6時のチャイムが鳴る。いつも通りの夕空の下。学校の雰囲気は、いつもとは打って変わって賑やかだ。
文化祭初日、閉会時間を迎えて1時間ほど経つが、余韻の残った明るい声は少しもやまない。
「さすがに客は帰ったかー……」
徒労感にうなだれながら、フェンス越しに明るい声に耳を傾ける。その音に、屋上の扉を開ける音が混じった。
「おー、おつかれ」
「あぁ……すごいにぎやかなんだね」
大きい鞄をよいしょと置いて、碧唯はどこか他人事みたいな感想を呟く。バイトを終えてきた碧唯は、どんなウソをついてここへ来たのだろう。
「茜理」
とりとめもなく悪い方向へ思考が進む最中、碧唯の声がオレを引き戻す。振り向くと、視界いっぱいにまぶしい。
「なっ、なんだ!?」
「ランプ。持ってくるって言っただろ」
ランプ――もといキャンプとかで使う電池式のランタンが、淡い光を放っている。施設の備品なのだと、碧唯はどこか得意そうに言う。
「それから、毛布だけだと固いだろ。だから、空気で膨らませるクッションも持ってきた。あとこれは、バイト先で安くなってたカップ麺。お湯は水筒に入れてある」
早口に言いながら、碧唯はてきぱきと鞄のなかからいろんなグッズを取り出していく。表情はいつも通りクールに変わっていないが、これはひょっとして……。
(楽しみに……してくれてた?)
昨日の今日でかなり無謀なことを言った自覚は、もちろんあった。オレが思いつきで行動するのはいつものことだけど、好き好んで巻き込まれてくれる友だちなどいない。だから、今晩の碧唯も、来ないか、来ても渋々なのだろうと思っていたのに。口の端が、重力に逆らっていく。妙な顔でニヤつくオレに気づくと、碧唯は不快そうに眉をひそめた。
「なに……そんなに楽しみにしてたわけ?」
オマエがな。そう言いたいのをぐっとこらえて、オレはうなずく。
「うん、めーっちゃ楽しみにしてた!」
オレたちの短くて長い、夜の逃避行がはじまった。
持ち寄ったレジャーシートに、ランプ、文化祭で買ったメシ、割引のカップ麺。オレたち選りすぐりのグッズたちを並べ終えるころには、辺りはすっかり暗くなっていた。
時刻は6時半。見下ろした校庭も、ざわざわと賑わいはじめてきた。
「文化祭の夜って、こんなかんじなんだ」
碧唯が物珍しそうに、眼下を眺める。
「オマエ、1年のころも文化祭出なかったのか?」
「うん。バイトしてた」
「非協力的だなぁ……」
「そう言われないために、おれは事前準備に参加したんだよ。当日は、免除」
1年生にして、すでに周到に考えて立ち回っていたというのか。勉強の成績は知らないが、碧唯の頭は冴えわたっていて賢い。オレにはないものだから、それもまたうらやましい。
「てか、なんで今日なの?」
碧唯は、文化祭で買っておいたたこ焼きに手を伸ばしながら尋ねる。
「なにもこんなに人がいる日じゃなくても、よかったのに」
「ふふん、それには深い理由がある」
オレは、また得意げに指を立てた。
「裏をかいてるんだよ」
裏ぁ? 呆れた声が、オレの言葉を反復する。予想通りの反応が嬉しくて、ますます口の端が上がる。
「確かに人は多いが、文化祭の夜は遅くまでキャンプファイヤーやってるし、屋上まで人来ないから」
碧唯は、無理やり納得したような表情のまま冷えたたこ焼きを頬張る。
「普通の夜にやってみ? ぜってーつまんないから」
「なんだ、結局イベント好きなだけじゃん」
碧唯のついた大きなため息を、ひときわ大きなどよめきがかき消した。
「お、そろそろじゃねぇ?」
ふたたび校庭を見下ろせば、先生が組んだ木材に歩み寄る様子が見える。火のついたたいまつを下方から中へ滑り込ませると……。
「わ……」
