップに口をつける。友人はアイスコーヒーをかき混ぜて、幸せそうに惚気話を始めていた。
コーヒーとミルクが完全に混ざり合い、きれいな薄茶色がコップの中で渦を作る。その渦に巻き込まれそうになりながら、私は友人の話を右から左に聞き流した。
そんなことがあったから、私は他者に自分の病気を話すことをやめた。
どうせ周りは理解してくれない。アイスコーヒーのようには健常者と障がい者は混ざり合えないのだ。
水と油のように層を作って、お互いに違う場所を生きている。
「看護師さん。私、ここから出たいんです」
「聞いてるよ。体重が落ち着いたら迎えに来るって」
「でも、嘘かもしれない」
「私は、本当だと思うけどな」
とんとん、とんとん。神野さんが私の体を優しく叩く。私は睡魔に身を任せて、重い瞼をそっと閉じた。
私にとって神野さんは、唯一気を許せる看護師だったに違いない。実際、神野さんはほかの入院患者からも好かれていたし、神野さんが勤務する日は、私の心も穏やかだった。
「え。辞める?」
「ごめんね。言わずに辞めたらびっくりすると思って」
青天の霹靂だった。
神野さんが務め始めて、まだ二ヶ月しか経っていなかった。
神野さんは詳しくは話さないが、神野さんが入院患者に好かれているからか、あるいは入院患者の待遇改善を上に申告したからか、神野さんは厄介払いされたようだった。
私の目から、枯れたはずの水滴がぼとりと落ちた。頬をつたう生ぬるいそれを拭って、私はほかの看護師に訴えた。
「神野看護師さんを辞めさせないでください!」
「また今日で何件目? 辞めるって入院患者に話せば取り消せるって思ってるのかしら」
小賢しいわね。
看護師たちが笑った。
腐ってる。この病院はおかしい。いや、このひとたちが普通で、神野さんの志が高かっただけなのだ。
わかっている。神野さんのような人間は、もっとやりがいのある職場で働くべきだ。
「神野さん、これ」
神野さんの最後の勤務日、私は神野さんに手紙を書いた。なんのことはない、普通の手紙だ。「今までありがとうございました。神野さんのことは一生忘れません」
神野さんは感極まって泣いてしまった。
ヘーゼルの瞳は涙に濡れると余計に儚く美しい。
その瞳のように美しい心が、こんな病院で濁るのは本望じゃない。私は自分に言い聞かせた。
神野さんのためにも、この退職はしかるべきものだった。私が神野さんの人生のほんの一時の記憶だとしても、忘れられるとしても、私の中から神野さんの真心は一生消えないだろう。
神野さんが私を抱きしめた。
「これから先、辛いことが沢山あると思う。それでも、なにかひとつでいい、人生って悪くないものだなって思えるなにかを、見つけてください」
否定も肯定もできなかった。
私にとって神野さんがそれに当たるのかもしれないが、それが私の現状を好転させるものでもないことも知っている。
お星さまに写る自分の姿を直視できず、私は神野さんから顔を逸らして別れの挨拶をした。
あとから思えば、ちゃんと顔を見て話しておけばよかったと後悔するばかりだった。
神野さんがいなくなった病院は、また元の通り暗く、いつもカリカリした看護師たちの水溜まりのような場所になった。
私は少しだけ病院に馴染んできた。
そのなかでよく話すようになったのが、八十を超えた男性入所者、綿引さんだった。私がおむつの件で塞ぎ込んでいたのを見かねて話しかけてきたらしい。
綿引さんは元教師で、博学で話を聞いているだけで楽しかった。少し髪が薄くて、目尻がくしゃっとした笑い方をする。
「あなたは魂は存在すると思う?」
「私はないと思いますね」
でも、この前の話は面白かった。海外の医者だかが、人が死ぬ時に質量が減ることを発見した。それを魂の重さとしたのだ。それが約二十一・三グラム。ただしこの実験は根拠がないと言われ、死したあとに減った二十一・三グラムについては謎のままらしい。
「魂とか輪廻とか。私は信じません」
そんなものがあったら、私はこの世界を選んで生まれてきたことになる。
安楽死を選べなくなる。
「そうだね。でも、魂があるのなら、わたしもアナタも、生きてきた意味があると思わない?」
綿引さんは軽度の認知症だと聞いていた。けれど、私のことを忘れたりすることもなく、同じ話を繰り返したりもしない。
「綿引さんは、死ぬのが怖いんですか?」
「この歳になると、死は怖くないかな。わたしが怖いのはただ」
人間でなくなることだ。
私の目から雫がこぼれそうになる。すんでのところでこらえて、
「その恐怖に勝つには、どうしたらいいですか」
「さあ。それはわたしにも。ただ、あなたはまだ若いのだから。足掻いたっていい。みっともなくてもいい。生きて、生き抜いて、その答えを見つけてください。それで、生まれ変わったわたしにその答えを教えてくださいな」
まるで、もうすぐ死ぬみたいな言い方だと思った。
綿引さんは奥さんに先立たれ、子供たちの世話になる訳にもいかずに、色んな病院をたらい回しにされたそうだ。
それを思えば、私はまだ恵まれているのかもしれない。家族は生きているし、障害だって軽い。
「綿引さん。生まれ変わりがあるとして、どうやって綿引さんだって見分けるんですか」
「はは、そうだね。でもきっと、あなたならわかると思いますよ」
そもそも、と綿引さんが続けた。
「仏陀――お釈迦さまは、輪廻の輪から外れるために修行をしていたんだ」
「生まれ変わりたくないってことですか?」
「人は死んだら、天の神々、人、畜生、餓鬼、地獄の五つの世界で何度も、何度も生まれ変わるんだ。今は阿修羅も加えて六つの世界かな。そこから解脱することこそが、真の平静だと仏陀は解いた」
興味深い話だった。私は魂を信じないが、生まれ変わりは信じたかった。死んだあと、自分がなくなるという恐怖は誰でも一度は味わうだろう。どんなに苦しい世界だとしても、『無』になる覚悟は私にはなかった。
「仏陀は苦行を途中でやめた。なぜだと思う?」
「辛かったからでは? 辛い思いをしても悟りなんか開けないって気づいたんじゃないですか?」
綿引さんがにこりと笑んだ。目尻にカラスの足跡ができている。
「『こんなに苦行に励んでいる自分は、ほかより優れている』そんな悪心ばかりが膨れ上がるだけだったからだよ」
目から鱗だった。綿引さんが言わんとすることがよくわかる。
自分の不幸を嘆くより、自分が持ち得るものを見よ。不幸な障害者の自分ではなく、ひとりの人間としての自分を。
「でもきっと、わたしもあなたも、次も人間に生まれ変わると思いますよ」
「私にカルマが有るからですか?」
「魂を信じてるからですよ」
さっき私は否定したばかりなのに、綿引さんはやっぱり認知症なのかもしれない。
「来世では幸せになりましょうね。わたしも、あなたも」
不思議なひとだと思った。
私にとって綿引さんはこの病院内での親みたいなもので、私は綿引さんと話すのが毎日のささやかな楽しみになっていた。
***
私の病院での生活は、絶望もあれば希望もあった。
しかし、患者全員がそうとも限らず、例えば家族に虐待されていた子なんかは、ここはレクリエーションがあって楽しいと言う。
「ねえ、あなたって普通なのに、なんで病院に入ってるの?」
同じ拒食症の四十代の女性に言われ、私は苦笑を返すことしかできなかった。
天然パーマのボブの髪の毛は茶色味がかっていて、パーマをかけていないのにほどよくうねるからとても可愛い。
童顔で目が大きいから歳よりも若く見えた。ただ、目が大きいのは痩せすぎていて目が落窪んでいるせいもある。
「私はさ。見てよ、めちゃくちゃ太ってるからさ。ご飯食べたくないんだよね」
「すごく痩せて見えますけど」
「やだあ、お世辞でもうれしい。あなたみたいにもっと痩せたいわ」
本心なのかはわからなかった。けれど、私と同じ痛みを経験したであろうその人に、心を開いてしまった私が、愚かだったのかもしれない。
彼女には自分が病気だという認識がないらしかった。
女性の名前を土屋さんと言った。
土屋さんには妹がいるらしく、私を妹のように気にかけてくれた。くりくりの瞳が私を捉えて離さない。
どうやったらあんなに可愛くなれるのだろう。
「今日の給食多いなあ。食べる?」
「え。一口しか食べてないじゃないですか」
「でも、もうお腹いっぱい。ねえ、こっそり捨てるの手伝ってよ。看護師さんに見つかったらどやされちゃう。あなたにしかこんなこと頼めないんだもの」
頼りにされ、私は錯覚してしまったのだ。
自分は誰かの役に立てる、必要とされている。
「仕方ないな。今日だけですよ」
本来、拒食症の患者が食事を捨てるなんてあってはならない。
けれど私は、知っている。食べなければ身体抑制されてしまう。
だから私は、協力してしまったのだ。
一回のみならず、何回も。
それが看護師にばれて、私の母親が病院に呼び出された。
「娘さんが、拒食症の患者さんのご飯を代わりに捨ててました。困るんですよ、拒食症の患者さんの体重が増えないからおかしいなと思ったら」
「すみ、申し訳ありません。娘は押しに弱くて」
「それじゃあ、土屋さん――拒食症の患者さんが悪いって言いたいんですか? 土屋さんは、娘さんが勝手に捨てたって言ってますけど」
「そんなはず! 土屋さんに頼まれて捨てたんですよ!」
私も病院長との面接に同席させられ、しかし責められたのは私だけだった。土屋さんも同席したのに、すべての責任を私に擦り付けた。
「今後はこのようなことがないように、しっかり見ていきますからね」
実際、その日以来私の一挙一動を看護師や介護士が見張るようについて回り、私はほかの患者には絶対に心を許すものかと誓ったのだ。
***
病院では行事ごとの給食が出たり、レクリエーションが開かれたりする。そのどれもが、私は嫌いだった。
ひな祭りや端午の節句には桜餅や柏餅が出されるらしい。
しかし、全員が全員楽しんでいるわけではなく、特に精神疾患で多剤服用している入所者には、餅菓子は命にかかわる問題だった。
なにしろ薬のせいで舌が上手く動かないから、餅なんかを食べると必ず一人は喉に詰まらせる。
今日は七夕だから餅は出ないだろうと安心していたのに、出された金平糖を一気に口に入れて喉に詰まらせた九十歳の男性入所者が、救急車で運ばれていった。看護師と介護士はてんやわんやなのに、患者はまるで無関係に自分の金平糖に齧り付いていた。
「安野さん、大丈夫かな」
「さあ。私にはなんとも」
隣に座った、土屋さんが私に話しかける。
あんなことがあったのに、土屋さんはまるでなにもなかったかのように私に話しかけてくるのだ。
この病院にいる人間は、それくらい図太くないとやっていけないらしい。ぎょろりとした目がいやらしく私を舐め回した。
私も私で、喉を詰まらせる安野さんを横目に、自分の分の金平糖をポリポリといつも通りに食べ終えた。
「私、食べ終わったので部屋行きますね」
「ええ、あなたって少し変よ」
「変? 私が?」
土屋さんにだけは言われたくなかった。
「変って言うか、図太いわよね。安野さんが運ばれたのに、顔色一つ変えないなんて」
「私が騒いだら、安野さんの容体が回復するんですか?」
「怖い怖い。今時の子ってそんなに薄情なの?」
それは土屋さんの方だろう。土屋さんの分の給食を捨ててあげたのは土屋さんに頼まれたからなのに、土屋さんはそのことを看護師さんには最後まで言わず、あの件は私が勝手に捨てたことにされてしまった。
今思し出しても腹が立つ。私は土屋さんに向き直る。
「土屋さんこそ、なんで嘘、ついたんですか?」
「嘘? 私が?」
心底不思議そうに顔を右に傾けて、土屋さんが私を見た。私ははらわたが煮えくり返る。声を大きく、
「土屋さんに頼まれたから給食捨ててあげたのに。あれ私のせいにしましたよね!?」
「声大きいわよ。なに、だって捨てたのは事実じゃない」
「でも、土屋さんが頼んだのも事実でしょう!?」
「ああ、もう、もう。怒鳴らないでよ。怖いわあ」
まるで悪びれる様子はない。
二人の言い争いに気づいた介護士が、私たちに歩み寄る。するとおもむろに土屋さんが涙をこぼした。
「ああん、いじめられたあ」
「なになに。言い争いはよくないよ。またあなたたちふたりかぁ」
介護士は、はなから私の味方をする気はないらしい。今でも私が土屋さんの給食を『奪って』捨てたのだと申し送られている。
「怒鳴られたの。私はなにもしてないのに」
「そうなの?」
「ち、違います! 土屋さんが私を変とか図太いとか言うから……」
「あら、だってあなた、変なのは本当でしょう。ねえ、土屋さん」
完全に土屋さんの味方に付いた介護士に、私の怒りが振り切れた。
「だから! 私はなにもしてないし。いつも突っかかってくるの土屋さんでしょう!」
「ああん! また怒鳴ったあ」
「ほら、土屋さん怖がって泣いてるじゃないですか。怒鳴る方が悪い。ごめんなさいは?」
まるで子供に言うように叱られて、私はむっと口を結んで食堂を後にする。
なのに。
「ねえ、あなたって本当に世渡り下手ね」
私は自分にあてがわれた部屋に戻った。なのに土屋さんは私を追いかけてきて、部屋の入口で笑っている。
「土屋さんこそ、嘘泣きが上手ですね」
「まあね。ほら、私ってかわいいから、みんな私をかばってくれる」
「……そんな性格だから捨てられたんでしょうけどね」
ハッとして口を結んだ。私が土屋さんを見る――より先に、土屋さんが私に手をあげていた。
殴りかかられ、ふらついて床に倒れる。拒食症の土屋さんのどこにこんな力があるのかというほどの勢いだった。
べちん、べちん、と殴られて、私は看護師を大声で呼ぶ。
「か、看護師さん! 看護師さん!」
一方的に殴られる私を見て、看護師が慌てて土屋さんを止めに入った。
「こら! ふたりとも!」
男性看護師が土屋さんを止めて、土屋さんはいつものようにめそめそと涙を流した。私は一切涙など流さない。泣いた方が負けだ。
それなのに、看護師も介護士も、長く病院にいる土屋さんの肩ばかり持つ。
「あなたが挑発したって話だけど」
「挑発なんて。先に吹っ掛けてきたの土屋さんですよ」
「私はただ、世渡り下手だと苦労するわよって教えてあげただけで。なのに、『捨てられた』なんてひどいこと言って……私は私の意志でこの病院に来たのに。あの子と違って」
あの子、とは私のことである。
つまり、土屋さんは自分で病院に入ったが、私こそが家族に捨てられて病院に来たのだと言い返したのだ。
私もその嫌味の意味はすぐに気づいた。なのに言い返せなかった。
図星だからだ。
自分だってわかってる。自分はもう、この病院から出られないのだ。捨てられたのだ。
ぽろ、と涙がこぼれた。土屋さんがぎょっとしたように目を開いた。
「あ、あ……私」
「これは、土屋さんも悪いね。今後は二人の食事の席を離して……」
看護師と病院長が真剣に話している。
今日のところは痛み分け、私はおとがめなしで、代わりに土屋さんがたしなめられていた。
「いくら私が突っかかったからって、土屋さんのほうが大人なんだし。私はまだここにきて間もなくて不安なんだよ。気遣ってあげられるよね?」
むっとしたように、土屋さんは黙り込んだ。
決して「はい」とは言わずに。この問題は看護会議で追及されることになったらしい。
四
高校の単位のこともあって、私は一か月の拘束と、一カ月半の普通室の入院ののちに、退院する運びとなった。
「なつき、ごめんね、ごめんね」
「お母さん……もういいよ」
本当は、いの一番にののしってやろうと思っていた。
よくもこんな場所に、私がどんな思いをしたのか教えてやろうか? 私は死にたい。どうしても死にたい。安楽死も考えたんだよ。私は怖い、太るのが怖い。でも、それよりなにより、
「私、死ななくてよかった」
病院生活は窮屈で、非人道的でいまだに納得もできていない。けれど私は、やっぱり生きたい。
死ぬ勇気なんてない。安楽死なんてごめんだ。私は安楽死を選ぶ人たちを否定はしない。しないけれど、私が死ぬのは、きっと今日のことではなかった。
***
退院して、私はお母さんの運転する車の中で、声を振り絞った。カラカラで、よく聞こえなかったはずなのに、お母さんは私の言葉のひとつも取りこぼすことはなかった。
「お母さん、アンパン、買ってこう」
私が変わったところをわざとらしく見せつけたかったのかもしれないし、あのパン屋にぎゃふんと言わせたい気持ちもあった。お母さんは少し迷って、
「わかった。じゃあ、買っていこうか」
車をスーパーに走らせた。
今日も私たち親子が現れると、そのパン屋さんは試食のトレーをすべて下げた。私はお盆とトングを手に取って、店員に見えるようにアンパンを五個、お盆に乗せた。
「い、いらっしゃいませ……」
「いつもありがとうございます」
こちらからお礼を言ってやった。パン屋さんはあからさまに嫌そうな顔をする。お母さんが財布から小銭を探している間、私に見えるようにわざとトングでアンパンをつぶすようにつかんで、袋に詰めていた。
二か月半ぶりに家に帰って、家族みんなが出迎えてくれた。家に入ると懐かしい匂いがした。我が家のにおいだ。もう、消毒臭いあの部屋から逃げ切ったのだと思うと、涙が滲んだ。
「お帰り。なつき」
「姉ちゃん、お帰り」
「……頑張ったな」
世間体を気にしていたお父さんが、私をおもむろに抱きしめた。普段こんなことしない人だから、私の入院だってなんとも思っていないと思ったのに、私は不意打ちされて思わずわんわんと泣き喚いた。涙がぼたぼたとこぼれ落ちる。恨みつらみと共に、涙が頬を伝って床を濡らした。私の感情は床に吸い込まれてどこかへ消えて、きっとまたいつか、私に戻ってくる。
「私、身体拘束されて」
「ああ、つらい思いをさせたな」
「そうだよ、安楽死まで考えて」
「なつき……」
「でも私、私やっぱり死にたくない! 生きててよかった!」
お母さんとお姉ちゃん、和樹も私を抱きしめて、家族五人でわんわんと泣いた。いまだ、私は食事が怖くて、退院したらやっぱり普通の食事はできなかった。食べることは生きること。ならば私は、生きることを拒絶しているのだろうか。
「お母さん、明日から、朝ご飯に蕎麦が食べたい」
「お蕎麦ね。わかった」
退院してきて、週に一回、二回と学校に行ける日が増えていった。相変わらずご飯は不安定で、だけれど、毎日あのパン屋さんのアンパンを食べられるようになった私は、太りにくい食材、かつ栄養のあるものと考えて、蕎麦なら食べられるだろうと、お母さんに頼んだ。
翌朝、お母さんは二人前の蕎麦を茹でた。
「さ、食べようか」
お姉ちゃんと弟の和樹、お父さんと食卓を囲むのは、もう一年ぶりくらいだった。
お父さんとお姉ちゃん、和樹はご飯に目玉焼きにウィンナーだったけれど、私とお母さんはお蕎麦だった。
「いただきまーす」
お母さんがいつも通りに朝食に箸をつける。私だけ蕎麦にすればいいものを、お母さんは私に気を使わせないために、自分の朝食も蕎麦にしたらしい。
「なんで蕎麦?」
和樹が首をかしげる。
「知らなかったの? お母さん、蕎麦が好きなのよ」
お母さんがずずっと蕎麦をすすった。私はなにも言わず、蕎麦をつゆにつけてすすった。めんつゆの辛味と蕎麦の風味が鼻に抜ける。わさびもいいアクセントだ。
「じゃあ、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
私は八十田先生のサポートもあって、調理師の高校に転校した。なぜかと聞かれたら、私は自分の拒食症を克服したかったからだった。
だけど、最後の関門が抜けられない。私は、転校しても、お肉だけはどうしても食べられなかった。
世間では、盛んに安楽死の是非を問う番組が取りざたされている。
私はきっと、あの拒食症の日々、本当は誰よりも死にたがっていた。生きることを拒絶していた。
私は高校の勉強についていけずに、誤ったダイエットに陥ってしまった。食べるくらいなら死んだほうがましだと、本気で思っていた。
あの日の私は、安楽死を望む人たちと、なんら変わりない。私はきっと、彼らの気持ちを誰よりも理解している。
「相川さんって、あのO高校出身なの!?」
よく、同期のクラスメイトに驚かれるが、卒業できたのはたまたまだし、私は勉強に挫折した身だ。
私なんて、と卑下するのは、もしかすると嫌味にしか聞こえないかもしれないけれど、嘘偽りなく、私は答えた。
「私は、拒食症だったから、高校一年生の授業はぎりぎりしか出席してないし」
「拒食症……そう、なんだ」
みんな、あんまり理解していないようだった。言ってしまえば、先生陣も拒食症への理解があったとはいいがたかった。
「相川さんは、本当に優秀ね。拒食症じゃなかったら、来年の特待生に選ばれたのに」
職員室に呼ばれて、なにごとかと思えば、そんな嫌味を言われることもあった。
その先生は、私が生理的に気に入らないらしく、私が先生のテストで満点を取っても、心を病んでいるからという理由で、成績はいつもCだった。
D以下が落第だから、先生は私が本当に嫌いなんだなと思った。
「そうですね。特待生は、心身ともに健康でなければなりませんし」
入学に際し、拒食症のことをどうするか、お母さんとよく話し合った。
現状、体重は四十まで回復したし、肉が食べられないのだって、言わなければ拒食症には結びつかない。
だが、どうにも黙ったままではいられない性分の私は、入学に際して先生に事情だけは話していた。
いや、私はただ、調理師の資格を持つ先生たちならば、私に理解を示してくれるのではと期待していたのだ。
「拒食症を患ったことかがあって、今でも肉が食べられません」
「そう。つらかったのね」
特に調理師の学科は調理実習は必須だ。そこで私だけ肉が食べられないとなれば、先生も生徒も戸惑うだろう。
私は別に、クラスメイトと距離を置きたいわけでも、同情してほしいわけでもなかった。
ただ、私は肉が食べられないけど、それでも本気でこの学科を卒業したいということだけを伝えたかった。
「なつきちゃんって、やっぱり頭いいよね」
「いや、好きなことだからだよ」
調理師高校の偏差値は四十くらいだった。
私の前の高校の偏差値が六十五だから、周りのみんなはそれだけで私と壁を作った。
結局、私に友だちらしい友だちはできなかったけれど、あらかじめ先生陣に事情を話していたことが功を奏し、私はひとりでも寂しくなかった。
「相川さん、これ」
先生たちは、私をこっそり先生室に呼んでは、もらいもののお饅頭や味噌、お菓子などを私にわけてくれた。
中には職員室でお茶を出してくれる先生もいて、
「拒食症について、詳しく知りたいんだけど」
「私でよければ。私も聞きたいんですけど」
その先生は、保健所の元職員で、私はその先生に聞いたのだった。
「もしも先生が拒食症の患者に会ったら、どんな対応をしますか?」
いろんな先生に聞いたことだった。ある先生は、
「拒食症の子って、栄養指導に通うけど、自分の話ばかりして言うこと聞かないし。なにがしたいのかわからなかったな」
そう、偏見を述べるものもいた。ある先生は私の問いに言葉を詰まらせ、そして、今目の前にいる先生は、穏やかな顔で私の目をまっすぐに見据えた。
「なになら食べられるか、一緒に考えます」
「なになら」
「うん、卵なら、生とか茹でとか。白身だけ黄身だけ。いろんな食べ方があるでしょう? なになら食べられるのか、一緒に探していくかなあ」
こういう人こそが、調理師になるべきなのだと私は思った。もちろん、理論や知識は大事だ。
それでも私は、拒食症に理解のある調理師が存在したことに感激し、以来、その先生の部屋にたびたび遊びに行くようになった。
調理師過程では、校外実習が三回ほどある。
私は、体力が持つか心配だった。
私の現在の食事内容と言えば、朝は蕎麦、昼はおにぎり、夜は普通に。
学校で食事をするときは、本当に緊張する。私のこと、太ってるって誰かに笑われていないか不安で仕方がなくて、私はすぐに食べ終わるおにぎりしか学内では食べることができなかった。
人間は大人になると好き嫌いが減っていく。苦味や酸味の強い食べ物は、本来毒か腐敗したものだ。
しかし人間は、苦くても酸っぱくても、体に害のない食べ物を学んで行って、大人になるころにはそれらは毒ではなく食べ物だと理解する。
それに加えて、子供に比べて大人の味蕾は減少するから、味を感じにくくなる。味蕾とは味を感じる細胞だ。
つまり人間は、大人になると味に鈍くなる。だから子供のころに感じた不快な味も感じにくくなるために、好き嫌いが減るのだという。
なのに私は、大人になるにつれて食べられるものが減っていって、自分が普通でないことなんてはなからわかっていた。
調理実習では、作ったものを試食することもできない。肉以外のものは食べられるようになったのに、今度は家以外の場所での食事が困難になった。本当は、誰よりも調理実習の献立を食べたかった。
世界各国の料理を作り、行事食を作り、病院食を作り、赤ちゃんのご飯を作り、腎臓病食を作り、肝臓病食を作り。
そのすべてを、舌と脳に焼き付けたかった。
なのに、怖くて食べられない。
食べることが怖い。誰かと一緒に食べることが。
「お母さん。私、外で食べられないのって、治せるかな」
何の気なしに、お母さんに聞いた。
私が退院してきてから、夕食は家族そろって食べるようになっていた。賑やかな一家団欒。
まるでろうそくみたいで私は夕飯の時間が好きだった。
「お医者さまに聞いてみる?」
「そんなくだらないことを聞いてもいいのかな」
「いいのよ。今度の土曜日に行くんだけど、一緒に行ってみる?」
心療内科になんて、通いたくなかった。自分は拒食症だけれど、心の病気ではない。そう、思いたかった。
けれどどうにも、私はどんどんできることが狭まっていった。外でご飯が食べられなくなって、バスや電車の席が汚くて座れない。
「私、一回だけなら、行ってみようかな」
「うん、わかった」
お母さんはそれ以上は、なにも言わなかった。
次の土曜日、私は心療内科というものに、初めて足を踏み入れた。暗い雰囲気は一切なく、ピンクを基調とした待合室はクリーンで明るい。
その待合室の壁の張り紙に、私の目が留まった。
「安楽死診断書……」
「なつき! そんなの見なくていい!」
お母さんが私を引っ張って、張り紙が見えない位置に座らせる。そうか、安楽死の条件に、身体的、または精神的苦痛を伴う病気、という条件があったのだったか。
つまり、この病院でもそういった診断書が書けますよ、ということらしい。吐き気がした。
なんだ、死を売り物にして。診断書って、高いんでしょう? 一万円くらいするのかな。
正式なものだもの、数千円ではないだろうなと、私は思った。
待ち時間は二時間にも及んだ。
心療内科の待合室が満席になって、このご時世のメンタル汚染の重さを物語っていた。
昔に比べて、心療内科へのハードルが下がった。一昔前までは、鬱は壮年期の男性の病気とされていた。
つまり、女子供は精神疾患にかからないのだ。
子供の精神疾患は等しく統合失調症で、女の精神疾患はただのヒステリー。そういう時代を経て、どうやら精神疾患は子供でもかかるし、女でもかかるということが分かってきた。
鬱は心の風邪、なんてフレーズは今はもう古い。
心の病気は誰でもなりうる病気で、完治はしない。寛解はするが。寛解というのは、薬やカウンセリングは必要だが、病状が出なくなった状態を指す。私もいつか、寛解に至れるのかな、なんてことを思ってかぶりを振った。
今、私が気を付けるべきなのは、過食症への移行だった。
拒食症は、治すのが難しい。そのうえ、反動で過食症に移行する割合は決して低くはないのだとか。
過食になって太った暁には、今度こそ私は安楽死を選ぶだろうなと思った。私は太って醜くなるくらいなら、潔く死を選ぶつもりだ。
そう思っている時点で、私はまだ、拒食症から脱せていないのかもしれない。
「相川さん、診察室へどうぞ」
呼ばれて、お母さんと一緒に診察室に入った。
お香の炊かれた診察室には、八十を超えるであろうおじいちゃん先生が椅子に座って私を見ていた。
「あら、今日はお子さんもご一緒ですか」
「はい。娘が、悩みがあるみたいで」
確かに私は悩んでいる。家以外でご飯が食べられない。けれど私はそんなことは一切頭から抜け落ちて、ここまで生きて来た、ご老人に、ただ単純に聞きたかった。
「先生は、死ぬのが怖くないんですか」
「あはは、なつきさん、だっけ。それを聞きに来たの?」
にこやかに笑う先生はチャーミングで、この先生が本当に安楽死の診断書を書いているようには見えなかった。
「わたしだって、死ぬのは怖いよ」
「じゃあ、なんで安楽死の診断書を書くんですか」
「そうだねえ。それはわたしにもわからない」
そんな馬鹿な。無責任だ。握りしめたこぶしが汗をかいていた。
「とめないんですか」
「安楽死を?」
頷く。先生が困ったようにお母さんを見ていた。
「じゃあ聞くけど。とめて、その人が自殺したら、わたしはどうしたらいい?」
「医者は命を救うのが仕事です。自殺しないように助けるためにこういう病院があるんじゃないですか?」
「一本取られたな。そうだね。わたしも、本当なら、書きたくないかな。でも、そういうひとも存在する。生きることがつらい人間に、『生きていればいいことがあるよ』なんて言う医者の方が、無責任だと思わない?」
安楽死は、別に病気を持つ人たちのものだけじゃない。生活が苦しい人、家族の負担になりたくない人、身寄りがない人、心に傷を負った人。
逃げ場のない人間を救うのが、安楽死だ。そんなことはわかっている。わかっているけれど、私がそうだったように、人間は本来、生きようと思う生き物なのではないのか。
自ら死を選ぶ生きものなんて、人間以外には存在しない。存在しないから、不思議なのだ。
安楽死は是か非か。
そんなこと、もうとっくにテレビで飽きるほど議論されてきた。
「あなたは生きて、他人は死を選ぶ。生きることも死ぬことも、その人の自由。そういう時代に生まれてしまったわたしたちは、死ぬ瞬間までその問いの答えを探し続けるのだろうね」
「安楽死をする人も?」
「そうだね、死ぬ瞬間に、彼らはなにを思うのだろうね。生きたかったと思うかもしれないし、やっと死ねると思うかもしれない。要はその人が、死を受け入れるかそうでないか。安楽死する人も生きている人も、結局は同じ。これは正しかったのだろうか? 最後までその答えなんてわからない」
私にはそれが理解しがたかった。自死が正しいことだとは到底思えない。残された家族を思うと、私はどうしても安楽死を踏みとどまざるを得なかった。否。死の恐怖を、彼らはどうやって乗り越えたのだろう。
私は今も、死ぬことが怖くてたまらないというのに。
「なつきさんは、死ぬのが怖いんでしょう?」
「わかるんですか」
「そうだね。死にたくない人ほど、安楽死に興味を持つし。そして、結局、安楽死を選ぶのも、そういう人が多いからね」
私は決して、そんなことはしない。傍にいるお母さんが不安そうに私を見た。私は、「死なないよ」と小さくつぶやいた。
結局、安楽死する人がなにを考えているのかなんて、私にはわからなかった。
「本来無一物、という言葉がある。色即是空、空即是色。つまり、色は空であるから、人はみな、なにも持たずに産まれてくる。だから人は、なににも執着がない。死ぬ時は一人なのだから人は死ぬ事が怖くない」
「そんなはずないです。人は生まれたときに、『自分』を持って生まれます。だから人は、命に執着するんです」
「面白い考えですね。では殺仏殺祖は?」
「仏におうては仏を殺せ、祖におうては祖を殺せ。大切なものでも、執着するなということです」
「やっぱり、命へ執着するなということにはならないかな?」
先生が困ったように笑っていた。仏に会ったなら仏を殺し、偉大なる祖に会ったら祖を殺せ。どんなに尊い教えを説いていたって、それに執着してはならない。つまり、私の意見も先生の意見も、どちらも等しく無であるのだ。
「なりません。逆に、死に執着するなともとれますよね」
先生が、うん、と頷いていた。
肉を目の前に出されると、相も変わらず体が震える。これを体内に取り込めば、また私は太り醜くなる。
そんなわけないとわかっているのに、私はお肉が食べられない。
お母さんお手製のササミの蒸し物は、カロリーも低いはずだし体にも必要なのはわかっている。
頭では理解するのに心が拒絶する。
震える手で箸を持ち、ほんの一口のササミを挟む。口を開けてササミを運び、口の中に入れて口を閉じる。ササミの味が口に広がる前に、反射で食べたものを吐き出していた。
口内に残った肉のわずかな成分すら体に取り込みたくなくて、私は椅子を立ち上がりシンクに走った。
コップに水を注ぎ口の中に含んで洗い流す、流れろ、これは危険だ。体内に入ったら私はまた、醜くなる。私にとって肉は、いまだ毒よりも毒らしい、死よりも恐ろしいものだった。
調理師の高校には、様々な人間が入学してくる。私はその日、門田さんという女の子に話しかけられた。ブラウンのボブヘアが可愛らしかった。
「相川さんって、ヴィーガンに興味があるの?」
どこから聞きつけたのか、私が肉を食べられないと聞いて、私に興味を持ったらしかった。門田さんは昼休みに、私と一緒に昼食をとることになった。
学食にはいろんなメニューがあるけれど、門田さんは山菜のお蕎麦を頼んでいた。私は持参したおにぎりに小さくかぶりついた。人と食事をするのはいささか緊張して、おにぎりが上手く呑み込めなかった。
「げほっ」
「大丈夫? お水持ってくるね」
門田さんは席を立ち、学食の無料のお水を持って来てくれた。それを少しだけ喉に入れて、私は蕎麦をすする門田さんに話しかけた。
「私はヴィーガンじゃないよ。拒食症だったから、今もお肉が食べられないだけなの」
「でも結局、お肉は食べてないんでしょ?」
「まあ、この三年は食べてないけど」
私が肉を食べなくってから、半年が経った。のときで、今はもう、十七歳なった。時の流れは思ったよりも遅い。
もう何十年も、拒食症を患ったような感覚があるのに。
「そうなんだ。今度ヴィーガン同士の集まりがあるから、一緒にどう?」
「いや、私はいつか、お肉を食べられるようになりたいなって思ってて」
「ダメだよ!」
門田さんが立ち上がる。食堂の椅子ががたんと倒れた。周りはみな、私たちなんて気にせずに、好き勝手に友達とおしゃべりしながらご飯を食べていた。
「動物を食べるなんて、必要ある? 命を殺す必要ある? 肉を食べなくても生きていけるって、相川さん自身が証明してるじゃない。なのに、動物を殺すの?」
少し面倒くさい話になってきた。当たり障りなく断るにはどうしたらいいのだろうか。
「放課後に、ヴィーガンの先輩と会わせてあげる」
「いや、私は」
「じゃあ、放課後は帰らないで待っていてね」
私は承諾もしていないのに、そのヴィーガンの先輩に会いに行かされることになった。
会いに行った先輩は、ごく普通の人だった。
なんら特異な点のない、どこにでもいるような。
私は挨拶して、喫茶店の椅子に座る。ふかふかのソファは座り心地がよく、体が吸い込まれるようだった。
「ヴィーガンはね、動物愛護と地球環境への配慮を目的としているんだ」
「そう、ですか」
有機珈琲のみを扱う喫茶店では、卵や牛乳を使わないメニューが並んでいる。私は、食べられないくせに豆乳のパンケーキを頼んで、門田さんは紅茶と果物のパルフェを、先輩はコーヒーとあんみつを頼んでいた。
「あの、私はヴィーガンじゃなくて」
「聞いてるよ。でも、肉は食べてないんだって?」
「いや、でもゆくゆくは食べたくて」
「なぜ。動物を殺して食べるなんて、知的生物のすることじゃないって、わかってるでしょう?」
確かに私も動物は好きだ。肉を食べなくてもなんともないのも事実だ。だけど私は、この高校に転入して強く思うようになった。やはり、肉を食べることはいつか克服しなければならない。
人間の体には必須アミノ酸というものが存在する。バリン、ロイシン、イソロイシン、リジン、ヒスチジン、スレオニン、メチオニン、フェニルアラニン、トリプトファン。
これらは体内で合成できないから、食事から補う必要がある。特に肉に含まれる成分だった。
「門田さんも、調理師目指してるんなら、お肉が必要ってわかるでしょ?」
私がパンケーキを切りながら聞くと、門田さんは首を横に振った。パンケーキがばらばらに切り刻まれる。
私はそれを、食べることはできなかった。
「必要ないことを証明するために、資格を取って、ヴィーガンの啓もう活動をするんだよ」
「そうだったの?」
「うん。だって、命をいただくって行為が、信じられない。だから、調理師の資格を持っていれば、ヴィーガンでも健康に生きられる献立もたてられるし、メニュー開発もできるし」
少し違うな、と私は思った。
調理師は栄養バランスのいい食事を提案し、みなを幸せにするのが生業だ。
それを、啓もう活動の一環で資格を取って、間違った食事を作る人が、調理師になっていいはずがない。
「私は違うと思うけれど。門田さんはそう思うんだね」
「え、なにそれ。私たちが間違ってるっていうの?」
「ごめん、そうじゃなくて。なにを信じて信じないかは、私の自由だし、門田さんの自由だよ」
がたん! 門田さんが立ち上がる。先輩も立ち上がって、私を見下ろしてすごんでいる。テーブルのコーヒーがこぼれて、茶色いシミを作っていた。
「地球上の人間みんながヴィーガンになれば、それが正しいことだったんだってわかるようになるんだから!」
「落ち着いて」
「あーもう、信じられない。肉を食べないから話しかけたら。ただの病気じゃん。肉食べられないし、調理実習の試食もできない。じゃあなんで、相川さんは調理師になりたいの!?」
「私……私はただ」
拒食症の子を救いたいだけだった。食べられない子に、どうしたら食べられるのか、一緒に考えてあげたかった。そうやって、生きることも悪くないんだよって伝えたかった。
門田さんが鼻で笑った。
「なんだ、傷の舐めあいをしたいんだ」
「違うよ。私は私の経験を、誰かの役にたてたいだけで」
「そう。先輩、行きましょう。この子はヴィーガンにはなれない。この子はこれからも、命を粗末にするんです。安楽死する人間と変わりません」
なぜここで安楽死の話が出るのか、私にはわからなかった。先輩が私を見下ろしてにらんでいる。
こぼれたコーヒーは水溜まりを作り、私の顔を映し出す。
「私のお父さんは、安楽死したんだ。つい最近。サインなんてしたくなかったのに、私は父を死なせてから後悔したよ。命を粗末にする人間は嫌い。人間であれ動物であれ。死なせない道があるのに、死なせることは殺すことと同じなんだよ」
先輩の生い立ちはよくわかった。
わかったけれど納得はいかない。
ならなぜ、サインしたのだろう。
お父さんの安楽死の同意のサインを。そこで先輩がサインをしなければ、お父さんは安楽死なんてできなかった。
「お父さんの安楽死に同意したのは、先輩でしょう?」
「アンタになにがわかる!」
先輩が私を怒鳴りつけた。
私は肩を震わせて、その場に固まった。
「お父さんは末期のがんだった。だから仕方なかったんだ。だから私はこうして悩んで、ヴィーガンになる決心をしたんだ。それを笑うことは、誰も許さない」
「それなら、私が拒食症の子たちを救うことにだって、意義はあるでしょう!?」
私も立ち上がり、言い返す。
先輩と門田さんが私を責め立てる。
なにもできない、どうせ私たちは無力だ。
拒食症の子たちはいずれ、多かれ早かれ自殺もするだろう、衰弱して死ぬことだって。
そうやって命を落とすことと安楽死の、なにが違うんだ。
「私は……拒食症は、生きるための行為だと思う」
「死にたがりの間違いじゃなく?」
そんなはずない。
確かに私は、あの日々を懸命に生き抜いた。
お母さんが試食のアンパンで私の命をつないでくれて、最悪な精神科の入院ですら、耐え抜いた。
本当は、退院したら私も安楽死を選びたいくらいに絶望していたのに、やっぱり私は、死ぬ道を選べなかった。
「先輩のお父さんが安楽死したのは、悪いことだったんですか?」
「当たり前だよ! 世間から後ろ指さされて、私は就職すらままならない。お母さんは気に病んで、一日中泣いて過ごすようになった。おじいちゃんもおばあちゃんも。みんなみんな、人生を狂わされたんだよ!」
他人事だ、と思った。
私は当事者ではないし、先輩もまた、お父さんの死に無関心だった。
安楽死を選ぶというのは、その同意書にサインするというのは、その人が死んだ後も、その悲しみを共同で引き受けることだ。
先輩もいい歳であったのだから、反対することだってできたはずだ。
「がんの闘病を送らせるくらいなら。介護をするくらいなら。だったら死なせてくれって。父親に言われた子供の気持ち、わかる?」
「わからない。けど」
「けど?」
「お父さんが安楽死を望んだ気持ちは、よくわかる」
はっと先輩が笑った。
「アンタはそっち側なのね」
「はい、私も本気で安楽死を考えたことがあるので」
私は先輩に頭を下げて、喫茶店を後にする。
私の後ろで、先輩が涙を流していた。
あれは私だ、入院前の私。私はひとを殺したし、ひとに殺されることだってあった。
今こうやって生きながらえたのは、ほかならぬ家族のおかげなのだろう。
校外実習が始まる。
最初の校外実習では付属の幼稚園に行かされた。園児たちはみんな元気で、私たちのことも『せんせい』と呼んで、食事する様子を見守った。とてもかわいくて、私は調理師のやりがいを感じていた。
その、初日。
出来上がった料理は一斗食缶バケツに入れて、最初に重さを計っておく。残渣率を計ることは授業で習っていたはずなのに、私はその日、大量の残渣を見て、面食らってしまった。
「こんなに……」
それは私だけじゃなく、おなじ班の同期のクラスメイトも同じようだった。バケツ一杯の食品残渣を見て、私たちは自分がなぜ、ご飯を作るのかを再確認する。
「調理残渣は食料廃棄率のうち三十三パーセント、のこりが食品廃棄。でもこれは」
子供たちは、当然食べ残しがある。そして子供故に、食べきれないことはそう珍しいことではない。
まだまだ発達途中の子供に、無理矢理完食を指導する学校は今はもうない。
とはいえ、今日の残渣は五十パーセントに及び、私の心はくじけてしまいそうだった。
地球の裏側では食べられずに死んでいく子が大勢いるのよ、だから完食しなさい、というのは乱暴な理論だ。
子供たちや、そして私が肉も含めて料理を残さず食べれば、地球の裏側の子たちの腹は満たされるのだろうか?
