白い布が、音もなく床を走った。
最初は、ただ広がってくるだけに見えた。
だが違った。
布は床を覆うと、蓮司たちの足元をすくうように盛り上がる。
「っ!」
蓮司は反射的に跳んだ。
さっきまで立っていた床が、白い布に飲まれる。
床そのものが消えたように見えた。
足場を奪われる。
そう分かった瞬間、別の布が横から伸びてきた。
「高城、下がれ」
葛城の声が飛ぶ。
蓮司が身を引くと同時に、乾いた銃声が響く。
葛城の手には、すでにスナイパーライフルがあった。
弾丸が白い布の根元を撃ち抜く。
布が裂け、床へ落ちる。
だが、落ちた布はすぐにほどけ、別の白い帯になって床を這った。
「切っても戻るのかよ」
「切っているのではなく、形を崩しているだけだ」
「同じじゃねえのか」
「違う」
葛城は短く答えながら、次の弾を撃った。
白い布が天井から垂れる。
それが蓮司の背後を塞いだ。
葛城の弾丸がそれを射抜く。
裂け目が開く。
「右へ」
「分かってる!」
蓮司は裂け目を抜ける。
その直後、白い像が動いた。
黒沢のシンボルを抱えたまま、像の片腕が伸びる。
腕の中から、白い杖のようなものが現れた。
長い。
細い。
先端は丸く、武器には見えない。
だが、それが振られた瞬間、空気が押し潰された。
「っぶねえ!」
蓮司は身を低くする。
白い杖が頭上を通過していた。
遅いように見えた。
しかし、避けた後で風圧が遅れてくる。
床の白い足跡が、杖の軌道に沿って砕けた。
「杖まで使ってくんのかよ」
「守るための杖だろうな」
「どう見ても攻撃してきてるけどな!」
「守るために、近づくものを退けている」
葛城は距離を取りながら、白い像の腕を撃った。
弾丸は正確に当たる。
白い腕の表面が割れた。
しかし、中心までは届かない。
表面のひびは、すぐに布に覆われて消える。
像はさらに一歩、こちらへ進んだ。
そのたびに床の足跡が白く光る。
先に道ができる。
像はその道をなぞるように動く。
黒沢のシンボルは、腕の中でほとんど動かない。
口元だけが笑っている。
楽そうに。
何も考えなくてよさそうに。
「まずいな」
葛城の声が低くなった。
「この動きは、こちらを取り込もうとしている」
「取り込む?」
「黒沢と同じ状態にするつもりだ。選ばせず、考えさせず、この場に留める」
蓮司は白い布を見る。
床を覆い、壁を伝い、天井から垂れる。
白い部屋そのものが、ゆっくり閉じていくようだった。
「これ、黒沢の意思なのか」
蓮司が言うと、葛城は一瞬だけ黙った。
銃声。
白い布が裂ける。
葛城はその隙に後退しながら答えた。
「分からない。だが、黒沢本人の意思だけではない可能性が高い」
「どういうことだよ」
「黒沢は楽になりたい。そこは本人の感情だ。だが、我々を排除し、取り込もうとするこの反応は過剰だ」
白い杖が再び振られる。
今度は横薙ぎではない。
床を突いた。
その先端から、白い足跡が一気に広がる。
蓮司の足元に、踏むべき場所が勝手に現れた。
一歩目。
二歩目。
三歩目。
そこを踏めば安全だと分かる。
だが、踏みたくない。
踏んだ瞬間、自分の進む先を決められる気がした。
「高城、足跡を踏むな」
「言われなくても!」
蓮司は足跡の隙間へ跳ぶ。
だが、そこへ白い布が滑り込んできた。
足場が消える。
蓮司の体勢が崩れた。
「しまっ――」
布が足首に絡む。
柔らかい。
だが、ほどけない。
締めつけてくるわけではない。
ただ、動きを止める。
優しく、確実に。
足首からさらに布が伸び、蓮司の体全体を包み込もうとする。
「っ――!」
葛城のライフルが鳴った。
布が蓮司の足首から弾ける。
拘束が弱まる。
その隙に、蓮司は足から布を引きはがし、像と反対方向に投げ捨てる。
「あっぶねぇ……」
蓮司は転びかけながら体勢を戻す。
そんな状況でも葛城は相変わらず冷ややかだった。
「礼は後でいい」
「言う前提かよ!」
「前に出すぎるな」
「だからってどこに行けってんだよ!」
白い布は像だけでなく、周りからジワジワと距離を近づけていた。
蓮司が周囲の白い布に気を取られていた時間は、ほんのわずかだった。
だが、その短い時間に白い像は蓮司に肉薄していた。
杖が、蓮司の胸元へ突き出される。
白い布と同化していて動きが見えていなかった。
巨体に反して、動きが速い。
(避けれねぇ!)
