翌日の午後。
昨日の夢みたいなデートの余韻が胸を熱く焦がす中、さっそくコンテストに応募するマステ絵を描く作業が幕を開けた。
玲瑠とリヒトは身を寄せ合って作業机の前に座る。
広い作業机の端から端まで広げられているのは、A2サイズの画用紙。玲瑠が落書きや練習で使ってきたA4サイズのコピー用紙を四枚くっつけた大きさだ。
「わああああ! すっごーい!」
巨大なキャンバスに鉛筆で描かれていたのは、息をのむほどの美しい線画だった。
何枚ものフリルを重ねた豪華なプリンセスドレスを身に纏い、背中にはバサッと大きく広げた天使の翼を生やした幻想的な少女。
神イラストレーター、リヒトの真骨頂たるザ・メインコンテンツだ。
まだマスキングテープ一枚すら貼られていないというのに、流れるような髪の躍動感、広がるドレスの生地の質感、羽一枚一枚の重なりまで、圧倒的な画力で表現されている。
「すごいです! もう、この線画のままで完成でいいんじゃないかって思うぐらいです!」
「ありがとな。それじゃあ、この絵をより良いものにするために、どこになんのマスキングテープを貼るか決めるのをこれからレイルちゃんに手伝ってもらおうかな」
「はい喜んで!」
リヒトはイベントで手に入れたマスキングテープたちに加え、元々持っていた売れ残りのマスキングテープたちを線画の上に広げた。
飾り気のない素朴な単色、シンプルなストライプ柄やキュートなドット柄。細かな花柄や和柄、幾何学模様が配置されたゴテゴテと装飾的な抽象柄。
まだ玲瑠はマステ絵のイロハのイも覚えていない。でも、改めて見るとどの柄ひとつ取ってもデザイナーの魂が込められていて、個性的な魅力が光っている。これが本当に売れ残りなのが信じられないぐらいだ。
「ざっくり見た感じ青色が一番多かったから、ドレスは青色軸でいこうと思う。次に赤色が多かったから翼は赤色でいこうと思う」
リヒトは青色のマスキングテープをひとつつまむと、ドレスの線画の上に置いてその柄が合うか確かめる、試し置きをする。
首をかしげ、それを机の端に退けると、別のマステを置く。
この作業を、二度、三度、四度……っと繰り返し、納得がいくまで何度も試していく。
妥協は絶対に許されない。
(うーん、難しいなぁ)
唸り声を上げながら手際よくテープを当てていくリヒトの横で、マステ絵の経験が浅い玲瑠には、どの柄も煌めいて見えてしまい、どれを採用すべきか見当もつかない。
でも、直感を信じて意見を言ってみる。
「リヒト先生! この青いバラの柄、フリルにいいんじゃないですか?」
「おっ、玲瑠ちゃんセンスいいな。俺もこの柄を使おうと思ってたから、自信が持てたよ。次の羽の場所は……」
リヒトは一枚の真っ白なコピー用紙を取り出し、いくつかのマステを数ミリだけちぎってコピー用紙に重ねて貼りつけた。様々な柄が混ざり合う、小さなモザイク模様が出来上がる。
「マステ絵の面白いところは、絵の具と違って色を混ぜられない代わりに、テープを重ねて貼ることで新しい柄を作ることができるんだ」
説明にうなずきながら、様々な柄が乱雑に貼られたコピー用紙に目を落とす。
「単体だとパッとしないマステでも、こうやって重ねてあげることで最高の組み合わせが見つかるんだよ」
「すごく面白い画法ですね! このハート柄とひし形柄が隣り合ってるやつがいいと思います!」
「それじゃあ、その組み合わせをベースにして、この柄とこの柄も重ねて翼を描くか」
ふと、リヒトの真剣な顔がすぐ真横にあることに気づいた。
見慣れた横顔のはずなのに、好きだと自覚してしまった途端、直視するだけで顔が熱くなる。
昨日までとは生きている世界がまったく違うような気がした。
そんな心のくすぐったさを覚えながら、ああでもない、こうでもない、っと、アイデアを出し合い、顔を合わせて笑い、真剣に頭を悩ませる、大好きな人と過ごす時間。
一瞬一瞬すべての場面が脳内のフィルムに焼きつけられていくような、どこまでも愛おしく、かけがえのない時間だった。