答えは否だ。私たちがすべきは完食ではなく寄付で、私が肉を残しても食べても、世界はなんら変わらない。
「明日の出汁をこの袋に入れて、調味料を計ります」
実習初日の午後、私たちは子供たちと同じ給食を食べて、お皿を洗いながら明日の準備をする。
麻の袋に、煮干しとカツオ節をパンパンに詰め込んで、砂糖や醤油、みりんを計量する。
冷やすデザートは前日のうちの作ることもあるが、この幼稚園では当日に作るようにしているらしい。
明日のデザートはカスタードプリンだった。
「じゃあ、相川さんは今日はプリンで」
「はい」
「あと。たくやくんは、卵が食べられないからお饅頭なので。そこだけは注意してください」
アレルギーの子に、代替品を出すのは素晴らしいことだなと思う。食べられない子供に、代替品をあげるかは、その栄養士の采配によって決まる。お饅頭がひとつだけ、給食の材料の中にぽつんとたたずんでいる。
たくやくんの名前を忘れないように、メモ帳にメモした。
「今日もまた、残渣出るんだろうね」
「そうだね。なんだか、びっくりしたよね」
学校で習ったとはいえ、大量の調理残渣をいざ目の前にして、私も同じ班の子たちも、食事を見守る目線が変わった。
昨日まではかわいい園児たちに癒されていたが、今日はハラハラと落ち着かない。ある意味園児は素直だ。
おいしくなければ残すし、おいしければ残渣も減る。
「なるほど、やっぱりプリンはみんな好きか」
「そうだね。逆に、野菜料理の残渣が多い」
バケツにぐちゃぐちゃになった料理を見る。今日の残渣率はそこそこで、昨日の残渣に比べればだいぶ少なかった。
私たちは残渣の量を計って、校外実習ノートに記入する。
本来この保育園では、調理残渣は計らない。残渣は計量せずにすぐに捨てて、また調理師さんは明日の献立の準備をする。
けれど、私たち実習生が来る時期だけは、調理残渣をひとつひとつ計らせるのだ。
勉強の為であるとはいえ、調理師さんは食品廃棄に慣れきって、ひとの心なんてもうとっくにないのかもしれない。
「相川さんって、どの子?」
「あ、はい。私です」
園児の給食が始まると、私たちの食事も少し遅れて始まる。けれど私は、なにも食べられなかった。いまだ私は人との食事が怖くて、実習先での食事なんてもってのほかだった。
調理師さんが私を手招きする。
「これ、どう?」
飴を渡されて、これならば食べられそうだと首を縦に振った。
「食べられないのは聞いているよ。でも本当にお昼ご飯抜くなんて……酷な話をするけれど。調理場は体力勝負だから、いつかそれを克服しなければならない日が来るよ」
「はい、わかってます」
「うん、本人が一番つらいことも、わかっているよ。私も病院の経験はあるし」
そのうえで、栄養士さんが、続けた。
「きっかけなんて、些細なことなの。相川さんにとって、肉は恐怖そのものであるのだろうけれど、見たところ相川さんは食べられない自分に自覚的だし、努力もしている。だから、大丈夫。今はただ、焦らないで。自分を責めることだけは、しないでね」
飴玉を三個、私に渡して、栄養士さんは栄養士室で来月の献立を立てている。保育園に務めているからか、まるで私を子供の様に扱っていた。実際私はまだまだ子供なのだけれど、なんだかむず痒い。
いつかは克服できると言ったって、それがいつになるのか確証はない。おばあちゃんになってからかもしれないし、明日、急にそうなるかもしれない。
「さて、残渣調査行かなきゃ」
私は大量の残渣を見ても、なにも思わなくなった。いつか残渣の様に、私にとってお肉は単なる食べ物で、食べるときに勇気も緊張も必要なく、ただ自然な流れでそうすることができるようになるのだろうか。
そんな自分を思い描こうとしても、なにも浮かんでこなかった。
結局私は、保育園実習で調理した給食を、一口も食べることができなかった。
二回目の校外実習は小学校だった。
大量調理は普通の調理とは違った難しさがある。調味料が最たる例だ。調味料は、一人前を五百倍にするのでは余るので、大量調理の際の調味料の計算は普段とはまた別の計算式になる。
「私たち調理師は献立を立てて、現場の衛生確認をします。皆さんには、調理師さんのお手伝いをしてもらいます」
「はい」
学校実習でも、残渣の調査がある。一学年三クラス、かける六。それぞれのクラスの一斗食缶が帰ってくると、それぞれの残渣を調査する。加えて、食品廃棄率の計算もあった。
野菜の皮をむくとき、厚く剥いてしまうと可食部がだいぶ減る。ひとつひとつは大した量ではないのだが、それが何十個にもなると、皮をむくのにも気を使った。
「私、残渣って慣れそうにないな」
私が反省会でつぶやくと、同じ班の子たちもうんうんと頷いた。
「管理栄養士さんは、残渣を見て悲しくなることはないんですか?」
「そりゃあ、今でも悲しい。慣れることはないかな。でも、次はもっとおいしいものを作ろうって、思うかな」
「そうなんですね」
調理師さんにも聞いてみると、
「わたしたちは、残渣よりも食中毒がなかったことに、毎日安堵しているよ。食中毒は私たち調理者にとっては一番の懸念点だからね。残渣はもう、慣れたかな。だれでも好き嫌いはあるわけだし。ただ、この残渣を肥料かなにかに活用できたらとは思うけれど」
大量の残渣を有効活用できれば、罪悪感も多少は減るだろう。
私は校外実習ノートⅡに書き込んでいく。一般家庭では生ごみ処理機に入れれば肥料になるが、学校給食の残渣は家庭の比にはならない。
「それより、相川さんはなんでご飯を食べないの?」
調理員さんが不思議そうに首を傾げた。
管理栄養士さんが慌てて口にする。
「相川さんは、私の方で事情はあとで説明します」
「あ、そうですか」
調理員さんはだいぶ歳のいった女性で、この調理場を仕切っている。対して調理師さんはまだ若く、だいぶ物腰の柔らかな人だった。
管理栄養士さんが、反省会の後に「ごめんね」と私に謝った。
「いえ、食べられない私が悪いので」
「ううん。ちゃんと申し送ったつもりだったんだけど」
管理栄養士さんは、今回の実習生の中に拒食症の子がいるから、フォローしてあげてください。そう伝えたらしい。
だから、あの調理員さんは私への理解がなかった。
拒食症って言ったって、私の体重はこのころには四十五まで増えていたし、昼ご飯を食べないこと以外はいたって普通だった。
「相川さん、ごめんね。普通だからわからなかったの」
「あ、いえ。私も、最初にお伝えするべきでした」
調理員さんが私に謝る。
別に、私は拒食症を隠しているわけじゃないから、最初から調理員さんにも告げるべきだったのだ。
調理員さんが、給食の残りのゼリーを私に渡す。
「おうちでは食べられるんだって?」
「はい」
「じゃあ、これ。持って帰って」
こうやって、大人たちは私になにかと気を使ってくれる。
申し訳ない反面、人間も捨てたもんじゃないなと思う。
そして、それを見ていても、同じ班の子たちはなにも言わない。
班の子たちには私の病気の話はしてあるし、そのうえで、「大丈夫。私たちもサポートする!」と言ってくれたほどだった。
相変わらず、調理師学科の高校では友だちらしい友だちはいないけれど、私は同期に恵まれている。
もしかすると、調理師学科に通っているからみんな、私の病気への理解があるのかもしれない。
これが通信制の普通学科に転校していたら、私は理解されずに本当に一人ぼっちになっていたのかも。そう思うと、調理師は私の天職であり、この学校は私を成長させてくれる、唯一の居場所なのかもしれない。
このころ、私に人生で初めての彼氏ができた。
高校の一つ上の先輩だった。
「なつきちゃんって、頭いいんだ」
「え、そんなことないよ」
「でも、O高校出身だって、友達に聞いたよ」
一個年上の彼は、物腰柔らで、だけれどどこか自分に自信のない人だった。どこから聞きつけたのか私の出身高校がO高校だと知ると、そんな風に自分を卑下した。
「俺なんて、K高校だもん。なつきちゃんには釣り合わないなあ」
「そんなことないって。私は……高校の三年次はぎりぎりで卒業してるし」
拒食症で、とは言えなかった。彼が私を見て「そう?」と笑った。
「大志くんだって、いいところいっぱいあるよ」
「例えば?」
「今みたいに、道路側を歩くとか、私の帰りを待ってくれるのとか」
大志くんの顔がぱっと明るくなった。彼氏彼女って、これでいいのだろうか。拒食症のことを秘密にして、私はまるで、大志くんの機嫌をうかがう都合のいい女いなっていないだろうか。
家に帰って、お母さんよりも先にお姉ちゃんに相談する。
「お姉ちゃん、ちょっといい?」
「うん?」
お姉ちゃんは県内の銀行に勤め始めた。もともと理数系の人だったから、だいぶ社内でも重宝されているらしい。
就活の時、いくつか内定が決まって、最後までどこに就職するか迷っていたくらいだった。
引く手あまたなお姉ちゃんに対し、私はちゃんと就職できるのだろうか。調理師の大学に行くからには、私も就職に腹をくくったつもりだ。
つまり、普通の学科ならば就職先を様々選べるが、私の様に専門職の大学出身だと、その資格の就活に対しては有利でも、もしも調理師以外の職に就こうとなれば、不利になるということだ。
実際、年に何人かは、調理師にならずに一般職に就職する人がいるのだと聞く。私の志望先は病院だ。
そこで私は、様々な人たちに栄養指導をしたい。
「あのね、彼氏がなんかモヤモヤして」
「もしかして、拒食症のこと?」
「そうじゃないんだけど」
なんとなく、大志くんがなんで私を選んだのか、気になってしまう。私なんて大してかわいくもないし拒食症だし、ならばなんで彼は私を選んだのだろうか。
「大丈夫だよ。考えすぎ。気になるなら聞いてみればいいじゃない」
「うーん、でも、怖いな」
聞いて、別れるようなことになったらと思うと、どうしても聞くことができなかった。
「なつきちゃん」
もうすぐ冬休みという時期、大志くんが真剣な面持ちで口を開いた。
今日は話したいことがあるからと、待ち合わせは近くの喫茶店だった。
レトロな雰囲気がかわいくて、私はなにも考えずにコーヒーを頼んだ。
「なつきちゃんって、デートの時、あんまりご飯食べないじゃん」
「あ……それは。小食なの」
どっどっどっど。心臓が脈を速めた。
大志くんが私を見ている。穴が開くんじゃないかってほどに見つめられて、私はコーヒーを口に入れた。
苦い。
苦みを消すためにミルクを入れてかき混ぜる。白と黒がまじりあって、やがて茶色の渦を作った。
「友達に聞いたら、なつきちゃん、拒食症だったんだって?」
ひゅ、と息が詰まる音がした。
なにも考えられなくなっていく。
コーヒーに映る私が消えていく。
茶色の中に私はもういなくて、世界からも姿を消した。息遣いだけが聞こえてくる。それは私の荒い息と、大志くんの静かなため息。
私が言い訳をするために口を開いたのと同時だった。
「病気の人とは、付き合えない」
「でも……今はお肉以外は食べられるし」
「そういう問題じゃないよね。隠していたことを怒っているんだよ」
私は猛省する。
もっと早くに知らせていれば、大志くんは私に幻滅しなかったのだろうか。店のエアコンがぶうんと音を立てる。
冬なのにあつく、私はトレンチコートを脱いで椅子の背もたれに掛けた。
エアコンが全く機能していない。体が熱く、熱湯風呂を浴びたようだった。
「はあ。O高校の彼女がいるって話すとみんながうらやましがるから付き合ったけど。こんな頭おかしい人間だったなんて、怖すぎ」
「怖くなんてないよ! てか、そんな理由で付き合ってたの?」
「ほかになにがあるの? 学歴高いから頭いいんだって思っていたら、拒食症なんて頭のおかしい人間で。俺、なつきちゃんに殺されたくないし」
殺したりなんかしない、決して。
頭だって、おかしくないよ。
私はあなたと変わらない、ただの人間なんだよ。ただ、肉を食べられないだけで。
「じゃ、そういうことだから、俺行くね。食事代はなつきちゃんが払っておいて」
結局、そういう男なのだ。
付き合っていたころから、なにかと自分を誇示して、私を友達に紹介する時だって、「O高校出身なんだぜ」が口癖だった。
私がおかしいのだろうか。
ご飯を外で食べられない、肉を食べられない私が。
デートの時は、無理して食べるようにしていたのに。
それでも、ご飯の半分は残していたけれど。胸が痛む。
作ってもらったものを残すのは、本当に苦しい。その苦しさわずらわしさから解放されるんなら、振られてかえってよかったと思うことにした。
「なつき、大丈夫?」
「お姉ちゃん。大丈夫だよ」
「眼が真っ赤」
夕飯時、お姉ちゃんがいち早く私の異変に気が付いた。家に帰ってひとしきり泣いた私は気持ちを入れ替えて、家族での食事を楽しんでいた。お姉ちゃんがいぶかし気に私を見る。
お姉ちゃんは私にだけ甘い。和樹には、こうやって心配の言葉を掛けたことがない。同性の兄弟ってそういうものなのかもしれない。お母さんよりも近くて、友達よりも大好きな人。
「ちょっと……大志くんと別れた」
「ええ!? なんで?」
お母さんが「初耳なんだけど」と目を丸くしている。お父さんまでもが私を見て驚き目を牛みたいに丸くしていた。
お姉ちゃんが事のあらましをみんなに説明して、私はご飯を咀嚼しながらボロボロと涙をこぼした。
涙がご飯に混じってしょっぱい。ずず、と鼻をすする。塩気が濃い食事は、私を落ち着かせてはくれなかった。
「なんか、私が拒食症で頭おかしいから、別れるって」
「なにそれ!? 私が代わりに文句言ってやる!」
お姉ちゃんが私にティッシュを渡す。私はお茶碗を置いて、ティッシュを鼻に当ててちーんとかんだ。
お母さんも憤慨する。「なつきは変じゃないんだから、気にしないでいいんだよ!」お父さんが私の頭を撫でている。「そんな見る目ない男、早く別れた方がよかったんだ」
「そうだよ、姉ちゃんは誰よりも優しくて繊細で。もっといい男がいるって。俺みたいな!」
「うん、和樹みたいな男子とは付き合わないかな」
「ひどいな」
丸めたティッシュをごみ箱の方に向けてシュート。外して、いつもならお母さんが怒るのに、今日はなにも言われなかった。
床に転がった丸めたティッシュが、私を責める。ちゃんといるべき場所に入れてくれないと、どうしたらいいのかわからないじゃないか。
「ごめん」
なんとなく謝っていた。
誰に謝ったのかはわからない。
お姉ちゃんがもう一枚ティッシュを渡してくれたから、今度はそれで涙を拭った。せっかくの楽しい夕飯の時間を、こんな風にしたことがとたんに申し訳なくなってくる。私は笑顔を取り繕って、
「話したら楽になった!」
目はこすりすぎて痛いし、鼻水もまだ収まらない。ずず、と鼻をすすって、私はまた、茶碗を手に取る。
ご飯があと茶碗に半分残っている。今日は私の好きな鱈の入った水炊きだ。鶏肉は入れない。
私はいまだ、肉や肉と一緒に調理したものが食べられない。だから家族の献立は、私の分を別に作るか、今日みたいに、肉抜きのメニューになる。
私は調理師の大学に通い始めてから、家での料理も時々はするけれど、やっぱりお母さんの作った料理が世界で一番おいしい。
きっと、料理の最強の隠し味は、愛情なのだ。
いつか私の料理も、誰かの一番になれるのだろうか、世界で一番おいしいです。ありがとう。
私の短い春が終わる。
私は、自分がおかしいと思ったことはなかった。
実際、クラスメイトで私の拒食症を知る子たちも、そんな素振りは一切見せなかった。それはとても恵まれたことで、大志くんの反応が、世間一般なのかもしれない。
私は三回目の校外実習で、病院を選んだ。
「はい、じゃあ、今日の課題を渡しますね」
病院の管理栄養士さんは実際の栄養指導を見せるだけでなく、私たちに課題を渡した。
調理師だから栄養指導は必要ないけれど、疾病に合わせた料理は、調理師もある程度はしっておくべきだ。
渡された紙に書いてあったのは、とある事例である。
実習生は全部で六人。二人ずつ、同じ症状の紙が渡されて、私の紙には、肝硬変のひとの実例が記載されていた。
「安楽死を望む肝硬変の男性、四十歳、男性の食事方針を定めよ」
「あ、相川さん私のと同じだ」
一緒にこの病院に実習に来たのは、私と、神尾さんと、牧田さんと、生田目さんと、武田さんと、葛西さん。
私は葛西さんと同じ症例だったらしく、葛西さんが、実習が終わったら一緒に考えようと提案してくれた。
「一緒に考えたら早いもんね」
「うん。でも、ほかの人たちのって、どんな症例なんだろう」
私は興味本位でほかの子たちの症例を見せてもらった。
肥満度Ⅱの女性、ニ十歳の運動療法を含めた食事方針。この女性は仕事の都合上、夕飯が九時以降になることに留意すること。
糖尿病の男性、三十歳の食事方針。ただしこの患者は喫煙と甘いものをやめられないため、代替案を提案すること。
「へえ、なんだか難しいね」
葛西さんがうんうんとうなった。
私は自分に渡された紙を見て、首をひねる。
「でも、これ、安楽死って情報必要あった?」
「さあ。あるんじゃないのかな、書くくらいだから」
私と葛西さんは、実習後に喫茶店に向かって、課題に取り組んだ。
「肝硬変だから、エネルギーやたんぱく質は少な目にするでしょ」
「うん、未精製のものを献立に入れよう。玄米ご飯、ライ麦パン。でも、食物繊維が不足するから、海藻も入れて。ミネラルも摂れるし」
私と葛西さんは、習った通りの食事方針を固めていく。
食後一時間のお風呂は避けること。食事は原則三回に分け、特にアンモニアが生成されないように注意する。
翌日、管理栄養士さんに課題を提出する。
「うん。肥満の患者さんには野菜を中心に、たんぱく質、炭水化物、脂質のpfc比率を守りながら、一日の摂取カロリーを減らしていく。体重一キロを落とすには七千キロカロリー必要だから、それを三十日で割って、一か月に体重の五パーセントまでを限度に減量を目指す。夜の食事が九時以降になるから、夜は軽めの和食など。いいわね」
運動として、エスカレーターやエレベーターは避けて階段を利用する。
管理栄養士さんが花丸をつける。次は、糖尿病の男性だ。
「一日当たりの単位を決め、決まった単位の炭水化物、たんぱく質、脂質を献立に盛り込む。この患者の場合、糖尿病食ニ十単位を目安に献立を配分する。じゃあ、一単位は何キロカロリーか覚えてる?」
「八十です」神尾さんが答えた。
「よろしい。甘いものが辞められないから、果物で代用すれば、食物繊維やビタミンが摂れる。果物以外ならば和菓子を推奨ね。うん、よくできました」
煙草はビタミンCを破壊するから、多めに摂ること。こちらも花丸だ。
「最後に、なるほど、この症例に当たったのは、あなたたちね」
校外実習に際しても、私は先生伝手に私が元拒食症であることは病院の調理師さんに伝えておいた。
だからか、管理栄養士さんがことさら私に注目している。
「うん、そうね。肝硬変の献立としては正解。でも、この患者は安楽死希望だって、書いたわよね?」
「はい」
「その辺の指導は、書いてないわね」
管理栄養士さんが、課題の紙を私と葛西さんに渡した。
「じゃあ、今日は実際に、安楽死希望の患者さんの栄養指導に行きます。最後まで、見ているように」
私は不満だった。
私の課題は完璧だったはずだ。
肝硬変にはエネルギーとたんぱく質に注意すればいい。
そこに安楽死が加わったって、食事方針なんて同じであるはずだ。
栄養指導の部屋に、管理栄養士と、実習生六人が壁際にたつ。
「はい。今日はよく来てくれましたね」
「先生、私は早く死にたいんです。肝硬変でつらくて」
黄疸が出ている。
代償期は過ぎて非代償期なのだろう。
だるそうで、息をするのも辛そうだった。肝硬変の予後は悪い。重症だと、十人中七人は亡くなるのだと聞く。
「私、治療したって、移植しか方法がないなんて。家族に提供なんてもってのほかです」
「では、先週と意志は変わらないんですね」
調理師さんが穏やかに答えた。
「はい。安楽死を希望します。診断書をお願いできますか?」
こんな風に安楽死につながっていくのだなと、私は頭に石を喰らった思いだった。
栄養指導の場に、当たり前のようにその名前が行きかっている。
調理師さんが所見をパソコンに打ち込んでいる。ピッチで電話して、先ほどの話を医師に伝えている。
「それでは、このまま診察になりますので。待合室でお待ちください。最後に食べたいものはありますか?」
「海苔の佃煮を。ありがとうございます、ありがとうございます」
患者さんが、何度もお礼を言っている。
私は吐き気を催して、くらくらして目の前が見えなくなった。
栄養指導をすべて終えて、管理栄養士さんに別室に連れていかれる。
「肝硬変の患者さんの栄養指導の答え、わかりましたか?」
「はい、安楽死を希望する場合、栄養指導にそれも含まれるんですね。そして、最後に食べたいものを作るのが、調理師の仕事」
意気揚々と話す葛西さんに対し、私はなにも言えなかった。
私には無関係だと思っていた。
調理師は食事作りが本来の仕事だ。
いつからか安楽死なんてものが法律で認められたせいで、安楽死まで栄養指導の一環となったらしい。
私は口をつぐんだ。
「相川さんは、納得いっていないようですね」
「や……安楽死を思いとどまらせたりは、しないんですか?」
管理栄養士さんの顔から、笑みが消えた。
「最初はします。何度も。国の法案でも、まず安楽死を求める人には、カウンセリングをすすめたり、管理栄養士自身も、安楽死を思いとどまるように説得するように定められています。でもあの患者さんは」
身寄りがなく、肝硬変に気づいた時期も遅く、症状に苦しみ、仕事もやめた。
今はまだ、貯金があるからいいが、貯金が底を突いたら安楽死すら選択できなくなる。
「でも、肝硬変の予後は……」
「そうね。安楽死の順番待ちの間に死ぬかもしれない。けれど、安楽死が希望になる人も、いるの」
「安楽死が、希望?」
違和感。
私は違和感を感じて、首をひねった。
そんなもの、ただの現実逃避だ。
生きて生きて、生き抜いて。それで死ぬのなら致し方のないことだと思う。
なのに、治療がつらいから、お金が無くなる前に、安楽死を選ぶのは、命への冒涜ではないだろうか。
「相川さんは、そうね。死を経験した人間ならば、安楽死への怒りも人一倍でしょうね」
「それは……」
一緒に来ていた実習生には、私の拒食症は話していない。だから、私と調理師さんのやり取りに首をかしげるばかりだった。私は、調理師さんに言い返す言葉も見つからなかった。
私がおかしいのかもしれない。
安楽死が合法化して一年、それを望む声は今も絶えない。私たちには生きる権利があるが、死ぬ権利もある。
だから日本でも、安楽死が認められた。
昔は、海外に渡航しなければそれらは受けられなかったのだと聞く。
「ですが」
管理栄養士さんの凛とした声。
実習生がみんな、背筋を正した。
「死ぬのはなにも、安楽死だけじゃないのを、忘れないでください。病院では、当たり前に患者さんが病気で死にます。私たち調理師が栄養指導した患者さんが」
実習生の間に沈黙が流れた。
私はただ、人を助けたかった。
美味しい料理をふるまって、正しい食事で人々に長生きして欲しいだけだった。
その中にたまたま拒食症の子がいて、私は自分の経験をその子に伝える。私が救われたように、その子を救いたかった。過去の私と未来の私、私はどちらも等しく救いたかった。
調理師さんがぱん、と手を叩いた。
私たちの意識が宇宙の彼方から引き戻されて、私たちはまるでジェットコースターに乗ったあとの様に疲弊していた。
「それでも……それでも私は、手の届く範囲の人たちを、救いたいです」
それがエゴだとわかっていても。
「相川さん。相川さんこそ、調理師になるべき人なのだと、私は思います」
「……私は、私は今日、その自信をなくしました」
私はいまだに拒食症の影響が色濃く残っていて、もしかするとそのせいで早死にするかもしれなくて、私は安楽死に疑問を抱いていて、今もその答えが見つからない。
校外実習は私に傷跡を残した。
深い深い傷だ。
あの患者さんとはもうあれ切りあうことはないのに、あの患者さんが安楽死を選んだことが、ひどく悲しかった。
実習三日目、管理栄養士さんが私を一人だけ別室に連れていく。
管理栄養士さんが栄養計算をするパソコンのある部屋は、実習生の誰もが入ることを許されなかった。
私たち調理師の卵は、学校の課題でも栄養計算ソフトを使わない。全部手で計算するように指導される。
けれど、隠れて栄養計算ソフトを使う子がいるのは暗黙の了解だった。あいにく、私は馬鹿正直に手で計算しているけれど。
「今日の栄養指導に、その」
「はい?」
「過食症の子が、いるの。相川さんを同席させるのはよくないかなって、思って」
別に私の拒食症は、過去形だ。
今も私は外でうまく食事ができないけれど、家では肉以外は普通に食べている。だから私は、そんな気遣いは不要だと笑った。
「大丈夫です」
「でも、心の病気って、他者に引っ張られるのよ」
「引っ張られる?」
「うん……例えば、病棟の患者さん。一人が自傷をすると、次々に患者さんの体調が悪くなって、病棟中で病んでしまうの」
それは興味深い話だった。
私は今日の給食のカロリーを無意味に頭の中で計算する。ご飯茶碗一杯が二百、焼き魚は百六十。サラダはドレッシング込みで百、デザートのフルーツヨーグルトは百六十。合計で六百二十。平均的な食事だ。
肝硬変の患者さんの食事も見てきたし、糖尿病の患者さんの食事も見た。どれも彩りよく光り輝くように美しかった。
料理は見た目も大事だ。見た目は最初に入ってくる情報だ。どんなに栄養バランスの取れた食事だって、見た目が悪ければ食べてもらえない。
「じゃあ、大丈夫なのね」
「はい、大丈夫です」
私は普段通りに答えた。つもりだった。
妙な胸騒ぎがしてしまうのはなぜだろうか。
私は、入院している過食症の患者さんの部屋へと、班員を連れ立って歩いていく。
過食症だと聞いていたから、太っているものだとばかり思っていたのに、その患者さんは普通体型の、かわいらしい女の子だった。
女の子であることは予想通りだ。
摂食障害は特に、美しくありたい女性に多いイメージだった。
実際には男性も摂食障害になるのだから、この偏見は拭い去らねばならない。
「こんにちは。今日は昨日言った通り、実習生も一緒です」
「わあ、私と同じくらい?」
「そうね。この子たちは大学三年生。ひとつ下かな」
管理栄養士さんが過食症の患者さんの食事内容をチェックしている。ベッドに、『田中美穂子』と書いてあった。
美穂子さんは体調不良でこの病院に検査入院している。過食症だから精神科の入院経験もあるらしかった。
「美穂子さん。また隠れて吐いてましたね」
「なんだ、ばれたか」
なんら悪びれる様子なく、美穂子さんがベッドの下から大量のお菓子を取り出した。
菓子パンが十種類、お饅頭が五個、二個入りのケーキが三パック、売店のお弁当が三個とサンドイッチが二パック。
それらを美穂子さんはベッドの上に広げて笑った。
「これ、食べちゃダメですか?」
「ダメって言って取り上げても、隠れて買ってきて食べますよね。いいですか、吐くと電解質のバランスが崩れるから、心臓に負担がかかるんです。命に関わるんですよ」
管理栄養士さんが、美穂子さんの右手の指の付け根の骨を撫でつける。
そこにはいわゆる吐きだこができていて、私はこの人は自分なのだと錯覚した。
美穂子さんは、これらを一気に胃の中に詰め込んで、時間をあけずに全て吐き出す。食べると言うより無機質に胃という箱にものを詰め込む感覚に近い。飲み込み胃がパンパンになると満足して、今度は太る恐怖にかられて全てを吐き出す。
吐き出すとストレスも一緒に体外に出て、スッキリするという話を聞いたことがあった。
私はいつか、過食に移行するかもしれない。
その危険は、一生消えない。
摂食障害はおおよそ、一生かけて治療していかねばならないこともままある。
私の様に、肉が食べられないまま死ぬ人間もいるだろう。
未来の私を見ているようで、私は胸の苦しさを感じた。
私は違う、私は調理師として、ちゃんと勉強をして、正しいダイエットの知識も身に着けた。
だからきっと、私はこの病気を克服できる。
「大丈夫ですか? 調理師の卵さん?」
「え、私?」
「うん、顔が真っ青」
もしかして、と美穂子さんの顔が曇った。
バレただろうか、私が同類で、私もまた、肉が食べられない異端者だと。
「もしかして、過食嘔吐って気持ち悪かった?」
「え?」
「だってそうじゃん、食べたもの全部吐き出して。私、こんな自分が嫌い。だから、病院出たら安楽死に申し込むの。もう、食費で家族を困らせないためにも」
息苦しさは窒息に変わった。
私がしたかったこととは、まぎれもなくこれなのに、私の精神が美穂子さんに引っ張られる。
私はこの子となにも違わない。
同級生は、私をそんな風に見ていたのかもしれない。
「私、も。拒食症だから、そんなことは思わない、です」
「え! 拒食症なのに、調理師に?」
ワクワクした表情で、美穂子さんが私に聞いた。
私はうん、と頷いて、美穂子さんはすごいなあ、と感嘆の声を上げていた。
息苦しさを心配して、同じ班の子が私の背中をさすってくれた。
「大丈夫だよ、相川さん」
「え?」
「大丈夫。私もみんなも、田中さんも。みんなおんなじなんだよ。人間なんだよ。拒食とか過食とか、そんなこと関係ないんだよ。私たちはみんな、患者さんを救うために調理師になるんだよ」
その子の言葉がうれしかったのか、目から思わずしずくがこぼれた。美穂子さんはなにも思わないのか、「友情って感じだね」なんて他人事に笑っていた。
私は、調理師になって、たくさんのひとを救いたかった。一番は拒食症の子のためだったけれど、私はこれを、乗り越えねばならない。
「安楽死は、ご家族に許可はもらってるんですか?」
調理師さんが、私たちのやり取りを見守っている。私はよろける体を同級生に支えてもらいながら、美穂子さんに真剣なまなざしを向けた。
「許可は出てない。反対すると思う。でも、生きていてもいいことないって、調理師の卵さんならわかるでしょう?」
痛いほどに。
だけれど、この子は本当に死ぬことを望んでいるのだろうか。
美穂子さんがいつから摂食障害なのかはわからないけれど、きっとこの先、私と同じように、生きていてよかったと思える日が、来るはずだ。それこそが私の驕りに他ならない。
私は安易にその言葉を口にしてはならない。
「美穂子さん。時間だし、今日はもう、休んでください」
管理栄養士さんが区切った。これ以上は私が危ないと判断したのだろう。
「はあい。ねえ、調理師の卵さん」
「なんです」
「頑張ってね。あなたは私と違って、たくさんの人を救うんだから」
その言葉に嘘はなかった。
だからこそ、悲しかった。
美穂子さんは本当に死にたがっているのだろうか。本当に、安楽死を望んでいるのだろうか。
望んでいるから、調理師の栄養指導を真摯に受け止めず、今も過食をやめないのだろうか。
「相川さん……実習生は、午後はノートをまとめる時間にしましょうか」
「はい」
私たちは調理場の休憩室に通されて、実習ノートをみんなで広げた。
実習生たちの話題はもっぱら、あの過食症の美穂子さんのことだった。
「田中さん。どうやったら安楽死を思いとどまるかな」
「とめる権利なんて、私たちにはないじゃない」
「でも、安楽死を望む人は、まずカウンセリングを促すって」
習った通りの回答に、私はなにも言えなかった。
あの絶望は、私のものだ。人生に希望なんてものがないのに、生きながらえるように促すのは、無理矢理殺すのも同然だった。
私たちの実習は一週間で終わる。
たった一週間の付き合いの私たちが、無責任に「生きろ」なんて言えるはずがない。
それらは調理師さんの仕事で、でもじゃあ、調理師さんは美穂子さんに、どんな栄養指導をしているのだろうか。
「管理栄養士さん、質問です」
その日の反省会、ほかの子が言及をとどまったのに対し、私は臆面もなく、聞いていた。
「美穂子さんの栄養指導って、どうすればいいんですか?」
「うん、そうね」
管理栄養士さんが慎重に言葉を選ぶ。
「カウンセリングには通っているみたいだし、安楽死しない道も探っているの。あれは、半分は本心、半分は嘘」
「嘘?」
「嘘というより、本人も気づいていないだけで、ああやって死をほのめかして、誰かに助けを求めているのよ。安楽死を望む患者さんの中には、そういう方もいるから、見極めが大事」
嘘でも安楽死したいなんて言ってほしくなかった。
私がそうだったように、安楽死なんてものは本当に本当に人生に絶望した人間の最後の手段で、他者を試すために使っていいものではない。
……そう、なのだろうか。
私が安楽死したいと思ったあの気持ちは、本当だったのだろうか。
私はあの入院から逃げ出したくて、安易に安楽死を望んだのではないのだろうか。
本心と嘘、どちらで安楽死を求めているのかなんて、誰にわかるというのだろうか。
「相川さんは、少しつらい一日だったかもしれないけれど。いい勉強にもなったと思います」
「はい、そうですね。ますますわからなくなりました」
私たちはその日を最後に、美穂子さんの栄養指導には行っていない。
あのあと美穂子さんがどうしたのか、退院したのか、本当に安楽死したのか、私は調理師さんに聞くことができなかった。
病院では日々誰かが死んでいく。
それが病気の時もあれば、安楽死の時もある。
私は自分の信念がわからなくなっていった。
私は確かに、信念をもってこの高校に転校した。
けれど学べば学ぶほど、私の信念がぐらぐらと揺らいで、形をなくして崩れていく。きっと、実習に行ったみんなが同じなのだろう。
安楽死が合法化されて、世界は変わった。
、それがいい方向になのか悪い方向になのかは、きっと誰にもわからない。『安楽死』という言葉が、重く安易に飛び交っている。
五
冬休みのさなかのことだった。
とても寒い一日だった。
ドカン! と地面が突き上げられる音は、最初なにかが爆発したのかと思うほどに、店ごと縦に大きく揺れた。
私は冬休みにさいし、フレンチレストランでのアルバイトに出られるまでに回復した。
しかし、上下関係が厳しく、同じ女性シェフもいるというのに、下っ端の私はいつも皿洗いばかりで、みんな私のことを無視した。
けれど、それしきで私はめげない。
あの日々を思えば、なんてことはないことだった。
「地震だ! ガス閉めろ!」
料理をしていた私たちに、コック長は機敏に指示を出した。
ちょうど私たちがまかないを食べていた時間だった。
突如起きた縦揺れに、機敏に反応したのはコック長だけだった。
ガタガタと揺れる店内で、私はテーブルの下でテーブルの足にしがみついた。実に長い時間揺れていたように思う。店内の食器は床に散乱し破片と化す。
シャンデリアも大きく揺れて、天井に当たってパラパラと割れた。テーブルやレジががたた!と倒れた。
なにもかもが、一変する。二分以上の大きな揺れは、私の店も、一般の家も、等しくすべてを狂わせた。
ものが散乱し、午後の営業は不可能だろう。いや、外はどうなった? この揺れで倒壊した建物もあるかもしれない。
感じたことのない、大きな大きな揺れだった。
テレビをつける。どこも地震速報でもちきりだった。
家は大丈夫だろうか。携帯を取り出し電話をかける。回線が込み合ってつながらない。
コック長が冷蔵庫を確認する。
「今日はもう帰っていい。家族の無事を確認しなさい。それから、冷蔵庫にある水と保存食は、社員で分け合って持ち帰るように」
「え、え?」
「なつき。落ち着け。この中でおまえが一番若い。一番経験値が低い。一番気遣わなければならないのはわかってる。けど、なつき。ここから一週間が勝負だ。この地震は、日本に大きな影響を与えるだろう」
コック長の言うことはもっともだった。この大地震は、死者・行方不明者数二万人を超える大災害として知れ渡ることとなる。
私たち見習いコックは、コック長の計らいで食料と水を等分に分けて、混乱する交通網の中、あるひとは歩いて帰り、あるひとは厨房に泊まった。
私は幸いにも店の近くに実家があったため、その日のうちに帰宅することができた。
今でも耳にこびりつく、皿やシャンデリアの割れる音。
『避難してください』
テレビはどこも同じ言葉を繰り返す。
家に帰って、ぐちゃぐちゃに散らかった自分の部屋で、しばし呆然とする。
大地震なんて、大災害なんて、自分が経験するとは思わなかった。明日からどうなるのだろう。ライフラインが断たれたとコック長が言っていた。水も電気もガスも使えない。
私は店からもらってきた食料と水を数える。
「持って三日……? いや、一週間は持たせなきゃ。家族五人……」
帰って来た母と父が確保した食料と水を合わせても、五日持つかというところだった。
ライフラインが断たれたとはいえ、一週間もすればすべて元通りになるだろうと、私はその日はなにも食べずに布団に入った。
明日目が覚めて、すべてが夢だったら、なんてことを思った。
翌朝起きて携帯を起動して、昨日の地震の情報を集めた。
阿鼻叫喚、とはこのことだろうか。地獄絵図のような映像と写真。
津波が来た、沿岸部に。
この県も海に面してはいるが、私が住んでるこの場所は、海には程遠い。だが、他人事でもない。同じ県内の人間が、津波の被害にあっている。
