男子校の姫にされちゃったんですけど

 落ち込んだり、でもすぐに前を向けるようになったり、いいことがあったと言われればあったような、そうでないような……。
 でも高嶺先輩がいいことあったように見えるってことは、きっとそういうことなんだろう。
「はい! いいことありましたよ」
 高嶺先輩のおかげだと笑顔を向けると、先輩も笑顔で答えてくれる。
 うん。高嶺先輩が俺のバディで本当に良かった。先輩と一緒だから、俺はまだまだ笑って姫でいられる。
「手が止まってる」
 ……氷室先輩はやっぱり手厳しいけどね。


 白鷺学園は全寮制とはいえ、長期休暇はほとんどの生徒が実家へと帰る。
 普段うるさいくらいの寮も静まり返り、少し物悲しいような、これはこれで風情があるような、なんだか不思議な気分に駆られる。
 入学して三年目になるけれど、俺はほんとんど実家に帰ることはなかった。
 毎年色んな言い訳をして家と距離を取っているけど、今年は生徒会長であり受験生でもあるので、それを言い訳にすることにした。希望者には夏期講習が行われるから、あながち嘘をついているというわけでもない。
 夏期講習は少し面倒だけど、それでも実家に帰ることを考えるとマシだった。
 両親をここまで疎ましく思うようになったのはいつからだろう。
 子供の頃から親の言うことは絶対だった。
 習い事はもちろん、着る物や趣味、友達に至るまで、全部両親が決めて俺はそれに従ってきた。
 従ってきたというより、それが正しいと疑ったことがなかったというのが近い。
 でも、高校生になって実家を離れ、自分で考えるようになってから、少しずつ息苦しくなってきた。
 自由にのびのびと過ごしているみんなを見ていると、親の言う通りに生きることが本当に正しいのか分からなくなってくる。
 机の上のスマートフォンが小さく鳴った。
 両親や律は滅多なことで連絡してこないので、スマホを鳴らしたのは誰なのか予想は簡単につく。
「やっぱり姫だ」
 おばあちゃんちの猫というメッセージと、猫と姫のツーショット画像が映し出され、俺は思わず顔がほころぶのを感じる。
 姫野くんは夏休みに入ってしばらくしてから、十日間だけ帰省すると言って寮を出た。てっきり夏休みはまるまる実家に戻ると思っていたけど、
「テストの成績があれだったんで……補講があるんです」
 そんな風に言ってがっくりと肩を落とす姫野くんの姿を、俺はまだはっきり思い出せる。
 運動は得意だけど、勉強はどうやら苦手らしい。こんなことは本人に言えないけど、ちょっと想像通りだったかな。今度から姫活の合間に勉強を見てあげた方がいいかもしれない。
 補講で出た課題と夏休みの宿題を抱えて寮を出たのは二日前。姫野くんは親しい友人のように数時間おきにメッセージを送ってくる。
 内容は他愛のないものだけど、メッセージが届くたびに嬉しくなる自分がいた。今度は何を送ってきたのかなって、ワクワクしてしまう。
「……可愛い」
 少しふくよかな猫を得意げに抱っこしている姫野くんの画像を見て、思わずそう口にした。
 猫が可愛いのか、姫野くんが可愛いのか……俺はどっちの意味で可愛いって言ったんだろう。自分の気持ちがよく分からないけど、多分猫だろう。姫野くん、しっかり男の子だし。
 もちろん、姫野くんは可愛い後輩。見た目じゃなくて、いつも元気に走り回っているところや、先輩って無邪気に話しかけてくるところが特に可愛い。……この間まで中学生だったぶん、まだどこか幼くて見た目もちょっと可愛いところがあるけど。それは本人には言わないでおこう。彼はよく、一人前の男になるって口にしているから、可愛いなんて言ったら怒られそうだ。
 彼を姫に任命して、白鷺学園の雰囲気が変わった気がする。去年まではよく言えば真面目、悪く言えば退屈な学校だった。時間が淡々と過ぎるような、平和だけど退屈な学校。 
 それが姫野くんが来てから、新しい風が吹き込まれたみたいに変わった。
