男子校の姫にされちゃったんですけど

 全寮制の男子高校、白鷺学園。
 その入学式に新入生として参加していた俺は、校長先生のありがたいお話の中、気持ちよく夢の中に旅立とうとしていた。
 人当たりの良さそうな校長先生の話は抑揚がない。
 俺にとっては絶好の子守歌だ。
 聞いているだけで瞼が重くなる。 
 人の話はちゃんと聞きましょうなんて言うけど、ならもう少し楽しい話題や、興味を引かれる話をしてほしいなって思う。
 うとうとしていると、まばらな拍手が聞こえてきた。どうやら校長先生の長い話がようやく終わったらしい。
――続きましては在校生の……。
 そんな言葉がほんのり聞こえてきて、退屈な式典はまだ終わってないことを知る。
 ならもう少しこのままでいいかな。
 昨日は寮の片付けで寝たのが遅かった。
 今日くらいは大目に見てほしい。
 そう思っていたら、辺りがちょっとガヤガヤ騒ぎ出す。
 なんだろう、校長の時とはえらい違いだ。
 でもそれくらいのことで俺の重い瞼は開かない。
「ただいまご紹介にあずかりました、生徒会長の高嶺奏真です」
 優しくて穏やかな声だ。
 落ち着いていて、大人な感じ。生徒会長を務めるくらいの人だから、しっかりした人なんだろうな。たった二歳しか変わらないけど、同じ年の友達とかと全然違う。
 この人の声、好きだな。
 校長の時より気持ちよく寝れるかもしれない。
 なんだがいい夢が見られそうで、自然と口元が緩む。
 どれくらいうとうとしていただろう。
 真面目だった生徒会長の声が、少しだけ柔らかくなった。
「さて、退屈な話はそろそろ終わりにして、在校生のみんなが待ち望んでいる、あの話にしようか。今年度の姫の話を」
 新入生の後ろに座っている先輩方が、ワッと大きな歓声を上げる。
 姫? なにそれ?
 男子校なのに?
 今年度の姫ってなんのこと?
 新入生は困惑してどよめいている。
「では今年度の姫を発表します」
 後ろの先輩たちはやたら楽しそうだ。
 それとは逆に、新入生はざわざわして落ち着かない。
 まあ、俺は別に……どうせ関係ないし。
「今年度の姫は――」
 誰も声を出さない。
 体育館がしんと静まる。
 というか会長、引っ張るのうまいな。
「今年度の姫は……姫野琉生くん」
 あちこちから歓声が上がる。
 なんか分からないけど、姫ってこの学校でそんなに重要なもんなのか。
 大変だなぁ、今年度の姫に選ばれた姫野琉生。
 ご愁傷さまってやつか。
 ……
 …………
 いや待て。姫野琉生って。
 俺じゃん。
 寝ぼけた頭が一気に覚醒する。
 パッと目を開けて一番最初に飛び込んできたのは、壇上で俺を見てほほ笑む会長の姿だ。
 あ。
 あの人だ。
 健康診断で会った先輩。生徒会長だったんだ。
 いや、今はそれよりも、だ。
「……はぁ⁉ 俺が、姫⁉」
 思わずそんな声を上げてしまった俺に、会長は笑顔を頷いていた。


 さかのぼること一週間前。
 生徒会長である高嶺先輩と初めて顔を合わせたのは、入学前の健康診断の時だった。
 入試でも一度来た校舎だけど、あの頃はまだ中学の制服だったし、合格するかも分からなかった。
 でもこの日は違う。
 白鷺学園の制服を着て、この門をくぐる。
 それでようやく実感が湧いたんだ。
「俺、本当にここに通うんだな……」
 中学の先生は、俺が受かったなんて信じられなかったみたいで、何回も本当か確認されたっけ。
 一番信じられなかったのは、きっと俺だけど。
 白鷺学園はそれくらいレベルの高い学校だった。
 鏡に映った白鷺学園の制服を着た俺は、普段よりちょっと大人に見えた。……気のせいかもしれないけど、気の持ちようというやつだ。
 いつもなら面倒だと思う健康診断を鼻歌まじりに受けに来たんだから、この日の俺は浮かれていたと思う。
「新入生の姫野です!」
 受付で書類を渡して、指定の順番で診断を受けていく。
