男子校の姫にされちゃったんですけど

「律、中庭まで姫を送ったら生徒会室に戻るから、それまで任せてもいい?」
「構いませんけど、横にいるのがゆでだこみたいになってますよ」
「可愛いでしょ」
 氷室先輩が呆れたように息を吐いた。
 うう、恥ずかしくてまともに氷室先輩の方を見られない。
 氷室先輩はそのまま生徒会室の方へ姿を消した。気付いたら内藤と河合の姿もない。先に中庭の方へ向かったんだろう。
「二人きりだね。みんな気を使ってくれたのかな」
「もう、何を言ってるんですか!」
「冗談だよ。でもゆっくり行こうか。ヒールだと大変だろうし、それに」
 先輩は俺の耳元に顔を近づけ、囁くように言った。
「もう少し琉生のドレス姿を独り占めしていたいから」
「……先輩、今日なんか変じゃないですか?」
「そう思うなら多分琉生のせい。そんな可愛い恰好してるから」
 心臓が一度大きく跳ねる。
 やっぱり、高嶺先輩がいつもと違う。
 神様、助けてください。俺の心臓が持ちそうにありません。
 その後、中庭に着いてから、高嶺先輩とはその場で別れた。高嶺先輩が名残惜しそうにしていたから、俺もなんだか先輩と離れることに後ろ髪を引かれる思いだったけれど、先輩には生徒会の仕事があるし、俺には姫として撮影会があるし、仕方がない。
 賑やかに色んな奴と写真を撮ったり、声を掛けられたりしているうちにあっという間に日が暮れ、気付けば俺の高校生活初めての文化祭は終わりを迎えていた。
「あー、疲れたー」
 ドレス姿から普段の自分へ戻った俺は、一度大きく伸びをする。ヒールを脱いでようやく地面に足を付けられてホッとした。コルセットも窮屈で息が止まりそうだったから、これで深呼吸ができる。
 世の女性陣は大変だな。普段からあんな靴を履いて、歩かなきゃいけないんだから。
 鏡に映る俺は、魔法が解けたみたいにしっかり男の姿になっている。
 いや、一時間もかけて変身したんだから、あれは正真正銘の魔法だ。別人になる経験は面白かったし、周りの反応を見るのも楽しかったけど、こんな経験はもういいかも。
 やっぱり俺は普段の自分がしっくりくる。この姿が姫野琉生なんだ。
 昼間の賑わいが嘘のように静まり返った校舎内を一人で歩く。今日の文化祭はほとんど見て周れなかった。もう文化祭は終わってしまったけど、ほんの少しだけ飾り付けられた教室を見て楽しむ。
 そうして生徒会室付近まで来たとき、俺は廊下で佇むある人の姿を見つけた。
「高嶺先輩?」
 声を掛けると先輩はゆっくりこちらを振り向く。
「もうドレスじゃないんだね」
「お姫様の魔法は文化祭が終わるまでだったんで」
「シンデレラみたいだ」
 高嶺先輩はそう言うと、廊下の窓から校庭を見下ろす。校庭では音楽を流しながらキャンプファイヤーを楽しんでいる生徒たちの姿で溢れていた。
「琉生は後夜祭に出ないの?」
「んー、ちょっと疲れたし、静かなところがいいなって。校舎内もあんまり見て周れなかったから」
「そう。俺も同じ。賑やかにしているのを見ているくらいが丁度いいんだよね」
 高嶺先輩は優しく見守るような目で校庭を見ていた。
「……高嶺先輩って、俺の下の名前知っていたんですね」
 いつもは俺のことを姫って呼ぶのに、今日初めて名前で呼ばれた。
「そりゃ自分のバディの名前くらい覚えているよ」
「なんか意外でした。先輩に名前で呼ばれるの」
「嫌だった?」
 驚きはしたけど嫌な気持ちはこれっぽっちもなかった。だから俺は首を横に振る。
「ならこれからも下の名前で呼んでもいい?
