心地よい夢の余韻に包まれながら、玲瑠はゆっくりと目を開けた。
カーテンの隙間から差し込む朝の光が、古い畳を白く照らしている。
リヒトと過ごした夜。リヒトの頬に重ねた唇に残るほんのりとした熱。
夢と現実の境界線にゆらゆらと揺られながら、玲瑠はまどろみの中で体を起こして隣の布団に目を向ける。
「えっ?」
一瞬にして夢の世界から覚める。
そこにあったのは、キレイに畳まれて誰もいない布団だった。
「ちょっと待って、リヒト先生!?」
心臓がドクンと冷たく鼓動を刻み、絶望感とパニックに押し潰されそうになる。
お別れの言葉も言えずに別れるなんて絶対に嫌だ。
そんな慌てた面持ちの中、畳まれた布団の上にポツンっと白いレター用の封筒が置いてあることに気づいた。「レイルちゃんへ」っと書いてある。
そっと手に取る。
封筒を留めているのは、コンテストに応募するのマステ絵を描いているときに玲瑠が選んだ、カラフルなビンが並んだマスキングテープだった。
そのマステを剥がし、便箋を取り出す。
震える指先で便箋を開くと、リヒトの手書きでぎっしりと文字が並んでいた。
ゆっくりと黙読していく。
『レイルちゃんへ。俺を救ってくれたレイルちゃんには感謝の言葉を見える形で残しいから手紙を書きました。また、本当は直接顔を見て言葉で伝えたかったけど、レイルちゃんのかわいい顔を見てたら緊張して全部伝えられそうにないから、文章にして気持ちを全部伝えようと思います。まずは俺の絵を褒めてくれてありがとう。今までコメントで俺の絵を褒めてくれる人はたくさんいたけど、直接声で感想をもらって、しかも俺に絵を教わりたいぐらいに尊敬してくれるファンはレイルちゃんが初めてでした。俺みたいな弱小イラストレーターが作るマステ絵を誰よりも愛してくれて本当にありがとう』
リヒト先生は弱小イラストレーターじゃない。心からそう思っている。
『次に、こんな俺みたいな人間に、レイルちゃんの大切な高校生の時間を割いてくれてありがとう。ブラック企業で心が病んで、うつ病になって現実から逃げ出して、社会からも見放されて、自分の存在理由すら見失っていた真っ暗な闇の中で、レイルちゃんがお店にやってきてくれて、レイルちゃんと過ごした日々は楽しく、レイルちゃんがいる時間は嫌なことを忘れられました。約一ヶ月間、レイルちゃんと過ごした日は奇跡に思えます』
人に言えたことじゃないが、どこまで自己肯定が低いんだろうと思う。
『レイルちゃんが俺の絵を見て目をキラキラと輝かせてくれたとき、そして、俺に絵を教えてもらいたいって言ったとき、俺は誰かのためになれたんだなって思って、どれだけ俺の救いになったかわかりません。止まっていた俺の時間を動かしてくれたのは、他の誰でもないレイルちゃんです』
玲瑠の止まっていた時間を動かしてくれたのも、まぎれもないリヒトだ。
「レイルちゃんは自分のことを失敗作だなんて言って自分を責めていたけれど、そんなことは絶対にない。俺がうつ病だって打ち明けたとき、レイルちゃんは俺を抱きしめてくれた。解決策がなくても、他人の気持ちを考え、一緒に傷ついてくれる優しさ。この優しさは厳しい社会を生き抜く上で支障が出ちゃうかもしれないけど、レイルちゃんなら上手に優しさを使いこなして、きっと幸せな人生を手に入れることができると思うよ。レイルちゃんの優しさをこれから出会う人たちにも振りまいてあげてね」
感情を他人に預けてしまう、毒親に育てられた弊害で手に入れた優しさ。
だが、リヒトにその優しさに対する感謝の言葉をもらい、あの環境で育ったことが報われたかもしれない。
「レイルちゃんは世間がなんと言おうと、世界でたったひとつのキレイな柄で、特別で最高の作品だです。その最高の作品のレイルちゃんは、もっと広い世界に出て、もっとたくさんの人と出会えば、きっとその中で幸せを掴めると思うよ。その広い世界を歩く中で、たぶん、自分は間違ってるんじゃないのか、もう生きてられない、全部捨ててしまいたい、って思うことがあると思う。大人の俺だってそう思うことがあるんだから、十七歳のレイルちゃんは、もっと迷うことがあると思う」
