コンコンと遥か遠くでドアをノックする音が聞こえた気がする。白い霞みがかかった、暗闇の中。私は音の方へと意識を伸ばした。
(……あっ!)
バチンと景色が切り替わり、いつもよりも固いベッドで目を覚ました。顔に差し込んいる日差しが少しだけ色濃くなっていて、どれだけ時間が経ったのか一瞬分からなかった。
(寝てたんだ……すっごい汗かいてる)
起きると息が切れている。ぜいぜいと呼吸をしていると、コンコンとドアを優しく叩く音がする。夢の中で聞こえた音と同じだった。
「ごめーん! 今起きたー!」
誰が叩いているのか確認する間も無く、ドアの向こうに向かってできる限りの声を出す。
「はーい。じゃ、部屋に戻ってるから。準備できたら呼んで」
重たそうな金属の扉の向こうから、楓くんの声が聞こえる。
「ごめん、分かった!」
時間は夕方5時を少し過ぎていた。
(でも……ちょっと良くなったかも)
部屋に入ってからの記憶が全く無い。キャリーケースは入口の近くで倒れたまま。ぐっすり寝たお陰なのか、変な頭痛は消えていた。多少熱っぽい感じはあるけれど、寒気がそこまであるわけじゃ無い。
(良かった……)
(……とりあえずシャワー浴びたい)
スマホを取り出し、楓くんに「ごめん! やっぱり30分後に部屋に行く!」とメッセージを入れて、急いでシャワーを浴びることにした。
(……あー……どうしよ)
この後の予定、何も決めていないなと思いながらシャワーを浴びた。体調がこれ以上悪くなりませんようにと祈りながら。
――
――
――
急いで身支度をして、新しいシャツに着替える。隣の部屋に行くと、ちょっとだけドアが開いている。開けたままにしていてくれたらしい。
「……ごめんね、寝てた」
ゆっくりとドアを開けて、申しわけ無さそうな声を出す。楓くんは窓際に座ってぼんやりと窓の外を眺めていた。
「疲れただろうしね。大丈夫なの?」
「うん。結構寝ちゃったから……もう平気だよ」
「そっか。声も元気そうだしね。じゃ、ちょっと外出ようか」
鍵がちゃんとかかっているかを何度もお互いに確認してから、エレベーターを使って1階へと下りる。
「寝たらすっきりしたよ。どしようかこの後。何も決めてなかったね」
「美咲ちゃんきつそうだったから、良かったよ。さっきお城が見えたけど城があるの?」
「うん。すぐ近くにあるよ。熊本城」
「じゃあ、城まで行ってみても良い? きつかったら引き返そうよ」
熊本の街はコンパクトな造りになっている。繁華街やお城などが、街の中心エリアにぎゅっと詰まった感じ。ホテルからお城まで、歩いても10分かかるかかからないかの距離にある。
もちろん、そんなしょっちゅう行く場所じゃ無いから、私は熊本城に行った記憶は残っていない。
「うん。そうしよっか」
フロントの前を通って外に出る。ホテルの綺麗な内装に、背筋が伸びているフロントの人。最初に入ってきた時は、体調が悪かったから気にならなかったけれど、住んでいる磯子や、学校がある山手の街には無い煌びやかさがあった。
自動ドアを出て外に出ると、さっきの辛さが一気に呼び戻るかのよう。あまりの暑さに驚きを通り越して息が若干苦しい。
「熊本ってこんなに暑いの? 空港に着いてから、ずっとヤバいよね……」
「楓くん初めてだもんね。この暑さ、私も久し振りだな」
「これは……ヤバい。とにかくヤバいな」
「湿気が凄いんだよ。湿気のレインコートを着てるような感じだもんね」
「湿気のレインコートか、分かるわ。そんな感じだよな……重たいもんね」
もちろん横浜だって磯子だって暑い。でも8月の熊本の暑さは質が違うなと思う。とにかく湿気が凄くて、まとわりつく。歩いているだけで汗が噴き出してくるし、とにかく『重たい』。
「ね。……このまとわりつく感じがヤバいよね。思い出してきたな、この感じ」
ホテルからはすでに熊本城が視界に入っている。私達は公園を抜けて真っすぐにお城に向かった。記憶は無いから、初めてきたような場所だけど道に迷うことはない。
「美咲ちゃんって、住んでた頃に、城行ったことあるの?」
