男子校の姫にされちゃったんですけど

「先輩は休んでいてください。まだ風邪でしんどそうですよ」
「……俺が風邪ひいたって知っているの?」
 メッセージのやり取りでは一度もほのめかしていなかったのに。
「氷室先輩に教えてもらいました。だから一日早く帰ってきたんです」
「律が……?」
「高嶺先輩が風邪を引いているから、くだらない連絡は入れないようにって」
 姫野くんからメッセージが来なくなったのは、そういう理由だったのか。
 嫌われたわけでも忘れられたわけでもなかった。それどころか彼は、わざわざ一日早く寮に戻って俺の様子を見に来てくれている。
「大丈夫かなって心配だったんです。先輩、弱音を吐かないタイプに見えるから。ゆっくり休んでもらおうと思ってメッセージは控えたけど、やっぱり気になるし……」
「それでも早く戻ってきちゃって良かったの? ご家族だって姫とゆっくり過ごしたかったんじゃないかな……?」
「あ、それは大丈夫です。むしろうるさいし家が狭くなるから早く戻れって言われちゃいました」
 姫野くんは抱えていた紙袋をごそごそとまさぐる。
「お世話になってる先輩が風邪引いたって言ったら、親がこれ持っていけって。風邪薬はこれが良く効くんです」
 CMで見たことのある市販の風邪薬を手渡される。
「あとスポーツドリンクと、おでこに貼るシートでしょ。飲むタイプのゼリー……これはビタミンとエネルギー補給のやつがあります。んでこれは、みかんが沢山入ったゼリーと、桃の入ったゼリー」
「なんかゼリーばっかりだね」
「気付いたらそうなっちゃいました。もしかしてゼリー嫌いでした?」
「ううん、そんなことないよ。食欲がなかったから、食べやすくて助かる」
「食欲がないって……まさか、薬も飲んでいないんじゃないですか?」
「うん。寝てたらいいかなって」
「そんなんじゃ駄目ですよ! もう……今からゼリー食べて薬飲んでください」
 なんだか姫野くんが頼もしい。いつもと立場が逆転しているみたいで、少し新鮮だ。
「みかんと桃、どっちのゼリー食べます? おすすめはみかんです。みかんがどっさりなんですよ」
「……じゃあ、みかんにしようかな」
 そう言うと姫野くんはゼリーの蓋をわざわざ開けて、スプーンまで添えて手渡してくれる。スポーツドリンクをコップに移して、薬の用法まで確認してくれたり、すごく甲斐甲斐しい。
 そこまでしてくれなくても大丈夫なのに。でもそれを口にはしなかった。
 こうやって姫野くんが世話を焼いてくれることが、少しむず痒くて何より嬉しい。風邪を免罪符にして今日くらいは甘えてしまおう。
「何かして欲しいこととか、ありますか?」
「うーん……今は特にないよ」
「何かあったらすぐに言ってくださいね。あ、おでこに冷たいシート貼りますよ。ちょっとヒヤッとしますからね」
 前髪を持ち上げられて、冷却シートを貼られる。なんだが手つきがたどたどしい。必死で世話を焼いてくれているけど、慣れてはいないみたいだ。
 姫野くんがジッと俺を見つめる。真剣な目をしていると思いきや、目じりを下げて小さな笑顔を浮かべた。
 ……なんだろう?