蓮司は咄嗟に右手を開いた。
黒い輪郭が集まる。
ティルヴァ。
重さが落ちてくる。
胸の奥まで沈むような重さ。
黒い刃が、蓮司の手の中に形を取った。
「高城!」
葛城の声が飛ぶ。
蓮司はティルヴァを横に構え、白い杖を受けた。
鈍い衝撃。
刃と杖がぶつかった瞬間、黒と白がこすれ合うように軋んだ。
蓮司の腕に重さがのしかかる。
「っ、重……!」
ここが内界だからか、杖の重さからただの杖ではないことが直感的に分かった。
押し返そうとしても、力が逃げる。
蓮司はつばぜり合いを中断し、いったん跳び引いて距離を取る。
そこに、白い布が再び伸び、蓮司の足を包もうとしてくる。
「高城、足元!」
銃声。
葛城の弾が足元の布を撃ち抜く。
白い布の動きは速くない。
ただ、四方八方から迫ってくるので、厄介だった。
距離を取っても無駄なら――
蓮司はライフルで吹き飛んだ白い布の隙間を、一気に駆け抜けて白い像に肉薄する。
像とすれ違いざまにティルヴァを杖に叩き込む。
甲高い音が白い部屋に響く。
だが、それだけだった。
杖は折れていなかった。
「……っ!」
杖の表面にはティルヴァの黒い線が残っていたが、白い光がそれを徐々に塞いでいた。
「ティルヴァを防ぐのか!」
蓮司は驚愕しながら刃を構え直す。
「恐らく、信じる力が強いな。心の世界では信じるものがあるほど強力だ」
「この状況で分析かよ!」
「分析しなければ、この状況は変わらん」
像の杖が振り下ろされる。
蓮司は再び刃で受ける。
「ぐ……っ」
重い。
衝撃で膝が沈む。
何とか頭を上げると、白い布が横から伸びてきていた。
葛城が撃つ。
布が裂ける。
葛城の的確な援護がなければ、蓮司はとうに白い布に捕まっていただろう。
だが、白い布は更に数を増やしている。
援護が間に合う量ではなくなってきていた。
弾丸に撃ち抜かれた布は二本に分かれ、左右から回り込んでくる。
「多すぎる!」
「中心を見ろ」
「またそれか!」
蓮司は後方に跳躍しながら白い布をかわす。
「何が黒沢を固定している」
蓮司は像を見る。
白い布。
白い杖。
床に現れる足跡。
壁に浮かぶ文字。
すべてが一緒になって迫ってくる。
どれも攻撃に見える。
だが、目的は一つだった。
近づかせない。
考えさせない。
選ばせない。
黒沢を、白い像の腕の中に留めておく。
そして、蓮司たちさえも同じ白に包もうとしている。
蓮司は息を吸った。
ティルヴァを握り直す。
目の前に迫る布を切り払いながら感覚を広げる。
白い布を切る。
違う。
杖を折る。
それも違う。
像そのものを狙う。
それも違う。
黒沢の気持ちまで否定するつもりはない。
楽になりたい。
誰かに頼りたい。
それは黒沢の中にある。
断つべきなのは、そこではない。
黒沢の代わりに道を決めているもの。
黒沢の足を隠しているもの。
黒沢の「楽になりたい」を利用して、選ぶ前に答えを置いているもの。
「高城」
葛城の声が聞こえた。
「見えるか」
「ああ」
蓮司は白い像の腕を見る。
そこから伸びる布。
黒沢の足元へ絡み、床の足跡とつながっている根元。
杖の先端も、同じ場所へ白い光を流している。
像の中心ではない。
黒沢の胸でもない。
布と足跡と標識が結びつく一点。
そこが、黒沢の代わりに道を作っている。
「狙いは?」
「像じゃない」
蓮司は言った。
「黒沢を包んでる布と、先に道を決めてる足跡。そいつらの根元だ」
「理由は」
「黒沢の気持ちは残す。楽になりたいって気持ちまで、消す気はねえ」
白い杖が突き出される。
葛城が撃つ。
弾丸が杖の軌道をわずかに逸らす。
その隙を、蓮司は走った。
白い足跡を踏まない。
用意された道を行かない。
床の隙間を、自分で選んで踏む。
