瓦礫の奥が、かすかに震えた。
蓮司は息を止める。
壊れた階段の前で、何かが形を取り始めていた。
白い線が、空中に引かれていく。
糸をつむぐように、線が形をつくっていく。
肩当て。
胸当て。
腕。
脚。
兜。
白と黒だけで描かれた西洋甲冑の騎士が、瓦礫の右側に立った。
続いて、もう一体。
同じ形の騎士が、瓦礫の左側に現れる。
二体は鏡写しのように並んでいた。
輪郭ははっきりしている。
曖昧な影ではない。
鎧の継ぎ目も、兜の飾りも、手に持つ武器の形も分かる。
長い柄の先に、斧のような刃。
ハルバードと呼ばれる西洋の武器。
二体の騎士は同時に、それを床へ突いた。
音はなかった。
それでも、白黒の廊下全体が震えた。
「……どう見ても門番だよな」
蓮司は誰に言うでもなく呟く。
二体の騎士は動かない。
ただ、壊れた階段の左右に立っている。
遥のシンボルを襲っているわけではない。
蓮司へ迫ってくるわけでもない。
深層への入口を守るように、そこにいるだけだった。
蓮司は一歩、近づいた。
二体は動かない。
二歩目。
まだ動かない。
ハルバードの刃は上を向いたまま。
それを杖のように片手でついている。
兜の奥は黒く、顔は見えない。
三歩目。
その瞬間、右の騎士の兜がわずかに動いた。
こちらを見た。
蓮司の背筋に冷たいものが走る。
左右の騎士のハルバートが動いた。
お互いの方向に少し傾け、階段への入り口を塞ぐように交差させた。
入り口はハルバートによってバツ印に閉じられる。
「ここから先は駄目ってことかよ」
蓮司は足を止めた。
騎士はそれ以上動かない。
一定の距離。
そこを越えなければ、敵対しない。
そういう反応に見えた。
蓮司は背後を見る。
遥のシンボルは、白黒の区画の境目に立っていた。
胸元を押さえたまま、こちらを見ている。
表情は薄い。
ほとんど無表情。
けれど、ほんのわずかに首を横へ動かした気がした。
来ないで。
そう言われたように見えた。
「……でも、ここまで来たんだぞ」
蓮司は壊れた階段を見る。
自分の内界と同じ壊れ方。
遥のシンボルの怯え。
ティルヴァへの拒絶。
ここで戻ったら、何も分からない。
葛城はきっと言う。
今日はここまでだ。
今のお前が入るべき場所ではない。
断定するな。
その言葉は正しいのだろう。
だが、正しい言葉でふたをされ続ける感覚が、蓮司にはもう我慢できなかった。
「ちょっと見るだけだ」
蓮司は言った。
「通せ。壊さねえから」
二体の騎士は答えない。
そもそも、言葉を持っているのかも分からない。
ただ、右の騎士がハルバードを構える。
左の騎士は、壊れた階段の前に立ち続けている。
次に一歩踏み込めば、攻撃する。
そう示している。
蓮司は息を吸った。
右手の奥が重くなる。
ティルヴァを出すつもりはない。
ないはずだった。
だが、目の前に明確な敵意があると、体が勝手に備える。
黒い輪郭が、指先ににじみかける。
その瞬間、白黒の廊下全体が軋んだ。
遥のシンボルが、はっきりと後ずさる。
胸元を押さえる手に力が入る。
蓮司は右手を強く握った。
「まだ出してねえだろ」
だが、二体の騎士は反応した。
敵性が、一段上がる。
兜の奥が黒く沈む。
右の騎士が、ハルバードの刃を蓮司へ向けた。
左の騎士も、わずかに腰を落とす。
「……そうかよ」
蓮司は身構えた。
「出してなくても、駄目ってか」
次の瞬間、右の騎士が動いた。
速い。
その重装備からは考えられない速度だった。
ハルバードが横薙ぎに振るわれる。
蓮司は反射的に後ろへ跳んだ。
刃が目の前を通過する。
白黒の空気が裂ける。
遅れて、風圧のようなものが胸を押した。
「っぶねえ!」
着地するより早く、左の騎士が動いていた。
蓮司の逃げ道を塞ぐように、斜め前へ滑り込む。
攻めてきたのではない。
階段へ向かう進路を塞いだだけだった。
右の騎士が追撃する。