 学校中から声が聞こえるようになった気がする。それまでも声はあったんだけど、こんなに意気揚々としていたか思い出せない。
 姫って単語をよく聞くようになった。誰かが姫って呼ぶと、すぐに彼が駆けつけてみんなを笑顔にしていく。明るい声や、笑い声が絶えない学校になっていた。姫野くんがたった数か月、たった一人でここまで変えた。
 彼はよく、眩しい目で俺のことを見てくれるけど、本当にすごいのは姫野くんだと思う。俺は姫野くんをほんの少し手伝っているだけで、彼は自分から発案して、行動して、好んで姫になったわけでもないのに、学校を良くしようと頑張っている。自らの意思で。
 親の敷いたレールの上を歩いてきた俺とは全然違う。
 彼が入学してきてから、学校が楽しくなった。慌ただしくもなったけど、毎日が充実している。生まれて初めて、ありのままの自分でいられているような感覚だった。
 姫野くんのメッセージになんて返信しようか考えていると、むせるような咳が出た。
 最近、少し喉の調子が悪い。滅多に風邪なんて引かないんだけど、油断したかもしれない。
 それでも今は夏休みだし、休む時間はたくさんある。少し休めばすぐに良くなると、この時は思っていた。
 でも具合は良くなるどころか転がり落ちるように悪くなっていった。
「大丈夫ですか。あなたが風邪を引くなんて、珍しいですね」
 一緒に夏期講習に出ていた律がそう言った。毎年帰省する律だけど、今年は受験対策のために夏期講習を受けたいと、寮に残ることを決めたようだ。
「あんまり近付いたらうつるかもしれない」
「そこまで軟じゃないのでご心配なく。ちゃんと休めていますか?」
「うん。夏休みでやることもないし」
「どうせあのうるさいのが頻繁に連絡してくるんでしょう」
 律の言葉に苦笑する。あのうるさいの、で誰だか分かってしまうのが姫野くんらしい。
「毎日楽しそうだよ。昨日は流しそうめんしたんだって」
「なんですか、その情報……」
 呆れたように律は息を吐く。
「夏を満喫しているみたいでいいじゃない」
 そう言った直後、大きく咳き込んでしまう。少し頭もくらくらする。
「今日は早めに休んだ方がいいですよ。食事も胃に優しいものを頼んでおきましょうか?」
「いや……そこまでは大丈夫」
 そもそもあまり食欲もない。
「寮に戻って早めに横になるよ」
 俺はそう言って律と別れて寮に戻る。ぞくりと背中に悪寒が走って、これは本格的に駄目だなと気が滅入った。
 枕元にスマホを置いて、早々とベッドに潜り込む。ウトウトしながら何度かスマホを確認したけど、いつもなら何度も来る姫野くんからのメッセージが、この日はなかなか届かなかった。
 まあ……そういうこともあるかもしれない。家族と積もる話もあるだろう。初めて家族と離れて暮らしているんだから、ご両親も聞きたいことが沢山あるに違いない。
 それでも、きっと姫制度のことは話せていないだろうな。自分が白鷺学園の姫に選ばれて、たまにスカートを履いて周りから姫ちゃんって呼ばれているなんて……話しても信じてくれなさそうではあるけれど。
 朝になったらまたメッセージが届いているだろう。そう考えて眠りについた。
 次の日の朝、目覚めは最悪だった。
 頭が割れるように痛む。夏期講習はとてもじゃないが受けられる気がしない。律に欠席することを先生に伝えてもらおうとスマホを手に取る。
 朝になったら届いていると思っていた姫野くんからのメッセージは、届いていなかった。
 夏休みだし、まだ寝ているのかもしれない。いつも元気な彼だって寝坊することくらいあるだろう。
 律に欠席するとだけメッセージを送って、もう一度ベッドに潜り込む。
 風邪薬くらい部屋に置いておくんだったと少し後悔した。医務室に行けばあるかもしれないが、そこまで歩いていくのも億劫だ。律に頼もうかと考えたが、受験のために頑張っている律を、風邪を引いている自分に近づけさせるのも気が引けた。
