ぴしゃりと水と打つように、奏真先輩は言った。この問題のことで悩んでいるのか、先輩もいつもより余裕がないようだった。
確かに姫に就任したとき、奏真先輩は姫の記録はあまり残っていないと言っていた。俺が歴代で一番活動している姫なんじゃないかとも言われた記憶がある。そういえば七夕のとき、偶然立ち聞きしてしまった会話の中でも、今までの姫は何をしていたのか分からないと言っていた。
それくらい今までの姫は活動していなかった。でももしかしたら、活動したくても出来なかったのかもしれない。だって居場所がなかったら動きようがないんだから。
そういえば……俺はここでようやくあることに気付いた。
「毎年新入生が姫に選ばれるなら、今この学校には先代と先々代の姫がいるんですよね」
どうしてこんな当たり前のことに今まで気付かなかったんだろう。
「俺、その人たちに話を聞いてみたいです」
同じ姫という立場だった人たちなら、過去の姫のことも何か知っているかもしれない。姫制度の問題や、当時に合った出来事なんかも聞けるだろう。
だけど奏真先輩も氷室先輩も苦い表情を浮かべる。
「止めた方がいいかな」
「どうしてですか」
「先代も先々代も、あなたみたいに楽観的な人間ではなかったからです」
「意味が分かりません」
「……つまり、姫に対して良い印象を持っていないんですよ」
なんとなくそんな気はしていた。
もし俺なら、新しい姫のことを先輩姫として気に掛ける。困っていたら助けるし、困っていなくても声を掛ける。だっていきなり姫なんて訳の分からないものに抜擢されて戸惑っているだろうし、そこに経験者がいれば、少しは気持ちも落ち着くはずだ。
でも俺が姫になっても気にかけてくれるのはバディである奏真先輩だけだった。もちろん氷室先輩を含む生徒会の人や、色んな人の助けがあってここまでやってきたけれど、その中に姫経験者の姿はない。
先代たちにとっては、姫制度にまつわるものに触れたくないほど、嫌な思い出なんだろうか。
「姫制度って、いったい何なんですか……」
自分は姫なのに、結局姫制度のことを何も知らない。ただがむしゃらに自分なりにやっていただけで、過去に何があったか、どんな思いを代々の姫がしてきたかなんて、知らなかったし考えもしなかった。
室内に重い沈黙が垂れ込める。誰も口を開こうとはしなかった。ただ黙って時間が過ぎるのを待つだけだった。
こうしていても何も変わらない。でも何をしていいか、考えることの苦手な俺にはさっぱり分からなかった。
そんな時だった。
いつもと同じように……いや、少しいつもよりも厳しい顔をした柏木先生が生徒会室に入ってくる。
「どうでしたか?」
奏真先輩がそう尋ねると、柏木先生は首を横に振る。
「どこもざわついてるなぁ。保護者会の代表からは早速連絡が来たぞ。姫制度なんて即刻廃止するべきだってな」
心臓が一度、大きく跳ねた。廃止と言う言葉が胸に突き刺さる。
「教職員の方の意見は?」
「賛否が分かれている。生徒の自主性に任せるべきだという意見もあるが、保護者の意見を完全に無視は出来ないからな。まあ、様子見ってとこだ」
奏真先輩は今まで聞いたことのないような深い溜め息を吐いた。
「生徒会側の意見はどうなんだ?」
「我々は当然、姫制度を守る立場ですよ。代々受け継いできたものを、そう簡単に廃止になんて出来ません」
「まっ、そうなるわなぁ」
柏木先生はまいったまいったと口にしながら頭を掻いた。保護者会と生徒会が全面衝突するのは避けられそうになく、教職員は板挟みの立場になる。生徒会顧問の柏木先生にとって胃の痛い状況だろう。
だけど俺はそんなことよりも、奏真先輩の言葉が引っかかっていた。
姫制度を守る立場という我々の中には、誰がいるんだろう。奏真先輩とその右腕である氷室先輩。生徒会役員はみんな奏真先輩の意見に従うはずだ。
だけど、俺は……。
「俺は……今のままの姫制度を維持するには、反対です」
