心の奥に刃は眠る

 瓦礫の奥が、かすかに震えた。
 蓮司は息を止める。

 壊れた階段の前で、何かが形を取り始めていた。

 白い線が、空中に引かれていく。
 糸をつむぐように、線が形をつくっていく。

 肩当て。
 胸当て。
 腕。
 脚。
 兜。

 白と黒だけで描かれた西洋甲冑の騎士が、瓦礫の右側に立った。

 続いて、もう一体。
 同じ形の騎士が、瓦礫の左側に現れる。
 二体は鏡写しのように並んでいた。

 輪郭ははっきりしている。
 曖昧な影ではない。
 鎧の継ぎ目も、兜の飾りも、手に持つ武器の形も分かる。

 長い柄の先に、斧のような刃。
 ハルバードと呼ばれる西洋の武器。

 二体の騎士は同時に、それを床へ突いた。
 音はなかった。
 それでも、白黒の廊下全体が震えた。

「……どう見ても門番だよな」

 蓮司は誰に言うでもなく呟く。

 二体の騎士は動かない。
 ただ、壊れた階段の左右に立っている。

 遥のシンボルを襲っているわけではない。
 蓮司へ迫ってくるわけでもない。
 深層への入口を守るように、そこにいるだけだった。

 蓮司は一歩、近づいた。
 二体は動かない。

 二歩目。

 まだ動かない。
 ハルバードの刃は上を向いたまま。
 それを杖のように片手でついている。
 兜の奥は黒く、顔は見えない。

 三歩目。

 その瞬間、右の騎士の兜がわずかに動いた。
 こちらを見た。
 蓮司の背筋に冷たいものが走る。

 左右の騎士のハルバートが動いた。
 お互いの方向に少し傾け、階段への入り口を塞ぐように交差させた。
 入り口はハルバートによってバツ印に閉じられる。

「ここから先は駄目ってことかよ」

 蓮司は足を止めた。
 騎士はそれ以上動かない。

 一定の距離。

 そこを越えなければ、敵対しない。
 そういう反応に見えた。

 蓮司は背後を見る。

 遥のシンボルは、白黒の区画の境目に立っていた。
 胸元を押さえたまま、こちらを見ている。

 表情は薄い。
 ほとんど無表情。

 けれど、ほんのわずかに首を横へ動かした気がした。

 来ないで。

 そう言われたように見えた。

「……でも、ここまで来たんだぞ」

 蓮司は壊れた階段を見る。

 自分の内界と同じ壊れ方。
 遥のシンボルの怯え。
 ティルヴァへの拒絶。

 ここで戻ったら、何も分からない。

 葛城はきっと言う。

 今日はここまでだ。
 今のお前が入るべき場所ではない。
 断定するな。

 その言葉は正しいのだろう。
 だが、正しい言葉でふたをされ続ける感覚が、蓮司にはもう我慢できなかった。

「ちょっと見るだけだ」

 蓮司は言った。

「通せ。壊さねえから」

 二体の騎士は答えない。
 そもそも、言葉を持っているのかも分からない。
 ただ、右の騎士がハルバードを構える。
 左の騎士は、壊れた階段の前に立ち続けている。

 次に一歩踏み込めば、攻撃する。
 そう示している。

 蓮司は息を吸った。

 右手の奥が重くなる。
 ティルヴァを出すつもりはない。

 ないはずだった。

 だが、目の前に明確な敵意があると、体が勝手に備える。
 黒い輪郭が、指先ににじみかける。
 その瞬間、白黒の廊下全体が軋んだ。

 遥のシンボルが、はっきりと後ずさる。
 胸元を押さえる手に力が入る。

 蓮司は右手を強く握った。

「まだ出してねえだろ」

 だが、二体の騎士は反応した。

 敵性が、一段上がる。
 兜の奥が黒く沈む。

 右の騎士が、ハルバードの刃を蓮司へ向けた。

 左の騎士も、わずかに腰を落とす。

