誰そ彼エスケープ

「本当に大学生なんだ」
 4年間通ったキャンパスの景色に、碧唯がいる。なんだかやりづらくて、オレはがしがしと頭をかく。
「……これでも、一応な」
 休日だから、今日の碧唯は私服姿だ。紺色のパーカーにグレーのカーゴパンツ。元が華奢な分、オーバーサイズのシルエットがよく似合っている。私服姿を見る機会は少なくないが、やっぱりいつものブレザーの方が見慣れている。ラフな格好は新鮮で、オレは内心ドギマギしていた。バレると分が悪いので、いたっていつも通りに接するけどさ。
「じゃあ……案内よろしくお願いしますね。茜理センパイ」
「オマエなー……」
 ちゃっかりした態度で、オレばかり緊張してることに気づく。上目遣いの碧唯に、すっかり毒気を抜かれてしまったのだった。

 碧唯と再会したあの日から、数か月が経つ。間もなく定時の3年へ進級する碧唯は、大学進学を目指すことにしたらしい。碧唯の施設の大人は諸手を挙げて、大賛成。費用面の心配は、当面しなくていいそうだ。
 どんな心境の変化か尋ねても、碧唯は決して口を割らなかった。隠しごとされてるみたいで悔しいが、碧唯いわく「今はまだ内緒」ということらしい。浅からぬ付き合いになるのだ。待ってやろうじゃないか、と溜飲を下げたのだった。
(付き合い……というか、オレたちってどんな関係なんだろう)
 屋上で約束してから、週末には必ず顔を合わせている。もう友だちと言っても差し支えない距離感だと思うが……出会いが出会いなだけに、そう言い切れない自分がいた。
(出会った時は同い年だけど、今は6歳上……気を遣うこともあるだろうな)
 隣の碧唯をちらっと盗み見る。涼しい顔をしているが、思慮深いヤツだということは、もう十分すぎるほど知っている。

「ねぇ、どうしてこの学校にしたの」
 キャンパスの様子を観察しながら、碧唯が口を開く。
「成績だな」
「ふぅん……」
 落ちたのに? とでも言いたげだな。うるせー。レベルを下げるなんて、あの頃のオレのプライドが許さなかったんだ。
「まぁ、あと通学しやすいからかな」
「高校からは遠いけど、茜理の家からは近いの?」
「近いとは言えないけど、電車一本で通える」
 へぇー。得意げに指を立てれば、碧唯はノートになにかをメモする。しっかりと耳を傾ける姿勢は、受験生然としているなと思ったけど、いったいこの話のなにをメモしたのだろう。

「で、どうだ。大学の雰囲気ってやつは」
 オープンキャンパスではない普段の大学の雰囲気を知りたいとせがまれて、今日はオレの大学を案内しているところだ。とはいえ、今日は土曜日。生徒の数は少ないし、正直いつもどおりの雰囲気とは言えないのだが。
 それでも、碧唯は物珍しそうに景色を眺めている。
「うん、面白い。だって、あれもこれも校舎なんでしょ?」
 レトロな洋館風の校舎に、真新しいビルのような校舎。それらが公園のような広い敷地に林立している景色は、言われてみれば確かに面白い。
「そう。オレも、自分の学部のある校舎しか使わないけど。あっちは講堂だろ。あ、そっちは実験棟だって」
 オレですら歩いたことのなかった校舎に足を運ぶ。一応まだ在学生だ。問題はない……のだが、見知らぬ校舎を歩くのはどこか居心地が悪い。
「理系の人は、大学院生も多そうだね」
「あー、そうだな。そういうイメージはあるよな」
 碧唯は、興味深そうに周囲を眺めている。清潔な白亜の天井と壁が、オレたちを見守っているようだった。
 
 理系の実験棟は、その名のとおり実験室がいくつも連なっている。すれ違う人々は、年代も性別もバラバラ。でも、みな一様に白衣をまとっていた。
「教授も生徒も区別つかないな……」
「茜理は、院には進まないんだよね」
「うん。オレは別に、なにかを深く研究したいとか、そういうのはないから」
 それに卒業後の進路は、もう決まっている。教育実習も、卒業論文も問題なく終え、オレはなんとか県立高校の教員として働くことが決まった。それはそれは忙しい冬だったが、碧唯との時間を楽しみに乗り切ったのだ。
「院に行くのも、お金かかる?」
「そりゃあな。でも、お金かけてでもやりたいことがあるっていうのは、すげーかっこいいよな」
 碧唯は、やっぱりなにかを思案するように考えている。
「……碧唯の目指す学部は?」
「え?」
「インプットばかりじゃ、悩みも消えないだろ。アウトプットしろよ」
 オレの質問に、碧唯が立ち止まる。そして、その場でじっとなにかを考えていた。
(まだわからないんだろうな……)
 正直、専門的に学びたい学問を持ち合わせている高校生は、少数派だと思う。それどころか、とりあえず就職までの時間稼ぎに、大学進学を選ぶ生徒が大多数だろう。オレだって、その大多数のひとりだったし。
「先のことまで考えなくていいよ。たった今やりたいことを選ぼうぜ」
「たった今……」
 真面目すぎる碧唯クンには、このくらいのんびりとした空気でいたい。オレは伸びをしながら、こともなげに伝えた。
「……心理学」
「え?」
「おれ、心理学、勉強したい」
 意を決したように顔を上げた碧唯の瞳は、希望と可能性に満ちあふれている。
「……! いいじゃん!」
「でも、院に行かないと資格は取れないらしいんだ」
「行けばいいじゃん、院」
「……いいのかな」
 なにをためらうことがあるというのだろう。オレは碧唯の肩を組んで笑ってみせた。
「いいんだよ。やりたいことなら、諦めなくていいの」
 食堂行こうぜ。我慢してばかりで煮詰まった碧唯を導くように歩き出せば、碧唯はしおらしくついてくるのだった。

