選ばれなかった。この人生で、オレはいつも選ばれない。
試験の結果が芳しくなくてギリギリ不合格だった大学へは、1年遅れで入学した。
目指す夢もないから、とりあえず教職課程を受けているけど……それも難しくて、単位は常にギリギリ。でも、特段努力をしたいとも思わない。
選ばれようとしなくなったのは、いつの日からだろうか。
無気力な日々のなかで、たまに思い出す。6年も前の、あの夕方のひとときを。
繋いでいた手が空を切った、あの後。オレは必死に、あの子どもを探そうとした。保健医にも、担任の先生にも、定時の先生にも尋ねたけれど……みんな、そんな子どものことは知らないと首を振った。それどころか、必死なオレを見て、大人たちは決まって表情をこわばらせた。あー、オレの方がおかしくなったんだって、思うようになった。
きっと、孤独ゆえに生み出したイマジナリーフレンド。それが、答えなのだ。だってもう、オレはあの男の顔も名前もはっきりとは思い出せない。夕陽に照らされた屋上のゆらゆらと揺れるかげろうみたいに、ぼんやりと頭に残っているだけ。
誰そ彼。夕方のことを、そう呼ぶのだと後から知った。
◇
「お~~久しぶりだな」
保健医――比留間は、なんら変わらない笑顔をオレに向ける。
「大きくなったなぁ」
「まぁ、そりゃあ……」
6年も経っているのだから、大きくならないと困る。一日中取りつけていた愛想笑いで強張った頬が、するりと緩んだ。
なんとかこぎつけた教育実習、初日。1日目を終えて懐かしの校内を探索するうちに、オレの足は自然と保健室に向いていた。
怪我や無茶をするたびに、なにかと比留間には世話になったっけ。そんな比留間と肩を並べて、今やたばこを吸う仲だ。
「『2階多目的室のモヤおばけ』になっちまったなぁ」
「あ? なんだって?」
「覚えてません? アンタが吸ってたたばこの煙が、7不思議のひとつだったんですよ」
「あ~なんか、そんなこと言ってたな。妙に鼻息荒く」
「最後のは余計です」
保健医が、くつくつと口のなかで笑う。含みのある表情は相変わらずで、オレは立場もわきまえず睨んだ。
6年も経つと、学校の至るところにも変化が見られる。校庭に面した保健室の出口には、大人の力で設置された喫煙所が出来上がっていた。教師は仕事柄、喫煙者が多いのだとか。無断でこっそり吸うくらいなら、いっそ喫煙所を設置することになったのだという。
「あの有明がなぁ……くく」
「なんですか」
「朝帰り事件の有明くんがさ、今や先生のたまごかぁってね」
「……忘れてください」
たばこの煙は、穏やかに揺らめく。保健室は校庭に面していて、遮るものがない。部活を終えた生徒たちがのんびり歩く姿を、なんとはなしに見つめた。
「そういえばさ、このあいだ6年ぶりに朝帰り事件が起きたんだよ」
灰皿にたばこを押しつけ、新しいたばこに火を点けながら比留間が言う。美味そうに吸うたび、たばこの先がオレンジ色に色づいた。
「ふーん、青春ですね」
もう一本取り出して、オレもたばこに火を点ける。
「定時の子なんだけどね」
(定時……)
どこかで聞いたことがあるような話に、思わずたばこを吸う手が止まった。
「キミと同じで、やっぱり屋上で夜を明かしたみたいで、大人たちはおおわらわ」
だろうな。だって、オレの時もそうだった。心臓の音が、耳もとで大きく響いてうるさい。
「文化祭の夜って、そんなに朝帰りしやすいのかぁ? って笑ったね」
「……文化祭の夜は」
「うん?」
「文化祭の夜は……遅くまでキャンプファイヤーやってるし、屋上まで人来ないから」
知っている。この言葉を口にしたのは、2度目だった。
「なるほどねぇ……彼も同じようなこと言ってたよ」
指にはさんだたばこの灰が、ぽたりと落ちる。
「そいつ……名前は?」
「え? いやぁ、それは」
もやがかった記憶が、暗く落ちた影が、わずかに照らされていく。
誰? 彼は、一体。自分に尋ねてみて、ようやく思い出した。オレはその名前を知っている。
「星見、碧唯──……」
「あれ、星見と知り合いなの?」
比留間が、目を丸くする。6年ぶりに聞いた名前が、うざいほど注がれる夕陽が、オレの体を強く熱く焦がした。
夢中で駆けた。帰りがけの生徒たちも、登校してきた生徒たちも、一切合切どうでもいい。
走りづらいスリッパで、廊下を滑り、階段を飛ばす。
(知ってる、オレはこの時間を覚えている……!)