こと、震源地の津波は目を覆いたくなるような惨状だった。
「ひとが、流されてる……?」
車も、家も。
同じ県内でも、家のほうは震度が一ほど大きかった。
建物は損傷しなかったものの、店内のものは散乱しているし、テーブルも椅子も、落ちてきた電球もどうにかしなければならないだろう。
さいわいにして、私の家族は全員無事だ。
しかし、この状態はいつまで続くのだろうか。
コック長にもらった食料を見ながら、私は途方に暮れた。
結局ライフラインが復旧したのは、震災から十日後のことだった。
それまで私は、コック長にもらった食料と、何日かに一度少量だけ入荷されるコンビニの食糧だけが頼りだった。
水は市がタンクに積んで配り歩いてくれたおかげで、脱水にならずに生き延びることができた。
普段当たり前に使っていた水道も、トイレも、お風呂も、暖房も。なにもかもを失って、寒い冬を孤独に過ごした。
どこから情報を仕入れるのか、ガソリンがガソリンスタンドに入荷されると聞き及んでは、早朝四時には大行列ができる。
コンビニの物資だってそうだ。入荷とともに皆が我先にと買い占めるから、結局情報に疎いものは食料さえ得られない。
一月はまだまだ肌寒く、暖房のない日中の家はより一層寒さがこたえた。
冷蔵庫が使えないから、おのずと保存食ばかりに頼ることになる。火も使えないから冷えた食事ばかりだった。
普段は大好きなパンに、飽きた。たまには温かいご飯が恋しくなるが、そうわがままも言ってられない。
一度だけ、近くの小学校で炊き出しが行われたことがあった。私はそれを、ボナペティの先輩から聞いた。先輩はネットに明るく、そういう情報をどこからか聞いたのだ。
普段は私に冷たい先輩たちだが、困った時は別だった。こういう事態なのだから、気に入らない後輩だろうが、仲の悪い先輩だろうが、関係ない。
「うわ、行列じゃん」
私は炊き出しを頼りに家族と小学校へ向かった。朝は八時、行列は百人はいるだろう。足りるだろうか。
「あ、先輩」
「なつき。炊き出し、自衛隊のだからなくなることはないだろうって。最後尾三十分待ち」
「ありがとうございます」
先に炊き出しの牛丼を食べていた先輩に挨拶をして、私は列に並ぶ。
一月の底冷えする日で、ダウンコートを着ているひともいるくらいだった。
「さむ」
両手をポケットに突っ込みながら、空を見上げる。晴れているからまだいいものを、これで雨や、ましてや雪などふったら二次災害も起きるだろう。
しかし、こんな状況でさえ、私はその炊き出しの『肉』を食べられなかった。
牛丼を作っていた自衛隊のお兄さんからそれを受け取って、家族で体育館に移動する。
そこで腰を落ち着けて、私は牛丼の上の牛肉を、弟と姉にわけていた。
「なつき……こんな時まで」
「ごめん。でも、どうしても無理」
「いいじゃない。白米食べられれば元気になるわよ」
お母さんがフォローする。
私は牛肉をよけた牛丼をかきこむ。
「おいしい! あったかい! おいしい!」
隣にいた老夫婦に笑われた。しかし、美味いものは美味い。久々の温かな食事に涙が出そうだ。
牛丼のタレが細胞ひとつひとつに染み渡るようだ。甘辛い味付けは濃すぎず薄すぎず丁度いい。
なくしかけていた活力が湧いてくるのがわかった。
「おいしい、おいしいな……やっぱり炊き出しは大量調理だからうまみが出るのかな」
こんな時まで分析してしまうのは、もう癖のようなものだ。
あっという間に牛丼を平らげて、場所を譲るために忙しなく体育館を出る。
炊き出しをしてくれた自衛隊に頭を下げてから、家路を歩く。
ライフラインの復旧まであと何日かかるだろう。コンビニもスーパーも、物資が滞ったままだ。
美味しい食事で腹が満たされて、多少は心が落ち着いた。しかし、まだまだ不安な日々は続くだろう。
この県でこれなのだから、震源地はもっとひどいのだろう。今はもう、テレビを見るのさえ嫌になった。余震の恐怖も、目を覆いたくなるような惨劇も、なにも見る気にはなれない。
そういえば、真子は無事だろうか。携帯を開いて連絡先を読み込む。
通話ボタンを押しかけて、やめた。
半年近く連絡も取っていなかったくせに、いまさらだ。それに、震災で忙しい時に無駄に時間と携帯の電池を使わせるわけにもいかない。
私は携帯をポケットにしまって、いまだ片付け切れていない家に帰った。
十日ぶりにアルバイト先に赴くと、コック長の神妙な面持ち。
「コック長、大丈夫でしたか?」
いまだ食料が手に入りにくい状況ではあるが、いったん店員全部を店に呼んだのはコック長の境だった。
「この震災の被害は大きすぎた」
散らかったコックたちの食事部屋で、境がこうべを垂れている。
嫌な汗が伝った。もしかすると、この災害は他人事ではなかったのかもしれない。
「わたしの妻の実家が東北で」
境が声音を低くする。
「妻の両親が津波に、巻き込まれた。義父も義母も遺体で見つかった」
コック長の目が潤んでいるように見えた。
皆がしんと静まり返る。かける言葉が見つからない。
「あの、こういう時だからこそ、食事でみんなを励ませませんか?」
私がカラカラののどから絞り出した。先輩たちが目を真ん丸にする。
「元気にするって言ったって、食材も手に入らないのになに言ってるんだよ」
「だからこそ、ですよ。今すぐにとはいかないけど、ライフラインが完全に復旧したら、誰でも気軽にフレンチを楽しめる、立食、そうだ、立食パーティーみたいなの、開きませんか」
もちろん、そのためには材料を仕入れる費用が掛かる。手間も。
ボランティアで料理は作れないが、少しでも参加費を設けて、できる範囲内でフレンチを食べてもらう。
震災のさなかでも、ひとは絶対にものを食べる。極限状態であれば、どんなものでも。
正直、私は日本がどれだけ恵まれた国だったのかを、まざまざと感じた。
食べたいときにいつでもご飯が食べられる。コンビニに行けば弁当等がある。水だって、蛇口をひねれば飲める水が出てくる。海外ではこうはいかない。海外の水道水は、日本の様に飲めるものは少ない。
水を買う、というのは世界では当たり前のことであるが、私はこの震災を経て、初めて『水を買う』経験をした。
トイレだってそうだ。水が流せなければトイレは汚物で汚れて臭くなる。
風呂に入らなければ体がかゆくなるし、電気やガスがなければ料理もできない。食材の保管だってままならない。
食うや食わずの日々は、私の食への執着心をより一層芽生えさせた。
「人間って、食べなきゃ死んでしまうんですよ。でも、極論を言えば、食べられればなんでもいいはずなんです、生きる上では。それでも人類は、いかに食べ物をおいしく調理するかを研究してきた。食は人間の根源であり、一生の課題なんだと思います」
「なに講釈垂れて。おまえさ、料理の学校通っているからって、ちょっと世間知らずなとこあるよな?」
先輩コックの辛らつな言葉。もっとも過ぎて返す言葉もない。
「今さっき、コック長の義父母さんのこと、聞いてたか? コック長の心中察しろよ」
「……わかってます。でも、この催しは、食べるひとのためだけじゃなくて、作る側のためでもあるんです」
人間の三大欲求を満たせない今、そのうちのひとつでもいい、食欲を満たせたら、救われるひともいるのではないか。
「おまえ、この状況分かって言ってるのか? 薬が必要な人間に、薬情やお薬手帳の提示があれば処方箋なしで薬が処方された。それを取りに行くための車のガソリンがない。だったらどうする? 歩きか自転車で何時間もかけて薬をもらいに行く。そんな事態なんだよ。今は」
「今すぐにって話じゃないです」
「じゃあなんだよ、いつだ? 復旧したらとか、ライフラインが回復したらとか。そんなことどうでもいいんだよ。この災害で悲しむひとを救いたい? そんなのただの傲慢だ。コックにできる人助けなんてないんだよ。だってそうだろ、食は本能とか言ったって、こういう災害の時にわざわざフレンチを食べたがる人間なんていない」
先輩の言うことはもっともだった。
私は口をつぐむ。だからって、なにもしないよりはましじゃないか。
「なつき。おまえが誰かのために調理師になったのは理解してる。わたしも同じ境遇だったから。でもな、今回の件で思い知ったよ。わたしが幸せにしたかったのが、誰なのか」
誰のために作る。
誰のために。誰のためって、みんなのため。レストランを訪れる、すべてのお客様。
「わたしはね、恥ずかしい話、家では料理は妻に頼りっきりだったんだ」
コック長がぼそぼそと口を動かす。いつもとは違い、のっぺりとしたしゃべり方だった。
「でも、震災で。たった十日前のことだけど。十日前、妻の両親が行方不明になって、妻は食事も喉を通らなくなってしまって」
私も先輩コックも、境の言葉に耳を傾ける。
「妻に、『食べたいものはないか?』って聞いたら、『今までそんなこと一度も言ってくれなかったくせに』って言われてしまったよ」
力なく笑うコック長。
「だからね、私なりに台所に立ったんだ。私の家は、一足先にライフラインが復旧したから。でもね、わたしはフレンチしか作れない。家庭料理なんてからっきしで。炊飯器すら使い方がよくわかってなくて」
コック長がうつむき、ぎゅっとこぶしを握った。
「だからね、冷蔵庫に入ってたジャガイモで、冷たいヴィシソワーズを作ったんだ」
「……奥さん、今は大丈夫なんですか?」
「いや。今もまだ立ち直れてない。落ち着いたらご遺体を見に行かなきゃならないし」
コック長は私を見る。弱弱しい瞳だった。
「私が作ったヴィシソワーズを、妻が食べてくれたんだ。そしたら、『あなたの料理って、こんなにおいしいのね』って。わたしが作ったのは、スーパーで手に入る普通のジャガイモを、裏ごしもせずに作ったヴィシソワーズだったのに」
コック長の言いたいことが、私にはよくわからなかった。コック長の腕は一流だ。ならばどんな材料だろうと、おいしい料理になって当たり前だ。
「なつき。なつきは誰に『おいしい』って言ってほしくて調理師になった?」
「私、は。この店に来る、みんなにです」
「そうか。そうだな、なつき。きっとなつきは、その言葉の本当の意味を、まだ分かってない」
むっと口を結ぶ。
確かに私は半人前かもしれないが、誰かのために料理をする喜びは知っているつもりだった。
「わたしはね、この店をたたむことにしたんだ」
「え……?」
「やっぱり。コック長も色々ありましたもんね」
コック長が頷く。しかし、私は納得いかなかった。なんで。どうして。たたんでどうするんだ。
一緒についていきたいとさえ、思った。
「落ち着いたら妻の要望通り、安楽死をさせようと思う」
「え……?」
私の口から洩れたのは、間抜けな息だった。
なぜ。
「なんで……! なんで!せっかく生き伸びたのに!」
「おまえ、さっきから聞いてれば……! コック長の奥さん、家族を亡くしたんだ! 安楽死だってしたくなるだろ!? おまえには人の心がわからないのか!?」
そんなもの、痛いほどにわかる。
死にたいほどつらい現実も、だけど、それを乗り越えた先に幸せがあることも。
「わたしはみんなのために料理を作りたかったわけじゃなかった。妻がわたしのヴィシソワーズをおいしいと言ってくれて、気づいてしまったんだ。妻の決めたことに、私は従うつもりだ」
そんなの勝手だ。
「なんで!」
なんで、私が好きになった人間はみんな、そんな無責任なことを言い出すのだろう。
復興作業に何年もかかる。
「自分勝手で済まない。退職金は後程振り込む」
一か月ほどして、コック長は内陸の県へと引っ越した。奥さんが本当に安楽死を選んだのかは、わからない。
***
震災から一ヶ月。
冬休みが明けたその日、私は久々に真子に呼ばれてファミレスに赴いていた。
みんな、あの震災で友人や家族のありがたみを再認識した。
だから、真子は私と、亜美を引き合わせたのだと思う。
「す、素敵なネックレスだねえ」
思ってもいない言葉を亜美に向けると、満面の笑みを返された。
最初はそんな、他愛ない話からだった。
転校前の高校の仲良しグループは全部で十人いて、転校してからはなんの音沙汰もなかった。
特に亜美とは、ようやく縁が切れたと思っていたのに、目の前にいる亜美は、相変らず人生が楽しくてしょうがないらしい。
なぜだか真子は私と会う時は必ず亜美を誘うのだった。
「これ、いいでしょう? これに惹かれるってことは、なつきもアセンションの時なんだよ」
「あせん……?」
嬉々として語りだした亜美と私は、いわゆる問題児というものだった。
亜美は安楽死を違法に申し込み、私は拒食症で高校を転校。
「アセンションっていうのは、今地球で起きている大規模な次元上昇なの。私が通っている心療内科のドクターが詳しいから、今度聞きに来なよ」
「そう……考えとく」
私はあいまいに返事をして、真子はずずっとアイスコーヒーを飲み干した。
真子はいつも、都合が悪い話題には返事をしない。
だからいつも、亜美のこの話は私が相手をする羽目になる。真子がドリンクバーに席を立つ。
カツカツとヒールを鳴らす真子はすっかり都会の女だ。数ヶ月前まで中学生だった真子と亜美は、もうすっかり垢抜けた。
化粧をしてイヤリングをしゃらしゃらとぶら下げて、私の耳にはなにもないっていうのに。
亜美は不登校になったらしいからか髪をキンキンの金髪に染めて、イヤリングはいつしかピアスにすげ変わっていた。
「それでね、アセンションは人類の三分の一しか乗れないんだけれど」
「ねえ、あっちでなんか新しいコーヒー豆入れてたよ。めちゃくちゃおいしい」
帰ってきた真子が椅子に座り、話題を転換する。
亜美が「マジで!」と顔をぱっと明るくした。私がこのお茶会にまじる前は、ふたりきりでこのファミレスに通っていたらしい。
なんの話をしていたのだろう。やっぱりアセンション?
だったら真子が、亜美とお茶会の話が出る度に、私も一緒に誘うのは、その話題についていけなかったからなのかな。
「そういえば、なつきは拒食症治ったの?」
真子の話題転換であまりよろしくない方向に話が進んだ。私もドリンクバーに行けばよかったと後悔して、
「うーん、一応はまだお肉は食べられないけれど、ほかは普通」
体が拒絶している。今日こそは肉を食べようとしても、体が鉛のようになって動かない。涙があふれて息が苦しい。苦しい、酸素が足りない。
あっぷあっぷで口を開いて大きく空気を吸い込むのに、一向に酸素は私の肺に入らない。
私の肺は壊れてしまったのかもしれない。
「そうなんだ、うちの心療内科くればいいのに。アセンションすれば治るんだけどな」
「いや、私はちゃんとほかの心療内科に通っているし」
亜美がアイスティーのカップを手に、私に言った。なんて?
どこまでも他人事な二人に、私はあいまいに笑って見せた。キラキラのプリズムが真子の真っ黒な髪を綺麗に演出していた。
亜美の話を聞いていなかったら、単なるプリズムのネックレスだったそれ。
「うーん、でも、今の学校で少しずつ回復はしてるよ」
「そうなんだ。まあ、いつでもアセンションできるし」
真子が安心したようにアイスコーヒーのストローに口をつけた。
もう、亜美のアセンションの話は終わったらしい。結局、アセンションってなんだったんだ?
この肉体は宇宙から繋がる仮の姿で、本体は宇宙にあるらしい。
なんだそれ、ちんぷんかんぷん、蝶々がひらりとなつきった。
「そうそう。大学だって、何歳になってもいけるんだから」
亜美の言葉には重みがない。
きっとその言葉たちはアセンションのドクターの受け売りなんだろうなと、私は冷めたホットコーヒーを喉に流し込んだ。
ぬるいコーヒーって苦味が消えて酸味が際立つから、あまり好きじゃない。私は苦味の強いエスプレッソが、好き。
定期的に亜美と真子と会うようになって、私の生活は少しだけ安定した。
「でも、なつきまで転校するとは思わなかったよ」
「私も意外だった。真子と亜美がふたりで会ってるなんて」
きっかけはなんだったかも忘れたけれど、グループLINEで真子やほかの友達が海に行こうって話していて、私はいけないかなって返したら、真子から個別LINEが来た。
半年ぶりの連絡に、私の胸が踊ったのは言うまでもない。同時に後ろめたくて、返事をするか私は迷った。
「お母さんが、なつきががりがりに痩せて怖かったって言ってて、もしかしてって思ったらやっぱり拒食症かって。なんでそんなことしたの?」
亜美がわざとらしく私に言った。真子は亜美の悪意に気づいていない。
亜美は私に今でも敵対心を抱いている。
亜美がにた、と私にいやな笑みを向けた。
拒食症の原因なんて、亜美たちが安楽死事件を起こしたから、疲弊して自尊心を取り戻すためだった。
なんて、そんなことは今はもう、思わない。
病院の臨床心理士さんや神野看護師さん、お父さんお母さん、お姉ちゃん弟。みんなのおかげで、私は今、こうして生きている。
「ちょっと、間違ったダイエットをしてしまったんだよ。でも今は、それがおかしなことだったって自覚はあるし。無駄な経験でもなかったと思っているよ」
亜美が面白くなさそうに顔をゆがめた。
真子は、「そうなんだね、よかったね」と対照的に笑っている。
「本当は、私と佳代が、安楽死するって騒いだ事件のせいだって、思っているくせに」
亜美が本音をこぼした。
「そんなこと……いや、本音を言えば、そう思ったことはあるよ。でも今は、それは関係ないって思ってる」
しかし、亜美はわざとらしく泣きだして、真子がよしよしと背中をさすった。
「亜美だって、傷ついてるんだよ。なつきだってわかるでしょ」
「そうだね、私も、安楽死を考えたこと、あるもの」
え、と真子が固まった。
「なにそれ、初耳なんだけど」
「そりゃあ、誰にも言ってないもん。拒食症で私、入院したでしょう? あの時、一ヶ月近く身体抑制されて……おむつして、そこに用を足して、お風呂にも入れなくて。それで、生きているって言えると思う?」
真子が絶句している。どうせ、理解されないのはわかっていた。
「なんだ、なつきも私とおんなじじゃん。死にたがりのメンヘラなんだ」
亜美が嬉しそうに笑っている。
この子は昔から、悪意の塊だった。
「ま、まあ……そういうことも、あるよね」
真子が話題を転換する。亜美は、必死に私にアセンションのドクターの説法を溶いたけれど、私にはそんなものは、響かなかった。
ある夜、亜美からLINEが来た。個別に連絡が来たのは初めてで、私は連絡に気づいた午前三時、そのメッセージを何気なく開いた。
真っ暗な部屋にスマホのブルーライトが光っていて目に悪い。次に返事が来たら既読だけつけて寝ようと思った。
『なつきもアセンションの子供だから、次の日曜、広野先生のイベント行こう』
にこにこのペンギンのスタンプと、なんかよくわからない虹のエネルギーの書かれたスタンプ。
私はどう返信していいのか迷った。いつか誘われるとは思っていたが、その速さに苦笑すらできない。
既読をつけて、速攻で返信した。スタンプも顔文字もつけない。
『私はそういうの信じてないから』
『でも、なつきも安楽死選んだんだし。きっとなつきの転校もいい方向に向かうよ!』
先輩面されて、私は少しだけ腹が立った。亜美は私がアセンションすると信じて疑わないらしいが、そんなものこっちから願い下げだ。
私は間髪入れずフリック入力する。
『変だよ、それ。アセンションとか五次元とか。そんなもの存在するはずがない』
『は? なにそれ。なつきが折角心入れ替えたのに。ねえ、今度の休みに、直接話そう?』
断るつもりが、なぜだか今度は真子と亜美と私のグループLINEからの通知。すぐに開いて、
『今度の日曜日に、会えないかな?』
亜美のメッセージ。
ついた既読は私のものだけだ。今は午前三時、当然真子は寝ている時間だ。
私は読むだけ読んで返事をせず、その日はもう、布団に入ることにした。亜美のLINEを思い出して、布団の中でひとり憤慨する。なにがアセンションだ、次元上昇だ。そんなもの、存在しない。
存在したのなら、私はいったいなんだっていうのだろうか。
次の日曜日、私と亜美と真子はいつものファミレスで待ち合わせた。注文を済ませて各々がドリンクバーを持ってきたところで、亜美が私にではなく真子に話した。
「聞いて、真子。なつきがね、私の先生の話だとアセンションの子供だって。安楽死を選んだ子はね、アセンションの子供なんだけど」
「ああ、あのすごい先生の?」
真子は亜美の話を真剣には聞かない。
合わせているのだ。
私はわざとらしく顔をしかめる。
なにが『すごい先生』だ。亜美は狂信してるだけで、そこはある種の宗教と同じだった。
「それでね、なつきはアセンションした子供だってわかったのに、信じてないんだよ」
「だから、アセンションとか、宗教みたいで嫌なの」
「宗教じゃないよ。アセンションは合理的な次元上昇なの。私もなつきも、アセンションした五次元の子供なのに、なんでうれしくないの?」
「うれしいわけないじゃん。五次元なんて信じてないし」
「安楽死を望んだこと自体が、五次元に生きる証明だよ?」
亜美は心底広野先生に心酔しているらしく、なにを決めるのも広野先生の言いなりだった。
例えば、運動療法がいいと言われれば、付属のジムに通ったし、デイケアがいいと言われれば、デイケアに通う。
ただ、続くかは別問題だった。
亜美は今でも不登校だし不安定だから、どの療法も長くは続かない。けれど、それでいいのだ。
先生からしてみれば、自分の指示通りに動く患者は、いや、信者は気持ちがいいだろう。
そうやって傷の舐めあいをして、悦に入って、意味の分からないアセンションの講釈を垂れる。
次元が高いからアナタたちは生きづらいだけだよ、安楽死を選んだのが証拠だよ。
大丈夫アナタたちはなにもおかしくない。
なんて甘い言葉。
自分のせいじゃなくて他者のせい。
亜美さんは五次元だから次元の低い他者とかかわれなかっただけなんだよ。就職はまだ早いです。じゃあいつが? それは先生が見極めるから大丈夫。わかりました、私就職はまだやめときます。
そもそも、次元が高いだの低いだの、そういう考えかたが嫌い。誰しも人間は平等で、いいも悪いもない。
そう思う反面、幸と不幸だけは存在するのだから、私は頭がおかしくなりそうだった。
「私もさ、最初は学校なんて行きたくなくて生きづらかったけど、ちゃんとアセンションできたし。なつきもきっとちゃんとアセンションに乗れるよ」
なんともいえない、言葉にできない不快感を覚えた。亜美にできたから私にもできる、というのはいささか乱暴すぎないだろうか。
私がいまいちぱっとしないでいると、亜美はふっと眉間にしわを寄せたままに笑った。無邪気でいて邪悪だった。
「だからなつきは、拒食症なんてしちゃうんだよ」
「それは私も同感」真子が畳み掛けた。
亜美の言葉に、しかし私は呆れてなにも言えなくなった。亜美はどこまで私の話を他者にしているのだろう。
あることないこと、いや、拒食症は実際に患っているけれど。亜美から見た私って、どんな人間なのだろうか。
出来損ない? 光の子供?
でも、私はただ、真摯に調理に向き合っていた。
真子がことりとアイスコーヒーのカップを置いた。コーヒーのコップが汗をかいている。真子はナフキンでコップの結露を拭きながら、私に侮蔑の目を向けていた。亜美に悪気はないらしく、
「でも、大丈夫。肉が食べられないのもアセンション前の一時の落ち込みなんだって。なつきがアセンションするには必要なことだったんだって。私にはわかるよ」
なにもわかってない。これは私の問題で、たとえ真子でも立ち入ることは許されない。
亜美はそれをわかっていて、わざわざ真子の前でアセンションの話に結び付ける。
悪徳なやり方だ。安楽死が合法化したから、それをダシに患者を洗脳する心療内科なんてあってはならない。
けれど、今の私は、昔とは違う。
私はたくさん、たくさん悩んで、乗り越えて、時々後ろは見てしまうけれど、お母さんのために、自分のために、精一杯の人生を歩み出した。
だから、亜美の行動にも不思議と恐怖はなかった。
「きっとなつきも広野先生の話を聞いたら、自分の役割がわかるようになるよ」
「……さっきから、アセンションとか役割とか……! あんたになにがわかるっていうの!」
誰が私を救ってくれたの?
亜美も真子も、私の苦労を「大変なんだね」の一言で聞き流した。私はどこに行けばよかったのだろう。
亜美と真子のふたりだけのお茶会のままのほうがよかったね、きっと。
「私をくだらない話に巻き込まないで!」
「くだらない? は? 五次元に上昇してもいないくせに、私がくだらないって?」
真子はそこにいないかのようにふるまって、亜美は私の胸倉をつかんだ。ティーシャツが伸びて、ああこの子はまったくなんにもわかっていない。アセンションが悪いわけじゃない、私が言いたいのはその危うさ。
アセンションのみが世界の真実だと思い込む、視野の狭さと決めつけに他ならない。
「あんたみたいなただのメンヘラがアセンションなんて、こっちから願い下げだっていうの! あーもう、本当に腹立つ!」
亜美は財布から千円札を取り出して、テーブルにどんと起き席を立つ。真子が困ったように私と亜美を見て、しかし立ち上がることはなかった。
それは、覚悟していたことだった。少なからず、摂食障害をよく思わない人間がいることは覚悟していた。
証拠に、真子が私に向ける目も、言葉も、冷たかった。
「拒食症なんて、やっぱり私も甘えだと思う。私は止めたよね? なのに、食べなかったのはなつきだよね?」
真子の言葉は正しい。甘んじて受け止めよう。
だけど、亜美だって等しく迷惑をかけたのに、私だけがおかしいと断じられて、私は少しだけ落胆した。
「なつきももう、別の学校で友達できただろうし、もう会うこともないだろうね」
真子の言葉には血が通っていなかった。
どこまでも他人事に、事務的な言葉。
昔の私なら、それだけで折れていたであろう言葉だった。
でも生憎、私は真子や亜美が否定する拒食症に――それを通じて出会った人によって、救われた。
人間のなんたるかを知った。
悪意のうらにある真意も、儚さも愚かさも。
全てひっくるめて人間なのだと、今の私は知っていた。
春のファミレスは暑くも寒くもないはずなのに、私は羽織っていたラベンダーのトレンチコートを脱いで、隣の椅子に掛けた。
「私、何度も言うけど、拒食症はつらかったけれど、今はすごく幸せだよ」
私はルイボスティーに口をつけた。お母さんの淹れるものと違って、癖が強い。ぬるくてちょっと、臭みがあった。
真子はどちらの味方をするわけでもなく、どちらの意見も聞きたいらしかった。昔から変わらない、広く浅く。
「真子と亜美がどちらの話を信じるのかは勝手だけど。私は真子にも亜美にも嘘ついたことないし、亜美との仲を裂こうとしているわけでもないよ」
「待って、うん、整理つかない」
真子は亜美に助けを求めた。亜美は、「なつきがおかしいじゃん」と真子の手を取った。
真子はそのまま立ち上がり、私を見下ろす形になる。
真子が即断できないところを見ると、亜美の言葉も信じているのだろう。
私ってそんなに信用なかったのかな。そもそも、亜美は相変わらず外堀から埋めていく。
私の動向が気になるのなら、一対一でお茶に誘えばいいじゃない。
私は逃げも隠れもしないんだから。
まあ、誘われたって、私はアセンションなんてしないし、仲直りもしないのだろうけれど。
「言い訳ってそれだけ? じゃあ、私たち帰るね」
亜美が真子を引いて歩いた。私は止めもしなかった。
***
亜美と真子は、二人で鎌倉や京都に行くくらい仲が良くて、ならなぜ真子は亜美とのお茶会になつきを呼んだのだろうか。
少なからず、あんな別れかたをして、なつきは少しだけ意気消沈していた。
しぼんだ風船
けれど、亜美のアセンションの話を聞かなくて済むのなら、致し方ないとも思ってしまう。亜美のアセンションと私の拒食症。
真子は亜美を取ったけれど、生きるために仕方なしに拒食症になった私の気持ちを、わかってほしかった。
わかったらわかったで軽蔑するのだけれど。
『なつき、月末の日曜に亜美とお茶するんだけど、来る?』
真子から一ヶ月ぶりにLINEが来て、私は返事をするのに二日かかった。LINEを立ち上げて消して、文章にして送るのを躊躇ってはまた消して立ち上げて、またさまよう。宇宙のなかにひとりだけ、取り残されてしまいそうだった。
『私が行ったら、真子の立場が悪くなるよ』
『でも、喧嘩別れなんて嫌だし』
とは言っても、真子は亜美を宥めるわけではないようだった。
つまり、内緒でそのお茶会に来て自分で仲直りしろということらしい。
どこまでも他人事で、だからこそ私の転校になにも言わない。一拍迷って、
『何時から?』
『いつも通り、十一時』
『わかった。行くかはわからないけど、考えとく』
行ったところでなんの解決にもならないと思ったけれど、私はもしかしたらわかりあえるかもしれないと期待して、日曜日のファミレスに足を運んだ。
本格的な春が始まろうとしていた。
曇天の空の下を自転車で走って、私はいつものファミレスの重いドアを開けた。白い息が消えて暖房のあたたかさに血管が一気に拡張した。
偏頭痛のひとはこの寒暖差だけでも頭痛になるらしいから、私はその点は恵まれている。
頭痛なんて年に一回かあるかないかだ。
いつもの席に二人を見つけて、私は意味もなく足音を消してそこに歩いた。テーブル脇に立つも亜美は私のほうを見なかった。私は存在しない。
「なんでこのひとがいるの? まさか真子が?」
もはや名前すら呼ばなかった。
虫を見るような目で、亜美は席に座ったまま私にじっとりとした目を向けた。
存在しなかった私が地球に現れて、宇宙の無酸素から酸素を得て、私は暖房の埃なつきう空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
まったく酸素が行き渡らない。ここはまだ宇宙のなかだ。
「ごめん、やっぱり喧嘩したままはよくないと思って」
「そのひとが無理やり聞き出して押しかけたんでしょ。キモ」
「亜美。話を聞いて」
私は亜美の向かいに座る。
隣の真子は少し体を奥に座り直した。
真子はドリンクバーのホットコーヒーのカップを意味もなく手で包み込んで、冷えた手をあたためている。
「私、アセンションは信じてないけど、亜美とは友達だと思っていて」
「信じてない? じゃあ、なつきの拒食症はただの怠惰だね」
「え?」
「アセンションじゃないなら、なつきの拒食症の理由なんてないじゃん」
理由は前にも話したのに、亜美にとって世界は、アセンションかそうじゃないかにわかれるらしい。
だったらきっと、最初から私も亜美もこの世界には存在しない。
あなたがアセンションだって証明するものはないのだから。
仏陀の弟子は解いた。
地獄から帰還したものがいないのは、罪を犯したものがそう簡単に釈放されないからだ。
されば天界から帰るものが居ないのは? トイレに溺れた人間がそこを脱して、再び汚れた世界に戻りたくないのと同じだ。
死した人間から魂が抜けるのを見ることができないのは? 寝ているひとの夢のなかを覗けないのと同じだ。
人体を解剖しても心なぞ出てこなかった。木から火を起こすには斧でも臼でもなくキリが必要であるように、心を見るには修行が必要なのだ。
もっともらしいことを言うが、私は自分の考えを変えることにプライドが許さない。乾いた豚のフンを頭に乗せて、「雨が降ったら大変なことになる」と言われてもおろさず、酷い目に合うようなものだ、また、敵を回避するのにフンをかぶって対峙するのは、下劣な考えで聖職者に向かうそのものである。
でも死後の世界は誰も知らないのだから、輪廻があることだって証明できない。
死んでみなければ、だれにも答えはわからないし、死んだ人間が生きた人間に死後の答えを伝えるすべはない。
だったらやっぱり、輪廻は存在するの?
「そんなこと言ったら、真子だってアセンションしてないじゃん」
「えぇ、なつき私を巻き込まないでよ……」
困ったように真子がテーブルのうえで手を組んで、おでこを乗せて俯いた。ホットコーヒーは冬の寒さで冷めきって、真子は半分以上残したそれをじっと見ていた。
「真子はいいの。私の友達だから、アセンションするし」
「そういう話じゃないよね。私も真子も、アセンションなんて信じてないよ」
がん、とテーブルを叩いて亜美が立ち上がった。私を見下ろして顔を真っ赤にして、
「真子はアセンション信じてるでしょ!」
「わた、私は」
真子は亜美を宥めようと立ち上がり、私と亜美を交互に見ている。
私は立ち上がらずに亜美を見上げて、スンとした表情を浮かべてやった。
ひとは見えないものは信じないし、いくら仲のいい友人だって、宗教の自由があるし、なにを信じて信じないかは、私と真子の自由だった。
「真子、真子はなつきの味方なの!?」
「味方とか……私はどちらも友達だと思ってるし」
「このメンヘラを?」
「それは……」
亜美が私を鼻で笑った。メンヘラ、メンヘラと繰り返して、なにか納得したように頷いた。
いびつに口元が弧を描く。
私は亜美のこれが苦手だった。
「アセンションに失敗するとね、次元がさがるひともいるんだって。あんた、三次元未満ね」
きっと亜美は私と喧嘩したあとに、広野クリニックで私の悪口を言ったのだろう。
それできっと、広野先生は次元がさがる話を亜美にしたのだろう。
それは最初からわかっていたし、わかっていてなお、私はここに来た。
一縷の望みにかけたかったが、どうにも亜美は、広野クリニックの先生の言葉こそが真実で、他者の言葉は偽りだと思っているらしい。
そして広野先生のアセンションを理解している自分が世界の理で、私はアセンションから落とされた。
「真子、帰ろう。この子頭おかしい」
「真子」
「亜美……なつき……」
どちらの味方なんてしなくていい。
どちらも友達だよって言って欲しかった。
真子は広く浅く友達と付き合うし、だから私とも仲良くしてくれた。
それは別に悪いことじゃないし、それが真子だと言ったらそれまでだ。
「もしかして、真子も拒食症で痩せたなつきがうらやましいの?」
亜美の言葉に、真子は私を突き押して席を出ていった。
ファミレス内の雑踏が一気に凪いだ。
さわさわ、さわさわ。
耳鳴りが聞こえる。血流が私の耳のなかを駆け巡っている。
「拒食症なんて、最低だよ。私は止めたし、それを聞かなかったのに、いまさら仲良くはできない」
それを言ったのは、真子だった。
自分で望んだ訳でもなく、私は広野クリニックに足を踏み入れた。
どうにも納得がいかなかった。
亜美をあんな風にしたドクターは、どれほどの人格者なのだろう。
亜美を心酔させる先生は、どれだけカリスマ性を持つのだろうか。
「初めまして。話は聞いてるよ。なつきさん」
診察室に入ると、二畳ほどの狭い部屋にデスクがあって、座り心地のよさそうなチェアに座った広野先生らしき男が私を見ていた。
髭を蓄えた先生はそれを撫で付けて、「うん」と頷く。
広野先生の後ろにはドアがあって、そのドアの窓から事務員がストップウォッチを持ってこちらを睨んでいた。
「アセンションって、なんなんですか」
「なるほど。それを聞きに来たか」
「はい。……友人がアセンション、アセンションっておかしくなってしまったので」
ヒク、と広野先生の眉が上がった。顔をひきつらせてため息をひとつ。うーん、と手を組んでデスクの上に置き、手の上に額を乗せて口元を歪ませた。
それがあまりにも恐ろしくて、私はなにも言えなくなった。
「アナタはアセンションしてないね。だからそんなことを聞く」
「そうですね。私はアセンションなんてしてませんよ。信じてもいません。胡散臭いと思ってます。宗教の一種みたいだと。安楽死に便乗した、救済のていを取った洗脳だと」
広野先生は今度は天井を仰いで、声を上げて笑った。
ははは、参ったな。とでも言いたげに私を見て、
「ならもう、うちには来なくていい!」
キィと椅子を軋ませ立ち上がり、広野先生は部屋から出ていった。
ストップウォッチを持った事務員が広野先生に時間を見せる。きっかり三分。
「……こっちから願い下げだよ」
呟き、私もカウンセリングルームを出る。
結局私の拒食症は私の問題であるし、亜美はどこまでいっても自分のことしか考えていない。
広野先生だって、自分に従う患者だけを手元に残して、私のように疑問を抱くものたちの診療は拒絶する。
そうやって亜美も広野クリニックという宗教にのめり込んで行って、成せもしないアセンションへの祈りを捧げ続けるのだ。
私はその帰り道、亜美にLINEを送った。
「広野クリニックに行ったよ。でもやっぱり、アセンションなんて信じられない。それに、亜美にはひどいことを言われたよね。だからもう、今後は会わない。今までありがとう」
LINEをブロックして携帯をカバンにしまう。
私は亜美の友達じゃない。それは亜美も同じだ。
私のなかで、ようやく答えが出たような気がした。私はきっと、ずっとこうしたかった。
真子との関係までこれで切れるのなら、残念なことだけれど仕方がない。それでも私は、一歩前進した自分を褒めてやりたかった。
帰りの足取りは軽やかで、誰にもばれないように少しだけスキップしてみた。着地の瞬間脳みそがぐらぐら揺れて、私のステップで世界が崩れていく、生まれ変わっていく、輝いていく!
