大きな怪我がなくてホッとしたけど、抱き上げたときに妙に顔が赤かったのが、やっぱり気がかりだ。
顔面から落ちたからって言っていたけど、大丈夫かな。医務室に預けてそのまま閉会式に行かなくちゃいけなかったら、詳しい容体は聞けていない。
「ちょっと様子を見に行こうかな」
会いに行ったらどんな顔をするだろう。いつも姫野くんはひまわりみたいな笑顔で俺を出迎えてくれる。高嶺先輩って嬉しそうに名前を呼んでくれる。
そんな想像をしただけで、疲れたはずの身体がなんだか軽くなったのを、俺は感じるのだった。
季節は少しずつ前に進んで、気付けば夏はもう目前。
「というわけで高嶺先輩! 七夕しましょうよ!」
生徒会室に入るやいなや、開口一番、俺はそう言った。
「また急だね」
「七夕って……子供ですか、あなたは」
うん、それぞれ反応は違うけど予想通り。氷室先輩が毒舌なのもいつものことだ。
「俺、体育祭の時に思ったんです。姫活って一年の居場所を作ることだけど、色んな気持ちを抱えてるのは一年だけじゃないって」
「それはまあ、そうだね」
「七夕って願い事を短冊に書くじゃないですか。だから、それでみんなが何を思っているのか分かるんじゃないかなって」
高嶺先輩と氷室先輩は顔を見合わせて、真面目な顔をしていた。
「……あなたにしては思ったよりまともな話ですね」
「うん。ちょっと俺もびっくりした」
ってなんか酷い言われようだ。
「俺はいつも真剣ですよ! 氷室先輩もそれで体育祭を楽しんだくせに」
ちなみに食堂の新メニュー試食権は氷室先輩のいるチームが獲得して、すでに新メニューを食べた後だったりする。熱々のトマトソースがかかったチキンステーキ、美味しそうだったから忘れもしないぞ。
「とにかく! 七夕でみんなの願いを聞きたいなって。生徒だけじゃなく、先生とか食堂のおばちゃんとか、購買部のおっちゃんとかも!」
「範囲、そこまで広げるんだ?」
「そりゃ白鷺学園の仲間だし」
俺の返事に高嶺先輩が笑う。おかしなことを言ったつもりはないんだけど。
「いや、笑ってごめんね。我らの姫が、一年だけじゃなく購買部のおじさんのことまで考え始めたのかと思うと」
「姫活の範囲を大幅に飛び越えています」
高嶺先輩はまだ笑ってるし、氷室先輩はちょっと呆れたような顔をしている。
……でもなんとなく分かる。なんだかんだ言いながらも、俺の案に賛成してくれてるって。
「律、七夕やるくらいの予算はあったよね?」
「ええ。短冊くらいでしょう、必要なもの。笹は毎年校内に飾っていますからね」
え、それは初耳かも。
「白鷺で毎年、七夕やってるんだ?」
「やってるって言っても、飾りくらいだよ。短冊を書くのはごく一部の生徒くらい」
「今年はそのごく一部を全校生徒、及び教職員まで広げるだけです」
「まあ広げるだけって言ってもそれが大変なんだけど。何百って人数になるからね」
それでも借り人競争みたいに一から作り上げるよりは、やりやすいはずだ。
「発案者だし、俺も頑張ります!」
それから先生たちに許可を取って、俺たちはまた走り回り始めた。
体育祭のときより準備は簡単なはずなんだけど、何せ言い出した日から七夕までの期間が短い。これは俺が悪いんだけど……思いついたのが遅かったんだから、まあ仕方ない。
みんなの出入りが激しい玄関口に短冊と回収箱を設置して、短冊を書いてもらおうとしたんだけど、これはあんまり効果がなかった。
俺が毎日確認したけど、入っているのはほんの数枚。お菓子の包み紙なんかが混じっていることもあって、少しガッカリもした。