喉の奥から絞り出すような声で、俺は言った。現役の姫である俺が姫制度を否定するようなことを口にするのは、いくら俺でもかなりの勇気がいる行為だった。
奏真先輩が俺の言葉にゆっくり振り返る。まるで信じられないと言ったように、瞳の奥が揺れていた。
「どうして……?」
戸惑いを隠せない奏真先輩の声に、胸が締め付けられる。
「過去に姫制度が原因で転校した生徒がいるかもしれない。先代、先々代は姫制度に対して決して良くない感情を抱いている。……それで理由になりませんか」
「でも、今の姫は。琉生自身は姫制度をどう思っているの? そんなに嫌だった? 辛かった? こんな制度、無くなればいいって思ってた?」
「そんなわけ、ないじゃないですか」
最初は姫制度なんてものが男子校にあることに違和感があった。周りから姫って呼ばれることも、スカートを履くことにも抵抗があった。なんで俺が姫なんだよって思ったこともある。
でも姫のお陰で出来た思い出もあった。辛い思いでよりも、楽しい思い出のほうが沢山ある。
「でもそれは俺が姫制度に合っていただけで、嫌な思いをした人が沢山いたなら、それは駄目だと思うんです。俺だけいいんじゃ駄目なんだ。みんなが良いって思える制度じゃないと」
「悪いけど俺はその意見を容認できない」
「奏真先輩……」
「俺はずっと生徒会に所属しているから、前の会長がどれだけ苦悩して姫制度を維持してきたか知っている。簡単そうに見えて、みんな悩みながらこの伝統を受け継いできたんだ。それを簡単に否定することはできない」
「でも」
「琉生には琉生の考えがあるように、俺には俺の考えがあるんだ」
奏真先輩は真っすぐに俺を見据える。先輩とは今まで何度も正面から話をしてきた。でも、いつも向いている方向は同じだった。明確に道が分かれたのは、今回が初めてだ。
「ここに来て意見が割れるとはなぁ。氷室はどうすんだ」
「……私は副会長です。会長を支えてサポートするのが役割なので」
「そうなると姫野、お前は孤軍だぞ。それでも自分の意見を曲げないつもりか?」
「……はい」
間違っていることは言っていない。そして、奏真先輩の言うことも間違っているとは思わない。
「俺は俺なりに、姫制度の今後をキチンと考えたいです。一人の姫として」
誰も何も言わなかった。言えなかったんだと思う。
だって奏真先輩と氷室先輩とは、今は仲間と呼べない関係になってしまったから。
失礼しますと頭を下げて、俺は生徒会室を出た。
姫制度を否定することはしたくない。俺自身、姫制度のお陰で得たものが沢山ある。だからこそ、辛い思いをする姫を今後出したくなくて、今のままの姫制度を支持出来なかった。
奏真先輩を今回は頼れない。俺が考えて、動かないといけない。正直、不安だ。俺なんかに何が出来るだろう。
「まずは……やっぱり過去の姫について知りたいな」
あの手紙の内容が本当にあったことなのか、正直まだ半信半疑だ。
とにかく動こう。立ち止まると、一人きりの不安に押しつぶされそうだから。
俺は不安を振り切るように駆け出した。
「姫野くん、今日も図書室に行くの?」
ある日の放課後、河合が心配そうに声を掛けてきた。
「最近遅くまで図書室にいるよね。その、疲れた顔をしているから気になって」
「図書室とかガラじゃねーもんな、お前」
「うっせー。ガラじゃなくて悪かったな」
「でも本当に顔色が悪いよ。僕でよければ手伝うよ?」
河合は憎まれ口を叩く内藤と違って本当にいい奴だな。
「気持ちだけもらっとく。河合は部活あるだろ」
引っ込み思案な河合が毎日部活に勤しんでいるということは、それだけ楽しいんだろう。その邪魔はしたくない。
「無理はしないでね」
河合の言葉に小さく笑って返事をする。うまく笑えているか分からなかったけど、心配はかけたくなかった。
「……しゃあねぇなぁ。そんなに言うなら俺が手伝ってやらんこともない」