夜の闇に包まれていた辺りが、ぶわっとオレンジ色に包まれる。普段はなかなか見ることもない柱のような炎が、校庭に集まる人々を、校舎を、オレたちを明るく染め上げた。
「すげぇ……なんか、なんか、あったけぇ!」
「なんだその感想……」
その声は呆れていたけれど、碧唯の目は燃え盛る火に釘づけのままだった。
「キャンプファイヤーなんて、ベタだけどいいもんだな」
「悪くは、ないね。ちょっと残念だ」
「残念って?」
碧唯なりの賛辞のあとに、対極の言葉が出てきて戸惑う。オレは目を丸くして聞き返したが、その碧唯こそ目を丸くして答えた。
「え? だって、今年で最後なんだろ、キャンプファイヤーって」
え! 場所をはばからず、思わず大きな声が出る。唐突に突きつけられた決定事項に、驚きを隠しきれない。
「そうなのか!? ぜ、全然知らなかった……」
「クラスの子たちがうわさしてた」
友だちはいるが、クラスの全員と仲がいいわけではない。せいぜい部活周辺の閉ざされたコミュニティに属しているオレに、知る余地はなかったのかもしれない。
特に文化祭のキャンプファイヤーに思い入れがあったわけではないが、なんだか無性に残念な気持ちだ。これは、終わることへの寂寥感とでも言うのだろうか。
「まぁ、この時代にむずかしいよな。あんな大きい火」
「アイツら、こんな遅くまでうるさいし」
生徒たちはキャンプファイヤーを囲んで、踊ったり、歌ったり、大騒ぎしている。近隣住民からしたら、苦情を言いたくなるものなのかもしれない。
「オトナって、わかんねぇなぁ」
ぽつりと呟いた本音は、明るい声にかき消されることはなかった。しかし、碧唯はなにも言わなかった。
視界いっぱいに星空が広がる。今夜の空は快晴で、さらに屋上に横たわれば遮るものはなにもない。満天のとは言えないが、美しい星空だと思った。
「静かになったなー」
「みんな帰ったんだろ」
メシを食べたり、トランプをしたり。ぽつりぽつりと会話を交わしながら過ごした時間は、あっという間に過ぎていく。
キャンプファイヤーはいつしか燃え尽き、明るい声も次第に遠のいていった。夜の校舎は冷たくて、静かだ。
ひとつのブランケットを共有して、オレたちは川の字に横たわる。呼吸のたびに碧唯の腹が上下する気配すら、この距離だと感じられる。
「……で、茜理の展示はどうだったの」
碧唯は寝返りをして、こっちを向く。同じブランケットのなか、逃げ場はない。あえて話さないようにしていた話題だけど、仕方なしに口を開く。
「……だれも見てなかった」
「そう」
残念そうでも、愉快そうでもなく、ただ碧唯は事実を受け取ったかのような相づちをする。それが、ひどく居心地がいい。一度開いた口は、するすると思っていることを言いたくなってしまう。
「けど、佐山の――部長の展示には、女子が群がってた」
「展示の内容が、女子向けだったってこと?」
「それもそうかもだけど……全員、佐山の友だちだったんだ」
「なんか、ちょっとずりぃね」
ちょっとだけ眠たそうなまなじりは、いつもより細められている。柔らかい表情は珍しくて、碧唯はこんな表情もするんだ、とそんなことを思う。
「女子たちは佐山の展示だけ見て帰ったんだけど……ほかの部員たちは、それでも嬉しそうにしてたんだ」
そう。自分の展示は見られなくとも、誰かが部活に興味を持ってくれただけで満足していた。その誰かを連れてきたのは、間違いなく佐山だった。
「だから……部長に選ばれなかったのは、佐山が女だからってだけじゃないって、理解しちゃったんだよな」
「……話聞く限り、女だからって感じの状況なんだけど」
訝しげな碧唯に、オレは首を横に振る。
「佐山、言ったんだ。自分が男でもそうするって」
「友だちを連れてくる、って?」
「うん。まずは部活のこと、知ってもらわないといけないって」
