次の日、授業が終わると俺は一目散に職員室へ走った。目当ての先生はまだ職員室に戻っていなかったので、俺は廊下で待ち伏せをする。寝不足なこともあり、しばらくぼうっと待ちぼうけていたら、廊下の向こうからのらりくらりと歩く、目当ての姿を見つけた。
「柏木先生!」
俺は声を張り上げ先生の名前を呼んだ。びっくりしてそばにいた他の先生たちが思わず俺を振り返ったけど、柏木先生は俺が来るのを分かっていたみたいに平然としていた。
「柏木先生と話がしたいんです」
先生は持っていた日誌の角で頭を掻くと、いつもの調子でこう言った。
「職員室、生徒会室、準備室。どこがいい」
職員室は他の先生の目が気になるし、今の俺には生徒会室に居場所がない。
「準備室……」
呟くようにそう言うと、柏木先生は踵を翻し、そのまま歩いていく。ついて来いとその背は語っている。俺は黙って先生の背を追いかけた。
柏木先生の担当する国語科の準備室は、校舎の外れにあった。扉を開けた瞬間、少しかび臭かったのであまり使われていないのかと思ったけど、中は意外と綺麗だった。かび臭い原因は部屋にある古い本のせいだろう。変色して黄色くなっている本は、なんだか歴史を感じさせる。
「ほれ、聞いてやるから手短にな」
パイプ椅子を渡されて、俺は先生と向き合うように座る。考えてみれば、柏木先生と二人きりになるのは、初めてのことだ。
「姫制度のこと、教えてください」
単刀直入に俺はそう言う。
「制度にまつわる記録はないって高嶺から言われたんじゃないか」
「確かに先輩はそう言ったし、記録には残っていないかもしれない。でも、記録にないから何も知らないってわけじゃないですよね」
「んでお前は、俺なら何か知ってると思ったのか。でもなんで俺なんだ?」
「柏木先生は教師になってから十六年間、ずっと白鷺学園にいる。しかも白鷺学園の卒業生だ」
「調べたのか」
「はい。だから先生は二十年近く、姫制度を見てきた当事者のはずです。記録に残してなくても、柏木先生自体が記録になっている」
「お前ひとりでここまでたどり着くとは思わなかったな」
ポーカーフェイスな柏木先生はなかなか感情を読ませてくれない。だけど、今の先生の気持ちなら俺にもちょっと分かる。先生は少し困っているみたいだった。
「ひとりじゃないです」
「そうなのか?」
「今は奏真先輩を頼りにできないですけど、俺には頼りになる友達がいますから。柏木先生は俺を孤軍だって言ったけど、俺はひとりじゃないです」
河合や内藤が助けてくれて、俺が困っていたら助けてくれる奴がまだまだいると思う。過去の姫たちがどうであれ、俺は姫活を通じて色んな人と出会うことが出来たから。
「……過去の姫とお前は一体何が違うんだろうな」
「え?」
「独り言だ。まっ、質問には答えてやるぞ。それが教師の仕事だからな」
それはやっぱり、柏木先生は姫制度のことを知っているということなのか。
「……姫制度って結局、何なんですか」
「知らん」
俺は椅子からこけそうになった。
あんだけ知っていそうな雰囲気出しておいて、知らんのかい。
「知るわけないだろ、そんなこと。俺が白鷺の生徒だった頃にはすでにあったし」
「でも、一年の居場所を作るって名目はあるんですよね」
「姫って名前が付けられる前の名残だな」
「新入生のために動く、新入生の代表」
「そう。姫の元祖は白鷺に元々あったその制度だと言われている。俺が学生だった頃にはすでに姫って呼ばれていたから、骨組みが作られたのは更に昔の話だ」
「その時は問題が起きなかったのかな」
「さあな。でも起きなかったからこそ名前を変えて今も残ってるんじゃないか」
「でも……姫って名前になってからは、問題がありましたよね」
それまで流暢に話をしていた柏木先生が口を閉ざす。その反応、問題がありましたって認めているようなもんじゃないか。
