壊れてしまった私たちはマスキングテープで愛を描く

 翌日。早起きした玲瑠はオンライン授業が始まる前、鏡に映る腫れ上がった顔を冷たい水道水で何度も洗った。
 冷水で無理やり意識を覚醒させ、涼水文房具店へと走る。

 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」っと、息を切らして到着したが、待ち受けていたのは重々しく下ろされている灰色のシャッターだった。
 シャッターの中央に「臨時休業」っと書かれた紙がぽつんと貼られている。

 すがる思いで家屋の脇に回り込み、住宅街側の玄関のチャイムを押す。

 ピーンポーンという電子音が虚しく静寂に響き……どれだけ待っても、返事は返ってこなかった。 

 ここにリヒトはいない。

 焦りで喉がカラカラに乾く中、握っていたスマートフォンの電源をつけ、リヒトのSNSアカウントを開いた。

 最新のタイムラインには、しばらくコンテストの絵に集中するためにイラストの投稿を休止するという趣旨の文章が、数日前に投稿されているだけだった。

 玲瑠は「エンペラーズカフェ」っという、見る専用の鍵アカウントを持っている。でも、このアカウントでリヒトにメッセージを送っても誰かわからないだろうと思い、連絡を取るために新規アカウントの「レイル」を作成した。

 届くかもわからない、拒絶されるかもしれない恐怖に苛まれながらもダイレクトメッセージを打ち込む。

 『突然の連絡失礼します。レイルです。こんにちはリヒト先生。大丈夫ですか』っと送信。

 祈るように画面を見つめたまま数分待っていると、チャット欄に入力中を示す三点リーダーのエフェクトが浮かび上がり、返信が届いた。

『なんの連絡もせずにいなくなってゴメンね。しばらく実家に帰るから、レイルちゃんも元気でね』

 無事を確認できた安堵はほんの一瞬だった。
 すぐさまリヒトに会えない強烈な寂しさが一気に押し寄せる

 今はただ、明紀が亡くなった癒えない傷とともに、リヒトと再び会えることを願うことしかできなかった。

◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ 

 それから、リヒトのいない空っぽな日々が始まった。

 無駄だと思っていても、もしかしたらリヒトがいるかもしれないと期待して、涼水文房具店に足を運ぶ毎日。だけど、シャッターが閉まっているだけだった。

 スマホから流れる授業を聞いても、先生の声は耳を素通りするだけ。教科書の文章を読んでも、目が滑って内容がまったく頭に入ってこない。

 無気力感が増した玲瑠に対し、衣琉華は相変わらず「もっとシャッキとしなさい!」「どんくさいわね~」「なんで要領よくできないの!」っと、冷たい言葉を投げかけてきた。

 いつもなら身をすくませていたヒステリックな嫌味すら、今の玲瑠には遠くで鳴る風音と同じだった。感情のスイッチが完全に切れてしまっている。

 リヒトと出会う前の、あの息苦しい世界へと逆戻り……いや、それ以上に酷い、真っ黒な穴に永遠に落ち続けているような、虚無の毎日を送っている。

 これがうつ病という状態なのだろうか。専門家の診察を受けていないからわからない。

 ただひとつ確かなのは、どれだけ意識が白く濁ろうと、リヒトのことだけは鮮明に思い出せるということだ。

 そしてまた、リヒトという陽だまりの中にいたいと願い、勝手に涙が溢れ出す。

 気分をまぎらわそうと、安易に快楽物質を出すことができるショート動画を見ても、臭い物がクセになるような暗いニュースを見ても、頭にあるのはリヒトの存在だけ。

(リヒト先生……早く戻ってきてっ!)

 発光する画面から目を離し、天井を見つめながら、毎晩そう願うことしかできなかった。

◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ 

 ある種、拷問にも近い毎日を二週間過ごしたある日の夕方。

 ベッドに横たわってぼんやりとショート動画を見ていると、画面上部に通知が滑り込んでくる。

 リヒトからのDMだ。

 ゴム鞠みたいに体がピョンっと跳ね、ベッドにペタリと座る。即刻DMを開いた。

『レイルちゃんひさしぶり。あれから返事をしなくてゴメンね。明日の夜二十一時ぐらいにおばあちゃんの家に帰るから、少し遅い時間になるけど、もしよかったらそのときゆっくり話そう』

 たった数行のテキストを何度も何度も読み返した。

 止まっていた世界の歯車が、ガチャンと音を立ててようやく動き始める。

(早く明日になって!)

 スマートフォンを胸に強く抱きしめ、早く時間が過ぎ去ってくれと祈りながら、その日は眠れない夜が続いていった。