左の騎士が道を閉じる。
二体の動きは、蓮司を倒すためというより、通さないためのものだった。
「守護者ってわけかよ……!」
蓮司は体勢を立て直す。
右の騎士がハルバードの石突きで床を突いた。
白黒の床に円形の亀裂が走る。
そこから、細い白い線が伸びた。
蓮司の足首を囲むように走る。
罠――
そう判断するより早く、蓮司は横へ飛んだ。
さっきまで立っていた場所から、白い杭のようなものが突き上がる。
「まじかよ……」
逃げた先には、左の騎士がいた。
ハルバードの刃が、蓮司の進路を塞ぐように振り下ろされる。
蓮司を切りつけるのではない。
ただ、これ以上進ませない角度。
蓮司は床を蹴り、無理やり後ろへ跳んだ。
無茶な体勢で回避したせいで、着地に失敗する。
白黒の廊下を転がり、肩から床にぶつかった。
「っ……!」
痛みより先に、冷たい感覚が胸に流れ込む。
近づけるな。
開けるな。
思い出させるな。
言葉ではない。
だが、そういう意味だけが押し込まれる。
蓮司は奥歯を噛んだ。
これは遥のものなのか。
守護者の役割なのか。
それとも、もっと別の何かなのか。
分からない。
分からないまま、二体の騎士はまた元の位置に戻っていた。
壊れた階段の左右。
ハルバードを構え、蓮司を見ている。
追ってこない。
倒しに来ているのではない。
ただ、通さない。
その一点だけを徹底している。
外界で戦った黒い塊とも違う。
森下の内界の影とも違う。
黒沢の白い像とも違う。
目の前の騎士たちは、曖昧ではない。
具体的すぎる。
役割がはっきりしている。
守る。
それだけのために、形を与えられている。
だから強いのか。
蓮司は呼吸を整えた。
右手の奥が重い。
出すしかないのか。
そう思った瞬間、背後の遥のシンボルが大きく震えた。
蓮司は振り返る。
遥は首を横に振っていた。
小さく。
けれど、はっきりと。
やめて。
その口の形が、今度は見間違いではなかった。
「……分かってるって」
蓮司は低く言った。
だが、二体の騎士は待たない。
右の騎士が踏み込んでくる。
ハルバードが振り下ろされる。
蓮司は横へ跳ぶ。
床が割れる。
白黒の破片が飛ぶ。
左の騎士が、着地点を読むように進路を塞いだ。
蓮司は身をひねる。
刃が制服の袖をかすめた。
切れたわけではない。
それでも、そこから冷たい意味が入り込む。
近づくな。
踏み込むな。
壊すな。
「……っざけんな」
蓮司は右手を開いた。
黒い輪郭が集まる。
ティルヴァ。
光を吸う刃が、手の中に形を取る。
握った瞬間、白黒の廊下が震えた。
空気が悲鳴を上げたように軋む。
遥のシンボルが、両手で胸元を押さえた。
表層にあった柔らかな光まで揺れる。
右の騎士が一気に踏み込んできた。
蓮司はそのハルバードを、ティルヴァで受ける。
黒い刃と白黒の刃がぶつかった。
金属と金属がぶつかる、重く硬い音が響く。
実際に音が鳴ったのかは分からない。
だが、蓮司の腕には確かな衝撃が走った。
「重っ……!」
受け止めたはずなのに、押し込まれる。
騎士の勢いが圧倒的に強い。
ただの物理的な重さではない。
守るという意思。
近づけないという拒絶。
それが重さになってのしかかってくる。
左の騎士が横から回り込む。
蓮司は歯を食いしばった。
「こっちは、壊す気なんか――」
言い終える前に、右の騎士が腕をひねった。
ハルバードの角度が変わる。
ティルヴァが上に弾かれた。
「なっ――」
蓮司の体勢が崩れる。
そこへ左の騎士の石突きが飛んできた。
腹に叩き込まれる。
痛みではない。
衝撃だった。
体が後ろへ吹き飛ぶ。
白黒の床を転がり、壁に背中からぶつかる。
息が詰まる。
ティルヴァはまだ手にある。
だが、刃の輪郭が揺れていた。
弾かれた。
ただ受け流されたのではない。
押し負けた。
「……嘘だろ」
蓮司は立ち上がろうとする。
二体の騎士は、また階段の左右に戻っていた。