六
私は相変わらず、お肉が食べられないし、家以外の場所での食事が苦手だった。
その日、転校前の友人から連絡が来て、私の体が震えていた。
「お母さん!」
泣きながら、お母さんにしがみついた。
八十田先生が事故を起こして、教師を辞めたって、なつきにも知らせた方がいいかなって。
私は春休みに入っていた。その日聞いた話によれば、八十田先生は家族で旅行に行った帰り道、高速を運転中に、ダッシュボードに入れておいた地図を取り出そうとして運転を誤った。そのまま八十田先生の車は反対車線にはみ出して、対向車と衝突。
八十田先生のご家族は重傷を負うも、命に別状はなし。しかし。
「衝突した相手の車の運転手のお父さんが……亡くなったって」
そして、同乗していた母親と幼い娘は助かるも、共に重症。
八十田先生は、交通刑務所はまぬかれたものの、損害賠償を請求されて、保険では到底賄えなかった。だから教師を早々に退職して退職金も賠償金に当てた。けれどきっと、それだけでは足りないだろう。
私は息をすることができなくなって、お母さんにしがみついたまま声を出して泣いた。あんなにいい人だったのに、八十田先生は人を死に追いやった。八十田先生はその罪を一生背負って生きていかなければならない。もしかしたら、それを苦に、安楽死を選ぶかもしれない。
「事故があったの、私が転校してすぐらしい」
「うん」
「だから、私、八十田先生に、会いに行きたい」
行ったところで、私になにができるわけでもないけれど。
私はその日、八十田先生に連絡を取った。なんで今更連絡したのかなんて、理由は告げなかった。
八十田先生に会いに行きたいです。いいですよ。
電話の先の八十田先生の声は、あのころと変わらず穏やかで、私はまた、泣きたくなるのをこらえた。
次の日曜日、私は手土産を持って八十田先生の家を訪ねた。
教えられた道順はわかりやすく、私の額には汗が滲んだ。春の生ぬるい風が桜の花弁を舞い上げる。私を先生の家にいざなうようだった。
ぴんぽん、チャイムを鳴らすと、がちゃり、ドアが開いた。
「待ってましたよ」
「あ……」
「ああ、これ? 事故で動かなくなってしまって」
後遺症があったなんて、聞いてなかった。八十田先生は車いすに乗って、額には痛々しい傷跡が残っていた。
私は八十田先生の家に上がる。思っているより散らかっていた。介護士さんらしき人が八十田先生の車椅子を押した。
「あの、これ」
「ああ、気を使わなくていいのに」
手土産のクッキーを渡して、介護士さんが麦茶を出してくれた。そのまま介護士さんは洗濯を干しに外へ歩いていった。私と八十田先生のふたりきりになって、しばし沈黙が流れた。
「すみません。私、なにも知らなくて」
「いや。いいんだ。元気そうで、先生も安心しました」
今も八十田先生は教師を続けているらしい。賠償金をはらうためか、生活費のためかは聞けなかった。
「先生、死んだりしない、ですよね」
「死ぬ? わたしが?」
先生が困ったように笑っていた。先生ならば、安楽死の条件に当てはまる。実際、この家に来た時、私は見てしまった。ポストに入った心無い手紙。『殺人者は出ていけ』
「妻と子供は、離婚したんだ。でも、ふたりを守るためだった」
「じゃあ、今は一人で」
「ああ。でも、相川さんが調理師の高校で上手くやれてるって聞いて、わたしもうれしいなあ。今度、お料理食べさせてくださいな」
ふふ、と笑って、八十田先生は麦茶のコップを手に取った。その手は、震えている。
私も麦茶のコップを手にとって、それを一気に飲み干した。鼻の頭に汗がにじむ。
ふいに、ダイニングテーブルの方を見る。テーブルの上に、『安楽死のご案内』そう書かれた手紙が見えた。体が氷のように冷たくなった。
汗が私の体温を奪ったからではない。
声が震える。息が上手くできない。一度深呼吸をして、私は息を吐き出すように、囁くように、言葉を出した。
「安楽死……先生は、安楽死は、考えたことはないんですか」
先生の視線がダイニングテーブルに向いた。隠せないことを悟ったのか、隠す気がないのか、八十田先生は穏やかに笑ったままだった。
「……安楽死ね。ありますよ、正直な話をすれば」
やっぱり。私の体が今度は熱を持った。脳みそが爆発しそうなくらいに熱かった。
あの手紙は、八十田先生に宛てたもので間違いないようだった。先生は安楽死を、望んだ。それでも、踏み切れなかったのだという。離婚したとはいえ、子供の許可は必要になる。しかし、子供たちは八十田先生の安楽死を反対しなかったのだそうだ。
八十田先生は、病院で診断書をもらって、三親等内全員のサインをもらって、安楽死に申し込んだ。事故にあって三ヶ月経ったころのことだそうだ。
「先月、わたしの番が回ってきたんだけど。腕に点滴の管をつながれて。このバルブを回したら死ねます。って言われたんだ。看取りは誰も呼ばなかったよ」
それでも、八十田先生はそのバルブを回せなかった。最後の最後、踏みとどまらせたものはなんなのか、八十田先生にもわからないのだそうだ。
それは子供の存在だったのかもしれないし、妻の存在だったのかもしれない。
「子供の結婚を見届けたい。子供の幸せを。わたしは安楽死なんて望んでいたのだろうか? それに、わたしの罪は、わたしが償わなければならない」
八十田先生らしいと思った。優しくて、責任感のある。
昔からなにひとつ変わっていなかった。
八十田先生の目に涙が滲んでいる。それは八十田先生の血潮であり、生きている証でもあった。
命が瞳を滑り落ちて、八十田先生の頬を濡らした。
それこそが八十田先生の答えであり、私の答えであり、そしてそれは、死そのものであった。
「あまり長居したら申し訳ないので、私もう帰ります。今日は会えてよかったです」
「こちらこそ。相川さんが生きていてくれてよかったとわたしが思ったように、きっとどこかで、わたしが生きていてよかったと思ってくれる人が、いるのだと思えました」
それは私たちが持つ傷跡だと思った。
私は死ぬのが怖い。今でも怖い。だから、安楽死を望む人の気持ちなんてわからない。
わからないはずだった。
けれどきっと、あの入院の日々に、安楽死を願った自分も本当なのだ。
私は八十田先生の家に行った帰り道、適当なファミレスに入って料理を注文した。
私は家以外での食事ができない。できてもせいぜい、おにぎり程度だ。肉だっていまだに食べられない。
食べることは生きること。ならば私は、死にたがっているのだろうか。
ウェイトレスさんがステーキを運んでくる。ライスは大盛りだ。
私はナイフとフォークを手に取り、大きくステーキを切り取った。フォークで刺したステーキを口に運ぶ。大きく口を開けて、ステーキを舌の上に乗せた。
これは私だ。いつかの私だ。私は調理師になって、たくさんの人を殺し、たくさんの人を救う。
そこに命の重さなんてなくて、私は色即是空、空即是色。
今日も人為的に人が死ぬ。自然の流れで人が死ぬ。人の過ちで人が死ぬ。その中に、私の名前は、まだ、ない。
牛肉の脂が舌の上を通って喉の奥に流れていく。歯が肉をかみちぎって細かく砕いていく。
そして私は、大盛りのライスを皿からかき込んで、ステーキと一緒に飲み込んだ。
了
安楽死が日本で合法化されてから五年がたった。五年がたった今でも安楽死は一年以上の順番待ちで、志願するものが後を絶たない。安楽死に際し、国は厳しい審査基準を発表した。
一、肉体的、あるいは精神的に耐えがたい一定以上の苦痛を伴う病気であること
一、その費用は安楽死者の負担とし、費用は一律百万円とする
一、三親等以内の親族のすべてが安楽死者を保護することができないこと、かつ、それらのすべてから安楽死の許可を得ていること
ほか十数の条件があるが、特にこの三つで引っかかる人間が多く、いまだ安楽死への賛否は両論である。だというのに、安楽死は一年以上の待ちがあるのだから、日本がどのくらい病んでいるのかを物語るには十分だろう。
安楽死が合法化しても自殺者は減るどころか、今も右肩上がりだ。尊厳死を当たり前に!
国は死ぬ権利を等しく国民に保証せよ! 安楽死できない人たちに残されるのは、やはり自殺しかないのが現実だった。ずらりと安楽死の予約名簿が長い列を作っている。
そして、私の名前もまた、そこに載っていることだってあった。五年前の私は、まだ十七歳の子供だった。
夏に生まれたからなつき。私の名前はそんな風に安易に名付けられたともいえるし、だけど友達に覚えてもらうには十分すぎるほどだった。
昨今はキラキラネームのせいで戸籍にもフリガナを振るようになったが、私の名前は平仮名だから、読み間違える人間はほぼいなかった。八月二日、私は十八歳になって、就職が決まった。
「アンタが生まれたとき、本当に大きかったから難産だったのよ」
「でも、お母さんが悪いんじゃん」
この話は何度も聞かされた。私は真夏の生まれだから、暑くて腹帯を巻けなかったのだそうだ。
暑くて蒸れて、夜も眠れない。腹帯は育ちすぎを防ぐ役割もあったけれど、お母さんは途中でそれをやめた。そうやって私は自由奔放にお腹の中ですくすくと育ち、当時では珍しく生まれは三千七百グラムというジャンボベビーだったのだそうだ。
私がお腹にいたころ、私は毎日ドンドコドンドコ元気に動き回っていたらしい。産婦人科の先生が、「元気な男の子ですね」と言っていたほどだ。
結局は臨月になってようやく私の体全体がエコーで見えるようになって、「女の子……かもしれない」と先生が焦ったように言った。
生まれた私は、やはり女の子で、お母さんは念の為に考えていた女の子の名前を私につけた。
だからなつき。安易な名前。
今の時代は、小さく生んで大きく育てる、が主流だが、私の生まれがそれはそれは大きかったから、お母さんは将来私はバレーボール選手になるのではと期待していたらしい。
残念ながら、私にそんな運動神経はなかったし、そもそも私の身長は百五十五でとまってしまった。
私は何者にもなれずに、平均的な女の子に育った。お母さんはそれでも私をいつくしんだ。
背が高くなくてもなつきはなつきだもの。
「お母さんは、私になにを期待してるの」
「別に。健康ならなんでもいいよ」
そう言ってくれるようになるまでだいぶかかった。私は十七歳の時、体重が三十キロまで減ったことがあった。
それは拒食症と呼ばれる病気で、その年に、日本では安楽死を合法化する法律が定められた。
私はその日、学校に行けずに自宅にいて、テレビ越しにその施行を他人事の様に眺めていた。
芸能人やコメンテーターが命とはなにかを力説する。そんなもの、誰にもわかるわけないと思った。私は私の命を守るので精いっぱいだ。人の命なんて、これっぽっちも興味がない。
高校に上がって、私は勉強についていくことができなくなった。
お母さんの期待もあったし、お父さんの望みでもあったその高校は、私には少しレベルが高すぎた。受験で合格できたのは、ひとえに運だと私は思っている。
ヤマカンなんて良くないし、実力以上の高校に進学したら、苦労するのは目に見えていたのに。
私はどうしても、そこに通いたかった。姉と同じ高校だ。県内で一番偏差値が高い。お姉ちゃんはそこを無事に卒業して、この春めでたく大学生になった。大学も県内の国立で、全国的にも有名だった。
三年後の私はまた、両親の期待に応えるべく、お姉ちゃんと同じ大学を受験するのだと思っていた。
生まれたとき、三千七百もあった体重は、そのとき五十四キロになっていた。BMIだと二十二・四七。つまり平均的な体重。BMIは二十二が一番健康に生きることができるとされている。
私は高校に通い始めて、体重が四キロ増えた。中学までは五十で増えも減りもしなかったのに、高校の勉強についていけなくなった私は、そのストレスを食事に向けた。
ばくばく、もぐもぐ。
食べ物を飲み込むと、胸がスッとした。血糖値が上がると多幸感に包まれて、私は勉強のできない自分を忘れられた。
家に帰ってきたらおにぎりを握って食べて、夕食も普通に食べる。夜は勉強しながら夜食を食べて、朝はお母さんが作った目玉焼きとご飯を、昼はお母さん手製のお弁当を。
そうやって私の体重が増えていって、私は風呂上りに体重計に乗って戦慄した。ぴぴ、と電子音が私を笑った。オマエが食べたものたちは、確実に体に取り込まれている。
ふよふよのお腹を揉んで絶望する。太もももむっちりしてきた。
「お母さん、私太ったから、ご飯減らして」
「太った? 全然そうは見えないけど」
「でも、体重増えたし」
「成長期なんだから、少しくらい増えても大丈夫よ」
そうはいっても、スカートを短くするのがだいぶ恥ずかしくなってきた。足太いね、なんてクラスの男子に言われた日には、私は学校に行けなくなるだろう。クラスの男子は、体育の終わりにくだらない話をする。
女子は更衣室で着替えるから、女子が居ない教室で、男子たちはあの子が可愛い、この子はダメだと、女の子を見定めていた。
少しだけ食べる量を減らして、ちょっとだけ体重を落とそう。最初はそんな、軽い気持ちからだった。それに、高一であった悩みも相まって、私は高二の春ダイエットを始めるに至った。
私はまず、朝の白米を抜いた。
最初はすごく辛かった。おかずを食べたら白米が欲しくなるのは、今までの習慣で、私の中の食文化とも言えた。
けれど私は、血涙を流しながら白米の誘惑に耐えた。
すると体重が一気に三キロ減った。一週間で三キロだ。あと一キロ戻せば私のベスト体重だ。だが、そこからが、長い。
朝ごはんは目玉焼きとウィンナー、それからお母さんが手抜きで買ってくる刻んであるとんかつ用のキャベツだけ。お昼はいつも通りお母さんのお手製のお弁当。
夜は少し節制して、夕食前のおにぎりをやめたし、夜食も夜九時以降は食べないようにした。くぅ、といつもお腹が鳴いていた。
もしもこの時期に私の食生活が普通だったら、私はバレー選手みたいに高身長になったのだろうか。
私はひたすら耐えた。また体重が落ち始めるはずだ。停滞期はせいぜい三か月と言われている。
ならば私は、耐えるまでだ。私は白米を我慢した。朝の白米、昼の白米、夜の白米をすべてやめた。
なのに、ここ三か月体重の増減が一切ない。白米は相変わらず我慢しているのに。
「お母さん、お弁当はもう作らないくていいから」
「え。買うの?」
「まあ、そうだね。買う」
「じゃあ、お小遣い増やさなきゃね」
嘘をついた。
つくつもりはなかったけれど、別に最終的に買い食いに戻すつもりだったからさして気にも留めなかった。
お弁当の白米は、もうずっとゴミ箱に捨てている。
ごめんね、お母さんの愛情。食べたら太るから、白米だけは捨てても許して。
私はお昼ご飯を食べなくなった。クラスの友人の真子が私を心配してくれた。
「最近げっそりしてるけど。家ではちゃんと食べてるんだよね?」
「うそ、私痩せた?」
「痩せたって言うか、こけた」
真子は私なんかと違って足が細くて、なのにスカートを短くしない。勉強も私よりできるし、顔だってかわいい。私なんかとなんで仲良くしてくれているのか、私にはまるで分らなかった。
正直に言えば不釣り合い、相川は不破の引き立て役だよな、とはクラスの男子たちが話していたことである。むろん、相川が私で不破が真子だ。
真子は私をたびたび心配してくれたし、私はそれを適当に流した。ギシギシと髪の毛がきしんできた。
栄養が不足して肌がガサガサだ。でも、別に気にしない。食べれば直ぐに戻るし、今は健康体重に戻すのが先だ。
「やった……? 四十九?」
昼ご飯を食べなくなって、一か月で二キロの減量に成功した。私は体重計の上でガッツポーズをする。
このままいけば、もっと体重が落とせるのでは? そう思うと、昼ご飯を食べる気にはなれなかった。
白米は完全に体から抜けて、私は朝のおかずと夜のおかずで生き延びていた。
「なつき、やっぱりお昼ご飯食べないのはよくないよ」
「でも、体は軽いしいいことばかりだよ」
「だからって、もう三か月もおひるごはん抜いてるじゃない」
三か月たって、私の体重は順調に減っていっていた。今では四十五キロにまで減って、スカートをうんと短くしても恥ずかしくなくなった。
真子よりも細いんじゃないかな、と時折相子の足を凝視する。うん、やっぱり私、いい感じ。
「相川さんって子は、どこですか?」
「あ、私ですけど」
ある朝、朝礼の前の時間に養護教諭が私のクラスに来て、私は保健室に連れていかれた。
保健室の先生は女性で、看護師の資格を持っている。いつも保健室でにこにこしていて、人当たりがいい先生だった。
「相川さん。生理は来てる?」
「はい?」
「最後に来たのはいつ?」
なんでそんなことを聞くのかわからず、私はいぶかし気に保健室の先生を見た。生理はたしか、二か月来てない。
「ごめんね。最近急に痩せたから、具合悪いのかなって心配になって」
「大丈夫です。生理は来てるし」
目をつけられたくなくて、うそをついた。私は悪い子だ。
「でも、お昼ご飯、食べてないんだって?」
こんなこと、いち保健室の教師が知るはずがない。誰かが告げ口した、となれば、必然的にそれは真子以外思い当たらなかった。私は教室に戻るなり真子に詰め寄った。
「真子、保健室の先生に私のこと話した?」
「や……だって、最近痩せすぎだよ。心配だったの」
「心配? 嫉妬じゃなくて?」
「嫉妬なんて! なつきがただ、心配で……」
真子は気弱な女の子だから、その日以来、私の体重に言及することはなくなった。
同時に、いつの間にか私と真子の間に溝ができて、私はいつしかクラスで誰とも話さなくなった。
女子たちが私を見て笑っている。くすくす、ひそひそ。
「なんか、きもいよね」
「うん、やせすぎ」
そんな嫉妬、どうでもいい。私はきれいになりたい。細い足を見せびらかすように、短いスカートを翻した。
昼ご飯を抜いてから体重がみるみる減るのが楽しくて、私は夜のご飯も食べるのをやめた。
毎日、明日が来るのが楽しみだった。明日の朝の体重は、どれだけ減っているだろう。
ワクワク、そわそわ。
「なつき。お昼ご飯は食べてるんだよね?」
「だから、大丈夫だって。お昼にたくさん食べるから、夜が入らなくなっただけ」
朝ご飯はおかずだけ、昼ご飯は抜き、それで、夜も食べるのをやめた。簡単に体重が落ちていく。私の無駄な脂肪がそぎ落とされて、どんどんどんどんきれいになっていく。
私はそれがうれしかった。うれしかっただけだ、ただ単純に。
それでも私は、体重が四十を切った時点で、自分が拒食症であることを自覚した。
「なんで……」
体重計に乗って、なんとか三十キロ台にはならないようにと朝ごはんだけはちゃんと食べていたのに、体重減少は止まらなかった。どんどん、どんどん、私の体重が減っていく。心も一緒に壊れていく。
体重が減るにつれて、体力もなくなっていく。私は怖かった。このまま体重が落ちれば、死ぬのは目に見えていた。
死ぬ? 私が? なんで、なにも悪いことしてないのに。ただ私は、体重を少しだけ落として健康体になって、そうやって短いスカートをひらひらさせたいだけだった。
体重が三十五キロを切って、私は寝たきりになった。だるくて起き上がれない。日中も夜も関係なく、私は布団に横になった。
なのに太るのが怖くて、毎日筋トレは欠かさなかった。二階の私の部屋がきしんでも、お母さんはなにも言わなかった。
「なつき」
お母さんが、心配して私の部屋に訪ねてくる。
私は相変わらず寝たきりに見えた。本当は、太るのが怖くて毎日なにかしら運動をしていた。
お母さんは毎日仕事に行って、私の異変に気づくのが遅かった。お母さんがこけた私の頬をなぜて涙ぐんだ。
私は自分の中で賭けをすることにした。
私はきっと、このまま死ぬ運命なのだ。だけれどもし、お母さんが私の異変に気付いて、私の病気を治してくれたら。そしたら私は、もう少しだけ生きていこうと思っていた。
くしくもそのころ、安楽死を認める法化案が可決して、合法化したとたんに申し込みが殺到していた。
私には遠い世界の話を、栄養のいきわたらない体で聞き流した。
お母さんは、私のために仕事を辞めた。
私が高校に入学したら、仕事に復帰するのが夢だったとよく話を聞いていた。
だから私は、びっくりした。
お母さんに命をゆだねておきながら、私は母親の強さというものを甘く見ていたのだ。お母さんはなんらいつもと変わらなった。
中年太りの背中、いつも綺麗な髪の毛、毎朝のご飯作り。
「なつき。今度の日曜、お父さん映画に連れてってくれるって」
「私はいかない。お母さんとお姉ちゃんと、和樹だけで行ってきなよ」
私が拒食症だというのは、家族のだれもが知っていた。
私だけがつい最近気づいて、学校に行けなくなってもう半年がたっていた。
なんとか高校二年生には進学できたけれど、この先私はどうなってしまうのだろう。いまだに私はご飯が食べられない。
怖いのだ。恐怖、生存本能による恐怖。太ることは私の存在の否定だ。
あとで知ることになるが、拒食症にかかる患者は、まじめな人間が多いらしい。私はきっとそれに当てはまらないが、つまりはこうだ。
なにかに挫折した人間が、ダイエットという成功体験を得ることで、自分には価値があると思い込んでしまう。
ダイエットは人間の本能に逆らう行為だ。人間の三大欲求のひとつ食欲を抑え込み、ダイエットに成功する人間はそう多くはない。
その少数の成功者なのだと痩せている自分に価値を見出せば、人間がどうなるのかなんて想像にたやすい。
もっともっと痩せることを望んでしまう。
やせている自分にこそ価値がある。少しでも食べれば太ることに恐怖を抱き、一日中食べ物のこと、体重のことばかり考えてしまう。
そうやって、食べないと死んでしまうことはわかっているのに、水すら口にするのが怖くなる。
安楽死なんて合法化するくらいなら、みんな拒食症になればいいんじゃないの、と私は思った。
餓死はもっとも簡単に死ねる方法だっていうのに、人間は百万円も支払って、安楽に死ぬことばかりを考えている。
馬鹿らしい。どうせ死ぬのだったら周りに迷惑を掛けずに、人知れず死んでいけばいい。
安楽死をするには現状、三親等以内に許可を得なければならないのだから、あの子は安楽死を選んだのだと、生涯家族は親戚に白い眼を向けられるのだろう。
だったら、私の様になにも食べず、孤独に死んでいくことこが、安楽死に変わる正当な死なのではないのだろうか。あいにく、私は賭けに負けて、生きる道を選んだけれど。
そうはいっても、私は相も変わらずご飯が食べられなかった。お母さんは、ひとりだけ映画に行かずに家に残ってくれた。
「これ、珍しいでしょ」
お母さんは、私がご飯を残しても、捨てても、必ず私のためにご飯を用意してくれる。うれしくて、申し訳ない。
今日は家族で映画に行こうって話していて、お姉ちゃんも和樹も楽しみにしていたのに、お母さんを私が独り占めしてとても罪悪感がひどかった。
お母さんはみんなと一緒に出掛けたと思ったら、ひとりだけ帰ってきて、手にはいつものスーパーの袋がぶら下がっていた。
そのスーパーのお魚が私はすごく好きだった。季節の魚が豊富にそろっていて、新鮮でおいしい。透明な目の魚は鮮度がいい証だ。
そこのスーパーで、お母さんが買ってきたのは鮎だった。初夏に差し掛かったとはいえ、スーパーに鮎が並ぶにはまだだいぶ早い。
お母さんはもしかすると、ほうぼうのスーパーを回って、わざわざ私のために鮎を探してくれたのかもしれない。
「塩焼きにするね」
証拠に、鮎は一尾しか買ってこなかった。
お母さんが台所にたつ。ひれに塩を厚く塗って、魚焼きグリルに鮎を入れる。スイカの香りがした。
「お母さん、私のことはいいから、映画に行きなよ」
そうはいっても、私はお母さんを独り占めできることがうれしかった。お母さんは魚をひっくり返しながら、
「いいの。お母さん、アクション映画は嫌いなのよ。怖くて」
「わかる。私は恋愛ものが好き」
「そう。じゃあ、今度お母さんとふたりで、見に行こうか」
見に行くことなんてできないってわかっているはずだ。
私はもう、体重が三十二しかなくて、立ち上がると必ず立ち眩みを起こす。私の立ち眩みは時間差で来るから、私自身も予測がつかない。
トイレに立ち上がって十歩歩いたところで砂嵐が起こって目の前が真っ白になって、慌ててしゃがんで血が巡るのを待つ。
耐えろ、耐えろ、と頭の中で祈ることしかできない。体に力が入らなくて、倒れてしまうこともままあった。
けれど、私は運がいいから、倒れるときに周りに人がいたことはない。たった一度をのぞいては。
その日は日曜日で、私の体重はまだ三十五あった。お姉ちゃんが居間でDVDを見ていて、私は水を飲みに居間に降りてきた。
「なつき。ご飯食べる?」
「いらない」
お姉ちゃんは私を心配してくれるけど、ご飯を無理矢理食べさせようとはしない。私はその日も適当にお姉ちゃんを流し見て、その隣を通り過ぎる。
間が悪かった。今日の立ち眩みはだいぶ時間がたってから起きて、私はお姉ちゃんのいる真ん前でしゃがみ込んだ。
「なつき!?」
「だいじょぶ、すぐおさまる」
しかし、運が悪いその日の立ち眩みは思ったより重く、私の体が後ろに倒れる。受け身なんて当然取れない、私の頭が床にゴチンと激突する。
その音があまりにも大きかったらしく、お姉ちゃんが涙目でお母さんに電話していた。
「お母さん! 大変なの! なつきが倒れた! しかも頭打った!」
その件で、お母さんは仕事を辞める決心をしたのだと聞いている。もっと早くにやめるべきだったね、お母さんが鮎を皿に乗せながら鼻をすすった。ほかほかと湯気をたてる鮎は、うねって口が開いていた。
「焼き立て。食べる?」
「……うん」
最近の私の食事は、朝ごはんに味噌汁一杯、昼には八枚切りのパン一枚と、おやつに低脂肪牛乳。夜はなし。
だから、別に、まったくなにも食べないわけではないのだが、私は決まったもの以外を食べるのが怖い。イレギュラーなものを食べて体重が増えようものならば、私は部屋で、腹筋背筋スクワットを、それぞれ百回ずつ行う。
毎日朝昼晩に体重計に乗って、少しでも体重が増えると自分に運動を課す。私は死ぬのが怖いくせに、なにも食べられない。こうやってたまにお母さんが珍しいものを買ってくれた時は、申し訳ないから少しだけは食べるけれど、そのあとは、食べたカロリー以上に運動をして、結局私の体重は増えないままだ。
八十田(はとだ)先生という理科の先生が、私は好きだった。
八十田先生は私のことをそれはかわいがってくれて、だから私が学校を休みがちになって、先生は定期的にお母さんに電話をくれていたようだった。
お母さんは誰かと電話する時、自分の部屋にこもるから、電話の相手が誰なのか、私はずっと知らなかった。
「事情を話したら、高認を受けたら単位になるって教えてくれたの」
「高認?」
「うん。高校卒業程度認定試験。国語とか数学の試験に合格すると、単位になるんだって。もちろん、出席日数が足りてることは条件になるんだけど」
夏休みになって、お母さんが私にそんなことを教えてくれた。試験は年二回、八月と十一月。
試験を受けたとして、今年の出席はどうあがいても一か月くらいにしかなっていない。診断書を出せば出席日数も少しは融通が効くらしいけれど、私は診断書なんて書いて欲しくなかった。
「八十田先生が、今度うちに来たいって言ってるんだけど」
「やだよ、私は会わない」
「でも、すごく心配してて。ほかの先生はともかく、八十田先生は本当になつきのこと心配してるよ」
不登校の生徒の家庭訪問なんて、一昔前にほろんだと思っていた。時間外の教師の勤務に厳しい声が上がったのは、そう昔の話ではない。
私は先生が好きだからこそ断りたかったのだが、それでも八十田先生は折れなかった。結局私があきらめて、八十田先生は私の家に来たのだった。お母さんが普段は散らかっている居間だけを綺麗に片した。
ものをあっちからこっちに移動しただけだから、片付けとは言えないけれど。
「相川さん、久しぶりですね」
「あ、はい」
「これ、夏休みの課題」
八月も中旬になっていた。
担任の教師は私に課題を届けることすらしなかったのに、八十田先生は教師のかがみなのではないかと思う。
私を見ても顔色一つ変えなかった。
本当は、痩せすぎて気持ち悪いと思っているんでしょう?
疑心暗鬼から笑顔が不細工に引きつった。
「頑張りやさんだから、疲れちゃったのかな」
「いえ。ただの拒食症です」
私はきっぱりと八十田先生に告げた。
八十田先生は笑っている。
私を嘲笑っている訳ではなく、その顔には慈愛が見て取れた。私の顔の緊張がとけて、自然な笑顔を向けられたと思う。
「そう。まじめだからね、相川さんは」
「はあ」
その意味が、私にはわからなかった。
あとで聞いた話、八十田先生は私が拒食症であることを知ってから、様々な文献を読んだのだそうだ。そのうえで、お母さんにアドバイスもしていたらしい。
例えば、拒食症の子は幼児退行が起こるから、お母さんの役割が重要になるとか、非日常を作って、食べるきっかけを作るといいとか。
お母さんが私のために映画に行かなかったのも、鮎を買ってきてくれたのも、きっと八十田先生のアドバイスだ。
大人は嫌い。嘘をつくから。
でも私は、八十田先生だけは嫌いにはなれなかった。
八十田先生は世間話をしただけで、そのまま私の家を出ていった。
拒食症を自覚して半年たって、夏休みが終わろうとしていた、八月の末。
じーわじーわと蝉が最後の力を振り絞って、地面に仰向けに転がっていく。
私はお母さんに誘われて、一緒にスーパーに買い物に来ていた。本当は家で寝ていたかったけれど、最近は寝てばかりでは太るのではと恐怖がわいて、お母さんにくっついて歩き回っている。
まるで金魚のフンみたいに、ぴったりくっついて離れない。これが幼児退行と言うらしいけれど、それを知るのはまだだいぶ先の話になる。
訪れたスーパーは家から一番近くて、値段も安く設定されている。
その、出先のスーパーにはパン屋が入っていて、私はそこに、なんとなく入っていった。
お店の名前が理由かもしれない。
ベーカリー理恵。理恵子ちゃんは中学の同級生だった。
今でも覚えている、小麦の香りとバターの香り。私は、なにげなく、そのパン屋の試食を手に取った。
たった一口だ、これなら太ることもないだろう。なんでそう思ったのか、私にもわからない。私はそのアンパンのかけらを、口に入れた。甘い、あまい、生き返る、染みわたる。
あんことバターと小麦が、私の飢えを満たしていく。ずっと空腹でたまらなかった腹が、アンパン一口に癒されていく。こんこんと湧く湧き水のように、そのアンパンは私の細胞を潤した。
「あら、いいわね、お母さんも食べよう」
私の後をついてきていたお母さんが、アンパンの試食に手を伸ばした。なんの迷いもなくアンパンの欠片を手に取って、口に入れて咀嚼する。甘いアンパンがお母さんを笑顔にする。
私も笑って、久しぶりに私たちの心は穏やかだった。
「美味しい。買ってく?」
私はフルフルと首を横に振った。お母さんは「そう」とだけ言って、スーパーの方へと戻っていった。
私はレジの店員さんに頭を下げてから、パン屋さんをあとにした。
その日からだ。お母さんは毎日、買い物に出かけるようになった。その時は、必ず私を誘ってくる。
お母さんの一世一代の賭けだったのだと思う。本当は、お母さんは私に隠れて心療内科に通っていて、私の体重や食事量を医者に話していることを知っている。そして、お医者さまに一刻も早く入院させろと言われていることだって。
けれどお母さんは、私を入院させようとはしなかった。拒食症の入院生活が過酷を極めることを、知っていたからだ。
入院して食事を拒めば、患者は身体拘束されて、胃瘻を流されて体重が安定するまで動けなくなる。いまだ、精神科の治療なんて非人道的なもので、お母さんはそれを知っているからこそ、私を絶対に入院させなかった。
「見て、試食あるよ」
お母さんがソーセージの試食を指さした。私はフルフルと首を横に振った。
「みて、乳酸飲料の試飲だって」
やはり私は、それを飲まなかった。
何回かそんなやり取りを通じて、どうやら私は、あのスーパーのパン屋のアンパンだけは試食に手を伸ばせることが分かっていった。私自身もそれがなんでかなのかはわからない。
お母さんも私にその理由を聞かなかったし、聞かれたところで答えられなかっただろう。
お母さんは、私をそのスーパーに毎日連れて行った。私とお母さんは、そのスーパーの試食のアンパンを食べるだけ食べて、なにも買わずに帰っていった。
お母さんと私が、そのパン屋で疎まれていることはすぐに分かった。
試食だけ食べてなにも買わない厚かましい親子が現れると、いつしかそのパン屋さんは、私たちを見るなり試食のトレーを下げるようになった。それでもお母さんは、なにも言わなかった。
深夜に、お父さんとお母さんが言い争っていたことを、私は知っている。
「そんなみっともないことやめろ!」
「だって! あの子の命がそれでつながるなら、みっともないもなにもないでしょう!」
「だから! 入院させろ! 今すぐに!」
お父さんは世間体を気にして、私の試食をやめさせたがった。けれどお母さんは、世間体なんて気にも留めない。ただただ、我が子がかわいい。パン屋に疎まれようが、世間に後ろ指さされようが。
お母さんは懲りずに、私をスーパーのパン屋に連れて行ってくれた。
二、理恵ちゃん
もしも記憶をそのままに、過去をやり直せるとしたら。
誰もが一度は考えたことがあるだろう。
宝くじを買う? 株で儲ける? 勉強を頑張る? 入試をやり直す?