 その方がより相棒って感じがするでしょ?」
「ええと、高嶺先輩がそうしたいなら」
「じゃあそうする。ついでにさ、琉生も止めてみない? その高嶺先輩っていうの」
「え?」
「俺のことも、下の名前で呼んでよ。それとも俺の名前、覚えてないかな」
「そんなことないですよ。ちゃんと覚えてますって」
「本当? なら呼んでみて」
 高嶺先輩が期待に満ちた目でこちらを見てる。そんな子供みたいな目をされると、ちょっと恥ずかしいけど期待に応えないわけにはいかない。
「……奏真、先輩」
 いつもより声が小さくなった。でも先輩の耳にはしっかり届いていたようだ。先輩は嬉しそうに目を細めた。
「よくできました」
 小さな子供を褒めるように先輩はそう言う。でも本当に嬉しそうなほほ笑む先輩を見て、俺は何も言えなくなってしまう。
「俺の高校生活最後の文化祭も、これで終わりかぁ。充実してはいたけど、琉生と文化祭を見て周れなかったのは心残りかな」
 高嶺……奏真先輩は生徒会の仕事で走り回り、俺は姫の恰好でみんなに囲まれていた。一緒にいられたのは廊下から中庭に移るときだけだった。
「最後の文化祭……」
「うん、俺にとってはね。俺が三年なの、忘れちゃってた?」
「い、いや。忘れるわけないじゃないですか」
 そう。奏真先輩は三年なのは知っている。知っていたのに、俺はこれから先も先輩が俺のそばにいてくれるような気がしていた。
 これから先も先輩と一緒に学生生活を送るのを疑っていなかった。
 三年生である奏真先輩は、あと半年もすれば卒業してしまうのに。
 来年の体育祭も、文化祭も、隣にいて一緒に笑い合えると俺はどうして思っていたんだろう。
「卒業しても、遊びに来たらいいじゃないですか。奏真先輩ならみんな大歓迎ですよ」
「そうだね、来られたらいいな」
「……来られないんですか?」
「志望校が少し遠くて。飛行機の距離になるんだ。父の母校なんだけど、環境が良かったらしくて、俺もそこに進学しろって」
「飛行機……。じゃあ、あんまり会えなくなるんですね」
 ずっと隣にいてくれると思っていた先輩が、遠くに行ってしまう。その事実が俺の胸をざわつかせる。
 飛行機の距離なんて、あんまり会えないどころか、もう本当に会えなくなるじゃん。
 新しい環境で生活を始める先輩からは俺が薄れていって、先輩のいなくなった学校で過ごす俺からは、きっと先輩はなかなか薄れない。俺だけ先輩の影を探してしまう。
 寂しい。奏真先輩が卒業してしまうことに、初めてそう思う。卒業してほしくないなんて、無茶なことを言い出しそうになる。
 だから俺は、出来るだけ明るい声で言った。行ってほしくないなんて本音を隠すために。
「でも今はどこにいても連絡はすぐに取れるし! 先輩が俺のこと忘れないように頻繁にメッセージ入れますからね!」
「……忘れるわけないよ。忘れられるわけなんて、ない」
 そう呟いた先輩の顔は思い詰めたように真剣で、俺は先輩から目が離せなかった。
 奏真先輩はどうしてそんな顔をしているんだろう。先輩の真剣な目は何かを訴えているように見えるけれど、俺にはそれが何か分からない。
 分からないけど、その目を見ていると胸が苦しくなる。分からないことがもどかしかった。
 どのくらい見つめ合っていただろう。多分、時間にしてはほんの数秒だ。でもその数秒がものすごく長かった。
「卒業まで半年はあるし。今はまだ後夜祭を楽しもうよ。ここから二人きりで、ね」
「……はい」
 奏真先輩と並んで校庭のキャンプファイヤーをジッと見下ろす。
 俺も先輩も、あまり口は開かなかった。
 ただ隣にいるだけの、二人きりの静かな後夜祭。
 それでも俺は、この時間のことはずっと忘れないだろうなと思った。


 もう少し時間がゆっくり経てばいいのにと思っても、時間はそれを許してはくれない。冬は目前に迫り、だいぶ肌寒くなってきた。こうなってくるとスカート姿だと足元が冷えて仕方なくて、姫活も少しだけ億劫になる。
 と言っても、姫活の頻度もだいぶ少なくなった。一年生もすっかり学園生活に溶け込んいて俺の出番はなくなったし、三年生である奏真先輩は受験が控えている。