白い布が足元を狙う。
蓮司は跳ぶ。
着地と同時に、別の布が肩へ伸びる。
ティルヴァで払う。
しかし、布は刃に絡みついた。
重い。
ティルヴァの輪郭がわずかに沈む。
「くそっ」
白い杖が正面から迫る。
葛城のライフルが続けて鳴る。
一発目が杖の先端を弾く。
二発目が蓮司の刃に絡んだ布を撃ち抜く。
三発目が床の足跡を砕く。
道が開いた。
「今だ」
葛城の声。
蓮司は前へ出る。
壁の文字が一斉に揺れた。
選ばなくていい。
迷わなくていい。
任せればいい。
考えなくていい。
その言葉が白い光になって、蓮司の視界へ流れ込む。
一瞬、足が止まりそうになる。
楽だ。
考えなくていいのは、楽だ。
選ばなくていいのは、楽だ。
間違えなくて済む。
傷つかなくて済む。
誰かのせいにできる。
その甘さが、胸の奥に入り込んでくる。
蓮司の右手の中で、ティルヴァが揺れた。
「高城」
葛城の声が、白い部屋を切った。
「見失うな」
蓮司は顔を上げる。
黒沢のシンボルが見えた。
白い像の腕の中で、動かずにいる黒沢。
口元だけが、楽そうに笑っている。
けれど、足は白い布に隠されている。
自分の足で立っていない。
自分の道を踏んでいない。
蓮司の中で、言葉が形になる。
「自分で選んだ道なら、文句はねえよ」
声が、自分でも思ったより低く響いた。
白い布が蓮司の足元に迫る。
「誰かに言われたとしても、考えた上で選んだなら、それは黒沢の選択だ」
蓮司は布を切り裂きながら、白い足跡を見る。
床に並んだ、先に用意された足跡。
そこをなぞればいい。
迷わなくていい。
選ばなくていい。
「でも、これは違う」
蓮司は足跡を避け、さらに踏み込む。
右手の刃に、闇が集中する。
刃のまわりの空間が歪む。
「選ぶ前に道が置かれてる。迷う前に、答えが渡されてる」
白い像が、黒沢をさらに強く抱いた。
いや、強く見えない。
優しく包み込むだけだ。
だが、その優しさが黒沢を動けなくしている。
「これは、つくられてる」
蓮司は跳ぶ。
「そこに、お前の意思がない」
黒沢の「楽になりたい」という気持ちまで否定するつもりはない。
でも、その気持ちを利用して、黒沢から選ぶ力を遠ざけているもの。
断つべきなのは、そこだ。
蓮司のまわりだけ、白から黒へと染まっていく。
空間の歪みが大きく広がる。
「考えなくていいって」
蓮司は低く言った。
「それは救いじゃねえだろ」
ティルヴァの刃が、漆黒に沈む。
今までのただ重い刃ではない。
刃の内側に、何かが集まっていく。
名前。
意味。
自分が何を終わらせるのか。
それを定める感覚。
蓮司は、刃を振りかぶる。狙いは一点。
白い像の腕から伸び、黒沢の足元と、床の足跡と、標識をつないでいる根元。
そこだけを見る。
ティルヴァの闇が一段と濃くなる。
もはや影も何も見えなくなっていた。
蓮司の中から、自然と言葉が上がってくる。
初めて、蓮司の口から名前として外に出る。
「虚滅刃――」
黒い刃の周囲から、音が消えた。
白い布が止まったように見えた。
葛城の銃声すら、遠のく。
「エクシティウム――!」
蓮司は刃を振り下ろした。
斬った感覚はなかった。
砕いた感覚でもない。
そこにあった意味が、抜け落ちるような感覚だった。
だが、一拍遅れて、黒い断面が白い空間に刻まれる。
それは光ではなかった。
影でもなかった。
そこにあったものが消されていた。
白い布の上を、黒い裂け目が走った。
布を焼くのでも、押し潰すのでもない。
ただ、そこにあった意味だけを断ち切り進んでいく。
「黒沢!」
黒い断絶は、黒沢のシンボルと白い像の間を走り抜けた。
白い像の腕が断たれる。
腕にあった杖が絶たれる。
白い布が裁たれる。
それは静かな斬撃だった。
音はなかった。