壊れた道を背にして、ハルバードを構えている。
追撃はない。
守護者。
その言葉が、胸に落ちる。
これは敵ではない。
敵ではないのに、蓮司を通さない。
深層を守っている。
遥の何かを守っている。
蓮司から。
「何でだよ」
蓮司は立ち上がった。
「俺は、遥をどうにかしたいわけじゃない!」
二体の騎士は答えない。
遥のシンボルも答えない。
ただ、白黒の廊下が少しずつ軋み始める。
ティルヴァを出したせいだ。
それは分かる。
この内界は、ティルヴァを拒んでいる。
だが、蓮司は刃を消せなかった。
消せば、あの騎士たちには近づけない。
近づけなければ、壊れた階段も、その奥も見られない。
何も分からないままだ。
蓮司はティルヴァを握り直した。
狙うのは騎士ではない。
深層への入口を塞いでいる瓦礫。
あれを少しだけどかせばいい。
少しだけ。
道を作るだけ。
壊すためではない。
見るためだ。
そう自分に言い聞かせる。
だが、右手の奥に沈む黒は、その言葉を聞いていないようだった。
ティルヴァの刃が、深くなる。
闇が増す。
それに反応するかのごとく、二体の騎士が同時に動いた。
今までで一番速かった。
右の騎士が正面から。
左の騎士が斜めから。
蓮司を止めるために迫る。
それでも、蓮司は踏み込もうとした。
口から、自然に名前が出かける。
「虚滅刃〈エクシティ――」
その瞬間だった。
遥の内界全体が、拒絶した。
白黒の廊下だけではない。
背後の明るい部屋も。
香りのしない花も。
柔らかな窓の光も。
すべてが一斉に震えた。
窓が黒く塗りつぶされる。
花瓶が割れる。
床の木目が白と黒に分解される。
遥のシンボルが、両手で顔を覆った。
声はない。
だが、内界全体から同じ意味が押し寄せてくる。
やめて。
やめて。
やめて。
「っ……!」
蓮司の息が止まる。
ティルヴァを握る右手が、動かない。
二体の騎士が迫る。
動きの連携が違う。
さっきまでは右の騎士が攻撃で、左の騎士は妨害だった。
今は左右から二体同時に横なぎを放っていた。
右の騎士が、蓮司の右側から。
左の騎士が、蓮司の左側から。
二体とも攻撃に転じていた。
「くそっ……!」
ティルヴァを前に構えて受ける。
ハルバードの刃が同時にぶつかる感触がある。
音が響いているのかどうかも分からない。
とんでもない衝撃と、それ以外の感覚が蓮司を襲う。
冷たい。
いや、熱い。
どちらでもない。
蓮司の中にある黒いものだけを拒むような感触だった。
「っ……!」
受け止めきれない。
蓮司は自身の重心が浮かび上がるのを感じる。
二体の兜の奥が、黒く光った。
次の瞬間、蓮司の視界が反転した。
ハルバートを振りぬかれ、蓮司は思いっきり吹き飛ばされる。
白と黒が混ざる。
廊下が遠ざかる。
壊れた階段が、小さくなる。
遥のシンボルが見えた。
境界の向こうで、こちらを見ている。
胸元に手を置いたまま。
唇が、最後にもう一度だけ動いた。
やめて。
蓮司は何か言おうとした。
だが、声にならなかった。
体が後ろへ引き剥がされる。
白黒の廊下が消える。
明るい部屋が消える。
遥のシンボルが消える。
そして。
体がさらに宙を舞うのを感じる。
次の瞬間、蓮司は盛大に背中を地面に打ちつけられていた。
「ぐっ……」
色彩のない空が視界いっぱいに広がった。
息ができない。
視界が歪む。
何が起こったか理解するのに、時間がかかった。
蓮司は、地面に転がったまま辺りを確認する。
さっきまでの白黒の廊下でもなく、整った部屋でもなかった。
蓮司は、色のない外界の道路へ叩き出されていた。
右手にはもう、ティルヴァはない。
ただ、奥に重さだけが残っている。
蓮司は灰色の空を見上げたまま、かすれた声で呟いた。
「……何なんだよ、あれは」
答える声はなかった。
外界の街では、誰とも言えないシンボルたちが、何事もなかったようにゆっくりと流れていた。
