17歳の嘘

 人には言えない秘密だったり、見せられない自分の腹。
 親や友達にも隠した、奥底の本音。
 かわりに真逆の嘘をついたりしたこともあった。
 それでも私は思う。果たして自分を守るための嘘は悪いことなのだろうか。

 右見手ひだり

 「今から友達と原宿に行って、タピオカ飲んできまーす!」
 右手でスマホを持ち、左手でカフェラテを飲む私はそう投稿した。
 無表情で打ち続けた文字の羅列が多い私のSNSは、嘘の塊。
 ビックリマークをつけているのに、気合いは皆無だし、笑。ってつけるけど笑ってるわけじゃなくて文字のバランスを整える整地作 業。
 料理に緑の野菜を加えデコレーションしている感覚で、どう見られるかが最優先事項。
 
 嘘というより盛っていて、自分の人生なのに手応えがない。
 安定が欲しいけど、何者かにはなりたい。
 痩せたいと言いながら、甘いパンケーキ。
 
 変わり映えのない日常に、本能が刺激を求めてしまう。

 炎天下のグラウンドに陽炎が姿を現した、八月十三日。
 同級生の子たちはみんな夏休みだというのに、私だけが学校に呼び出されている。
 来客用スリッパをパタパタと言わせながら「失礼しまーす、」と、自分のクラスであろう扉をゆっくりとスライドした私。
 すると担任の先生が驚いた様子で椅子から立ち上がり「あれ、今日は親御さんも一緒にお願いしてたはずだけど…」と困った顔で首を傾げた。
 その質問を「今日は急に予定が入っちゃったみたいで、」と急いで煙に巻いた私。

 すると田中先生は煙たそうな顔をしながら「そっか、それなら仕方ないですね、ですがそうなると解決できるかどうかが怪しくなります…」と、晴天の空に照らされた曇天の教室。
 その言葉に「お茶とかないんですか?」と言いたい気持ちをグッと抑え、「何かあったんですか…?」と渇ききった声を発した私。
 
 先生がゆっくりと腰を下ろし始めたことを確認して、私も同じタイミングで椅子に座った。
 「家庭内のことに、あまり学校側が介入しない方が良いと分かっています。ですが、どうしても心配になってしまうんです。牧田さん、ちゃんとご両親とコミュニケーション取れていますか?」

 口にロケットランチャーを突っ込まれたみたいだ。
 空いた口が、どうしても塞がらない。

「なんで先生が、私の家を気にするんですか?」
「普通に失礼だし、それを聞かれた私は何て返したら良いか分かりません。」
 先生のロケットランチャーを無理やりにでも、不発にしようと頑張った私。
 しかし、先生の切り込んだ質問が止まらない。

「そうとは分かっています。昨今コンプライアンスが厳しくなっている中で恐る恐る僕も聞いています。牧田さん、本当に何も困っていませんか?」
 その言葉を聞いた私は流石にムカついて「田中先生、ご存知かは分からないですが、私の家は正直言ってお金持ちです。だから人からの助けには困っていません。」
 私は先生の胸ぐらを掴んでいる気分で、キッパリとそう言い放った。

 それなのに田中先生は「ですが、牧田さん、正直に言うと…」と、次から次に切り込んでくる。だから私は反射的に「何で、先生はそんなに私のことが心配なんですか!?」と、ヒステリック気味に叫んでしまった。すると田中先生が「だって牧田さん、さっきからずっと泣いてるじゃないですか。」
 ようやく自分の涙に気が付いた私は、田中先生に深々と頭を下げた。

「余計なお世話です」という思いを込めて。

 私は誰にでも、踏み込まれたくない秘密が一つや二つくらいあると思っている。
 それを田中先生は、土足で踏み込んできた。
 ましてや家庭内のことなんて、誰にも知られたくない。
 他人から見たら幸せそうな家族だって、それぞれの色や形、匂いに空気感がある。

 「お小遣い使い果たして、少しちょうだいって言ったら三万円くれたー!まじ親ガチャ大成功ー!」って SNSに投稿した私の家庭内だって同じこと。

 見栄で言ったことや、本心ではないこと。
 周りと比べるために取り繕った虚しい日本語達だってそう。
 全部、自分を守るために必死だった。

 夏休みが終わり、周りが「私、長崎カステラ合計で五本は食べたー!」とか「ショート動画未漁ってたら、夏休み終わった!」とか「金欠すぎてアルバイト三昧だった」とかをSNSで叫び散らす中、私は田中先生から出された宿題に頭を悩ませていた。