私の答えはそのどれでもない。私はただ、高校一年のあのころを、ひたすらにやり直したいと願っていた。
高校に上がる前、担任の教師と私は、ほかの生徒より仲が良く、春休みには担任の先生のデスクの整理を手伝うくらいだった。
今思えば、デスクの整理という時点で察しが付くが、その先生は別の小学校への転勤が決まっていた。
しかもただの転勤ではない。転勤先の学校は私立の中学校で、地元では有名な進学校だった。
私はそんな先生の生徒になれて、とても誇らしかったのを覚えている。
離任式には当然のように友達と小遣いを出し合って、お別れのプレゼントにマグカップを渡したのはいい思い出だ。
「O中学校出身の、相川なつきです。趣味は読書で、部活は決まっていません。よろしくお願いします!」
高校に上がっても、私はなんの悩みも不安もなかった。
中学校の先生の計らいで、中学校から持ち上がりで同じクラスになった仲良しの亜美がいたというのもあったし、小三で転校する前の学校で仲良くしていた真子が同じクラスだったこともある。
そのころの私は楽観的で、能天気で馬鹿で愚かだった。
このころはまだ、安楽死の法案は採決されていなかった。しかし、法案はまとまり切り、あとは施行を待つのみになっていた。
相変らずワイドショーは安楽死でもちきりだった。
クラスのムードメーカーともいえる私は、みんなの前で馬鹿な発言をくり返し、おどけた行動でみんなをわかせた。
みんな一様に私を「馬鹿」だと笑う。笑われると楽しくて、なのにどこかむなしかった。どうにか新しい高校になじむのに必死で、私はやり方を間違えた。
その時のクラスメイトに、私とまた違った方向で目立った生徒がいた。彼女は私とは違う中学校の出身だから、彼女のことはよく知らなかったけれど、私と同じだ、と私は感じた。
「田中理恵子です」
小さく早口に、もそもそと自己紹介をした彼女は、出身小学も部活のことも、中学での目標も。なにも語らず、自己紹介するとすぐに椅子に腰かけた。
ひそひそと私の前の席の女の子が隣の席のお友達に耳打ちしていた。
「理恵子ちゃんって家ではおしゃべりらしいよ」
「マジで? なにそれ、猫かぶりじゃん」
その時は私もさして気にしなかったけれど、彼女たちの言葉の意味を、私はすぐさま理解することとなった。
理恵子ちゃんはしゃべらない。本当に、なにも。
授業中に先生に指名されても、作文の発表会があっても。誰かが話しかけても、誰かと話さなければならない場面でも。
彼女はいつも、教室の自席に座って、じっとしていた。私が見る限り、トイレすら行っていない。
「なつき、どうした?」
中学校からの同級生の亜美が私を呼んだ。
「なんだっけ」
「なんだっけって。ほんとなつきは能天気だよね」
最近、亜美は真子がお気に入りだ。どこに行くにも真子の手に自分の腕を絡めて、ニコニコと上機嫌に真子を独占する。
真子は事なかれ主義で、どちらかと言えばドライで広く浅くなタイプだった。証拠に、彼女には吹奏楽部のお友達が七人以上いて、そのどれとも仲良しだった。私には考えられない。
今のクラスで私が仲良くしているのは、真子と亜美、それから心美と奈留と、それくらいだ。
でも、一番の仲良しは真子だと自分では思っている。確かに亜美とも仲はいいけれど、亜美より先に私は真子に出会っていたし、転校してからも私は真子と文通をしていた。だから、高校で再会できたのは奇跡だと思った。
それとは別に、私は亜美に不信感を抱きつつあった。亜美は中学生のころ、どちらかと言えば目立たない子で、授業参観には必ず学校を休むような、やや不登校のケがある女の子だった。クラスメイトはみんな、亜美を嫌っていた。亜美の家が生活保護だっただからだ。
私にはそれがばかばかしく感じた。別に、亜美の家庭と亜美は別人なのだから、亜美が嫌われる理由なんてどこもないと思ったのだ。
だから私は、中学二年のある朝、何気なく亜美に挨拶をした。
「おはよう、亜美ちゃん」
きょとん、と亜美が固まって、けれど嬉しそうに「おはよう」と返してくれた。
その翌日、今度は亜美が先に私に朝の挨拶をしてくれたことがなんだかうれしくて、でも照れ隠しに私は、「今日は亜美ちゃんに先越されちゃったね」そう言った。
それをきっかけに、亜美と私は、毎朝どちらが先に挨拶できるのか、競うようになった。同時に、亜美が学校を休む日が少なくなったのは言うまでもない。
「なつき、亜美ちゃんとは遊ぶのやめたら?」
ある日曜日、お母さんがだしぬけに私に言った。
「なんで?」
私は反抗的に返した。
「亜美ちゃんって、お母さんがアレだから、常識がないってもっぱらの噂よ。武美ちゃんちに遊びに来た亜美ちゃんに、『お昼ご飯だから家に帰ったら?』って遠回しに言ったら、亜美ちゃん『家に帰ってもお母さんはご飯作ってくれないので大丈夫です』って。武美ちゃんのお母さん、結局亜美ちゃんの分までご飯用意したらしいわよ」
別に、だからなんだというのか。確かに厚かましいかもしれないけれど、帰らせなかった武美ちゃんのお母さんだって悪いのではないか。
私は母の言葉を右から左に聞き流して、最悪の気分で亜美との待ち合わせに向かった。亜美は私にアイスをおごってくれて、ふたりで遊ぶ時間はあっという間に過ぎていった。
今更になって、私は母の言葉の意味を理解した気がした。最近の亜美は真子に夢中で、私に対して扱いが適当になったのは確かだった。
「なつきのばーか。安楽死しちゃえ!」
決定的だったのは、その一言だった。前後の脈絡は覚えていなかった。それだけこの言葉がショックだったのだ。
亜美はいつものように真子の腕に絡みつきながら、ストーブでみんなで暖を取る昼休み、はっきりと、まっすぐに私に言った。
もちろん、私以外に仲良しグループの友達がそこにいたというのに、誰ひとり亜美を注意するものはいなかった。
例え悪ふざけだとしても、友達に安楽死しろと言う亜美が信じられなかった。これはまさしく、安楽死の法案の悪影響に違いなかった。
そのとき唐突に理解したのは、亜美は中学生のとき私しか友達がいなかったから仲良くしていただけで、別のお気に入りさえ見つけ取り入ることができたなら、私なんて用済みだということだった。
なまじ亜美に不登校のケがあったから、小学校の担任が、わざわざ中学でも私と亜美を同じクラスにしたのがすべての間違いだった。
亜美の言葉に私はなにも言えなかった。
いや、顔には出ていたに違いない。
なぜなら亜美が、その日は真子ではなく私にべったりで、機嫌をうかがってきたからだ。
「なつき、今日も一緒に帰ろ」
「うん」
別に、いつもだって一緒に帰っているのに、その日の亜美は私にこびて、帰宅の道順を変えて、私の家の真ん前まで自転車で送ってくれたくらいだ。
けれど私はその日以降、亜美のことを信じられなくなっていった。噂は噂だ、そんなことを思っていた私は、なにも知らない子供だったに違いない。
亜美とは距離を置くようにして、けれど私は真子とは楽しい時間を過ごした。私がやり直したい高校一年生という時期は、つらいこともあったけれど、おおむね幸せな時期だった。
それでも、私がこの時間をやり直したいと思うのは、真子や亜美のことではなく、クラスメイトの理恵子ちゃんのことが気がかりだったからだ。
理恵子ちゃんは普段から誰とも話をしないから、必然的に友達もいなかった。けれど吹奏楽部に所属していたから、真子とは接点があるようだった。
「真子。理恵子ちゃんって部活でも友達いないの?」
「うん、ひとりで黙々と練習してるよ?」
真子はあっさりと答えたけれど、それを異常だと感じた私がおかしいのだろうか。亜美
だって、ほかのクラスメイトだって、私だってそうだ。理恵子ちゃんがひとりでいることに気づいているのに、誰もなにもなさずに日常が過ぎていく。
理恵子ちゃんはひとりだけれど、よく私たちのグループと行動のタイミングを一緒にすることが多かった。
例えば、理科室に移動するときとか、掃除で外に出なければならないときとか。
私はそれに気づいていたのに、どうしても理恵子ちゃんに言えなかった。たった一言だ、「一緒に行こう?」
その言葉を言えていたのなら、私の人生も、いや、理恵子ちゃんの人生は、違うものになっていたのではないだろうか。
二学期になって、理恵子ちゃんは学校に来なくなった。
「先生、私小学校一緒だったから、プリント渡しに行きましょうか」
前に、陰口をたたいていた女の子だった。「理恵子ちゃんって、家ではおしゃべりらしいよ」
どの口が言うんだ、私は憤慨して、なのになにも言えなかった。
彼女を不登校にしたのは、私のせいだ。
私や、このクラスが、彼女を害した。
「プリントは先生が届けに行ってきます。でも、理恵子さんが保健室に登校してきたら、誰か一緒に給食を食べに行ってくれませんか」
穏やかな先生の声に、だけれど誰も手をあげなかった。
真子すらもだ。
真子は理恵子ちゃんと部活も一緒だし、出席番号も近い。出席番号順で席が決まる理科の実験なんかでは、理恵子ちゃんと同じ班だったというのに。誰かがやらなければならないのなら。
みんなが私に注目した。
「なんで相川さん?」
「そんなに先生に気に入られたいの?」
「相川さん。ありがとうございます」
先生の声は相変わらず凪いだ海みたいだった。
「ほら、私ってこんなだから、恵美子ちゃんも笑わせられるかなって。あ、そうだ。真子も一緒にどうかな。同じ部活だし」
へら、と軽く言えば、クラスメイトが同意を示す。
普段の私はおちゃらけていて、だからこそ、私はふさわしくないのだとみんなは思ったのだろう。
けれど、私がここで手をあげなければ、クラスメイトは責任のなすりあいになっただろう。
私はただ、自分のために立候補した。私があの時、理恵子ちゃんに話しかけていれば、理恵子ちゃんが不登校になることはなかったのでは。
それは、贖罪に近い感情だった。
結局、理恵子ちゃんは中学二年生にあがっても学校には来なかった。理恵子ちゃんは、一年の時の先生の計らいで、私と真子と同じクラスになった。亜美は別のクラスになって、私は心底ほっとした。
「亜美が嘆いてたよ」
理恵子ちゃんのことはまるで事務的に対応するのに、真子は亜美に騙されている。
「なにが?」
真子の口から亜美の話は聞きたくなかったけれど、真子との関係は壊したくないから興味があるふりをした。
「最近なつきが一緒に帰ってくれないって。嫌われたのかなって言ってたよ。なんだか最近病んでいて、安楽死の法案に興味があるとも……あんな法律、採択されなければよかったのに」
そう来たか。そして、思った通りだった。
私は高校二年になって、亜美と距離を置いた。
まずは一緒に帰ることをやめたのだ。
クラスが違うのだから、帰りの掃除が終わる時間も違う。私のクラスはありがたいことに亜美のクラスより早く帰りの会が終わるから、私はそのままいそいそと教室を走り出る。
ちなみに、亜美と帰らないのは月曜日だけだ。
私の学校では月曜日は部活がない日で、その日だけは、私は誰よりも早く教室を出る。
亜美は、部活がある日は私なんか無視して先に帰る。私の所属する文学クラブは、部活終わりが遅くなることが多い。亜美は自分は私を待たないくせに、私が亜美を待たないのは気に入らないらしい。
真子はそんなこと知らないだろうけど。
「ちょっと忙しかったからなあ。次の月曜は一緒に帰るよ」
亜美はずるい。こうやって遠回しに外堀を埋める。私がここで、亜美を避けていると言えば、私と真子の関係は崩れる。
真子は亜美に対して絶大な信頼を寄せているから、私と亜美のどちらの味方をするのかと言ったら、絶対に亜美だ。
やはり、亜美という人間は、したたかで計算高い、恐ろしい女だと私は感じた。
高校二年の校外学習では、沖縄に行った。その時、私と真子は、理恵子ちゃんと同じ班になった。私は飛び切り張り切って、行きの飛行機の中でも、沖縄を散策する時間も、とかく理恵子ちゃんに快適に過ごしてもらうことだけを考えていた。
馬鹿な話をするのは嫌いじゃない。みんなは「嘘だ~」っていうけれど、そんなの作り話に決まっている。
けれど私は日常のあらゆるものを笑いのネタにして、なんなら自虐を交えて理恵子ちゃんに話し聞かせた。
「この前ね、ビュッフェでビーフストロガノフとオムレツが出たんだけど。私ドジだからビーフストロガノフが入ったお椀をぶちまけちゃって、しかもオムレツの上に。私が絶望してたら、真子が真顔で『なにしてるの』って。理由なく笑っちゃったんだよね」
「この前私の家に火星人が来たのよ、それもね、木星人と土星人も同じ場所に降り立って。彼らはこんな声でね、『あなたガタモチキュウシンリャクデスカ』『ハイ、ソウデス』『デハ、チキュウジンヲアザムクタメニ、ワレワレハカゾクトイウコトニシマショウ』って。ちなみに火星人は一本しか毛が無くて、木星人は五本、土星人は毛がなかったよ」
周りのみんなが笑って、理恵子ちゃんもむずむずと笑いをこらえてくれるのが分かった。
「ちな、私その時宇宙人に改造されたから、今日から私のこと、『火星人』って呼んでいいよ」
箸が転んでもおかしい年頃だった。理恵子ちゃんは帰りは同じ飛行機に乗らず、迎えに来たお母さんと一緒に帰っていったけれど、私はどこか誇らしかった。
理恵子ちゃんが学校に来られないことは変わらなかったけれど、私たちはどこか、友達になれたような気さえしたのだ。
それでも、理恵子ちゃんが学校に来ることはなく、いつしか彼女は転校して、顔を見ることも、後悔を告げることもできなくなった。
「なつき、まだ気にしてるの?」
理恵子ちゃんが転校して、亜美が悪びれる様子もなく言った。
「気にしてるって?」
「理恵子ちゃんのこと。まあ、なつきは悩みなんてないもんねえ。安楽死に一番遠い人間だもの」
月曜日だけ、亜美と一緒に帰るようになって、亜美はやはり、私をぞんざいに熱かった。
にこにこと笑う亜美に、私は本心を隠して笑みを向けた。
けれど結局、亜美にとって私は代替品に過ぎなかった。亜美はこのクラスで、新しく仲良くなった女の子を、次のお気に入りに定めた。
「私たち、来週ふたりで安楽死するんだ。親類の許可も取れた!」
亜美の新たなお気に入りの、佳代の言葉だ。理恵子ちゃんが転校した翌月、六月の頭にに入って、いつの間にか亜美は放課後によく佳代と遊ぶようになっていた。
帰りだけは私と帰路を共にしたけれど、教室の中ではいつも佳代にべったりだった。まあ、クラスが別だから今更亜美の交友関係なんてどうでもいいけれど。
それでも、そんな風に騒がれて、私はどうするのが正解だったのか、私にはわからない。
「佳代、亜美。安楽死なんてやめなよ」
彼女がどこまで本気だったのか、私にはわからなかった。
けれど亜美にはどこか危うい雰囲気があった。例えば、学校に剃刀を持ってきたり、親の財布から金をくすねたり。
そんな亜美と佳代は、休日によく駅ビルに遊びに行っていたようだ。そしてふたりは、思春期特有の病気でもあって、それがふたりをさらに意気投合させた。
「自律神経失調症? ってなんだろ。私も亜美も、それらしいよ」
「眠れないんだっけ。病院に行ったら?」
私の言葉は正当すぎて、逆に亜美の反発を生んだ。
「なにもわかってないくせに。眠れないってどれだけつらいか知らないでしょ」
「ごめん」
佳代と亜美は、ふたりして不眠で、だからこそ、安楽死なんて極端な手段に出たのだと思う。
本当はただ、自分たちが苦しんでいることを、大人たちに気づいてほしかっただけなのではないか。
今となっては確かめるすべはない。私はふたりと縁を切ったからだ。
だけれど、そのころの私は彼女らの言葉を真に受けて、自分ひとりで抱えることができなかった。
私は母に佳代と亜美が自殺すると毎日のように言っていることを相談した。
母は担任の教師と、養護教諭にそれとなく連絡を入れたようだった。
私が母に相談してしばらくして、佳代と亜美は別々に養護教諭に呼び出されて、「なにか悩みはない?」と聞かれたそうだ。
「誰かがチクった」
佳代が鬱陶しそうに舌打ちした。私は真横でそれを聞いて、だけれどなにも言えなかった。
きっと、仲良しじゃないクラスメイトが教師に告げ口したのだと思っているのだろう。私は口を閉ざして、それ以降、余計なことはしないことにした。
思えば亜美は、気に入った子に取り入るために、必死に媚びうる性格だったように思う。
真子と同じクラスだったときは、真子を毎週末遊びに誘って、いろんなものをプレゼントしたらしい。そして佳代の時には、佳代の自殺の誘いを、ただ笑顔で頷くような。
結局、ふたりは安楽死なんて『予約すらできていなかった』。
しかし、安楽死する、という言葉はあながち嘘ではない。
なまじ安楽死が法律で許されるようになったから、裏取引で安楽死を請け負う組織が出来上がった。
それらは警察の摘発では間に合わず、佳代と亜美の件は大々的に全国紙の新聞に掲載された。
そこから、安楽死反対運動が広がることとなった。
けれど私は、疲弊して、なにもできなかった。
佳代と亜美は高校に在籍を続けることができなくなって、やがて退学して、その後のことは知らない。
そういうことがあったから、私はその件依頼馬鹿な発言はしなくなった。
そして、私の中でなにかが切れた。
極端な痩せ思考に意識が向いてしまったのは、おそらくこれがトリガーのひとつだ。
私は私の意義を、ダイエットで埋めようとした。
真子のように細くなりたい、なんて、取ってつけたいいわけだ。
私はただ、自分に価値があると、理恵子ちゃんを救えなくても、亜美を理解できなくても、私は私なのだと、証明したかっただけなのかもしれない。
それが私の後悔。やり直したい人生の一幕。
それがなければ、私は拒食症になんてならなかったのではないか。そんなたらればに支配されることが、滑稽でならない。
三
だけど、人生はそう簡単には進んでくれない。私の体重が三十を切ろうとしていた時、お母さんは私を無理矢理病院に連れて行った。お父さんと話し合った結果だった。
「やだ、やだ! 入院なんてしない! 私ちゃんと食べてるじゃん!」
「なつき、ごめんね、ごめん。ちゃんとお医者様の言うこと聞くのよ」
最初はスーパーに行こうって誘われて、私はなんの疑いもなくついていった。後ろからお父さんの車がついてきていることも知らずに。お父さんの車には、私の入院の着替え一式がそろっていて、私ははかられたことに怒りを感じた。
「この! くそ! 絶対に許さないからな!」
お父さんが書類にサインして、私は病棟に無理やり連れていかれた。抵抗したから、『保護室』という部屋に連れていかれた。
四畳ほどの部屋に、ベッドが一つ。五十センチの間仕切りの向こうに、むき出しの便座。
私はそのベッドに身体拘束されて、
「看護師さん、なんで拘束するんですか!?」
「暴れたからです。明日には解放するから。おとなしくできたらだけど」
看護師たちが、私によってたかって拘束具をつける。ベルトを胴と手足に回して、ベッドの柵に括り付ける。
「暴れない! 暴れないからほどいて!」
「ダメ。明日まで我慢して。ああ、おむつもしなきゃ」
「や、おむつ!? それは嫌です。我慢します」
「でも」
「我慢できます!」
なんとかおむつだけは逃れて、私は身体拘束されて天井を見ることしかできなくなった。寝返りを打てないから仙骨や背骨が痛かった。
ただでさえ、拒食症で骨が出張るから家の布団に寝ていても褥瘡ができるのに、一晩中あおむけに拘束されて、私は一睡もすることができなかった。
尿と便は我慢して、なんとか朝にはトイレだけは許された。一時だけ拘束を解かれて、看護師さんが見張る中で用を足す。
やりにくくて恥ずかしくて、私は今すぐ死んでしまいたかった。
朝礼を終えた看護師さんが、私の保護室のドアを開けた。
「おはよう。朝ごはん、食べられそう?」
「はい、はい!」
本当は、食べる気なんてさらさらなかったのに、私は拘束を解いてほしい一心で嘘をついた。看護師さんは私の拘束を解いて、保護室に朝食を運んでくる。昨日、私の体を拘束したのとは違う看護師さんだった。
ベッドに備え付けてある小テーブルを出して、そこに朝食が乗せられる。看護師さんが私を見張るように見ていた。
「食べられない?」
「いや、あの」
「そう。これじゃ、お医者さまに報告しなきゃなあ」
看護師さんが、私に憐みの目を向ける――ことはなく、私は身体拘束から解放されて、ほっと胸をなでおろしていた。痛む褥瘡に手を触れる。膿んではなさそうで安心した。
そうして私は、保護室という監獄の中、刹那の平和をかみしめる。
トイレに行くには、外にいる看護師さんにトイレットペーパーをもらわなければならなかったけれど、それ以外は特に不便はない。
昼ご飯の時間になって、また看護師さんが私に食事を運んできてくれた。
「食べられる?」
「はい」
私は決して、わざと嘘をついているわけじゃない。自分では「食べている」つもりだったのだ。
出された昼食のうち、牛乳だけを飲み干して、私はベッドに横になった。
「これは……ダメだね」
看護師さんが、お医者さまを呼んでくる。お医者さまは、看護師さんをもう一人連れてきて、私は看護師さんが持ってきた体重計に乗らされた。
「三十か……うん、四十になるまで、そうして」
お医者さまがなんの感情もなく看護師さんに指示した。
看護師さんたちが頷いて、いったん保護室を出ていった。がやがやと外が騒がしい。
「なんなんだろ」
私はなにも知らない愚かな子供だった。
次にまた、看護師さんたちがぞろぞろと保護室に入ってきて、私はまた、ベッドに括り付けられる。ぎしがたと私は抵抗した。
なんで、なんでこんなことができるのだろう。人間の所業じゃない。私を人間だなんて、思っていない!
「や、やだ! 拘束は朝までって言ったじゃないですか!?」
「体重が減りすぎているから。胃瘻を流します」
「胃瘻!? や、食べる、夜はちゃんと食べます!」
「ダメ。命にかかわることだから。看護師さんたちも心を鬼にします」
感情なんて一切こもっていなかった。
看護師さんたちが、私にまた、あの窮屈なベルトを締める。
私は抵抗した。逃げようとした。
こんなのごめんだ。胃瘻? なんでそんなことするの。私は普通だ。私は、ちゃんと食べている。入院なんて、必要ない。私はおかしくない。誰か助けて、くそ、くそ、あいつら、お父さんもお母さんも、みんな大嫌いだ。こんな扱いを受けるくらいなら。
「じゃあ、殺せよ! そうだ、安楽死! 私は安楽死を望みます! だからもう、ここから出して!」
私の叫びなんて、誰も聞いていなかった。
看護師さんたちは、私の体を拘束すると、私の鼻にチューブを通して、高カロリー液を流し始める。
バナナの風味が胃から上がってきて、私はただ、太ることが怖かった。
身体拘束されて、私の褥瘡が膿んだ。看護師さんたちが、靴下をドーナツみたいに丸めたものを褥瘡の部分においてくれたけど、やせぎすの骨だけの私の体は、そこら中に褥瘡ができた。
毎日天井を眺めて暇を潰す。最初は看護師さんを呼んでいたけれど、私はもう、諦めた。
トイレも自由にできなかった。
おむつを当てられて、そこに三回、尿をすると、看護師さんが取り替えてくれる。便なら一回。
私はまるで、そう、まるで動物のように扱われた。動物と言うよりは、獣。
私は何度もトイレをお願いするのに、看護師さんたちは一度だって私のところに来てくれない。
何度も保護室の前を通るのに、私はここに存在しないようだった。
「看護師さん、殺して」
「疲れてるのね。栄養が廻ったら、死にたいなんて言わなくなるわよ」
「死にたいんじゃない。安楽死させて。こんなの生き恥だ」
私はひとりではなにもできない。おむつに糞尿を垂れ流し、看護師さんが三日に一回体を拭いてくれる。
私がいまだに暴れるから、私の身体拘束は解けないままだ。いや、体重が四十になるまで解かないと説明を受けた。
私が何度も「ちゃんとご飯を食べます」と言っても、誰も取り合ってはくれなかった。
私の自尊心は砕け散って、心も体も自分のものではなくなった。
「看護師さん、お母さんに来てほしいんですけど」
「まだ家族との面会はできないですよ」
私はただ、生きていた。
死んだ状態で、生きていた。
こんな風に、もののように扱われて、私は生きていると言えるのだろうか?
看護師さんたちは、代わる代わる私を世話してくれたけれど、私を人形のように思っているのか、なんら顔色ひとつ変えなかった。
私は人形なのだろうか、屍なのだろうか、生きているのだろうか、なんで、ここにいるのだろうか。
私の体重が徐々に増えていく。
頭に栄養が廻っても、それでも私は、この対応に納得がいかなかった。
「看護師さん、ちゃんと食べるので、もう拘束は解いてください」
「まだ三十八だから。あと二キロの我慢だよ」
「くそ、この! 他人事だと思いやがって!」
「うん、元気が出てきたじゃない」
そんなもの、必要ない。自由になったら、一番に死んでやる。それで、死ぬ瞬間に看護師に言ってやるんだ。「よくもあんな扱いをしたな」
私は生かされている。の胃瘻によって。
それでも、そこまでして生きながらえたいなんて思っていない。
私は確かに、お母さんが私の異変に気づいたら、生きていこうと賭けをした。けれど、こんな形になってまで生きながらえることなんて望んでいない。これは、人間に対する扱いなのだろうか。
私に自由なんて許されない。
トイレすら自由にならない。食事は変な味のするカロリー液で、ひとの食べるものじゃない。
私の体重は順調に増えていく。
安楽死してやる、死んでやる。こんな辱めを受けて、お父さんやお母さんを許せるはずがない。
私は、退院したらまず、安楽死に申し込む。私のこの病気なら、きっと条件は満たすだろう。
問題は、三親等内の親族の許可だ。
「じゃあ、今日から拘束を解きますね」
思ったよりも早く、私の拘束は解けた。そうはいっても一か月だ。一か月丸々寝たきりだった私は、拘束を解かれて、素足でベッドの上から床に降り立った。
立ち上がろうと足に力を籠めるも、うまくいかずに転んでしまった。一か月寝たきりだったのだからしょうがない。
膝をついて、そこからじんじんと痛みが全身に伝わった。
お母さんの涙を思い出した。
私を入院させるとき、お母さんは涙を流していた。十七年生きてきて、初めて見るお母さんの涙だった。
どんな気持ちで私を入院させたんだろう。私がこういう扱いを受けることを知っていたのだろうか。
聞いてみたい、と思った。聞いてから死んでも悪くない。
「あはは、なんだ」
結局私は、なにかに理由をつけて、生きる意味を探していた。
「相川さん、ご飯、食べられそう?」
「やってみます」
やらなければ、また身体拘束される。それだけはごめんだ。
だから私は、その日出された昼食の焼き魚とご飯とお浸しを、全部残らず平らげた。
病院にいる間だけは、私は太る恐怖に耐えて、ご飯をなるべく全部食べた。
けれど、唯一、肉だけはだめだった。わかりやすく私は、肉はもっとも太るものだと、そう、脳が思い込んでいるようだった。
一般部屋に移り、ベッドで無為に過ごしたいのに、清掃員はお構い無しに私の部屋に入ってくる。
最初こそ、清掃員を無視して布団にくるまっていたのだが、どうにも清掃員はベッドのシーツを取り替えたいらしく、私を邪険に扱った。
「ゴロゴロしてるから滅入るんですよ。談話室でみんなとストレッチなり、カラオケなりすれば気分転換になりますよ」
「何時頃に掃除終わりますか」
「そうやってまたゴロゴロするんですか。はあ。いい若いもんが毎日毎日。普通のひとだってこもりきりだったらおかしくなりますよ」
清掃員はだいぶ歳のいった女性だった。八十歳は超えているのに、背中がピンと伸びていてハキハキしている。
中学を出てからずっと働いてきたらしい清掃員は、年齢にしてはかなり進歩的な考えの持ち主だったに違いない。
私の祖母はもう亡くなったが、この清掃員と同じくらいの歳である。
その祖母は、小学校を出てすぐに家業を手伝い、十七で結婚して、それから死ぬまで夫を支え家事のみに従事してきたようなひとだったから、この清掃員は時代を先取りした考えの持ち主なのかもしれない。
そうだとしても、私のことも、ましてや病気のことも理解せようとせずに、私に『おかしい』とレッテルを貼るのはいただけなかった。
長く刻まれた顔のシワと同じで、人間の考え方はそう簡単には変わらないのかもしれない。
「二時くらいまで、談話室に行きます」
「もっとシャキシャキしゃべりなさいな」
「失礼します」
部屋の清掃は三日に一回。私は気だるい体を押して、談話室に向かった。
談話室でも、私に居場所はなかった。
「なつきちゃん、だっけ」
談話室で小説を読むようになって、少しだけ気分転換ができるようになった。
そんなある日、臨床心理士のお兄さんに声をかけられた。
「あ、と」
話しかけてきた人物に、見覚えはなかった。入院患者ではないし、看護師でもない。
「あ。俺、臨床心理士なんだ」
彼が人懐っこい笑みで言った。
「じゃあ、先生ですね」
適当に返事して、なのに臨床心理士のお兄さんは部室から出ようとしない。じっと私を見ていた。
「なんです?」
「あ、いや。俺もその本、好きだったなって」
かなり有名な小説だったから、今思えばただの口実だったのは明らかなのに、私はうれしくなって、その小説の感想を心理士さんに早口でまくし立てた。
「この小説のラストがすごくて。余韻というか。全部投げっぱなしに見えて、でもちゃんとまとまってる。読むひとによってとらえかたが違うのも面白いです」
「俺はここを――」
時間を忘れて語らって、私は臨床心理士さんのおすすめの本を一冊、その日貸してもらった。
「俺、岡山信明」
「私は相川なつきです」
それが私がこの入院でであった幸いのひとつだった。
聞いた話、臨床心理士さんは苦学生で、本来ならば都心の名の知れた大学に合格していたのだけれど、進学するタイミングで父親がリストラ、仕方なく自宅から通える地元の大学を受けなおし、奨学金を借りて無事に大学を卒業したのだそうだ。
私と同じだ、と思った。
私は拒食症という人生の負債を背負っている。
そして、それを苦に、安楽死まで考えている。
私はそれまで、大学というところはほとんどの人間が退屈しのぎに通うところで、例えば日本では、大学に入学するのは難しいけれど、卒業するのは簡単、という言葉はその通りだと思っていた。
臨床心理士さんは、ずっと私に話しかける機会を伺っていたらしい。いつだったか、「なぜ私だったの?」と聞いたことがあった。
「自分の世界を持っていたから」
臨床心理士さんには私がそう映ったらしいけれど、私はただ、不必要なことは喋らずに、誰にも心を開けずにいただけなのに。
私はいつの間にか、臨床心理士さんに、すべてを話していた。
「私、高校、行けなくて。ご飯も、食べられなくて……っ」
「うん」
それはどうして、とは聞かれなかった。
「それでも、私はその経験があったから、今を大事にできるようになって」
「うん。なつきちゃんの強さはそこから来てるんだね」
臨床心理士さんを見上げると、いつもと変わらぬまなざしを私に向けてくれていた。
「私、嫌われたく、なくて」
「嫌う? 親に?」
こくり、頷くと、はあ、と臨床心理士さんのため息。
「やっぱり、嫌われてますよね」
臨床心理士さんが首を横に振る。
「家族っていうのは、そう簡単に嫌いになったりしないよ」
それにね、と臨床心理士さんが続けた。
「なつきちゃんにはいいところがたくさんあるよ。小説の感想を素直に言えること。頑張って痩せたこと、勉強も、恵理子ちゃんのこと」
私の心の澱を、どこまで知っているのだろう。そして彼は、どこまで受け入れてくれるのだろう。期待と不安と、それでもどこか、安堵していた。
彼ならきっと、彼にならきっと、私はいつか、すべてを話せるのだろうという予感がした。
私はその日以来、臨床心理士さんと認知行動療法に励んだ。
その中で、私は退院したら、調理師の高校に転校したいと思うようになった。
私はいまだ、臨床心理士さんにすべての秘密を打ち明けたわけではない。少しずつ、断片的に伝えるそれは、臨床心理士さんにとっては不可解極まりないものなのだろうけれど、確実に、私の中のなにかが瓦解していくのがわかった。
拒食症は私の中から完全に消えたわけではないけれど、もう大分長いこと普通の食事がとれている。
「ねえ、臨床心理士さん」
私は臨床心理士さんを質問攻めするのが好きだった。私はずっと、聞きたかったことがある。
「臨床心理士さんは、もしも今の記憶を持ったまま過去をやり直せるとしたら、いつに戻りたいですか?」
ただの空想だ。そんなこと、今の科学技術では不可能だ。臨床心理士さんがふっと笑った。
「さあ。考えたことないな」
「はぐらかさないでくださいよ」
私の退院が決まって、私は思い切って私の中の核心を臨床心理士さんに訊いてみた。
彼は博識なひとだった。私の知らない小説や、私の知らないきれいな場所、私の知らない豆知識や、私の知らない料理をたくさんたくさん教えてくれた。
だからこそ、私は彼に訊いてみたい。
「あえてあげるなら、受け持った患者さんで最初の安楽死をした人の、心理療法の一日目かな」
ひゅ、とのどが詰まった。
私も、安楽死を訴えたことがあった。入院した初日にも、そして、心理療法をする間も、なにかにつけて、もうこんなつらい思いをするくらいなら、安楽死したいと、なんども臨床心理士さんに訴えた。
しかし、臨床心理士さんは穏やかな顔だ。
臨床心理士さんの人間くささを窺い知る。
「なんでですか? 臨床心理士さんのせいではないじゃないですか」
私は興味本位で聞き返した。
「そうれはそうだね。でも俺は、手の届く範囲の人には、幸せになってほしい、強欲な人間なんだよ。がっかりさせたかな?」
私はそんな、臨床心理士さんのまじめさに目が熱くなった。
「なつきちゃんは? いつをやり直したいの?」
「私はね、高校一年生の時に不登校になったクラスメイトを、助けられなかったことを後悔してるの。だから高校一年生をやり直したい」
臨床心理士さんの表情が変わった。
「それは、誰のためなの」
「え?」
「不登校の子を助けたいのは、その子のため? それとも、自分の人生への言い訳のため?」
はっきりとものを言うところも好き。「自分のため?」でも「自分のエゴ?」でもない臨床心理士さんの問いかけ。それは、臨床心理士さん自身への問いかけでもあったに違いない。
私は気づいた。私はただ、自分が救われたかっただけなのだ。
理恵子ちゃんを不登校にさせなければ、私自身もまた、不登校にならなかったのではないか。
理恵子ちゃんを不登校から救っていれば、自分が不登校でも気の持ちかたが違ったのではないか。
理恵子ちゃんさえ救えていれば、私の人生は誇れるものになっていたのでないか。
理恵子ちゃんと友達になっていたら、亜美とは縁を切れていたのではないか。
理恵子ちゃんが私とずっと一緒のクラスになっていたら、私は亜美からの態度に悩まされることはなかったのではないか。
理恵子ちゃんが友達だったのなら、私の不登校に優しく声をかけてくれたのではないか。
後悔のない人生を送るひとなんて、果たしてどれだけいるのだろう。私は理恵子ちゃんをだしに使って、自分の人生を正当化しようとしていただけだったのだ。
「やり直せないから人生は面白いんだよ」
「……臨床心理士さんって、時々意地悪ですよね」
「否定はしない」
「……そういうところ、信頼できるんですよね」
何度胸の内を明かしても、私はたまらなく恥ずかしくて、だからこそ、気を紛らわせるために色々なことを思い出しては、彼に投げかける。
理恵子ちゃんが今、なにをしているのか私は一切知らないけれど、理恵子ちゃんも私みたいに幸せだったらな。なんてことは思わない。
私の中から悔恨は消えない。けれど私に笑みを向ける臨床心理士さんを見ていたら、私の中にあった理恵子ちゃんの記憶が少しずつ、少しずつ頭の外へ漏れていって、私を形作る様々な色とともに、混濁して揺さぶられ、やがて波に飲まれて打ち震えた。
私の入院での幸いのふたつめは、献身的な看護師さんの存在だった。
臨床心理士さんが来るのは、週に一回。
ほかは、看護師さんと過ごさねばならない。
私は体重が戻ったとはいえ、まだまだふらつく体で、毎日をベッドの上ですごしたかった。
なのに清掃員さんが私をごみのように追い出すから、行き場のないわたしは談話室の隅で一人、座って窓にもたれかかっていた。
「大丈夫?」
「あ……」
新しく来た看護師だった。
名前を神野さんといった。
神野さんは今までの看護師と違って、私の目を見て話を聞いてくれる。安心する、温かなヘーゼルの瞳が印象的だった。カラコンではなく自前の瞳だ。キラキラしてお星さまみたいだと思った。
「拒食症のこと――身体抑制のこと、聞いてるまだ体調め万全じゃないし、座ってるのも辛いよ。空いてる部屋でおやすみする?」
「や、でも。看護師さんに迷惑じゃ」
「平気。ここは皆にとって第二のおうちだもの。嫌なことがあったら遠慮なく言っていいんだよ?」
そんなこと、この病院に来て初めて言われた。看護師はみな、私や入院患者に向き合わず、いつもイライラした態度しかとらない。
神野さんのような看護師が本来あるべき姿なのだろうが、他の看護師が辟易する理由も私にはわかる。
私のように厄介な二十人の入院患者を世話し、「帰る」と荷物をまとめる入院患者、「ご飯まだ?」と五分ごとに看護ステーションをたずねる入院患者。
それらを含め、二十人を三人か四人の看護師で見なければならないのは、保育園とはまた違った神経を使うだろう。
看護師は入院患者の命を預かっている。
なかには自殺企図や希死念慮のある入院患者もいるから、気を抜いたら責任問題に発展しかねない。
「看護師さん……私」
「うん」
空き部屋に通されて、布団が敷いてないベッドに私は体を横たえた。ぎしりとベッドが軋んだ。
神野さんが一緒にベッドに座ったからかもしれない。布団の敷いてないベッドは固く寝心地が悪い。
なのに、私の体はベッドに吸い寄せられるように沈んでいき、ベッドとの境界なんて直ぐに溶けてなくなった。
薄汚れた天井を見る。
蛍光灯はつけていない。チカチカして眩しいからと、私が頼んでつけなかったのだ。虫がブンと飛んでいる。
明かりを求めて彷徨うさまは、さながら私そのものだった。
神野さんが私の体をとんとんと叩いた。
まるで子供に戻ったかのように、私の心は穏やかだった。温かな手のひらのぬくもり。『手当て』という言葉があるように、ひとの手からはなにか目に見えない不思議な力が放たれているに違いない。
「私、ここでは看護師さんも介護士さんも、いつも話を聞いてくれなくて。私が頭おかしいから悪いんですけど」
「おかしいなんて誰が言ったの? 拒食症は脳の病気なんだよ。誰でもなりうる病気。ちゃんと治る病気なの」
「病気」
拒食症はわがままなだけだ。
周りはみんな、そんな対応をする。
あるいは、無関心に理解を示さない。
『精神』疾患、なんて名前だから、みんな実体のない部位の病気に無知だった。脳の病気、と言われたのなら、第一印象は百八十度変わるだろう。
私が思い出したのは、私が拒食症を発病してすぐのころ、真子と喫茶店に行った時のことだった。
真子は私の異常な痩せ思考に気づいていたし、そもそも、養護教諭に話したのも真子だ。
唯一気の置けない仲の友人に、理解を求めて私は拒食症と診断されたことも、パンの試食しか食べられないことも話した。
「でも、拒食症っていうからもっと深刻かと思ったよ」
そりゃあ、真子と会うためにおしゃれをしてきたし、体型が隠れる服を選んだ。
私が学校に行けなくなって、会うのは一か月ぶりだった。一カ月前より三キロは体重が減っていたのに、真子は何事もなかったかのように接してくれた。
夏のファミレスはクーラーが効きすぎるほど涼しくて、貼りつく背中の服が私の体温を奪っていく。
真子はアイスコーヒーを頼んで、私はハーブティーを頼んだ。
「私、彼氏できたんだ」
「え。来年受験じゃない」
「うん。勉強はちゃんとするよ。でも、どうしても付き合ってほしいって。社会人の彼、格好いいんだ。そっちは?」
私の現況は話していたはずなのに、真子は他人事のように私に話題をふった。
今日のお茶会を提案したのは真子だった。
大事な話があると連絡が来ていた時点で、なんとなく察しはついていた。
真子は鼻の頭に汗をかきながら、混ざっていないミルクたっぷりのアイスコーヒーの黒い部分をストローですすった。ガムシロップはいれない。
「私は……彼氏もいないし。そもそも、付き合うってなったら、私の病気の話をどう切り出せばいいか分からないから」
「黙って付きあっちゃえばいいのに」
「……え?」
「見た目普通なんだしさ、大丈夫だよ」
まるでお門違いな言葉だと思った。真子からしてみれば慰めの言葉のつもりなのだろうが、私にとって病気は、生活を揺るがす大きな問題だった。
もしも付き合うとなって、デートで食事ができなかったら、あとから「実は拒食症でしでした」なんて、別れる理由にしかならないだろう。
「それってさ」
それ、の意味がわからなかった。
「遺伝するの?」
主語を理解して、私は言葉を失った。
ネットで調べればなんでもわかるこの時代に、私の友人は精神疾患に悩む私のことをわかろうとする気持ちはなかったらしい。
私の前髪がひたいに張り付き、私は震える手を悟られないように、前髪をひと房かき分けた。
「遺伝はしない。って言われてる」
「そう。ならなおさら、大丈夫じゃん」
カラコロ、と真子がアイスコーヒーの中のストローを混ぜて、氷を溶かしながらミルクを混ぜる。白、茶色、黒に層を作るミルクコーヒーのコップが汗をかいてしとっている。
私はほどよく冷めたハーブティーのカップに口をつける。友人はアイスコーヒーをかき混ぜて、幸せそうに惚気話を始めていた。
コーヒーとミルクが完全に混ざり合い、きれいな薄茶色がコップの中で渦を作る。その渦に巻き込まれそうになりながら、私は友人の話を右から左に聞き流した。
そんなことがあったから、私は他者に自分の病気を話すことをやめた。