「どうだろうなあ……記憶は無いけど。もしかしたら、くらい」
「そうなんだ」
「中学生の時までしかいなかったしね」
拠点にしているホテルやお城。アーケードなども含めて、一つの街になっている。夏休みということもあってか、ただでさえ倒れてしまいそうな暑さの中、もの凄い人ごみ。外国から観光にきてるんだろうなあという人も多い。
「に、しても……こんなに賑やかだと思って無かったな。人も多いな」
「でしょ。意外と栄えてるんだよ。熊本」
「お店もいっぱいあるし……」
「でも、このエリアだけだよ。街を離れると、あまり無いかな」
「そうなの?」
「うん。こっから離れていくと、ほとんど無いよ。住むとこだけって感じ」
「あー……だからこのエリアはこんな混んでるのか」
「そうそう。横浜駅みたいなもんだよ。休みの日になると、皆ここを目指してくるからね」
人が少なくなってきたなと思ったら、今度はアスファルトから激しく熱が照り返す。信号待ちで足を止めている時の方が、何だったら汗が噴き出す。……太陽の光から、逃げることができないから。
「そう言えばさ、夜ごはんどうしようか。美咲ちゃん何か考えたりしてる?」
「そっか。……いや、何も考えて無いよ。ホテルでずっと寝てたから……」
楓くんは小さく笑ってくれた。「何よ、その笑い方」と言うと、「暑いから省エネだよ」と涼しさを装うように、また笑う。
よくよく考えてみたら、2日前に急に熊本に行くことが決まって……そこから気持ち的にもバタバタだったなと思い返していた。
「今更だけど……俺もちょっと調べときゃ良かったな」
「急に行くことになったしね。でも、ここなんでもあるからさ、大丈夫だと思う」
「だよね。何でもありそうだもんね、さっき通ってきたアーケード」
少し歩くと、坂道が見えてきた。どうやらその坂道からがお城のエリアに入っていくようで、多くの観光客らしき人達が坂を下っている。あ
「あ、ここじゃないかな。こっから上れば城に着きそう」
「たぶん。めっちゃ人、下りてきてるしね。行ってみようよ」
「よし、行ってみようか。暑いし坂だし。美咲ちゃんゆっくりで良いよ」
見上げるほどの勾配には見えない。ゆっくりと歩いていけば、何とか坂の上までは行けそうな気がする。……でも長い。延々と続いているようにも見えた。
(……でも暑さがヤバいな。想像以上じゃん)
飛行機の中、そしてホテル。だいぶ寝ることができたので、何とか歩けるくらいまでにはなっているけど……。尋常じゃない暑さで、また体調が悪くなってきた。目まいもする。熱中症みたいに意識がほわっとするし、汗もかき過ぎているのかも知れない。
「……坂、長いね」
やっぱり楓くんも同じことを思っていたらしく、目線を向けるとちょっとだけ前傾姿勢を取って、坂を上っていた。
「ね。でもさ、学校行く坂と比べれば……って感じじゃない?」
「確かに。それだ。そうやって前向きなことを考えよう」
「でも……暑いから……体力は削り取られるけどね」
「駄目駄目。さっきみたいにポジティブに行こう!」
(私……山手駅の、あの坂。あんまり上れて無いからな)
そう。皆は毎日上っている山手の坂。私は毎日あの坂を上れていたわけじゃ無い。
「人の流れと逆に行けば良いのか。そうすれば城に辿り着くよね」
「そっか。……楓くん、頭良いなあ。そうしよう!」
「ははっ! そりゃ嬉しいね」
はあはあと息を切らしながら目線を上げると、人が一気に出てくる場所がある。恐らくそこがお城の入口なんだろうと考えて、頑張って上り切る。
「着いたね。……ちょっと中、入ってみたいな」
「……うん。せっかく来たしね。入ってみようか」
お互いに呼吸をゆっくり整えながら、熊本城に入るために入場口へと向かって歩く。深呼吸しても、熱風が肺の中に入ってくる感じがして、更に暑さを感じてしまう。
(日傘……持ってくれば良かったなー……)
(大失敗だ)
熊本の太陽は、横浜と比べると、めちゃくちゃ私達の近くにあるように感じる――。
(……あっ!)