「いや、俺は何も言ってないけど」
「一個貸しだからな」
話を聞いてないな、こいつ。
でも、悪態をつきながらでも内藤なりに心配してくれているんだろうな。素直に言わないだけで、俺にはちゃんと伝わってくる。
柏木先生は俺を孤軍だって言ったけど、それは違う。生徒会のメンバーじゃないけど、俺には気にかけてくれる仲間がいる。
俺は内藤を連れて図書室へ向かう。
「んで、調べ物はなんだよ」
「白鷺学園の歴史とか」
「なんでまたそんなもん調べてるんだ?」
「んー、姫制度についてちょっと気になって」
「会長に聞けばいいんじゃねぇの?」
俺は一瞬言葉に詰まる。あれだけいつも一緒にいたのに、今は対立しているなんて言えなかった。
「先輩に聞いても、細かいことはあまり分からなかったから」
内藤は納得したのか、それ以上深く追求はしてこなかった。
図書室は受験を目前に控えた三年たちで溢れていた。俺と内藤は邪魔にならないよう、部屋の隅で白鷺学園にまつわる本を探る。
正直、何日もこうやって色んな資料を漁っているけど、姫の字ひとつ出てこない。
こうやって図書室で姫制度のことを調べることが正しいのかも俺には分からなかった。
それでも何かやるしかない。行動することでしか俺は前に進めないから。
何時間、内藤と一緒に本を睨んでいただろう。図書室内も閑散とし始めた頃、内藤は目を通していた本を閉じ、机の上に突っ伏した。
「駄目だ。これ、なんか意味あるんか?」
なんの収穫もないことに疲労だけがひたすら溜まる。
「そもそも姫制度なんて生徒側がやり始めた制度だろ。学校側が記録を残しておくか?」
内藤の言葉に心が折れる。俺も本を閉じると、同じように机の上にうなだれた。
「マジで生徒会側に記録とかないの?」
「……ないんだって」
「でも姫制度って昔からやってんだろ? 何もないってのもおかしい話だろ」
「それは多分……」
口に出しかけて、やっぱり言えないと口を閉じる。
姫制度の記録を残していないのは、恐らく歴代の姫たちがそれを望まなかったからだ。自分が姫であったことを知られたくない。形として残したくない。そんな姫が多かった。だから伝統と言いつつも口頭で引き継ぐだけで、何も残していないんだ。
「本当になにも記録がないなら、姫を知っている人に直接聞くしかなくね?」
「それは俺も考えたけどさ」
この学校にまだいるはずの先代、先々代はきっとそれを拒否する。奏真先輩と氷室先輩が俺をやんわり止めたことを考えると、拒否なんて優しいもんじゃないかもしれない。姫の記憶を思い出すことを拒絶しているんだ。
「歴代の姫に話を聞かなくても、姫を知っている人から聞けばいいだろ。先生たちなら白鷺に長くいるだろうし、何か知っている人もいるんじゃねぇの?」
目から鱗とはこのことだった。
「内藤、お前頭良いな」
「いや、こんなの誰でも思いつくだろ。お前以外なら」
辛辣。でもその通りだったから言い返せない。
「教職員の名簿とかないのか?」
「それっぽいのならさっき見た!」
たくさん教職員の名前の載った図録を手に取り、勢いよくめくる。
「数学の爺様とか、長いこと白鷺にいるんじゃね?」
「……いや、そうでもなさそう。数年前に赴任したみたい」
「あー、歳とってりゃ長いってわけじゃないのか」
俺と内藤は一つの図録を覗き込みながら、一人ひとり先生の名前を追っていく。そこでひと際勤務歴の長い先生の名前を見つけた時、俺と内藤はその意外な人物の名前に、お互いの顔を見合わせた。
「おいおい、この名前って……」
「……うん。絶対何か知っているはずなのに、なんで今まで話してくれなかったんだろ」
もう遅い時間だからと、俺と内藤は図書室を出ると寮に帰る。その道のり、俺と内藤の口数はいつもより少なかった。
明日、授業が終わったらすぐに話を聞きに行こう。先生なら絶対何か知っている。何も知らないなんて、そんな嘘は俺には通用しない。