明日も、明後日も、コンテストが終わったその先も、ずっとずっと、この幸せな時間が続けばいいのにと切に願う。
(ゴメンね……君たち……)
幸せな時間が続く中で、ふと小さな罪悪感の影が落ちた。
机の隅へと追いやられていく、選ばれなかったマスキングテープたち。その不採用の子たちを目にして心が痛んだ。
誰にも選ばれず、トレイに山積みにされていた売れ残りのマスキングテープたち。せっかくリヒトの手で救い出され、スポットライトを浴びるチャンスを得たのに、ここでも不採用になってまたはじき出されてしまった 。
玲瑠の身に置き換えてみると、世間が求める普通からこぼれ落ちて逃げ出し、逃げ出した先でもまた否定されるような、二重の落胆を突きつけられているような気分だった。
(でも、リヒト先生なら別のところで使ってくれるだろうし、私もいつか使ってあげればいいんだよね)
ポジティブに頭を切り替え、リヒトとのかけがえのない時間を満喫するために相談へと戻った。
そうして、作戦会議は終わりに差しかかった。
「よし、どこになんの柄を使うかは決まったな。レイルちゃんのおかげで、俺ひとりだったら思いつかないような素敵な色合いになりそうだ」
「私なんて、ただ思いつきで感想を言っただけですよ……えへへ」
頬をぽっと赤らめ、ニヤつきが止まらない。
「そうだ、フレームのマステ選ぶの忘れてた……あっ! それじゃあ、外枠に装飾する画竜点睛のマスキングテープをレイルちゃんに選んでもらおうかな。これはなんのアドバイスもしないから、レイルちゃんの感性で選んでくれ」
「えっ!? そんな、リヒト先生の絵に私だけの意見を入れるのは怖いですよ! お絵描きド素人の私が選んだマステを無理やり組み込んで、リヒト先生のせっかくの絵が台無しになっても責任取れませんし……」
顔の前でぶんぶんと両手を振り、激しく狼狽した。
コンテストに応募する勝負作の印象を左右するフレームを委ねられるなんて、あまりにも責任が重すぎる。
でもリヒトは笑いながら見つめ返した。
「構わないよ。どんな柄のマスキングテープでも活かすのがマステ絵師の腕の見せ所だからな。それに、レイルちゃんが俺のためを思って選んでくれたマスキングテープなら絶対に間違いはないって信じてるから、選んでくれないか?」
「うっ――」
リヒトの真っ直ぐな言葉が玲瑠を揺らした。
『レイルちゃんが俺のためを思って選んでくれたマスキングテープなら絶対に間違いはないって信じてるから』
生きてきた中で、こんなにも誰かから信用されたことなんて一度もなかった。
もし、他の誰かのお願いだったらとっくに辞退していただろう。でも、大好きな人に期待を寄せられたのだ。この上なく名誉なことはない。
荒くなりそうな呼吸を飲み込みながらうなずいた。
「わ、わかりました! しっかり選びます !」
「うん、よろしく頼んだよ」
リヒトの微笑みを尻目に、マスキングテープの山に顔を向けた。
(うわぁ……緊張するなぁ……どうしよう……)
数多のマスキングテープを前にして焦点が散らかって定まらない。どのマスキングテープも甲乙がつけられない個性を持っているから、目が泳いでしまうのも仕方がない。
さらに、選んだマスキングテープによって、コンテストの勝敗や、リヒトのこれからの絵描き人生を左右してしまうかもしれないのだ。
リヒトの人生の一部を託されたかのような、ずっしりと重たい責任が玲瑠の華奢な両肩にのしかかる。
でも、なぜかその重圧がたまらなく愛おしかった。大好きなリヒトから頼られた、特別な信頼の証なのだから。
(絶対にリヒト先生を後悔させないんだから!)
静かに闘志を燃やし、血眼になる勢いで目をガンと開いて机に積まれたマスキングテープたちをひとつひとつ手に取って真剣に見定めた。
淡いパステルカラー、繊細なレース柄、クールな幾何学模様……ひとつひとつ手に取ってじっくりと吟味をする。
(んっ!? あっ……これ……!)