走れ、走れ――! ゆらゆらと揺れた面影が、はっきりしていく。
――ガシャン。
ぶっきらぼうに開け放した扉の先には、見覚えのある夕景が広がる。
「っ!」
やけに色の濃いオレンジの景色のなかに、黒いシルエットが浮かんでいた。
「茜理……?」
沈みかけの太陽が、空を、街を、オレを――碧唯を、オレンジ色に染め上げた。
星見碧唯が、そこにいた。
目を丸くしていた碧唯は、やがて訝しげにオレを見た。
「……制服は、って、なんか、デカくなってない」
淡々とした話し方は、6年前と変わらない。ちょっとかすれた静かな声色も、白くてなめらかな頬も、変わっていない。
(あぁ……本当に、あったんだ)
オレたちの逃げ場が、オレの特別が、確かにここにあった。言葉にするよりも前に、体が勝手に碧唯の方へ向かう。そして、華奢なその体を抱いた。
「な、なんだよ……あつい、離して」
「やだ、もう離さない」
オレの勢いに気圧されたのか、碧唯は黙って抱かれていた。相変わらずサイズのあっていないボロいブレザーから、碧唯の香りがする。
「……たばこ」
高揚とも緊張ともとれる感情に苛まれるオレの胸のなかで、碧唯が小さく呟く。
「たばこ、吸ったでしょ」
スーツの背中にそっと手を回して、碧唯がそっと言った。
「いけないんだ」
やっと戻ってきたいつも通りの声色に、オレの腕からふっと力が抜ける。
「碧唯……オレ」
「なんで来なくなったの」
改めて向き合った碧唯は、静かに、しかし真っすぐに尋ねた。でも、オレにだって理由はわからない。
「……オレが知りてぇよ」
「なにそれ」
目を逸らすことを許してはくれないらしい。無垢な眼差しで、碧唯はずいと前のめりに問う。
思わず頭を抱えながら、混乱する脳内を少しずつ言葉に組み立てる。
「6年……」
「6年?」
「こうしてオマエに会うのは、6年ぶりなんだ」
「……は?」
「今のオレは大学生で、今日から教育実習で、比留間と話して、それで……」
碧唯は口をぽかんとあけて、オレの話を聞いている。オレだって、自分がなにを言っているのか、さっぱりだ。
「とにかく……あれから、オマエと会えなかった6年間も、やっぱり選ばれなくって」
「……うん」
「オマエのことも、そのうち夢だったんだって思い込んで」
だけど、確かにあったのだ。あの、輝かしい日々が、みるみるうちにフラッシュバックしてくる。
「でも、こんなオレにも、選んでくれたヤツがいたんだって……今日、やっと思い出した」
「……なにそれ」
碧唯は夕陽を真正面に受けて、いつもよりぼやけて薄く見える。だけど、その表情には、強い感情がふつふつと煮えたぎっていた。
「1か月」
「え?」
「仲直りするって言ってから、1か月も経ってる」
怒り。悲しみ。名前をつけるなら、そう呼ぶのであろう感情たちが、オレに向けられている。
(あ、そうか……)
オレは、碧唯を能天気に抱きしめたことを少し後悔した。突然の別れで裏切られたのは、オレだけじゃなかったのだ。
オレだって、仲直りしたかった。手を引いてやれば、すぐに笑顔が戻ると思った。青臭くも、ずっと隣にいたいとすら思っていた。
それをさせてくれなかったのは、摩訶不思議な時間のズレ。
オレたちが出会ったのは奇跡の結果で、本当なら交わるはずのないふたり。でも、それってたぶん、ありふれた事象だ。
町ですれ違う人も、たまたま同じ電車に乗った人も、みんな出会いの種を持ってる。だけどひとつ残らず芽吹かせるのは無理な話で、結局出会いを手離す方が当たり前なのだろう。
(だけど……手を離したくないって、思っちまったんだ)
ありふれた出会いだとしても、手離したくない――芽吹かせたい! だから時を超えても、オレたちはまた出会ったのだ。
それなら、仕方ない。訳の分からないオカルトのせいにするのは、もうやめよう。
「なんか……言えよ」
寄る辺を失って、不安に揺れる碧唯の瞳。あの夜、そこに夜の星が散らばったのを、オレははっきりと覚えている。
「碧唯」