だが、確かにそこにあったつながりだけが断たれていた。
黒い斬撃が通り抜けた後に、束の間の静寂が訪れる。
蓮司は思い出したように息を吐いた。
「っはぁ……はぁ……」
右手の感覚が遠い。
刃を握っていたはずの指先が、自分のものではないように震えていた。
息を吸いながら、自分が放った後の光景を見る。
斬撃が通った跡だけ、白い空間に黒い溝が残っていた。
黒沢のシンボルは無事だった。
横の白い像も半壊しているが、原型はとどめている。
その顔のない頭が傾き、少しだけこちらを向いた。
次の瞬間、黒沢を包んでいた残りの布がほどけた。
肩を覆っていた布が剥がれる。
腕を押さえていた白が落ちる。
足元を隠していた布が、床へ崩れる。
先に用意されていた足跡が、薄く割れた。
白い標識にも亀裂が走る。
矢印が歪み、形を失っていく。
だが、白い像そのものは消えなかった。
杖の先端は欠けている。
それでも、像はそこに立っている。
黒沢の「楽になりたい」という気持ちは、まだそこにある。
蓮司はそれを見て、息を吐いた。
全部を消したわけじゃない。
消えたのは、黒沢の代わりに道を置いていたもの。
黒沢の足を隠していたものだけだ。
白い部屋が揺れる。
壁の文字が一斉に薄くなる。
文字はまだ残っている。
だが、命令のような強さは消えていた。
黒沢のシンボルが、白い像の横で少しだけ身じろぎした。
初めてだった。
ただ抱かれているだけだった黒沢が、自分で動いた。
ほんの少し。
肩が揺れただけ。
顔がわずかに上がっただけ。
それでも、動いた。
最初は、ただ広がってくるだけに見えた。
だが違った。
布は床を覆うと、蓮司たちの足元をすくうように盛り上がる。
「っ!」
蓮司は反射的に跳んだ。
さっきまで立っていた床が、白い布に飲まれる。
床そのものが消えたように見えた。
足場を奪われる。
そう分かった瞬間、別の布が横から伸びてきた。
「高城、下がれ」
葛城の声が飛ぶ。
蓮司が身を引くと同時に、乾いた銃声が響く。
葛城の手には、すでにスナイパーライフルがあった。
弾丸が白い布の根元を撃ち抜く。
布が裂け、床へ落ちる。
だが、落ちた布はすぐにほどけ、別の白い帯になって床を這った。
「切っても戻るのかよ」
「切っているのではなく、形を崩しているだけだ」
「同じじゃねえのか」
「違う」
葛城は短く答えながら、次の弾を撃った。
白い布が天井から垂れる。
それが蓮司の背後を塞いだ。
葛城の弾丸がそれを射抜く。
裂け目が開く。
「右へ」
「分かってる!」
蓮司は裂け目を抜ける。
その直後、白い像が動いた。
黒沢のシンボルを抱えたまま、像の片腕が伸びる。
腕の中から、白い杖のようなものが現れた。
長い。
細い。
先端は丸く、武器には見えない。
だが、それが振られた瞬間、空気が押し潰された。
「っぶねえ!」
蓮司は身を低くする。
白い杖が頭上を通過していた。
遅いように見えた。
しかし、避けた後で風圧が遅れてくる。
床の白い足跡が、杖の軌道に沿って砕けた。
「杖まで使ってくんのかよ」
「守るための杖だろうな」
「どう見ても攻撃してきてるけどな!」
「守るために、近づくものを退けている」
葛城は距離を取りながら、白い像の腕を撃った。
弾丸は正確に当たる。
白い腕の表面が割れた。
しかし、中心までは届かない。
表面のひびは、すぐに布に覆われて消える。
像はさらに一歩、こちらへ進んだ。
そのたびに床の足跡が白く光る。
先に道ができる。
像はその道をなぞるように動く。
黒沢のシンボルは、腕の中でほとんど動かない。
口元だけが笑っている。
楽そうに。
何も考えなくてよさそうに。
「まずいな」
葛城の声が低くなった。
「この動きは、こちらを取り込もうとしている」