「差出人不明のあの手紙。あそこに書いていたことは事実ですか? 姫制度が原因で孤立して、転校したって……」
柏木先生はなかなか話そうとはしない。だけど根負けしたのか、溜め息をつくとボソボソと話し始めた。
「……事実だ。六年、いや五年前だったか? それくらい前に転校した姫がいる」
喉の奥がぎゅっと閉まる。手紙に書かれていることは嘘なんじゃないかって、どこかで思いたかった。
「なんというか、今時珍しい純粋そうな奴だった。ちょっとだけお前の友達の……河合? に似ているかもしれない。自己主張するのが苦手そうで、姫のことも断りたくても断れない、そんな感じだった」
「その人にも、バディがついていたんですよね」
「ああ。当時の生徒会長だ」
「バディがいるのに、なんで姫が孤立するんですか」
「相性が悪かったと言えば簡単か」
「簡単に言いすぎです」
「でも事実そうだから仕方がない。お前だって高嶺がバディじゃなく、氷室がバディだったらどうだ。今よりやりにくかったと思わないか」
ぐうの音も出ない。柏木先生の言うとおりだ。
「それでもお前なら物怖じせずやっていけただろうが、そうじゃない奴もいた」
「でも、孤立するなんて…」
当時のバディは手を差し伸べなかったんだろうか。
俺は奏真先輩しか知らない。奏真先輩なら、俺が孤立してしまったら真っ先に助けてくれるはずだ。仮に奏真先輩が孤立してしまったら、俺も助ける。だってそれが相棒だろ。
「……俺は姫制度をずっと遠巻きから見ていたが、姫には二つのタイプがいると思っている」
まず一つ、と柏木先生は人差し指を立てた。
「まずは上級生から愛玩される姫。男子校においてアイドル扱いされるタイプだな。言い方は悪いが、女の子の代替品だ。未成熟な新入生にスカートを履かせるなんて、まさにそうだろ」
「すんげぇ露骨で嫌な気持ちになりました」
「でも姫なんてもんに名前を変えたのは、それが要因だろ。思春期に男だけの空間に身を置いたら、異性が恋しくなっても仕方ない。合法的に愛でられるのが、姫ってわけだ」
「本人が嫌がったら合法じゃないでしょ」
「その場合は生贄だな。新入生から一人、生贄を選ぶ」
「……ますます最低な気分になりました。んで、もう一つのタイプは?」
「こっちの方が俺には最悪だな。……嘲笑してもいいと思われる姫だ」
「……は?」
嘲笑ってそんなの。
「それって虐めじゃないですか……」
頬が引き攣る。
「もちろん、嘲笑する連中は虐めようなんて思っちゃいないだろうさ。でも男子がスカートを履いていたら、笑うやつもいるだろ。揶揄するやつも出てくる。そのとき、姫がどんな反応を見せるかで今後の対応も変わってくるんじゃないか」
「どんな対応でも、虐めちゃ駄目だろ!」
「そりゃそうだ。そんなの見過ごすことは出来ない。でも、姫にちょっかいをかけて露骨に嫌な顔をされた。なら今後はスルーしよう。これは虐めになるか?」
「それは……」
難しい。
「出来るだけ姫に関わらないようにしよう。そんな奴が増えると姫はどうなる」
「まさか、それが孤立ってことですか」
柏木先生は頷いた。
「姫は一年生の居場所を作るのが目的なんて、ほとんどの連中は知っちゃいない。在校生のお遊び、息抜きのための玩具みたいなもんだと思われてるのが実情だろうな」
「……そんなの、酷いですよ」
俺は一年のために、みんなのためにと思って姫として動いてきたけれど、何も知らない人からすれば、ただの玩具だったのか。
体育祭も七夕も文化祭も、そりゃ今年の姫はなに張り切ってるんだって言われるはずだ。
「一年の居場所を作るなんてただの名目で、姫の本来の役割に気付いた歴代の姫たちは、そりゃ絶望するだろうな。男連中に愛想を振りまくか、スルーして孤立するかしかないんだから」
俺は膝の上に置いた拳をギュッと握りしめる。現役の姫として、悲しくて悔しくて仕方がなかった。
「だから姫野。お前は姫の中でもかなり特殊なんだよ」
「俺が、ですか……」