蓮司は息を止める。
壊れた階段の前で、何かが形を取り始めていた。
白い線が、空中に引かれていく。
糸をつむぐように、線が形をつくっていく。
肩当て。
胸当て。
腕。
脚。
兜。
白と黒だけで描かれた西洋甲冑の騎士が、瓦礫の右側に立った。
続いて、もう一体。
同じ形の騎士が、瓦礫の左側に現れる。
二体は鏡写しのように並んでいた。
輪郭ははっきりしている。
曖昧な影ではない。
鎧の継ぎ目も、兜の飾りも、手に持つ武器の形も分かる。
長い柄の先に、斧のような刃。
ハルバードと呼ばれる西洋の武器。
二体の騎士は同時に、それを床へ突いた。
音はなかった。
それでも、白黒の廊下全体が震えた。
「……どう見ても門番だよな」
蓮司は誰に言うでもなく呟く。
二体の騎士は動かない。
ただ、壊れた階段の左右に立っている。
遥のシンボルを襲っているわけではない。
蓮司へ迫ってくるわけでもない。
深層への入口を守るように、そこにいるだけだった。
蓮司は一歩、近づいた。
二体は動かない。
二歩目。
まだ動かない。
ハルバードの刃は上を向いたまま。
それを杖のように片手でついている。
兜の奥は黒く、顔は見えない。
三歩目。
その瞬間、右の騎士の兜がわずかに動いた。
こちらを見た。
蓮司の背筋に冷たいものが走る。
左右の騎士のハルバートが動いた。
お互いの方向に少し傾け、階段への入り口を塞ぐように交差させた。
入り口はハルバートによってバツ印に閉じられる。
「ここから先は駄目ってことかよ」
蓮司は足を止めた。
騎士はそれ以上動かない。
一定の距離。
そこを越えなければ、敵対しない。
そういう反応に見えた。
蓮司は背後を見る。
遥のシンボルは、白黒の区画の境目に立っていた。
胸元を押さえたまま、こちらを見ている。
表情は薄い。
ほとんど無表情。
けれど、ほんのわずかに首を横へ動かした気がした。
来ないで。
そう言われたように見えた。
「……でも、ここまで来たんだぞ」
蓮司は壊れた階段を見る。
自分の内界と同じ壊れ方。
遥のシンボルの怯え。
ティルヴァへの拒絶。
ここで戻ったら、何も分からない。
葛城はきっと言う。
今日はここまでだ。
今のお前が入るべき場所ではない。
断定するな。
その言葉は正しいのだろう。
だが、正しい言葉でふたをされ続ける感覚が、蓮司にはもう我慢できなかった。
「ちょっと見るだけだ」
蓮司は言った。
「通せ。壊さねえから」
二体の騎士は答えない。
そもそも、言葉を持っているのかも分からない。
ただ、右の騎士がハルバードを構える。
左の騎士は、壊れた階段の前に立ち続けている。
次に一歩踏み込めば、攻撃する。
そう示している。
蓮司は息を吸った。
右手の奥が重くなる。
ティルヴァを出すつもりはない。
ないはずだった。
だが、目の前に明確な敵意があると、体が勝手に備える。
黒い輪郭が、指先ににじみかける。
その瞬間、白黒の廊下全体が軋んだ。
遥のシンボルが、はっきりと後ずさる。
胸元を押さえる手に力が入る。
蓮司は右手を強く握った。
「まだ出してねえだろ」
だが、二体の騎士は反応した。
敵性が、一段上がる。
兜の奥が黒く沈む。
右の騎士が、ハルバードの刃を蓮司へ向けた。
左の騎士も、わずかに腰を落とす。
「……そうかよ」
蓮司は身構えた。
「出してなくても、駄目ってか」
次の瞬間、右の騎士が動いた。
速い。
その重装備からは考えられない速度だった。
ハルバードが横薙ぎに振るわれる。
蓮司は反射的に後ろへ跳んだ。
刃が目の前を通過する。
白黒の空気が裂ける。
遅れて、風圧のようなものが胸を押した。
「っぶねえ!」
着地するより早く、左の騎士が動いていた。
蓮司の逃げ道を塞ぐように、斜め前へ滑り込む。
攻めてきたのではない。
階段へ向かう進路を塞いだだけだった。
右の騎士が追撃する。
左の騎士が道を閉じる。