 白鷺学園の生徒会の任期は一年だ。だから奏真先輩は卒業まで生徒会長だけれど、勉強が忙しい三年生がまともに活動できるわけがない。だから文化祭が終わった辺りから、奏真先輩が次期生徒会長に推薦している二年の先輩に少しずつ仕事を振って、引き継ぐための準備をしていた。
 必然的に俺と奏真先輩が一緒に過ごす時間もだんだん減ってきて……仕方ないと理解していても、先輩が隣にいないことには慣れなかった。
 次の姫のためにと始めた姫活ノートだけが、奏真先輩と俺をなんとかつなぎとめている。
「失礼しまーす。奏真先輩ー?」
 生徒会室のドアを開けた俺は、一番最初にそう言った。大抵誰かしら返事をしてくれるんだけど、この日はそれがない。その代わりに机を挟んで神妙な顔をしている奏真先輩と氷室先輩の姿があった。氷室先輩はあまり生徒会室に顔を出さなくなってきたから、この光景はちょっと珍しい。
「どうかしたんですか?」
 奏真先輩は手に持っている用紙……手紙だろうか。それに目を走らせている。どんな内容か分からないけれど、良いものでないことは先輩の様子で伝わってきた。
「これは今の生徒会メンバーだけに任せられる問題じゃないな」
「……ですね。全く、受験対策もあるというのに迷惑な」
「律は勉強を優先してくれていいよ」
「そんなわけにはいかないでしょう。受験があるのは奏真も同じなんですから」
 二人から醸し出される空気が重い。声を掛けることも、その場から動くことも出来なかった俺に、奏真先輩は中に入ってくるように言った。
「俺、ここにいてお邪魔になりません……?」
 ノートを渡しに来ただけの俺は、このピリピリした空気には場違いだった。
 奏真先輩と氷室先輩は、何か言いたげに俺を見る。鋭利な刃物のように容赦ない氷室先輩が言いよどむのは初めてだ。
「あまり読ませたい内容じゃないけど、琉生も当事者だからね」
 奏真先輩から差し出された手紙を受け取る。コピー用紙に印刷された無機質な手紙の内容はこうだった。

 白鷺学園生徒会、教職員、保護者会の皆様。
 私には兄が一人います。兄は白鷺の元生徒であり、元姫です。
 兄は白鷺に入学するまで、高校生活を楽しみにしていました。でも入学早々、姫に抜擢されてから、そんな希望も打ち砕かれました。
 兄は姫になったことをきっかけに、周囲から孤立していきました。珍しいものを見るように遠巻きにされ、男なのに姫だと囃し立てられました。
 結局最後には学校に通うことすら辛くなり、転校することになりました。
 兄はあんなにも楽しみにしていた高校生活を姫制度に潰されたのです。
 だから私はもう二度とこんな悲劇を起こさないために、この制度をなくすために白鷺に入学しました。
 でも、いざ目の当たりにしたのは、楽しそうに姫として過ごす姫野琉生という存在と、そんな姫を慕う人たちの姿でした。
 今の姫のお陰で学校が楽しくなった、姫がいるだけで空気が明るくなる。そんな声がたくさん聞こえてきました。
 兄は姫制度で苦しみ、私は姫制度から姫を開放するためのこの学校に入学したのに、聞こえてくるのは笑い声ばかりです。
 私は今の、これからの姫ために、どうすればいいのか分かりません。

「なんだよ、これ……」
 手紙の内容に、俺は頭を殴られたような強い衝撃を受ける。
 姫制度のせいで孤立した? 辛くなって転校した? そんな生徒が過去にいたなんて、俺は一度も聞いたことがなかった。
「これと同じ手紙が職員室、校長、保護者会にも届いているようなんだ。今、柏木先生が確認している」
「一般生徒にはまだ知られていないですが、時間の問題でしょうね」
「これは一波乱ありそうだよ」
 奏真先輩と氷室先輩は厄介なことになったと頭を抱える。だけど俺が気になったのは、そんなことじゃなかった。
「先輩たちは過去にこんな姫がいたことを知っていたんですか」
 声が震える。自分でも声が強張っているのが分かった。知っていてこの制度を当たり前のように続けていると思いたくない。
「……噂程度には、ね」
「噂程度って、そんな無責任な」
「姫制度の記録はあまり残っていないって、琉生が姫になったときに話したよね」