誰そ彼エスケープ

 丸めた模造紙の筒を担いで、屋上の扉を開け放つ。
「碧唯! できた! できたぞ!」
 屋上を訪れるなり大声を出すオレを、碧唯は涼しい顔で迎える。
「……なにが」
 ほんのわずかにオレの表情を覗いてから、碧唯はじとっと尋ねる。
 仕方なしに、といった様子で問われても、今のオレはへこたれない。なんてったって、大仕事をやり遂げたのだから。
 ここ数日は雨が続いていたが、今日はすっかり晴れている。そのあいだ部室にこもって成し遂げた成果を、オレは得意げに屋上の地面へ広げた。

【学校の『6』不思議の謎に迫る! 科学部・有明茜理】
 
 碧唯の目には、やっぱりちょっとの呆れがにじんでいたが、見出しをしっかりと読んでくれている。つかみはバッチリのようだ。
「『学校の6不思議』……? こういうのって、7じゃないの?」
 よくぞお気づきで。オレは得意気にチッチッチと立てた指を振る。
「もともとは7だったんだ、だが……ひとつはウソだぜ」
「……」
 どうせどれもウソだろう、とでも言いたげな視線が向けられる。だけどオレには、確たる自信がみなぎっていた。
「ウソかホントかわからないオカルト話で、100%ウソだっていう証拠があるのってすごいだろ!?」
 ドンと言い切ると、碧唯は観念したようにため息をついた。
「それはそうかもね」
「さらになんと、その証拠はオレが見つけた!」
「……ふぅん」
 ちょっとだけ興味を持ってくれたのか、続きを促すような相づちが返ってくる。興味を惹けたようで、それがなんだか嬉しい。しかし、小躍りしそうになる体を落ち着けて、つとめて冷静に。オレは優雅な手ぶりで、模造紙を指差す。
「まず、それまでまことしやかにささやかれていた7不思議はこれだ」
 箇条書きにした7つの怪異を読み上げていく。トイレの花子さん、笑う音楽室の肖像、昇降口の鏡は異界への入り口――などなど、まぁ一般的なものばかりだ。
「……くだらな」
 10%割引の牛乳パックにストローを刺しながら、碧唯は心底つまらなさそうに言う。でも、オレにはわかるぜ。ちょっと面白いと思ってるだろ?
「んで、これが問題の現象――『2階多目的室のモヤおばけ』だ」
 科学部の聞き取り調査によると、この『2階多目的室のモヤおばけ』が7不思議のなかで一番目撃証言が多い。
「時間帯は、夜6時以降。場所は、2階多目的室の窓の外……目撃者の証言が、軒並みピッタリ一致するんだ」
 碧唯の喉が、ごくりごくりと音を立てる。
「だから、オレは独自に張り込みを行った。すると……本当に現れたんだ、『2階多目的室のモヤおばけ』が!」
 ストーリーテラーのような口ぶりは、読者の恐怖をかき立てていく。碧唯の喉仏が、また音を立てて動いた。
「逃してしまえば、オカルト研究部の名が廃る――オレは緊張をかき消して、窓の方へ走った……!」
 その時のことを思い出して、オレの身が震える。かなり怖……否、緊迫した。
「窓を開け放ち、手を伸ばす! だが、当然モヤは掴めない……! 四面楚歌、有明茜理!」
「……わかったから、結局正体はなんだったの」
 盛り上がりの最高潮を迎えた朗読に、冷静なツッコミが入る。うんうん。結末が気になるってことだよな。ごほん、と咳ばらいをして、オレはもったいぶってやった。
「『2階多目的室のモヤおばけ』。その正体は――……保健医、比留間だ」
 
「……は? 比留間先生?」
「あの時間、部活も終わりかけで、定時の授業しかないだろ? 用事のある生徒も滅多にいないからって、暇つぶしにタバコ吸ってたんだと」
「保健室の真上が、2階の多目的室だった、ってこと?」
「うん、そうなるな」
「くっだらねぇ……」
 眉をひそめながら、碧唯が残りの牛乳をごくごく飲んでいく。さっきの音は、牛乳を飲んでた音だったのか……。
「てか、校内でタバコ吸うなよ」
「な。だからこの発表で告発してやろーと思って」
「うわー……先生、可哀想」
「いいんだよ、どうせ誰も……」
 調子に乗って言いかけた言葉が、喉に引っかかる。いつも思っていることが、出かかってしまった。
「……だれも?」
 しかし、碧唯は聞き逃してくれない。妙に真剣な顔で尋ねられてしまえば、簡単にごまかすことはできなかった。
「誰も……見ないから」
 観念して静かに呟いたのは、喉から手が出るほど欲しているオレの足がかり。
 碧唯が、小さくオレの名前を呼んだ。いや、呼ばれたわけではなかったのかもしれない。それ以降、碧唯は口を閉ざしてしまったから。

 秋めいた風が、屋上を吹き渡る。明日からは、学ランを羽織ろう。そんなことを考えながら模造紙を丸めて、立ち上がる。
「……なぁ、碧唯」
 今日の夕陽は妙に眩しい。雨上がりの夕焼けって、どうしてこんなにきっぱりハッキリした色なんだろう。
「前に、ゼイタクだって言ったろ」
「……またケンカする気?」
 そうじゃない。オレンジ色を真っ向から浴びて、オレはフェンス越しに明るい空を睨んだ。
「……どんくらいゼイタクか、知りたくないか?」
「どんくらいって……」
 呆気にとられた返事を聞いて、振り返る。夕陽を背負って、オレは声をひそめる。
「逃げてやろうぜ」
 長い前髪に隠れた碧唯の見開かれた目が、影みたいに黒いオレのシルエットを写した。
「逃げるって……」
「週末の、文化祭。夕方になったら、食い物持ってここに集合な」
「は!? そんなの、ダメだろ」
「なんでだ? オトナになりたいんだろ?」
 ぐっ、と碧唯が言葉に詰まる。きっとそんなことしたら、碧唯の保護者はカンカンに怒る。
 オレの保護者も、ひょっとしたらオレの不在に気づいて、心配してくれるんじゃねーかな。ちょっとした実験みたいに、試してみたくなったのだ。
 
「あー、あと毛布も必要か。さすがに夜は寒いもんな」
「……おまえ、本当にいつも突拍子もないな」
「褒め言葉か?」
 わざとらしいため息をつきながら、碧唯が空になった牛乳パックを握りつぶした。
「……ランプも必要だろ」
 わかりづらいけれど、その言葉には同意が含まれている。
「やりぃ! じゃあさ、レジャーシート持ってくる」
「暇だし、マンガとかあってもいいかも」
「いいじゃん! ボドゲとか持ってこようかな」
 それは悪だくみの作戦会議みたいで、そしてこの場は秘密基地みたいで。オレたちの心は、不安を抱えながらも、どこか期待するように楽しさで満たされていった。