その通りだと、深くうなずく。
「でもレイルちゃん。レイルちゃんが自分自身の心で感じて、迷いながらも自分で選んで、一歩を踏み出そうとするその道こそが、レイルちゃんにとっての一番の正解なんだよ。立ち止まってる時間でさえも、後悔した道でさえも、あとで振り返ったら、あのときはあれが最善の選択だったって思うようになるんだよ」
明紀と同じことを言っている。やっぱり、リヒトは明紀の孫だ。
「でもただひとつだけ、俺みたいになる道だけは選んじゃダメだよ? これだけは大人として、レイルちゃんに強く言うね。レイルちゃんが俺のイラストの活動を応援してくれているように、俺も遠く離れた所からいつまでもレイルちゃんを応援してるからね。俺はもう助けられなくなっちゃうけど、自分の足でしっかり歩いていくんだよ。最後にもう一回言うね。レイルちゃん、俺と出会ってくれて本当にありがとう。どうか、自分を大切にして、幸せになってね。リヒトより』
一文字、一文字を追うごとに、視界が大きくにじんでいった。
「う……っ……あ……っ」
ぽろぽろと溢れ出す大粒の涙が便箋の上にこぼれ落ち、リヒトが丹念に綴った文字を濡らしていく。
幼い頃から失敗作と咎め続けた衣琉華の冷酷な言葉。
そして、インターネットの知識で未来を知った気になり、絶望して不登校になった過去。
その道にしか進めなかった、自分自身の不甲斐なさ。
玲瑠のこれらの痛みを思い、リヒトがどんな想いでペンを握り、この手紙を残してくれたのか。
そのリヒトの姿が頭に浮かび、胸が引きちぎられるほどの痛みが走った。
「うわあああああん! リヒト先生っ! ありがとう! リヒト先生大好き! うわあああああん!」
便箋を両手で強く胸元に抱きしめ、玲瑠はリヒトの布団に顔を伏せ、大泣きした。
しゃくりあげ、声を枯らし、心の中にたまっていた悲しみと涙をすべて流し尽くすようにして、玲瑠はいつまでも泣き続けた。
カーテンの隙間から差し込む朝の光が、古い畳を白く照らしている。
リヒトと過ごした夜。リヒトの頬に重ねた唇に残るほんのりとした熱。
夢と現実の境界線にゆらゆらと揺られながら、玲瑠はまどろみの中で体を起こして隣の布団に目を向ける。
「えっ?」
一瞬にして夢の世界から覚める。
そこにあったのは、キレイに畳まれて誰もいない布団だった。
「ちょっと待って、リヒト先生!?」
心臓がドクンと冷たく鼓動を刻み、絶望感とパニックに押し潰されそうになる。
お別れの言葉も言えずに別れるなんて絶対に嫌だ。
そんな慌てた面持ちの中、畳まれた布団の上にポツンっと白いレター用の封筒が置いてあることに気づいた。「レイルちゃんへ」っと書いてある。
そっと手に取る。
封筒を留めているのは、コンテストに応募するのマステ絵を描いているときに玲瑠が選んだ、カラフルなビンが並んだマスキングテープだった。
そのマステを剥がし、便箋を取り出す。
震える指先で便箋を開くと、リヒトの手書きでぎっしりと文字が並んでいた。
ゆっくりと黙読していく。
『レイルちゃんへ。俺を救ってくれたレイルちゃんには感謝の言葉を見える形で残しいから手紙を書きました。また、本当は直接顔を見て言葉で伝えたかったけど、レイルちゃんのかわいい顔を見てたら緊張して全部伝えられそうにないから、文章にして気持ちを全部伝えようと思います。まずは俺の絵を褒めてくれてありがとう。今までコメントで俺の絵を褒めてくれる人はたくさんいたけど、直接声で感想をもらって、しかも俺に絵を教わりたいぐらいに尊敬してくれるファンはレイルちゃんが初めてでした。俺みたいな弱小イラストレーターが作るマステ絵を誰よりも愛してくれて本当にありがとう』
リヒト先生は弱小イラストレーターじゃない。心からそう思っている。