「取り込む?」
「黒沢と同じ状態にするつもりだ。選ばせず、考えさせず、この場に留める」
蓮司は白い布を見る。
床を覆い、壁を伝い、天井から垂れる。
白い部屋そのものが、ゆっくり閉じていくようだった。
「これ、黒沢の意思なのか」
蓮司が言うと、葛城は一瞬だけ黙った。
銃声。
白い布が裂ける。
葛城はその隙に後退しながら答えた。
「分からない。だが、黒沢本人の意思だけではない可能性が高い」
「どういうことだよ」
「黒沢は楽になりたい。そこは本人の感情だ。だが、我々を排除し、取り込もうとするこの反応は過剰だ」
白い杖が再び振られる。
今度は横薙ぎではない。
床を突いた。
その先端から、白い足跡が一気に広がる。
蓮司の足元に、踏むべき場所が勝手に現れた。
一歩目。
二歩目。
三歩目。
そこを踏めば安全だと分かる。
だが、踏みたくない。
踏んだ瞬間、自分の進む先を決められる気がした。
「高城、足跡を踏むな」
「言われなくても!」
蓮司は足跡の隙間へ跳ぶ。
だが、そこへ白い布が滑り込んできた。
足場が消える。
蓮司の体勢が崩れた。
「しまっ――」
布が足首に絡む。
柔らかい。
だが、ほどけない。
締めつけてくるわけではない。
ただ、動きを止める。
優しく、確実に。
足首からさらに布が伸び、蓮司の体全体を包み込もうとする。
「っ――!」
葛城のライフルが鳴った。
布が蓮司の足首から弾ける。
拘束が弱まる。
その隙に、蓮司は足から布を引きはがし、像と反対方向に投げ捨てる。
「あっぶねぇ……」
蓮司は転びかけながら体勢を戻す。
そんな状況でも葛城は相変わらず冷ややかだった。
「礼は後でいい」
「言う前提かよ!」
「前に出すぎるな」
「だからってどこに行けってんだよ!」
白い布は像だけでなく、周りからジワジワと距離を近づけていた。
蓮司が周囲の白い布に気を取られていた時間は、ほんのわずかだった。
だが、その短い時間に白い像は蓮司に肉薄していた。
杖が、蓮司の胸元へ突き出される。
白い布と同化していて動きが見えていなかった。
巨体に反して、動きが速い。
(避けれねぇ!)
蓮司は咄嗟に右手を開いた。
黒い輪郭が集まる。
ティルヴァ。
重さが落ちてくる。
胸の奥まで沈むような重さ。
黒い刃が、蓮司の手の中に形を取った。
「高城!」
葛城の声が飛ぶ。
蓮司はティルヴァを横に構え、白い杖を受けた。
鈍い衝撃。
刃と杖がぶつかった瞬間、黒と白がこすれ合うように軋んだ。
蓮司の腕に重さがのしかかる。
「っ、重……!」
ここが内界だからか、杖の重さからただの杖ではないことが直感的に分かった。
押し返そうとしても、力が逃げる。
蓮司はつばぜり合いを中断し、いったん跳び引いて距離を取る。
そこに、白い布が再び伸び、蓮司の足を包もうとしてくる。
「高城、足元!」
銃声。
葛城の弾が足元の布を撃ち抜く。
白い布の動きは速くない。
ただ、四方八方から迫ってくるので、厄介だった。
距離を取っても無駄なら――
蓮司はライフルで吹き飛んだ白い布の隙間を、一気に駆け抜けて白い像に肉薄する。
像とすれ違いざまにティルヴァを杖に叩き込む。
甲高い音が白い部屋に響く。
だが、それだけだった。
杖は折れていなかった。
「……っ!」
杖の表面にはティルヴァの黒い線が残っていたが、白い光がそれを徐々に塞いでいた。
「ティルヴァを防ぐのか!」
蓮司は驚愕しながら刃を構え直す。
「恐らく、信じる力が強いな。心の世界では信じるものがあるほど強力だ」
「この状況で分析かよ!」
「分析しなければ、この状況は変わらん」
像の杖が振り下ろされる。
蓮司は再び刃で受ける。
「ぐ……っ」
重い。
衝撃で膝が沈む。