 それに薬を飲むには食事をしなきゃいけない。でも、とてもじゃないが喉を通りそうにもない。
 少しでも眠って体力を回復させよう。それが先決だと思うのだけれど、気付けばスマホばかり確認してしまって、なかなか寝付けない。
 あんなに届いていた姫野くんからのメッセージが、昼になっても夕方になっても届かない。昼過ぎに一度メッセージが届いたけれど、相手は律だった。風邪を心配するメッセージだった。姫野くんからのメッセージでないことに少し落胆してしまい、律には申し訳なく感じる。
 それにしても姫野くんはどうしたんだろう。あんなにこまめに連絡をくれていたのに、何かあったんだろうか。
 俺と同じように風邪を引いてしまったのかな。でも彼のメッセージはずっと元気そのものだった。沢山食べて、遊んで、夏休みを楽しんでいる様子だった。
 もしかして……家族や地元の友達を楽しく過ごしているうちに、俺のことなんて忘れてしまったのかな。
 俺なんて彼にとっては出会って数か月しか経っていないただの先輩で。俺が姫に推薦しなければ今頃普通の学生生活を謳歌していたはずだった。
 俺を慕ってくれていると思っているけど、本当は嫌われてもおかしくない位置に俺はいるんじゃないだろうか。
 駄目だ。具合が悪いせいか、考えることもネガティブになっている。
 そんなに気になるなら自分から連絡してみればいいのに、その勇気も出ない。メッセージの返事がなかったら、拒否されてしまっていたら。そんなことばかり考えてしまう。
 どうしてこんなに姫野くんのメッセージばかり気にしてしまうんだろう。少しそれが途絶えただけで、こんなにも不安なんだろう。
 せっかく眠れても、うなされて目が覚める。休んでいるはずなのに余計に身体が重く感じた。
 次の日の朝になっても体調は変わらない。考えてみたら丸一日食事を摂っていなかった。
 相変わらず食欲は湧かないが、いい加減なにか食べないと余計に衰弱していくかもしれない。
 律に頼むしかないかと、スマホを手に取る。……やっぱり姫野くんからの連絡はない。ただでさえ落ち気味のメンタルが、更に下降していくのを感じる。
 予定では明日か明後日に、彼は寮に帰ってくるはずだ。
 早く彼の顔を見たい。高嶺先輩って呼ぶ明るい声を聴きたい。
 でも、どんな顔をして顔を合わせたらいいんだろう。だって彼からのメッセージはいきなり途絶えた。俺のことが嫌になったか、忘れてしまったかもしれないのに。
 会いたいと思っているのは、俺だけかもしれないのに。
 嫌な考えが堂々巡りになる。
 風邪のせいもあると思うけど、俺ってこんなに弱い人間だったかな。たった一人の後輩に、こんなに感情を乱されるなんて今まで一度もなかったのに。
 動く気になれずベッドの上で座り込んでいると、薄い扉をノックする音が部屋に響いた。
 律だろうか。様子を見に来てくれたのかもしれない。でも、いつもの律なら事前に必ず連絡を入れてくるはずだ。
 なかなか動けないでいると、もう一度遠慮気味にノックされる。そして聞こえてきた声に、俺の心臓は止まりそうになった。
「高嶺先輩? ……寝てるのかな」
 姫野くんの声だ。会いたいと思い過ぎて幻聴かと思った。でも、幻なんかじゃなく、間違いなくそれは姫野くんの声。
 何をするのも億劫だったはずの身体がすぐに動いた。
 どんな顔をして会えばいいか分からないと思っていたはずなのに、衝動的にドアを開ける。ドアの向こうには、姫野くんがたくさんの荷物を抱えながら立っていた。
「あ、高嶺先輩。いきなり来てごめんなさい」
「それは、いいんだけど……。どうして」
 だってまだ帰ってくる日じゃなかったはずだ。
「とりあえず少しだけお邪魔してもいいですか? 立ったままじゃ先輩もしんどいだろうし、渡すものもあるから」
 返事の代わりにドアを大きく開けると、姫野くんはお邪魔しますと言って中に入った。俺はそれを呆然と見ていることしか出来ない。考えたら姫野くんが俺の部屋にやってくるのも初めてだ。