バチンと景色が切り替わり、いつもよりも固いベッドで目を覚ました。顔に差し込んいる日差しが少しだけ色濃くなっていて、どれだけ時間が経ったのか一瞬分からなかった。
(寝てたんだ……すっごい汗かいてる)
起きると息が切れている。ぜいぜいと呼吸をしていると、コンコンとドアを優しく叩く音がする。夢の中で聞こえた音と同じだった。
「ごめーん! 今起きたー!」
誰が叩いているのか確認する間も無く、ドアの向こうに向かってできる限りの声を出す。
「はーい。じゃ、部屋に戻ってるから。準備できたら呼んで」
重たそうな金属の扉の向こうから、楓くんの声が聞こえる。
「ごめん、分かった!」
時間は夕方5時を少し過ぎていた。
(でも……ちょっと良くなったかも)
部屋に入ってからの記憶が全く無い。キャリーケースは入口の近くで倒れたまま。ぐっすり寝たお陰なのか、変な頭痛は消えていた。多少熱っぽい感じはあるけれど、寒気がそこまであるわけじゃ無い。
(良かった……)
(……とりあえずシャワー浴びたい)
スマホを取り出し、楓くんに「ごめん! やっぱり30分後に部屋に行く!」とメッセージを入れて、急いでシャワーを浴びることにした。
(……あー……どうしよ)
この後の予定、何も決めていないなと思いながらシャワーを浴びた。体調がこれ以上悪くなりませんようにと祈りながら。
――
――
――
急いで身支度をして、新しいシャツに着替える。隣の部屋に行くと、ちょっとだけドアが開いている。開けたままにしていてくれたらしい。
「……ごめんね、寝てた」
ゆっくりとドアを開けて、申しわけ無さそうな声を出す。楓くんは窓際に座ってぼんやりと窓の外を眺めていた。
「疲れただろうしね。大丈夫なの?」
「うん。結構寝ちゃったから……もう平気だよ」
「そっか。声も元気そうだしね。じゃ、ちょっと外出ようか」
鍵がちゃんとかかっているかを何度もお互いに確認してから、エレベーターを使って1階へと下りる。
「寝たらすっきりしたよ。どしようかこの後。何も決めてなかったね」
「美咲ちゃんきつそうだったから、良かったよ。さっきお城が見えたけど城があるの?」
「うん。すぐ近くにあるよ。熊本城」
「じゃあ、城まで行ってみても良い? きつかったら引き返そうよ」
熊本の街はコンパクトな造りになっている。繁華街やお城などが、街の中心エリアにぎゅっと詰まった感じ。ホテルからお城まで、歩いても10分かかるかかからないかの距離にある。
もちろん、そんなしょっちゅう行く場所じゃ無いから、私は熊本城に行った記憶は残っていない。
「うん。そうしよっか」
フロントの前を通って外に出る。ホテルの綺麗な内装に、背筋が伸びているフロントの人。最初に入ってきた時は、体調が悪かったから気にならなかったけれど、住んでいる磯子や、学校がある山手の街には無い煌びやかさがあった。
自動ドアを出て外に出ると、さっきの辛さが一気に呼び戻るかのよう。あまりの暑さに驚きを通り越して息が若干苦しい。
「熊本ってこんなに暑いの? 空港に着いてから、ずっとヤバいよね……」
「楓くん初めてだもんね。この暑さ、私も久し振りだな」
「これは……ヤバい。とにかくヤバいな」
「湿気が凄いんだよ。湿気のレインコートを着てるような感じだもんね」
「湿気のレインコートか、分かるわ。そんな感じだよな……重たいもんね」
もちろん横浜だって磯子だって暑い。でも8月の熊本の暑さは質が違うなと思う。とにかく湿気が凄くて、まとわりつく。歩いているだけで汗が噴き出してくるし、とにかく『重たい』。
「ね。……このまとわりつく感じがヤバいよね。思い出してきたな、この感じ」
ホテルからはすでに熊本城が視界に入っている。私達は公園を抜けて真っすぐにお城に向かった。記憶は無いから、初めてきたような場所だけど道に迷うことはない。
「美咲ちゃんって、住んでた頃に、城行ったことあるの?」
「どうだろうなあ……記憶は無いけど。もしかしたら、くらい」