やわらかくてなめらかな碧唯の手を、今度こそしっかりと握る。骨ばってはいるけど、子どもみたいに小さいな。きっとあの頃の自分も、そうだった。
「ごめん……おまたせ」
そう言うと、碧唯の頬にみるみる熱が満ちていく。
「そ、んな、素直に謝られても、許せない」
「許さなくていい」
たじろぐ碧唯の手を、頬に寄せてみる。伝わるかな。こう見えて、けっこう緊張してるんだ。
「時間かかってもいい。いつか笑える日がくるまで、隣にいるから」
汗ばむのは、オレかコイツか。いずれにせよ、くっついたところで熱が混ざり合った。
「……なん、だよ」
頬を赤く染めたまま、碧唯はやがてぽつりと言葉を落とす。
「1か月ぶりに来たと思ったら、オマエにとっては6年ぶりで……」
一度せきを切ってしまえば、溢れ出すのは率直な気持ちの濁流。
「そのうえわがまま言って、駄々こねて、おれだけ子どものままで……!」
あぁ、そうだった。大人ぶるのに慣れてしまった碧唯が、こうやって思っていることをあらわにしてくれることが、オレは嬉しかったんだ。
「『おれだけ』じゃねーだろ」
言葉のひとつひとつを受け止めながら、オレの心は夕凪みたいに穏やかだった。
「オマエが約束したんだぞ、忘れたのか?」
あの日、ぎこちなく交わした約束。はじめて触れた小指の熱。斜めに差し込むオレンジ色の光。全部、昨日のことのように覚えている。
「……一緒に、大人になろう」
それは、魔法を解く呪文みたいだった。ぽつりともう一度約束しなおせば、碧唯の瞳から一筋の涙が伝う。
「なんで泣くんだよ」
指先ですくってあげれば、碧唯は不器用にくしゃっと笑う。
誰そ彼。影に包まれたオマエはあの時、どんな表情をしていたのだろう。願わくば、今この時と同じような微笑みだったならいい。
そうして、不器用に手を繋いで歩いていこう。屋上に伸びるふたつのシルエットは、混じり合ってひとつになった。
試験の結果が芳しくなくてギリギリ不合格だった大学へは、1年遅れで入学した。
目指す夢もないから、とりあえず教職課程を受けているけど……それも難しくて、単位は常にギリギリ。でも、特段努力をしたいとも思わない。
選ばれようとしなくなったのは、いつの日からだろうか。
無気力な日々のなかで、たまに思い出す。6年も前の、あの夕方のひとときを。
繋いでいた手が空を切った、あの後。オレは必死に、あの子どもを探そうとした。保健医にも、担任の先生にも、定時の先生にも尋ねたけれど……みんな、そんな子どものことは知らないと首を振った。それどころか、必死なオレを見て、大人たちは決まって表情をこわばらせた。あー、オレの方がおかしくなったんだって、思うようになった。
きっと、孤独ゆえに生み出したイマジナリーフレンド。それが、答えなのだ。だってもう、オレはあの男の顔も名前もはっきりとは思い出せない。夕陽に照らされた屋上のゆらゆらと揺れるかげろうみたいに、ぼんやりと頭に残っているだけ。
誰そ彼。夕方のことを、そう呼ぶのだと後から知った。
◇
「お~~久しぶりだな」
保健医――比留間は、なんら変わらない笑顔をオレに向ける。
「大きくなったなぁ」
「まぁ、そりゃあ……」
6年も経っているのだから、大きくならないと困る。一日中取りつけていた愛想笑いで強張った頬が、するりと緩んだ。
なんとかこぎつけた教育実習、初日。1日目を終えて懐かしの校内を探索するうちに、オレの足は自然と保健室に向いていた。
怪我や無茶をするたびに、なにかと比留間には世話になったっけ。そんな比留間と肩を並べて、今やたばこを吸う仲だ。
「『2階多目的室のモヤおばけ』になっちまったなぁ」
「あ? なんだって?」
「覚えてません? アンタが吸ってたたばこの煙が、7不思議のひとつだったんですよ」
「あ~なんか、そんなこと言ってたな。妙に鼻息荒く」
「最後のは余計です」
保健医が、くつくつと口のなかで笑う。含みのある表情は相変わらずで、オレは立場もわきまえず睨んだ。