どうせ周りは理解してくれない。アイスコーヒーのようには健常者と障がい者は混ざり合えないのだ。
水と油のように層を作って、お互いに違う場所を生きている。
「看護師さん。私、ここから出たいんです」
「聞いてるよ。体重が落ち着いたら迎えに来るって」
「でも、嘘かもしれない」
「私は、本当だと思うけどな」
とんとん、とんとん。神野さんが私の体を優しく叩く。私は睡魔に身を任せて、重い瞼をそっと閉じた。
私にとって神野さんは、唯一気を許せる看護師だったに違いない。実際、神野さんはほかの入院患者からも好かれていたし、神野さんが勤務する日は、私の心も穏やかだった。
「え。辞める?」
「ごめんね。言わずに辞めたらびっくりすると思って」
青天の霹靂だった。
神野さんが務め始めて、まだ二ヶ月しか経っていなかった。
神野さんは詳しくは話さないが、神野さんが入院患者に好かれているからか、あるいは入院患者の待遇改善を上に申告したからか、神野さんは厄介払いされたようだった。
私の目から、枯れたはずの水滴がぼとりと落ちた。頬をつたう生ぬるいそれを拭って、私はほかの看護師に訴えた。
「神野看護師さんを辞めさせないでください!」
「また今日で何件目? 辞めるって入院患者に話せば取り消せるって思ってるのかしら」
小賢しいわね。
看護師たちが笑った。
腐ってる。この病院はおかしい。いや、このひとたちが普通で、神野さんの志が高かっただけなのだ。
わかっている。神野さんのような人間は、もっとやりがいのある職場で働くべきだ。
「神野さん、これ」
神野さんの最後の勤務日、私は神野さんに手紙を書いた。なんのことはない、普通の手紙だ。「今までありがとうございました。神野さんのことは一生忘れません」
神野さんは感極まって泣いてしまった。
ヘーゼルの瞳は涙に濡れると余計に儚く美しい。
その瞳のように美しい心が、こんな病院で濁るのは本望じゃない。私は自分に言い聞かせた。
神野さんのためにも、この退職はしかるべきものだった。私が神野さんの人生のほんの一時の記憶だとしても、忘れられるとしても、私の中から神野さんの真心は一生消えないだろう。
神野さんが私を抱きしめた。
「これから先、辛いことが沢山あると思う。それでも、なにかひとつでいい、人生って悪くないものだなって思えるなにかを、見つけてください」
否定も肯定もできなかった。
私にとって神野さんがそれに当たるのかもしれないが、それが私の現状を好転させるものでもないことも知っている。
お星さまに写る自分の姿を直視できず、私は神野さんから顔を逸らして別れの挨拶をした。
あとから思えば、ちゃんと顔を見て話しておけばよかったと後悔するばかりだった。
神野さんがいなくなった病院は、また元の通り暗く、いつもカリカリした看護師たちの水溜まりのような場所になった。
私は少しだけ病院に馴染んできた。
そのなかでよく話すようになったのが、八十を超えた男性入所者、綿引さんだった。私がおむつの件で塞ぎ込んでいたのを見かねて話しかけてきたらしい。
綿引さんは元教師で、博学で話を聞いているだけで楽しかった。少し髪が薄くて、目尻がくしゃっとした笑い方をする。
「あなたは魂は存在すると思う?」
「私はないと思いますね」
でも、この前の話は面白かった。海外の医者だかが、人が死ぬ時に質量が減ることを発見した。それを魂の重さとしたのだ。それが約二十一・三グラム。ただしこの実験は根拠がないと言われ、死したあとに減った二十一・三グラムについては謎のままらしい。
「魂とか輪廻とか。私は信じません」
そんなものがあったら、私はこの世界を選んで生まれてきたことになる。
安楽死を選べなくなる。
「そうだね。でも、魂があるのなら、わたしもアナタも、生きてきた意味があると思わない?」
綿引さんは軽度の認知症だと聞いていた。けれど、私のことを忘れたりすることもなく、同じ話を繰り返したりもしない。
「綿引さんは、死ぬのが怖いんですか?」
「この歳になると、死は怖くないかな。わたしが怖いのはただ」
人間でなくなることだ。
私の目から雫がこぼれそうになる。すんでのところでこらえて、
「その恐怖に勝つには、どうしたらいいですか」
「さあ。それはわたしにも。ただ、あなたはまだ若いのだから。足掻いたっていい。みっともなくてもいい。生きて、生き抜いて、その答えを見つけてください。それで、生まれ変わったわたしにその答えを教えてくださいな」
まるで、もうすぐ死ぬみたいな言い方だと思った。
綿引さんは奥さんに先立たれ、子供たちの世話になる訳にもいかずに、色んな病院をたらい回しにされたそうだ。
それを思えば、私はまだ恵まれているのかもしれない。家族は生きているし、障害だって軽い。
「綿引さん。生まれ変わりがあるとして、どうやって綿引さんだって見分けるんですか」
「はは、そうだね。でもきっと、あなたならわかると思いますよ」
そもそも、と綿引さんが続けた。
「仏陀――お釈迦さまは、輪廻の輪から外れるために修行をしていたんだ」
「生まれ変わりたくないってことですか?」
「人は死んだら、天の神々、人、畜生、餓鬼、地獄の五つの世界で何度も、何度も生まれ変わるんだ。今は阿修羅も加えて六つの世界かな。そこから解脱することこそが、真の平静だと仏陀は解いた」
興味深い話だった。私は魂を信じないが、生まれ変わりは信じたかった。死んだあと、自分がなくなるという恐怖は誰でも一度は味わうだろう。どんなに苦しい世界だとしても、『無』になる覚悟は私にはなかった。
「仏陀は苦行を途中でやめた。なぜだと思う?」
「辛かったからでは? 辛い思いをしても悟りなんか開けないって気づいたんじゃないですか?」
綿引さんがにこりと笑んだ。目尻にカラスの足跡ができている。
「『こんなに苦行に励んでいる自分は、ほかより優れている』そんな悪心ばかりが膨れ上がるだけだったからだよ」
目から鱗だった。綿引さんが言わんとすることがよくわかる。
自分の不幸を嘆くより、自分が持ち得るものを見よ。不幸な障害者の自分ではなく、ひとりの人間としての自分を。
「でもきっと、わたしもあなたも、次も人間に生まれ変わると思いますよ」
「私にカルマが有るからですか?」
「魂を信じてるからですよ」
さっき私は否定したばかりなのに、綿引さんはやっぱり認知症なのかもしれない。
「来世では幸せになりましょうね。わたしも、あなたも」
不思議なひとだと思った。
私にとって綿引さんはこの病院内での親みたいなもので、私は綿引さんと話すのが毎日のささやかな楽しみになっていた。
***
私の病院での生活は、絶望もあれば希望もあった。
しかし、患者全員がそうとも限らず、例えば家族に虐待されていた子なんかは、ここはレクリエーションがあって楽しいと言う。
「ねえ、あなたって普通なのに、なんで病院に入ってるの?」
同じ拒食症の四十代の女性に言われ、私は苦笑を返すことしかできなかった。
天然パーマのボブの髪の毛は茶色味がかっていて、パーマをかけていないのにほどよくうねるからとても可愛い。
童顔で目が大きいから歳よりも若く見えた。ただ、目が大きいのは痩せすぎていて目が落窪んでいるせいもある。
「私はさ。見てよ、めちゃくちゃ太ってるからさ。ご飯食べたくないんだよね」
「すごく痩せて見えますけど」
「やだあ、お世辞でもうれしい。あなたみたいにもっと痩せたいわ」
本心なのかはわからなかった。けれど、私と同じ痛みを経験したであろうその人に、心を開いてしまった私が、愚かだったのかもしれない。
彼女には自分が病気だという認識がないらしかった。
女性の名前を土屋さんと言った。
土屋さんには妹がいるらしく、私を妹のように気にかけてくれた。くりくりの瞳が私を捉えて離さない。
どうやったらあんなに可愛くなれるのだろう。
「今日の給食多いなあ。食べる?」
「え。一口しか食べてないじゃないですか」
「でも、もうお腹いっぱい。ねえ、こっそり捨てるの手伝ってよ。看護師さんに見つかったらどやされちゃう。あなたにしかこんなこと頼めないんだもの」
頼りにされ、私は錯覚してしまったのだ。
自分は誰かの役に立てる、必要とされている。
「仕方ないな。今日だけですよ」
本来、拒食症の患者が食事を捨てるなんてあってはならない。
けれど私は、知っている。食べなければ身体抑制されてしまう。
だから私は、協力してしまったのだ。
一回のみならず、何回も。
それが看護師にばれて、私の母親が病院に呼び出された。
「娘さんが、拒食症の患者さんのご飯を代わりに捨ててました。困るんですよ、拒食症の患者さんの体重が増えないからおかしいなと思ったら」
「すみ、申し訳ありません。娘は押しに弱くて」
「それじゃあ、土屋さん――拒食症の患者さんが悪いって言いたいんですか? 土屋さんは、娘さんが勝手に捨てたって言ってますけど」
「そんなはず! 土屋さんに頼まれて捨てたんですよ!」
私も病院長との面接に同席させられ、しかし責められたのは私だけだった。土屋さんも同席したのに、すべての責任を私に擦り付けた。
「今後はこのようなことがないように、しっかり見ていきますからね」
実際、その日以来私の一挙一動を看護師や介護士が見張るようについて回り、私はほかの患者には絶対に心を許すものかと誓ったのだ。
***
病院では行事ごとの給食が出たり、レクリエーションが開かれたりする。そのどれもが、私は嫌いだった。
ひな祭りや端午の節句には桜餅や柏餅が出されるらしい。
しかし、全員が全員楽しんでいるわけではなく、特に精神疾患で多剤服用している入所者には、餅菓子は命にかかわる問題だった。
なにしろ薬のせいで舌が上手く動かないから、餅なんかを食べると必ず一人は喉に詰まらせる。
今日は七夕だから餅は出ないだろうと安心していたのに、出された金平糖を一気に口に入れて喉に詰まらせた九十歳の男性入所者が、救急車で運ばれていった。看護師と介護士はてんやわんやなのに、患者はまるで無関係に自分の金平糖に齧り付いていた。
「安野さん、大丈夫かな」
「さあ。私にはなんとも」
隣に座った、土屋さんが私に話しかける。
あんなことがあったのに、土屋さんはまるでなにもなかったかのように私に話しかけてくるのだ。
この病院にいる人間は、それくらい図太くないとやっていけないらしい。ぎょろりとした目がいやらしく私を舐め回した。
私も私で、喉を詰まらせる安野さんを横目に、自分の分の金平糖をポリポリといつも通りに食べ終えた。
「私、食べ終わったので部屋行きますね」
「ええ、あなたって少し変よ」
「変? 私が?」
土屋さんにだけは言われたくなかった。
「変って言うか、図太いわよね。安野さんが運ばれたのに、顔色一つ変えないなんて」
「私が騒いだら、安野さんの容体が回復するんですか?」
「怖い怖い。今時の子ってそんなに薄情なの?」
それは土屋さんの方だろう。土屋さんの分の給食を捨ててあげたのは土屋さんに頼まれたからなのに、土屋さんはそのことを看護師さんには最後まで言わず、あの件は私が勝手に捨てたことにされてしまった。
今思し出しても腹が立つ。私は土屋さんに向き直る。
「土屋さんこそ、なんで嘘、ついたんですか?」
「嘘? 私が?」
心底不思議そうに顔を右に傾けて、土屋さんが私を見た。私ははらわたが煮えくり返る。声を大きく、
「土屋さんに頼まれたから給食捨ててあげたのに。あれ私のせいにしましたよね!?」
「声大きいわよ。なに、だって捨てたのは事実じゃない」
「でも、土屋さんが頼んだのも事実でしょう!?」
「ああ、もう、もう。怒鳴らないでよ。怖いわあ」
まるで悪びれる様子はない。
二人の言い争いに気づいた介護士が、私たちに歩み寄る。するとおもむろに土屋さんが涙をこぼした。
「ああん、いじめられたあ」
「なになに。言い争いはよくないよ。またあなたたちふたりかぁ」
介護士は、はなから私の味方をする気はないらしい。今でも私が土屋さんの給食を『奪って』捨てたのだと申し送られている。
「怒鳴られたの。私はなにもしてないのに」
「そうなの?」
「ち、違います! 土屋さんが私を変とか図太いとか言うから……」
「あら、だってあなた、変なのは本当でしょう。ねえ、土屋さん」
完全に土屋さんの味方に付いた介護士に、私の怒りが振り切れた。
「だから! 私はなにもしてないし。いつも突っかかってくるの土屋さんでしょう!」
「ああん! また怒鳴ったあ」
「ほら、土屋さん怖がって泣いてるじゃないですか。怒鳴る方が悪い。ごめんなさいは?」
まるで子供に言うように叱られて、私はむっと口を結んで食堂を後にする。
なのに。
「ねえ、あなたって本当に世渡り下手ね」
私は自分にあてがわれた部屋に戻った。なのに土屋さんは私を追いかけてきて、部屋の入口で笑っている。
「土屋さんこそ、嘘泣きが上手ですね」
「まあね。ほら、私ってかわいいから、みんな私をかばってくれる」
「……そんな性格だから捨てられたんでしょうけどね」
ハッとして口を結んだ。私が土屋さんを見る――より先に、土屋さんが私に手をあげていた。
殴りかかられ、ふらついて床に倒れる。拒食症の土屋さんのどこにこんな力があるのかというほどの勢いだった。
べちん、べちん、と殴られて、私は看護師を大声で呼ぶ。
「か、看護師さん! 看護師さん!」
一方的に殴られる私を見て、看護師が慌てて土屋さんを止めに入った。
「こら! ふたりとも!」
男性看護師が土屋さんを止めて、土屋さんはいつものようにめそめそと涙を流した。私は一切涙など流さない。泣いた方が負けだ。
それなのに、看護師も介護士も、長く病院にいる土屋さんの肩ばかり持つ。
「あなたが挑発したって話だけど」
「挑発なんて。先に吹っ掛けてきたの土屋さんですよ」
「私はただ、世渡り下手だと苦労するわよって教えてあげただけで。なのに、『捨てられた』なんてひどいこと言って……私は私の意志でこの病院に来たのに。あの子と違って」
あの子、とは私のことである。
つまり、土屋さんは自分で病院に入ったが、私こそが家族に捨てられて病院に来たのだと言い返したのだ。
私もその嫌味の意味はすぐに気づいた。なのに言い返せなかった。
図星だからだ。
自分だってわかってる。自分はもう、この病院から出られないのだ。捨てられたのだ。
ぽろ、と涙がこぼれた。土屋さんがぎょっとしたように目を開いた。
「あ、あ……私」
「これは、土屋さんも悪いね。今後は二人の食事の席を離して……」
看護師と病院長が真剣に話している。
今日のところは痛み分け、私はおとがめなしで、代わりに土屋さんがたしなめられていた。
「いくら私が突っかかったからって、土屋さんのほうが大人なんだし。私はまだここにきて間もなくて不安なんだよ。気遣ってあげられるよね?」
むっとしたように、土屋さんは黙り込んだ。
決して「はい」とは言わずに。この問題は看護会議で追及されることになったらしい。
四
高校の単位のこともあって、私は一か月の拘束と、一カ月半の普通室の入院ののちに、退院する運びとなった。
「なつき、ごめんね、ごめんね」
「お母さん……もういいよ」
本当は、いの一番にののしってやろうと思っていた。
よくもこんな場所に、私がどんな思いをしたのか教えてやろうか? 私は死にたい。どうしても死にたい。安楽死も考えたんだよ。私は怖い、太るのが怖い。でも、それよりなにより、
「私、死ななくてよかった」
病院生活は窮屈で、非人道的でいまだに納得もできていない。けれど私は、やっぱり生きたい。
死ぬ勇気なんてない。安楽死なんてごめんだ。私は安楽死を選ぶ人たちを否定はしない。しないけれど、私が死ぬのは、きっと今日のことではなかった。
***
退院して、私はお母さんの運転する車の中で、声を振り絞った。カラカラで、よく聞こえなかったはずなのに、お母さんは私の言葉のひとつも取りこぼすことはなかった。
「お母さん、アンパン、買ってこう」
私が変わったところをわざとらしく見せつけたかったのかもしれないし、あのパン屋にぎゃふんと言わせたい気持ちもあった。お母さんは少し迷って、
「わかった。じゃあ、買っていこうか」
車をスーパーに走らせた。
今日も私たち親子が現れると、そのパン屋さんは試食のトレーをすべて下げた。私はお盆とトングを手に取って、店員に見えるようにアンパンを五個、お盆に乗せた。
「い、いらっしゃいませ……」
「いつもありがとうございます」
こちらからお礼を言ってやった。パン屋さんはあからさまに嫌そうな顔をする。お母さんが財布から小銭を探している間、私に見えるようにわざとトングでアンパンをつぶすようにつかんで、袋に詰めていた。
二か月半ぶりに家に帰って、家族みんなが出迎えてくれた。家に入ると懐かしい匂いがした。我が家のにおいだ。もう、消毒臭いあの部屋から逃げ切ったのだと思うと、涙が滲んだ。
「お帰り。なつき」
「姉ちゃん、お帰り」
「……頑張ったな」
世間体を気にしていたお父さんが、私をおもむろに抱きしめた。普段こんなことしない人だから、私の入院だってなんとも思っていないと思ったのに、私は不意打ちされて思わずわんわんと泣き喚いた。涙がぼたぼたとこぼれ落ちる。恨みつらみと共に、涙が頬を伝って床を濡らした。私の感情は床に吸い込まれてどこかへ消えて、きっとまたいつか、私に戻ってくる。
「私、身体拘束されて」
「ああ、つらい思いをさせたな」
「そうだよ、安楽死まで考えて」
「なつき……」
「でも私、私やっぱり死にたくない! 生きててよかった!」
お母さんとお姉ちゃん、和樹も私を抱きしめて、家族五人でわんわんと泣いた。いまだ、私は食事が怖くて、退院したらやっぱり普通の食事はできなかった。食べることは生きること。ならば私は、生きることを拒絶しているのだろうか。
「お母さん、明日から、朝ご飯に蕎麦が食べたい」
「お蕎麦ね。わかった」
退院してきて、週に一回、二回と学校に行ける日が増えていった。相変わらずご飯は不安定で、だけれど、毎日あのパン屋さんのアンパンを食べられるようになった私は、太りにくい食材、かつ栄養のあるものと考えて、蕎麦なら食べられるだろうと、お母さんに頼んだ。
翌朝、お母さんは二人前の蕎麦を茹でた。
「さ、食べようか」
お姉ちゃんと弟の和樹、お父さんと食卓を囲むのは、もう一年ぶりくらいだった。
お父さんとお姉ちゃん、和樹はご飯に目玉焼きにウィンナーだったけれど、私とお母さんはお蕎麦だった。
「いただきまーす」
お母さんがいつも通りに朝食に箸をつける。私だけ蕎麦にすればいいものを、お母さんは私に気を使わせないために、自分の朝食も蕎麦にしたらしい。
「なんで蕎麦?」
和樹が首をかしげる。
「知らなかったの? お母さん、蕎麦が好きなのよ」
お母さんがずずっと蕎麦をすすった。私はなにも言わず、蕎麦をつゆにつけてすすった。めんつゆの辛味と蕎麦の風味が鼻に抜ける。わさびもいいアクセントだ。
「じゃあ、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
私は八十田先生のサポートもあって、調理師の高校に転校した。なぜかと聞かれたら、私は自分の拒食症を克服したかったからだった。
だけど、最後の関門が抜けられない。私は、転校しても、お肉だけはどうしても食べられなかった。
世間では、盛んに安楽死の是非を問う番組が取りざたされている。
私はきっと、あの拒食症の日々、本当は誰よりも死にたがっていた。生きることを拒絶していた。
私は高校の勉強についていけずに、誤ったダイエットに陥ってしまった。食べるくらいなら死んだほうがましだと、本気で思っていた。
あの日の私は、安楽死を望む人たちと、なんら変わりない。私はきっと、彼らの気持ちを誰よりも理解している。
「相川さんって、あのO高校出身なの!?」
よく、同期のクラスメイトに驚かれるが、卒業できたのはたまたまだし、私は勉強に挫折した身だ。
私なんて、と卑下するのは、もしかすると嫌味にしか聞こえないかもしれないけれど、嘘偽りなく、私は答えた。
「私は、拒食症だったから、高校一年生の授業はぎりぎりしか出席してないし」
「拒食症……そう、なんだ」
みんな、あんまり理解していないようだった。言ってしまえば、先生陣も拒食症への理解があったとはいいがたかった。
「相川さんは、本当に優秀ね。拒食症じゃなかったら、来年の特待生に選ばれたのに」
職員室に呼ばれて、なにごとかと思えば、そんな嫌味を言われることもあった。
その先生は、私が生理的に気に入らないらしく、私が先生のテストで満点を取っても、心を病んでいるからという理由で、成績はいつもCだった。
D以下が落第だから、先生は私が本当に嫌いなんだなと思った。
「そうですね。特待生は、心身ともに健康でなければなりませんし」
入学に際し、拒食症のことをどうするか、お母さんとよく話し合った。
現状、体重は四十まで回復したし、肉が食べられないのだって、言わなければ拒食症には結びつかない。
だが、どうにも黙ったままではいられない性分の私は、入学に際して先生に事情だけは話していた。
いや、私はただ、調理師の資格を持つ先生たちならば、私に理解を示してくれるのではと期待していたのだ。
「拒食症を患ったことかがあって、今でも肉が食べられません」
「そう。つらかったのね」
特に調理師の学科は調理実習は必須だ。そこで私だけ肉が食べられないとなれば、先生も生徒も戸惑うだろう。
私は別に、クラスメイトと距離を置きたいわけでも、同情してほしいわけでもなかった。
ただ、私は肉が食べられないけど、それでも本気でこの学科を卒業したいということだけを伝えたかった。
「なつきちゃんって、やっぱり頭いいよね」
「いや、好きなことだからだよ」
調理師高校の偏差値は四十くらいだった。
私の前の高校の偏差値が六十五だから、周りのみんなはそれだけで私と壁を作った。
結局、私に友だちらしい友だちはできなかったけれど、あらかじめ先生陣に事情を話していたことが功を奏し、私はひとりでも寂しくなかった。
「相川さん、これ」
先生たちは、私をこっそり先生室に呼んでは、もらいもののお饅頭や味噌、お菓子などを私にわけてくれた。
中には職員室でお茶を出してくれる先生もいて、
「拒食症について、詳しく知りたいんだけど」
「私でよければ。私も聞きたいんですけど」
その先生は、保健所の元職員で、私はその先生に聞いたのだった。
「もしも先生が拒食症の患者に会ったら、どんな対応をしますか?」
いろんな先生に聞いたことだった。ある先生は、
「拒食症の子って、栄養指導に通うけど、自分の話ばかりして言うこと聞かないし。なにがしたいのかわからなかったな」
そう、偏見を述べるものもいた。ある先生は私の問いに言葉を詰まらせ、そして、今目の前にいる先生は、穏やかな顔で私の目をまっすぐに見据えた。
「なになら食べられるか、一緒に考えます」
「なになら」
「うん、卵なら、生とか茹でとか。白身だけ黄身だけ。いろんな食べ方があるでしょう? なになら食べられるのか、一緒に探していくかなあ」
こういう人こそが、調理師になるべきなのだと私は思った。もちろん、理論や知識は大事だ。
それでも私は、拒食症に理解のある調理師が存在したことに感激し、以来、その先生の部屋にたびたび遊びに行くようになった。
調理師過程では、校外実習が三回ほどある。
私は、体力が持つか心配だった。
私の現在の食事内容と言えば、朝は蕎麦、昼はおにぎり、夜は普通に。
学校で食事をするときは、本当に緊張する。私のこと、太ってるって誰かに笑われていないか不安で仕方がなくて、私はすぐに食べ終わるおにぎりしか学内では食べることができなかった。
人間は大人になると好き嫌いが減っていく。苦味や酸味の強い食べ物は、本来毒か腐敗したものだ。
しかし人間は、苦くても酸っぱくても、体に害のない食べ物を学んで行って、大人になるころにはそれらは毒ではなく食べ物だと理解する。
それに加えて、子供に比べて大人の味蕾は減少するから、味を感じにくくなる。味蕾とは味を感じる細胞だ。
つまり人間は、大人になると味に鈍くなる。だから子供のころに感じた不快な味も感じにくくなるために、好き嫌いが減るのだという。
なのに私は、大人になるにつれて食べられるものが減っていって、自分が普通でないことなんてはなからわかっていた。
調理実習では、作ったものを試食することもできない。肉以外のものは食べられるようになったのに、今度は家以外の場所での食事が困難になった。本当は、誰よりも調理実習の献立を食べたかった。
世界各国の料理を作り、行事食を作り、病院食を作り、赤ちゃんのご飯を作り、腎臓病食を作り、肝臓病食を作り。
そのすべてを、舌と脳に焼き付けたかった。
なのに、怖くて食べられない。
食べることが怖い。誰かと一緒に食べることが。
「お母さん。私、外で食べられないのって、治せるかな」
何の気なしに、お母さんに聞いた。
私が退院してきてから、夕食は家族そろって食べるようになっていた。賑やかな一家団欒。
まるでろうそくみたいで私は夕飯の時間が好きだった。
「お医者さまに聞いてみる?」
「そんなくだらないことを聞いてもいいのかな」
「いいのよ。今度の土曜日に行くんだけど、一緒に行ってみる?」
心療内科になんて、通いたくなかった。自分は拒食症だけれど、心の病気ではない。そう、思いたかった。
けれどどうにも、私はどんどんできることが狭まっていった。外でご飯が食べられなくなって、バスや電車の席が汚くて座れない。
「私、一回だけなら、行ってみようかな」
「うん、わかった」
お母さんはそれ以上は、なにも言わなかった。
次の土曜日、私は心療内科というものに、初めて足を踏み入れた。暗い雰囲気は一切なく、ピンクを基調とした待合室はクリーンで明るい。
その待合室の壁の張り紙に、私の目が留まった。
「安楽死診断書……」
「なつき! そんなの見なくていい!」
お母さんが私を引っ張って、張り紙が見えない位置に座らせる。そうか、安楽死の条件に、身体的、または精神的苦痛を伴う病気、という条件があったのだったか。
つまり、この病院でもそういった診断書が書けますよ、ということらしい。吐き気がした。
なんだ、死を売り物にして。診断書って、高いんでしょう? 一万円くらいするのかな。
正式なものだもの、数千円ではないだろうなと、私は思った。
待ち時間は二時間にも及んだ。
心療内科の待合室が満席になって、このご時世のメンタル汚染の重さを物語っていた。
昔に比べて、心療内科へのハードルが下がった。一昔前までは、鬱は壮年期の男性の病気とされていた。
つまり、女子供は精神疾患にかからないのだ。
子供の精神疾患は等しく統合失調症で、女の精神疾患はただのヒステリー。そういう時代を経て、どうやら精神疾患は子供でもかかるし、女でもかかるということが分かってきた。
鬱は心の風邪、なんてフレーズは今はもう古い。
心の病気は誰でもなりうる病気で、完治はしない。寛解はするが。寛解というのは、薬やカウンセリングは必要だが、病状が出なくなった状態を指す。私もいつか、寛解に至れるのかな、なんてことを思ってかぶりを振った。
今、私が気を付けるべきなのは、過食症への移行だった。
拒食症は、治すのが難しい。そのうえ、反動で過食症に移行する割合は決して低くはないのだとか。
過食になって太った暁には、今度こそ私は安楽死を選ぶだろうなと思った。私は太って醜くなるくらいなら、潔く死を選ぶつもりだ。
そう思っている時点で、私はまだ、拒食症から脱せていないのかもしれない。
「相川さん、診察室へどうぞ」
呼ばれて、お母さんと一緒に診察室に入った。
お香の炊かれた診察室には、八十を超えるであろうおじいちゃん先生が椅子に座って私を見ていた。
「あら、今日はお子さんもご一緒ですか」
「はい。娘が、悩みがあるみたいで」
確かに私は悩んでいる。家以外でご飯が食べられない。けれど私はそんなことは一切頭から抜け落ちて、ここまで生きて来た、ご老人に、ただ単純に聞きたかった。
「先生は、死ぬのが怖くないんですか」
「あはは、なつきさん、だっけ。それを聞きに来たの?」
にこやかに笑う先生はチャーミングで、この先生が本当に安楽死の診断書を書いているようには見えなかった。
「わたしだって、死ぬのは怖いよ」
「じゃあ、なんで安楽死の診断書を書くんですか」
「そうだねえ。それはわたしにもわからない」
そんな馬鹿な。無責任だ。握りしめたこぶしが汗をかいていた。
「とめないんですか」
「安楽死を?」
頷く。先生が困ったようにお母さんを見ていた。
「じゃあ聞くけど。とめて、その人が自殺したら、わたしはどうしたらいい?」
「医者は命を救うのが仕事です。自殺しないように助けるためにこういう病院があるんじゃないですか?」
「一本取られたな。そうだね。わたしも、本当なら、書きたくないかな。でも、そういうひとも存在する。生きることがつらい人間に、『生きていればいいことがあるよ』なんて言う医者の方が、無責任だと思わない?」
安楽死は、別に病気を持つ人たちのものだけじゃない。生活が苦しい人、家族の負担になりたくない人、身寄りがない人、心に傷を負った人。
逃げ場のない人間を救うのが、安楽死だ。そんなことはわかっている。わかっているけれど、私がそうだったように、人間は本来、生きようと思う生き物なのではないのか。
自ら死を選ぶ生きものなんて、人間以外には存在しない。存在しないから、不思議なのだ。
安楽死は是か非か。
そんなこと、もうとっくにテレビで飽きるほど議論されてきた。
「あなたは生きて、他人は死を選ぶ。生きることも死ぬことも、その人の自由。そういう時代に生まれてしまったわたしたちは、死ぬ瞬間までその問いの答えを探し続けるのだろうね」
「安楽死をする人も?」
「そうだね、死ぬ瞬間に、彼らはなにを思うのだろうね。生きたかったと思うかもしれないし、やっと死ねると思うかもしれない。要はその人が、死を受け入れるかそうでないか。安楽死する人も生きている人も、結局は同じ。これは正しかったのだろうか? 最後までその答えなんてわからない」
私にはそれが理解しがたかった。自死が正しいことだとは到底思えない。残された家族を思うと、私はどうしても安楽死を踏みとどまざるを得なかった。否。死の恐怖を、彼らはどうやって乗り越えたのだろう。
私は今も、死ぬことが怖くてたまらないというのに。
「なつきさんは、死ぬのが怖いんでしょう?」
「わかるんですか」
「そうだね。死にたくない人ほど、安楽死に興味を持つし。そして、結局、安楽死を選ぶのも、そういう人が多いからね」
私は決して、そんなことはしない。傍にいるお母さんが不安そうに私を見た。私は、「死なないよ」と小さくつぶやいた。
結局、安楽死する人がなにを考えているのかなんて、私にはわからなかった。
「本来無一物、という言葉がある。色即是空、空即是色。つまり、色は空であるから、人はみな、なにも持たずに産まれてくる。だから人は、なににも執着がない。死ぬ時は一人なのだから人は死ぬ事が怖くない」
「そんなはずないです。人は生まれたときに、『自分』を持って生まれます。だから人は、命に執着するんです」
「面白い考えですね。では殺仏殺祖は?」
「仏におうては仏を殺せ、祖におうては祖を殺せ。大切なものでも、執着するなということです」
「やっぱり、命へ執着するなということにはならないかな?」
先生が困ったように笑っていた。仏に会ったなら仏を殺し、偉大なる祖に会ったら祖を殺せ。どんなに尊い教えを説いていたって、それに執着してはならない。つまり、私の意見も先生の意見も、どちらも等しく無であるのだ。
「なりません。逆に、死に執着するなともとれますよね」
先生が、うん、と頷いていた。
肉を目の前に出されると、相も変わらず体が震える。これを体内に取り込めば、また私は太り醜くなる。
そんなわけないとわかっているのに、私はお肉が食べられない。
お母さんお手製のササミの蒸し物は、カロリーも低いはずだし体にも必要なのはわかっている。
頭では理解するのに心が拒絶する。
震える手で箸を持ち、ほんの一口のササミを挟む。口を開けてササミを運び、口の中に入れて口を閉じる。ササミの味が口に広がる前に、反射で食べたものを吐き出していた。
口内に残った肉のわずかな成分すら体に取り込みたくなくて、私は椅子を立ち上がりシンクに走った。
コップに水を注ぎ口の中に含んで洗い流す、流れろ、これは危険だ。体内に入ったら私はまた、醜くなる。私にとって肉は、いまだ毒よりも毒らしい、死よりも恐ろしいものだった。
調理師の高校には、様々な人間が入学してくる。私はその日、門田さんという女の子に話しかけられた。ブラウンのボブヘアが可愛らしかった。
「相川さんって、ヴィーガンに興味があるの?」
どこから聞きつけたのか、私が肉を食べられないと聞いて、私に興味を持ったらしかった。門田さんは昼休みに、私と一緒に昼食をとることになった。
学食にはいろんなメニューがあるけれど、門田さんは山菜のお蕎麦を頼んでいた。私は持参したおにぎりに小さくかぶりついた。人と食事をするのはいささか緊張して、おにぎりが上手く呑み込めなかった。
「げほっ」
「大丈夫? お水持ってくるね」
門田さんは席を立ち、学食の無料のお水を持って来てくれた。それを少しだけ喉に入れて、私は蕎麦をすする門田さんに話しかけた。
「私はヴィーガンじゃないよ。拒食症だったから、今もお肉が食べられないだけなの」
「でも結局、お肉は食べてないんでしょ?」
「まあ、この三年は食べてないけど」
私が肉を食べなくってから、半年が経った。のときで、今はもう、十七歳なった。時の流れは思ったよりも遅い。
もう何十年も、拒食症を患ったような感覚があるのに。
「そうなんだ。今度ヴィーガン同士の集まりがあるから、一緒にどう?」
「いや、私はいつか、お肉を食べられるようになりたいなって思ってて」
「ダメだよ!」
門田さんが立ち上がる。食堂の椅子ががたんと倒れた。周りはみな、私たちなんて気にせずに、好き勝手に友達とおしゃべりしながらご飯を食べていた。
「動物を食べるなんて、必要ある? 命を殺す必要ある? 肉を食べなくても生きていけるって、相川さん自身が証明してるじゃない。なのに、動物を殺すの?」
少し面倒くさい話になってきた。当たり障りなく断るにはどうしたらいいのだろうか。
「放課後に、ヴィーガンの先輩と会わせてあげる」
「いや、私は」
「じゃあ、放課後は帰らないで待っていてね」
私は承諾もしていないのに、そのヴィーガンの先輩に会いに行かされることになった。
会いに行った先輩は、ごく普通の人だった。
なんら特異な点のない、どこにでもいるような。
私は挨拶して、喫茶店の椅子に座る。ふかふかのソファは座り心地がよく、体が吸い込まれるようだった。
「ヴィーガンはね、動物愛護と地球環境への配慮を目的としているんだ」
「そう、ですか」
有機珈琲のみを扱う喫茶店では、卵や牛乳を使わないメニューが並んでいる。私は、食べられないくせに豆乳のパンケーキを頼んで、門田さんは紅茶と果物のパルフェを、先輩はコーヒーとあんみつを頼んでいた。
「あの、私はヴィーガンじゃなくて」
「聞いてるよ。でも、肉は食べてないんだって?」
「いや、でもゆくゆくは食べたくて」
「なぜ。動物を殺して食べるなんて、知的生物のすることじゃないって、わかってるでしょう?」
確かに私も動物は好きだ。肉を食べなくてもなんともないのも事実だ。だけど私は、この高校に転入して強く思うようになった。やはり、肉を食べることはいつか克服しなければならない。
人間の体には必須アミノ酸というものが存在する。バリン、ロイシン、イソロイシン、リジン、ヒスチジン、スレオニン、メチオニン、フェニルアラニン、トリプトファン。
これらは体内で合成できないから、食事から補う必要がある。特に肉に含まれる成分だった。
「門田さんも、調理師目指してるんなら、お肉が必要ってわかるでしょ?」
私がパンケーキを切りながら聞くと、門田さんは首を横に振った。パンケーキがばらばらに切り刻まれる。
私はそれを、食べることはできなかった。
「必要ないことを証明するために、資格を取って、ヴィーガンの啓もう活動をするんだよ」
「そうだったの?」
「うん。だって、命をいただくって行為が、信じられない。だから、調理師の資格を持っていれば、ヴィーガンでも健康に生きられる献立もたてられるし、メニュー開発もできるし」
少し違うな、と私は思った。
調理師は栄養バランスのいい食事を提案し、みなを幸せにするのが生業だ。
それを、啓もう活動の一環で資格を取って、間違った食事を作る人が、調理師になっていいはずがない。
「私は違うと思うけれど。門田さんはそう思うんだね」
「え、なにそれ。私たちが間違ってるっていうの?」
「ごめん、そうじゃなくて。なにを信じて信じないかは、私の自由だし、門田さんの自由だよ」
がたん! 門田さんが立ち上がる。先輩も立ち上がって、私を見下ろしてすごんでいる。テーブルのコーヒーがこぼれて、茶色いシミを作っていた。
「地球上の人間みんながヴィーガンになれば、それが正しいことだったんだってわかるようになるんだから!」
「落ち着いて」
「あーもう、信じられない。肉を食べないから話しかけたら。ただの病気じゃん。肉食べられないし、調理実習の試食もできない。じゃあなんで、相川さんは調理師になりたいの!?」
「私……私はただ」
拒食症の子を救いたいだけだった。食べられない子に、どうしたら食べられるのか、一緒に考えてあげたかった。そうやって、生きることも悪くないんだよって伝えたかった。
門田さんが鼻で笑った。
「なんだ、傷の舐めあいをしたいんだ」
「違うよ。私は私の経験を、誰かの役にたてたいだけで」
「そう。先輩、行きましょう。この子はヴィーガンにはなれない。この子はこれからも、命を粗末にするんです。安楽死する人間と変わりません」
なぜここで安楽死の話が出るのか、私にはわからなかった。先輩が私を見下ろしてにらんでいる。
こぼれたコーヒーは水溜まりを作り、私の顔を映し出す。
「私のお父さんは、安楽死したんだ。つい最近。サインなんてしたくなかったのに、私は父を死なせてから後悔したよ。命を粗末にする人間は嫌い。人間であれ動物であれ。死なせない道があるのに、死なせることは殺すことと同じなんだよ」
先輩の生い立ちはよくわかった。
わかったけれど納得はいかない。
ならなぜ、サインしたのだろう。
お父さんの安楽死の同意のサインを。そこで先輩がサインをしなければ、お父さんは安楽死なんてできなかった。
「お父さんの安楽死に同意したのは、先輩でしょう?」
「アンタになにがわかる!」
先輩が私を怒鳴りつけた。
私は肩を震わせて、その場に固まった。
「お父さんは末期のがんだった。だから仕方なかったんだ。だから私はこうして悩んで、ヴィーガンになる決心をしたんだ。それを笑うことは、誰も許さない」
「それなら、私が拒食症の子たちを救うことにだって、意義はあるでしょう!?」
私も立ち上がり、言い返す。
先輩と門田さんが私を責め立てる。
なにもできない、どうせ私たちは無力だ。
拒食症の子たちはいずれ、多かれ早かれ自殺もするだろう、衰弱して死ぬことだって。
そうやって命を落とすことと安楽死の、なにが違うんだ。
「私は……拒食症は、生きるための行為だと思う」
「死にたがりの間違いじゃなく?」
そんなはずない。
確かに私は、あの日々を懸命に生き抜いた。
お母さんが試食のアンパンで私の命をつないでくれて、最悪な精神科の入院ですら、耐え抜いた。
本当は、退院したら私も安楽死を選びたいくらいに絶望していたのに、やっぱり私は、死ぬ道を選べなかった。
「先輩のお父さんが安楽死したのは、悪いことだったんですか?」
「当たり前だよ! 世間から後ろ指さされて、私は就職すらままならない。お母さんは気に病んで、一日中泣いて過ごすようになった。おじいちゃんもおばあちゃんも。みんなみんな、人生を狂わされたんだよ!」
他人事だ、と思った。
私は当事者ではないし、先輩もまた、お父さんの死に無関心だった。
安楽死を選ぶというのは、その同意書にサインするというのは、その人が死んだ後も、その悲しみを共同で引き受けることだ。
先輩もいい歳であったのだから、反対することだってできたはずだ。
「がんの闘病を送らせるくらいなら。介護をするくらいなら。だったら死なせてくれって。父親に言われた子供の気持ち、わかる?」
「わからない。けど」
「けど?」
「お父さんが安楽死を望んだ気持ちは、よくわかる」
はっと先輩が笑った。
「アンタはそっち側なのね」
「はい、私も本気で安楽死を考えたことがあるので」
私は先輩に頭を下げて、喫茶店を後にする。
私の後ろで、先輩が涙を流していた。
あれは私だ、入院前の私。私はひとを殺したし、ひとに殺されることだってあった。
今こうやって生きながらえたのは、ほかならぬ家族のおかげなのだろう。
校外実習が始まる。
最初の校外実習では付属の幼稚園に行かされた。園児たちはみんな元気で、私たちのことも『せんせい』と呼んで、食事する様子を見守った。とてもかわいくて、私は調理師のやりがいを感じていた。
その、初日。
出来上がった料理は一斗食缶バケツに入れて、最初に重さを計っておく。残渣率を計ることは授業で習っていたはずなのに、私はその日、大量の残渣を見て、面食らってしまった。
「こんなに……」
それは私だけじゃなく、おなじ班の同期のクラスメイトも同じようだった。バケツ一杯の食品残渣を見て、私たちは自分がなぜ、ご飯を作るのかを再確認する。
「調理残渣は食料廃棄率のうち三十三パーセント、のこりが食品廃棄。でもこれは」
子供たちは、当然食べ残しがある。そして子供故に、食べきれないことはそう珍しいことではない。
まだまだ発達途中の子供に、無理矢理完食を指導する学校は今はもうない。
とはいえ、今日の残渣は五十パーセントに及び、私の心はくじけてしまいそうだった。
地球の裏側では食べられずに死んでいく子が大勢いるのよ、だから完食しなさい、というのは乱暴な理論だ。
子供たちや、そして私が肉も含めて料理を残さず食べれば、地球の裏側の子たちの腹は満たされるのだろうか?