 それは「二十歳の自分へ」という、三年後の自分に送る手紙。
 私たちが二十歳になる年、田中先生が全員分の手紙を郵便局から一斉発送するそう。
「切手代だって高いのに、こんな宿題を出すなんて田中先生バカじゃないの?」と乗り気ではなかったけど、一度走らせてしまったペンが止まることはなかった。

 手紙を書き終えた私は郵便局へと向かい、田中先生のお家に郵送した。

「拝啓、二十歳の私へ。あなたは今、幸せですか?両親とは心を開いて会話できていますか?両親にはちゃんと…」配られた一枚の手紙用紙にびっしりと並べられた私の言葉。本心を人に伝えることが苦手なだけで、思っていることは人並みにある。いや、人並み以上かも。心を殺しているだけで感情は死んでいない。

 まあでも、一週間後にはその手紙を書いたことすら忘れてたんだけどね。
 変わり映えのない日常が、忙しかったからかな。
 
 「今から部活サボって、ケバブ屋さんで豪遊してきまーす!」
 私の親指で世界中へと放たれたその言葉に、全く知らない人達からのいいねが沢山ついた。
 それが快感で、自分という存在を「いいね」で認められている気がしていた。
 本当は部活にも入っていないし、地元のケバブ屋は豚アレルギーだから食べられない。
 それなのにどこかで達成感や全能感を感じていた私。だけど同時に引け目も少しだけ…ね。

「自分を守るための嘘をついて、何が悪いの?」
 そう自分に言い聞かせて、自分ではない誰かになりきった。
 いや、そうでしか本当の自分を守ることが出来なかった。

 夏の陽炎が打って変わり、肌寒さが全身を包む中「ピンポーンッ」と家中に鳴り響いたインターホン。
「あっ、着いたらメールしてって言ったのに、」慌ててドアノブを捻り外の世界と繋がった私。
そこに居たのは「おはよー、マキ元気にしてたー?」と天真爛漫な笑顔を浮かべる私の親友、優子。
 唯一、私のことをマキと呼び、「なんか少し太ったんじゃない?」とガツガツ土足で踏み込んでくる。
 でも優子になら、土足で踏み込まれても不思議と嫌な気がしなかった。

 冬の訪れを感じさせる涼しげな匂いが、私と優子の鼻を優しく刺激する朝の十時二十八分。
 「マキは最近何しているの?学校はどんな?」と、スマホから私の目に視線を移してきた優子。
 急に目があったことに少しドキッとした私は、優子の目から自分のスマホへと視線を移し「うーん、どんなって聞かれてもなー、真面目ではないけどぼちぼち頑張ってるよ。」と返事。
 すると優子が、あぐらをかく私の膝小僧を人差し指で優しくチョンチョンと突きながら「まあ、あんまり無理すんなよー」と少し不安そうに呟いた。
 風に押されて広がったカーテンレースの影が、私だけを黒く包んだ気がする。
 そこからは長かったのに早かった。
 久しぶりに話すということもあってか、二時間以上話し続けた私たち。
 
「マキは将来の夢とかあるの?」
「んー、人には言えない夢かもしれないな…」
「はー?何よそれー、まあいいけどさ」
「そういう優子はどうなのよ」
「んー、私はトリマーさんになりたいかなー」
「あー、トリマーってあの犬とかの?」
「そうそう人間と一緒で、犬も少し見た目を整えるだけですごい健康そうに見えるのよ」
 その言葉を聞きながら、気が付けば自分の伸び切った髪を人差し指にクルクルと巻きつけていた私。
 
 等身大の自分を愛することが出来なかった十七歳の冬。
 それなのに優子は等身大の私を求めてくれていた。
 ごめんね優子。私また嘘ついちゃった。
 でもやっぱり私は思うの。
 自分を守るための嘘って悪いことなのかなって。

 そこからも変わらない日常に、本能が刺激を求め続けた。
 とある日の夜、ベッドで仰向けになりながら興味本位で「将来の夢 十七歳」とSNSで検索をかけてしまった私。
 待ち受けていたのは、少しの安堵と莫大な不安感。
 