「髪をセットしていない先輩って初めて見たかも。なんかちょっと幼くなって、俺と同級生みたいです」
「え? あ……」
 そういえば起きてから、髪に櫛も通していない。汗をかくのでシャツは取り替えたけど、パジャマ代わりのジャージは数日そのままだ。
 人前に……姫野くんに見せられる姿じゃなかったのを思い出して、急に恥ずかしくなってくる。
「……あんまり見ないでくれるかな」
「嫌です。貴重な先輩の姿だから、沢山見ます」
「恥ずかしいよ。情けない姿だし」
「俺だって恥ずかしいけど、姫活でスカート姿見せてるんですよ。だからこれでおあいこです。それに……情けなくないですよ。風邪なんて誰でも引くんですから。こういうときは誰かを頼って、ありがとうでいいんです」
 ……そんなものなのか。実家にいた頃は、風邪を引くと自己管理がなっていないと叱られたし、あまりにもだらしのない恰好だと部屋から出ることも許されなかった。
 だからこんな俺を見たら、姫野くんも幻滅するんじゃないかって恐怖だった。
 それなのに彼は、俺の予想を裏切りなんだか楽しそうに世話を焼いてくれている。
「いつも俺が先輩に頼りっきりだったから、ようやくお返しができて嬉しいんです。ってこれじゃ先輩が風邪引いたのを喜んでるみたいかも」
「そんなこと思わないよ。……ありがとう」
 姫野くんは屈託のない笑顔をこちらに向ける。
 俺はこの笑顔をずっと見たかったんだ。
 ゼリーを食べ終えると姫野くんは後片付けまでしっかりこなして、ちゃんと薬を飲んだか確認すると、俺をベッドの中へ押し込む。
「風邪は栄養を摂って薬を飲んで、あったかくして寝るのが一番です」
 ベッドから手の届く範囲に飲み物やゼリーを置くと、姫野くんはこう告げる。
「じゃあゆっくり休んで下さい。連絡くれればすぐに駆け付けますから」
「あ……」
 姫野くんが帰ってしまう。
 ようやく彼の笑顔が見られたのに。声を聞けたのに。メッセージが来なくなったのも、嫌われているわけでも、忘れられているわけでもなかったって分かったばかりなのに。
 なんだかとても彼と離れがたい。
 気付けば俺は腕を伸ばし、姫野くんの服の裾を握りしめ、引き留めていた。
「高嶺先輩……?」
 帰ってほしくないとは思ったけれど、まさか彼を引き留める行動をとってしまうなんて、俺自身も驚く。
「ご、ごめん」
 すぐに裾から手を離す。
 俺は一体何をしているんだろう。年下の男の子に、子供のように甘えてしまうなんてどうにかしている。
 恥ずかしくて彼の顔が見られない。
 今度こそ幻滅されても仕方ないんじゃないか。頼りになると思っていた先輩のこんな姿、嫌になってもおかしくない。
 布団を深くかぶり、時が過ぎるのを待つ。
 でもいくら経っても扉が開く音はしなかった。
「熱があるときって心細くなったりしますよね。俺がここにいても先輩が休めるなら、俺はここにいますよ」
 恐る恐る布団から顔を出す。姫野くんは俺が顔を出すのを待っていたかのように、ベッドのわきに座り込み、こちらを覗き込んでいた。
「……いいの?」
「俺は全然いいです。部屋に戻っても、先輩のことずっと考えているだろうし」
 その言葉に胸がぎゅっとなる。
 そうか。彼はそんなに俺のこと心配してくれているんだ。
 駄目だな。風邪のせいで感情のコントロールもおかしくなっている。なんだか涙腺も緩んでいるようで、目が熱く感じた。
「高嶺先輩、手を貸してくれませんか?」
「手……?」
 言われるままに手を出すと、彼はそっと自分の手を重ね、きゅっと握る。姫野くんの手は俺より少し小さくて、骨ばっているけど柔らかかった。
「俺が小さい頃、熱を出したときは母さんがこうやって手を握ってくれたから」
 俺は何も言葉を返すことができない。
 安心しているような、緊張しているような、不思議な感情が胸の中に湧き上がる。
 つい笑顔で口元が緩んでしまいそうなこの感情を、俺は知らなかった。
「ここにいますから、安心して眠ってください。なんなら子守歌代わりに話でもしましょうか?」
「……どんな話?」
「帰省中に中学時代の友達とばったり会って、俺が生徒会の手伝いしてるって話したらびっくりされたんですよ。あ、あと俺は兄ちゃんがいるんですけど、俺が先輩の話ばっかりするもんだからうるさいって怒られて喧嘩したり……」
「どっちも楽しそうだ」