どれだけ展示物のクオリティが高かろうが、知られていないと誰も気づかない。少しずつ「科学部」という名を広めようと、この1年行動していたのだという。
「オレ、がんばる方向間違えてたんだなーって気づいた。そりゃ、部長に選ばれない」
対するオレは、自分が部内でどれだけ目立つか、貢献するかということばかり気にしていた。最初から、努力の方向を間違えていたのだ。
「そりゃ、なにを伝えたいかなんてわからねーよな。ま、それに気づけたから収穫はあったけど」
ふーん。身じろぎして、碧唯は再び仰向けになる。空を眺める黒い瞳に、夜空の星がキラキラと反射していた。
「……強いね、茜理は」
ほぐれた表情で言われて、オレはなにも言えなかった。まさか、そんな真っすぐに励ましの言葉をもらえるとは、思っていなかったから。
(び……っくりした)
これは、驚きの余韻に違いない。胸元が苦しくて、思わずワイシャツのボタンをひとつ開ける。それでもドキドキは収まらなかった。
「でもさ。おれ、昨日見せてもらった展示の方が、いいなと思ったぜ」
「え!?」
あんなに呆れていたのに!? ドキドキと衝撃が混ざり合って、オレは全然落ち着かない。
「だって、茜理が気になって、自分で調べたんだろ? それって、茜理にしかできない展示ってことじゃん」
「あ……」
その時、初めて碧唯の考えがわかった気がした。『茜理はなにを伝えたいの?』という碧唯の問いは、碧唯なりにかけた発破だったのだ。
(呆れたり、突き放したりされてるわけじゃなかった……のか)
碧唯なりに、茜理の展示のことを気にかけてくれていた。時間がかかったが、オレはやっと碧唯のさりげない優しさに触れた。
「……なに」
気づけば、オレはずっと碧唯の目を見つめていたらしい。
「な、なんでもねぇよ」
居心地悪そうな碧唯の声でようやく正気に戻って、オレも急いで夜空に視線を戻した。
夜は静かに更けていく。それは思ったよりもゆっくりで、だけど退屈ではなかった。時たまにどちらかが口を開いて、ぽつりぽつりと言葉を交わす。内容がある話も、ない話も、混ぜこぜだった。
いつもは6時のチャイムまでしか言葉を交わさないから、こんなに長い時間を一緒に過ごすのは新鮮だ。碧唯も同じことを思うのか、眠たそうなまぶたを必死にこじ開ける。
「……眠いなら、寝なよ」
「ん……まだ大丈夫」
いつものかすれ声に、舌足らずの言葉が乗っている。碧唯の肩から落ちそうなブランケットを、腕を伸ばしてかけなおした。
(きれーな肌だな)
先週までガーゼで隠されていた頬が、夜闇のなかでも白く映えている。アザはすっかり消えていて、健康そうな血色がみなぎっていた。
すぅすぅと規則的な呼吸が繰り返される口に触れないように、頬を撫でた。あのとき夢中だったオレは、このあたたかさにすら気づけず、むやみに傷つけてしまった。それなのに、ちゃんと謝ってなかったな。
「ごめん、痛かったよな……」
今さら真正面から謝るのは気恥ずかしくて、眠った碧唯に謝る。ずるいかもしれない。ちゃんと起きたら、改めて謝らないと。
「おれこそ……ごめん」
手を引こうとしたら、碧唯がそっと目を開く。
「っ……! や、ご、ごめん」
今にも溶けてしまいそうな眼球が、オレを見ている。真正面の謝罪が、届いてしまった。急いで引っ込めた手は、ドクドクと脈を打ち続けている。今日のオレは、おかしい。
(ただのダチに、触れたい……なんて、変だ)
自分の気持ちと行動がかみ合わなくて、目が夜の屋上を泳ぐ。
そうしているうちに、碧唯は眠ってしまったらしい。安心しきった寝顔が、隣に横たわっていた。
「碧唯……」
再び伸ばそうとした手を、引っ込める。寝返りを打って、オレも目を閉じた。
「おやすみ、碧唯」
このまま朝を迎えるまで、逃げてやろう。オレたちは、まだ子どもなんだから。夜の延長線にある夢の世界へ、一歩を踏み出した。