6年も経つと、学校の至るところにも変化が見られる。校庭に面した保健室の出口には、大人の力で設置された喫煙所が出来上がっていた。教師は仕事柄、喫煙者が多いのだとか。無断でこっそり吸うくらいなら、いっそ喫煙所を設置することになったのだという。
「あの有明がなぁ……くく」
「なんですか」
「朝帰り事件の有明くんがさ、今や先生のたまごかぁってね」
「……忘れてください」
たばこの煙は、穏やかに揺らめく。保健室は校庭に面していて、遮るものがない。部活を終えた生徒たちがのんびり歩く姿を、なんとはなしに見つめた。
「そういえばさ、このあいだ6年ぶりに朝帰り事件が起きたんだよ」
灰皿にたばこを押しつけ、新しいたばこに火を点けながら比留間が言う。美味そうに吸うたび、たばこの先がオレンジ色に色づいた。
「ふーん、青春ですね」
もう一本取り出して、オレもたばこに火を点ける。
「定時の子なんだけどね」
(定時……)
どこかで聞いたことがあるような話に、思わずたばこを吸う手が止まった。
「キミと同じで、やっぱり屋上で夜を明かしたみたいで、大人たちはおおわらわ」
だろうな。だって、オレの時もそうだった。心臓の音が、耳もとで大きく響いてうるさい。
「文化祭の夜って、そんなに朝帰りしやすいのかぁ? って笑ったね」
「……文化祭の夜は」
「うん?」
「文化祭の夜は……遅くまでキャンプファイヤーやってるし、屋上まで人来ないから」
知っている。この言葉を口にしたのは、2度目だった。
「なるほどねぇ……彼も同じようなこと言ってたよ」
指にはさんだたばこの灰が、ぽたりと落ちる。
「そいつ……名前は?」
「え? いやぁ、それは」
もやがかった記憶が、暗く落ちた影が、わずかに照らされていく。
誰? 彼は、一体。自分に尋ねてみて、ようやく思い出した。オレはその名前を知っている。
「星見、碧唯──……」
「あれ、星見と知り合いなの?」
比留間が、目を丸くする。6年ぶりに聞いた名前が、うざいほど注がれる夕陽が、オレの体を強く熱く焦がした。
夢中で駆けた。帰りがけの生徒たちも、登校してきた生徒たちも、一切合切どうでもいい。
走りづらいスリッパで、廊下を滑り、階段を飛ばす。
(知ってる、オレはこの時間を覚えている……!)
走れ、走れ――! ゆらゆらと揺れた面影が、はっきりしていく。
――ガシャン。
ぶっきらぼうに開け放した扉の先には、見覚えのある夕景が広がる。
「っ!」
やけに色の濃いオレンジの景色のなかに、黒いシルエットが浮かんでいた。
「茜理……?」
沈みかけの太陽が、空を、街を、オレを――碧唯を、オレンジ色に染め上げた。
星見碧唯が、そこにいた。
目を丸くしていた碧唯は、やがて訝しげにオレを見た。
「……制服は、って、なんか、デカくなってない」
淡々とした話し方は、6年前と変わらない。ちょっとかすれた静かな声色も、白くてなめらかな頬も、変わっていない。
(あぁ……本当に、あったんだ)
オレたちの逃げ場が、オレの特別が、確かにここにあった。言葉にするよりも前に、体が勝手に碧唯の方へ向かう。そして、華奢なその体を抱いた。
「な、なんだよ……あつい、離して」
「やだ、もう離さない」
オレの勢いに気圧されたのか、碧唯は黙って抱かれていた。相変わらずサイズのあっていないボロいブレザーから、碧唯の香りがする。
「……たばこ」
高揚とも緊張ともとれる感情に苛まれるオレの胸のなかで、碧唯が小さく呟く。
「たばこ、吸ったでしょ」
スーツの背中にそっと手を回して、碧唯がそっと言った。
「いけないんだ」
やっと戻ってきたいつも通りの声色に、オレの腕からふっと力が抜ける。
「碧唯……オレ」
「なんで来なくなったの」
改めて向き合った碧唯は、静かに、しかし真っすぐに尋ねた。でも、オレにだって理由はわからない。
「……オレが知りてぇよ」
「なにそれ」
目を逸らすことを許してはくれないらしい。無垢な眼差しで、碧唯はずいと前のめりに問う。
思わず頭を抱えながら、混乱する脳内を少しずつ言葉に組み立てる。
「6年……」
「6年?」
「こうしてオマエに会うのは、6年ぶりなんだ」
