誰そ彼エスケープ

「こら!!」
 げんこつを食らわせる勢いで、比留間と父さんが声を揃えて叱責した。
「……ゴメンナサイ」
「泊まるなら連絡をしなさい! 母さんだってなぁ!」
「あーもう、はいはい、ごめんなさい!」
 普段は仕事で帰ってこないなんてざらな父親に言われても、説得力というものをまったく感じない。
 でもまぁ、見つかれば怒られるのはわかっていた。だから、父さんの話は半分くらい聞いて、適当にやりすごす。早く説教終わらねぇかな。

 あれから、気づけば朝を迎えていた。白い光がまぶたの裏に見えるやいなや、オレは心地いい夢の世界から帰ってきてしまったのだと落胆した。とはいえ、屋上の床は固かったくせに寝苦しくはなくて、夢を見たかすら曖昧だったけれど。
 身を起こして屋上を見回しても、碧唯の姿はすでに屋上にはなかった。アイツの持ってきたランプがなくなっていたから、たぶん先に起きて荷物をまとめて帰ったのだと思う。
 そうこうしているうちに、何故かぼさぼさ頭の比留間が屋上へやって来て、保健室に連行されて、事情を聞かれて、今こうして怒られている。わざわざ父親を呼ぶこともないのに。

「お父さん、ちょっと待って。茜理クン聞いてません」
「な!?」
 朝のことを思い返すあまり、ぼうっとしすぎたらしい。まったくもって余計な比留間の助言が、父さんの逆鱗を触りまくる。
「だ~~わかったから! 外泊するときは連絡だろ、次から気をつけるから!」
 どっちが大人なんだか。オレはイライラしながら、保健室に貼られたポスターを睨みつける。内容は入ってこない。
「オマエは高校生なんだぞ!?」
「ハイハイ、セキニンとチツジョある行動を~ってヤツでしょ」
 あくびまじりに言うオレの前に、比留間が一歩近づく。
「……そうじゃない、有明」
 比留間は、珍しく真剣な表情をしてオレの顔を覗き込んでいた。
「ま(・)だ(・)高校生なんだ、キミは」
 まだ? まだ、高校生だと? そんなの、知ってる。だけど、そうさせてくれなかったのはオトナたちだろ?
「……心配をかけるなと、言いたいんだ」
 言いたいことを言葉にできないまま、拗ねたように口を尖らせるオレに、比留間は真摯に言いやがる。不覚にも、オレはハッとした。
「心配……してくれたのか?」
 ぽろっとこぼれた本音を、父さんが拾った。目線を合わせるために屈んだ父さんと、正面から目が合う。あぁ、父さんってこんな顔してたんだっけ。
「心配するに決まってる」
 無邪気にはしゃいでいたころより太ったし、しわも増えた。頬もたるんでる。だけど、優しいまなざしには見覚えがあった。
 逃避行の目的――オレのことを心配してくれるんじゃねーかなというほんのちょっとの期待が、あっさりと叶ってしまった。
「……で、でも、オレのことなんていつも見てないじゃんか」
 あまりにあっさりとしすぎて、つい反抗する口が止められない。だって、思い出のなかで優しいってだけで、この寂しさをなかったことにするなんて悔しいじゃんか。
「ごめんな。寂しい思いさせたな」
 オレは、今まさに寂しいんだ、悔しいんだ! 子どもでいたいんだ!
「ぶ、文化祭だって、部活のことだって、父さんはなにも知らないだろ!?」
 父さんは、拗らせたこの気持ちごと受け止めるようにうなずく。
「……うん、知らなかった」
 素直に認められても、消えない。消したくない。
「なのに今更、都合のいい時だけ」
 情けなくて、目に涙が浮かぶ。
「茜理。ごめんな」
 父さんは、握りこんだオレの手をそっと握る。ごつくて、あたたかい父さんの手。手を繋いだのなんて、いつぶりだろう。
「っ……謝ったって……!」
 ガキにするみたいなその行動ひとつが、嬉しくて、また情けない。
「だから、教えてくれないか」
「……へ?」
 父さんの言葉は予想外で、突拍子がなかった。思わずうつむいていた顔を上げる。
「茜理が、どんな生活を送ってて、どんな活動をしてて、その時、どう思ってるか」
 父さんが、困ったように眉を下げている。そうか、そうなのだ。大人だって、わからないんだ。オレは、妙にすとんと腑に落ちた。
 
 子どもが大人になるのに、明確なきっかけはない。迷って、失敗して、立ち止まって、歩き出して……それを繰り返しているうちに、ちょっとずつ大きくなる。
 父さんも母さんも立派な人だと思い込んでいたから、オレは気づけなかった。母さんにも、できないことがある。父さんにも、わからないことがある。勝手に理想を押しつけて、勝手に裏切られたと錯覚していただけなのだ。
(ほしいものは、言わないとわからないんだ)
 
 呆然とするオレをかばうように、比留間が手を差しのべた。
「……お父さん。茜理クン、文化祭で展示をしてるんです」
「ほう、展示ですか」
 父さんの目が、輝く。子どもみたいに。
「見ていってやってください。彼、熱心に活動してたんですから」
「茜理、見に行ってもいいか?」
 うなずいた拍子に、きらっとひとつぶの涙がこぼれた。