直感の電流がバチッと火花を散らした。
そのマスキングテープを摘まみ上げ、リヒトへと差し出した。
「リヒト先生! この柄なんてどうですか!」
玲瑠が差し出したのは、「ジャー」っというフタがついた、カラフルなビンが並んだかわいらしい柄だった。
「フフッ……なにを思ってそのマステがいいと思った?」
「あっ……」
お気に召さなかったのだろうか。リヒトはどこかイタズラっぽく不敵な笑みを向けてきた。
その表情に、一瞬だけ衣琉華の不機嫌な顔が蘇り、眼球が小さく揺れた。
「えっと……カラフルでかわいくて、ビンがファンタジーな感じでいいかなって思いました……使いづらいですか……?」
探りを入れるように、そして、答えを先回りするように、小さな声で質問をした。
「うん、ものすごく使いづらい」
「そうですか……」
笑いながら放たれたその一言に、冷や汗が一気に吹き出した。視界が真っ白に染まっていく。
咎められたわけでもないのに、リヒトに迷惑をかけてしまったかのような罪悪感に苛まれる。
「でも、マステ絵初心者が陥りやすい典型的な失敗を踏んでるレイルちゃんを見て、昔の自分を見てるような気がして、懐かしくて笑えたよ。ありがとな、笑わせてくれて」
リヒトは出会ってから一番の、肩の力が抜けた満面の笑顔を浮かべていた。
反対に、玲瑠は顔を強張らせて苦笑いすることしかできない。
「な……なにが失敗だったんですか?」
「マステ絵はいろいろな柄を組み合わせて一枚の絵を作るんだけど、柄同士の相性があるんだ。レイルちゃんが選んだ、柄単体でデザインが完成してる賑やかなマスキングテープは周りの単調な柄とケンカして、目立ちすぎて浮くから合わせるのが難しいんだ」
「それじゃあ、使えないですよね、アハハハハ……」
乾いた笑いを浮かべながら、選んだマスキングテープを山の中に戻した。
瞬時にリヒトが腕を伸ばし、玲瑠が戻したマスキングテープを摘まみ取って、絵に使用するマスキングテープたちの山の中に入れた。
不意の行動に驚いて振り返ると、リヒトの瞳と視線がぶつかり合った。
「えっ……リヒト先生……なにを」
「なにって、レイルちゃんが選んでくれたこの柄を使うんだよ」
当然のように言い切るリヒト。
「使いづらいなら、無理して使わなくてもいいですよ? 私もせっかくの絵を台無しにしたくないですし」
「レイルちゃんが俺のために一生懸命選んでくれたマスキングテープだから、絶対に俺の絵に合うはずだ。もし上手く使いこなせなかったら、俺の技術不足だ」
「そんな……気を遣わなくてもいいですよ」
「気なんて遣ってないよ。むしろ感謝してるぐらいだ。俺ひとりで選ぶと、どうしても自分の絵に合うって思う安全な柄しか選ばなくなって、感性がどんどん凝り固まるんだ。だから、先入観にとらわれていないレイルちゃんのアイデアがすごく新鮮で、いい刺激になったよ」
お世辞や誤魔化しが入っているかもしれないけど、しっかりとした本音も宿っているように感じ取れた。
もし衣琉華と同じ作業をした場合「なんでこんな柄を選ぶの! もっとセンスがいい柄を選びなさい」っと、吐き散らすだけ吐き散らして、否定する目的を終えたあとはなにも言わないだろう。
でも、根本から否定する衣琉華と違って、リヒトはしっかり論理的に間違いを指摘した上で、初心者の意見を尊重してくれている。
リヒトという失敗しても肯定してくれる親の元で育っていたら、絶対に失敗してはいけない緊張感に苛まれて、精神がいつも疲れていることすらなかっただろう。
「それじゃあ、その子を、使ってあげてください」
「俺ひとりじゃ選んであげられなかったこの子を、絶対に最高の形で活かしてみせるよ」
今まで受け取ってこられなかった愛をリヒトから受け取っていると、 店の外はすでに深い青色へと変わっていた。
「ヨシ! 使うマステも決まったことだし、今晩 からさっそく作業 に入るよ」
「はい! 応援しています!」
机の上に整然と並べられた数十種類のマスキングテープたちは、華やかな絵になることを静かに待っていた。