 体重を量って身長を測って……。身長、あと二センチ伸びたら百七十に行くんだけど、高校生になるからってそんなにすぐは伸びないか。今後に期待したい。
 その後に心電図と、血液検査があった。
 注射のために消毒液の臭いのする部屋に通されたときは、ちょっと心臓がひゅっとしたけど、気になったのは部屋の前で青い顔をしたやつがいたことだった。
「大丈夫か……?」
 思わず声を掛けたら、そいつは唇をギュッと結んだ。
 どう見ても大丈夫じゃない。
 でも他になんて声をかけたらいいか分からなかった。
「……高校生になって注射にビビるとか、ダサ」
 すれ違いざまにそんな言葉をかけるやつがいた。
 苦手なものなんて誰にでもある。
 わざわざあんなこと言わなくていいのに。
 気付いたら、考える先に言葉が出ていた。
「俺も注射、苦手だし嫌い」
 思ったより大きな声が出た。
 周りが一斉にこっちを見る。
 嫌味を言ったやつが何か言いたそうにしていた。だけど、そんなことより目の前のやつのほうが今は大事だった。
「だから、一人で受けるの嫌だし、一緒に行こうぜ。なっ?」
 俯きがちだったそいつが、顔を上げて俺を見た。
 ここにいるってことは同じ年なんだろうけど、そいつは小動物みたいで俺より年下に見える。
「俺は姫野琉生。お前は?」
 小動物みたいなそいつが、おずおずと口を開く。
「千尋……。河合千尋」
「いい名前じゃん。ほら、行こう?」
 手を差し伸べると河合はそっと重ねてくる。
 よっぽど心細かったのか、指先が少し震えていた。
 手を引いたまま看護師さんの前まで行くと、俺と河合は並んで椅子に座る。
 河合は今にも泣きそうな顔をしていたけど、重ねた手を強く握ってやったら俺のほうを見たから、大丈夫だって笑いかけた。
 そんな俺を見て河合も弱々しく笑顔を作る。
「はい、終わったよー」
 看護師さんがふんわりした声でそう言って、俺と河合は二人で目を丸くした。
「全然痛くなかった! 看護師さんめっちゃ凄腕じゃん! な、河合!」
「うん……」
 ほんの少しチクッとしただけで、痛みはほとんどなかった。あんなに怖がっていた河合も信じられないのか注射された腕をまじまじ見ている。
「終わってよかったな」
 青い顔に少しずつ血の気が戻っているのを見て、俺はそう声をかけた。
「あの……ありがとう」
 悲壮だった河合の顔に、ようやく心からの笑顔が出て、ちょっとホッとする。
「別に、何にもしてないけど? 俺が注射苦手だから、河合にそばにいてもらっただけだし」
「それでも、ありがとう」
 何度もお礼を言われると、少しくすぐったくて、そわそわしてしまう。
 本当に大したことはしてないんだけどな、なんて思っていると、部屋の端で俺たちを手招きしている人に気付いた。
 なんだろう。
「問診表チェックさせてね。次の順路の説明をするから」
 にこやかにそう言ったその人に、俺も河合も何も疑うことなく問診表を渡す。
 同じ制服を着ているけど、俺たち新入生と違って制服がすっかり身体に馴染んでいるように見える。一つ上……いや、二つ上の先輩かな。兄ちゃんがいるから、なんとなくどれくらい年上なのか分かる。
 俺より十センチくらい背が高いのに、不思議と威圧感はない。
 少し癖のあるダークブラウンの髪がふわりと揺れて、柔らかい雰囲気によく似合っていた。
 読んだことないからよく分からないけど、少女漫画に出てくる王子様系って、こういう人のことを言うんじゃないだろうか。
 男子校にいるなんてもったいない。
「河合くんは……血液検査でおしまいだったんだね。お疲れ様、よく頑張りました」
 きっと注射が終わるまでの一部始終を先輩は見ていたんだろう。優しい眼差しを河合に向けている。
 河合は照れたようにはにかんでいた。
 ……うん。
 なんかこの二人のそばだけ空気が違うぞ。
 なんというか、絵になる。
 少女漫画の世界だ。
 俺はどちらかというと少年漫画の住人なので、なんだか二人の空気が眩しかった。