その日は寝る時間になっても珍しく、俺の目は冴えたままだった。
確かに姫に就任したとき、奏真先輩は姫の記録はあまり残っていないと言っていた。俺が歴代で一番活動している姫なんじゃないかとも言われた記憶がある。そういえば七夕のとき、偶然立ち聞きしてしまった会話の中でも、今までの姫は何をしていたのか分からないと言っていた。
それくらい今までの姫は活動していなかった。でももしかしたら、活動したくても出来なかったのかもしれない。だって居場所がなかったら動きようがないんだから。
そういえば……俺はここでようやくあることに気付いた。
「毎年新入生が姫に選ばれるなら、今この学校には先代と先々代の姫がいるんですよね」
どうしてこんな当たり前のことに今まで気付かなかったんだろう。
「俺、その人たちに話を聞いてみたいです」
同じ姫という立場だった人たちなら、過去の姫のことも何か知っているかもしれない。姫制度の問題や、当時に合った出来事なんかも聞けるだろう。
だけど奏真先輩も氷室先輩も苦い表情を浮かべる。
「止めた方がいいかな」
「どうしてですか」
「先代も先々代も、あなたみたいに楽観的な人間ではなかったからです」
「意味が分かりません」
「……つまり、姫に対して良い印象を持っていないんですよ」
なんとなくそんな気はしていた。
もし俺なら、新しい姫のことを先輩姫として気に掛ける。困っていたら助けるし、困っていなくても声を掛ける。だっていきなり姫なんて訳の分からないものに抜擢されて戸惑っているだろうし、そこに経験者がいれば、少しは気持ちも落ち着くはずだ。
でも俺が姫になっても気にかけてくれるのはバディである奏真先輩だけだった。もちろん氷室先輩を含む生徒会の人や、色んな人の助けがあってここまでやってきたけれど、その中に姫経験者の姿はない。
先代たちにとっては、姫制度にまつわるものに触れたくないほど、嫌な思い出なんだろうか。
「姫制度って、いったい何なんですか……」
自分は姫なのに、結局姫制度のことを何も知らない。ただがむしゃらに自分なりにやっていただけで、過去に何があったか、どんな思いを代々の姫がしてきたかなんて、知らなかったし考えもしなかった。
室内に重い沈黙が垂れ込める。誰も口を開こうとはしなかった。ただ黙って時間が過ぎるのを待つだけだった。
こうしていても何も変わらない。でも何をしていいか、考えることの苦手な俺にはさっぱり分からなかった。
そんな時だった。
いつもと同じように……いや、少しいつもよりも厳しい顔をした柏木先生が生徒会室に入ってくる。
「どうでしたか?」
奏真先輩がそう尋ねると、柏木先生は首を横に振る。
「どこもざわついてるなぁ。保護者会の代表からは早速連絡が来たぞ。姫制度なんて即刻廃止するべきだってな」
心臓が一度、大きく跳ねた。廃止と言う言葉が胸に突き刺さる。
「教職員の方の意見は?」
「賛否が分かれている。生徒の自主性に任せるべきだという意見もあるが、保護者の意見を完全に無視は出来ないからな。まあ、様子見ってとこだ」
奏真先輩は今まで聞いたことのないような深い溜め息を吐いた。
「生徒会側の意見はどうなんだ?」
「我々は当然、姫制度を守る立場ですよ。代々受け継いできたものを、そう簡単に廃止になんて出来ません」
「まっ、そうなるわなぁ」
柏木先生はまいったまいったと口にしながら頭を掻いた。保護者会と生徒会が全面衝突するのは避けられそうになく、教職員は板挟みの立場になる。生徒会顧問の柏木先生にとって胃の痛い状況だろう。
だけど俺はそんなことよりも、奏真先輩の言葉が引っかかっていた。
姫制度を守る立場という我々の中には、誰がいるんだろう。奏真先輩とその右腕である氷室先輩。生徒会役員はみんな奏真先輩の意見に従うはずだ。
だけど、俺は……。
「俺は……今のままの姫制度を維持するには、反対です」
