誰そ彼エスケープ

「うぅん……」
 鼻の下にシャーペンをはさんで、腕を組む。あれから数日、碧唯の言ったことと、オレの伝えたいことを、自分なりにかみ砕き続けていた。
「わっかんねー……」
「まだ唸ってるの?」
 参考書を開いていた碧唯が、顔をあげる。涼し気な顔には、なんでもお見通しと書かれている……気がする。妙に大人びていて、内心悔しい。
「逆に考えてみなよ。茜理なら、どんな展示を見たいかって」
 そりゃあ……と、開きかけた口が止まる。別にオレは、ほかのヤツの展示には興味がなかった。
 見かねた碧唯が、リュックから菓子パンを取り出す。今日もまた10%オフのシールが貼られていた。

「……てかさ」
「んー?」
 都市伝説や噂をびっしりと書き詰めたノートを眺めるオレに、碧唯はさもつまらなさそうに口を開く。
「茜理がはりきってるのは、見返したいからなんだよね?」
「……そうだよ」
 思わず止まってしまった手を、もう一度動かす。不快だけど、オレが発言したことだ。
「だってオレの展示がよければ……」
「まだ部長になりたいの?」
 言い訳めいた言葉にも、碧唯は容赦ない。まだ、ってなんだよ。
「部長なんて聞くだけでも大変そうだけどね。どうせ先生と部員の板ばさみだぜ」
 それはそうだろう。時には、理不尽な意見の衝突に巻き込まれないといけない。毎月の部長会議には必ず出席しないといけないし、部内のトラブルだって率先して対処しなくちゃいけない。だけど、そんなわずらわしさなど小さな悩みだ。
「……なにが言いたい?」
 要領を得ない碧唯の言葉に、思わずイライラしてしまう。怒気をはらんだ声に臆することもなく、碧唯は食べかけのパンを袋に戻す。
「別に。なんで部長なんかにこだわるのかなって」
 
 踏み入らないようにしているオレの方が、バカみたいじゃないか。碧唯は控えることもなく、ずかずかとオレの領域に土足で踏み込んできやがる。
 オレは大きくため息をついて、口を開く。言ってしまえば、絶句してそれ以上なにも言えまい。
「オレん家、父さんも母さんも仕事人間で。家、誰もいねぇんだ」
 悩みの種を明かせば、碧唯がわずかに顔を上げる。へぇと小さくあいづちを打ちながら、戻したパンを取り出して、また口をつけた。

 小学生の頃だった。両親な多忙で、いつもオレは冷たい家にひとりぼっちだった。近場に住む祖母が週に1回やって来て、晩メシを作り置いてくれる。レンジで温めて、ひとりで食べる日常。
 夜遅くに返って来る両親とは、ほとんど顔を合わせない。
「茜理へ、ごめんね。運動会楽しんでね」
 伝言代わりに机に置いておいた運動会の案内には、可愛らしい付箋が貼られていた。子どもながらに、その日以来期待することをやめたのだった。

「でも、なんかのコンクールで金賞取ってさぁ。そしたら、祝いだーって、珍しく飯食いに連れてってくれたんだよ」
 
 そんな子ども時代だったが、たった一度だけ家族らしいことをした思い出がある。いつもは帰ってこない両親が夕方には帰ってきたのだ。絵だったか、感想文だったか、オレの発表したなにかが賞を取ったと、学校が両親へ連絡したらしい。帰ってきたオレがランドセルを下ろすなり、母さんはオレを抱き寄せ、父さんは手を引いた。
 近所の、少しお高めのファミリーレストラン。外食する機会はおろか、両親と食卓を囲む機会なんて珍しくて、オレは馬鹿みたいにはしゃいだ。父さんも母さんも、ニコニコと楽しそうに笑っていた。
 人生で一番と言っていいほど、嬉しかった。だからこそ、堪えたのだ。翌日から、なにもなかったかのように、いつもの冷たい生活に戻ったことが。
 
「部長になれば、文化祭来てくれるかなって」
 ガキくさく思われて結構。そう思いながら素直な目論見を伝えたが、碧唯は顔色を変えない。
「じゃあ、去年は来てくれなかったんだ」
「というよりも、オレが科学部に入ったことも知らない」
「あぁ……科学部に入ったよ、よりも、科学部部長になったよ、って報告の方がインパクトが強いのか」
 顎に手を当てて、碧唯は真剣にオレの気持ちを紐解いていく。ムッとしつつ、頷くしかできない。碧唯はオレよりもはるかに頭がいいし、察しもいい。きっと人の気持ちなど、手に取るようにわかってしまうのだろう。
「でも、ダメだった。選ばれないんだよなぁ」
 テストの順位も、生徒会長の選挙も、志望校も……あの日以降のオレは、いつも選ばれない。ギリギリ惜しいところで、誰かに勝利を手渡してしまう。大の字に寝転べば、サーモンピンクのうろこ雲を背景に、群れをなした渡り鳥が飛んで行くのが目に入った。
「インパクトより大事なことがありそうなもんだけどね」
 ヒントを出すように、碧唯は曖昧な言葉を並べる。碧唯が言いたいことが、オレには全然わからない。
「印象に残らないと、父さんも母さんも、わざわざオレのことなんて……」
「そういうものなの?」
「そうだろ、だって、優先順位が低いと」
「お父さんとお母さんが、そう言ったの?」
「……別に、言われたわけじゃないけど」
「なら、わかんないじゃん」
 碧唯は立ち上がって、オレを見下ろす。夕陽を背負ったアイツの表情は、暗くてよく見えない。
「『科学部の茜理』がしたい展示をしなよ」
 わかってる。知ってるよ。だけど、オレは上手に返事を返せない。
 碧唯の方も、返事を求めているわけではないようで、そのまま屋上を去った。

 6時のチャイムが鳴る。
 オレがしたい展示って、なんだろう。わだかまる思考の渦をそのままに、オレも屋上を去ったのだった。