何とか頭を上げると、白い布が横から伸びてきていた。
葛城が撃つ。
布が裂ける。
葛城の的確な援護がなければ、蓮司はとうに白い布に捕まっていただろう。
だが、白い布は更に数を増やしている。
援護が間に合う量ではなくなってきていた。
弾丸に撃ち抜かれた布は二本に分かれ、左右から回り込んでくる。
「多すぎる!」
「中心を見ろ」
「またそれか!」
蓮司は後方に跳躍しながら白い布をかわす。
「何が黒沢を固定している」
蓮司は像を見る。
白い布。
白い杖。
床に現れる足跡。
壁に浮かぶ文字。
すべてが一緒になって迫ってくる。
どれも攻撃に見える。
だが、目的は一つだった。
近づかせない。
考えさせない。
選ばせない。
黒沢を、白い像の腕の中に留めておく。
そして、蓮司たちさえも同じ白に包もうとしている。
蓮司は息を吸った。
ティルヴァを握り直す。
目の前に迫る布を切り払いながら感覚を広げる。
白い布を切る。
違う。
杖を折る。
それも違う。
像そのものを狙う。
それも違う。
黒沢の気持ちまで否定するつもりはない。
楽になりたい。
誰かに頼りたい。
それは黒沢の中にある。
断つべきなのは、そこではない。
黒沢の代わりに道を決めているもの。
黒沢の足を隠しているもの。
黒沢の「楽になりたい」を利用して、選ぶ前に答えを置いているもの。
「高城」
葛城の声が聞こえた。
「見えるか」
「ああ」
蓮司は白い像の腕を見る。
そこから伸びる布。
黒沢の足元へ絡み、床の足跡とつながっている根元。
杖の先端も、同じ場所へ白い光を流している。
像の中心ではない。
黒沢の胸でもない。
布と足跡と標識が結びつく一点。
そこが、黒沢の代わりに道を作っている。
「狙いは?」
「像じゃない」
蓮司は言った。
「黒沢を包んでる布と、先に道を決めてる足跡。そいつらの根元だ」
「理由は」
「黒沢の気持ちは残す。楽になりたいって気持ちまで、消す気はねえ」
白い杖が突き出される。
葛城が撃つ。
弾丸が杖の軌道をわずかに逸らす。
その隙を、蓮司は走った。
白い足跡を踏まない。
用意された道を行かない。
床の隙間を、自分で選んで踏む。
白い布が足元を狙う。
蓮司は跳ぶ。
着地と同時に、別の布が肩へ伸びる。
ティルヴァで払う。
しかし、布は刃に絡みついた。
重い。
ティルヴァの輪郭がわずかに沈む。
「くそっ」
白い杖が正面から迫る。
葛城のライフルが続けて鳴る。
一発目が杖の先端を弾く。
二発目が蓮司の刃に絡んだ布を撃ち抜く。
三発目が床の足跡を砕く。
道が開いた。
「今だ」
葛城の声。
蓮司は前へ出る。
壁の文字が一斉に揺れた。
選ばなくていい。
迷わなくていい。
任せればいい。
考えなくていい。
その言葉が白い光になって、蓮司の視界へ流れ込む。
一瞬、足が止まりそうになる。
楽だ。
考えなくていいのは、楽だ。
選ばなくていいのは、楽だ。
間違えなくて済む。
傷つかなくて済む。
誰かのせいにできる。
その甘さが、胸の奥に入り込んでくる。
蓮司の右手の中で、ティルヴァが揺れた。
「高城」
葛城の声が、白い部屋を切った。
「見失うな」
蓮司は顔を上げる。
黒沢のシンボルが見えた。
白い像の腕の中で、動かずにいる黒沢。
口元だけが、楽そうに笑っている。
けれど、足は白い布に隠されている。
自分の足で立っていない。
自分の道を踏んでいない。
蓮司の中で、言葉が形になる。
「自分で選んだ道なら、文句はねえよ」
声が、自分でも思ったより低く響いた。
白い布が蓮司の足元に迫る。
「誰かに言われたとしても、考えた上で選んだなら、それは黒沢の選択だ」
蓮司は布を切り裂きながら、白い足跡を見る。
床に並んだ、先に用意された足跡。
そこをなぞればいい。
迷わなくていい。