「姫野くんは、次は視力検査かな。右手の階段を上がって一番手前の部屋だよ」
「右手の階段……了解です」
「部屋の前にきっと誰かいるはずだから、心配しなくても大丈夫だからね」
 不安そうな顔をしたつもりはないけど、先輩はわざわざそう言ってくれる。
 この人、本当に優しい人なんだな。
「あの……姫野くん。僕、昇降口で姫野くんのこと待っていてもいいかな……?」
「え?」
「その、白鷺で初めてできたお友達だから、一緒に寮まで帰りたいなって」
 河合は耳の先をほんのり赤くしながらそう言った。
 そんな風に言われるとちょっと照れるけど、嫌じゃない。
「じゃあ速攻で終わらせてくる!」
 河合は「待ってるね」と嬉しそうな笑顔で言い残して昇降口へ向かった。
 俺と先輩は河合の小さな背中を見送った。
「なんか一年って感じがしていいな」
「そうっすね。初々しいっていうか」
「君も初々しい一年生でしょ」
「俺はそんな初々しくはないですよ」
 あそこまで無垢な雰囲気なやつは今時珍しい。
「君が河合くんに声をかけてくれて助かったよ。あの子、ずっとあそこで青い顔していたから」
「見ていたんですか?」
「一部始終ね。ああいう子は、俺みたいな先輩に声をかけられても委縮しちゃうでしょ? どうしようか迷っていたんだ」
「……先輩みたいな人相手なら河合も怖がらなかったと思いますけど」
「さっきのは君が横にいたからだよ。俺、人を見る目はあると思うんだ」
 先輩が、俺のほうを見てなんだか嬉しそうに笑う。
 その笑顔の意味は分からなかったけど、つられて俺も笑顔を向けた。
「これから良い一年になるといいね」
 問診表を返してもらって、俺は先輩に軽く頭を下げる。
 先輩に言われなくても、きっと良い一年になる。いや、して見せる。
「入学おめでとう。ようこそ、白鷺学園へ」
 先輩は思わず見とれそうになるくらいの笑顔で、俺にそう言った。



――間違いない。あの時の先輩だ。
 壇上から俺に向かって笑顔を見せている先輩と、入学おめでとうと言った先輩の顔がぴったり重なり合う。
 というか間違えるはずない。あんな王子様系の人がそう何人もいてたまるか。
「姫野琉生くん、壇上へ」
 高嶺先輩にそう言われて、俺は渋々壇上へと足を向ける。
 周りからの好奇な視線が一斉に集まって、なんだか居心地が悪い。
「あれが今年の姫か」
「なんか例年と比べると思ったより……普通?」
「一年らしい初々しさはあるけど、可愛さは……」
「いや、結構可愛い。化けるタイプと見た」
 後ろの席で、先輩たちが好き勝手にそんなことを言っている。
 思ったより普通で悪かったな。というか可愛くなくて当然だし。俺、男だし。結構可愛いと言った先輩はきっと目が悪い。
 俺を含めた一年は、まだ事態を飲み込めなくて困惑気味だ。そりゃ男子校に入学したのにいきなり姫なんて単語が飛び交うとは誰も思わない。
 一歩踏みだすたびに視線が増えていく気がして、壇上へ上る数段がやけに長く感じた。
 高嶺先輩はあの時と変わらず、穏やかな顔で俺を見下ろしているけど、俺はきっと不機嫌な顔をしていると思う。
「まずは入学おめでとう」
「……ありがとうございます。ってかそれ、前に会った時も聞きましたけど」
「俺のこと、覚えていてくれたんだ」
「先輩みたいな人、忘れるほうが難しいんじゃないですか?」
 壇上でそんな会話をする俺たちに、辺りはちょっとざわついている。
「あいつ、先輩に……」
「すげぇ度胸」
 そんな言葉が聞こえてきたけど、俺としてはむしろ冷静にセーブしているほうだと思う。だっていきなり壇上にあげられて、落ち着いていられるほうがどうにかしてる。
「姫野琉生くん。君は今年度の白鷺学園の姫に見事に抜擢されました」
「抜擢されましたって言われても……」
 姫がなんなのかも分からない。
「引き受けてくれるよね?」
 いや、だから姫がなんなのか分からないのに、引き受けるもくそもない。しかも「くれるよね?」って微妙に拒否権もないし。