体育祭のアンケートみたいに生徒会から配布して書いてもらうことも出来たけど、願い事を無理に聞き出すことはしたくなかったから、そうはしなかった。
そうなると出来ることはやっぱり足で稼ぐことだけで。
「こんにちはー! あ、先輩たち、何か願い事とかありません? 購買部にこんなのあったらいいなーとか、なんでもいいんです」
短冊と回収箱を抱えて、俺は学校中を駆け回った。ちょっとでも目立つ方がいいかなーというのと、一応姫発案になるので姫活としてスカートを履いた。
……正直、嫌なんだけどスカートにも慣れてきた自分がいる。
恥ずかしいけど、やっぱり一人だけスカートだと目立つし、興味本位で近付いてくるやつもいるし、こういう時は役に立つ。
「あ、先生。短冊書いてくださいよ。今年は生徒だけじゃなくて教職員全員参加ですから!」
教室、部室、食堂や職員室まで色々回って、集めたカラフルな短冊を笹へ飾り付けていく。
枚数は数えていられないから、全員分集まったかは分からない。それでもたくさんの人の願いが集まって、出来上がった笹は壮観だった。
やっぱりみんな、色んな願いや想いをもって学校生活を送っているんだな。
七夕当日は笹の前で足を止める生徒も多かった。吊り下げられた短冊を見て、今まで気付いていなかった自分の願いに気付くこともあるのかもしれない。
笹の下に何も書いていない短冊を置いておくと、放課後には更に沢山の願い事が笹に飾り付けられていた。
氷室先輩に子供かと揶揄された七夕だけど、結果は大成功だ。
「これだけみんなの願い事が詰まった笹、片付けるのがもったいないですね」
笹の前でそう呟くと、隣で笹を見上げていた高嶺先輩も「そうだね」と言った。
「でも姫、俺たちの七夕はまだ終わらないよ」
「え?」
「願いを書いてもらうことが目的じゃない。どんな願いを持っているか知ることが目的だったでしょ?」
ああ、そうか。
「全部は織姫と彦星は叶えられないだろうから、俺たちで叶えられる分は努力しないと。みんなのために生徒会はある。姫もね」
「……はい!」
前しか見えていない俺は、すぐに忘れそうになる。なんのために七夕をやろうって言い出したのかを。
みんなのため。そうだった。みんなの願いを知って、学校生活をより楽しくするためだ。
高嶺先輩は忙しくても、七夕が成功して嬉しくてもそれを忘れない。
「高嶺先輩って、本当に生徒会長って感じ」
「そりゃ……生徒会長だし?」
「そうですけど、それだけじゃなくて。なんだろ……。人の上に立つ人、みたいな?」
俺はそんな人にはなれない。だから俺にとっては誉め言葉だった。
でも高嶺先輩は複雑そうな顔をする。
「ああ……。そういう風になりなさいって教育されてきたから」
「厳しいご両親だったんですね」
先輩は何も言わない。でも少し曇った顔を見れば、言葉がなくても分かる。いつも穏やかな高嶺先輩のこんな顔、見たことがなかった。
「願い事のチェックは明日からにして、今日は帰ろうか。また忙しくなるよ」
そう言った先輩はいつも通り笑顔だったけど、流石の俺でもはぐらかされたことくらいは分かる。
でも、先輩のあんな曇った顔を見た後じゃ何も聞けないし、言えない。だから俺は、先輩の言葉に頷くことしかできなかった。
次の日、笹のあった場所にはもう何もなかった。昨日までのことが夢だったかのように、いつもの光景に戻っている。
どうやら笹は撤去されたらしい。でも高嶺先輩はみんなの願いを確認するって言っていたから、どこかに保管されているのかな?
