翌週からテスト期間に入った。中間、期末試験の1週間前から部活動が停止される。この期間を含めテスト期間中は、一斉下校のように、普段は退校する時間が早い運動部の生徒も帰宅する。そのため、いつもは遭遇しない知り合いと一緒になることもある。
「お、久し振りじゃん。いろいろと噂は聞いてるよ」
教室を出て階段を下りたところで、背後から声を掛けられた。
振り返ると、3年の9組で一番仲が良い女子生徒が立っていた。茶髪というよりはオレンジ色に見える髪をポニーテールにしている。胸元のボタンも2つ外れているため目のやり場に困るが、本人としては平常運転だ。
「10年くらいは会いたくなかったなあ」
「何それ、ウケる」
「ウケねえよ」
一体どうして親しくなったのか覚えていないが、1年生のときから偶然出会ったときにはアレコレと話しをする仲だ。当然、元クラスメイトの噂話も耳に入っている。
「どうせ、家に帰っても勉強とかしないんでしょ?ちょっと、顔を貸してもらおうか」
「どこのチンピラだよ。まあ、いいけど」
「じゃあ、ショッピングモールのフードコートね」
一方的に場所を決めると、七瀬は歩き始めた。地元の中学出身と聞いた気がするが、見掛けるときはいつも徒歩だ。一応男女の組み合わせではあるが、一定の距離が開いているためか恋人同士といった雰囲気はない。そのため、周囲からの視線も勘違いをしている様子はない。
くだらない会話を繰り返しているうちに、ショッピングモールに到着した。今日向かう場所は3階にあるフードコートだ。
七瀬は移動している途中で飲み物を購入し、フードコートのソファー席に腰を下ろした。
「で、1週間で別れたという極悪人の言い訳を聞こうか?」
ソファーに身体を預けた七瀬が、口元には笑みを浮かべたまま氷点下の視線を向けてくる。入学直後からの付き合いであるが、こんな表情の七瀬は初めて見る。
どう答えたものか、どこまで聞かせるべきか考えていると、沈黙を拒否だと勘違いした七瀬が深いため息を吐いた。
「薫はさ、小学校からずっと同じ学校の同級生なのよ。最近は話すこともないけど、それなりに付き合いが長いの。だからさ、アンタよりはあの子のことを知ってる。男女のことだから、1週間で別れようが、そういうこともあるし、怒ってる訳じゃないのよ。それに、アンタがしょうもない男だってことも分かってるし、別れたことはどうでもいい。ただ、薫のことが心配でね。
で、どんな理由で別れたの?」
「住む世界が違うって言った」
数秒間の静寂の後、いきなりグーで殴られた。
「あ、ごめん。つい」
そう言って一応謝ったものの、明らかに悪いとは思っていない様子で、七瀬は再びため息を吐いた。
「あの子のこと、少しは知ってるの?」
七瀬の問いに首を横に振る。
興味本位で踏み込んではいけない気がして、薫の事情については自発的な発言以外での情報はほとんどない。
「あの子の家さ、駅近くの飲み屋街でスターライトっていうパブをやってるんだよね。お店の2階が自宅になってるの。父親はいない。あの子が小学校低学年のときに、朝起きたらいなくなってたって聞いた。朝は寝ている母親と話しをすることはできないし、夜は仕事だから、ずっと1人だって言ってた。だから、学校にいるときが一番楽しいって。
高学生になると、母親から家業の手伝いだと言われて店に立つようになったの。そこで、10歳くらい年が離れた常連の会社員と仲良くなったんだよね。優しくしてくれる大人に初めて出会ったのかも知れない。その頃、同じクラスで仲が良かったし、その会社員の話しをよく聞かされた。どう考えても遊ばれているようにしか思えなかったけど、あの顔を見てしまうと止めることができなかった。家庭環境は知っていたし、反対したとしても、意固地になるだけで話しをしてくれなくなると思ったし。入れ込み方がガチだったから、何を言っても聞いてくれそうな雰囲気ではなかった。それに、もし、一時でもあの子が救われるのなら、それで良いと思った・・・いや、違う。嫌われるのが嫌だったんだと思う。だから、否定的なこと言わなかったんだ。それが、まさか、あんなことになるなんて思わなかった」
まるで、テレビドラマのようだな。とか、場違いなことを思いながら七瀬の話を聞いていた。絶対に自分の身に降り掛かることがない事情を、言葉通り他人事として聞く。
七瀬は制服の袖を握り締め、唇を震わせて先を続ける。何のために聞かせているのか、自分には理解できていなかった。
「結局さ、あの子は愛情に飢えていたんだよね。父親と一緒に遊んだ記憶なんかないだろうし、母親とは仲が悪くはないんだろうけど相手をしてもらえなかった。一番飢えていた時期に、一番与えられなければならない時期に、誰からも愛情を注がれなかった。誰からの愛情も感じられなかった。だから、簡単にあんな男に遊ばれた。