昨日の夢みたいなデートの余韻が胸を熱く焦がす中、さっそくコンテストに応募するマステ絵を描く作業が幕を開けた。
玲瑠とリヒトは身を寄せ合って作業机の前に座る。
広い作業机の端から端まで広げられているのは、A2サイズの画用紙。玲瑠が落書きや練習で使ってきたA4サイズのコピー用紙を四枚くっつけた大きさだ。
「わああああ! すっごーい!」
巨大なキャンバスに鉛筆で描かれていたのは、息をのむほどの美しい線画だった。
何枚ものフリルを重ねた豪華なプリンセスドレスを身に纏い、背中にはバサッと大きく広げた天使の翼を生やした幻想的な少女。
神イラストレーター、リヒトの真骨頂たるザ・メインコンテンツだ。
まだマスキングテープ一枚すら貼られていないというのに、流れるような髪の躍動感、広がるドレスの生地の質感、羽一枚一枚の重なりまで、圧倒的な画力で表現されている。
「すごいです! もう、この線画のままで完成でいいんじゃないかって思うぐらいです!」
「ありがとな。それじゃあ、この絵をより良いものにするために、どこになんのマスキングテープを貼るか決めるのをこれからレイルちゃんに手伝ってもらおうかな」
「はい喜んで!」
リヒトはイベントで手に入れたマスキングテープたちに加え、元々持っていた売れ残りのマスキングテープたちを線画の上に広げた。
飾り気のない素朴な単色、シンプルなストライプ柄やキュートなドット柄。細かな花柄や和柄、幾何学模様が配置されたゴテゴテと装飾的な抽象柄。
まだ玲瑠はマステ絵のイロハのイも覚えていない。でも、改めて見るとどの柄ひとつ取ってもデザイナーの魂が込められていて、個性的な魅力が光っている。これが本当に売れ残りなのが信じられないぐらいだ。
「ざっくり見た感じ青色が一番多かったから、ドレスは青色軸でいこうと思う。次に赤色が多かったから翼は赤色でいこうと思う」
リヒトは青色のマスキングテープをひとつつまむと、ドレスの線画の上に置いてその柄が合うか確かめる、試し置きをする。
首をかしげ、それを机の端に退けると、別のマステを置く。
この作業を、二度、三度、四度……っと繰り返し、納得がいくまで何度も試していく。
妥協は絶対に許されない。
(うーん、難しいなぁ)
唸り声を上げながら手際よくテープを当てていくリヒトの横で、マステ絵の経験が浅い玲瑠には、どの柄も煌めいて見えてしまい、どれを採用すべきか見当もつかない。
でも、直感を信じて意見を言ってみる。
「リヒト先生! この青いバラの柄、フリルにいいんじゃないですか?」
「おっ、玲瑠ちゃんセンスいいな。俺もこの柄を使おうと思ってたから、自信が持てたよ。次の羽の場所は……」
リヒトは一枚の真っ白なコピー用紙を取り出し、いくつかのマステを数ミリだけちぎってコピー用紙に重ねて貼りつけた。様々な柄が混ざり合う、小さなモザイク模様が出来上がる。
「マステ絵の面白いところは、絵の具と違って色を混ぜられない代わりに、テープを重ねて貼ることで新しい柄を作ることができるんだ」
説明にうなずきながら、様々な柄が乱雑に貼られたコピー用紙に目を落とす。
「単体だとパッとしないマステでも、こうやって重ねてあげることで最高の組み合わせが見つかるんだよ」
「すごく面白い画法ですね! このハート柄とひし形柄が隣り合ってるやつがいいと思います!」
「それじゃあ、その組み合わせをベースにして、この柄とこの柄も重ねて翼を描くか」
ふと、リヒトの真剣な顔がすぐ真横にあることに気づいた。
見慣れた横顔のはずなのに、好きだと自覚してしまった途端、直視するだけで顔が熱くなる。
昨日までとは生きている世界がまったく違うような気がした。
そんな心のくすぐったさを覚えながら、ああでもない、こうでもない、っと、アイデアを出し合い、顔を合わせて笑い、真剣に頭を悩ませる、大好きな人と過ごす時間。
一瞬一瞬すべての場面が脳内のフィルムに焼きつけられていくような、どこまでも愛おしく、かけがえのない時間だった。