あとで先輩に聞いてみようと考えていたとき、廊下の奥からボソボソと話し声が聞こえてくる。
盗み聞きをするつもりはなかったんだけど、思わず足が止まってしまう。だって、聞こえてきた話の内容が姫についてのことだったから。
「今年の七夕ってなんか去年と違ってたよな」
「ああ、姫が変えたらしいぜ」
「その噂マジだったの?」
「そうなんじゃね? だってスカート姿で短冊持って走り回ってたじゃん」
「体育祭の新競技とかも姫が作ったんだろ? ちょっと張り切り過ぎじゃないか? まあ、それなりに楽しめたけどさ」
張り切り過ぎの一言に、少し胸がざわついた。冷たく笑うような、嫌なニュアンスだった。
これ、俺が聞いていいものじゃないかもしれない。そう思っているのに足が地面に縫い付けられたように動かなかった。
「去年までの姫と全然違うよな。ちょっと調子に乗ってるっていうか」
「ってか去年までの姫って逆に何してたっけ?」
「さあ? でもスカート履いて一年の代表とか、うちの学校もよく分かんないよな」
「だよな。誰が得するんだよ、あんな制度」
言葉の一つ一つがチクチクと胸に刺さる。
別に、大したこと言われたわけじゃない。こんなの陰口になるのかすら怪しい。それに姫制度に疑問を持つことだって当たり前だ。姫に選ばれた俺ですら、まだ腑に落ちていないことだってある。
みんながみんな、俺に賛同するわけないのも分かってる。それでも俺には仲間がいたし、友達や高嶺先輩っていう相棒もいて。
それでいいじゃないか。
それに……ほら。それなりに楽しめたとは言ってくれてたし。楽しんでくれた部分もあるんだから、それでいい。
これくらいで傷付く必要なんてない。傷付くつもりもない。だってみんなの願いを少しでも叶えるってミッションが、まだ残ってる。
でも……。
俺、余計なことしてたのかな。
前を向かなくちゃいけないのに、自然と俯いてしまう。こんなことで挫けちゃ駄目なのに。落ち込んでいる暇なんて、ないのに。
「……それ以上は、やめてくれるかな」
高嶺先輩の声が聞こえて、俺はハッと顔を上げた。
姿は見えない。でも、いつもより少し低いけどその声は高嶺先輩に間違いなかった。
「姫制度について疑問を持つことも、意見を交わすことも悪いことだとは思わない。でも、何かを変えようとして動いた人に対して、調子に乗っているなんて言い方は聞いていて気持ちのいいものじゃないな」
「え、えっと……。生徒会長、俺たちそんなつもりじゃ……」
「分かってるよ、君たちに悪意がないことくらい。だからこそ、言葉には気を付けた方がいい。少なくとも、何も動いていない人間が動いた人間を揶揄する必要はないはずだ」
「はい……。すみませんでした」
「自分たちが知らないところで誰がどれだけ頑張っているか。少しだけ考えてから言葉にしよう」
……高嶺先輩、怒ってる。
俺がここで話を聞いていることを高嶺先輩は知らないはずだ。それなのに、高嶺先輩はすごく怒って注意してくれている。
聞いていないふりも出来たはずなのに。先輩は優しいから、誰かを怒ることなんて慣れていないはずなのに。
生徒会長の責任から?
そうだとしても、それでもいいと思った。
だって俺、あんなにしょぼくれていたのに、気付いたらちゃんと前を向けている。
少なくとも高嶺先輩は俺の頑張りをずっと見ていてくれた。認めていてくれた。俺が見ていないところでも、俺のことをちゃんと考えてくれているんだ。
先輩、ありがと。
口には出せないけど、心の中でそう伝える。
俺は高嶺先輩に気付かれないようにそっとその場を離れた。さっきまで地面に縫い付けられているみたいだった足も、なんだか軽くなっている。
みんなに認めてもらうなんてことは、きっと出来ない。でも、こうやって認めてくれている人もいるんだ。だから俺は、これからも頑張れる。