 『回答者四十八歳の男性「十七歳で将来の夢が見つかっている人の方が珍しいですよ。基本的には周りの目を気にして作った夢ばかりです。本当に夢がある十七歳はすでに行動していると思いますし。それとそういった夢を探す人の多くは、四十八歳になっても自分の夢を探しています。気が付いたら人生を生きていたというより、何者かになりたいという人生とは別の何かを生きていたと気が付くのです。そう、まるで私のようにですね。」』と最多いいねを獲得している投稿が目に留まった。一文字、一単語も見落とさないように、ゆっくりじっくりと咀嚼した文字を頭で理解しようと頑張る私。多くの理解者が「いいね」したその言葉が、人生の正解のように思えてしまった。「この投稿に心を打たれた十七歳です。批判がくるかもしれませんが、正直に言って私は家がお金持ちで、お金に困ったことがありません。だから将来、親の収入を超すくらい稼ぎたいと思っています。ただ、行動を起こしている十七歳がどこかに居るという視点は思っておらず、今心臓がドキドキ言うくらい焦っています。頑張ります。」と私はコメントを投稿。

 自分を守る嘘は悪くないよね。

 そこからも変わらない日常を積み重ねた私。
 そして、古いエアコンが「ゴォォォォ」と全力稼働する夏の晩。
 もうすぐ、十八歳を迎える私は布団の中で丸まり泣いていた。
 自分の膝に両目を当て、視界と世界を真っ暗に。
 ただでさえ布団の中は暗いというのに、これじゃ暗闇のマトリョーシカみたいだ。
 もっとも内側で小さく存在する私の心が一番真っ暗。
 涙の理由は、特にない。
 スマホの中で永遠と流れ続けてくる他人の人生と自分を比較してしまったからなのか。
 はたまた、過去についた小さな嘘が今になって自分を襲っているのか。
 それがよく分からなかった。

 次の日の朝、目をパンパンに腫らした私は、その目を両親に見られないようにとこっそり階段を降りて洗面台へ。
 冷たい水で何度も目を擦ってみたけど、どうしても鏡に映った自分が泣いているように見えてしまう。
 そんな自分に向かって偽りの笑顔を見せた私は、昨晩の涙を全て忘れ両親のいるリビングへと向かった。

「おはよー!」と明るく何事もなかったかのように両親へと挨拶した私。
「おはよー、あれ何かあったの?」って心配そうな母と目があった瞬間、癖で目を逸らしてしまった。
「えっ、何もないけど」と私が返事をすると、「あっ、そう、目が腫れてるように見えたから」
「多分、寝てる間に目ヤニか何かが入ったんだと思う。」って私は切り返した。
 
 ごめん、私また嘘ついちゃった。
 でも自分を守るためだったから、悪くないよね。

 そこから数分後、焦げた食パンにジャムを塗らずに貪りつき、リビングで流れる朝のニュースを見ていた私。
 視聴者を飽きさせないようにと、番組側が用意した売り出し中のアイドルと芸人が、一生懸命エピソードトークを繰り広げている。
「ほんでね、ほんとにウソじゃないんですけど、こないだね、マンションのロビーで猫が体操座りしてたんですよ」と若手芸人がここぞとばかりにボケた。
 するとその話を聞いていた共演者と、テレビを見ていた私の両親は怖いくらいに大爆笑。
「あー、ほんとおかしい、笑」って。
 いや、猫が体操座りは流石に嘘すぎるでしょ。まあ、私も少し笑ってたんだけど。
 
 するとテレビは次のコーナーへと移り「デジタルデトックス」という文字がデカデカと表示された。
 少し真剣そうな顔で原稿を読み上げる女性アナウンサーが「最近、話題のスマホ依存症。若者が中心とされていると思われていたスマホ依存は、今や年代問わず多くの人々が陥っている現代病です。うつ病やメンタルの不安定化。それらを解決してくれるというデジタルデトックス。時代に逆らう新たな挑戦。今回は専門家の方をお招きして、スマホ依存症のリスクと、それらから抜け出す方法について徹底解析していきたいと思います。」という声に、食パンを左手で持ち、右手でスマホをスクロールする私の左手が止まった。右手は止まらなかったけど。

 黒が三、白が六、シルバーが一の割合で構成された七三分け。いかにも専門家っぽい大学の教授がスマホ依存のメカニズムについて解説し出した。
「えー、まずはSNSのいいねが、もっとも多くのドーパミン、つまり快楽物質を放出しています。これは、いいねを押した瞬間も同様で、誰かに何かをあげた、報酬を与えた、と脳が誤認識します。」
「えー、つまりですね、現実世界の仕事やコミュニケーションから得ているドーパミンを、人差し指たった0.1秒で得られてしまうということなんです。」
「まるで、猿に似ていますね」と、朝の番組にしてはあまりにも過激で、誰もがスマホへと目を逸らしたくなるくらい確信めいていた教授の言葉。
 