答えは否だ。私たちがすべきは完食ではなく寄付で、私が肉を残しても食べても、世界はなんら変わらない。
「明日の出汁をこの袋に入れて、調味料を計ります」
実習初日の午後、私たちは子供たちと同じ給食を食べて、お皿を洗いながら明日の準備をする。
麻の袋に、煮干しとカツオ節をパンパンに詰め込んで、砂糖や醤油、みりんを計量する。
冷やすデザートは前日のうちの作ることもあるが、この幼稚園では当日に作るようにしているらしい。
明日のデザートはカスタードプリンだった。
「じゃあ、相川さんは今日はプリンで」
「はい」
「あと。たくやくんは、卵が食べられないからお饅頭なので。そこだけは注意してください」
アレルギーの子に、代替品を出すのは素晴らしいことだなと思う。食べられない子供に、代替品をあげるかは、その栄養士の采配によって決まる。お饅頭がひとつだけ、給食の材料の中にぽつんとたたずんでいる。
たくやくんの名前を忘れないように、メモ帳にメモした。
「今日もまた、残渣出るんだろうね」
「そうだね。なんだか、びっくりしたよね」
学校で習ったとはいえ、大量の調理残渣をいざ目の前にして、私も同じ班の子たちも、食事を見守る目線が変わった。
昨日まではかわいい園児たちに癒されていたが、今日はハラハラと落ち着かない。ある意味園児は素直だ。
おいしくなければ残すし、おいしければ残渣も減る。
「なるほど、やっぱりプリンはみんな好きか」
「そうだね。逆に、野菜料理の残渣が多い」
バケツにぐちゃぐちゃになった料理を見る。今日の残渣率はそこそこで、昨日の残渣に比べればだいぶ少なかった。
私たちは残渣の量を計って、校外実習ノートに記入する。
本来この保育園では、調理残渣は計らない。残渣は計量せずにすぐに捨てて、また調理師さんは明日の献立の準備をする。
けれど、私たち実習生が来る時期だけは、調理残渣をひとつひとつ計らせるのだ。
勉強の為であるとはいえ、調理師さんは食品廃棄に慣れきって、ひとの心なんてもうとっくにないのかもしれない。
「相川さんって、どの子?」
「あ、はい。私です」
園児の給食が始まると、私たちの食事も少し遅れて始まる。けれど私は、なにも食べられなかった。いまだ私は人との食事が怖くて、実習先での食事なんてもってのほかだった。
調理師さんが私を手招きする。
「これ、どう?」
飴を渡されて、これならば食べられそうだと首を縦に振った。
「食べられないのは聞いているよ。でも本当にお昼ご飯抜くなんて……酷な話をするけれど。調理場は体力勝負だから、いつかそれを克服しなければならない日が来るよ」
「はい、わかってます」
「うん、本人が一番つらいことも、わかっているよ。私も病院の経験はあるし」
そのうえで、栄養士さんが、続けた。
「きっかけなんて、些細なことなの。相川さんにとって、肉は恐怖そのものであるのだろうけれど、見たところ相川さんは食べられない自分に自覚的だし、努力もしている。だから、大丈夫。今はただ、焦らないで。自分を責めることだけは、しないでね」
飴玉を三個、私に渡して、栄養士さんは栄養士室で来月の献立を立てている。保育園に務めているからか、まるで私を子供の様に扱っていた。実際私はまだまだ子供なのだけれど、なんだかむず痒い。
いつかは克服できると言ったって、それがいつになるのか確証はない。おばあちゃんになってからかもしれないし、明日、急にそうなるかもしれない。
「さて、残渣調査行かなきゃ」
私は大量の残渣を見ても、なにも思わなくなった。いつか残渣の様に、私にとってお肉は単なる食べ物で、食べるときに勇気も緊張も必要なく、ただ自然な流れでそうすることができるようになるのだろうか。
そんな自分を思い描こうとしても、なにも浮かんでこなかった。
結局私は、保育園実習で調理した給食を、一口も食べることができなかった。
二回目の校外実習は小学校だった。
大量調理は普通の調理とは違った難しさがある。調味料が最たる例だ。調味料は、一人前を五百倍にするのでは余るので、大量調理の際の調味料の計算は普段とはまた別の計算式になる。
「私たち調理師は献立を立てて、現場の衛生確認をします。皆さんには、調理師さんのお手伝いをしてもらいます」
「はい」
学校実習でも、残渣の調査がある。一学年三クラス、かける六。それぞれのクラスの一斗食缶が帰ってくると、それぞれの残渣を調査する。加えて、食品廃棄率の計算もあった。
野菜の皮をむくとき、厚く剥いてしまうと可食部がだいぶ減る。ひとつひとつは大した量ではないのだが、それが何十個にもなると、皮をむくのにも気を使った。
「私、残渣って慣れそうにないな」
私が反省会でつぶやくと、同じ班の子たちもうんうんと頷いた。
「管理栄養士さんは、残渣を見て悲しくなることはないんですか?」
「そりゃあ、今でも悲しい。慣れることはないかな。でも、次はもっとおいしいものを作ろうって、思うかな」
「そうなんですね」
調理師さんにも聞いてみると、
「わたしたちは、残渣よりも食中毒がなかったことに、毎日安堵しているよ。食中毒は私たち調理者にとっては一番の懸念点だからね。残渣はもう、慣れたかな。だれでも好き嫌いはあるわけだし。ただ、この残渣を肥料かなにかに活用できたらとは思うけれど」
大量の残渣を有効活用できれば、罪悪感も多少は減るだろう。
私は校外実習ノートⅡに書き込んでいく。一般家庭では生ごみ処理機に入れれば肥料になるが、学校給食の残渣は家庭の比にはならない。
「それより、相川さんはなんでご飯を食べないの?」
調理員さんが不思議そうに首を傾げた。
管理栄養士さんが慌てて口にする。
「相川さんは、私の方で事情はあとで説明します」
「あ、そうですか」
調理員さんはだいぶ歳のいった女性で、この調理場を仕切っている。対して調理師さんはまだ若く、だいぶ物腰の柔らかな人だった。
管理栄養士さんが、反省会の後に「ごめんね」と私に謝った。
「いえ、食べられない私が悪いので」
「ううん。ちゃんと申し送ったつもりだったんだけど」
管理栄養士さんは、今回の実習生の中に拒食症の子がいるから、フォローしてあげてください。そう伝えたらしい。
だから、あの調理員さんは私への理解がなかった。
拒食症って言ったって、私の体重はこのころには四十五まで増えていたし、昼ご飯を食べないこと以外はいたって普通だった。
「相川さん、ごめんね。普通だからわからなかったの」
「あ、いえ。私も、最初にお伝えするべきでした」
調理員さんが私に謝る。
別に、私は拒食症を隠しているわけじゃないから、最初から調理員さんにも告げるべきだったのだ。
調理員さんが、給食の残りのゼリーを私に渡す。
「おうちでは食べられるんだって?」
「はい」
「じゃあ、これ。持って帰って」
こうやって、大人たちは私になにかと気を使ってくれる。
申し訳ない反面、人間も捨てたもんじゃないなと思う。
そして、それを見ていても、同じ班の子たちはなにも言わない。
班の子たちには私の病気の話はしてあるし、そのうえで、「大丈夫。私たちもサポートする!」と言ってくれたほどだった。
相変わらず、調理師学科の高校では友だちらしい友だちはいないけれど、私は同期に恵まれている。
もしかすると、調理師学科に通っているからみんな、私の病気への理解があるのかもしれない。
これが通信制の普通学科に転校していたら、私は理解されずに本当に一人ぼっちになっていたのかも。そう思うと、調理師は私の天職であり、この学校は私を成長させてくれる、唯一の居場所なのかもしれない。
このころ、私に人生で初めての彼氏ができた。
高校の一つ上の先輩だった。
「なつきちゃんって、頭いいんだ」
「え、そんなことないよ」
「でも、O高校出身だって、友達に聞いたよ」
一個年上の彼は、物腰柔らで、だけれどどこか自分に自信のない人だった。どこから聞きつけたのか私の出身高校がO高校だと知ると、そんな風に自分を卑下した。
「俺なんて、K高校だもん。なつきちゃんには釣り合わないなあ」
「そんなことないって。私は……高校の三年次はぎりぎりで卒業してるし」
拒食症で、とは言えなかった。彼が私を見て「そう?」と笑った。
「大志くんだって、いいところいっぱいあるよ」
「例えば?」
「今みたいに、道路側を歩くとか、私の帰りを待ってくれるのとか」
大志くんの顔がぱっと明るくなった。彼氏彼女って、これでいいのだろうか。拒食症のことを秘密にして、私はまるで、大志くんの機嫌をうかがう都合のいい女いなっていないだろうか。
家に帰って、お母さんよりも先にお姉ちゃんに相談する。
「お姉ちゃん、ちょっといい?」
「うん?」
お姉ちゃんは県内の銀行に勤め始めた。もともと理数系の人だったから、だいぶ社内でも重宝されているらしい。
就活の時、いくつか内定が決まって、最後までどこに就職するか迷っていたくらいだった。
引く手あまたなお姉ちゃんに対し、私はちゃんと就職できるのだろうか。調理師の大学に行くからには、私も就職に腹をくくったつもりだ。
つまり、普通の学科ならば就職先を様々選べるが、私の様に専門職の大学出身だと、その資格の就活に対しては有利でも、もしも調理師以外の職に就こうとなれば、不利になるということだ。
実際、年に何人かは、調理師にならずに一般職に就職する人がいるのだと聞く。私の志望先は病院だ。
そこで私は、様々な人たちに栄養指導をしたい。
「あのね、彼氏がなんかモヤモヤして」
「もしかして、拒食症のこと?」
「そうじゃないんだけど」
なんとなく、大志くんがなんで私を選んだのか、気になってしまう。私なんて大してかわいくもないし拒食症だし、ならばなんで彼は私を選んだのだろうか。
「大丈夫だよ。考えすぎ。気になるなら聞いてみればいいじゃない」
「うーん、でも、怖いな」
聞いて、別れるようなことになったらと思うと、どうしても聞くことができなかった。
「なつきちゃん」
もうすぐ冬休みという時期、大志くんが真剣な面持ちで口を開いた。
今日は話したいことがあるからと、待ち合わせは近くの喫茶店だった。
レトロな雰囲気がかわいくて、私はなにも考えずにコーヒーを頼んだ。
「なつきちゃんって、デートの時、あんまりご飯食べないじゃん」
「あ……それは。小食なの」
どっどっどっど。心臓が脈を速めた。
大志くんが私を見ている。穴が開くんじゃないかってほどに見つめられて、私はコーヒーを口に入れた。
苦い。
苦みを消すためにミルクを入れてかき混ぜる。白と黒がまじりあって、やがて茶色の渦を作った。
「友達に聞いたら、なつきちゃん、拒食症だったんだって?」
ひゅ、と息が詰まる音がした。
なにも考えられなくなっていく。
コーヒーに映る私が消えていく。
茶色の中に私はもういなくて、世界からも姿を消した。息遣いだけが聞こえてくる。それは私の荒い息と、大志くんの静かなため息。
私が言い訳をするために口を開いたのと同時だった。
「病気の人とは、付き合えない」
「でも……今はお肉以外は食べられるし」
「そういう問題じゃないよね。隠していたことを怒っているんだよ」
私は猛省する。
もっと早くに知らせていれば、大志くんは私に幻滅しなかったのだろうか。店のエアコンがぶうんと音を立てる。
冬なのにあつく、私はトレンチコートを脱いで椅子の背もたれに掛けた。
エアコンが全く機能していない。体が熱く、熱湯風呂を浴びたようだった。
「はあ。O高校の彼女がいるって話すとみんながうらやましがるから付き合ったけど。こんな頭おかしい人間だったなんて、怖すぎ」
「怖くなんてないよ! てか、そんな理由で付き合ってたの?」
「ほかになにがあるの? 学歴高いから頭いいんだって思っていたら、拒食症なんて頭のおかしい人間で。俺、なつきちゃんに殺されたくないし」
殺したりなんかしない、決して。
頭だって、おかしくないよ。
私はあなたと変わらない、ただの人間なんだよ。ただ、肉を食べられないだけで。
「じゃ、そういうことだから、俺行くね。食事代はなつきちゃんが払っておいて」
結局、そういう男なのだ。
付き合っていたころから、なにかと自分を誇示して、私を友達に紹介する時だって、「O高校出身なんだぜ」が口癖だった。
私がおかしいのだろうか。
ご飯を外で食べられない、肉を食べられない私が。
デートの時は、無理して食べるようにしていたのに。
それでも、ご飯の半分は残していたけれど。胸が痛む。
作ってもらったものを残すのは、本当に苦しい。その苦しさわずらわしさから解放されるんなら、振られてかえってよかったと思うことにした。
「なつき、大丈夫?」
「お姉ちゃん。大丈夫だよ」
「眼が真っ赤」
夕飯時、お姉ちゃんがいち早く私の異変に気が付いた。家に帰ってひとしきり泣いた私は気持ちを入れ替えて、家族での食事を楽しんでいた。お姉ちゃんがいぶかし気に私を見る。
お姉ちゃんは私にだけ甘い。和樹には、こうやって心配の言葉を掛けたことがない。同性の兄弟ってそういうものなのかもしれない。お母さんよりも近くて、友達よりも大好きな人。
「ちょっと……大志くんと別れた」
「ええ!? なんで?」
お母さんが「初耳なんだけど」と目を丸くしている。お父さんまでもが私を見て驚き目を牛みたいに丸くしていた。
お姉ちゃんが事のあらましをみんなに説明して、私はご飯を咀嚼しながらボロボロと涙をこぼした。
涙がご飯に混じってしょっぱい。ずず、と鼻をすする。塩気が濃い食事は、私を落ち着かせてはくれなかった。
「なんか、私が拒食症で頭おかしいから、別れるって」
「なにそれ!? 私が代わりに文句言ってやる!」
お姉ちゃんが私にティッシュを渡す。私はお茶碗を置いて、ティッシュを鼻に当ててちーんとかんだ。
お母さんも憤慨する。「なつきは変じゃないんだから、気にしないでいいんだよ!」お父さんが私の頭を撫でている。「そんな見る目ない男、早く別れた方がよかったんだ」
「そうだよ、姉ちゃんは誰よりも優しくて繊細で。もっといい男がいるって。俺みたいな!」
「うん、和樹みたいな男子とは付き合わないかな」
「ひどいな」
丸めたティッシュをごみ箱の方に向けてシュート。外して、いつもならお母さんが怒るのに、今日はなにも言われなかった。
床に転がった丸めたティッシュが、私を責める。ちゃんといるべき場所に入れてくれないと、どうしたらいいのかわからないじゃないか。
「ごめん」
なんとなく謝っていた。
誰に謝ったのかはわからない。
お姉ちゃんがもう一枚ティッシュを渡してくれたから、今度はそれで涙を拭った。せっかくの楽しい夕飯の時間を、こんな風にしたことがとたんに申し訳なくなってくる。私は笑顔を取り繕って、
「話したら楽になった!」
目はこすりすぎて痛いし、鼻水もまだ収まらない。ずず、と鼻をすすって、私はまた、茶碗を手に取る。
ご飯があと茶碗に半分残っている。今日は私の好きな鱈の入った水炊きだ。鶏肉は入れない。
私はいまだ、肉や肉と一緒に調理したものが食べられない。だから家族の献立は、私の分を別に作るか、今日みたいに、肉抜きのメニューになる。
私は調理師の大学に通い始めてから、家での料理も時々はするけれど、やっぱりお母さんの作った料理が世界で一番おいしい。
きっと、料理の最強の隠し味は、愛情なのだ。
いつか私の料理も、誰かの一番になれるのだろうか、世界で一番おいしいです。ありがとう。
私の短い春が終わる。
私は、自分がおかしいと思ったことはなかった。
実際、クラスメイトで私の拒食症を知る子たちも、そんな素振りは一切見せなかった。それはとても恵まれたことで、大志くんの反応が、世間一般なのかもしれない。
私は三回目の校外実習で、病院を選んだ。
「はい、じゃあ、今日の課題を渡しますね」
病院の管理栄養士さんは実際の栄養指導を見せるだけでなく、私たちに課題を渡した。
調理師だから栄養指導は必要ないけれど、疾病に合わせた料理は、調理師もある程度はしっておくべきだ。
渡された紙に書いてあったのは、とある事例である。
実習生は全部で六人。二人ずつ、同じ症状の紙が渡されて、私の紙には、肝硬変のひとの実例が記載されていた。
「安楽死を望む肝硬変の男性、四十歳、男性の食事方針を定めよ」
「あ、相川さん私のと同じだ」
一緒にこの病院に実習に来たのは、私と、神尾さんと、牧田さんと、生田目さんと、武田さんと、葛西さん。
私は葛西さんと同じ症例だったらしく、葛西さんが、実習が終わったら一緒に考えようと提案してくれた。
「一緒に考えたら早いもんね」
「うん。でも、ほかの人たちのって、どんな症例なんだろう」
私は興味本位でほかの子たちの症例を見せてもらった。
肥満度Ⅱの女性、ニ十歳の運動療法を含めた食事方針。この女性は仕事の都合上、夕飯が九時以降になることに留意すること。
糖尿病の男性、三十歳の食事方針。ただしこの患者は喫煙と甘いものをやめられないため、代替案を提案すること。
「へえ、なんだか難しいね」
葛西さんがうんうんとうなった。
私は自分に渡された紙を見て、首をひねる。
「でも、これ、安楽死って情報必要あった?」
「さあ。あるんじゃないのかな、書くくらいだから」
私と葛西さんは、実習後に喫茶店に向かって、課題に取り組んだ。
「肝硬変だから、エネルギーやたんぱく質は少な目にするでしょ」
「うん、未精製のものを献立に入れよう。玄米ご飯、ライ麦パン。でも、食物繊維が不足するから、海藻も入れて。ミネラルも摂れるし」
私と葛西さんは、習った通りの食事方針を固めていく。
食後一時間のお風呂は避けること。食事は原則三回に分け、特にアンモニアが生成されないように注意する。
翌日、管理栄養士さんに課題を提出する。
「うん。肥満の患者さんには野菜を中心に、たんぱく質、炭水化物、脂質のpfc比率を守りながら、一日の摂取カロリーを減らしていく。体重一キロを落とすには七千キロカロリー必要だから、それを三十日で割って、一か月に体重の五パーセントまでを限度に減量を目指す。夜の食事が九時以降になるから、夜は軽めの和食など。いいわね」
運動として、エスカレーターやエレベーターは避けて階段を利用する。
管理栄養士さんが花丸をつける。次は、糖尿病の男性だ。
「一日当たりの単位を決め、決まった単位の炭水化物、たんぱく質、脂質を献立に盛り込む。この患者の場合、糖尿病食ニ十単位を目安に献立を配分する。じゃあ、一単位は何キロカロリーか覚えてる?」
「八十です」神尾さんが答えた。
「よろしい。甘いものが辞められないから、果物で代用すれば、食物繊維やビタミンが摂れる。果物以外ならば和菓子を推奨ね。うん、よくできました」
煙草はビタミンCを破壊するから、多めに摂ること。こちらも花丸だ。
「最後に、なるほど、この症例に当たったのは、あなたたちね」
校外実習に際しても、私は先生伝手に私が元拒食症であることは病院の調理師さんに伝えておいた。
だからか、管理栄養士さんがことさら私に注目している。
「うん、そうね。肝硬変の献立としては正解。でも、この患者は安楽死希望だって、書いたわよね?」
「はい」
「その辺の指導は、書いてないわね」
管理栄養士さんが、課題の紙を私と葛西さんに渡した。
「じゃあ、今日は実際に、安楽死希望の患者さんの栄養指導に行きます。最後まで、見ているように」
私は不満だった。
私の課題は完璧だったはずだ。
肝硬変にはエネルギーとたんぱく質に注意すればいい。
そこに安楽死が加わったって、食事方針なんて同じであるはずだ。
栄養指導の部屋に、管理栄養士と、実習生六人が壁際にたつ。
「はい。今日はよく来てくれましたね」
「先生、私は早く死にたいんです。肝硬変でつらくて」
黄疸が出ている。
代償期は過ぎて非代償期なのだろう。
だるそうで、息をするのも辛そうだった。肝硬変の予後は悪い。重症だと、十人中七人は亡くなるのだと聞く。
「私、治療したって、移植しか方法がないなんて。家族に提供なんてもってのほかです」
「では、先週と意志は変わらないんですね」
調理師さんが穏やかに答えた。
「はい。安楽死を希望します。診断書をお願いできますか?」
こんな風に安楽死につながっていくのだなと、私は頭に石を喰らった思いだった。
栄養指導の場に、当たり前のようにその名前が行きかっている。
調理師さんが所見をパソコンに打ち込んでいる。ピッチで電話して、先ほどの話を医師に伝えている。
「それでは、このまま診察になりますので。待合室でお待ちください。最後に食べたいものはありますか?」
「海苔の佃煮を。ありがとうございます、ありがとうございます」
患者さんが、何度もお礼を言っている。
私は吐き気を催して、くらくらして目の前が見えなくなった。
栄養指導をすべて終えて、管理栄養士さんに別室に連れていかれる。
「肝硬変の患者さんの栄養指導の答え、わかりましたか?」
「はい、安楽死を希望する場合、栄養指導にそれも含まれるんですね。そして、最後に食べたいものを作るのが、調理師の仕事」
意気揚々と話す葛西さんに対し、私はなにも言えなかった。
私には無関係だと思っていた。
調理師は食事作りが本来の仕事だ。
いつからか安楽死なんてものが法律で認められたせいで、安楽死まで栄養指導の一環となったらしい。
私は口をつぐんだ。
「相川さんは、納得いっていないようですね」
「や……安楽死を思いとどまらせたりは、しないんですか?」
管理栄養士さんの顔から、笑みが消えた。
「最初はします。何度も。国の法案でも、まず安楽死を求める人には、カウンセリングをすすめたり、管理栄養士自身も、安楽死を思いとどまるように説得するように定められています。でもあの患者さんは」
身寄りがなく、肝硬変に気づいた時期も遅く、症状に苦しみ、仕事もやめた。
今はまだ、貯金があるからいいが、貯金が底を突いたら安楽死すら選択できなくなる。
「でも、肝硬変の予後は……」
「そうね。安楽死の順番待ちの間に死ぬかもしれない。けれど、安楽死が希望になる人も、いるの」
「安楽死が、希望?」
違和感。
私は違和感を感じて、首をひねった。
そんなもの、ただの現実逃避だ。
生きて生きて、生き抜いて。それで死ぬのなら致し方のないことだと思う。
なのに、治療がつらいから、お金が無くなる前に、安楽死を選ぶのは、命への冒涜ではないだろうか。
「相川さんは、そうね。死を経験した人間ならば、安楽死への怒りも人一倍でしょうね」
「それは……」
一緒に来ていた実習生には、私の拒食症は話していない。だから、私と調理師さんのやり取りに首をかしげるばかりだった。私は、調理師さんに言い返す言葉も見つからなかった。
私がおかしいのかもしれない。
安楽死が合法化して一年、それを望む声は今も絶えない。私たちには生きる権利があるが、死ぬ権利もある。
だから日本でも、安楽死が認められた。
昔は、海外に渡航しなければそれらは受けられなかったのだと聞く。
「ですが」
管理栄養士さんの凛とした声。
実習生がみんな、背筋を正した。
「死ぬのはなにも、安楽死だけじゃないのを、忘れないでください。病院では、当たり前に患者さんが病気で死にます。私たち調理師が栄養指導した患者さんが」
実習生の間に沈黙が流れた。
私はただ、人を助けたかった。
美味しい料理をふるまって、正しい食事で人々に長生きして欲しいだけだった。
その中にたまたま拒食症の子がいて、私は自分の経験をその子に伝える。私が救われたように、その子を救いたかった。過去の私と未来の私、私はどちらも等しく救いたかった。
調理師さんがぱん、と手を叩いた。
私たちの意識が宇宙の彼方から引き戻されて、私たちはまるでジェットコースターに乗ったあとの様に疲弊していた。
「それでも……それでも私は、手の届く範囲の人たちを、救いたいです」
それがエゴだとわかっていても。
「相川さん。相川さんこそ、調理師になるべき人なのだと、私は思います」
「……私は、私は今日、その自信をなくしました」
私はいまだに拒食症の影響が色濃く残っていて、もしかするとそのせいで早死にするかもしれなくて、私は安楽死に疑問を抱いていて、今もその答えが見つからない。
校外実習は私に傷跡を残した。
深い深い傷だ。
あの患者さんとはもうあれ切りあうことはないのに、あの患者さんが安楽死を選んだことが、ひどく悲しかった。
実習三日目、管理栄養士さんが私を一人だけ別室に連れていく。
管理栄養士さんが栄養計算をするパソコンのある部屋は、実習生の誰もが入ることを許されなかった。
私たち調理師の卵は、学校の課題でも栄養計算ソフトを使わない。全部手で計算するように指導される。
けれど、隠れて栄養計算ソフトを使う子がいるのは暗黙の了解だった。あいにく、私は馬鹿正直に手で計算しているけれど。
「今日の栄養指導に、その」
「はい?」
「過食症の子が、いるの。相川さんを同席させるのはよくないかなって、思って」
別に私の拒食症は、過去形だ。
今も私は外でうまく食事ができないけれど、家では肉以外は普通に食べている。だから私は、そんな気遣いは不要だと笑った。
「大丈夫です」
「でも、心の病気って、他者に引っ張られるのよ」
「引っ張られる?」
「うん……例えば、病棟の患者さん。一人が自傷をすると、次々に患者さんの体調が悪くなって、病棟中で病んでしまうの」
それは興味深い話だった。
私は今日の給食のカロリーを無意味に頭の中で計算する。ご飯茶碗一杯が二百、焼き魚は百六十。サラダはドレッシング込みで百、デザートのフルーツヨーグルトは百六十。合計で六百二十。平均的な食事だ。
肝硬変の患者さんの食事も見てきたし、糖尿病の患者さんの食事も見た。どれも彩りよく光り輝くように美しかった。
料理は見た目も大事だ。見た目は最初に入ってくる情報だ。どんなに栄養バランスの取れた食事だって、見た目が悪ければ食べてもらえない。
「じゃあ、大丈夫なのね」
「はい、大丈夫です」
私は普段通りに答えた。つもりだった。
妙な胸騒ぎがしてしまうのはなぜだろうか。
私は、入院している過食症の患者さんの部屋へと、班員を連れ立って歩いていく。
過食症だと聞いていたから、太っているものだとばかり思っていたのに、その患者さんは普通体型の、かわいらしい女の子だった。
女の子であることは予想通りだ。
摂食障害は特に、美しくありたい女性に多いイメージだった。
実際には男性も摂食障害になるのだから、この偏見は拭い去らねばならない。
「こんにちは。今日は昨日言った通り、実習生も一緒です」
「わあ、私と同じくらい?」
「そうね。この子たちは大学三年生。ひとつ下かな」
管理栄養士さんが過食症の患者さんの食事内容をチェックしている。ベッドに、『田中美穂子』と書いてあった。
美穂子さんは体調不良でこの病院に検査入院している。過食症だから精神科の入院経験もあるらしかった。
「美穂子さん。また隠れて吐いてましたね」
「なんだ、ばれたか」
なんら悪びれる様子なく、美穂子さんがベッドの下から大量のお菓子を取り出した。
菓子パンが十種類、お饅頭が五個、二個入りのケーキが三パック、売店のお弁当が三個とサンドイッチが二パック。
それらを美穂子さんはベッドの上に広げて笑った。
「これ、食べちゃダメですか?」
「ダメって言って取り上げても、隠れて買ってきて食べますよね。いいですか、吐くと電解質のバランスが崩れるから、心臓に負担がかかるんです。命に関わるんですよ」
管理栄養士さんが、美穂子さんの右手の指の付け根の骨を撫でつける。
そこにはいわゆる吐きだこができていて、私はこの人は自分なのだと錯覚した。
美穂子さんは、これらを一気に胃の中に詰め込んで、時間をあけずに全て吐き出す。食べると言うより無機質に胃という箱にものを詰め込む感覚に近い。飲み込み胃がパンパンになると満足して、今度は太る恐怖にかられて全てを吐き出す。
吐き出すとストレスも一緒に体外に出て、スッキリするという話を聞いたことがあった。
私はいつか、過食に移行するかもしれない。
その危険は、一生消えない。
摂食障害はおおよそ、一生かけて治療していかねばならないこともままある。
私の様に、肉が食べられないまま死ぬ人間もいるだろう。
未来の私を見ているようで、私は胸の苦しさを感じた。
私は違う、私は調理師として、ちゃんと勉強をして、正しいダイエットの知識も身に着けた。
だからきっと、私はこの病気を克服できる。
「大丈夫ですか? 調理師の卵さん?」
「え、私?」
「うん、顔が真っ青」
もしかして、と美穂子さんの顔が曇った。
バレただろうか、私が同類で、私もまた、肉が食べられない異端者だと。
「もしかして、過食嘔吐って気持ち悪かった?」
「え?」
「だってそうじゃん、食べたもの全部吐き出して。私、こんな自分が嫌い。だから、病院出たら安楽死に申し込むの。もう、食費で家族を困らせないためにも」
息苦しさは窒息に変わった。
私がしたかったこととは、まぎれもなくこれなのに、私の精神が美穂子さんに引っ張られる。
私はこの子となにも違わない。
同級生は、私をそんな風に見ていたのかもしれない。
「私、も。拒食症だから、そんなことは思わない、です」
「え! 拒食症なのに、調理師に?」
ワクワクした表情で、美穂子さんが私に聞いた。
私はうん、と頷いて、美穂子さんはすごいなあ、と感嘆の声を上げていた。
息苦しさを心配して、同じ班の子が私の背中をさすってくれた。
「大丈夫だよ、相川さん」
「え?」
「大丈夫。私もみんなも、田中さんも。みんなおんなじなんだよ。人間なんだよ。拒食とか過食とか、そんなこと関係ないんだよ。私たちはみんな、患者さんを救うために調理師になるんだよ」
その子の言葉がうれしかったのか、目から思わずしずくがこぼれた。美穂子さんはなにも思わないのか、「友情って感じだね」なんて他人事に笑っていた。
私は、調理師になって、たくさんのひとを救いたかった。一番は拒食症の子のためだったけれど、私はこれを、乗り越えねばならない。
「安楽死は、ご家族に許可はもらってるんですか?」
調理師さんが、私たちのやり取りを見守っている。私はよろける体を同級生に支えてもらいながら、美穂子さんに真剣なまなざしを向けた。
「許可は出てない。反対すると思う。でも、生きていてもいいことないって、調理師の卵さんならわかるでしょう?」
痛いほどに。
だけれど、この子は本当に死ぬことを望んでいるのだろうか。
美穂子さんがいつから摂食障害なのかはわからないけれど、きっとこの先、私と同じように、生きていてよかったと思える日が、来るはずだ。それこそが私の驕りに他ならない。
私は安易にその言葉を口にしてはならない。
「美穂子さん。時間だし、今日はもう、休んでください」
管理栄養士さんが区切った。これ以上は私が危ないと判断したのだろう。
「はあい。ねえ、調理師の卵さん」
「なんです」
「頑張ってね。あなたは私と違って、たくさんの人を救うんだから」
その言葉に嘘はなかった。
だからこそ、悲しかった。
美穂子さんは本当に死にたがっているのだろうか。本当に、安楽死を望んでいるのだろうか。
望んでいるから、調理師の栄養指導を真摯に受け止めず、今も過食をやめないのだろうか。
「相川さん……実習生は、午後はノートをまとめる時間にしましょうか」
「はい」
私たちは調理場の休憩室に通されて、実習ノートをみんなで広げた。
実習生たちの話題はもっぱら、あの過食症の美穂子さんのことだった。
「田中さん。どうやったら安楽死を思いとどまるかな」
「とめる権利なんて、私たちにはないじゃない」
「でも、安楽死を望む人は、まずカウンセリングを促すって」
習った通りの回答に、私はなにも言えなかった。
あの絶望は、私のものだ。人生に希望なんてものがないのに、生きながらえるように促すのは、無理矢理殺すのも同然だった。
私たちの実習は一週間で終わる。
たった一週間の付き合いの私たちが、無責任に「生きろ」なんて言えるはずがない。
それらは調理師さんの仕事で、でもじゃあ、調理師さんは美穂子さんに、どんな栄養指導をしているのだろうか。
「管理栄養士さん、質問です」
その日の反省会、ほかの子が言及をとどまったのに対し、私は臆面もなく、聞いていた。
「美穂子さんの栄養指導って、どうすればいいんですか?」
「うん、そうね」
管理栄養士さんが慎重に言葉を選ぶ。
「カウンセリングには通っているみたいだし、安楽死しない道も探っているの。あれは、半分は本心、半分は嘘」
「嘘?」
「嘘というより、本人も気づいていないだけで、ああやって死をほのめかして、誰かに助けを求めているのよ。安楽死を望む患者さんの中には、そういう方もいるから、見極めが大事」
嘘でも安楽死したいなんて言ってほしくなかった。
私がそうだったように、安楽死なんてものは本当に本当に人生に絶望した人間の最後の手段で、他者を試すために使っていいものではない。
……そう、なのだろうか。
私が安楽死したいと思ったあの気持ちは、本当だったのだろうか。
私はあの入院から逃げ出したくて、安易に安楽死を望んだのではないのだろうか。
本心と嘘、どちらで安楽死を求めているのかなんて、誰にわかるというのだろうか。
「相川さんは、少しつらい一日だったかもしれないけれど。いい勉強にもなったと思います」
「はい、そうですね。ますますわからなくなりました」
私たちはその日を最後に、美穂子さんの栄養指導には行っていない。
あのあと美穂子さんがどうしたのか、退院したのか、本当に安楽死したのか、私は調理師さんに聞くことができなかった。
病院では日々誰かが死んでいく。
それが病気の時もあれば、安楽死の時もある。
私は自分の信念がわからなくなっていった。
私は確かに、信念をもってこの高校に転校した。
けれど学べば学ぶほど、私の信念がぐらぐらと揺らいで、形をなくして崩れていく。きっと、実習に行ったみんなが同じなのだろう。
安楽死が合法化されて、世界は変わった。
、それがいい方向になのか悪い方向になのかは、きっと誰にもわからない。『安楽死』という言葉が、重く安易に飛び交っている。
五
冬休みのさなかのことだった。
とても寒い一日だった。
ドカン! と地面が突き上げられる音は、最初なにかが爆発したのかと思うほどに、店ごと縦に大きく揺れた。
私は冬休みにさいし、フレンチレストランでのアルバイトに出られるまでに回復した。
しかし、上下関係が厳しく、同じ女性シェフもいるというのに、下っ端の私はいつも皿洗いばかりで、みんな私のことを無視した。
けれど、それしきで私はめげない。
あの日々を思えば、なんてことはないことだった。
「地震だ! ガス閉めろ!」
料理をしていた私たちに、コック長は機敏に指示を出した。
ちょうど私たちがまかないを食べていた時間だった。
突如起きた縦揺れに、機敏に反応したのはコック長だけだった。
ガタガタと揺れる店内で、私はテーブルの下でテーブルの足にしがみついた。実に長い時間揺れていたように思う。店内の食器は床に散乱し破片と化す。
シャンデリアも大きく揺れて、天井に当たってパラパラと割れた。テーブルやレジががたた!と倒れた。
なにもかもが、一変する。二分以上の大きな揺れは、私の店も、一般の家も、等しくすべてを狂わせた。
ものが散乱し、午後の営業は不可能だろう。いや、外はどうなった? この揺れで倒壊した建物もあるかもしれない。
感じたことのない、大きな大きな揺れだった。
テレビをつける。どこも地震速報でもちきりだった。
家は大丈夫だろうか。携帯を取り出し電話をかける。回線が込み合ってつながらない。
コック長が冷蔵庫を確認する。
「今日はもう帰っていい。家族の無事を確認しなさい。それから、冷蔵庫にある水と保存食は、社員で分け合って持ち帰るように」
「え、え?」
「なつき。落ち着け。この中でおまえが一番若い。一番経験値が低い。一番気遣わなければならないのはわかってる。けど、なつき。ここから一週間が勝負だ。この地震は、日本に大きな影響を与えるだろう」
コック長の言うことはもっともだった。この大地震は、死者・行方不明者数二万人を超える大災害として知れ渡ることとなる。
私たち見習いコックは、コック長の計らいで食料と水を等分に分けて、混乱する交通網の中、あるひとは歩いて帰り、あるひとは厨房に泊まった。
私は幸いにも店の近くに実家があったため、その日のうちに帰宅することができた。
今でも耳にこびりつく、皿やシャンデリアの割れる音。
『避難してください』
テレビはどこも同じ言葉を繰り返す。
家に帰って、ぐちゃぐちゃに散らかった自分の部屋で、しばし呆然とする。
大地震なんて、大災害なんて、自分が経験するとは思わなかった。明日からどうなるのだろう。ライフラインが断たれたとコック長が言っていた。水も電気もガスも使えない。
私は店からもらってきた食料と水を数える。
「持って三日……? いや、一週間は持たせなきゃ。家族五人……」
帰って来た母と父が確保した食料と水を合わせても、五日持つかというところだった。
ライフラインが断たれたとはいえ、一週間もすればすべて元通りになるだろうと、私はその日はなにも食べずに布団に入った。
明日目が覚めて、すべてが夢だったら、なんてことを思った。
翌朝起きて携帯を起動して、昨日の地震の情報を集めた。
阿鼻叫喚、とはこのことだろうか。地獄絵図のような映像と写真。
津波が来た、沿岸部に。
この県も海に面してはいるが、私が住んでるこの場所は、海には程遠い。だが、他人事でもない。同じ県内の人間が、津波の被害にあっている。
こと、震源地の津波は目を覆いたくなるような惨状だった。
「ひとが、流されてる……?」
車も、家も。
同じ県内でも、家のほうは震度が一ほど大きかった。
建物は損傷しなかったものの、店内のものは散乱しているし、テーブルも椅子も、落ちてきた電球もどうにかしなければならないだろう。
さいわいにして、私の家族は全員無事だ。
しかし、この状態はいつまで続くのだろうか。
コック長にもらった食料を見ながら、私は途方に暮れた。
結局ライフラインが復旧したのは、震災から十日後のことだった。
それまで私は、コック長にもらった食料と、何日かに一度少量だけ入荷されるコンビニの食糧だけが頼りだった。
水は市がタンクに積んで配り歩いてくれたおかげで、脱水にならずに生き延びることができた。
普段当たり前に使っていた水道も、トイレも、お風呂も、暖房も。なにもかもを失って、寒い冬を孤独に過ごした。
どこから情報を仕入れるのか、ガソリンがガソリンスタンドに入荷されると聞き及んでは、早朝四時には大行列ができる。
コンビニの物資だってそうだ。入荷とともに皆が我先にと買い占めるから、結局情報に疎いものは食料さえ得られない。
一月はまだまだ肌寒く、暖房のない日中の家はより一層寒さがこたえた。
冷蔵庫が使えないから、おのずと保存食ばかりに頼ることになる。火も使えないから冷えた食事ばかりだった。
普段は大好きなパンに、飽きた。たまには温かいご飯が恋しくなるが、そうわがままも言ってられない。
一度だけ、近くの小学校で炊き出しが行われたことがあった。私はそれを、ボナペティの先輩から聞いた。先輩はネットに明るく、そういう情報をどこからか聞いたのだ。
普段は私に冷たい先輩たちだが、困った時は別だった。こういう事態なのだから、気に入らない後輩だろうが、仲の悪い先輩だろうが、関係ない。
「うわ、行列じゃん」
私は炊き出しを頼りに家族と小学校へ向かった。朝は八時、行列は百人はいるだろう。足りるだろうか。
「あ、先輩」
「なつき。炊き出し、自衛隊のだからなくなることはないだろうって。最後尾三十分待ち」
「ありがとうございます」
先に炊き出しの牛丼を食べていた先輩に挨拶をして、私は列に並ぶ。
一月の底冷えする日で、ダウンコートを着ているひともいるくらいだった。
「さむ」
両手をポケットに突っ込みながら、空を見上げる。晴れているからまだいいものを、これで雨や、ましてや雪などふったら二次災害も起きるだろう。
しかし、こんな状況でさえ、私はその炊き出しの『肉』を食べられなかった。
牛丼を作っていた自衛隊のお兄さんからそれを受け取って、家族で体育館に移動する。
そこで腰を落ち着けて、私は牛丼の上の牛肉を、弟と姉にわけていた。
「なつき……こんな時まで」
「ごめん。でも、どうしても無理」
「いいじゃない。白米食べられれば元気になるわよ」
お母さんがフォローする。
私は牛肉をよけた牛丼をかきこむ。
「おいしい! あったかい! おいしい!」
隣にいた老夫婦に笑われた。しかし、美味いものは美味い。久々の温かな食事に涙が出そうだ。
牛丼のタレが細胞ひとつひとつに染み渡るようだ。甘辛い味付けは濃すぎず薄すぎず丁度いい。
なくしかけていた活力が湧いてくるのがわかった。
「おいしい、おいしいな……やっぱり炊き出しは大量調理だからうまみが出るのかな」
こんな時まで分析してしまうのは、もう癖のようなものだ。
あっという間に牛丼を平らげて、場所を譲るために忙しなく体育館を出る。
炊き出しをしてくれた自衛隊に頭を下げてから、家路を歩く。
ライフラインの復旧まであと何日かかるだろう。コンビニもスーパーも、物資が滞ったままだ。
美味しい食事で腹が満たされて、多少は心が落ち着いた。しかし、まだまだ不安な日々は続くだろう。
この県でこれなのだから、震源地はもっとひどいのだろう。今はもう、テレビを見るのさえ嫌になった。余震の恐怖も、目を覆いたくなるような惨劇も、なにも見る気にはなれない。
そういえば、真子は無事だろうか。携帯を開いて連絡先を読み込む。
通話ボタンを押しかけて、やめた。
半年近く連絡も取っていなかったくせに、いまさらだ。それに、震災で忙しい時に無駄に時間と携帯の電池を使わせるわけにもいかない。
私は携帯をポケットにしまって、いまだ片付け切れていない家に帰った。
十日ぶりにアルバイト先に赴くと、コック長の神妙な面持ち。
「コック長、大丈夫でしたか?」
いまだ食料が手に入りにくい状況ではあるが、いったん店員全部を店に呼んだのはコック長の境だった。
「この震災の被害は大きすぎた」
散らかったコックたちの食事部屋で、境がこうべを垂れている。
嫌な汗が伝った。もしかすると、この災害は他人事ではなかったのかもしれない。
「わたしの妻の実家が東北で」
境が声音を低くする。
「妻の両親が津波に、巻き込まれた。義父も義母も遺体で見つかった」
コック長の目が潤んでいるように見えた。
皆がしんと静まり返る。かける言葉が見つからない。
「あの、こういう時だからこそ、食事でみんなを励ませませんか?」
私がカラカラののどから絞り出した。先輩たちが目を真ん丸にする。
「元気にするって言ったって、食材も手に入らないのになに言ってるんだよ」
「だからこそ、ですよ。今すぐにとはいかないけど、ライフラインが完全に復旧したら、誰でも気軽にフレンチを楽しめる、立食、そうだ、立食パーティーみたいなの、開きませんか」
もちろん、そのためには材料を仕入れる費用が掛かる。手間も。
ボランティアで料理は作れないが、少しでも参加費を設けて、できる範囲内でフレンチを食べてもらう。
震災のさなかでも、ひとは絶対にものを食べる。極限状態であれば、どんなものでも。
正直、私は日本がどれだけ恵まれた国だったのかを、まざまざと感じた。
食べたいときにいつでもご飯が食べられる。コンビニに行けば弁当等がある。水だって、蛇口をひねれば飲める水が出てくる。海外ではこうはいかない。海外の水道水は、日本の様に飲めるものは少ない。
水を買う、というのは世界では当たり前のことであるが、私はこの震災を経て、初めて『水を買う』経験をした。
トイレだってそうだ。水が流せなければトイレは汚物で汚れて臭くなる。
風呂に入らなければ体がかゆくなるし、電気やガスがなければ料理もできない。食材の保管だってままならない。
食うや食わずの日々は、私の食への執着心をより一層芽生えさせた。
「人間って、食べなきゃ死んでしまうんですよ。でも、極論を言えば、食べられればなんでもいいはずなんです、生きる上では。それでも人類は、いかに食べ物をおいしく調理するかを研究してきた。食は人間の根源であり、一生の課題なんだと思います」
「なに講釈垂れて。おまえさ、料理の学校通っているからって、ちょっと世間知らずなとこあるよな?」
先輩コックの辛らつな言葉。もっとも過ぎて返す言葉もない。
「今さっき、コック長の義父母さんのこと、聞いてたか? コック長の心中察しろよ」
「……わかってます。でも、この催しは、食べるひとのためだけじゃなくて、作る側のためでもあるんです」
人間の三大欲求を満たせない今、そのうちのひとつでもいい、食欲を満たせたら、救われるひともいるのではないか。
「おまえ、この状況分かって言ってるのか? 薬が必要な人間に、薬情やお薬手帳の提示があれば処方箋なしで薬が処方された。それを取りに行くための車のガソリンがない。だったらどうする? 歩きか自転車で何時間もかけて薬をもらいに行く。そんな事態なんだよ。今は」
「今すぐにって話じゃないです」
「じゃあなんだよ、いつだ? 復旧したらとか、ライフラインが回復したらとか。そんなことどうでもいいんだよ。この災害で悲しむひとを救いたい? そんなのただの傲慢だ。コックにできる人助けなんてないんだよ。だってそうだろ、食は本能とか言ったって、こういう災害の時にわざわざフレンチを食べたがる人間なんていない」
先輩の言うことはもっともだった。
私は口をつぐむ。だからって、なにもしないよりはましじゃないか。
「なつき。おまえが誰かのために調理師になったのは理解してる。わたしも同じ境遇だったから。でもな、今回の件で思い知ったよ。わたしが幸せにしたかったのが、誰なのか」
誰のために作る。
誰のために。誰のためって、みんなのため。レストランを訪れる、すべてのお客様。
「わたしはね、恥ずかしい話、家では料理は妻に頼りっきりだったんだ」
コック長がぼそぼそと口を動かす。いつもとは違い、のっぺりとしたしゃべり方だった。
「でも、震災で。たった十日前のことだけど。十日前、妻の両親が行方不明になって、妻は食事も喉を通らなくなってしまって」
私も先輩コックも、境の言葉に耳を傾ける。
「妻に、『食べたいものはないか?』って聞いたら、『今までそんなこと一度も言ってくれなかったくせに』って言われてしまったよ」
力なく笑うコック長。
「だからね、私なりに台所に立ったんだ。私の家は、一足先にライフラインが復旧したから。でもね、わたしはフレンチしか作れない。家庭料理なんてからっきしで。炊飯器すら使い方がよくわかってなくて」
コック長がうつむき、ぎゅっとこぶしを握った。
「だからね、冷蔵庫に入ってたジャガイモで、冷たいヴィシソワーズを作ったんだ」
「……奥さん、今は大丈夫なんですか?」
「いや。今もまだ立ち直れてない。落ち着いたらご遺体を見に行かなきゃならないし」
コック長は私を見る。弱弱しい瞳だった。
「私が作ったヴィシソワーズを、妻が食べてくれたんだ。そしたら、『あなたの料理って、こんなにおいしいのね』って。わたしが作ったのは、スーパーで手に入る普通のジャガイモを、裏ごしもせずに作ったヴィシソワーズだったのに」
コック長の言いたいことが、私にはよくわからなかった。コック長の腕は一流だ。ならばどんな材料だろうと、おいしい料理になって当たり前だ。
「なつき。なつきは誰に『おいしい』って言ってほしくて調理師になった?」
「私、は。この店に来る、みんなにです」
「そうか。そうだな、なつき。きっとなつきは、その言葉の本当の意味を、まだ分かってない」
むっと口を結ぶ。
確かに私は半人前かもしれないが、誰かのために料理をする喜びは知っているつもりだった。
「わたしはね、この店をたたむことにしたんだ」
「え……?」
「やっぱり。コック長も色々ありましたもんね」
コック長が頷く。しかし、私は納得いかなかった。なんで。どうして。たたんでどうするんだ。
一緒についていきたいとさえ、思った。
「落ち着いたら妻の要望通り、安楽死をさせようと思う」
「え……?」
私の口から洩れたのは、間抜けな息だった。
なぜ。
「なんで……! なんで!せっかく生き伸びたのに!」
「おまえ、さっきから聞いてれば……! コック長の奥さん、家族を亡くしたんだ! 安楽死だってしたくなるだろ!? おまえには人の心がわからないのか!?」
そんなもの、痛いほどにわかる。
死にたいほどつらい現実も、だけど、それを乗り越えた先に幸せがあることも。
「わたしはみんなのために料理を作りたかったわけじゃなかった。妻がわたしのヴィシソワーズをおいしいと言ってくれて、気づいてしまったんだ。妻の決めたことに、私は従うつもりだ」
そんなの勝手だ。
「なんで!」
なんで、私が好きになった人間はみんな、そんな無責任なことを言い出すのだろう。
復興作業に何年もかかる。
「自分勝手で済まない。退職金は後程振り込む」
一か月ほどして、コック長は内陸の県へと引っ越した。奥さんが本当に安楽死を選んだのかは、わからない。
***
震災から一ヶ月。
冬休みが明けたその日、私は久々に真子に呼ばれてファミレスに赴いていた。
みんな、あの震災で友人や家族のありがたみを再認識した。
だから、真子は私と、亜美を引き合わせたのだと思う。
「す、素敵なネックレスだねえ」
思ってもいない言葉を亜美に向けると、満面の笑みを返された。
最初はそんな、他愛ない話からだった。
転校前の高校の仲良しグループは全部で十人いて、転校してからはなんの音沙汰もなかった。
特に亜美とは、ようやく縁が切れたと思っていたのに、目の前にいる亜美は、相変らず人生が楽しくてしょうがないらしい。
なぜだか真子は私と会う時は必ず亜美を誘うのだった。
「これ、いいでしょう? これに惹かれるってことは、なつきもアセンションの時なんだよ」
「あせん……?」
嬉々として語りだした亜美と私は、いわゆる問題児というものだった。
亜美は安楽死を違法に申し込み、私は拒食症で高校を転校。
「アセンションっていうのは、今地球で起きている大規模な次元上昇なの。私が通っている心療内科のドクターが詳しいから、今度聞きに来なよ」
「そう……考えとく」
私はあいまいに返事をして、真子はずずっとアイスコーヒーを飲み干した。
真子はいつも、都合が悪い話題には返事をしない。
だからいつも、亜美のこの話は私が相手をする羽目になる。真子がドリンクバーに席を立つ。
カツカツとヒールを鳴らす真子はすっかり都会の女だ。数ヶ月前まで中学生だった真子と亜美は、もうすっかり垢抜けた。
化粧をしてイヤリングをしゃらしゃらとぶら下げて、私の耳にはなにもないっていうのに。
亜美は不登校になったらしいからか髪をキンキンの金髪に染めて、イヤリングはいつしかピアスにすげ変わっていた。
「それでね、アセンションは人類の三分の一しか乗れないんだけれど」
「ねえ、あっちでなんか新しいコーヒー豆入れてたよ。めちゃくちゃおいしい」
帰ってきた真子が椅子に座り、話題を転換する。
亜美が「マジで!」と顔をぱっと明るくした。私がこのお茶会にまじる前は、ふたりきりでこのファミレスに通っていたらしい。
なんの話をしていたのだろう。やっぱりアセンション?