その日の放課後、俺はいつものように生徒会室へ駆け込んだ。
「遅くなりましたー!」
生徒会室には高嶺先輩と氷室先輩が先にいて、笹に飾られていた短冊を外してまとめているところだった。
「遅いです。あなたが発案者なんだから、きびきび働きなさい」
「はーい!」
「声がでかい。うるさい。黙って働きなさい」
氷室先輩はいつも容赦ない。でも、この数か月近くにいて分かったことがある。氷室先輩はこれが素で、誰に対しても態度を変えない。だから俺を嫌ってこういうことを言っているんじゃない。
多分、誰にでも分け隔てないから、高嶺先輩とも仲が良いのなって思う。
「姫、何かいいことあった?」
高嶺先輩に急にそう言われて、俺は少し返事に困る。
顔面から落ちたからって言っていたけど、大丈夫かな。医務室に預けてそのまま閉会式に行かなくちゃいけなかったら、詳しい容体は聞けていない。
「ちょっと様子を見に行こうかな」
会いに行ったらどんな顔をするだろう。いつも姫野くんはひまわりみたいな笑顔で俺を出迎えてくれる。高嶺先輩って嬉しそうに名前を呼んでくれる。
そんな想像をしただけで、疲れたはずの身体がなんだか軽くなったのを、俺は感じるのだった。
季節は少しずつ前に進んで、気付けば夏はもう目前。
「というわけで高嶺先輩! 七夕しましょうよ!」
生徒会室に入るやいなや、開口一番、俺はそう言った。
「また急だね」
「七夕って……子供ですか、あなたは」
うん、それぞれ反応は違うけど予想通り。氷室先輩が毒舌なのもいつものことだ。
「俺、体育祭の時に思ったんです。姫活って一年の居場所を作ることだけど、色んな気持ちを抱えてるのは一年だけじゃないって」
「それはまあ、そうだね」
「七夕って願い事を短冊に書くじゃないですか。だから、それでみんなが何を思っているのか分かるんじゃないかなって」
高嶺先輩と氷室先輩は顔を見合わせて、真面目な顔をしていた。
「……あなたにしては思ったよりまともな話ですね」
「うん。ちょっと俺もびっくりした」
ってなんか酷い言われようだ。
「俺はいつも真剣ですよ! 氷室先輩もそれで体育祭を楽しんだくせに」
ちなみに食堂の新メニュー試食権は氷室先輩のいるチームが獲得して、すでに新メニューを食べた後だったりする。熱々のトマトソースがかかったチキンステーキ、美味しそうだったから忘れもしないぞ。
「とにかく! 七夕でみんなの願いを聞きたいなって。生徒だけじゃなく、先生とか食堂のおばちゃんとか、購買部のおっちゃんとかも!」
「範囲、そこまで広げるんだ?」
「そりゃ白鷺学園の仲間だし」
俺の返事に高嶺先輩が笑う。おかしなことを言ったつもりはないんだけど。
「いや、笑ってごめんね。我らの姫が、一年だけじゃなく購買部のおじさんのことまで考え始めたのかと思うと」
「姫活の範囲を大幅に飛び越えています」
高嶺先輩はまだ笑ってるし、氷室先輩はちょっと呆れたような顔をしている。
……でもなんとなく分かる。なんだかんだ言いながらも、俺の案に賛成してくれてるって。
「律、七夕やるくらいの予算はあったよね?」
「ええ。短冊くらいでしょう、必要なもの。笹は毎年校内に飾っていますからね」
え、それは初耳かも。
「白鷺で毎年、七夕やってるんだ?」
「やってるって言っても、飾りくらいだよ。短冊を書くのはごく一部の生徒くらい」
「今年はそのごく一部を全校生徒、及び教職員まで広げるだけです」
「まあ広げるだけって言ってもそれが大変なんだけど。何百って人数になるからね」
それでも借り人競争みたいに一から作り上げるよりは、やりやすいはずだ。
「発案者だし、俺も頑張ります!」
それから先生たちに許可を取って、俺たちはまた走り回り始めた。
体育祭のときより準備は簡単なはずなんだけど、何せ言い出した日から七夕までの期間が短い。これは俺が悪いんだけど……思いついたのが遅かったんだから、まあ仕方ない。