 さらに続けて「えー、例えばスマホが手元にないとソワソワしてしまうとか、静寂な環境に耐えられない、または理由はないけど生きている実感がしない。という方達はですね、一日だけスマホの電源を切ってみる、ということがオススメですね。最初は辛いと思いますけど、二時間もすれば昔にタイムスリップしたかのように、人間らしい行動を行うと思います。デジタルデトックスを行った一日はですね、特に何もなかったとしても、ここ数年で一番思い出に残る一日となるはずです。それほど現代人は現実を生きていません。」と、流石にテレビの前の依存者たちがノックダウンしそうなくらいの正論を立て続けにぶちかました大学の教授。しかしその一方で、暗闇に包まれた私の心には少しだけの明かりがさした気がしていた。気が付けばSNSを開いて「一日だけ返信できません!」と投稿し、スマホの電源を落としていた私。誘惑に負けないようにと、板化したスマホを今座っているリビングのソファー後ろに隠した。そんな私を横目に、口を揃えて「でも人間って、何かに依存しながらじゃないと絶対に生きていけないよな」って、大学の教授に一生懸命反論していた父と母。そう言いながら両手と体の輪郭が、小刻みに揺れ始めていたお母さん…

 そして本当にその日が、ここ数年で一番思い出に残る日となった。
 
 時刻は朝の九時。
 なんの策略もなくスマホの電源を落としてしまった私は、リビングのソファーで放心状態。「とりあえず、天井の模様でも観察してみようか。」スマホをいじっている時みたいに目ん玉だけを動かし続けた私は、色々なことに気が付いた。「あっ、ここ顔に見える。」「てか右隣の模様、なんか優子の顔に似てるんだけど。」「そのさらに右隣は…」しかし、三つ目で新しく生み出した新手の趣味に飽きた私。違う遊びを見つけようと必死になり、「ねえ、お母さんちょっと私散歩に行ってきても良い?」そう母に聞いた。すると「どうしたの?急に。」と言われ「気分転換に。」とだけ返事。「起きてすぐに気分転換って珍しい気もするけど、良いわよ。でも、すぐに帰ってきてね。」と寂しそうに言われた。母は変に心配性だから仕方がない。

 ヨレヨレのコンバースに足をねじ込み、玄関のドアノブを右回転させながら「トントントン」と踵を靴の中にしまおうと苦戦する私。いつもならイヤホン越しのミュージシャンが彩ってくれていた私の世界。いつもよりも限りなく静かな世界に寂しさを覚えてしまう。「あれ、私ってこんなに歩くの遅かったんだ。」と住宅街の家を一軒一軒舐め回すように見ながら歩く私。いつもなら曲のBMPに合わせて変わる私の歩幅が、珍しく一定間隔。「自分の体をコントロールしている感があるかも」って、デジタルデトックスの効果をSNSに投稿したくて、右ポケットに手を入れた。「あっ、そうじゃん。スマホないんじゃん」朝の住宅街、一人でニヤける変出者が完成した瞬間だった。

 そこから数分も歩き続け、最後に近所の公園を一周して帰ろうと思い、急な方向転換で公園を目指した。スマホの電源を切ってから三十分が経過しているタイミング。公園には朝から「おい!俺がキーパーだから本気でこいよー!」と、いかにもガキンチョな甲高い声でキャッキャッと遊ぶ、おそらく小学低学年の男の子三人組が。「私もあの頃に戻りたいな」と淡い気持ちを抱きながら、グラウンドの周りを一周し出した私。すると突然、砂でサラサラになったボロボロのサッカーボールが私の足元に転がってきた。「おねえちゃん!それ蹴ってー!」と言われ「えー、えいっ!」と力を入れた爪先でサッカーボールを蹴り飛ばしてみた。するとカーブを描きながら男の子たちの真逆へと飛んでいったボール。それなのに「おねえちゃんヘタすぎでしょ!」って、ギャハハと大笑いしながらボールを追いかける男の子たち。
 何者かになりたいとか、普通でありたいとか、家庭がどうこうとか。
 全く気にしてなさそうな男の子たちに、私は少しだけヤキモチを焼きながら心配症の母の家へと急いだ。

 まあ正直スマホを触りたくて、早くリビングのソファー裏に手を伸ばしたかったっていうのもあるんだけどね。

 そこから約十五分後。「ただいまー」と小声でドアノブをひねった私に待ち構えていたのは、家を出る前とは少しだけ変わった空気感の家。
 なんというか、言葉にできないけど匂いが違う。