テレビドラマじゃないんだからさ、10歳も年下の、高校1年生の子どもを、本気で相手にする大人なんていない。すべてを捧げたのに。時間も、心も、愛情も、身体も、本当にすべてを捧げたのに、あの男は、あのクズは、あのゴミは、笑って捨てた」
七瀬は深く息を吐き出すと、テーブルの上に置いていたプラスティックのカップに手を伸ばした。すっかり氷が溶けたジュースを口に含むと、さらに話を続ける。
「あの直後、あの子が救急車で病院に運ばれた。
本気で死のうとした。
自分の部屋で、カッターナイフで手首を切り付けて。
お店を手伝わせるために呼びに来た母親が、手首を真っ赤に染めた我が子を見付けたって。慌てて救急車を呼んで、病院には運んだけど、お店は普通に営業したらしいよ。酷い話だよね。でも、人間って、簡単に死なないから、当たり前に助かった。まあ、今、生きているんだから、言われなくても分かるか。
ただ、生命は大丈夫だったけど、心は死んだ。
いや、重傷だったのかな。
だから、そっちで入院した。結局、半年以上入院したから、1つ下の学年になってしまったけど。それでも、学校を辞めずに復学した。やっぱり、あの子にとっては、学校が一番落ち着く場所なのかも知れない。クラスメイトや友達、学校を離れた仲間の存在で、どうにか普通に生活できているのかも知れないね。普通の基準がどこにあるのかは分からないけど」
無意識のうちに視線が落ちる。
そんな僕に、七瀬が追い討ちをかける。
「だからさ、薫には普通の恋愛をして欲しかったんだ。同じ年代の相手と、普通に付き合って欲しいと思っていた。一緒に下校して、メッセージのやり取りをして、休みの日には一緒に遊びに行って、普通の温かい恋愛をして欲しいと思っていた。それが、あの子の救いになるかも知れないって、毎日を笑って過ごして、クズ男のことなんか、きれいサッパリ忘れられればいいなって、そう思っていた。のに!!
住む世界が違う?
一番ダメな理由じゃん!!」
七瀬はカップをテーブルに叩き付けるように置くと、人差し指で僕の額を思い切り突いた。
余りにもその通りで、まったく返す言葉が無かった。
僕は薫のことを何も知らないまま、勝手な思い込みと想像で別れ話を切り出した。自分のことだけを考えて、薫のことは一切考えなかった。そもそも、薫のことを知ろうともしなかった。ただ、手首の傷跡を目にして怯んでしまった。背負えないと、その覚悟がないと、必死に誤魔化して、見なかったことにした。
「お、久し振りじゃん。いろいろと噂は聞いてるよ」
教室を出て階段を下りたところで、背後から声を掛けられた。
振り返ると、3年の9組で一番仲が良い女子生徒が立っていた。茶髪というよりはオレンジ色に見える髪をポニーテールにしている。胸元のボタンも2つ外れているため目のやり場に困るが、本人としては平常運転だ。
「10年くらいは会いたくなかったなあ」
「何それ、ウケる」
「ウケねえよ」
一体どうして親しくなったのか覚えていないが、1年生のときから偶然出会ったときにはアレコレと話しをする仲だ。当然、元クラスメイトの噂話も耳に入っている。
「どうせ、家に帰っても勉強とかしないんでしょ?ちょっと、顔を貸してもらおうか」
「どこのチンピラだよ。まあ、いいけど」
「じゃあ、ショッピングモールのフードコートね」
一方的に場所を決めると、七瀬は歩き始めた。地元の中学出身と聞いた気がするが、見掛けるときはいつも徒歩だ。一応男女の組み合わせではあるが、一定の距離が開いているためか恋人同士といった雰囲気はない。そのため、周囲からの視線も勘違いをしている様子はない。
くだらない会話を繰り返しているうちに、ショッピングモールに到着した。今日向かう場所は3階にあるフードコートだ。
七瀬は移動している途中で飲み物を購入し、フードコートのソファー席に腰を下ろした。
「で、1週間で別れたという極悪人の言い訳を聞こうか?」
ソファーに身体を預けた七瀬が、口元には笑みを浮かべたまま氷点下の視線を向けてくる。入学直後からの付き合いであるが、こんな表情の七瀬は初めて見る。
どう答えたものか、どこまで聞かせるべきか考えていると、沈黙を拒否だと勘違いした七瀬が深いため息を吐いた。
「薫はさ、小学校からずっと同じ学校の同級生なのよ。最近は話すこともないけど、それなりに付き合いが長いの。だからさ、アンタよりはあの子のことを知ってる。男女のことだから、1週間で別れようが、そういうこともあるし、怒ってる訳じゃないのよ。それに、アンタがしょうもない男だってことも分かってるし、別れたことはどうでもいい。ただ、薫のことが心配でね。
で、どんな理由で別れたの?」
「住む世界が違うって言った」
数秒間の静寂の後、いきなりグーで殴られた。