「他愛のない話ですけどね。じゃあ独り言みたいに話すんで、先輩は眠くなったらそのまま寝てください」
 姫野くんがいつもより小さく、でも弾むような声音でぽつぽつと話を始めた。彼はいつも楽しそうに話をするから、聞いているだけで明るい気持ちになってくる。
 彼がそばにいてくれる安堵と、初めて感じる手のぬくもり。気持ちのこもった看病のお陰か、瞼が次第に重くなった。
 もう少し姫野くんの話を聞いていたいし、手の暖かさを覚えていたいのに。熱で弱った身体がそれを許してくれそうにない。
 姫野くんの話し声が本当に子守歌のように感じられる。たくさん話をしてくれているのに、内容が頭に入ってこない。
 もう一度話を聞きたいと言ったら、彼は話してくれるかな。きっと二つ返事で話してくれると思う。だって彼はこんなにも俺を慕ってくれているって分かったから。
 気付けば電源が切れるように俺は眠りに落ちていた。満たされた心のまま眠りについたからか、なんだか幸せな夢を見た気がする。
 泥のように眠って、目が覚めた時には部屋が薄暗かった。姫野くんが来てくれたときはまだ午前だったから、それなりの時間眠ってしまっていたようだ。
 身体の怠さが消え、靄がかかっていたような頭はずいぶんスッキリしている。持ってきてくれた薬が効いたのか、熱も下がっているようだ。
 姫野くんには色々と感謝しないと。
 そう思っていると、右手にまだぬくもりがあることに気が付く。
 彼は、まだ俺のそばにいてくれていた。
 俺が何時間も眠りこけている間も、手を握ってそばに寄り添ってくれていたらしい。
 帰省の疲れも残っていたのだろう。俺のベッドに寄りかかり、頭を預けて気持ちよさそうに寝息を立てている。
 胸の奥を締め付けるような感情が沸き上がった。彼の寝顔を見ていると、なんだかうまく息が出来ない。
「そんなに無防備でいいの……?」
 完全に寝入っている姫野くんの頬をつついてみる。想像していたよりずっと柔らかい。何度かつついてみると眉間に皺をギュッと寄せたけれど、目を覚ます気配はなかった。
 薄く開いた唇に手が伸びる。頬と同じように触れてみようとして……俺の手は止まった。
 俺は一体何をしているんだ?
 年下の同性の唇に触れようとするなんて、どうかしている。
 でも、どうかしていると頭では分かっているのに触れたい衝動が止まらなかった。
「可愛い……」
 勝手に口からそんな言葉がこぼれる。
 ここには姫野くんが送ってくれた画像のような猫はいない。彼と俺しかいない。
 じゃあこの可愛いって、誰に対しての言葉?
 ああ、そうか。
 ずっと自分の中の感情が分からなかった。いや、分かっていたかもしれないけれど、あえて分からないふりをしていたのかもしれない。
 姫野くんのことが可愛くて仕方がなかった。彼が俺のことを呼ぶ声がいつの間にか愛おしいと感じていた。俺の右手にある彼の手を、離したくない。
 俺はいつから姫野くんが好きだったんだろう。
 もう自分の気持ちに嘘は付けない。認めることしか出来ない。
 俺は彼に恋をしている。



 夏も終わり、暑さの中にほんのりと秋の気配を感じられるようになってきた頃。
 生徒会メンバーは姫である俺を含め、学校中を走り回っていた。
「奏真。こっちの書類が文化部からの予算申請です。目を通してみましたが特に問題は感じられませんでした」
「ありがとう。確認印を押しておくよ」
「高嶺先輩、こっちはクラスの出し物の申請書」
「はいはい。ええ……何これ。相席屋? これは却下だなぁ」
 二学期には白鷺学園で一番の賑わいになる文化祭がある。夏休みが明けると学校中それに向けて大忙しだ。
 生徒会のメンバーは文化祭の運営と管理が主な仕事になる。姫は特別職扱いだから、そこまで運営の仕事をする必要はないらしいんだけど、まあ乗りかかった船だ。相棒である高嶺先輩が頑張っているんだから、俺もその手伝いくらいはしたい。
「ああ、そうだ。奏真、野球部とサッカー部が出し物の場所の広さについて揉めていました」
「もうそれは恒例行事みたいなものだね。ほとんど面積は変わらないのに。頑張って話し合うように言っておいて。付き合っていられない」
 こんな感じで慌ただしい日々なので、姫活はちょっとセーブ中。
 高校での文化祭は初めてだけど、規模が中学とは違うから大変だ。
「そういえば……」
 高嶺先輩は各クラスの出し物申請書をパラパラとめくる。