「プシュッ!」
 日曜日の朝十時ちょうど。
 私が恐る恐るリビングへ入ると「ねえ、あなた。朝からビールは辞めてって言ったじゃない、もう運転とか出来なくなるから、しかも、それ二本目だし…」そう声と体を震わせながら父に文句を言っていた母。「はー、お前にだけは言われたくねえよ」そう叫ぶ父を横目に、私は気にしないふりをしたくて「お腹空いたなー」ってわざと口に出し、冷蔵庫へとまっすぐ向かった。ソファーの裏にあるスマホを救出する予定は急変更だけど仕方がない。だって酔った父がソファーに座っているから。
 冷蔵庫を「パカッ」と開けると、見るだけで分かるキンキンに冷えた缶ビールが六本、薄ーい雫をコーティングして、綺麗に横並びしてある。

 その光景を見て「ゴクリ」と喉を鳴らした私。
 ビールなんて飲んだこともないのにね。

「ちょっと、提出物があるから二階の部屋に行ってくる!」
 私は置き手紙ならぬ、置き言葉を優しく吐き捨て、カーテンレースが揺れる部屋に移動。
 母は「ちょっと、ねえ!さやか!」と、私の存在をリビングに残して欲しそうだったけど、「タタタタタッ」と、私は階段を駆け上がった。

 ごめんね、お母さん。
 私また嘘ついちゃった。
 でも自分を守るための嘘だから、別に良いよね。

 そこからスマホのない私は、目を瞑り一階のリビングへと耳を傾け、意識を集中させた。
 最初に聞こえてくるのは「ドッドッドッ」と自分の荒い呼吸ばかりで、リビングの音が全く聞こえない。
 「ふうー、ふうー」と深呼吸をとるたび、グラデーションのように心臓音からリビングの物音に鼓膜がフォーカスする。
 十七歳の鼓膜が確実に聞き分ける、父のリモコンを置く音や、グラスを置く「ゴンッ」という大きな音。
 確実にいつもとは違う荒々しさ。野生の動物みたく目を閉じて、一階で起きていることを鮮明に想像する私。
 気が付けばドアに押しつぶした私の耳が真っ赤になっていた。

 数分後…
 再びグラデーションのように、自分の心臓音にフォーカスし直した私の鼓膜。
「あれ、鼓膜って心臓についているんだっけ」と思ってしまうくらいに激しく聞こえるそれ。
「ドッドッドッ」やばい、やばい、やばい。
 それは心音ではなく、父が階段をゆっくりと踏み付けながら上がってくる足音だった。
 提出物をすると嘘をついたことがバレると思った私は、急ぎながらもゆっくりと勉強机へ移動。

 そこから、本当にここ数年で一番思い出に残る時間を過ごした。

 まだ午前中で、デジタルデトックスを初めて二時間半くらいしか経過していない。
 それなのに「スマホ、スマホ、スマホ…」必要以上にスマホの存在を求めてしまう私。
 体を震わせながら、家中に響くいつもの生活音。
 ただ私の鼓膜は、今だに自分の心臓音を確実に捉え続けている。
 「ドッドッドッ」父が私に向けて何かを言っているがあまり聞こえず、ただひたすらその場で震え続けた。
 確実にデジタルデトックスのせいだ。
 「スマホさえあれば…」
 暴れる心臓付近を、震える右手で押さえながら深呼吸すると、ようやく父の声が聞こえてきた。
「これから何か予定があるのか?」
 その言葉に「あっ、そういえば優子がお昼から遊びに来るんだった」と、ようやくパニックから抜け出せた私。
 すると父は「そうか、」とだけ言い残し、ゆでだこのような顔でリビングへと戻っていった。

 体の震えが完全に止まるまでには、いつもかなり時間がかかる。
 だから、優子が遊びに来るまで一時間以上もあったのに、私の震えが収まることはなかった。
「ピンポーンッ!」と、いつも通り優子がインターフォンを押すと予想し、約束の十二時半には家の外で待機していた私。
 予想通り、ひまわり柄のワンピースを身に纏った優子が「あれ、そんなに楽しみだったのー?外で待機なんかしちゃってさー!」と嬉しそうに遠くから叫んできた。
 「てかさ、マキ。今日はまだ長袖暑くない?」私が身に纏った無地のヨレた長袖が、優子の眼前で小刻みに揺れている。
 「んー、マキさ、今日は映画見に行くって約束だったけど、見る時間を一個遅くして、今から少しカフェ行かない?」
 出会って一分以内の出来事なのに、私はまだ一言も喋っていない。

 近所のカフェまで歩いて十五分くらいあったけど、その時の歩く速度が今までにないくらい遅かった。
 私のまばらな歩幅に、優子は「ねえ、ちょっとマキー、ふらつかずにまっすぐ歩いてよー!」と笑いながら私の両肩を抱きしめた。
 「何があっても今日は私が盛り上げるんだからねー!」と変わらずに優しい彼女。
 「大丈夫、!特に何があったっていう訳でもないから!」
 