『次に、こんな俺みたいな人間に、レイルちゃんの大切な高校生の時間を割いてくれてありがとう。ブラック企業で心が病んで、うつ病になって現実から逃げ出して、社会からも見放されて、自分の存在理由すら見失っていた真っ暗な闇の中で、レイルちゃんがお店にやってきてくれて、レイルちゃんと過ごした日々は楽しく、レイルちゃんがいる時間は嫌なことを忘れられました。約一ヶ月間、レイルちゃんと過ごした日は奇跡に思えます』
人に言えたことじゃないが、どこまで自己肯定が低いんだろうと思う。
『レイルちゃんが俺の絵を見て目をキラキラと輝かせてくれたとき、そして、俺に絵を教えてもらいたいって言ったとき、俺は誰かのためになれたんだなって思って、どれだけ俺の救いになったかわかりません。止まっていた俺の時間を動かしてくれたのは、他の誰でもないレイルちゃんです』
玲瑠の止まっていた時間を動かしてくれたのも、まぎれもないリヒトだ。
「レイルちゃんは自分のことを失敗作だなんて言って自分を責めていたけれど、そんなことは絶対にない。俺がうつ病だって打ち明けたとき、レイルちゃんは俺を抱きしめてくれた。解決策がなくても、他人の気持ちを考え、一緒に傷ついてくれる優しさ。この優しさは厳しい社会を生き抜く上で支障が出ちゃうかもしれないけど、レイルちゃんなら上手に優しさを使いこなして、きっと幸せな人生を手に入れることができると思うよ。レイルちゃんの優しさをこれから出会う人たちにも振りまいてあげてね」
感情を他人に預けてしまう、毒親に育てられた弊害で手に入れた優しさ。
だが、リヒトにその優しさに対する感謝の言葉をもらい、あの環境で育ったことが報われたかもしれない。
「レイルちゃんは世間がなんと言おうと、世界でたったひとつのキレイな柄で、特別で最高の作品だです。その最高の作品のレイルちゃんは、もっと広い世界に出て、もっとたくさんの人と出会えば、きっとその中で幸せを掴めると思うよ。その広い世界を歩く中で、たぶん、自分は間違ってるんじゃないのか、もう生きてられない、全部捨ててしまいたい、って思うことがあると思う。大人の俺だってそう思うことがあるんだから、十七歳のレイルちゃんは、もっと迷うことがあると思う」
その通りだと、深くうなずく。
「でもレイルちゃん。レイルちゃんが自分自身の心で感じて、迷いながらも自分で選んで、一歩を踏み出そうとするその道こそが、レイルちゃんにとっての一番の正解なんだよ。立ち止まってる時間でさえも、後悔した道でさえも、あとで振り返ったら、あのときはあれが最善の選択だったって思うようになるんだよ」
明紀と同じことを言っている。やっぱり、リヒトは明紀の孫だ。
「でもただひとつだけ、俺みたいになる道だけは選んじゃダメだよ? これだけは大人として、レイルちゃんに強く言うね。レイルちゃんが俺のイラストの活動を応援してくれているように、俺も遠く離れた所からいつまでもレイルちゃんを応援してるからね。俺はもう助けられなくなっちゃうけど、自分の足でしっかり歩いていくんだよ。最後にもう一回言うね。レイルちゃん、俺と出会ってくれて本当にありがとう。どうか、自分を大切にして、幸せになってね。リヒトより』
一文字、一文字を追うごとに、視界が大きくにじんでいった。
「う……っ……あ……っ」
ぽろぽろと溢れ出す大粒の涙が便箋の上にこぼれ落ち、リヒトが丹念に綴った文字を濡らしていく。
幼い頃から失敗作と咎め続けた衣琉華の冷酷な言葉。
そして、インターネットの知識で未来を知った気になり、絶望して不登校になった過去。
その道にしか進めなかった、自分自身の不甲斐なさ。
玲瑠のこれらの痛みを思い、リヒトがどんな想いでペンを握り、この手紙を残してくれたのか。
そのリヒトの姿が頭に浮かび、胸が引きちぎられるほどの痛みが走った。
「うわあああああん! リヒト先生っ! ありがとう! リヒト先生大好き! うわあああああん!」
便箋を両手で強く胸元に抱きしめ、玲瑠はリヒトの布団に顔を伏せ、大泣きした。
しゃくりあげ、声を枯らし、心の中にたまっていた悲しみと涙をすべて流し尽くすようにして、玲瑠はいつまでも泣き続けた。