「……は?」
「今のオレは大学生で、今日から教育実習で、比留間と話して、それで……」
碧唯は口をぽかんとあけて、オレの話を聞いている。オレだって、自分がなにを言っているのか、さっぱりだ。
「とにかく……あれから、オマエと会えなかった6年間も、やっぱり選ばれなくって」
「……うん」
「オマエのことも、そのうち夢だったんだって思い込んで」
だけど、確かにあったのだ。あの、輝かしい日々が、みるみるうちにフラッシュバックしてくる。
「でも、こんなオレにも、選んでくれたヤツがいたんだって……今日、やっと思い出した」
「……なにそれ」
碧唯は夕陽を真正面に受けて、いつもよりぼやけて薄く見える。だけど、その表情には、強い感情がふつふつと煮えたぎっていた。
「1か月」
「え?」
「仲直りするって言ってから、1か月も経ってる」
怒り。悲しみ。名前をつけるなら、そう呼ぶのであろう感情たちが、オレに向けられている。
(あ、そうか……)
オレは、碧唯を能天気に抱きしめたことを少し後悔した。突然の別れで裏切られたのは、オレだけじゃなかったのだ。
オレだって、仲直りしたかった。手を引いてやれば、すぐに笑顔が戻ると思った。青臭くも、ずっと隣にいたいとすら思っていた。
それをさせてくれなかったのは、摩訶不思議な時間のズレ。
オレたちが出会ったのは奇跡の結果で、本当なら交わるはずのないふたり。でも、それってたぶん、ありふれた事象だ。
町ですれ違う人も、たまたま同じ電車に乗った人も、みんな出会いの種を持ってる。だけどひとつ残らず芽吹かせるのは無理な話で、結局出会いを手離す方が当たり前なのだろう。
(だけど……手を離したくないって、思っちまったんだ)
ありふれた出会いだとしても、手離したくない――芽吹かせたい! だから時を超えても、オレたちはまた出会ったのだ。
それなら、仕方ない。訳の分からないオカルトのせいにするのは、もうやめよう。
「なんか……言えよ」
寄る辺を失って、不安に揺れる碧唯の瞳。あの夜、そこに夜の星が散らばったのを、オレははっきりと覚えている。
「碧唯」
やわらかくてなめらかな碧唯の手を、今度こそしっかりと握る。骨ばってはいるけど、子どもみたいに小さいな。きっとあの頃の自分も、そうだった。
「ごめん……おまたせ」
そう言うと、碧唯の頬にみるみる熱が満ちていく。
「そ、んな、素直に謝られても、許せない」
「許さなくていい」
たじろぐ碧唯の手を、頬に寄せてみる。伝わるかな。こう見えて、けっこう緊張してるんだ。
「時間かかってもいい。いつか笑える日がくるまで、隣にいるから」
汗ばむのは、オレかコイツか。いずれにせよ、くっついたところで熱が混ざり合った。
「……なん、だよ」
頬を赤く染めたまま、碧唯はやがてぽつりと言葉を落とす。
「1か月ぶりに来たと思ったら、オマエにとっては6年ぶりで……」
一度せきを切ってしまえば、溢れ出すのは率直な気持ちの濁流。
「そのうえわがまま言って、駄々こねて、おれだけ子どものままで……!」
あぁ、そうだった。大人ぶるのに慣れてしまった碧唯が、こうやって思っていることをあらわにしてくれることが、オレは嬉しかったんだ。
「『おれだけ』じゃねーだろ」
言葉のひとつひとつを受け止めながら、オレの心は夕凪みたいに穏やかだった。
「オマエが約束したんだぞ、忘れたのか?」
あの日、ぎこちなく交わした約束。はじめて触れた小指の熱。斜めに差し込むオレンジ色の光。全部、昨日のことのように覚えている。
「……一緒に、大人になろう」
それは、魔法を解く呪文みたいだった。ぽつりともう一度約束しなおせば、碧唯の瞳から一筋の涙が伝う。
「なんで泣くんだよ」
指先ですくってあげれば、碧唯は不器用にくしゃっと笑う。
誰そ彼。影に包まれたオマエはあの時、どんな表情をしていたのだろう。願わくば、今この時と同じような微笑みだったならいい。
そうして、不器用に手を繋いで歩いていこう。屋上に伸びるふたつのシルエットは、混じり合ってひとつになった。