「……そうかよ」

 蓮司は身構えた。

「出してなくても、駄目ってか」

 次の瞬間、右の騎士が動いた。

 速い。

 その重装備からは考えられない速度だった。
 ハルバードが横薙ぎに振るわれる。

 蓮司は反射的に後ろへ跳んだ。
 刃が目の前を通過する。
 白黒の空気が裂ける。

 遅れて、風圧のようなものが胸を押した。

「っぶねえ!」

 着地するより早く、左の騎士が動いていた。
 蓮司の逃げ道を塞ぐように、斜め前へ滑り込む。
 攻めてきたのではない。
 階段へ向かう進路を塞いだだけだった。

 右の騎士が追撃する。
 左の騎士が道を閉じる。

 二体の動きは、蓮司を倒すためというより、通さないためのものだった。

「守護者ってわけかよ……!」

 蓮司は体勢を立て直す。

 右の騎士がハルバードの石突きで床を突いた。
 白黒の床に円形の亀裂が走る。
 そこから、細い白い線が伸びた。
 蓮司の足首を囲むように走る。

 罠――

 そう判断するより早く、蓮司は横へ飛んだ。
 さっきまで立っていた場所から、白い杭のようなものが突き上がる。

「まじかよ……」

 逃げた先には、左の騎士がいた。
 ハルバードの刃が、蓮司の進路を塞ぐように振り下ろされる。

 蓮司を切りつけるのではない。
 ただ、これ以上進ませない角度。

 蓮司は床を蹴り、無理やり後ろへ跳んだ。

 無茶な体勢で回避したせいで、着地に失敗する。
 白黒の廊下を転がり、肩から床にぶつかった。

「っ……!」

 痛みより先に、冷たい感覚が胸に流れ込む。

 近づけるな。
 開けるな。
 思い出させるな。

 言葉ではない。
 だが、そういう意味だけが押し込まれる。
 蓮司は奥歯を噛んだ。

 これは遥のものなのか。
 守護者の役割なのか。
 それとも、もっと別の何かなのか。

 分からない。

 分からないまま、二体の騎士はまた元の位置に戻っていた。
 壊れた階段の左右。
 ハルバードを構え、蓮司を見ている。

 追ってこない。
 倒しに来ているのではない。

 ただ、通さない。
 その一点だけを徹底している。

 外界で戦った黒い塊とも違う。
 森下の内界の影とも違う。
 黒沢の白い像とも違う。

 目の前の騎士たちは、曖昧ではない。

 具体的すぎる。
 役割がはっきりしている。

 守る。

 それだけのために、形を与えられている。
 だから強いのか。

 蓮司は呼吸を整えた。
 右手の奥が重い。
 出すしかないのか。

 そう思った瞬間、背後の遥のシンボルが大きく震えた。

 蓮司は振り返る。
 遥は首を横に振っていた。

 小さく。

 けれど、はっきりと。

 やめて。

 その口の形が、今度は見間違いではなかった。

「……分かってるって」

 蓮司は低く言った。

 だが、二体の騎士は待たない。

 右の騎士が踏み込んでくる。
 ハルバードが振り下ろされる。

 蓮司は横へ跳ぶ。

 床が割れる。
 白黒の破片が飛ぶ。

 左の騎士が、着地点を読むように進路を塞いだ。
 蓮司は身をひねる。
 刃が制服の袖をかすめた。

 切れたわけではない。
 それでも、そこから冷たい意味が入り込む。

 近づくな。
 踏み込むな。

 壊すな。

「……っざけんな」

 蓮司は右手を開いた。
 黒い輪郭が集まる。

 ティルヴァ。

 光を吸う刃が、手の中に形を取る。
 握った瞬間、白黒の廊下が震えた。
 空気が悲鳴を上げたように軋む。
 遥のシンボルが、両手で胸元を押さえた。
 表層にあった柔らかな光まで揺れる。