 また私、嘘ついちゃった。

 近所のカフェ「セレニテ」に到着したのはお昼の十三時前で、お客さんは他にいなくてガラガラ状態。
「すみませーん、カフェオレ二つお願いしまーす!」と優子は楽しそうに店員さんを呼んだ。
「はい!すぐにお持ち致します!」VIP対応でご機嫌な様子の優子。
 そこからはしばらく、普段通りの会話が続いた。
「マキってさ、推しとかいないの?」
「んー、推しかー、強いて言うなら俳優の永谷さんとかはカッコ良いなって思うけど」
「誰よそれ!」ゲラゲラと笑う優子を目の前に、午前中の出来事が嘘だったかのように私も笑った。
「えー、優子が誰って聞くから必死に絞り出したんでしょー?」
「だとしても、永谷さんって誰よ、本当に笑」
「永谷さんって、あれよー、あれ。あの映画、脱出ザムライで侍がコンセプトなのに鉄砲使って失格になったシーンの人だよ」
 そう言った私の言葉にツボった優子は「ちょっと、ダメだッ笑」とお腹を押さえながら、座っているソファーに倒れ込んだ。
「ちょっと、いくら人いないからって、少し失礼だよ、その態勢!」って私がツッコむと、かかさず「いや、人いないからって言葉の方が失礼だから笑」と切り返してきた優子。
 さながら、脱出ザムライのクライマックスを放出とさせるほどの鋭い切り返し。
 すると笑いながらソファーに寝そべっている優子が「あっ!」と小さな声で大きく叫んだ。
「見て、!この天井の木目、マキの輪郭に似てない?」
 そう言われた私は、優子と同じ角度に自分の顔を傾け天井を覗き込んでみた。
「えー、どれのこと?全然分かんないんだけどー」すると「そりゃ、そこから見たら分からないでしょ、こっちおいで」と言いながら、自身が寝そべるソファーの空白を手のひらで「トントン」と叩いた優子。
「もう仕方ないな」と言いながらも嬉しさを隠すのに必死で、優子が寝そべるソファーの空白にちょこんッと座った私。「違う、こう一緒にねそべってさあ」と言いながら、優子は私の腰に手を回して、無理やり私をソファーの上に寝そべらせた。「見える?ほらあれ、あの木目マキの輪郭にそっくりじゃない?」と嬉しそうに笑う優子。その光景を微笑ましそうな顔で見守ってくれていた店員さん。
「あー、確かにそう見えるかもねー」と言いながら右手を視点に起き上がった私の長袖がマキのお尻に敷かれていて、勢いよくズルッと露わになった私の鎖骨付近。
「えっ、マキどうしたの?そのアザ。」出来たてほやほやのアザが、一番痛そうな濃い緑色になっていた。
「いや、ちょっと寝てる間にぶつけちゃったみたいで…」と、また煙に巻こうとした私の長袖を無理やり「ガッ」と捲った優子。アザだらけの腕が静寂を作り出した。
「ねえ、嘘でしょ…」震える右手で自分の口を押さえる優子と、心配そうに顔を曇らした店員さん。
「いや、本当になんでもないから…」と私が長袖を再び元に戻すと「マキ、その嘘は流石に無理あるって…」そこから人生で初めて自分の境遇に対して語り始めた私。
外にかけられた長方形の「オープン」をぐるりと「クローズ」に変えた店員さん。

「あのね、優子…」本音を話すと泣いてしまう私が、今まで隠し続けてきた自分の境遇を親友に話すことは、決して簡単ではなかった。
「あのね…その…」ティッシュのゴミだけが増えていくテーブルの上。頼んだカフェオレは今だに減っていない。
 特別に。と出してもらったポップコーンに混ざる弾け損ねた種と、しばらく目が合い続けた。
「実は私…」

 三十分後、クローズの看板が掛かったカフェ「セレニテ」に訪れた、二台のパトカーと四人の警察官。
 ごめんね、優子。今までずっと嘘をついてて。
 
 背中を押されパトカーの後部座席に優しく乗せられた私に対して、優子が泣きながら「ごめんねマキ、今まであなたの嘘に気が付けなくて…」と。
 いつも天真爛漫な優子の泣き顔を見た私は、「なんで泣き顔までそんなに優しそうなの…」とさらに涙を流した。
 再びパトカーの後部座席で自分の境遇と、今まで付いてきた嘘を全て打ち明けた私。
 本音を話すたびに泣いてしまうから「目やにが入ってしまって」と誤魔化せないくらい目がパンパンに腫れてしまっていた。
「これじゃあ、親に泣いたってバレますよね?」と、重たい雰囲気のパトカーを少しでも明るくしようと頑張った私。しかし、パンパンに腫れた私の目を見ながら男性警察官が「いえ、これから我々でご両親に対して事情聴取を行いますので、そこは安心してください」と。安心できるはずのない言葉に「はい、わかりました。」と、私はまた嘘をついた。