明日も、明後日も、コンテストが終わったその先も、ずっとずっと、この幸せな時間が続けばいいのにと切に願う。
(ゴメンね……君たち……)
幸せな時間が続く中で、ふと小さな罪悪感の影が落ちた。
机の隅へと追いやられていく、選ばれなかったマスキングテープたち。その不採用の子たちを目にして心が痛んだ。
誰にも選ばれず、トレイに山積みにされていた売れ残りのマスキングテープたち。せっかくリヒトの手で救い出され、スポットライトを浴びるチャンスを得たのに、ここでも不採用になってまたはじき出されてしまった 。
玲瑠の身に置き換えてみると、世間が求める普通からこぼれ落ちて逃げ出し、逃げ出した先でもまた否定されるような、二重の落胆を突きつけられているような気分だった。
(でも、リヒト先生なら別のところで使ってくれるだろうし、私もいつか使ってあげればいいんだよね)
ポジティブに頭を切り替え、リヒトとのかけがえのない時間を満喫するために相談へと戻った。
そうして、作戦会議は終わりに差しかかった。
「よし、どこになんの柄を使うかは決まったな。レイルちゃんのおかげで、俺ひとりだったら思いつかないような素敵な色合いになりそうだ」
「私なんて、ただ思いつきで感想を言っただけですよ……えへへ」
頬をぽっと赤らめ、ニヤつきが止まらない。
「そうだ、フレームのマステ選ぶの忘れてた……あっ! それじゃあ、外枠に装飾する画竜点睛のマスキングテープをレイルちゃんに選んでもらおうかな。これはなんのアドバイスもしないから、レイルちゃんの感性で選んでくれ」
「えっ!? そんな、リヒト先生の絵に私だけの意見を入れるのは怖いですよ! お絵描きド素人の私が選んだマステを無理やり組み込んで、リヒト先生のせっかくの絵が台無しになっても責任取れませんし……」
顔の前でぶんぶんと両手を振り、激しく狼狽した。
コンテストに応募する勝負作の印象を左右するフレームを委ねられるなんて、あまりにも責任が重すぎる。
でもリヒトは笑いながら見つめ返した。
「構わないよ。どんな柄のマスキングテープでも活かすのがマステ絵師の腕の見せ所だからな。それに、レイルちゃんが俺のためを思って選んでくれたマスキングテープなら絶対に間違いはないって信じてるから、選んでくれないか?」
「うっ――」
リヒトの真っ直ぐな言葉が玲瑠を揺らした。
『レイルちゃんが俺のためを思って選んでくれたマスキングテープなら絶対に間違いはないって信じてるから』
生きてきた中で、こんなにも誰かから信用されたことなんて一度もなかった。
もし、他の誰かのお願いだったらとっくに辞退していただろう。でも、大好きな人に期待を寄せられたのだ。この上なく名誉なことはない。
荒くなりそうな呼吸を飲み込みながらうなずいた。
「わ、わかりました! しっかり選びます !」
「うん、よろしく頼んだよ」
リヒトの微笑みを尻目に、マスキングテープの山に顔を向けた。
(うわぁ……緊張するなぁ……どうしよう……)
数多のマスキングテープを前にして焦点が散らかって定まらない。どのマスキングテープも甲乙がつけられない個性を持っているから、目が泳いでしまうのも仕方がない。
さらに、選んだマスキングテープによって、コンテストの勝敗や、リヒトのこれからの絵描き人生を左右してしまうかもしれないのだ。
リヒトの人生の一部を託されたかのような、ずっしりと重たい責任が玲瑠の華奢な両肩にのしかかる。
でも、なぜかその重圧がたまらなく愛おしかった。大好きなリヒトから頼られた、特別な信頼の証なのだから。
(絶対にリヒト先生を後悔させないんだから!)
静かに闘志を燃やし、血眼になる勢いで目をガンと開いて机に積まれたマスキングテープたちをひとつひとつ手に取って真剣に見定めた。
淡いパステルカラー、繊細なレース柄、クールな幾何学模様……ひとつひとつ手に取ってじっくりと吟味をする。
(んっ!? あっ……これ……!)