文化祭初日、閉会時間を迎えて1時間ほど経つが、余韻の残った明るい声は少しもやまない。
「さすがに客は帰ったかー……」
徒労感にうなだれながら、フェンス越しに明るい声に耳を傾ける。その音に、屋上の扉を開ける音が混じった。
「おー、おつかれ」
「あぁ……すごいにぎやかなんだね」
大きい鞄をよいしょと置いて、碧唯はどこか他人事みたいな感想を呟く。バイトを終えてきた碧唯は、どんなウソをついてここへ来たのだろう。
「茜理」
とりとめもなく悪い方向へ思考が進む最中、碧唯の声がオレを引き戻す。振り向くと、視界いっぱいにまぶしい。
「なっ、なんだ!?」
「ランプ。持ってくるって言っただろ」
ランプ――もといキャンプとかで使う電池式のランタンが、淡い光を放っている。施設の備品なのだと、碧唯はどこか得意そうに言う。
「それから、毛布だけだと固いだろ。だから、空気で膨らませるクッションも持ってきた。あとこれは、バイト先で安くなってたカップ麺。お湯は水筒に入れてある」
早口に言いながら、碧唯はてきぱきと鞄のなかからいろんなグッズを取り出していく。表情はいつも通りクールに変わっていないが、これはひょっとして……。
(楽しみに……してくれてた?)
昨日の今日でかなり無謀なことを言った自覚は、もちろんあった。オレが思いつきで行動するのはいつものことだけど、好き好んで巻き込まれてくれる友だちなどいない。だから、今晩の碧唯も、来ないか、来ても渋々なのだろうと思っていたのに。口の端が、重力に逆らっていく。妙な顔でニヤつくオレに気づくと、碧唯は不快そうに眉をひそめた。
「なに……そんなに楽しみにしてたわけ?」
オマエがな。そう言いたいのをぐっとこらえて、オレはうなずく。
「うん、めーっちゃ楽しみにしてた!」
オレたちの短くて長い、夜の逃避行がはじまった。
持ち寄ったレジャーシートに、ランプ、文化祭で買ったメシ、割引のカップ麺。オレたち選りすぐりのグッズたちを並べ終えるころには、辺りはすっかり暗くなっていた。
時刻は6時半。見下ろした校庭も、ざわざわと賑わいはじめてきた。
「文化祭の夜って、こんなかんじなんだ」
碧唯が物珍しそうに、眼下を眺める。
「オマエ、1年のころも文化祭出なかったのか?」
「うん。バイトしてた」
「非協力的だなぁ……」
「そう言われないために、おれは事前準備に参加したんだよ。当日は、免除」
1年生にして、すでに周到に考えて立ち回っていたというのか。勉強の成績は知らないが、碧唯の頭は冴えわたっていて賢い。オレにはないものだから、それもまたうらやましい。
「てか、なんで今日なの?」
碧唯は、文化祭で買っておいたたこ焼きに手を伸ばしながら尋ねる。
「なにもこんなに人がいる日じゃなくても、よかったのに」
「ふふん、それには深い理由がある」
オレは、また得意げに指を立てた。
「裏をかいてるんだよ」
裏ぁ? 呆れた声が、オレの言葉を反復する。予想通りの反応が嬉しくて、ますます口の端が上がる。
「確かに人は多いが、文化祭の夜は遅くまでキャンプファイヤーやってるし、屋上まで人来ないから」
碧唯は、無理やり納得したような表情のまま冷えたたこ焼きを頬張る。
「普通の夜にやってみ? ぜってーつまんないから」
「なんだ、結局イベント好きなだけじゃん」
碧唯のついた大きなため息を、ひときわ大きなどよめきがかき消した。
「お、そろそろじゃねぇ?」
ふたたび校庭を見下ろせば、先生が組んだ木材に歩み寄る様子が見える。火のついたたいまつを下方から中へ滑り込ませると……。
「わ……」
夜の闇に包まれていた辺りが、ぶわっとオレンジ色に包まれる。普段はなかなか見ることもない柱のような炎が、校庭に集まる人々を、校舎を、オレたちを明るく染め上げた。