みんなの出入りが激しい玄関口に短冊と回収箱を設置して、短冊を書いてもらおうとしたんだけど、これはあんまり効果がなかった。
俺が毎日確認したけど、入っているのはほんの数枚。お菓子の包み紙なんかが混じっていることもあって、少しガッカリもした。
体育祭のアンケートみたいに生徒会から配布して書いてもらうことも出来たけど、願い事を無理に聞き出すことはしたくなかったから、そうはしなかった。
そうなると出来ることはやっぱり足で稼ぐことだけで。
「こんにちはー! あ、先輩たち、何か願い事とかありません? 購買部にこんなのあったらいいなーとか、なんでもいいんです」
短冊と回収箱を抱えて、俺は学校中を駆け回った。ちょっとでも目立つ方がいいかなーというのと、一応姫発案になるので姫活としてスカートを履いた。
……正直、嫌なんだけどスカートにも慣れてきた自分がいる。
恥ずかしいけど、やっぱり一人だけスカートだと目立つし、興味本位で近付いてくるやつもいるし、こういう時は役に立つ。
「あ、先生。短冊書いてくださいよ。今年は生徒だけじゃなくて教職員全員参加ですから!」
教室、部室、食堂や職員室まで色々回って、集めたカラフルな短冊を笹へ飾り付けていく。
枚数は数えていられないから、全員分集まったかは分からない。それでもたくさんの人の願いが集まって、出来上がった笹は壮観だった。
やっぱりみんな、色んな願いや想いをもって学校生活を送っているんだな。
七夕当日は笹の前で足を止める生徒も多かった。吊り下げられた短冊を見て、今まで気付いていなかった自分の願いに気付くこともあるのかもしれない。
笹の下に何も書いていない短冊を置いておくと、放課後には更に沢山の願い事が笹に飾り付けられていた。
氷室先輩に子供かと揶揄された七夕だけど、結果は大成功だ。
「これだけみんなの願い事が詰まった笹、片付けるのがもったいないですね」
笹の前でそう呟くと、隣で笹を見上げていた高嶺先輩も「そうだね」と言った。
「でも姫、俺たちの七夕はまだ終わらないよ」
「え?」
「願いを書いてもらうことが目的じゃない。どんな願いを持っているか知ることが目的だったでしょ?」
ああ、そうか。
「全部は織姫と彦星は叶えられないだろうから、俺たちで叶えられる分は努力しないと。みんなのために生徒会はある。姫もね」
「……はい!」
前しか見えていない俺は、すぐに忘れそうになる。なんのために七夕をやろうって言い出したのかを。
みんなのため。そうだった。みんなの願いを知って、学校生活をより楽しくするためだ。
高嶺先輩は忙しくても、七夕が成功して嬉しくてもそれを忘れない。
「高嶺先輩って、本当に生徒会長って感じ」
「そりゃ……生徒会長だし?」
「そうですけど、それだけじゃなくて。なんだろ……。人の上に立つ人、みたいな?」
俺はそんな人にはなれない。だから俺にとっては誉め言葉だった。
でも高嶺先輩は複雑そうな顔をする。
「ああ……。そういう風になりなさいって教育されてきたから」
「厳しいご両親だったんですね」
先輩は何も言わない。でも少し曇った顔を見れば、言葉がなくても分かる。いつも穏やかな高嶺先輩のこんな顔、見たことがなかった。
「願い事のチェックは明日からにして、今日は帰ろうか。また忙しくなるよ」
そう言った先輩はいつも通り笑顔だったけど、流石の俺でもはぐらかされたことくらいは分かる。
でも、先輩のあんな曇った顔を見た後じゃ何も聞けないし、言えない。だから俺は、先輩の言葉に頷くことしかできなかった。
次の日、笹のあった場所にはもう何もなかった。昨日までのことが夢だったかのように、いつもの光景に戻っている。
どうやら笹は撤去されたらしい。でも高嶺先輩はみんなの願いを確認するって言っていたから、どこかに保管されているのかな?