喉の奥から絞り出すような声で、俺は言った。現役の姫である俺が姫制度を否定するようなことを口にするのは、いくら俺でもかなりの勇気がいる行為だった。
奏真先輩が俺の言葉にゆっくり振り返る。まるで信じられないと言ったように、瞳の奥が揺れていた。
「どうして……?」
戸惑いを隠せない奏真先輩の声に、胸が締め付けられる。
「過去に姫制度が原因で転校した生徒がいるかもしれない。先代、先々代は姫制度に対して決して良くない感情を抱いている。……それで理由になりませんか」
「でも、今の姫は。琉生自身は姫制度をどう思っているの? そんなに嫌だった? 辛かった? こんな制度、無くなればいいって思ってた?」
「そんなわけ、ないじゃないですか」
最初は姫制度なんてものが男子校にあることに違和感があった。周りから姫って呼ばれることも、スカートを履くことにも抵抗があった。なんで俺が姫なんだよって思ったこともある。
でも姫のお陰で出来た思い出もあった。辛い思いでよりも、楽しい思い出のほうが沢山ある。
「でもそれは俺が姫制度に合っていただけで、嫌な思いをした人が沢山いたなら、それは駄目だと思うんです。俺だけいいんじゃ駄目なんだ。みんなが良いって思える制度じゃないと」
「悪いけど俺はその意見を容認できない」
「奏真先輩……」
「俺はずっと生徒会に所属しているから、前の会長がどれだけ苦悩して姫制度を維持してきたか知っている。簡単そうに見えて、みんな悩みながらこの伝統を受け継いできたんだ。それを簡単に否定することはできない」
「でも」
「琉生には琉生の考えがあるように、俺には俺の考えがあるんだ」
奏真先輩は真っすぐに俺を見据える。先輩とは今まで何度も正面から話をしてきた。でも、いつも向いている方向は同じだった。明確に道が分かれたのは、今回が初めてだ。
「ここに来て意見が割れるとはなぁ。氷室はどうすんだ」
「……私は副会長です。会長を支えてサポートするのが役割なので」
「そうなると姫野、お前は孤軍だぞ。それでも自分の意見を曲げないつもりか?」
「……はい」
間違っていることは言っていない。そして、奏真先輩の言うことも間違っているとは思わない。
「俺は俺なりに、姫制度の今後をキチンと考えたいです。一人の姫として」
誰も何も言わなかった。言えなかったんだと思う。
だって奏真先輩と氷室先輩とは、今は仲間と呼べない関係になってしまったから。
失礼しますと頭を下げて、俺は生徒会室を出た。
姫制度を否定することはしたくない。俺自身、姫制度のお陰で得たものが沢山ある。だからこそ、辛い思いをする姫を今後出したくなくて、今のままの姫制度を支持出来なかった。
奏真先輩を今回は頼れない。俺が考えて、動かないといけない。正直、不安だ。俺なんかに何が出来るだろう。
「まずは……やっぱり過去の姫について知りたいな」
あの手紙の内容が本当にあったことなのか、正直まだ半信半疑だ。
とにかく動こう。立ち止まると、一人きりの不安に押しつぶされそうだから。
俺は不安を振り切るように駆け出した。
「姫野くん、今日も図書室に行くの?」
ある日の放課後、河合が心配そうに声を掛けてきた。
「最近遅くまで図書室にいるよね。その、疲れた顔をしているから気になって」
「図書室とかガラじゃねーもんな、お前」
「うっせー。ガラじゃなくて悪かったな」
「でも本当に顔色が悪いよ。僕でよければ手伝うよ?」
河合は憎まれ口を叩く内藤と違って本当にいい奴だな。
「気持ちだけもらっとく。河合は部活あるだろ」
引っ込み思案な河合が毎日部活に勤しんでいるということは、それだけ楽しいんだろう。その邪魔はしたくない。
「無理はしないでね」
河合の言葉に小さく笑って返事をする。うまく笑えているか分からなかったけど、心配はかけたくなかった。
「……しゃあねぇなぁ。そんなに言うなら俺が手伝ってやらんこともない」
「いや、俺は何も言ってないけど」
「一個貸しだからな」