「すげぇ……なんか、なんか、あったけぇ!」
「なんだその感想……」
その声は呆れていたけれど、碧唯の目は燃え盛る火に釘づけのままだった。
「キャンプファイヤーなんて、ベタだけどいいもんだな」
「悪くは、ないね。ちょっと残念だ」
「残念って?」
碧唯なりの賛辞のあとに、対極の言葉が出てきて戸惑う。オレは目を丸くして聞き返したが、その碧唯こそ目を丸くして答えた。
「え? だって、今年で最後なんだろ、キャンプファイヤーって」
え! 場所をはばからず、思わず大きな声が出る。唐突に突きつけられた決定事項に、驚きを隠しきれない。
「そうなのか!? ぜ、全然知らなかった……」
「クラスの子たちがうわさしてた」
友だちはいるが、クラスの全員と仲がいいわけではない。せいぜい部活周辺の閉ざされたコミュニティに属しているオレに、知る余地はなかったのかもしれない。
特に文化祭のキャンプファイヤーに思い入れがあったわけではないが、なんだか無性に残念な気持ちだ。これは、終わることへの寂寥感とでも言うのだろうか。
「まぁ、この時代にむずかしいよな。あんな大きい火」
「アイツら、こんな遅くまでうるさいし」
生徒たちはキャンプファイヤーを囲んで、踊ったり、歌ったり、大騒ぎしている。近隣住民からしたら、苦情を言いたくなるものなのかもしれない。
「オトナって、わかんねぇなぁ」
ぽつりと呟いた本音は、明るい声にかき消されることはなかった。しかし、碧唯はなにも言わなかった。
視界いっぱいに星空が広がる。今夜の空は快晴で、さらに屋上に横たわれば遮るものはなにもない。満天のとは言えないが、美しい星空だと思った。
「静かになったなー」
「みんな帰ったんだろ」
メシを食べたり、トランプをしたり。ぽつりぽつりと会話を交わしながら過ごした時間は、あっという間に過ぎていく。
キャンプファイヤーはいつしか燃え尽き、明るい声も次第に遠のいていった。夜の校舎は冷たくて、静かだ。
ひとつのブランケットを共有して、オレたちは川の字に横たわる。呼吸のたびに碧唯の腹が上下する気配すら、この距離だと感じられる。
「……で、茜理の展示はどうだったの」
碧唯は寝返りをして、こっちを向く。同じブランケットのなか、逃げ場はない。あえて話さないようにしていた話題だけど、仕方なしに口を開く。
「……だれも見てなかった」
「そう」
残念そうでも、愉快そうでもなく、ただ碧唯は事実を受け取ったかのような相づちをする。それが、ひどく居心地がいい。一度開いた口は、するすると思っていることを言いたくなってしまう。
「けど、佐山の――部長の展示には、女子が群がってた」
「展示の内容が、女子向けだったってこと?」
「それもそうかもだけど……全員、佐山の友だちだったんだ」
「なんか、ちょっとずりぃね」
ちょっとだけ眠たそうなまなじりは、いつもより細められている。柔らかい表情は珍しくて、碧唯はこんな表情もするんだ、とそんなことを思う。
「女子たちは佐山の展示だけ見て帰ったんだけど……ほかの部員たちは、それでも嬉しそうにしてたんだ」
そう。自分の展示は見られなくとも、誰かが部活に興味を持ってくれただけで満足していた。その誰かを連れてきたのは、間違いなく佐山だった。
「だから……部長に選ばれなかったのは、佐山が女だからってだけじゃないって、理解しちゃったんだよな」
「……話聞く限り、女だからって感じの状況なんだけど」
訝しげな碧唯に、オレは首を横に振る。
「佐山、言ったんだ。自分が男でもそうするって」
「友だちを連れてくる、って?」
「うん。まずは部活のこと、知ってもらわないといけないって」
どれだけ展示物のクオリティが高かろうが、知られていないと誰も気づかない。少しずつ「科学部」という名を広めようと、この1年行動していたのだという。