直感の電流がバチッと火花を散らした。
そのマスキングテープを摘まみ上げ、リヒトへと差し出した。
「リヒト先生! この柄なんてどうですか!」
玲瑠が差し出したのは、「ジャー」っというフタがついた、カラフルなビンが並んだかわいらしい柄だった。
「フフッ……なにを思ってそのマステがいいと思った?」
「あっ……」
お気に召さなかったのだろうか。リヒトはどこかイタズラっぽく不敵な笑みを向けてきた。
その表情に、一瞬だけ衣琉華の不機嫌な顔が蘇り、眼球が小さく揺れた。
「えっと……カラフルでかわいくて、ビンがファンタジーな感じでいいかなって思いました……使いづらいですか……?」
探りを入れるように、そして、答えを先回りするように、小さな声で質問をした。
「うん、ものすごく使いづらい」
「そうですか……」
笑いながら放たれたその一言に、冷や汗が一気に吹き出した。視界が真っ白に染まっていく。
咎められたわけでもないのに、リヒトに迷惑をかけてしまったかのような罪悪感に苛まれる。
「でも、マステ絵初心者が陥りやすい典型的な失敗を踏んでるレイルちゃんを見て、昔の自分を見てるような気がして、懐かしくて笑えたよ。ありがとな、笑わせてくれて」
リヒトは出会ってから一番の、肩の力が抜けた満面の笑顔を浮かべていた。
反対に、玲瑠は顔を強張らせて苦笑いすることしかできない。
「な……なにが失敗だったんですか?」
「マステ絵はいろいろな柄を組み合わせて一枚の絵を作るんだけど、柄同士の相性があるんだ。レイルちゃんが選んだ、柄単体でデザインが完成してる賑やかなマスキングテープは周りの単調な柄とケンカして、目立ちすぎて浮くから合わせるのが難しいんだ」
「それじゃあ、使えないですよね、アハハハハ……」
乾いた笑いを浮かべながら、選んだマスキングテープを山の中に戻した。
瞬時にリヒトが腕を伸ばし、玲瑠が戻したマスキングテープを摘まみ取って、絵に使用するマスキングテープたちの山の中に入れた。
不意の行動に驚いて振り返ると、リヒトの瞳と視線がぶつかり合った。
「えっ……リヒト先生……なにを」
「なにって、レイルちゃんが選んでくれたこの柄を使うんだよ」
当然のように言い切るリヒト。
「使いづらいなら、無理して使わなくてもいいですよ? 私もせっかくの絵を台無しにしたくないですし」
「レイルちゃんが俺のために一生懸命選んでくれたマスキングテープだから、絶対に俺の絵に合うはずだ。もし上手く使いこなせなかったら、俺の技術不足だ」
「そんな……気を遣わなくてもいいですよ」
「気なんて遣ってないよ。むしろ感謝してるぐらいだ。俺ひとりで選ぶと、どうしても自分の絵に合うって思う安全な柄しか選ばなくなって、感性がどんどん凝り固まるんだ。だから、先入観にとらわれていないレイルちゃんのアイデアがすごく新鮮で、いい刺激になったよ」
お世辞や誤魔化しが入っているかもしれないけど、しっかりとした本音も宿っているように感じ取れた。
もし衣琉華と同じ作業をした場合「なんでこんな柄を選ぶの! もっとセンスがいい柄を選びなさい」っと、吐き散らすだけ吐き散らして、否定する目的を終えたあとはなにも言わないだろう。
でも、根本から否定する衣琉華と違って、リヒトはしっかり論理的に間違いを指摘した上で、初心者の意見を尊重してくれている。
リヒトという失敗しても肯定してくれる親の元で育っていたら、絶対に失敗してはいけない緊張感に苛まれて、精神がいつも疲れていることすらなかっただろう。
「それじゃあ、その子を、使ってあげてください」
「俺ひとりじゃ選んであげられなかったこの子を、絶対に最高の形で活かしてみせるよ」
今まで受け取ってこられなかった愛をリヒトから受け取っていると、 店の外はすでに深い青色へと変わっていた。
「ヨシ! 使うマステも決まったことだし、今晩 からさっそく作業 に入るよ」
「はい! 応援しています!」
机の上に整然と並べられた数十種類のマスキングテープたちは、華やかな絵になることを静かに待っていた。