話を聞いてないな、こいつ。
でも、悪態をつきながらでも内藤なりに心配してくれているんだろうな。素直に言わないだけで、俺にはちゃんと伝わってくる。
柏木先生は俺を孤軍だって言ったけど、それは違う。生徒会のメンバーじゃないけど、俺には気にかけてくれる仲間がいる。
俺は内藤を連れて図書室へ向かう。
「んで、調べ物はなんだよ」
「白鷺学園の歴史とか」
「なんでまたそんなもん調べてるんだ?」
「んー、姫制度についてちょっと気になって」
「会長に聞けばいいんじゃねぇの?」
俺は一瞬言葉に詰まる。あれだけいつも一緒にいたのに、今は対立しているなんて言えなかった。
「先輩に聞いても、細かいことはあまり分からなかったから」
内藤は納得したのか、それ以上深く追求はしてこなかった。
図書室は受験を目前に控えた三年たちで溢れていた。俺と内藤は邪魔にならないよう、部屋の隅で白鷺学園にまつわる本を探る。
正直、何日もこうやって色んな資料を漁っているけど、姫の字ひとつ出てこない。
こうやって図書室で姫制度のことを調べることが正しいのかも俺には分からなかった。
それでも何かやるしかない。行動することでしか俺は前に進めないから。
何時間、内藤と一緒に本を睨んでいただろう。図書室内も閑散とし始めた頃、内藤は目を通していた本を閉じ、机の上に突っ伏した。
「駄目だ。これ、なんか意味あるんか?」
なんの収穫もないことに疲労だけがひたすら溜まる。
「そもそも姫制度なんて生徒側がやり始めた制度だろ。学校側が記録を残しておくか?」
内藤の言葉に心が折れる。俺も本を閉じると、同じように机の上にうなだれた。
「マジで生徒会側に記録とかないの?」
「……ないんだって」
「でも姫制度って昔からやってんだろ? 何もないってのもおかしい話だろ」
「それは多分……」
口に出しかけて、やっぱり言えないと口を閉じる。
姫制度の記録を残していないのは、恐らく歴代の姫たちがそれを望まなかったからだ。自分が姫であったことを知られたくない。形として残したくない。そんな姫が多かった。だから伝統と言いつつも口頭で引き継ぐだけで、何も残していないんだ。
「本当になにも記録がないなら、姫を知っている人に直接聞くしかなくね?」
「それは俺も考えたけどさ」
この学校にまだいるはずの先代、先々代はきっとそれを拒否する。奏真先輩と氷室先輩が俺をやんわり止めたことを考えると、拒否なんて優しいもんじゃないかもしれない。姫の記憶を思い出すことを拒絶しているんだ。
「歴代の姫に話を聞かなくても、姫を知っている人から聞けばいいだろ。先生たちなら白鷺に長くいるだろうし、何か知っている人もいるんじゃねぇの?」
目から鱗とはこのことだった。
「内藤、お前頭良いな」
「いや、こんなの誰でも思いつくだろ。お前以外なら」
辛辣。でもその通りだったから言い返せない。
「教職員の名簿とかないのか?」
「それっぽいのならさっき見た!」
たくさん教職員の名前の載った図録を手に取り、勢いよくめくる。
「数学の爺様とか、長いこと白鷺にいるんじゃね?」
「……いや、そうでもなさそう。数年前に赴任したみたい」
「あー、歳とってりゃ長いってわけじゃないのか」
俺と内藤は一つの図録を覗き込みながら、一人ひとり先生の名前を追っていく。そこでひと際勤務歴の長い先生の名前を見つけた時、俺と内藤はその意外な人物の名前に、お互いの顔を見合わせた。
「おいおい、この名前って……」
「……うん。絶対何か知っているはずなのに、なんで今まで話してくれなかったんだろ」
もう遅い時間だからと、俺と内藤は図書室を出ると寮に帰る。その道のり、俺と内藤の口数はいつもより少なかった。
明日、授業が終わったらすぐに話を聞きに行こう。先生なら絶対何か知っている。何も知らないなんて、そんな嘘は俺には通用しない。
その日は寝る時間になっても珍しく、俺の目は冴えたままだった。