「あ、ごめん。つい」
そう言って一応謝ったものの、明らかに悪いとは思っていない様子で、七瀬は再びため息を吐いた。
「あの子のこと、少しは知ってるの?」
七瀬の問いに首を横に振る。
興味本位で踏み込んではいけない気がして、薫の事情については自発的な発言以外での情報はほとんどない。
「あの子の家さ、駅近くの飲み屋街でスターライトっていうパブをやってるんだよね。お店の2階が自宅になってるの。父親はいない。あの子が小学校低学年のときに、朝起きたらいなくなってたって聞いた。朝は寝ている母親と話しをすることはできないし、夜は仕事だから、ずっと1人だって言ってた。だから、学校にいるときが一番楽しいって。
高学生になると、母親から家業の手伝いだと言われて店に立つようになったの。そこで、10歳くらい年が離れた常連の会社員と仲良くなったんだよね。優しくしてくれる大人に初めて出会ったのかも知れない。その頃、同じクラスで仲が良かったし、その会社員の話しをよく聞かされた。どう考えても遊ばれているようにしか思えなかったけど、あの顔を見てしまうと止めることができなかった。家庭環境は知っていたし、反対したとしても、意固地になるだけで話しをしてくれなくなると思ったし。入れ込み方がガチだったから、何を言っても聞いてくれそうな雰囲気ではなかった。それに、もし、一時でもあの子が救われるのなら、それで良いと思った・・・いや、違う。嫌われるのが嫌だったんだと思う。だから、否定的なこと言わなかったんだ。それが、まさか、あんなことになるなんて思わなかった」
まるで、テレビドラマのようだな。とか、場違いなことを思いながら七瀬の話を聞いていた。絶対に自分の身に降り掛かることがない事情を、言葉通り他人事として聞く。
七瀬は制服の袖を握り締め、唇を震わせて先を続ける。何のために聞かせているのか、自分には理解できていなかった。
「結局さ、あの子は愛情に飢えていたんだよね。父親と一緒に遊んだ記憶なんかないだろうし、母親とは仲が悪くはないんだろうけど相手をしてもらえなかった。一番飢えていた時期に、一番与えられなければならない時期に、誰からも愛情を注がれなかった。誰からの愛情も感じられなかった。だから、簡単にあんな男に遊ばれた。
テレビドラマじゃないんだからさ、10歳も年下の、高校1年生の子どもを、本気で相手にする大人なんていない。すべてを捧げたのに。時間も、心も、愛情も、身体も、本当にすべてを捧げたのに、あの男は、あのクズは、あのゴミは、笑って捨てた」
七瀬は深く息を吐き出すと、テーブルの上に置いていたプラスティックのカップに手を伸ばした。すっかり氷が溶けたジュースを口に含むと、さらに話を続ける。
「あの直後、あの子が救急車で病院に運ばれた。
本気で死のうとした。
自分の部屋で、カッターナイフで手首を切り付けて。
お店を手伝わせるために呼びに来た母親が、手首を真っ赤に染めた我が子を見付けたって。慌てて救急車を呼んで、病院には運んだけど、お店は普通に営業したらしいよ。酷い話だよね。でも、人間って、簡単に死なないから、当たり前に助かった。まあ、今、生きているんだから、言われなくても分かるか。
ただ、生命は大丈夫だったけど、心は死んだ。
いや、重傷だったのかな。
だから、そっちで入院した。結局、半年以上入院したから、1つ下の学年になってしまったけど。それでも、学校を辞めずに復学した。やっぱり、あの子にとっては、学校が一番落ち着く場所なのかも知れない。クラスメイトや友達、学校を離れた仲間の存在で、どうにか普通に生活できているのかも知れないね。普通の基準がどこにあるのかは分からないけど」
無意識のうちに視線が落ちる。
そんな僕に、七瀬が追い討ちをかける。
「だからさ、薫には普通の恋愛をして欲しかったんだ。同じ年代の相手と、普通に付き合って欲しいと思っていた。一緒に下校して、メッセージのやり取りをして、休みの日には一緒に遊びに行って、普通の温かい恋愛をして欲しいと思っていた。それが、あの子の救いになるかも知れないって、毎日を笑って過ごして、クズ男のことなんか、きれいサッパリ忘れられればいいなって、そう思っていた。のに!!
住む世界が違う?
一番ダメな理由じゃん!!」
七瀬はカップをテーブルに叩き付けるように置くと、人差し指で僕の額を思い切り突いた。
余りにもその通りで、まったく返す言葉が無かった。
僕は薫のことを何も知らないまま、勝手な思い込みと想像で別れ話を切り出した。自分のことだけを考えて、薫のことは一切考えなかった。そもそも、薫のことを知ろうともしなかった。ただ、手首の傷跡を目にして怯んでしまった。背負えないと、その覚悟がないと、必死に誤魔化して、見なかったことにした。