 右の騎士が一気に踏み込んできた。
 蓮司はそのハルバードを、ティルヴァで受ける。
 黒い刃と白黒の刃がぶつかった。

 金属と金属がぶつかる、重く硬い音が響く。

 実際に音が鳴ったのかは分からない。
 だが、蓮司の腕には確かな衝撃が走った。

「重っ……!」

 受け止めたはずなのに、押し込まれる。
 騎士の勢いが圧倒的に強い。
 ただの物理的な重さではない。

 守るという意思。
 近づけないという拒絶。
 それが重さになってのしかかってくる。

 左の騎士が横から回り込む。
 蓮司は歯を食いしばった。

「こっちは、壊す気なんか――」

 言い終える前に、右の騎士が腕をひねった。
 ハルバードの角度が変わる。
 ティルヴァが上に弾かれた。

「なっ――」

 蓮司の体勢が崩れる。
 そこへ左の騎士の石突きが飛んできた。
 腹に叩き込まれる。

 痛みではない。
 衝撃だった。

 体が後ろへ吹き飛ぶ。
 白黒の床を転がり、壁に背中からぶつかる。

 息が詰まる。

 ティルヴァはまだ手にある。
 だが、刃の輪郭が揺れていた。

 弾かれた。

 ただ受け流されたのではない。
 押し負けた。

「……嘘だろ」

 蓮司は立ち上がろうとする。
 二体の騎士は、また階段の左右に戻っていた。
 壊れた道を背にして、ハルバードを構えている。

 追撃はない。

 守護者。

 その言葉が、胸に落ちる。

 これは敵ではない。
 敵ではないのに、蓮司を通さない。

 深層を守っている。
 遥の何かを守っている。

 蓮司から。

「何でだよ」

 蓮司は立ち上がった。

「俺は、遥をどうにかしたいわけじゃない!」

 二体の騎士は答えない。
 遥のシンボルも答えない。

 ただ、白黒の廊下が少しずつ軋み始める。
 ティルヴァを出したせいだ。

 それは分かる。

 この内界は、ティルヴァを拒んでいる。
 だが、蓮司は刃を消せなかった。
 消せば、あの騎士たちには近づけない。
 近づけなければ、壊れた階段も、その奥も見られない。

 何も分からないままだ。

 蓮司はティルヴァを握り直した。

 狙うのは騎士ではない。
 深層への入口を塞いでいる瓦礫。

 あれを少しだけどかせばいい。
 少しだけ。
 道を作るだけ。
 壊すためではない。
 見るためだ。

 そう自分に言い聞かせる。

 だが、右手の奥に沈む黒は、その言葉を聞いていないようだった。

 ティルヴァの刃が、深くなる。
 闇が増す。
 それに反応するかのごとく、二体の騎士が同時に動いた。

 今までで一番速かった。

 右の騎士が正面から。
 左の騎士が斜めから。

 蓮司を止めるために迫る。
 それでも、蓮司は踏み込もうとした。
 口から、自然に名前が出かける。

「虚滅刃〈エクシティ――」

 その瞬間だった。

 遥の内界全体が、拒絶した。
 白黒の廊下だけではない。

 背後の明るい部屋も。
 香りのしない花も。
 柔らかな窓の光も。

 すべてが一斉に震えた。

 窓が黒く塗りつぶされる。
 花瓶が割れる。
 床の木目が白と黒に分解される。
 遥のシンボルが、両手で顔を覆った。

 声はない。

 だが、内界全体から同じ意味が押し寄せてくる。

 やめて。
 やめて。
 やめて。

「っ……!」

 蓮司の息が止まる。
 ティルヴァを握る右手が、動かない。

 二体の騎士が迫る。

 動きの連携が違う。
 さっきまでは右の騎士が攻撃で、左の騎士は妨害だった。

 今は左右から二体同時に横なぎを放っていた。
 
 右の騎士が、蓮司の右側から。
 左の騎士が、蓮司の左側から。

 二体とも攻撃に転じていた。

「くそっ……!」

 ティルヴァを前に構えて受ける。

 ハルバードの刃が同時にぶつかる感触がある。
 音が響いているのかどうかも分からない。

 とんでもない衝撃と、それ以外の感覚が蓮司を襲う。

 冷たい。
 いや、熱い。

 どちらでもない。

 蓮司の中にある黒いものだけを拒むような感触だった。

「っ……!」

 受け止めきれない。
 蓮司は自身の重心が浮かび上がるのを感じる。

 二体の兜の奥が、黒く光った。

 次の瞬間、蓮司の視界が反転した。
 ハルバートを振りぬかれ、蓮司は思いっきり吹き飛ばされる。

 白と黒が混ざる。
 廊下が遠ざかる。
 壊れた階段が、小さくなる。

 遥のシンボルが見えた。
 境界の向こうで、こちらを見ている。

 胸元に手を置いたまま。
 唇が、最後にもう一度だけ動いた。

 やめて。

 蓮司は何か言おうとした。
 だが、声にならなかった。
 体が後ろへ引き剥がされる。

 白黒の廊下が消える。
 明るい部屋が消える。

 遥のシンボルが消える。

 そして。

 体がさらに宙を舞うのを感じる。

 次の瞬間、蓮司は盛大に背中を地面に打ちつけられていた。

「ぐっ……」

 色彩のない空が視界いっぱいに広がった。

 息ができない。
 視界が歪む。
 
 何が起こったか理解するのに、時間がかかった。
 蓮司は、地面に転がったまま辺りを確認する。
 さっきまでの白黒の廊下でもなく、整った部屋でもなかった。

 蓮司は、色のない外界の道路へ叩き出されていた。

 右手にはもう、ティルヴァはない。
 ただ、奥に重さだけが残っている。

 蓮司は灰色の空を見上げたまま、かすれた声で呟いた。

「……何なんだよ、あれは」

 答える声はなかった。

 外界の街では、誰とも言えないシンボルたちが、何事もなかったようにゆっくりと流れていた。