選ばなくていい。
「でも、これは違う」
蓮司は足跡を避け、さらに踏み込む。
右手の刃に、闇が集中する。
刃のまわりの空間が歪む。
「選ぶ前に道が置かれてる。迷う前に、答えが渡されてる」
白い像が、黒沢をさらに強く抱いた。
いや、強く見えない。
優しく包み込むだけだ。
だが、その優しさが黒沢を動けなくしている。
「これは、つくられてる」
蓮司は跳ぶ。
「そこに、お前の意思がない」
黒沢の「楽になりたい」という気持ちまで否定するつもりはない。
でも、その気持ちを利用して、黒沢から選ぶ力を遠ざけているもの。
断つべきなのは、そこだ。
蓮司のまわりだけ、白から黒へと染まっていく。
空間の歪みが大きく広がる。
「考えなくていいって」
蓮司は低く言った。
「それは救いじゃねえだろ」
ティルヴァの刃が、漆黒に沈む。
今までのただ重い刃ではない。
刃の内側に、何かが集まっていく。
名前。
意味。
自分が何を終わらせるのか。
それを定める感覚。
蓮司は、刃を振りかぶる。狙いは一点。
白い像の腕から伸び、黒沢の足元と、床の足跡と、標識をつないでいる根元。
そこだけを見る。
ティルヴァの闇が一段と濃くなる。
もはや影も何も見えなくなっていた。
蓮司の中から、自然と言葉が上がってくる。
初めて、蓮司の口から名前として外に出る。
「虚滅刃――」
黒い刃の周囲から、音が消えた。
白い布が止まったように見えた。
葛城の銃声すら、遠のく。
「エクシティウム――!」
蓮司は刃を振り下ろした。
斬った感覚はなかった。
砕いた感覚でもない。
そこにあった意味が、抜け落ちるような感覚だった。
だが、一拍遅れて、黒い断面が白い空間に刻まれる。
それは光ではなかった。
影でもなかった。
そこにあったものが消されていた。
白い布の上を、黒い裂け目が走った。
布を焼くのでも、押し潰すのでもない。
ただ、そこにあった意味だけを断ち切り進んでいく。
「黒沢!」
黒い断絶は、黒沢のシンボルと白い像の間を走り抜けた。
白い像の腕が断たれる。
腕にあった杖が絶たれる。
白い布が裁たれる。
それは静かな斬撃だった。
音はなかった。
だが、確かにそこにあったつながりだけが断たれていた。
黒い斬撃が通り抜けた後に、束の間の静寂が訪れる。
蓮司は思い出したように息を吐いた。
「っはぁ……はぁ……」
右手の感覚が遠い。
刃を握っていたはずの指先が、自分のものではないように震えていた。
息を吸いながら、自分が放った後の光景を見る。
斬撃が通った跡だけ、白い空間に黒い溝が残っていた。
黒沢のシンボルは無事だった。
横の白い像も半壊しているが、原型はとどめている。
その顔のない頭が傾き、少しだけこちらを向いた。
次の瞬間、黒沢を包んでいた残りの布がほどけた。
肩を覆っていた布が剥がれる。
腕を押さえていた白が落ちる。
足元を隠していた布が、床へ崩れる。
先に用意されていた足跡が、薄く割れた。
白い標識にも亀裂が走る。
矢印が歪み、形を失っていく。
だが、白い像そのものは消えなかった。
杖の先端は欠けている。
それでも、像はそこに立っている。
黒沢の「楽になりたい」という気持ちは、まだそこにある。
蓮司はそれを見て、息を吐いた。
全部を消したわけじゃない。
消えたのは、黒沢の代わりに道を置いていたもの。
黒沢の足を隠していたものだけだ。
白い部屋が揺れる。
壁の文字が一斉に薄くなる。
文字はまだ残っている。
だが、命令のような強さは消えていた。
黒沢のシンボルが、白い像の横で少しだけ身じろぎした。
初めてだった。
ただ抱かれているだけだった黒沢が、自分で動いた。
ほんの少し。
肩が揺れただけ。
顔がわずかに上がっただけ。
それでも、動いた。