 パトランプを消し「セレニテ」を後にした私たち。
 五分後…

「ピンポーンッ!」
 何も知らない母親が「どちら様ですか…」と玄関を恐る恐る開け、目の前に広がる光景に顎を引き両目を見開いていた。
「ちょっと、どうしたのよ…」私は弁明しようと「お母さんのことじゃないからね」って叫んだけど、気が付けば警察手帳を閉じ家の中に入っていった四人の警察官。
 私と警察官が目にしたのは、リビングのソファーでゆでだこのように両手両足をでろ〜んと伸ばし、いびきをかく父親の姿。
 目の前のローテーブルには、側面が握りつぶされたビールの空き缶が六本、乱雑に転がっていた。
 それと普通に生活していたら落ちることのないはずの棚から落ちている家族写真やお供物。
 警察官二人は正義に満ち溢れた歩き方で父の隣で前屈みとなり、「お父さん、起きてくださーい」と父の肩をゆすった。
 その光景に「大丈夫、?殴られない?」って屈強な警察官の心配をしてしまった、心臓バクバクの私。

 一方で、「んあ、なんだ?」とゆでだこの顔から一瞬で青ざめた父の顔。
 まるで神経締めをされたタコのよう。

 夏なのにわざわざ長袖を着て、袖を捲り上げアザだらけの腕を見せている娘。
 父親は全てを理解したみたいで、「俺は何も知らないぞ」と、警察官がまだ何も問いただしていないのに否認をし始めた。
「いつ頃からお酒を飲み始めましたか?」という警察官の質問に「もともと俺は酒が嫌いだったけど、娘が小学校低学年くらいの頃、ストレス発散で飲み始めただけだ」と依存者ではないことを必死にアピール。隣で正座しそれを聞いている母は、ずっと私の手を握ってくれていた。「ちなみに、お酒を飲んだら暴力に走るとかはありますか?」そう聞かれ、父親はビールを目の前にした時のよう「ゴクリ」と生唾を飲んだ。そして「それはないです。」と否認。証拠も特になく絶望の淵に立たされていた私。「ちょっとお二人方、こちらによろしいでしょうか」と、私と母は絶望の淵から少しだけ後ろに呼び出された。「証拠品を探すために、いくつかお家の中を細かく拝見させて頂くことは可能でしょうか。」そう聞かれた母は「いや、それは困ります…」警察官は心配そうな顔で「それでは、証拠になりそうなものが特にない為、私たちが今日出来たとしても、アルコール依存症を治す病院の紹介くらいです。ですがやはりご本人の同意なしに入院というのは少し難しいです。ですので今後、暴力を振るわれそうになったら証拠を残しておいてください。それだけはご協力お願い致します。」「あっ、あと周囲のパトロールは強化致しますのでご安心下さい」何も安心できないその言葉に、私はコクリと頷いた。リビングに戻ると、警察官と話している父親がものすごい形相で私を睨みつけてきた。「それでは、これで私たちは…」と警察官が家を出ようとしたことに、ものすごい恐怖を覚えた私。「警察が居なくなったら、絶対殴られる…」

 案の定、予想は的中。

「おい、お前どういうことだよ」警察が家を後にした四分後には、お酒を飲んでいない時の父に戻ってとお供物を落とされたご先祖に願う私の姿が。「やめて、あなた!!」と叫ぶ母の右頬を父は平手打ち。その勢いで私の右頬もフルスイング。私は痛みを押し殺し「証拠を撮らなきゃ」と父にバレないように右ポケットへこっそりと手を忍ばせた。
 「あっ、スマホ、ソファーの裏だ…」横を見ると母はパニックでうずくまっている。
 
 デジタルデトックスをした今日が、本当に忘れられない日となってしまった。

 三年後…

 高校卒業してからは、地元の工場に就職していた私。
 毎月十万円を両親に渡して、実家に住んでいる。
「就職したら実家は出るから」って言っていたけど、母が「お願い、父のアルコール依存が治るまで私をひとりにしないで」と泣きながら懇願してきた為、今はまだ実家に住んでいる。
 三年前の警察が家に押しかけてきて以降も、未だに父はお酒を飲んだら私たちに暴力を振るう。
 相変わらず、母は震えている。いや、以前にもまして震えが酷くなっているけど、それでも父を病院にぶち込むことは出来なかった。
 私は心の奥底で、両親が病院送りになるということに少し抵抗を覚えていたのかもしれない。
 