だったら真子が、亜美とお茶会の話が出る度に、私も一緒に誘うのは、その話題についていけなかったからなのかな。
「そういえば、なつきは拒食症治ったの?」
真子の話題転換であまりよろしくない方向に話が進んだ。私もドリンクバーに行けばよかったと後悔して、
「うーん、一応はまだお肉は食べられないけれど、ほかは普通」
体が拒絶している。今日こそは肉を食べようとしても、体が鉛のようになって動かない。涙があふれて息が苦しい。苦しい、酸素が足りない。
あっぷあっぷで口を開いて大きく空気を吸い込むのに、一向に酸素は私の肺に入らない。
私の肺は壊れてしまったのかもしれない。
「そうなんだ、うちの心療内科くればいいのに。アセンションすれば治るんだけどな」
「いや、私はちゃんとほかの心療内科に通っているし」
亜美がアイスティーのカップを手に、私に言った。なんて?
どこまでも他人事な二人に、私はあいまいに笑って見せた。キラキラのプリズムが真子の真っ黒な髪を綺麗に演出していた。
亜美の話を聞いていなかったら、単なるプリズムのネックレスだったそれ。
「うーん、でも、今の学校で少しずつ回復はしてるよ」
「そうなんだ。まあ、いつでもアセンションできるし」
真子が安心したようにアイスコーヒーのストローに口をつけた。
もう、亜美のアセンションの話は終わったらしい。結局、アセンションってなんだったんだ?
この肉体は宇宙から繋がる仮の姿で、本体は宇宙にあるらしい。
なんだそれ、ちんぷんかんぷん、蝶々がひらりとなつきった。
「そうそう。大学だって、何歳になってもいけるんだから」
亜美の言葉には重みがない。
きっとその言葉たちはアセンションのドクターの受け売りなんだろうなと、私は冷めたホットコーヒーを喉に流し込んだ。
ぬるいコーヒーって苦味が消えて酸味が際立つから、あまり好きじゃない。私は苦味の強いエスプレッソが、好き。
定期的に亜美と真子と会うようになって、私の生活は少しだけ安定した。
「でも、なつきまで転校するとは思わなかったよ」
「私も意外だった。真子と亜美がふたりで会ってるなんて」
きっかけはなんだったかも忘れたけれど、グループLINEで真子やほかの友達が海に行こうって話していて、私はいけないかなって返したら、真子から個別LINEが来た。
半年ぶりの連絡に、私の胸が踊ったのは言うまでもない。同時に後ろめたくて、返事をするか私は迷った。
「お母さんが、なつきががりがりに痩せて怖かったって言ってて、もしかしてって思ったらやっぱり拒食症かって。なんでそんなことしたの?」
亜美がわざとらしく私に言った。真子は亜美の悪意に気づいていない。
亜美は私に今でも敵対心を抱いている。
亜美がにた、と私にいやな笑みを向けた。
拒食症の原因なんて、亜美たちが安楽死事件を起こしたから、疲弊して自尊心を取り戻すためだった。
なんて、そんなことは今はもう、思わない。
病院の臨床心理士さんや神野看護師さん、お父さんお母さん、お姉ちゃん弟。みんなのおかげで、私は今、こうして生きている。
「ちょっと、間違ったダイエットをしてしまったんだよ。でも今は、それがおかしなことだったって自覚はあるし。無駄な経験でもなかったと思っているよ」
亜美が面白くなさそうに顔をゆがめた。
真子は、「そうなんだね、よかったね」と対照的に笑っている。
「本当は、私と佳代が、安楽死するって騒いだ事件のせいだって、思っているくせに」
亜美が本音をこぼした。
「そんなこと……いや、本音を言えば、そう思ったことはあるよ。でも今は、それは関係ないって思ってる」
しかし、亜美はわざとらしく泣きだして、真子がよしよしと背中をさすった。
「亜美だって、傷ついてるんだよ。なつきだってわかるでしょ」
「そうだね、私も、安楽死を考えたこと、あるもの」
え、と真子が固まった。
「なにそれ、初耳なんだけど」
「そりゃあ、誰にも言ってないもん。拒食症で私、入院したでしょう? あの時、一ヶ月近く身体抑制されて……おむつして、そこに用を足して、お風呂にも入れなくて。それで、生きているって言えると思う?」
真子が絶句している。どうせ、理解されないのはわかっていた。
「なんだ、なつきも私とおんなじじゃん。死にたがりのメンヘラなんだ」
亜美が嬉しそうに笑っている。
この子は昔から、悪意の塊だった。
「ま、まあ……そういうことも、あるよね」
真子が話題を転換する。亜美は、必死に私にアセンションのドクターの説法を溶いたけれど、私にはそんなものは、響かなかった。
ある夜、亜美からLINEが来た。個別に連絡が来たのは初めてで、私は連絡に気づいた午前三時、そのメッセージを何気なく開いた。
真っ暗な部屋にスマホのブルーライトが光っていて目に悪い。次に返事が来たら既読だけつけて寝ようと思った。
『なつきもアセンションの子供だから、次の日曜、広野先生のイベント行こう』
にこにこのペンギンのスタンプと、なんかよくわからない虹のエネルギーの書かれたスタンプ。
私はどう返信していいのか迷った。いつか誘われるとは思っていたが、その速さに苦笑すらできない。
既読をつけて、速攻で返信した。スタンプも顔文字もつけない。
『私はそういうの信じてないから』
『でも、なつきも安楽死選んだんだし。きっとなつきの転校もいい方向に向かうよ!』
先輩面されて、私は少しだけ腹が立った。亜美は私がアセンションすると信じて疑わないらしいが、そんなものこっちから願い下げだ。
私は間髪入れずフリック入力する。
『変だよ、それ。アセンションとか五次元とか。そんなもの存在するはずがない』
『は? なにそれ。なつきが折角心入れ替えたのに。ねえ、今度の休みに、直接話そう?』
断るつもりが、なぜだか今度は真子と亜美と私のグループLINEからの通知。すぐに開いて、
『今度の日曜日に、会えないかな?』
亜美のメッセージ。
ついた既読は私のものだけだ。今は午前三時、当然真子は寝ている時間だ。
私は読むだけ読んで返事をせず、その日はもう、布団に入ることにした。亜美のLINEを思い出して、布団の中でひとり憤慨する。なにがアセンションだ、次元上昇だ。そんなもの、存在しない。
存在したのなら、私はいったいなんだっていうのだろうか。
次の日曜日、私と亜美と真子はいつものファミレスで待ち合わせた。注文を済ませて各々がドリンクバーを持ってきたところで、亜美が私にではなく真子に話した。
「聞いて、真子。なつきがね、私の先生の話だとアセンションの子供だって。安楽死を選んだ子はね、アセンションの子供なんだけど」
「ああ、あのすごい先生の?」
真子は亜美の話を真剣には聞かない。
合わせているのだ。
私はわざとらしく顔をしかめる。
なにが『すごい先生』だ。亜美は狂信してるだけで、そこはある種の宗教と同じだった。
「それでね、なつきはアセンションした子供だってわかったのに、信じてないんだよ」
「だから、アセンションとか、宗教みたいで嫌なの」
「宗教じゃないよ。アセンションは合理的な次元上昇なの。私もなつきも、アセンションした五次元の子供なのに、なんでうれしくないの?」
「うれしいわけないじゃん。五次元なんて信じてないし」
「安楽死を望んだこと自体が、五次元に生きる証明だよ?」
亜美は心底広野先生に心酔しているらしく、なにを決めるのも広野先生の言いなりだった。
例えば、運動療法がいいと言われれば、付属のジムに通ったし、デイケアがいいと言われれば、デイケアに通う。
ただ、続くかは別問題だった。
亜美は今でも不登校だし不安定だから、どの療法も長くは続かない。けれど、それでいいのだ。
先生からしてみれば、自分の指示通りに動く患者は、いや、信者は気持ちがいいだろう。
そうやって傷の舐めあいをして、悦に入って、意味の分からないアセンションの講釈を垂れる。
次元が高いからアナタたちは生きづらいだけだよ、安楽死を選んだのが証拠だよ。
大丈夫アナタたちはなにもおかしくない。
なんて甘い言葉。
自分のせいじゃなくて他者のせい。
亜美さんは五次元だから次元の低い他者とかかわれなかっただけなんだよ。就職はまだ早いです。じゃあいつが? それは先生が見極めるから大丈夫。わかりました、私就職はまだやめときます。
そもそも、次元が高いだの低いだの、そういう考えかたが嫌い。誰しも人間は平等で、いいも悪いもない。
そう思う反面、幸と不幸だけは存在するのだから、私は頭がおかしくなりそうだった。
「私もさ、最初は学校なんて行きたくなくて生きづらかったけど、ちゃんとアセンションできたし。なつきもきっとちゃんとアセンションに乗れるよ」
なんともいえない、言葉にできない不快感を覚えた。亜美にできたから私にもできる、というのはいささか乱暴すぎないだろうか。
私がいまいちぱっとしないでいると、亜美はふっと眉間にしわを寄せたままに笑った。無邪気でいて邪悪だった。
「だからなつきは、拒食症なんてしちゃうんだよ」
「それは私も同感」真子が畳み掛けた。
亜美の言葉に、しかし私は呆れてなにも言えなくなった。亜美はどこまで私の話を他者にしているのだろう。
あることないこと、いや、拒食症は実際に患っているけれど。亜美から見た私って、どんな人間なのだろうか。
出来損ない? 光の子供?
でも、私はただ、真摯に調理に向き合っていた。
真子がことりとアイスコーヒーのカップを置いた。コーヒーのコップが汗をかいている。真子はナフキンでコップの結露を拭きながら、私に侮蔑の目を向けていた。亜美に悪気はないらしく、
「でも、大丈夫。肉が食べられないのもアセンション前の一時の落ち込みなんだって。なつきがアセンションするには必要なことだったんだって。私にはわかるよ」
なにもわかってない。これは私の問題で、たとえ真子でも立ち入ることは許されない。
亜美はそれをわかっていて、わざわざ真子の前でアセンションの話に結び付ける。
悪徳なやり方だ。安楽死が合法化したから、それをダシに患者を洗脳する心療内科なんてあってはならない。
けれど、今の私は、昔とは違う。
私はたくさん、たくさん悩んで、乗り越えて、時々後ろは見てしまうけれど、お母さんのために、自分のために、精一杯の人生を歩み出した。
だから、亜美の行動にも不思議と恐怖はなかった。
「きっとなつきも広野先生の話を聞いたら、自分の役割がわかるようになるよ」
「……さっきから、アセンションとか役割とか……! あんたになにがわかるっていうの!」
誰が私を救ってくれたの?
亜美も真子も、私の苦労を「大変なんだね」の一言で聞き流した。私はどこに行けばよかったのだろう。
亜美と真子のふたりだけのお茶会のままのほうがよかったね、きっと。
「私をくだらない話に巻き込まないで!」
「くだらない? は? 五次元に上昇してもいないくせに、私がくだらないって?」
真子はそこにいないかのようにふるまって、亜美は私の胸倉をつかんだ。ティーシャツが伸びて、ああこの子はまったくなんにもわかっていない。アセンションが悪いわけじゃない、私が言いたいのはその危うさ。
アセンションのみが世界の真実だと思い込む、視野の狭さと決めつけに他ならない。
「あんたみたいなただのメンヘラがアセンションなんて、こっちから願い下げだっていうの! あーもう、本当に腹立つ!」
亜美は財布から千円札を取り出して、テーブルにどんと起き席を立つ。真子が困ったように私と亜美を見て、しかし立ち上がることはなかった。
それは、覚悟していたことだった。少なからず、摂食障害をよく思わない人間がいることは覚悟していた。
証拠に、真子が私に向ける目も、言葉も、冷たかった。
「拒食症なんて、やっぱり私も甘えだと思う。私は止めたよね? なのに、食べなかったのはなつきだよね?」
真子の言葉は正しい。甘んじて受け止めよう。
だけど、亜美だって等しく迷惑をかけたのに、私だけがおかしいと断じられて、私は少しだけ落胆した。
「なつきももう、別の学校で友達できただろうし、もう会うこともないだろうね」
真子の言葉には血が通っていなかった。
どこまでも他人事に、事務的な言葉。
昔の私なら、それだけで折れていたであろう言葉だった。
でも生憎、私は真子や亜美が否定する拒食症に――それを通じて出会った人によって、救われた。
人間のなんたるかを知った。
悪意のうらにある真意も、儚さも愚かさも。
全てひっくるめて人間なのだと、今の私は知っていた。
春のファミレスは暑くも寒くもないはずなのに、私は羽織っていたラベンダーのトレンチコートを脱いで、隣の椅子に掛けた。
「私、何度も言うけど、拒食症はつらかったけれど、今はすごく幸せだよ」
私はルイボスティーに口をつけた。お母さんの淹れるものと違って、癖が強い。ぬるくてちょっと、臭みがあった。
真子はどちらの味方をするわけでもなく、どちらの意見も聞きたいらしかった。昔から変わらない、広く浅く。
「真子と亜美がどちらの話を信じるのかは勝手だけど。私は真子にも亜美にも嘘ついたことないし、亜美との仲を裂こうとしているわけでもないよ」
「待って、うん、整理つかない」
真子は亜美に助けを求めた。亜美は、「なつきがおかしいじゃん」と真子の手を取った。
真子はそのまま立ち上がり、私を見下ろす形になる。
真子が即断できないところを見ると、亜美の言葉も信じているのだろう。
私ってそんなに信用なかったのかな。そもそも、亜美は相変わらず外堀から埋めていく。
私の動向が気になるのなら、一対一でお茶に誘えばいいじゃない。
私は逃げも隠れもしないんだから。
まあ、誘われたって、私はアセンションなんてしないし、仲直りもしないのだろうけれど。
「言い訳ってそれだけ? じゃあ、私たち帰るね」
亜美が真子を引いて歩いた。私は止めもしなかった。
***
亜美と真子は、二人で鎌倉や京都に行くくらい仲が良くて、ならなぜ真子は亜美とのお茶会になつきを呼んだのだろうか。
少なからず、あんな別れかたをして、なつきは少しだけ意気消沈していた。
しぼんだ風船
けれど、亜美のアセンションの話を聞かなくて済むのなら、致し方ないとも思ってしまう。亜美のアセンションと私の拒食症。
真子は亜美を取ったけれど、生きるために仕方なしに拒食症になった私の気持ちを、わかってほしかった。
わかったらわかったで軽蔑するのだけれど。
『なつき、月末の日曜に亜美とお茶するんだけど、来る?』
真子から一ヶ月ぶりにLINEが来て、私は返事をするのに二日かかった。LINEを立ち上げて消して、文章にして送るのを躊躇ってはまた消して立ち上げて、またさまよう。宇宙のなかにひとりだけ、取り残されてしまいそうだった。
『私が行ったら、真子の立場が悪くなるよ』
『でも、喧嘩別れなんて嫌だし』
とは言っても、真子は亜美を宥めるわけではないようだった。
つまり、内緒でそのお茶会に来て自分で仲直りしろということらしい。
どこまでも他人事で、だからこそ私の転校になにも言わない。一拍迷って、
『何時から?』
『いつも通り、十一時』
『わかった。行くかはわからないけど、考えとく』
行ったところでなんの解決にもならないと思ったけれど、私はもしかしたらわかりあえるかもしれないと期待して、日曜日のファミレスに足を運んだ。
本格的な春が始まろうとしていた。
曇天の空の下を自転車で走って、私はいつものファミレスの重いドアを開けた。白い息が消えて暖房のあたたかさに血管が一気に拡張した。
偏頭痛のひとはこの寒暖差だけでも頭痛になるらしいから、私はその点は恵まれている。
頭痛なんて年に一回かあるかないかだ。
いつもの席に二人を見つけて、私は意味もなく足音を消してそこに歩いた。テーブル脇に立つも亜美は私のほうを見なかった。私は存在しない。
「なんでこのひとがいるの? まさか真子が?」
もはや名前すら呼ばなかった。
虫を見るような目で、亜美は席に座ったまま私にじっとりとした目を向けた。
存在しなかった私が地球に現れて、宇宙の無酸素から酸素を得て、私は暖房の埃なつきう空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
まったく酸素が行き渡らない。ここはまだ宇宙のなかだ。
「ごめん、やっぱり喧嘩したままはよくないと思って」
「そのひとが無理やり聞き出して押しかけたんでしょ。キモ」
「亜美。話を聞いて」
私は亜美の向かいに座る。
隣の真子は少し体を奥に座り直した。
真子はドリンクバーのホットコーヒーのカップを意味もなく手で包み込んで、冷えた手をあたためている。
「私、アセンションは信じてないけど、亜美とは友達だと思っていて」
「信じてない? じゃあ、なつきの拒食症はただの怠惰だね」
「え?」
「アセンションじゃないなら、なつきの拒食症の理由なんてないじゃん」
理由は前にも話したのに、亜美にとって世界は、アセンションかそうじゃないかにわかれるらしい。
だったらきっと、最初から私も亜美もこの世界には存在しない。
あなたがアセンションだって証明するものはないのだから。
仏陀の弟子は解いた。
地獄から帰還したものがいないのは、罪を犯したものがそう簡単に釈放されないからだ。
されば天界から帰るものが居ないのは? トイレに溺れた人間がそこを脱して、再び汚れた世界に戻りたくないのと同じだ。
死した人間から魂が抜けるのを見ることができないのは? 寝ているひとの夢のなかを覗けないのと同じだ。
人体を解剖しても心なぞ出てこなかった。木から火を起こすには斧でも臼でもなくキリが必要であるように、心を見るには修行が必要なのだ。
もっともらしいことを言うが、私は自分の考えを変えることにプライドが許さない。乾いた豚のフンを頭に乗せて、「雨が降ったら大変なことになる」と言われてもおろさず、酷い目に合うようなものだ、また、敵を回避するのにフンをかぶって対峙するのは、下劣な考えで聖職者に向かうそのものである。
でも死後の世界は誰も知らないのだから、輪廻があることだって証明できない。
死んでみなければ、だれにも答えはわからないし、死んだ人間が生きた人間に死後の答えを伝えるすべはない。
だったらやっぱり、輪廻は存在するの?
「そんなこと言ったら、真子だってアセンションしてないじゃん」
「えぇ、なつき私を巻き込まないでよ……」
困ったように真子がテーブルのうえで手を組んで、おでこを乗せて俯いた。ホットコーヒーは冬の寒さで冷めきって、真子は半分以上残したそれをじっと見ていた。
「真子はいいの。私の友達だから、アセンションするし」
「そういう話じゃないよね。私も真子も、アセンションなんて信じてないよ」
がん、とテーブルを叩いて亜美が立ち上がった。私を見下ろして顔を真っ赤にして、
「真子はアセンション信じてるでしょ!」
「わた、私は」
真子は亜美を宥めようと立ち上がり、私と亜美を交互に見ている。
私は立ち上がらずに亜美を見上げて、スンとした表情を浮かべてやった。
ひとは見えないものは信じないし、いくら仲のいい友人だって、宗教の自由があるし、なにを信じて信じないかは、私と真子の自由だった。
「真子、真子はなつきの味方なの!?」
「味方とか……私はどちらも友達だと思ってるし」
「このメンヘラを?」
「それは……」
亜美が私を鼻で笑った。メンヘラ、メンヘラと繰り返して、なにか納得したように頷いた。
いびつに口元が弧を描く。
私は亜美のこれが苦手だった。
「アセンションに失敗するとね、次元がさがるひともいるんだって。あんた、三次元未満ね」
きっと亜美は私と喧嘩したあとに、広野クリニックで私の悪口を言ったのだろう。
それできっと、広野先生は次元がさがる話を亜美にしたのだろう。
それは最初からわかっていたし、わかっていてなお、私はここに来た。
一縷の望みにかけたかったが、どうにも亜美は、広野クリニックの先生の言葉こそが真実で、他者の言葉は偽りだと思っているらしい。
そして広野先生のアセンションを理解している自分が世界の理で、私はアセンションから落とされた。
「真子、帰ろう。この子頭おかしい」
「真子」
「亜美……なつき……」
どちらの味方なんてしなくていい。
どちらも友達だよって言って欲しかった。
真子は広く浅く友達と付き合うし、だから私とも仲良くしてくれた。
それは別に悪いことじゃないし、それが真子だと言ったらそれまでだ。
「もしかして、真子も拒食症で痩せたなつきがうらやましいの?」
亜美の言葉に、真子は私を突き押して席を出ていった。
ファミレス内の雑踏が一気に凪いだ。
さわさわ、さわさわ。
耳鳴りが聞こえる。血流が私の耳のなかを駆け巡っている。
「拒食症なんて、最低だよ。私は止めたし、それを聞かなかったのに、いまさら仲良くはできない」
それを言ったのは、真子だった。
自分で望んだ訳でもなく、私は広野クリニックに足を踏み入れた。
どうにも納得がいかなかった。
亜美をあんな風にしたドクターは、どれほどの人格者なのだろう。
亜美を心酔させる先生は、どれだけカリスマ性を持つのだろうか。
「初めまして。話は聞いてるよ。なつきさん」
診察室に入ると、二畳ほどの狭い部屋にデスクがあって、座り心地のよさそうなチェアに座った広野先生らしき男が私を見ていた。
髭を蓄えた先生はそれを撫で付けて、「うん」と頷く。
広野先生の後ろにはドアがあって、そのドアの窓から事務員がストップウォッチを持ってこちらを睨んでいた。
「アセンションって、なんなんですか」
「なるほど。それを聞きに来たか」
「はい。……友人がアセンション、アセンションっておかしくなってしまったので」
ヒク、と広野先生の眉が上がった。顔をひきつらせてため息をひとつ。うーん、と手を組んでデスクの上に置き、手の上に額を乗せて口元を歪ませた。
それがあまりにも恐ろしくて、私はなにも言えなくなった。
「アナタはアセンションしてないね。だからそんなことを聞く」
「そうですね。私はアセンションなんてしてませんよ。信じてもいません。胡散臭いと思ってます。宗教の一種みたいだと。安楽死に便乗した、救済のていを取った洗脳だと」
広野先生は今度は天井を仰いで、声を上げて笑った。
ははは、参ったな。とでも言いたげに私を見て、
「ならもう、うちには来なくていい!」
キィと椅子を軋ませ立ち上がり、広野先生は部屋から出ていった。
ストップウォッチを持った事務員が広野先生に時間を見せる。きっかり三分。
「……こっちから願い下げだよ」
呟き、私もカウンセリングルームを出る。
結局私の拒食症は私の問題であるし、亜美はどこまでいっても自分のことしか考えていない。
広野先生だって、自分に従う患者だけを手元に残して、私のように疑問を抱くものたちの診療は拒絶する。
そうやって亜美も広野クリニックという宗教にのめり込んで行って、成せもしないアセンションへの祈りを捧げ続けるのだ。
私はその帰り道、亜美にLINEを送った。
「広野クリニックに行ったよ。でもやっぱり、アセンションなんて信じられない。それに、亜美にはひどいことを言われたよね。だからもう、今後は会わない。今までありがとう」
LINEをブロックして携帯をカバンにしまう。
私は亜美の友達じゃない。それは亜美も同じだ。
私のなかで、ようやく答えが出たような気がした。私はきっと、ずっとこうしたかった。
真子との関係までこれで切れるのなら、残念なことだけれど仕方がない。それでも私は、一歩前進した自分を褒めてやりたかった。
帰りの足取りは軽やかで、誰にもばれないように少しだけスキップしてみた。着地の瞬間脳みそがぐらぐら揺れて、私のステップで世界が崩れていく、生まれ変わっていく、輝いていく!
六
私は相変わらず、お肉が食べられないし、家以外の場所での食事が苦手だった。
その日、転校前の友人から連絡が来て、私の体が震えていた。
「お母さん!」
泣きながら、お母さんにしがみついた。
八十田先生が事故を起こして、教師を辞めたって、なつきにも知らせた方がいいかなって。
私は春休みに入っていた。その日聞いた話によれば、八十田先生は家族で旅行に行った帰り道、高速を運転中に、ダッシュボードに入れておいた地図を取り出そうとして運転を誤った。そのまま八十田先生の車は反対車線にはみ出して、対向車と衝突。
八十田先生のご家族は重傷を負うも、命に別状はなし。しかし。
「衝突した相手の車の運転手のお父さんが……亡くなったって」
そして、同乗していた母親と幼い娘は助かるも、共に重症。
八十田先生は、交通刑務所はまぬかれたものの、損害賠償を請求されて、保険では到底賄えなかった。だから教師を早々に退職して退職金も賠償金に当てた。けれどきっと、それだけでは足りないだろう。
私は息をすることができなくなって、お母さんにしがみついたまま声を出して泣いた。あんなにいい人だったのに、八十田先生は人を死に追いやった。八十田先生はその罪を一生背負って生きていかなければならない。もしかしたら、それを苦に、安楽死を選ぶかもしれない。
「事故があったの、私が転校してすぐらしい」
「うん」
「だから、私、八十田先生に、会いに行きたい」
行ったところで、私になにができるわけでもないけれど。
私はその日、八十田先生に連絡を取った。なんで今更連絡したのかなんて、理由は告げなかった。
八十田先生に会いに行きたいです。いいですよ。
電話の先の八十田先生の声は、あのころと変わらず穏やかで、私はまた、泣きたくなるのをこらえた。
次の日曜日、私は手土産を持って八十田先生の家を訪ねた。
教えられた道順はわかりやすく、私の額には汗が滲んだ。春の生ぬるい風が桜の花弁を舞い上げる。私を先生の家にいざなうようだった。
ぴんぽん、チャイムを鳴らすと、がちゃり、ドアが開いた。
「待ってましたよ」
「あ……」
「ああ、これ? 事故で動かなくなってしまって」
後遺症があったなんて、聞いてなかった。八十田先生は車いすに乗って、額には痛々しい傷跡が残っていた。
私は八十田先生の家に上がる。思っているより散らかっていた。介護士さんらしき人が八十田先生の車椅子を押した。
「あの、これ」
「ああ、気を使わなくていいのに」
手土産のクッキーを渡して、介護士さんが麦茶を出してくれた。そのまま介護士さんは洗濯を干しに外へ歩いていった。私と八十田先生のふたりきりになって、しばし沈黙が流れた。
「すみません。私、なにも知らなくて」
「いや。いいんだ。元気そうで、先生も安心しました」
今も八十田先生は教師を続けているらしい。賠償金をはらうためか、生活費のためかは聞けなかった。
「先生、死んだりしない、ですよね」
「死ぬ? わたしが?」
先生が困ったように笑っていた。先生ならば、安楽死の条件に当てはまる。実際、この家に来た時、私は見てしまった。ポストに入った心無い手紙。『殺人者は出ていけ』
「妻と子供は、離婚したんだ。でも、ふたりを守るためだった」
「じゃあ、今は一人で」
「ああ。でも、相川さんが調理師の高校で上手くやれてるって聞いて、わたしもうれしいなあ。今度、お料理食べさせてくださいな」
ふふ、と笑って、八十田先生は麦茶のコップを手に取った。その手は、震えている。
私も麦茶のコップを手にとって、それを一気に飲み干した。鼻の頭に汗がにじむ。
ふいに、ダイニングテーブルの方を見る。テーブルの上に、『安楽死のご案内』そう書かれた手紙が見えた。体が氷のように冷たくなった。
汗が私の体温を奪ったからではない。
声が震える。息が上手くできない。一度深呼吸をして、私は息を吐き出すように、囁くように、言葉を出した。
「安楽死……先生は、安楽死は、考えたことはないんですか」
先生の視線がダイニングテーブルに向いた。隠せないことを悟ったのか、隠す気がないのか、八十田先生は穏やかに笑ったままだった。
「……安楽死ね。ありますよ、正直な話をすれば」
やっぱり。私の体が今度は熱を持った。脳みそが爆発しそうなくらいに熱かった。
あの手紙は、八十田先生に宛てたもので間違いないようだった。先生は安楽死を、望んだ。それでも、踏み切れなかったのだという。離婚したとはいえ、子供の許可は必要になる。しかし、子供たちは八十田先生の安楽死を反対しなかったのだそうだ。
八十田先生は、病院で診断書をもらって、三親等内全員のサインをもらって、安楽死に申し込んだ。事故にあって三ヶ月経ったころのことだそうだ。
「先月、わたしの番が回ってきたんだけど。腕に点滴の管をつながれて。このバルブを回したら死ねます。って言われたんだ。看取りは誰も呼ばなかったよ」
それでも、八十田先生はそのバルブを回せなかった。最後の最後、踏みとどまらせたものはなんなのか、八十田先生にもわからないのだそうだ。
それは子供の存在だったのかもしれないし、妻の存在だったのかもしれない。
「子供の結婚を見届けたい。子供の幸せを。わたしは安楽死なんて望んでいたのだろうか? それに、わたしの罪は、わたしが償わなければならない」
八十田先生らしいと思った。優しくて、責任感のある。
昔からなにひとつ変わっていなかった。
八十田先生の目に涙が滲んでいる。それは八十田先生の血潮であり、生きている証でもあった。
命が瞳を滑り落ちて、八十田先生の頬を濡らした。
それこそが八十田先生の答えであり、私の答えであり、そしてそれは、死そのものであった。
「あまり長居したら申し訳ないので、私もう帰ります。今日は会えてよかったです」
「こちらこそ。相川さんが生きていてくれてよかったとわたしが思ったように、きっとどこかで、わたしが生きていてよかったと思ってくれる人が、いるのだと思えました」
それは私たちが持つ傷跡だと思った。
私は死ぬのが怖い。今でも怖い。だから、安楽死を望む人の気持ちなんてわからない。
わからないはずだった。
けれどきっと、あの入院の日々に、安楽死を願った自分も本当なのだ。
私は八十田先生の家に行った帰り道、適当なファミレスに入って料理を注文した。
私は家以外での食事ができない。できてもせいぜい、おにぎり程度だ。肉だっていまだに食べられない。
食べることは生きること。ならば私は、死にたがっているのだろうか。
ウェイトレスさんがステーキを運んでくる。ライスは大盛りだ。
私はナイフとフォークを手に取り、大きくステーキを切り取った。フォークで刺したステーキを口に運ぶ。大きく口を開けて、ステーキを舌の上に乗せた。
これは私だ。いつかの私だ。私は調理師になって、たくさんの人を殺し、たくさんの人を救う。
そこに命の重さなんてなくて、私は色即是空、空即是色。
今日も人為的に人が死ぬ。自然の流れで人が死ぬ。人の過ちで人が死ぬ。その中に、私の名前は、まだ、ない。
牛肉の脂が舌の上を通って喉の奥に流れていく。歯が肉をかみちぎって細かく砕いていく。
そして私は、大盛りのライスを皿からかき込んで、ステーキと一緒に飲み込んだ。
了