あとで先輩に聞いてみようと考えていたとき、廊下の奥からボソボソと話し声が聞こえてくる。
盗み聞きをするつもりはなかったんだけど、思わず足が止まってしまう。だって、聞こえてきた話の内容が姫についてのことだったから。
「今年の七夕ってなんか去年と違ってたよな」
「ああ、姫が変えたらしいぜ」
「その噂マジだったの?」
「そうなんじゃね? だってスカート姿で短冊持って走り回ってたじゃん」
「体育祭の新競技とかも姫が作ったんだろ? ちょっと張り切り過ぎじゃないか? まあ、それなりに楽しめたけどさ」
張り切り過ぎの一言に、少し胸がざわついた。冷たく笑うような、嫌なニュアンスだった。
これ、俺が聞いていいものじゃないかもしれない。そう思っているのに足が地面に縫い付けられたように動かなかった。
「去年までの姫と全然違うよな。ちょっと調子に乗ってるっていうか」
「ってか去年までの姫って逆に何してたっけ?」
「さあ? でもスカート履いて一年の代表とか、うちの学校もよく分かんないよな」
「だよな。誰が得するんだよ、あんな制度」
言葉の一つ一つがチクチクと胸に刺さる。
別に、大したこと言われたわけじゃない。こんなの陰口になるのかすら怪しい。それに姫制度に疑問を持つことだって当たり前だ。姫に選ばれた俺ですら、まだ腑に落ちていないことだってある。
みんながみんな、俺に賛同するわけないのも分かってる。それでも俺には仲間がいたし、友達や高嶺先輩っていう相棒もいて。
それでいいじゃないか。
それに……ほら。それなりに楽しめたとは言ってくれてたし。楽しんでくれた部分もあるんだから、それでいい。
これくらいで傷付く必要なんてない。傷付くつもりもない。だってみんなの願いを少しでも叶えるってミッションが、まだ残ってる。
でも……。
俺、余計なことしてたのかな。
前を向かなくちゃいけないのに、自然と俯いてしまう。こんなことで挫けちゃ駄目なのに。落ち込んでいる暇なんて、ないのに。
「……それ以上は、やめてくれるかな」
高嶺先輩の声が聞こえて、俺はハッと顔を上げた。
姿は見えない。でも、いつもより少し低いけどその声は高嶺先輩に間違いなかった。
「姫制度について疑問を持つことも、意見を交わすことも悪いことだとは思わない。でも、何かを変えようとして動いた人に対して、調子に乗っているなんて言い方は聞いていて気持ちのいいものじゃないな」
「え、えっと……。生徒会長、俺たちそんなつもりじゃ……」
「分かってるよ、君たちに悪意がないことくらい。だからこそ、言葉には気を付けた方がいい。少なくとも、何も動いていない人間が動いた人間を揶揄する必要はないはずだ」
「はい……。すみませんでした」
「自分たちが知らないところで誰がどれだけ頑張っているか。少しだけ考えてから言葉にしよう」
……高嶺先輩、怒ってる。
俺がここで話を聞いていることを高嶺先輩は知らないはずだ。それなのに、高嶺先輩はすごく怒って注意してくれている。
聞いていないふりも出来たはずなのに。先輩は優しいから、誰かを怒ることなんて慣れていないはずなのに。
生徒会長の責任から?
そうだとしても、それでもいいと思った。
だって俺、あんなにしょぼくれていたのに、気付いたらちゃんと前を向けている。
少なくとも高嶺先輩は俺の頑張りをずっと見ていてくれた。認めていてくれた。俺が見ていないところでも、俺のことをちゃんと考えてくれているんだ。
先輩、ありがと。
口には出せないけど、心の中でそう伝える。
俺は高嶺先輩に気付かれないようにそっとその場を離れた。さっきまで地面に縫い付けられているみたいだった足も、なんだか軽くなっている。
みんなに認めてもらうなんてことは、きっと出来ない。でも、こうやって認めてくれている人もいるんだ。だから俺は、これからも頑張れる。
その日の放課後、俺はいつものように生徒会室へ駆け込んだ。
「遅くなりましたー!」
生徒会室には高嶺先輩と氷室先輩が先にいて、笹に飾られていた短冊を外してまとめているところだった。
「遅いです。あなたが発案者なんだから、きびきび働きなさい」
「はーい!」
「声がでかい。うるさい。黙って働きなさい」
氷室先輩はいつも容赦ない。でも、この数か月近くにいて分かったことがある。氷室先輩はこれが素で、誰に対しても態度を変えない。だから俺を嫌ってこういうことを言っているんじゃない。
多分、誰にでも分け隔てないから、高嶺先輩とも仲が良いのなって思う。
「姫、何かいいことあった?」
高嶺先輩に急にそう言われて、俺は少し返事に困る。