「オレ、がんばる方向間違えてたんだなーって気づいた。そりゃ、部長に選ばれない」
対するオレは、自分が部内でどれだけ目立つか、貢献するかということばかり気にしていた。最初から、努力の方向を間違えていたのだ。
「そりゃ、なにを伝えたいかなんてわからねーよな。ま、それに気づけたから収穫はあったけど」
ふーん。身じろぎして、碧唯は再び仰向けになる。空を眺める黒い瞳に、夜空の星がキラキラと反射していた。
「……強いね、茜理は」
ほぐれた表情で言われて、オレはなにも言えなかった。まさか、そんな真っすぐに励ましの言葉をもらえるとは、思っていなかったから。
(び……っくりした)
これは、驚きの余韻に違いない。胸元が苦しくて、思わずワイシャツのボタンをひとつ開ける。それでもドキドキは収まらなかった。
「でもさ。おれ、昨日見せてもらった展示の方が、いいなと思ったぜ」
「え!?」
あんなに呆れていたのに!? ドキドキと衝撃が混ざり合って、オレは全然落ち着かない。
「だって、茜理が気になって、自分で調べたんだろ? それって、茜理にしかできない展示ってことじゃん」
「あ……」
その時、初めて碧唯の考えがわかった気がした。『茜理はなにを伝えたいの?』という碧唯の問いは、碧唯なりにかけた発破だったのだ。
(呆れたり、突き放したりされてるわけじゃなかった……のか)
碧唯なりに、茜理の展示のことを気にかけてくれていた。時間がかかったが、オレはやっと碧唯のさりげない優しさに触れた。
「……なに」
気づけば、オレはずっと碧唯の目を見つめていたらしい。
「な、なんでもねぇよ」
居心地悪そうな碧唯の声でようやく正気に戻って、オレも急いで夜空に視線を戻した。
夜は静かに更けていく。それは思ったよりもゆっくりで、だけど退屈ではなかった。時たまにどちらかが口を開いて、ぽつりぽつりと言葉を交わす。内容がある話も、ない話も、混ぜこぜだった。
いつもは6時のチャイムまでしか言葉を交わさないから、こんなに長い時間を一緒に過ごすのは新鮮だ。碧唯も同じことを思うのか、眠たそうなまぶたを必死にこじ開ける。
「……眠いなら、寝なよ」
「ん……まだ大丈夫」
いつものかすれ声に、舌足らずの言葉が乗っている。碧唯の肩から落ちそうなブランケットを、腕を伸ばしてかけなおした。
(きれーな肌だな)
先週までガーゼで隠されていた頬が、夜闇のなかでも白く映えている。アザはすっかり消えていて、健康そうな血色がみなぎっていた。
すぅすぅと規則的な呼吸が繰り返される口に触れないように、頬を撫でた。あのとき夢中だったオレは、このあたたかさにすら気づけず、むやみに傷つけてしまった。それなのに、ちゃんと謝ってなかったな。
「ごめん、痛かったよな……」
今さら真正面から謝るのは気恥ずかしくて、眠った碧唯に謝る。ずるいかもしれない。ちゃんと起きたら、改めて謝らないと。
「おれこそ……ごめん」
手を引こうとしたら、碧唯がそっと目を開く。
「っ……! や、ご、ごめん」
今にも溶けてしまいそうな眼球が、オレを見ている。真正面の謝罪が、届いてしまった。急いで引っ込めた手は、ドクドクと脈を打ち続けている。今日のオレは、おかしい。
(ただのダチに、触れたい……なんて、変だ)
自分の気持ちと行動がかみ合わなくて、目が夜の屋上を泳ぐ。
そうしているうちに、碧唯は眠ってしまったらしい。安心しきった寝顔が、隣に横たわっていた。
「碧唯……」
再び伸ばそうとした手を、引っ込める。寝返りを打って、オレも目を閉じた。
「おやすみ、碧唯」
このまま朝を迎えるまで、逃げてやろう。オレたちは、まだ子どもなんだから。夜の延長線にある夢の世界へ、一歩を踏み出した。