 土曜でもやっている食堂には、ほとんど学生はいない。
「カレー、500円……定食で600円!?」
 食券を見ながら、碧唯はひとつひとつに目を輝かせる。
「安いだろ~」
 得意になって笑いかけると、碧唯はむすっと不機嫌顔になってしまう。安いのは、オマエのおかげじゃない、って言いたいんだろうな。
 オレは日替わり定食を、碧唯はカレーを選んで、席に着く。平日の昼時には争奪戦になる長机も、今やガラガラだ。
「量も多いんだ……すごい」
 碧唯は嬉しそうに手を合わせて、カレーを夢中で食べ始める。負けじと、オレもみそ汁に口をつけた。
「ほら碧唯、生姜焼き。1枚食べて」
 あまりにいい食いっぷりに、思わず日替わり定食のおかずを分けたくなってしまったのだが……碧唯は、やっぱりちょっと不服そうだった。
「……子ども扱い、すんなよ」
 ぷく、と膨らむ頬が白い。
「違う違う、子ども扱いじゃねーの」
 6年分の時間のズレは、こういう時に碧唯を追い詰めるらしい。この数か月で、何度か同じような問答をしたこともあった。

 あの屋上での出来事は、考えれば考えるほど不可解な事象だった。オカルトを研究する部活に所属していたものの、そんな都市伝説は聞いたことがない。奇跡か、魔法か、はたまた因果か……本当のところは、神のみぞ知るというやつなのかな、というのがオレたちの出した結論だった。
 とはいえ、ヒントはいくつか転がっていた。オレと碧唯の制服のデザインが違っていたのは、この6年の間にデザインが変わったから。全日と定時だから違う制服、ということではなかったのだ。
 キャンプファイヤーだって、オレが卒業してから6年間は欠かさずやっていたと、比留間が言っていた。碧唯が聞いたという「今年で最後」という噂話は、つまりオレが卒業してから5年後のことだったというわけだ。ヒントはあっても、偶然に話しがかみ合ったせいで気づかなかった。気づくきっかけすらなかった……というのが、からくりだ。
 
「茜理。それ、先週買ったシャツでしょ」
 カレーと、1枚の生姜焼きを食べ終えた碧唯が口を開く。オフホワイトのニットベストの下に着ているのは、先週、碧唯と出かけた時に買ったシャツだった。
「よく覚えてるな」
「ん。やっぱり似合ってる」
 ミントグリーンのストライプの入ったシャツは、碧唯のチョイスだった。洋服は着られればなんでもいい、と思うほど無頓着だったから、おすすめされるがままに購入したのだ。
「ならよかった。選んでくれてサンキュ」
 へらっと笑ってやると、碧唯が真剣に見つめてくる。長机ごしに身を寄せてきて、手を伸ばして……碧唯が、オレに触れる。
「なっ」
「……襟、立ってた」
 そっと距離を置かれて、碧唯はいたずらっぽく笑う。わかっててからかったな、と理解した時には、耳まで真っ赤に染まってしまう。あぁ、隠し切れない。
「おい……!」
「ふふ、茜理って本当にわかりやすいな」
 優位に立てたことが嬉しいのか、碧唯は楽しそうに笑う。その手が、今度は机に置いた手をそっと握った。一瞬のことじゃない、ずっと、しっかりと握っている。
「おい、手……」
「なに、嫌なの?」
 細い指が、オレの手のひらをすいとなぞる。見事に手玉に取られているな……と思いながら、オレはその手を取った。
「嫌なわけない」
 碧唯が目を丸くする。まさか握り返されるとは思っていなかったのか、碧唯は固まってしまった。
「碧唯」
 その表情を見ているうちに、言葉にしようと決めていた気持ちがあふれてくる。
「同い年で出会って、でも今は年の差があるけどさ」
「……本当にめちゃくちゃだな」
 今までのことを思い出しているのだろう、碧唯はちょっとだけ呆れたように視線を流した。
「オレ、オマエと同じ目線に立ち続ける自信はあるんだ」
「……知ってる」
 約束したから。オレたちの間には、確固たる信頼があるとは思う。でも、だからこそ伝えたかった。
「だからさ……ちゃんと改めて言いたいんだけど」
 碧唯は、大人しくオレの言葉を待っている。まるでなにを言おうとしているか、知っているみたいだ。ちゃんと気持ちには形をつけないといけない。オレは意を決して口を開いた。
「オレたち、友だちにならねぇ!?」
 碧唯がずっこける。なんで!?
 
「嫌だね」
 碧唯はさも不機嫌そうに眉をひそめる。そんなに嫌だった!? でも、繋いだ手は振りほどかれない。
「ま、待って……!」
 言いつのろうと身を乗り出すと、碧唯の顔が眼前に迫る。柔らかい感触と、あたたかい温度が、唇に触れた。碧唯の髪の毛の香りが、漂う。
「……友だち以上で、いいだろ」
 一瞬の出来事だった。い、今のって……! 触れた唇をなぞっていると、互いの顔がみるみるうちに赤くなっていく。
(あぁ……全然嫌じゃねーんだな)
 手に触れるのも、キスをするのも……見つめられるのも。思えば、碧唯にされて不快に思うことなんて、今までで一度もなかった。その理由が、今ようやくわかった気がする。
「じゃあ、恋人、ってことで」
 気がつけば陽は落ちはじめていて、夕陽が辺りを照らしている。やっぱり、オレンジ色がよく似合うな。碧唯の紅潮した白い肌に触れながら、オレはそう感じていた。
 碧唯が、そっと目を閉じる。世界一愛おしいその唇に、オレはもう一度口づけを落としたのだった。