 すると突然、家のポストが「ガチャンッ!」と音を立て、それと同時に「郵便でーす!」という女性の声が聞こえてきた。
 郵便受けをゆっくり開くと、そこには見覚えのある封筒が…
 その封筒をくるりと回し表面を見て「あっ、」と思わず声を漏らしてしまった。

 『二十歳の自分へ』

 「何が届いたのー?」とキッチンで叫ぶ母の声を無視して、私は二階の自室へと急いだ。
 封筒の上側をハサミで丁寧に開ける私。
 自分が記したはずの言葉に、自分だけがソワソワしている。
「三年前の私、何を書いたんだっけ…」

 真面目な私が記した真っ直ぐな言葉。
 それが三年の時を経て、真っ直ぐ私の心を突き刺した。

「拝啓、二十歳の私へ。あなたは今、幸せですか?両親とは心を開いて会話できていますか?両親にはちゃんとお酒と薬物をやめてと言えていますか。父の酒癖と母の薬物乱用から二十歳のあなたは逃げ切れていますか。きっと心優しいあなたは自分を犠牲にしてまで、自分に嘘をついてまで両親と一緒にいる気がしています。それが十七歳の私からしたら心配です。優子に答えられなかった夢は「逃げ切ること」ですね。嘘を付いた分だけ傷ついていますか?それともその分だけ守られましたか?もしも後者なら気にしないで下さい。それと不登校気味だったことは忘れてください。私なりに頑張っていたと思います。それと最後に。両親の借金は絶対に引き受けないで下さい。二十歳のあなたには関係ありません。元気でね。十七歳の私より。P.S. 優子とは定期的に遊ぶんだよ。」

 手紙を読み終わった私は、そっと封筒に手紙を戻した。
 涙がポタポタとこぼれ落ちるのは、十七歳の頃から何一つ現状が変わっていないことへの無力さからかもしれない。
 嘘で逃げ続けてきた全ての現実が、あるタイミングで一斉に襲いかかってくる。
 それが今日だった。

 お金持ちキャラを貫いていたSNSも、全ては自分の弱い心を守るためだった。
 実際に何者かになれている気はしていた。
 あの時、田中先生に助けを求められていたとしたら、何かが変わっていたのかもしれない。
 弱い自分を嘘で隠さなければ。
「私の夢は、両親から逃げ切ること」って優子に言えていたら、今頃前向きな未来に進めていたかもしれない。
 かも。でしか進まない現実に、顎を天井に向けた私の涙が耳へと何度も入る。

 その数分後、リビングへと降りた私は、母と父に
「ごめん、私この家から出るね。」とだけ言い、優子に連絡をした。

「優子、お願い助けて。」
 初めて人に助けを求めることが出来た私。
 数秒後、すぐ優子から「どうしたの?」と返信が。
「今日から家が見つかるまで、優子のお家に泊めてくれない?」
 そう送った瞬間に既読となった優子とのメッセージ画面に、再び返信が優しく表示された。

「早くおいで」

 その日の晩、優子と私はDVDショップに行き、一緒に見たかった映画を借りて感想を言い合った。
 「ねえ、やっぱりこの作品神すぎるでしょ!」
 「とかいう癖に、マキ最初この作品見る前『全然、面白そうじゃないー』って言ってたじゃん笑」
「いや、だってタイトルが面白くなさそうだったもん、」
「えー、そうかな、私はタイトルから面白そうって思ったけどなー」
「まあ、優子は少し変わり者だからね〜」
「はあ〜?マキも随分と言うようになったな〜!」と、優子は私の腰を掴んでこちょこちょをしてきた。
 薄緑色になった消えかけのアザが、何度も見え隠れした私のTシャツ。

 二人の笑い声が響く、1Kの部屋。

 自分を守るために嘘をつき続けてきた私が、今こうやって優子と笑い合えている。
 「自分を守るための嘘って、悪いことだったのかな。」
 十七歳の私から届いた答えの出ない問いに、笑いながら頭を悩ませている今の私。

 ローテーブルの上には、目の合わない弾け損ねたポップコーンの種と、一ヶ月レンタル札が貼られた『脱出ザムライ2』のDVDケースが置かれてあった…

 右見手ひだり