サヨナラの理由は選択の余白に詰めて

俺は病院へ見舞いに行くようになった。
毎日ではなく、学校が終わったあと、時間がある日だけ。
最初は、毎回陽菜と一緒だった。
けれど何度か通ううちに、1人でお見舞いに行くことも増え、陽翔と二人で話すことも増えた。
「蓮兄ちゃんってさ」
「んー?」
「今更だけどさ、姉ちゃんのどこが好きなの?」
「急だな」
「別にいいじゃん!」
「……優しいところ」
「絶対嘘だー!」
「なんでそうなるんだよ」
「だって姉ちゃん、優しくないし、怒ると鬼だもん」
「お前にはな」
「ひどーい」
「でも、陽翔がなんと言おうと、お前の姉ちゃんは優しいよ」
「へえ」
「あと、ちゃんと考えるところも好き」
「逆に脳筋みたいに考えすぎてるけどね」
「それも含めて」
陽翔は少し笑った。
「姉ちゃんも、蓮兄ちゃんのこと好きなんだよね」
「……そうなのかな」
「そうだよ」
「なんで分かるんだよ」
「顔」
「顔?」
「姉ちゃん、蓮兄ちゃんがいるときだけ全然いつもと顔違うから」
「どんな顔?」
「知らない」
「分からないのかよ」
「でも、分かるよ」
俺たちはそう言って笑い合った。
そんな何気ない会話が、二人の間に増えていった。
陽翔は俺にゲームを教えてくれた。俺は陽翔に学校の話をした。
陽菜の知らないところで、俺たちは少しずつ、仲良くなっていった。

ある日の帰りだった。
病院を出ると、外は雨だった。
「私傘持ってきてない」
陽菜がぽつりと呟いた。
「俺あるよ」
俺は傘を開いた。
「入る?」
「うん」
二人で一つの傘に入った。しばらく歩いたところで、陽菜が聞いてきた。
「蓮」
「ん?」
「陽翔のこと、どう思ってる?」
「どうって?」
「…怖くない?」
「何が?」
「……陽翔が、いつかはいなくなること」
俺はすぐには答えられなかった。その間、ただ雨の音だけが聞こえた。
「怖いよ」
雨の音が俺を急かしているように思えてきて、とうとう耐えられなくなってから、ようやく俺の口は開いた。
「俺だって」
「そっか」
「陽菜は?」
「怖いにきまってる」
「だよな」
「でも、私たちが怖いって言ってもどうにもならない」
「……うん」
「だから、考えるしかない」
「何を考えるの?」
「分からない」
陽菜は雨のはるか向こうを見た。
「どうしたら陽翔が一番苦しまないのか。でも、それを考えると、すぐに『楽にさせたほうがいいのかな』ってところに行きそうになる」
「……」
「それが嫌なの」
「どうして?」
「陽翔は、生きたいって言うから」
「うん」
「でも、苦しいのは怖いとも言う。どっちも陽翔の本当の気持ちなんだとは思う」
陽菜は深呼吸してから、後を続けた。
「生きたいのに、苦しむのは嫌なんだよ」
「……矛盾してるな」
「そうだね」
「でも、人間ってそういうものか」
「たぶん」
俺は少し笑った。
「俺だって、楽したいけど、やりたいことはあるし」
「それとは少し違うと思うけど」
「分かってるって」
二人は歩いた。
ただ、雨はまだ激しく降っていた。

数日後。
俺と陽菜が病室に入ると、陽翔は窓の外を眺めていた。
「何してるの?」
「雨みてる」
「見れば分かるよ」
「雨ってさ」
陽翔は言った。でも、その声はどこか頼りなくて、力が感じられなかった。
「いつか止むのかな」
「止むよ」
「絶対?」
「絶対」
「じゃあ、病気も?」
陽菜は答えられなかった。それを見て、陽翔はすぐにクスッと小さく笑った。
「冗談だよ」
「……そういう冗談やめて」
「ごめん」
少し沈黙があった。
「ねえ、姉ちゃん」
「なに?」
「僕さ、死にたいわけじゃないんだ」
彼女の胸が締めつけられているのが分かった。声こそ出していないが、頬に一筋の涙が溢れている。
「…知ってるよ」
「まだやりたいこといっぱいある」
「うん」
「学校も行きたい」
「うん」
「友達とも遊びたいし」
「うん」
「ゲームもしたい」
「うん」
「中学生になって、高校生にもなりたい」
陽菜は横でひたすら頷きながら、陽翔に顔を見られないよう、手で顔を必死に隠していた。
「大学生にもなりたいし」
「うん」
「大人にもなりたい」
「うん」
「でもさ」
悠は窓の外を見た。
「苦しいのは、やっぱり怖いんだ。でも、すごく苦しくなったら、僕、どうするんだろう」
陽菜は言葉を探しているように見えた。
「そのときは……」
俺も何を言えばいいのか分からなかった。
「病院の先生がいるよ。お母さんもいるし、もちろん私もいる。蓮もいてくれるよ」
「……うん」
「だから、一人じゃないよ」
陽翔の顔から笑みが溢れた。
「知ってるよ」
「じゃあ――」
「でも、怖いものは怖い」
「……そうだね」
陽菜はそれしか言えなかった。
その夜、家に帰ってからも、陽翔の言葉が頭から離れなかった。
生きたい。でも、苦しいのは怖い。
どちらか一つを選べと言われたら、きっとまだ小学生の陽翔は答えられない。
いや…答えられないわけではない。
どちらも本当だから、答えたくないのかもしれない。

*

そんな楽しい、幸せな月日が流れていたある日。
「ねえ、蓮兄ちゃん」
「何?」
「僕、大人になったら何になればいいと思う?」
俺は少し考えた。
「何になりたいの?」
「ゲーム作る人」
「じゃあ、それでいいじゃん」
「なれるかな」
「なれるよ」
俺は迷わず言った。
「じゃあ、お兄ちゃんもゲームに出してあげる」
「俺?」
「うん」
「どんな役?」
「弱い敵」
「おい」
陽翔が笑った。その隣では、ずっと聞いていた陽菜も笑い始めた。
その瞬間、俺は思った。
この時間が、こんな幸せな時間が、永遠に続けばいいのに、と。
でも、永遠なんて存在しない。ただ、その事実さえ、今の俺たちには知るよしもなかった。