神社ってね、感謝をするところなんだよ

私が夜、散歩に出かける時のスタート地点だった区役所。団地はその手前にある。いつもはただ素通りしていただけだったけど……本当に公園があった。

「えー……本当だ。本当に公園あるじゃん」
「だから言ったのに」
この団地は2つある。一号棟と二号棟に分かれていて、公園は2つの高い団地に挟まれている形になる。駅から見ることはできないし、閉ざされた空間に入り込んだような気持ちになる。

「もう夜だから……ちょっと暗いけどね。昼は明るいんだよ、ここ」
「へぇー……」

家路につく人達にとって、この公園は丁度横切るような、ショートカットできる場所にあるらしい。サラリーマンや学校帰りの高校生たちが、スマホの光る画面を片手に、ちらりほらり通っていく。

「あっちの方が静かかも」
そういうと楓くんは、ぐいと私の手を引くように公園の端に向かって歩き出した。

「今日は美咲ちゃん、体調良さそうだね」
「うん。今日は割と調子良いかも」
先日、病院に行ってから、少しだけ体調が良い。あの日、たくさんの感情をお父さんにぶつけたからかも知れない。

「楓くん」
「何?」
「教えてよ」
「……何を?」
「この前、お父さんと話したでしょ」
「あ、うん。死ぬほど緊張したよ」
「あの日、『大丈夫だよ』って言ってくれてありがとう。嬉しかった」
照れを隠すかのように笑いながら、少し上を見上げている。

「でさ、何を話したの……?」
「え? ……内緒だよ」

一瞬止まってしまった。だってお父さんと答えた同じだったから。

「何でよ。良いじゃん、教えてよ」
「気になる……?」
「当たり前でしょ。意地悪しないでさ、教えてよ」
「うーん……」

まただ。お父さんと同じようなリアクション。しばらくじっと地面の辺りを見つめながら、考え込んでしまった。楓くんは何を隠しているんだろう。それとも本当に大した話をしていないのかも知れないなと思った。

「自己紹介したくらいかな……」
「……自己紹介?」
「何て言うんだろう……美咲ちゃんが気にするような話はしてないよ」
「……本当?」
「うん。本当に緊張したけどね」
「そうなんだ」
「あ、でも聞いたよ。熊本に行くの……許可してもらったみたいだね。それは聞いた」
「そう! 許可下りたんだよ!」
「やったねぇ」
「断られると思ったから……本当に良かった」

団地の壁に寄りかかって、体育座りの体勢になる。じっとりと蒸し暑い夜。背中は少しだけ汗をかいていて、壁につけるとちょっとだけ気になった。

「私、勇気出したよ」
「ね。頑張ったじゃん。凄いなって思ったもん」

根岸の森林公園からの帰り。私は「絶対に楓くんと熊本に行く」と決意を固めた。その想いが、きっとお父さんに届いたんだと思う。

「飛行機とかの手配もしてもらえるんでしょ? その辺りかな。俺が聞いたのは」
「大きなお金が掛かるのは、お父さんがやってくれるって言ってた」
「助かるよね、冷静に考えてみたら……その辺り、あまり考えて無かったもんね」
「うん。宿の手配もしてくれるって」

たまに人が近くを通る。その時はしゃべるのを止めてじっとしている。まるで他の人に聞かれたらいけない話でもしているかのように。

秘密の共有を夜にひっそりとしているようで、何だかちょっとドキドキした。

「あとは、楓くんのお父さんに許可、もらわないとだね……」
「……」
「どうしたの……?」
「……」
「えっ? もしかして駄目だった?」

ちらりと楓くんに顔を向けると、一点をじっと見続けている。空気がピンと張り詰めたように時が止まる。悪い予感でいっぱいの中、しばらくすると親指を力強く立ててくれた。

「もう言ってあるよ。行って良いってさ」
「……やったー!」

「もしかして」と思っていたけれど、良い意味で裏切られた。思わず私は楓くんに抱きついてしまった。

「やったー!! 熊本行けるー!」
「……おいって……人が通るってば」
「良いの! だって、こんなに嬉しいことはないもん……」
「……そうだね」
「やった……一緒に行ける……私、嬉しいよ……本当に。ありがとう」

これで許可をもらわないといけない人達、私のお父さん。楓くんのお父さん。2人から許可が下りた。

本当に行って良いの? なんだか夢みたい……。

「いつになるんだろう。行くの」
「たぶん、結構早いと思う」

家には大きい病院の紹介状がまだ置いたまま。予約を取って、実際に病院に行く時に手紙も持っていくらしい。ちゃんとした検査を早く受けた方が良いんだろうな……と思ってはいる。だから出発するのも早い方が良かった。

……まだ楓くんには、言っていない。
いや、まだ言えない。

「夏休みだし。俺、予定本当に何も無いからなあ」
「私も。ある意味、何も無いからね。部活も休部中だし」
お互いに顔を見合わせて、小声で笑う。こんなことをしゃべっているだけで、とっても幸せだ。

「ちょっと待ってて」
思い立ったように立ち上がり、楓くんの元をちょっと離れた。

「……どこ行くの?」
「お父さんに、聞いてみる」

「……もしもし? お父さん?」

「……」
「……」
「……」

「ごめんね、お父さんにちょっと聞いてきた」
「……どうだって?」
「ちょうど色々手配していてくれたところだった」
「で? 何だって?」
「なんと2日後だって! ……大丈夫?」
「2日後? さっき言ったじゃん。俺、毎日暇だから」
「本当? じゃあ2日後だ! 決まった!」

日にちもこれで決まった。本当に行けるんだ……熊本に。
楓くんと一緒に。
私達の育った場所に。
……茜が眠っている場所に。

「行けるね、熊本に。美咲ちゃんの故郷」
「……故郷、かあ」
「どう? 今の気分」
「……色々あったから……自分の気持ちを整理できたら、良いなって」
「そうだよね。色々大変だっただろうから」
「うん。後は……」
「ん? どうしたの?」
「楓くんに見て欲しいんだ……私の育ったとこ」
「……」
「正直あんまり良い思い出は無かったけど……やっぱり育ったとこだからね」
「そうだね。見てみたいよ。美咲ちゃんが生活してた所」

私は真上を見上げた。団地に囲まれた空からは、少し曇っていて星は全く見えなかった。
……ついに行けるんだ、熊本に。茜とお別れして以来の熊本に。