「そうなんだ」
「中学生の時までしかいなかったしね」
拠点にしているホテルやお城。アーケードなども含めて、一つの街になっている。夏休みということもあってか、ただでさえ倒れてしまいそうな暑さの中、もの凄い人ごみ。外国から観光にきてるんだろうなあという人も多い。
「に、しても……こんなに賑やかだと思って無かったな。人も多いな」
「でしょ。意外と栄えてるんだよ。熊本」
「お店もいっぱいあるし……」
「でも、このエリアだけだよ。街を離れると、あまり無いかな」
「そうなの?」
「うん。こっから離れていくと、ほとんど無いよ。住むとこだけって感じ」
「あー……だからこのエリアはこんな混んでるのか」
「そうそう。横浜駅みたいなもんだよ。休みの日になると、皆ここを目指してくるからね」
人が少なくなってきたなと思ったら、今度はアスファルトから激しく熱が照り返す。信号待ちで足を止めている時の方が、何だったら汗が噴き出す。……太陽の光から、逃げることができないから。
「そう言えばさ、夜ごはんどうしようか。美咲ちゃん何か考えたりしてる?」
「そっか。……いや、何も考えて無いよ。ホテルでずっと寝てたから……」
楓くんは小さく笑ってくれた。「何よ、その笑い方」と言うと、「暑いから省エネだよ」と涼しさを装うように、また笑う。
よくよく考えてみたら、2日前に急に熊本に行くことが決まって……そこから気持ち的にもバタバタだったなと思い返していた。
「今更だけど……俺もちょっと調べときゃ良かったな」
「急に行くことになったしね。でも、ここなんでもあるからさ、大丈夫だと思う」
「だよね。何でもありそうだもんね、さっき通ってきたアーケード」
少し歩くと、坂道が見えてきた。どうやらその坂道からがお城のエリアに入っていくようで、多くの観光客らしき人達が坂を下っている。あ
「あ、ここじゃないかな。こっから上れば城に着きそう」
「たぶん。めっちゃ人、下りてきてるしね。行ってみようよ」
「よし、行ってみようか。暑いし坂だし。美咲ちゃんゆっくりで良いよ」
見上げるほどの勾配には見えない。ゆっくりと歩いていけば、何とか坂の上までは行けそうな気がする。……でも長い。延々と続いているようにも見えた。
(……でも暑さがヤバいな。想像以上じゃん)
飛行機の中、そしてホテル。だいぶ寝ることができたので、何とか歩けるくらいまでにはなっているけど……。尋常じゃない暑さで、また体調が悪くなってきた。目まいもする。熱中症みたいに意識がほわっとするし、汗もかき過ぎているのかも知れない。
「……坂、長いね」
やっぱり楓くんも同じことを思っていたらしく、目線を向けるとちょっとだけ前傾姿勢を取って、坂を上っていた。
「ね。でもさ、学校行く坂と比べれば……って感じじゃない?」
「確かに。それだ。そうやって前向きなことを考えよう」
「でも……暑いから……体力は削り取られるけどね」
「駄目駄目。さっきみたいにポジティブに行こう!」
(私……山手駅の、あの坂。あんまり上れて無いからな)
そう。皆は毎日上っている山手の坂。私は毎日あの坂を上れていたわけじゃ無い。
「人の流れと逆に行けば良いのか。そうすれば城に辿り着くよね」
「そっか。……楓くん、頭良いなあ。そうしよう!」
「ははっ! そりゃ嬉しいね」
はあはあと息を切らしながら目線を上げると、人が一気に出てくる場所がある。恐らくそこがお城の入口なんだろうと考えて、頑張って上り切る。
「着いたね。……ちょっと中、入ってみたいな」
「……うん。せっかく来たしね。入ってみようか」
お互いに呼吸をゆっくり整えながら、熊本城に入るために入場口へと向かって歩く。深呼吸しても、熱風が肺の中に入ってくる感じがして、更に暑さを感じてしまう。
(日傘……持ってくれば良かったなー……)
(大失敗だ)
熊本の太陽は、横浜と比べると、めちゃくちゃ私達の近くにあるように感じる――。