二体の動きは、蓮司を倒すためというより、通さないためのものだった。
「守護者ってわけかよ……!」
蓮司は体勢を立て直す。
右の騎士がハルバードの石突きで床を突いた。
白黒の床に円形の亀裂が走る。
そこから、細い白い線が伸びた。
蓮司の足首を囲むように走る。
罠――
そう判断するより早く、蓮司は横へ飛んだ。
さっきまで立っていた場所から、白い杭のようなものが突き上がる。
「まじかよ……」
逃げた先には、左の騎士がいた。
ハルバードの刃が、蓮司の進路を塞ぐように振り下ろされる。
蓮司を切りつけるのではない。
ただ、これ以上進ませない角度。
蓮司は床を蹴り、無理やり後ろへ跳んだ。
無茶な体勢で回避したせいで、着地に失敗する。
白黒の廊下を転がり、肩から床にぶつかった。
「っ……!」
痛みより先に、冷たい感覚が胸に流れ込む。
近づけるな。
開けるな。
思い出させるな。
言葉ではない。
だが、そういう意味だけが押し込まれる。
蓮司は奥歯を噛んだ。
これは遥のものなのか。
守護者の役割なのか。
それとも、もっと別の何かなのか。
分からない。
分からないまま、二体の騎士はまた元の位置に戻っていた。
壊れた階段の左右。
ハルバードを構え、蓮司を見ている。
追ってこない。
倒しに来ているのではない。
ただ、通さない。
その一点だけを徹底している。
外界で戦った黒い塊とも違う。
森下の内界の影とも違う。
黒沢の白い像とも違う。
目の前の騎士たちは、曖昧ではない。
具体的すぎる。
役割がはっきりしている。
守る。
それだけのために、形を与えられている。
だから強いのか。
蓮司は呼吸を整えた。
右手の奥が重い。
出すしかないのか。
そう思った瞬間、背後の遥のシンボルが大きく震えた。
蓮司は振り返る。
遥は首を横に振っていた。
小さく。
けれど、はっきりと。
やめて。
その口の形が、今度は見間違いではなかった。
「……分かってるって」
蓮司は低く言った。
だが、二体の騎士は待たない。
右の騎士が踏み込んでくる。
ハルバードが振り下ろされる。
蓮司は横へ跳ぶ。
床が割れる。
白黒の破片が飛ぶ。
左の騎士が、着地点を読むように進路を塞いだ。
蓮司は身をひねる。
刃が制服の袖をかすめた。
切れたわけではない。
それでも、そこから冷たい意味が入り込む。
近づくな。
踏み込むな。
壊すな。
「……っざけんな」
蓮司は右手を開いた。
黒い輪郭が集まる。
ティルヴァ。
光を吸う刃が、手の中に形を取る。
握った瞬間、白黒の廊下が震えた。
空気が悲鳴を上げたように軋む。
遥のシンボルが、両手で胸元を押さえた。
表層にあった柔らかな光まで揺れる。
右の騎士が一気に踏み込んできた。
蓮司はそのハルバードを、ティルヴァで受ける。
黒い刃と白黒の刃がぶつかった。
金属と金属がぶつかる、重く硬い音が響く。
実際に音が鳴ったのかは分からない。
だが、蓮司の腕には確かな衝撃が走った。
「重っ……!」
受け止めたはずなのに、押し込まれる。
騎士の勢いが圧倒的に強い。
ただの物理的な重さではない。
守るという意思。
近づけないという拒絶。
それが重さになってのしかかってくる。
左の騎士が横から回り込む。
蓮司は歯を食いしばった。
「こっちは、壊す気なんか――」
言い終える前に、右の騎士が腕をひねった。
ハルバードの角度が変わる。
ティルヴァが上に弾かれた。
「なっ――」
蓮司の体勢が崩れる。
そこへ左の騎士の石突きが飛んできた。
腹に叩き込まれる。
痛みではない。
衝撃だった。
体が後ろへ吹き飛ぶ。
白黒の床を転がり、壁に背中からぶつかる。
息が詰まる。
ティルヴァはまだ手にある。
だが、刃の輪郭が揺れていた。
弾かれた。
ただ受け流されたのではない。
押し負けた。
「……嘘だろ」
蓮司は立ち上がろうとする。
二体の騎士は、また階段の左右に戻っていた。