「ああ。特殊個体過ぎだろ。普通の奴ならスカート履かされた時点で気付くのに、お前ときたら気付かないで一年のために走り回ってんだからな」
「俺、頭悪いから」
「結果的にそれがお前を助けたんだろ」
俺も柏木先生も、しばらく何も言えなかった。これが姫制度の実情だったなんて。
あまりに酷くて、悲しかった。
「……柏木先生。俺、やっぱりこのままじゃ姫制度を容認なんて出来ません」
俺は姫制度を嫌いじゃない。しんどいこともあったし、スカートはやっぱり抵抗感もあった。たくさんの人と繋がれて、姫をやって良かったと思っている。
でも、今後の姫はどうか分からない。
「いいんじゃないか。現役姫が廃止派でも」
柏木先生が軽くそう言う。
でも俺は、その言葉に首を縦に振らなかった。
「先生、俺は容認できないって言ったけど、姫制度を廃止したいわけじゃないです」
「……ほう」
「このままの姫制度じゃ、同じ過ちを繰り返してしまう。だから、制度を続けるなら変えていく必要があると思います」
「どうやって? お前に何が出来る?」
「それは……まだ分からないです。俺、考えることは苦手だから。でも、何もしないまま制度を続けることも、廃止にすることも出来ません。俺は姫をやったからこそ、この制度の良いところも悪いところも、知っているから」
「なるほどなぁ」
柏木先生は近くにあった机の上から、一冊のノートを取る。
「高嶺とお前が良いバディなわけだ」
「俺と先輩がですか?」
「ああ。お前ら今は仲違いしているが、考えていることは同じなんじゃないか」
それはどういう意味だろう。
「お前が姫として活動できた理由。よく考えてみろ。ただ姫制度を受け継ぐだけが目的なら、お前なんか初日にスカート履かせて放置して終わりだ」
「じゃあ奏真先輩は、自分の代で姫制度を改革しようって考えていたんですか……?」
「口にしちゃいないが、俺はそうだと思っている。……ほれ、これ貸してやるから高嶺と正面から話してみな」
柏木先生からノートを手渡される。薄っぺらい普通のノートなのに、なんだかやけに重い気がした。
「今までの姫の記録だ」
「……は? 先生、記録はないって」
「公式にはな。それは俺が個人で付けてきただけだ。歴代の姫の行動や顛末なんかをまとめてある。もちろん、お前と高嶺のも。お前の顛末はまだ空白だが……良いこと書かせてくれよ?」
俺は渡されたノートをめくる。姫の歴史だと思うと少し手が震えた。
「……先生。文字が汚過ぎて古文みたい」
「うるせぇ。お前が言っていた手紙に書かれていた姫は、もう少し先に進んだあたり……ああ、こいつだ。この名前の姫だ」
先生に指さされた名前を見たとき、俺は目を見開いた。
そういうことだったのか。だからあいつはいつも一人で、誰も信じようとしなかったのか。
俺はそうとも知らず、普通に声を掛けて……。そりゃ戸惑うよな。今までずっと、苦しかったはずだ。
「柏木先生、ありがとうございました。俺……奏真先輩ときちんと話してみます」
「おー、そうしろ。お前が生徒会室に来なくなってから、ぶっ倒れそうな顔してるからな、あいつ」
「えっ」
「大事な姫に去られちゃったんじゃ、しょうがないだろ」
「大事な姫って、俺ですか?」
「この学校には他に姫がいんのか?」
「……いないです」
でも大事な姫なんて人から言われると、流石にちょっと恥ずかしいというか、照れるというか。
俺が隣にいないことで先輩が浮かない顔をしていることに、不謹慎ながら少し喜んでいる自分がいる。なんだ、この気持ち。
「えと、色々ありがとうございました。俺、柏木先生のことちょっと見直しました」
「……お前、俺のことどんな教師だと思ってたんだ」
「それは、ちょっと内緒です」
やる気を微塵も感じさせないおっさんだと思っていたとは、とてもじゃないが口に出来ない。
俺は一礼してから準備室を出る。手には姫の歴史の詰まった大事なノート。