壊れた道を背にして、ハルバードを構えている。
追撃はない。
守護者。
その言葉が、胸に落ちる。
これは敵ではない。
敵ではないのに、蓮司を通さない。
深層を守っている。
遥の何かを守っている。
蓮司から。
「何でだよ」
蓮司は立ち上がった。
「俺は、遥をどうにかしたいわけじゃない!」
二体の騎士は答えない。
遥のシンボルも答えない。
ただ、白黒の廊下が少しずつ軋み始める。
ティルヴァを出したせいだ。
それは分かる。
この内界は、ティルヴァを拒んでいる。
だが、蓮司は刃を消せなかった。
消せば、あの騎士たちには近づけない。
近づけなければ、壊れた階段も、その奥も見られない。
何も分からないままだ。
蓮司はティルヴァを握り直した。
狙うのは騎士ではない。
深層への入口を塞いでいる瓦礫。
あれを少しだけどかせばいい。
少しだけ。
道を作るだけ。
壊すためではない。
見るためだ。
そう自分に言い聞かせる。
だが、右手の奥に沈む黒は、その言葉を聞いていないようだった。
ティルヴァの刃が、深くなる。
闇が増す。
それに反応するかのごとく、二体の騎士が同時に動いた。
今までで一番速かった。
右の騎士が正面から。
左の騎士が斜めから。
蓮司を止めるために迫る。
それでも、蓮司は踏み込もうとした。
口から、自然に名前が出かける。
「虚滅刃〈エクシティ――」
その瞬間だった。
遥の内界全体が、拒絶した。
白黒の廊下だけではない。
背後の明るい部屋も。
香りのしない花も。
柔らかな窓の光も。
すべてが一斉に震えた。
窓が黒く塗りつぶされる。
花瓶が割れる。
床の木目が白と黒に分解される。
遥のシンボルが、両手で顔を覆った。
声はない。
だが、内界全体から同じ意味が押し寄せてくる。
やめて。
やめて。
やめて。
「っ……!」
蓮司の息が止まる。
ティルヴァを握る右手が、動かない。
二体の騎士が迫る。
動きの連携が違う。
さっきまでは右の騎士が攻撃で、左の騎士は妨害だった。
今は左右から二体同時に横なぎを放っていた。
右の騎士が、蓮司の右側から。
左の騎士が、蓮司の左側から。
二体とも攻撃に転じていた。
「くそっ……!」
ティルヴァを前に構えて受ける。
ハルバードの刃が同時にぶつかる感触がある。
音が響いているのかどうかも分からない。
とんでもない衝撃と、それ以外の感覚が蓮司を襲う。
冷たい。
いや、熱い。
どちらでもない。
蓮司の中にある黒いものだけを拒むような感触だった。
「っ……!」
受け止めきれない。
蓮司は自身の重心が浮かび上がるのを感じる。
二体の兜の奥が、黒く光った。
次の瞬間、蓮司の視界が反転した。
ハルバートを振りぬかれ、蓮司は思いっきり吹き飛ばされる。
白と黒が混ざる。
廊下が遠ざかる。
壊れた階段が、小さくなる。
遥のシンボルが見えた。
境界の向こうで、こちらを見ている。
胸元に手を置いたまま。
唇が、最後にもう一度だけ動いた。
やめて。
蓮司は何か言おうとした。
だが、声にならなかった。
体が後ろへ引き剥がされる。
白黒の廊下が消える。
明るい部屋が消える。
遥のシンボルが消える。
そして。
体がさらに宙を舞うのを感じる。
次の瞬間、蓮司は盛大に背中を地面に打ちつけられていた。
「ぐっ……」
色彩のない空が視界いっぱいに広がった。
息ができない。
視界が歪む。
何が起こったか理解するのに、時間がかかった。
蓮司は、地面に転がったまま辺りを確認する。
さっきまでの白黒の廊下でもなく、整った部屋でもなかった。
蓮司は、色のない外界の道路へ叩き出されていた。
右手にはもう、ティルヴァはない。
ただ、奥に重さだけが残っている。
蓮司は灰色の空を見上げたまま、かすれた声で呟いた。
「……何なんだよ、あれは」
答える声はなかった。
外界の街では、誰とも言えないシンボルたちが、何事もなかったようにゆっくりと流れていた。
